2025-12-15 17:37

Day40【昔は決断してた】

最後まで聴いていただき、ありがとうございました🤝✨
現状の自分に悩んでいる方、決断の1歩が踏み出せない方、
子どもの未来に想いがある方は“もっと見る“を‼️

現役公務員が独立、起業を目指すドキュメンタリーラジオ🎙️
「生きている限り必ずできる」を己の人生で証明します🔥

自己紹介
______________________________
【年齢】
 ▶︎37歳(1988年生まれ)
【家族】
 ▶︎子2人(中1、小3)のパパ
  (もちろん、妻もいます🙋‍♀️)
【職歴】
 ▶︎スポーツ選手→高校教諭→公務員(今ここ)
【職務の主な記録】
 ▶︎関西1部リーグ

 ▶︎保健体育、サッカー部

 ▶︎令和6年能登半島地震
 ▶︎埼玉県八潮市陥没事故
 ▶︎岩手県大船渡市林野火災
  (上記に災害派遣⛰️)
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【目指している起業】
 ▶︎ライフコーチ🍀
  🎗️自分で自分の人生を選んでほしい
 ▶︎サッカークラブ設立⚽️
  🎗️子どもたちに力を付けてほしい
   ①自分の答えを自分で選ぶ力
   ②自分の答えを正解にする力
  🎗️保護者力
   ・子どもの選択を楽しむ力
______________________________
【こんな人に向けて】
 ▶︎人生を変えたい
 ▶︎自分らしく生きたい
 ▶︎現状にモヤモヤがある
 ▶︎転職、行動したいけど不安
 ▶︎1歩が踏み出せない
 ▶︎自分に自信がない
 ▶︎大切な人の力になりたい
 ▶︎夢を実現したい
 ▶︎子どもの夢を応援したい
______________________________
【〆最後に〆】
 行動するのって大変ですよね。
 決断するのって怖いですよね。
 気が付けばまたいつもどおり。。。

       自分もずっとそうでした‼️

 それでも人生で初めて行動できたのは、コーチングと出逢
 い自分の“使命“を本気で考えたから。
 
       使命とは自分の“命の使い方“🍀

 自分の人生において、何を「選び」、何を「取る」か。
 “選取“宣誓をしたアラフォー公務員が、
 自分にしかできない形(価値)で、
 自分を諦めたくない全ての人のキッカケで在るために 
 起業までのリアルな日々、想いをお届けします🎙️🔥
 
       あなたなら必ずできる‼️
      だって、生きているんだから✨

note
 https://note.com/koki_izuhara07

#ビジネス#コーチング#ライフコーチング#人生#悩み#スポーツ#サッカー#サッカークラブ#サッカースクール#チーム選び#サッカーパパ#サッカーママ#教育#育成#非認知能力#子ども#子供#保護者
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サマリー

このエピソードでは、過去の決断を振り返り、その選択が人生に与えた影響について考察しています。特に、教員への転職や家庭の事情などの重要な決断が取り上げられています。過去の決断を振り返る中で、新しい挑戦を恐れずに行う重要性が語られています。また、自分の希望だけにこだわらず、幅広い選択肢から冷静に判断することが、現在の経験にどのように影響しているかに焦点が当てられています。

決断の振り返り
みなさんおはようございます。今日は昔は結構決断していたお話をしていこうかなと思います。
ぜひ最後まで聞いてください。このチャンネルは現役公務員の私が独立企業を目指すまでの日々をお届けするドキュメンタリーチャンネルとなっています。
ということで、最近スタイフでしゃべる内容とかも考えつつ、そういったところも交えつつ、
自分の経験とかで、誰かの何かのきっかけになるようなことないかなと思いながら、過去を振り返っていて、
その中で、今は何をやるにしても不安とか怖いなとか、先のことを予測というか考えてしまって、なかなか一歩が踏み出せないという状況だったんですけど、
昔は結構、逆に即決というか結構決断、今思えばなかなか人生のそれなりの決断だなというのを、結構ポンポンしてたなというふうに感じることがありまして、
今日はその話をしていこうかなと思うんですが、その前に昨日、今自分が入っているコミュニティの中で、お金のマネリテラシーみたいなところでお話を聞く機会があったんですけど、
スタイフでも撮った通り、あの後若干熱気味になりまして、自分だけならあれなんですけど、娘と奥さんが体調を崩してしまいまして、参加ができなくて、
めちゃめちゃ、今自分が知りたいところとか悩みの部分でもドストライクであったので、めちゃめちゃ参加したかったんですけど、
ちょっとそうも言ってられない状況になってしまって、家族を優先して、結果そのコミュニティのせっかくの機会で参加できなかったんですが、
なんで、それに引き続いて、今日も9時からワンワン、サッカーの指導者の方とお話する機会をもらってたんですけど、それも一回日程再調整させてもらって、
娘を朝一病院に連れて行って、今洗濯物を干しながら撮ってるんですけど、自分の方は昨日一晩早めに寝たのですっかり元気にはなっているんですが、妻と下の子の方が体調が悪いので、
今日夜もまたオンラインで指導者講習会みたいなのがあるので、サカン指導者の講習会、あるのでそれ出れるかちょっと分かりませんが、出れるように日中のうちからやれること、ご飯作りから何から、看病含め、段取りはできる限りしていこうかなと思っているんですが、
で本題、昔結構決断してたっていうのが、自分最初大学出た時は、大学出て最初は就職とかは別にせず、サッカーを続けるっていう選択をしてたので、
大学出て最初は兵庫県の関西の方でお金もらいながらサッカーやってて、最初1シーズン目1年目戦って、2年目のシーズン開幕した4月の中旬過ぎに2年目のシーズン開幕したんですけど、
リーグ戦やったリーグ戦の次の日ですね、月曜日、月曜日に急遽、高校の時の監督から朝7時くらいに電話が急遽きまして、
お前教員免許持ってたよなっていう、開校一番、はい持ってますっていうところから、知り合いの高校で体育の教員の枠が欠員が出てしまったから、
サッカーも教えられる人で、教員免許持ってる人っていうので、お前持ってるだろ、やれって言われて、今決めろって言われて、今ですかっていうようなね、独身だったらまだだったんですけど、
結婚して5月の5日が奥さん出産予定日だったんですけど、あと2週間後くらいだったんですよね、予定日まで、今決めろって言われて、チーム自体もね、昨日開幕したばっかで、新シーズン始まってますし、
さすがに今は決めれませんって言って、そしたら向こうが、えーじゃあいつなら決めれるんだよみたいな、ダダッコみたいな感じだったんで、じゃあ昼にもう一回電話するからって言われたんですけど、その時は、昼間ってちょっとさすがに厳しいよなとか思いながら、一応クラブの方に電話したりして、
自分もともと最終的にはサッカーを指導できるような仕事で生きていきたいなと思ってたので、最終的には教員、高校の教員になりたいなっていう夢は持ってたので、
それが、そのタイミングがちょっと早まったのかなって、本当は30過ぎとかでなろうと思ってたんですけど、タイミングがちょっと早めに来ただけだなと思って、その時は、これまず1個目の決断ですよね、選手を引退するっていう決断をその日にして、
結局やっぱりチームとの事情もあるんで、結局決断は昼に電話が来た時にもうちょっと待ってくださいって、夕方にはチームと話し合って決めるんでってことで、夕方に監督さんとかと話して対談しますっていうことで、
その時当時、バッキン20万くらい払って対談したんですけど、そんなこんなで、その日に選手を引退するっていう決断と、2週間後に子ども生まれる予定なんですけど、教員になるっていう決断と、
でも逆にね、子ども生まれる側からしたら不安定な選手よりは教員やってた方がいい、安心はできるんでしょうから、そこはね、その時はそんなにしょうがなかったですけど、
2週間後に生まれる妊婦さんを、今度は受け入れてくれる病院を探したり、引っ越しの手続きをしたり、というどだわだの2週間が始まりまして、
結局一回自分の実家の方に戻って、その近くで病院探して、一回新幹線で妻と自分で行って、自分の実家の方に送り届けて、自分はまたトンボ帰りで兵庫の方に戻って、
そこから車に必要な荷物だけパンパンに詰め込んで、いらないものは当時のチームの人たちに家具とか全部いらないものはあげて、
自分で運転してまた実家の方に引っ越したという感じでしたね。そんなこんなで5月から教員になったという流れなんですけど、
教員の時の話はまた今度別でとって話そうかなと思っているので、
公務員への新たな道
結局教員自体は1年しかやりませんでした。それが結局奥さんの体調が崩れてしまって、
精神的にも軽く鬱というか、遠景脱毛症500円玉ぐらいのが2個できちゃったりとか、初めての子育てとかいろんな条件が重なって、奥さんが教員は続けられないという話、続けてほしくないというところもあって、
そこで教員は辞めるというか、学校側との折り合いとかもあったんですけど、条件的な部分とかもあったので、総合的に考えた時に教員は続けられないかなという決断をして、
次どうするかというときに、まず民間と公務員で、今更民間受けてもどこもないだろうなという当時の自分の考えの中ではあったので、
無知だったので、当時で25か、だったら公務員だなというところから、教員は奥さんが無理だ、嫌だって言ってるんで、その当時は教員は選択肢からなくて、
警察、消防、自衛隊、事務とかで、警察とか自衛隊はちょっと性格的に向いてないな、事務と消防で、ずっとサッカーしてきたし運動してたし、そういうのが活かせるのは消防かなというところで、
消防受けようという、完全に安易な考え方なんですけど、公務員試験受けたという感じですね。
あの時、教員辞めるという決断も次が決まっていたわけじゃなくて、単純に今の状態が続けられる状態ではないというところだったので、辞めるという決断をそこでスパッとして、じゃあ次どうしようというのはそこから考え始めたので、
今思えば恐ろしいなと思いますよね。多分今だったら決断の時できてたかなという、多分続けながら次を探すという決断してたんだと思うんですけど、
ちょっと奥さんの体調がというのもあったので、それが一個のきっかけにはなっていたのかなと思いますが、果たしてあの時の決断が今の自分にできるかというと、ちょっと分からないですね。
その時は奥さんの地元をとりあえず受けてみたんですけど、辞めてすぐだったので勉強全くしてませんでしたし、案の定当然受かるわけもなく、そこから公務員試験対策の専門学校に夜の社会人の部みたいな夜だけやってるやつにとりあえず入って、
日中は部屋取りのバイトしながらやるっていう生活を2年ぐらいかして、だから2年間無職状態で部屋取りバイトと勉強、隙間時間で勉強するっていう生活をして今に至るって感じですね。
だから大学出てからサッカー選手やって、教員やって、無職を2年間挟んで公務員、27で公務員になれたっていう感じですね。
だから選手を辞める決断、教員を引き受けるっていう決断、それを辞める、教員を辞めるっていう決断、結局公務員もどこを受けるっていうのも、専門学校行くとやっぱりいろいろ消防1個だけだと万が一受からなかった時っていうのを考えてくれてて、
行く行かない別として警察とか自衛隊とか工具警察とかそれこそ事務職とかもいろいろあって、とりあえず受けられるところは全部受けましょうみたいな中で、消防も日程が被ってなければ全部受けた方がいいんじゃないですかってアドバイスをいただいてたんですけど、
その時本当に何も考えてなかったんでしょうね。僕はもうここ、自分が今入っている消防本部しか受けません、ここ以外行く気ないんでっていうので、1個しか受けなかったっていう、これもまたね、今思えば本当に恐ろしいですね。
子供も生まれて、まして自分無職なのに1個しか受けないっていう、自分の第一希望しか受けないっていう決断をその時してたので、何を考えてたんでしょうね。何を考えてその決断をしたのか分からないですけど、今の自分からしたら全く信じられない決断を昔は結構ポンポンポンポンしてたなっていう。
無知がゆえですけど、でも何かできるだろうっていう自分の中では感覚がおそらくあったんだと思います。多分ありました。だから1個しか受けなかったですし、今日辞める時も何かもう慣れるだろう自分ならみたいな感覚を勝手に持ってたので、それがいいのか、今の先を読んで不安になってしまうのがいいのかは分かりませんが。
新たな挑戦への意欲
当時はそんな感じだったなっていうのを昔を振り返って思い出してみたらあったの。そんなこともあったので、ちょっと今回は皆さんにシェアさせていただきました。
今は先を考えて不安になってしまう人生から少しずつですけど、小さなチャレンジも含めて決断していくっていうのをまたやってるところなので、過去の自分はそういうところをやってたので、自分にはできないことではない。
やらないように、やらないっていう決断をして知らず知らずのうちにそういう風になってたっていうだけなので、何でもない、全然平凡な僕ですらそういう決断をできてた時期もあればできなくなって、でも今またさらにもう一回そういう決断をしていくっていう人生を選んで進めるようにちょっとずつなっていってますので、
これを聞いている方、もしくは周りでそういう方がいれば、こんな人生歩んでるやつもいるよっていうのをシェアしていただけて、困ってる人の少しでもきっかけになってくれれば嬉しいなと思ってシェアさせていただきました。
だいぶちょっと長くなってしまいましたが、今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
もしよろしければ、いいね、コメント、フォロー等々よろしくお願いいたします。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。バイバイ。
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