2025-02-17 16:43

#761 JIN JIN JIN

#JIN #仁-JIN #タイムスリップ #過去から未来へ乗り影響 #時間軸 #量子力学的並行世界
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サマリー

このエピソードでは、孫との思い出を振り返りながら、時間移動とその影響について考察されています。特に、ドラマ『ジン』や映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を通じて、時間の流れとその因果関係が深く探求されています。

孫との思い出
おはようございます。2月17日月曜日、週の始まりです。
今週はいつかたっぷりございます。
平日が労働日の人も、労働日が自由な人も、それぞれ頑張って参りましょう。
昨日おととい、土日は1日半ほぼ、孫と濃密な時間を過ごしてまいりました。
幸せな日々、まさにビューティフルデイズでございます。
そんな孫も、1歳と2ヶ月生まれてから、おおよそ400日ちょっと、この400日ばかりの間に、正体不明の生き物からどんどんどんどん劇的に進歩して、ここ3ヶ月は本当にしっかり人間になってまいりました。
つかまりだち、つかまり歩きができるようになっております。もうすぐ一人立ちできるでしょう。楽しみです。
そして今日の本題は、孫の話とは全く関係がありません。
SS、SSS、いやいや、SF山山話です。
それでは、またまた懲りずに時間論と申しますか、時間移動による影響論、懲りずに語ります。
というのも、以前ちょっと年数忘れましたが、21世紀の初め頃だと思うんですが、
東芝日曜劇場、TBSのジンというドラマがありまして、これ村上本科先生の漫画原作ジン、元になっておりまして、平成に生きる下界が江戸時代、
あ、江戸時代じゃないわ、江戸より前の時代の江戸、あ、違う違う、江戸より前、江戸末期の江戸、
坂本龍馬とか西郷七之助高森とかが、時代を駆け抜けた幕末でございます。
その幕末にタイムスリップして、いろいろな歴史的人物と関わっていくというお話でございます。
東芝日曜劇場の方は多分、僕の記憶が正しければ二部構成、
ジンの第一部って言っていいのか、最初のクールと完結編のツークールで構成されておりまして、
完結編の方はですね、何かたぶん、何かしら事情があってか、たまたま見てなかったのか忘れました。
あ、違うな、ひょっとしたら、放映時期、放送時期によるんですが、
僕が転職した、初の転職やった頃の放送だったのかもしれません。
そうすると見る機会がないと、日曜の夜は。
そんな感じで、たぶん見ておりませんでして、
見てないけど、原作の漫画の方を読む機会があって、ちょこちょこと。
で、なんとなくストーリーが頭に入っている状態で、今Amazonで配信してますので、
完結編第一話から見始めた。
で、第一話の始めで、ミュージカルの方、ミュージカルのご所演じる翔山先生が出てまいりまして、
たぶんその第一部の最終回が翔山先生だったはずなので、そこまではセリフに置いておきます。
で、なかなか始まりませんが、その時間移行に伴う影響とかなんとかということについてはですね、
このジンにも以前に配信しました、バック・トゥ・ザ・フューチャー現象。
未来に影響する行動を取ってしまうと、その関わる本人の存在が薄くなるというか、消えてしまう。
なんとなくそんな因果を含むシーンがございまして、改めてバック・トゥ・ザ・フューチャーの影響は大きいなと思った。そんな次第です。
未来の結果に対して、物理的な事象、体が消えるとかですね、単なる情報といっても、
紫外線を浴びて色が薄れること以外に変化のない性的な情報である写真とかですね、映像とかに影響が出るというのは、
私は小さい頃から納得が、小さい頃からっていうかバック・トゥ・ザ・フューチャーの。
ただ、前にも言いましたけど、僕の記憶の中にはそのバック・トゥ・ザ・フューチャー現象に近い何がしかのものに影響が、
たぶん写真だったんですよ。あるという逸話は、藤子藤生先生の漫画家、全然違う人の、たぶん漫画で見た経験、見た経験と見た記憶がありまして、
その時から引っかかっているわけです。だからバック・トゥ・ザ・フューチャーでもそのシーンが出てきた時に、やっぱり違和感というか納得いかんというか、はい、それはずっと感じておりまして、
その記錠を説明立てるよりは、まずそれはバック・トゥ・ザ・フューチャーの表現であるということで、単純に納得しておりまして、そういうファンタジーもよかろうかと思っております。
それでは、人は時間軸一本の世界なのか、量子力学的複数パラレルワールドの世界なのか、というところで考えますと、いろんな逸話からは、創話からは何となく、
主人公である人の考え方は、時間軸一本仮説に則ったようなモノローグが多いのですが、話の筋立てとしては、ひょっとしたら完結編の第3話で、
大八ちゃんという子供の治療が亡くなってしまいましたが、子供の治療に当たる際のイメージが、でもあれもやっぱり時間軸一本か、かもしれません。
時間の流れとは
その辺は脚本を重ねて聞いてみないと分かりませんが、そんな感じで展開されるので、
ここには、本人の存在に関わる何らかの人物・事象に直接介入すると、本人が生まれなくなったことになってしまうとか、そんな感じの創話があって、
その状況を説明するのに、一瞬存在が消えてしまうとか、徐々に透明になってしまうとか、
僕の中ではそれは一時的なタイムスリップ、きっちり戻るのではなくて、境界状態と申しますか、タイムスリップしかけてできなかったみたいな。
なので、江戸時代のその時間帯で、数分いなくなったような映像が展開されたわけです。
さて、時間の軸は一本なのか、量子力学的には何本も並行して進んでいるのか。
しかし、量子力学的にという解決で、星野幸信先生は何となく質量の問題を回避している。
三体で出てきた質量の問題でございます。
もし仮に、個人の意思であるいは生物の行動でないしは植物の育ち方で未来の結果が変わるならば、
もう生きとし生けるもの、何なら無生物も含めていろんな未来が展開するわけです。
それが、量子力学的パラドクスを伴わないで、結果の二分岐と申しますか、分岐のたんびに存在するとすると、
世界中に死ぬほど、死んではいけませんが、嫌になるほどの分岐先が存在するわけで、
単純に考えれば二の階上の世界で、質量だけで考えるとめちゃくちゃな質量が存在しますので、
そんなことにはならないんじゃないかなんて回らない頭で考えていたりします。
実際に時間移動、特に前の方向、過去の方向に移動する人が出ない限り、
未来への影響度なんてのは分かりませんし、
時間軸一本過程の世界論で論じると、過去への時間移動も含めて、過去からの時間の流れであるとも言えるわけで、
本人は気がついていないけど、実は関わっていたとか、関わられていたとか言う可能性もあるわけで、
そこら辺は実際にそういう場面が来てみないと、
さらにそういう事象に対する第三者の観測の目がないと、結果は分かりません。
なので、いろんなことが考えられるんです。
SF的思考実験ができるわけでございます。
そんなこんなで、
一時から喋っておりましたら15分が経過。
長いですね、止まりませんね、こういう話をしだすと。
もう少しまとめて、考えをまとめてから喋れば、もっとスッキリするんでしょうが、
僕の放送のスタイルとして取って出しが定着してまいりましたので、
これからも取って出し貫くほどのことでもないですが、進めてまいりたいと思っております。
ここまで長々と最後まで聞いてくれた方には大感謝です。
それでは昨日今日の良いこと、
もう迷うことはありません。
まごと、まごかつに集中したこの1日半、最高でございます。
自分で満点というのもなんですが、
満点な生活をしたんじゃないかなと思っております。
それでは今日はこの辺でバイバイ。
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