っていう、ちょっと経歴なのか何なのかわかんないですけど、そういう感じです。
中掘りたいところ山盛りで、改めて異次元にすごい人だなって個人的には思ってしまった部分にはあるんですけれども。
まず一番最初、電子工作から始まったってところはありますけれども、これもなかなかきっかけとかなかったらやらないのかなとか、あるいはプログラミングに関してはマイコン自体がなきゃいけなかったりとかもありますし、開発のところに目指し始めたきっかけとか影響を受けた方みたいなことっていうのはあったりするんでしょうか。
家庭環境ではまずないです。うちの家族にコンピューターの旅ができる人っていうのはいないんですよ。それが僕がユーザーインターフェイスっていったものにハマるきっかけでもあったんですけど、要するに使いやすいものをなんで作りたいかっていうと、自分の周りの人が使いこなせないから使える形にして喜んでもらうことが嬉しかったっていう現体験があるんですけど、
要するに親の影響でも家庭の影響でもないんですが、あるとするとひいおじいちゃんとかの大工とかだとして、物を作るっていうのはあったのかなと思います。なので、小学校入ってすぐから、いわゆるDIYとかって言いますけど、木材を切ったり釘打ったりみたいなことはやらせてもらってたっていう感じですかね。なので、物作りっていう広い意味だとそういう家族とかの影響はちょっとあったのかもしれないです。
ただ、コンピューターは全くないです、僕からという感じで。そもそもコンピューターとの出会いっていうのは、まずは動くものが気になってたみたいな、小学生の、よくあるあると思うんですけど、家にある動くものを全部分解してましたと。
特に測りとか、物から測りが動きますみたいなのが本当に面白いなと。それを全部バラバラにして分解したりとか、インターフォンとか全部分解してみたりとか。
えー、困っちゃいますね、ちょっと。
で、もちろん戻せないんです。
戻せないですね。
そう。でも結構そういうのって、大学入って周りの人と話すと結構幼少期経験あるらしいんですよね。
僕はもうその時も全然ただ面白いからやってただけで。
で、そのうちですね、モーターと乾電池みたいなものをつなぐと回るよねとか、豆電球、乾電池とつなぐ光るよねみたいなことが本当にもう好きで。
よくラジコンショップ行って、ラジコンのパーツのタミヤのモーター買ったりとか、旧ハンズ行って豆電球買ったりとかLED買ったりとかみたいなことをして遊んでたんですよ。
で、そういうのが最初のきっかけで。
で、コンピューターはやっぱり当時電子工作って自分たちで回路を組むには早いので、電子工作キットみたいなものが東急ハンズとかで売ってるんで、こういうものを買ってロボットみたいなものを作っていくわけですけど、その過程でマイコンみたいなものの出会い。
で、コンピューターいつもくれ。
学校にパソコンがあったので、最初はそれを使わせてもらってましたね。
へー。
で、家にパソコンがそのうちあり、で、そこから自分で自分の好きな時間にコンピューター触れるようになってっていうところですね。
なので、基本的には見て学んで、楽しくてやってた感じです。
なので、勉強してるとかそういう感覚じゃなくて趣味。
へー。
よく今思い返して思うのは、図書館とかに行くとみんな漫画とか読むじゃないですか、小学生って。
うん。
僕は本当に電子工作の本が読みたくて。
へー。
でも、それを読むのが本当に当時恥ずかしかったですよ、一人だけ。
ああ、やっぱり。
よくないことだと思ってた、むしろ。
依然じゃないことだと思ってて。
はい。
だから、もう漫画の下に隠して読んでました。
今考えるとすごい秀才っぽいんですけど、
当時はもう本当に別にそういうのじゃなくて、本当に趣味。
電車が好きな人とか、化学物理が好きな人とか、たくさんいるじゃないですか。
それと本当に同じ感じで、ただ動くものがなんで動くんだろうっていう仕組み。
その仕組みを知るっていうことに夢中だったっていう感じですね。
なるほど。
じゃあ、なんで今ここまでできるんですかって聞いても仕方ないというか、
本当に好きで夢中してて自然にそうなっていったって感じなんですかね。
そうですね。
プログラミングやって本当に長いんですけど、
僕はプログラミング自体はそんなに好きじゃなくて、
プログラミングとしてできるものがそれを使って人が驚くとか、
そういったことが本当に幼少期から好きだったのかなって思いますね。振り返って。
先ほども少しいただきましたけど、インターフェースがとにかくこだわりがありますと言いますか、
ところがあると思っていて、大学の研究所もインターフェースを扱うようなところに入られてたってことですけれども、
インターフェースへの熱量が高まっていった瞬間とか、そういうのもしあったら聞いてみたいです。
そうですね。インターフェースっていう言葉を知ったのは高校の時になります。
使いやすいものを作ればいろんな人に使ってもらえるんだなってことは、
もう中学生ぐらいの時にいろんなウェブサービスを作っていく上で実感してきたことだったんですね。
使いやすいソフトウェアっていうものについて調べていた先に、ユーザーインターフェースっていう言葉に出会ったんですよね。
学生企業だったりスタートアップで活躍されてる方々を見て、
そこからも結構影響を受けて資産がどんどん上がっていったみたいなところも
お見受けしていたんですけれども、
今でもいいですけれども、
強く影響を受けてるなっていう企業家さんとか、
そういった方がいらっしゃったら聞いてみたいです。
いやあんまりいないですかね。
近いと言うと企業家っていうのはあんまりいないかもしれないです。
例えばスティーブ・ジョイルズとかそういうのはもちろん、
幼少期に非常に影響を受けてますし、
ソン・マセージとかそういう人はもう大勢あげてますけど、
僕っぽい感じで言うというか、
ものづくり的な観点で言うと、
やっぱりエジソンですかね、
トーマス・エジソン。
トーマス・エジソンももちろんGEの作った人なので、
未だに残るビジュナリーカンパニーを作り上げた人ですけれども、
どちらかというと技術に対して向き合って、
かつそれをちゃんとビジネスとして
人々に社会実装していくっていう側面、
これを一貫してやってきた人物って、
この数百年だったらやっぱり
トーマス・エジソンなんじゃないですかね。
僕は彼の電球を本当に小学生の頃からずっと読んでいて、
暗読しても何でも言えそうになってたんです。
すごい。
もう誰々と結婚して、何年に誰々と結婚してみたいな話しかない。
すごい。
それぐらい読んで。
電球みたいなことまで。
なのでトーマス・エジソンは僕の人生の中では
かなり大きく影響を与えて、
今でも大きく影響を与えている人物だと思います。
それはもう一段深く聞くとどうしてなんですか。
特にどういったポイントに惹かれているとか。
やはりひらめきっていうものがやっぱり重要です。
もちろんよく言うのは、
努力が99%で1%のひらめきですみたいな、
それが天才っていう話だと思うんですけど、
それもあるんですけど、
例えばエジソンってフィラメントっていうものを使って電球を作るわけですけど、
あのフィラメント結局いろんな素材を用いて電球が作られていったわけです。
一番ずっと何十時間も光り続けることができたのは、
日本のセンスに使われている竹なんですよ。
エジソンがたまたまそれを持ってて、
これ使ってみるかって言って使ったらすごく大成功したみたいな。
これって相当粘り続けないとそこまで絶対たどり着かない。
今使っているセンスの素材使ってみるかなんて、
相当そこに執着して、
何としてでも成功させるんだって思いがないと、
そのひらめきの1%出てこないじゃないですか。
そこって多分発想すら絶対わからないんです、普通にやってたら。
そうですよね。
だからそこに対する思いのかけ方とか、
命のかけ方っていうか、
こういうのがやっぱりちょっとすごいなっていうふうに思いますし、
あとやっぱりトーマス・エジソンって度胸もあってですね、
トーマス・エジソンがまだ小さいときに、
汽車に控えそうになってた女の子を飛び込んで助けるみたいなアイディオがあって。
すごい。知らなかったです。
その女の子のお父さんっていうかおじいちゃんだったかな。
結構偉い人で資金エンジニアとかしてもらって発明ができたのがあるんですけど、
なんかそういうのって結構人生一つ一つ度胸がないと、
そういう場面に振り合えないじゃないですか。
つまりリスクっていったものをあんまり考えず。
考えずっていうとあれですけど、
軽車としてよくないですけど。
ただまあ、一定その自分の人生っていったものを本当にちゃんと向き合っていれば、
そういう大きい挑戦できるなと思ってるんで。
そういう度胸もあり、ひらめきもあり、密いもありみたいな、
その姿勢が僕は好きです。
すごいいい話が聞けました。ありがとうございます。
あと起業される前後のところとかも、
事業についても聞いていきたいなと思っているんですけれども、
今のプラグにたどり着く前もいくつかの事業されてらっしゃったんじゃないかなと思っていて、
それこそデイティングのアプリとかは売却もされてるかなと思うんですけれども、
このあたりっていうのはなぜその領域をやってみたのかっていうのと、
逆に手放した理由とか、
今プラグをやってる理由にもなるかもしれないですけれども、
そのあたり教えていただけますか。
ありがとうございます。
そうですね、手がけてきた事業は今までも10個以上やってます。
すごい。会社も長いのでそれぐらいはやってるし、
僕もプロダクト自身で作れるので、
トライアンドエラーっていうのはすぐできるので、
その中でもうまくいったものが2つあると。
2つあるんですね。
その1つが音楽アプリ、この会社の創業だったんですけど、
これは国内で500万ダウンロードを超えて、
そんな新たなんですね、すごい。
収益も当然大きいものでした。
で、もう1つがデイティングアプリですね。
こっちは事業的に大きくなったかっていうよりは、
非常に良いプロダクトが作れて、
いわゆるプロダクトのマーケットフィットじゃないですけど、
各指標が非常に好調でしたね。
じゃあそれぞれ何で手放すのかっていうところなんですけど、
音楽アプリはそもそもがですね、
ユーザー数は多いんですけど、
ビジネスモデルとしてかなり脆弱で、
どっちかっていうと音楽プレイヤーアプリなんですよ。
音ゲームみたいなものはYouTubeの公式APIから提供されるものを、
今でいうピクチャーインピクチャーっていう言葉があって、
ホーム画面に戻っても小さい画面がついてきて、
みたいな、あるじゃないですか。
あれって結構実は最近の話で、
昔はなかったじゃないですか。
確かに。
あれをAndroidの時に独自で日本で初めて実装したのが、
僕が作ってた音楽プレイヤーアプリです。
これでYouTubeの公式APIで撮れる動画を、
そのまんま見ながらTwitterができますみたいな、
こういうプレイヤーだったんですけど、
別にYouTubeがYouTubeミュージックとか始めていく上で、
そういう使い方がやっぱりNGになった。
簡単に言うとYouTube的にもうAPIの提供ができないということで、
終了するって感じなんですけど、
当時その時まではもう当然他の授業もやってましたし、
どっちかというと早く辞めたかったっていうのが事実。
っていうのはやっぱりキャッシュカウンターになってましたけど、
売り上げとしてスケールするものがなかったんです。
500万人、600万人ってユーザーがいても、
数億とかにしかならないわけです。
それってもうやっぱり限界ありますねと。
一人でやってたんで個人のキャッシュとしては相当いいわけですけど、
会社として何もスケールはしない。
音楽アプリのほうはですね、
これはもう完全にマーケティングのビジネスだったんですね。
例えば、バイネームで言うとPairsとか、
ああいうのって、誤弊を恐れず言うと、
結局その場所にユーザーがどれぐらいいるかっていうのが、
さまざまなKPIに繋がるんですよね。
つまりユーザー数が多ければ各指標が上がっていく、
そういう事業だったんですよ。
僕ってやっぱりプロダクトを作る技術者なんで、
できる限りプロダクトだったら技術の力で
差別化やスケールを図りたいと思っている。
その中で、いってしまったら、
よっぽどこだわったものを作ったとしても、
結局はどれくらいユーザーを集められるかというマーケティングの世界。
あの時僕が売却するまでは、
もう一旦借り入れをして、
そのお金を全部広告に使って、
回収したお金をまたすぐ広告に投下して、
ずっと自転車の勝負を繰り返さないとスケールできないなというのは
もう分かったんですね。
かつやっぱり小皮活の市場より、
本活の市場の方があった時に単価も高いし、
ユーザーの解決するペインも大きいと思って、
であれば、この仕組みをそのまんま作るコストをかけられない会社というか、
そういうノウハウがない会社に、かつブランドを持っている会社に
渡すのが一番いいんじゃないかと思って、
当時パートナーエージェントという補助企業、
今でも国内No.2の結婚相談所ですけど、
そこに事業売却をさせていただいたという感じですね。
なので、なんでこのeコマスやってるかというと、
端的に言うと10年後に2000億円の資金調達をするためなんですね。
2000億って数字はどこから来るのかというと、
例えば自動運転だったりとか、
LLMだったりとか、
そういったもののテスラだったり、オープンエアだったりですよね。
そういった会社がサービスをちゃんと軌道に乗せるまでにかかった費用、
大体数千億円。
ってことは、世の中のインフラを作るには、
少なくとも数千億はキャッシュが必要なんですね。
じゃあ数千億円どうやったら集められるのかといった時に、
やっぱりまずは進化部発行して集めるとかっていうのはよくあると思いますけど、
そうなると上場の企業として、最低でも時価総額5000億円以上は
キープしている状態で、資本市場にいないといけないと。
なった時に、そんな会社が今日本の市場で、
これ勝手にグローバルって言っちゃうといきなり角度低いんで、
まず日本の市場でどれぐらいいるんですかっていうと、
僕がやってるインターネットやソフトウェアのセクターでは十数社しかないんです。
そのうちの一つが価格交流だったんですね。
いろんな会社いますよ。
M3だったりとかモノタロウだったりとかZOZOとか、
そういう会社数千億から一兆ぐらいの時価総額があると思いますけど、
その方々に並ぶのが価格コムさんですね。
価格コムさんのビジネスモデルは本当に秀逸で、
大場合の入り口を掘ることで非常に大きい利益を生み出して、
でもこういう言い方するとあれかもしれないですけど、
10年、20年、価格コムで30年近くやってるんですけど、
あんまり在り方変わってないなと。
つまりインターフェース変わってないと。
PCファーストっぽいし、なかなかGoogleの検索に依存してるわけじゃないですか。
悪く言うというよりは、
もうちょっとモバイルとかデータの時代で、
何か違うやり方があるんじゃないかなって僕は思ったわけですね。
つまり購買の入り口を広く取ることができれば、
今すでにお金を出してるマーケットで5000億円という価値は、
ちゃんとリプレイスできると僕は思ったんですね。
なのでそこにまず目をつけて、
どうすれば購買の入り口を丸ごと取れるか、
といった時に、やっぱりeコマースの入り口を取るというところで、
そもそもeコマース一つ一つのソリューションを作ってもしょうがないから、
ユーザー側のツールになって、
eコマース全部変えちゃう。
そういう形で入り口にできないかなというふうに、
発想からこの事業を選択してます。
なのでちょっと長くなりましたが、
10年後に2000億円資金調査するためにこの事業を選んだと思ってください。
かっこいいですね。
かっこいいですね。
全然もっと聞きたいぐらいすごい濃い濃すぎる内容でした。
最近ブログ書いたんで見えるんですけど、
でも一体うちの会社のメンバーには本当にずっとこれを言い続けていて、
これはもう本当にプラグ始めた時と変わりない狙いです。
ありがとうございます。
前編はここまでとさせていただきまして、
後編ではそんな伊藤さん、プラグさんが展開される事業を深掘りしながら、
今後の展望を伺っていきたいなというふうに思っております。
皆さんの前編ありがとうございました。
ありがとうございました。