2024-08-04 14:03

「死んだ人は残された人の中で生き続ける」というのは本当のことだなという話

死んだ人は残された人の中で生き続ける

という手垢にまみれた表現がありますが、事実だと思っています。

死んだ人が生きている間に及ばした影響は、残された人が受け取って残り続ける。

例えば、私はコーチングの勉強の一環でアドラーやロジャーズやフロイトなど多くの人が残した心理学を学んでいますが、これも彼らが私の中で生き続けているとも言えるわけです。
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おはようございます、まーくんでーす。
今日は8月4日、日曜日ですね。
やっていきたいと思いまーす。
映画を見まして、
Remember Meっていうピクサーの映画ですね。
結構最近気になったんですよね。
最近よくRemember Meがいい、Remember Meがいいっていう評価をやたらネット上で見てたんですけど、
ちょっとこんなのが興味あるなと思って、昨日見たんですけど、
なんかね、金曜ロードショーで先日やったらしく何週間か前、
それでまた再度話題になっちゃったみたいですよね。
私はあんまりテレビ、金曜ロードショーはたぶん9時台とかからやると思うんですけど、
その時間はもう子供に寝ろって言ってるんで、基本的にはあんまり金曜ロードショーとか見ない。
なので、そういうのを知らずに金曜ロードショーをやったから話題だったんだなって気づいたんですけど。
アマプラでレンタル200円って見られたんで、それで行ったんですよ。
で、よかった。Remember Meよかった。
で、今日はちょっとRemember Meの話になるのかな。
Remember Meを見て触発されて考えた話ですかね。
映画の話もちょっとします。
人の死について扱ってる映画です。
誰か死んだとかそういう話題が苦手な方は今日はちょっと聞かないほうがいいと思っていて。
僕自身は家族が死んでるとかはなくて、
祖父母はもう亡くなってるんですけど、すごく極めて身近な家族。
両親も健在だし、兄弟も健在だし、奥さん側も父母、兄弟、健在。
あんまり身近な人の死っていうのは、一番身近だったのは祖父母。
あとは、学生のときにお世話になった先輩が亡くなっちゃったっていうのは、20代の頃にあったんですけど。
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そのほか、中学生のときに同級生の子が交通事故で亡くなっちゃったとかはある。
身近な人の死。それぐらいかな。
それぐらいの死への接し具合です。
だからあんまり強烈な。
友達が亡くなったとかも強烈でしたけど、本当に身近な家族とかが亡くなるっていうケーキはない。
人が亡くなるとか生きるとか、そういう姿勢感が結構僕は興味があって、
いろんなものを本を見たりとかしてるんですけど、
結構スピリチュアルジームみたいなところにも足を踏み入れることになるんですけど、そうすると。
僕は、人が物理的に命が亡くなる、死ぬのって、
亡くなって会えなくなるとか、その人自身がそれ以上何かするっていうのがなくなるっていう意味で、
死が一つの区切りになると思うんですけど、
僕はそこで終わらないと思っていて、
亡くなった人から僕が受けている影響が、僕が生きてることによって残ってるんですよね。
死んじゃった人が生きていたときに、僕が受け取った影響、エネルギーみたいなものって、
僕が生きてる限り残ってるんですよ。
僕が周りの人にまた影響を与えてるんで、残り続けるんですよね。
なんかスピリチュアルっぽいんですけど、結構これは事実だと思ってて。
だから、死んじゃった人は心の中で生きてるんだよとか言うのが割と、
スペライって言うたりですけど、手垢がついたような表現であるじゃないですか。
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死んじゃった人は君の心の中で生きてるんだよみたいな話。
あれね、割と本当だと思っていて。
生きてるんですよね。
生きてるっていうか、その人の影響が残り続けているっていうか。
僕はアトラとか好きですけど、アトラは死んでますけど、
僕にはバリバリ影響してるわけですよ、アトラ。
とか、いない人も生きてる人に対して影響を及ぼしうるんですよね。
なので死ぬ、物理的に生命として命が終わるっていうのと、
そういう他の人に影響を与えるっていうのは全然違う話になっていて、
僕は結構、人生の中でやりたいことって、
なるべく多くの人が自分の生きたい人生に気づいて、
それがそういうふうに生きられるっていう自覚、自信を持って、
それをやってみたいって思えること。
そういう人が一人でも増えるような世界を作りたいなとか、
そういう世界につながるような流れの一部になりたいなと思っているって言ってるのは、
そういうことで。
たぶん僕が生きてる間に、僕が何かを成し遂げるっていうのは、
どうかなと思うんですけど、なるべくそういうふうにしたいんですけど。
ただ、僕一人では限界があると思ってるんでしょうね。
なので、僕の影響を受ける人がもしいればありがたいですけど、
そういう人たちに何かいい影響を残せたらなって思っていて。
なので、死ぬっていうのって僕、影響が残り続けるっていう。
死は一つの節目ではあるけど、僕が残した影響が残り続けるっていうのって、
けっこう救いというか、自分自身のね。
自分自身の救いでもあるし、残される人の救いでもあるかもしれないんですけど。
そういう姿勢感を持っている。
リメンバーミーの話に戻るんですけど、
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リメンバーミーの中で第二の死っていうのが出てくるんですよね。
主人公が生きてる世界から死後の世界に行くんですけど、
死後の世界?死者の世界?
死んだ人が生きてる世界?死んだ人が住んでる世界に行くんですけど、
その死んだ人が住んでる世界に行って、そこでも死っていうのが存在していて、
どういうときに死者の世界で人が死ぬかっていうと、
もともと生きてる人の世界で、
その人が完全に忘れ去られると、死後の世界でも人が死ぬっていう、
第二の死って言われてる現象が描かれてるんですけど、
なんか僕がさっき言った影響云々の話は、
けっこうこれと重なってくるなと思いながら映画を見ていて、
僕の影響が全くゼロになることはないんですけど、
たぶん一番身近に僕の影響が及んでる人物って、僕の子供たちなんですけど。
たぶんね、現状。僕弟子とかいないんで。
子供たちだと思っている。
子供たちが僕の影響を受けてまた生きていく。
その子供たちを、子供を残すかどうかは僕は感知しないと思ってたんですけど、
もし子供にも子供が生まれたら、
その子供たちにも僕の影響が受け継がれていく。
かな?わかんないけどね。
多少成分は及まると思うんですけど。
なので、どんどん僕の影響が少なくなりつつ、ゼロにはならない気がしていて。
とはいえね、映画の中で誰からも思い出されなくなった人、
誰も覚えていなくなった人は第二の死を迎える。
僕が今まで言ってる影響っていうのが、
ゼロになってしまうと死ぬ。第二の死角みたいなことは。
ワンピースでもこういう描写がありましたよね。
漫画のワンピース。
漫画のワンピースでチョッパーが出てくるショーですね。
チョッパーが出てくるショーで、
チョッパーは細かいの、ちっちゃいやつですね。
あいつがヤブ医者に拾われるんですよね。
ヤブ医者と一緒に医学の勉強を。
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ヤブ医者なんでね、そんな医学の知識ないんですけど、
いろんな実験したりとかしてね、成長してるんですよね、チョッパーが。
あるきっかけで、育ての親のヤブ医者が死んじゃうんですよ。
死ぬ際に、人はいつ死ぬと思うって問いかけるんですよね、敵にね。
敵と対峙してるんですけど、死んじゃうときに。
人に忘れられたときに人は死ぬっていうふうに言い切るんですよね。
これもなんか僕が今まで言ってる影響が、云々に関しては近いなと思ってますね。
ワンピースでは受け付かれる医師っていう表現がされてますよね。
人が死んでも死なないんですよね。
人が死んでも、その人に影響を受けた医師が残り続けてる限りは、
その人は死なないんですよ。
ですよって言い切っちゃいますけど。
そういう姿勢感とリメンバーミーがマッチしてるなーと思いながら見ていた次第ですね。
なんかお盆シーズンなのね。たまたまなのかな。
お盆シーズンだからリメンバーミーが金曜ロードショーにかかったのかな。
わかんないですけど、お盆を帰った時に実家の家族で見るのもまた良しかなと思う映画ですよね。
姿勢感についてはまだいろいろ語れる部分があるんですけど、
今日は一旦こんな感じにしたいかなと思います。
何か参考になれば幸いでーす。
じゃあまた明日。さよなら。
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