教員を辞めた理由と無職の生活
みなさんこんにちは、いずです。今日は、教員を辞めてから公務員になるまでの間のお話をしようかなと思います。
ぜひ最後まで聞いてください。このチャンネルは、現役公務員の私が独立企業を目指すまでの日々をお届けするドキュメンタリーチャンネルとなっています。
今日は教員を辞めてから、前回の放送で教員の時の話はしたので、辞めてから実際に公務員になるまでの話を、特に内容はそんなにないんですけど、
順を追ってというところでお話ししていこうかなと思います。
教員を辞めてから、今の職には平成27年の4月1日から採用というか仕事を始めて、
教員は平成25年の3月末で辞めたので、2年間は無職でした。
前回の放送で話した通り、教員を続けるという選択肢もありがたいことに提示はしていただいていたのでできたんですが、
家族とか特に奥さんの体調のところとかを鑑みて自分の方で辞めるという決断をして教員を辞めたんですけど、
辞めた後のことというか、そこから次までの間は何も決まっていなくて、
ただただ公務員になるかというところ、今で言うゴールだけ決めて、
肝心だね。
それまでの間のところ何も決めてなかったんですけど、
当時ね、子供一人と奥さんいて、まだすくいは実家に住んでいたっていうのがあったので、
まあなんとかなってましたけど、
日雇いバイトと公務員専門学校
日中は日雇いのバイトをして、
夜公務員の専門学校、大原に行って、大原は一日中通えないですから、
社会人コースみたいな、夜だけやってるような、
夜授業があったり、自分でも動画見て、画像で自分で自習というか、やってねっていう社会人コースっていうのがあったので、
今もあるのかな、分からないですけど、その当時あったので、そこに申し込んで、
昼間はバイト、夜は勉強、
バイトないときはその学校行って、自習室みたいなのがあるので、そこ行って授業を受けるか、
近くの図書館とか行って、ひたすら勉強してるっていう感じの生活を2年間してましたね。
今思えばよく決断したなと思いますね。何も考えてなかったんでしょうね、本当に。
大学出てサッカーやりながら、サッカーの時もチームのスポンサーが、市役所が、市長が応援してくれてたので、
選手やりながら市役所で職宅職員として働きながら、2足のわらじでやって、
そこから教員やって、2年間無職やって、今の公務員になったみたいな流れなんですけど、
その2年間ひたすら家電の配送をやってて、配送設置か、
だからマンションで団地とか行ってエレベーターないところとかだと、
ドラム洗濯機とかだと、1人で背負って階段登って、
4階5階とかまで運んで設置して、
で古い洗濯機を背負って降りてくるみたいな、
冷蔵庫とかもちょっと中くらいのだったら自分が背負って行ったりとか、
で大きいやつだったら社員さんと2人で一緒に運んだりとかしてたんですけど、
何回か死にかけた時もありましたし、
階段、昔の重たいブラウン管のテレビ、
バカでかいやつの100キロぐらいするようなやつを2人で運んでたら、
社員さんが手滑らして、テレビ離しちゃって、テレビと一緒に階段を落ちて行くっていうようなこともありましたし、
今思えば何回か死にかけてますね、バイトで、
でも人生の中であの2年間が一番勉強したなっていう記憶ありますね、
学生の時も特にそこまで試験勉強、なんか徹夜漬けとか、
中学の時まではほとんど試験勉強なんかしてなかったですから、
で高校行ってさすがにちょっと勉強しないと点数取れない、赤手になっちゃうなっていうところで、
スポーツ科と普通科って高校、あと特訓クラスか、部活やってる人は特訓クラス行かないので、
普通科かスポーツ科で、僕普通科だったんですけど、
ちょっとさすがに部活やりながらだと勉強しないと点数取れないなっていうので、
ちょっとね、いつも試験直前は徹夜で、小学校からの幼なじみも高校一緒だったので、
ノート見せてもらいながら直前はなんとか乗り切ってたんですけど、
だから年間を通してずっと勉強し続ける日々っていうのは最初で最後ですね、
公務員試験の時が最初で最後ですね、
でも自分の中では根拠のない自信というか、絶対受かるだろうみたいなのが、
いや本当に根拠は何にもないんですけど、自分は受かるだろうと思ってたので心のどこかで、
目の前の数的処理とか、あるじゃないですか、あれぐらい初めてその時にそういうのを知ったんですけど、
これさえ慣れてしまえば、あとは論文とか面接とかは絶対自分は大丈夫みたいな謎の根拠があったので、
謎の根拠じゃないな、根拠のない自信があったので、
ひたすらやってましたね、数的処理、頭抱えながら、なんだこれは、みたいな感じでずっとやって、
でも仕事の方は全然体使うのは慣れてたのででしたね、
今思えば2年間子供いて、奥さんもいて、2年間無職で、よくやってたなって思いますね、
実家様様ですね、奥さんも今思えば相当不安だったろうなとは思いますけど、
よく耐えてくれたなっていう感じですね、あの2年間、
公務員試験と面接の体験
それでそんなこんなあって、勉強の回もあって、一時の筆記は受かったので、面接に行って、
面接の時はもう教員の時の話とか、大学で勉強してきた時の話とかをして、
何喋ったっけ、大学でやった教育心理学とかの話をして、
で、教員の時の話につなげて、
入ったら、今のところ、なんでこの組織に入ったら、
自分もそうですけど、将来的には部下育成というか、後輩指導とかそういった育成のところに力注いでいきたいです、
みたいな話は今思えば、あの時もしてたなとは思いますね、
あの時、面接間、めちゃめちゃ話弾んだんで、
面接の人たちがどういう視点で見てるとか、ちょっと詳しくはわからないですけど、
僕のサポート受けてる試合の人、知り合いの人はもうそこプロですから、
その人に聞けばどういう視点だったのかわかると思いますけど、
あの時、面接受けてるというよりは、普通に会話という感じの空気感で終わりましたね、
全然プレッシャーもなく、わきあいあいとひたすら教育心理学と教員の時の話をして、
あっという間でしたね、面接は、それで無事合格できたので、晴れて4月から職を手にするということで、
2年間の無職生活に終止符を打ちましたけど、
何度も言いますが、今思えばとんでもない決断をしてたなという、
辞めて公務員になるというのだけ決めて辞めて、じゃあここからどうしようという感じだったんで、
今は日中バイトして、夜専門学校で社会人構成で勉強するという手段をなんとか取れましたけど、
無事慣れて今思えば良かったなとは、
あの時受かってなかったら今何やってたんですかね、自分、それはそれでなんとかしてたんでしょうけど、
それはそれでまた違った人生で楽しかったのかもしれないですけど、
それ気になりますね、あの時もし受かってなかったらどうしてたんだろうな、
タラレバーなんで全く意味ないですけど、
そんな感じで2年間、今の公務員仕事するまでに、2年間無職生活をしてました、
全然内容薄っぺらいですけど、
日中バイトして夜勉強する、ない時はひたすら勉強しているという2年間を過ごして、今の公務員になっておりますので、
全然周りで今公務員目指している方いれば、とにかく目の前の勉強とかね、
あとは自分が何やってきたとか、別に特別なことである必要はないと思うので、
目の前に起きたことに対して自分がどう感じて、自分がそれをどう実践してきたとか、行動してきたとか、
っていう自分なりのあれがあれば、
面接の時も、面接というよりは普通に会話、面接官の人は人間ですから、普通に会話をして終われるかなとは、
いろんなパターンあるんでしょうけど、自分の時はそんな感じだったので、
是非頑張っていただければなと思います。
ということで今日はここまでにしようかなと思います。
最後まで聞いていただきありがとうございました。
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それではまた次回の放送でお会いしましょう。
バイバイ!