Startup Now🦄、資金調達を実施されたばかりの企業家の人生や事業を紐解くポッドキャスト、パーソナリティーのStartPods稲荷田です。
同じく、パーソナリティーのスタートアップ大好きキャピタリスト中山です。
本日は、株式会社tayori代表取締役 直林実咲さんにお越しいただきました。
tayoriさんは、言葉の保険、たよりえを提供されているスタートアップでして、2025年3月、資金調達を発表されました。
直林さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
直林さんとの接点お話、ぜひさせていただきたいんですけれども、これはですね、我らが、
我らが。
オアシスファンドの橋田さんがですね、
ブータープレイリオという番組を結構長らくされていらっしゃいまして、
橋田さんの企業ペライチを割業されたまでの話だったり、
他の企業家さんとのインタビューといいますか、失業等とかも含めて番組配信されていらっしゃるんですけど、
その中の新しい企画で、スライドなしの2分間ピッチっていうのが、
昨年末ぐらいにスタートをしまして、
この新企画の最初の出演者として出られていらっしゃったのが、直林さんであられた。
この番組自体、もともと配置をしていまして、我々パラボのイベントなんかもさせていただいているんですけれども、やっぱりその新企画って結構ドキドキするわけですよ。
その中でやっぱり最初に手を挙げて、直林さん出られたって、ここをまずスタンスとして僕は素晴らしいなというふうに思っていてですね。
実際に話し聞かれて共感する部分もあるようなサービスでもあったので、応援の意味にも含めてXなんかで拡大というか感想とかもお伝えしていたんです。
そしたらですね、後日直林さんの方から資金調達のタイミングに合わせて、ぜひスタートアップなのにも来てもらえませんかというようなご相談をいただきまして、
もうそれはもちろん出てくださいというところでお前に来させていただいたという次第でございます。
直林さんありがとうございます。
こちらこそその説はありがとうございました。
この一連のやり方だけでも人から伝わるんじゃないかなと思いつつ、さらに引き出せるような配信したいなと思っておりますので、
前編では直林さんの大分地や創業までのプロセスを、後編では頼さんの事業頼りや今後の展望なんかも伺っていきたいなというふうに思っておりますので、ぜひ合わせてお聞きください。
この番組はユニーリサーチの提供でお送りします。
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スタートアップナウのヘビーリスナーでもある創業者の浜岡さんは、全職で新規事業に挑戦。
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それでは直林さん、まずは直林さんの人生やご経歴などを中心とした自己紹介を1、2分程度お願いできますでしょうか。
はい、改めまして手寄り代表の直林美咲と申します。大学卒業後、出版社に新卒半年遅れで入社いたしまして、
2年間出版社の営業に従事した後、独立をして個人事業主としてYouTuberをやったり、
企業のSNSの運用代行をやったりというSNS事業をやる2年間を過ごしまして、
その後、現在の株式会社たよりを設立して今に至るという経歴になっております。
ありがとうございます。ごく端的にまとめていただいて、なのにもかかわらず気になるポイントがいく部分があってですね、
個人的に気になるフレーズは半年遅れってところとYouTuberってところで、
直林さんめちゃめちゃ面白い側面あるんじゃないかなって思ってるんですけど、ちょっとこれ後で触れさせていただきますね。
その前提で、最初に横国を卒業されていたところだと思うんですけれども、
それより前の話なんかも聞きたいなと思ったりするんですけど、
幼少期だとか、小学校、中学校、高校生、どんな感じで過ごされていたかとか、
どんなことに熱中されていた方だったのかみたいなところを教えていただけますか。
大学以前で言いますと、大体こう私の人生2つに分かれていて、
習いごときと部活期に分かれるんですけれども、
習いごときは小学校1年生の頃から中学校3年生までミュージカル劇団に所属していまして、
その9年間はもうひたすら歌、ダンス、演技に没頭する日々でした。
すごい。いいですね。9年めっちゃ長くないですか。かなり本格的にやられてらっしゃったんですね。
そうですね。それこそ最終まで通ったことはないんですけど、有名どころのミュージカルアニーに毎年応募してやってたりとか、
本気で取り組んでいました。
きっかけは何だったんですか。一番最初やり始めたっていうのは。
きっかけは小学校1年生の時に、学校でもらったお手紙、チラシの中に、
子供ミュージカル1年間練習して、1年後に地元の大ホールで発表しますみたいなチラシが受け取って、
当時私もものすごく人見知りで引っ込み次第な子供だったんですけど、なぜかそれにものすごく惹かれたようで、
母親に対してこれやりたいって言って始まったのが最初のきっかけでした。
めっちゃいい入り口ですね。
僕、今、次の4月で長女がですね、年長さんになるんですよね。
次小一なんで、まさにそのちょっと手前ぐらいのタイミングで、
習い事まさに悩んでいて、
なんかちょっと、めっちゃパーソナルな話。
英語通ってたんですよ。やっぱ大事かなって思って。
1年ぐらい通わせて楽しんでたんですけど、なんか急に嫌いになったというか飽きたというか、
そんなネガティブなことを言い始めてですね。
ちょっと無理に続けさせるのもあれだなと思って、別のやらせたい。
やらせたいっていうのがあれなんですけど、
ダンスかなとかピアノかなと。
このさっきの長林さんの話でいくと、
もともとそういうタイプでもなかったのに、
知らしてみてなぜか惹かれたってことをおっしゃってて、
これすごく気になるんですけど、
多分覚えてらっしゃらないかもしれないですけど、
なんでだったのかっていうのは、もうちょっと言語化しようとするとどんな感じです?
いやー、なんでなんでしょうね。
逆に言うと多分、元の性格が今よりのミュージカルとかそういう人前に出たりだとか、
何か表現したりだとか好きっていうのが本当は多分元の性格なんじゃないかなと思っていて、
それがまだ本当かどうかわかんないですけど、
当時まだ発露の仕方がわからなかったというか。
で、それを演技とかミュージカルっていうものをガイデントしたときに、
なんかこれだったらできるかもって思って、
大化したのかなって勝手に思ってます。
いい話ですね。
それで結果的に、その最初のプログラムで言えば、
1年後に劇に出るで終わるわけじゃないですか。
はい。
結果9年続けられたっていうのはどういったポイントで続けようっていう風になってたんですか?
1年のものは単発のものなんですけど、
そうではなくてその主催者がやってらっしゃる教室が数年あるものがあって、
そこが家の近くだったっていうところもあって、
1年間の経験が終えた後に正式に教室の方に入ったっていうような経緯で、
その後もずっと続けたっていう形でした。
なるほど。
9年やるってことは、これはもう中学校まるまるぐらいまでやってることなんですかね。
そうですね、はい。
で、辞めて高校から部活みたいな。
中学校1年生から部活に入り始めて、
で、高3まで続けたんですけれども、
バスケ部だったんですけれども、
中学校3年間は結構葛藤の時期で、
どうしても部活の両立と学い事の両立が結構難しくなってきていて、
大変そうですね。
そうなんです。土日部隊があったりすると土日の部活に出れなかったりだとか、
ただ運のいいことに私背が高かったのでバスケがすごく相性が良くて、
なのでレギュラーになってしまっていたんですね。
そうなると、やっぱり同級生からのひがみじゃないですけど、
土日休んでるのになんでみたいなところもあったりして、
ミュージカルを続けるか、それとも部活に専念するかを決めなきゃいけないなっていうのが悩んだ3年間。
で、最後中学卒業の最後の大会の時に、すごい良い終わり方をして、
これはちょっと高校でもっと本格的なちゃんと強いチームに入って、
バスケを極めたいなと思い、ミュージカルはその中学3年生で終わりにすることを決めて、
高校の3年間は本当に部活に専念するっていうような決断をしたっていう形になりました。
すごい、じゃあ結構バスケありきで高校も選ばれたというか、結構強めなところとか入られたりしたんですか?
そうですね、この先生に教わりたいっていうところに入学してっていう感じでした。
なんか、めっちゃ体育会系ですね。さっきの9年の劇の話といい、バスケといい、3年間どうでしたか、高校のバスケは。
すごく楽しかった反面、やっぱりものすごいきつかった3年間でもありまして、試合に負けるたびに髪の毛を切らされ、
切る髪の毛がなくなり、美容室に行くのももったいなくて、千円カットに行ってたんですけど、
千円カットのおばちゃんにこれどこ切るのって言われるけど、切る髪がないみたいな状態の3年間を過ごしていましたね。
結構高速のゆるい高校だったんですけど、バスケ部は高速原子だったので、スカート膝丈まであって髪の毛はもうツンツン立ってて、
第一ボタンまでしっかり締めてみたいな、ガチッとした高校生してました。
今とのギャップがすごいありますね。
高校卒業した後、大学の友達とかに会うと、あ、美咲女の子になったねって、もともと女の子だからと思い出した。そんな感じでした。
がっつり3年間バスケに熱中されてからの横国に行かれたのも素晴らしいなと思いますし、大学はちなみにどんなことされていらっしゃったんですか?
大学は逆に小中高と何かしら熱中していたことがあった人生だったので、それはそれで楽しかったんですけど、
一回ちょっと休む時間を設けたいなとか遊ぶ時間を設けたいなっていうのが自分の中であって、大学は部活ではなくてサークルに入って、
友達と放課後遊ぶっていう経験をしたりとか、ゆるっとした大学生活を送っておりました。
ちなみに何サークルだったんですか?
バスケサークル入ってました。
でもシュート外した時にごめんね済むバスケはいいなって思いました。
噛み切らなくていい?
はい。どことごめんね済むって素敵だなって思いました。
逆にいいですね。優しさありがたいと思いますね。一つ一つ。
そうですね。
これはどういう意図でこういうふうな意思決定されたんですか?
今言ったように転職だと思うぐらい楽しい仕事だったんですけれども、
2年間会社員として過ごす中で、仕事の内容自体は楽しいけれども、
このままずっと会社員として働き続けるっていう働き方が自分の人生にとってどうなんだろうなみたいなところを、
プライベートとかの兼ね合いとかも含めていろいろ考えるようになりまして、
一度当時結婚もしてない、子供もいないっていう自由なタイミングだったからこそ挑戦ができるんじゃないかなっていうことで、
1回会社の力に頼らずに自分一人で稼げる状態を作ってみたいっていうふうに思うようになりまして、
会社員しながら最初YouTubeを始めたんですね。
ただやっぱりどうしても結構ハードワークしていたので、
YouTubeの方に使える時間があまり取れない中で、これもちゃんと本腰入れてやったらちゃんと伸ばせるんじゃないかなっていうような、
全然その当時、兆しもなんもない状態だったんですけど、
謎の根拠に後押しされ、1回ここで挑戦をしてみようということで会社の方を辞めさせていただいて、
YouTube事業に本腰入れ始めたっていうのが個人事業主になった経緯です。
YouTubeはちなみにどういう番組されてて、それはもう一旦お休みしてるんですか?まだ続けてるんですか?
お休みしていて、不思議なチャンネルをやっていたんですけれども、
何ですか?
当時、歌詞ドッキリっていうジャンルが学生の間ですごく流行っていて、
LINEで友達とかに歌の歌詞を一文ずつ送りつけて、
相手は何言ってるの?みたいな話になるじゃないですか。
それで相手の反応を見る、みたいなものを歌詞ドッキリって言うんですけれども、
それが若い子たちの間で少し流行っていた時期で、
ネギやですね、僕ら知らない。
どうやらこれが流行ってるらしいってところに目をつけて、
JKっていう役設定にYouTube上でなって、
その女子高生の女の子には男子大学生の彼氏がいるっていう設定で、
その女子高生と男子大学生の恋人同士の歌詞ドッキリのやりとりを動画上で流すっていうチャンネルでして、
オシャレですね。
当時、視聴者さんたちはみんな小中高生の女の子たちで、
本当にそのカップルが実在すると思って見てくれていたので、
こんなカップル憧れるみたいな感じのチャンネルをやっていました。
企業のスタイルにもすごくいきそうな脚本の技術というか、ありますよね。
その話は一旦終えつつも、
これは個人事業主でずっとやっていこうと思ったのか、
そもそも起業する気でハサミとして個人事業主されたのかというと、
どっちになるんでしょう?
前者でした。もともと会社を起業するっていうつもりはなく、
個人事業主で自分一人が食べていけるぐらいの稼ぎがあればいいかなっていう風に思って始めたんですけれども、
頼りを始めるきっかけにもつながるんですけれども、
当時個人事業主中に自分にとってのお二人の父親のような存在の人との私別を経験しまして、
当時彼が42歳ぐらいで、お自宅の階段から足を滑らせてそのままという形の終わり方だったんですけれども、
初めて自分の身近ですということを考えるきっかけになって、
残される側の何も残ってないことに対する喪失感であったりだとか、
あと亡くなった方の奥さんに会いに行った時に何も準備がなかったからこそ、
仕事続きにものすごく苦労されていて、
その時に奥さんといろいろおしゃべりをしていて思ったことが、
生命保険という形で経済面の助けは多くの人がサポートできる状態を作っているにもかかわらず、
精神面の負担とか、仕事続きの実務的な負担のサポートできる部分が全然ないんだなということを感じまして、
そういうサービスがあったらいいのになと思っていろいろ調べてみたんですけれども、
自分にとってこれだと思うのが見つからなくて、
であればそういうサービスが自分で作れたらいいのになというところで、
会社の立ち上げを意識し始めるきっかけになったという感じでした。