1. いず|お届けびとの「選取宣誓」ラジオ
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2025-12-17 24:48

Day41【全国の先生方、ありがとう!】

最後まで聴いていただき、ありがとうございました🤝✨
現状の自分に悩んでいる方、決断の1歩が踏み出せない方、
子どもの未来に想いがある方は“もっと見る“を‼️

現役公務員が独立、起業を目指すドキュメンタリーラジオ🎙️
「生きている限り必ずできる」を己の人生で証明します🔥

自己紹介
______________________________
【年齢】
 ▶︎37歳(1988年生まれ)
【家族】
 ▶︎子2人(中1、小3)のパパ
  (もちろん、妻もいます🙋‍♀️)
【職歴】
 ▶︎スポーツ選手→高校教諭→公務員(今ここ)
【職務の主な記録】
 ▶︎関西1部リーグ

 ▶︎保健体育、サッカー部

 ▶︎令和6年能登半島地震
 ▶︎埼玉県八潮市陥没事故
 ▶︎岩手県大船渡市林野火災
  (上記に災害派遣⛰️)
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【目指している起業】
 ▶︎ライフコーチ🍀
  🎗️自分で自分の人生を選んでほしい
 ▶︎サッカークラブ設立⚽️
  🎗️子どもたちに力を付けてほしい
   ①自分の答えを自分で選ぶ力
   ②自分の答えを正解にする力
  🎗️保護者力
   ・子どもの選択を楽しむ力
______________________________
【こんな人に向けて】
 ▶︎人生を変えたい
 ▶︎自分らしく生きたい
 ▶︎現状にモヤモヤがある
 ▶︎転職、行動したいけど不安
 ▶︎1歩が踏み出せない
 ▶︎自分に自信がない
 ▶︎大切な人の力になりたい
 ▶︎夢を実現したい
 ▶︎子どもの夢を応援したい
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【〆最後に〆】
 行動するのって大変ですよね。
 決断するのって怖いですよね。
 気が付けばまたいつもどおり。。。

       自分もずっとそうでした‼️

 それでも人生で初めて行動できたのは、コーチングと出逢
 い自分の“使命“を本気で考えたから。
 
       使命とは自分の“命の使い方“🍀

 自分の人生において、何を「選び」、何を「取る」か。
 “選取“宣誓をしたアラフォー公務員が、
 自分にしかできない形(価値)で、
 自分を諦めたくない全ての人のキッカケで在るために 
 起業までのリアルな日々、想いをお届けします🎙️🔥
 
       あなたなら必ずできる‼️
      だって、生きているんだから✨

note
 https://note.com/koki_izuhara07

#ビジネス#コーチング#ライフコーチング#人生#悩み#スポーツ#サッカー#サッカークラブ#サッカースクール#チーム選び#サッカーパパ#サッカーママ#教育#育成#非認知能力#子ども#子供#保護者
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サマリー

このエピソードでは、教員としての経験やその後の困難な時期が語られています。学校の環境や教員同士の関係、個人の家族生活の影響について詳しく述べられ、感謝の気持ちが強調されています。また、教員としての経験を振り返り、全国の先生方への感謝の気持ちが伝えられています。生徒たちとの絆や学校での経験がいかに貴重であるかが強調されています。

教員としての道
みなさんこんにちは、いずです。今日は自分が教員だった時の話をしていこうかなと思います。
ぜひ最後まで聞いてください。このチャンネルは、現役公務員の私が独立企業を目指すまでの日々をお届けするドキュメンタリーチャンネルとなっています。
ということですね、今日は僕が学校の先生、高校で教員をやってた時の話を、ちょっと振り返りながらしていこうかなと思っているんですが、
前回の放送でちょっと話したかな、きっかけ、学校の先生になるきっかけはちょっとお話ししたかなと思うんですけど、
改めて言うと、大学出て、最初まだサッカーで選手やってたんですけど、2年目のシーズン入ってすぐ、4月の中旬すぎくらいですかね、
自分の高校の時の監督から電話が朝来まして、監督の知り合いがいる学校で、その知り合いの方は副校長先生をやられているんですけど、
その学校で教員の決意が一名急遽出たので、教員免許を持っていて、サッカーの指導もできる人が知り合いでいないですかっていう相談を受けたらしくて、
そこから監督から僕の方に電話をいただいたんですけど、今思えば監督、教え合いがたくさんいますから、
そんな中で、教員免許を持っていてサッカーを教えられる人なんて僕より優秀な人はいっぱいいるでしょうから、
そんな中で監督の中で僕の名前が浮かんだっていうのは、今思えばものすごくありがたいことですし、すごいラッキーだったというか、奇跡に近いような出来事だったなと、今ふと思うと結構すごいことだったなと思うんですが、
その電話がきっかけで、最終的にはチームを対談して教員を受けますという風になったんですけど、
その行きまして言った後にその相手方の副校長先生からも電話をいただきまして、
今回は本当にありがとうございますというところで、5月からよろしくお願いしますで電話を終わったんですけど、
それして1回目のその電話が終わって、1時間くらいですかね、ほんとすぐ2回目また電話が来たので、あれなんだろうなと思って出たら、
ものすごい神妙な声で、先生、大変申し訳ありませんがって言われて、
え、なになになにと思ったら、今回のお話、ちょっと一旦白紙に戻させていただけないでしょうかって言われまして、
え、じゃないですか、どういうことっていう、理由を聞くと、行く不妊予定だった学校は、結構母体が大きい学園で、日本全国に附属校を持っているようなところだったんですけど、
なんでやっぱり伝統もありますし、もちろん卒業生、OB、OGの方たくさんいますし、
もちろん、ということは教員免許を持っていて、サッカーを教えられる、もしくは教えたい、学校の先生になりたいっていう卒業生がたくさんいるんですよね、
そういう状況、そういう学校、伝統を増しておもんじていた人とのつながりをおもんじている、大事にしている学園、学校なのに、
どこの馬の骨かもわからないやつを副校長先生の特談で急に連れてきて、蓋を開けてみたら、ライバル校出身のやつじゃねえかということで、
OB、不母会、現職の先生方、四方八方360度反対の声、反発の雨嵐、敵はたくさんいるけど味方は誰もいない、みたいな状況になっているらしくてですね、
本当に申し訳ありませんがということで、今回一旦白紙に戻させてください、って言われたんですけど、
まあまあ、でも相手方の気持ちはわかるじゃないですか、自分たちがそっち側の立場だったら、
そりゃそうですよね、自分たちの身内でできる人、もしくは待ってる人、やりたいって言ってる人がいるのに、
ライバル、ましてやライバルだって自分たちが思っているところの出身のやつを急に連れてこられたら、え?ってなると思うんで、
そりゃそうだよなと思いつつも、僕も罰金を払ってまでチームも対談しましたし、
妻も妊娠してて、もう出産予定2週間後くらいだったんで、
引っ越し先で受け入れてくれる、そんな状態の妊婦さんを受け入れてくれる病院も見つけなきゃいけなくて、
見つけて手続きしたり、ってことは引っ越しの手続きもしなきゃとかやってるところだったので、
一応自分の状況もお伝えしつつ、いやっていうところから、
ですよねっていうのでもう一回会議の方に議題に挙げて相談してみますっていうところから3回目の電話がきまして、
やはり5月からお願いしますということでなんとか自分の行く先は決まったんですが、
ただ先ほどもお伝えした通り、周りからの猛反対猛反発はものすごくあるので、
相当それなりの覚悟を持ってきてくださいって言われたんですよ。
俺?って思いましたけど、まあまあでもね、相手の立場もね、相手の心情を察すればそれはそうなるよなと思ったんで、
家庭のストレスと影響
まあわかりましたということで5月から不妊させていただいたんですけど、
まあ言ってみてわかりましたね、言ってることが、
最初挨拶した時ももう本当なんかすごい視線が痛いというか、あ、お前か、みたいな感じで、
挨拶して挨拶返してくれるんですけども、ものすごい事務的なというか、挨拶はしてくれて、
子供がね、不妊してすぐ生まれた、5月6日に生まれたんで、
不妊して一週間も経たないくらいで生まれましたって報告した時も、おめでとうくらいの本当にうわっていう感じの対応を最初はされていたので、
一緒に体育見る、ペア君で体育の授業をやってくれる先生も、
もう行って即行、先生もう授業できるでしょ、先生が思うようにやってって言われて、
なんか任されたっていうよりは放り投げられた感っていうか、すごかったんですけど、
その時全然自分鈍感なんで、ありがとうございます、やらせていただきます、みたいな感じで引き受けてたんですけど、
今思えばなかなか、授業はちゃんと真面目にやってました、ちゃんとやってたんですけど、
今思えばなかなか、あれ、もしかして試練というか嫌がらせだったのかな、みたいな思うのもぶしぶしにありますけど、
そんな中でサッカー部の先生たちは本当に大変だったろうなっていう、
部活でもずっと自分と付き合っていかなきゃいけない立場ですし、
すごい表情が苦笑いというか、すごいやりづらそうな、なんとも言えない感じでずっと接してくれて、
もう皆さん本当に優しくていい人だったんですけど、だからこそ、すごい申し訳ないなっていう、僕も出身校が出身校だっただけあって、
なんかやりづらくしてしまってすみませんって感じだったんですけど、
特に部活はOBとか生徒とか先生方プラスアルファの父母会というか、保護者の方もすごく絡んでくるところなので、
保護者の中には学校の卒業生、お父さんお母さんたちが卒業生、OB、OG、で自分の子供が同じ学校に通っててっていう方もいらっしゃったので、
余計伝統とか人のつながりっていうのをすごく大事にしてる学校だったので、
いやそれは反発もあるよなっていうのは感じつつ、でもそういう人のつながりとか伝統を重んじる、大事にするっていうのは僕もすごくいいなと思ってたので、
全然別にそこに対して不平不満感じることもなかったですし、
部活の時はコーチ、普段は先生ですけど部活の時は先生プラスアルファコーチという立場でもあったので、
僕の中で先週の経験上、コーチが監督より前に出るというか、コーチが色を出しすぎるとかっていう感じのコーチがいるとチームうまくいってないなっていうのがあったので、
自分の中での理想像というか理想のコーチ像みたいなのがあったので、それに沿って、最終的には一番の軸は子どもたちのために何ができるかなというところでやってたので、
あの時の状況には、自分の持っていた理想のコーチ像というのが、こうそうしたのかな、うまくマッチしたのかなっていうのはありますね。
でももうね、状況が状況、自分の環境、周りを取り巻く環境がそんな感じだったので、
ひたすら少しずつ信頼してもらえるように、ただただ一生懸命やるしかないという状況だったので、ひたすらそうやってやってたんですけど、
その歪みが奥さんの方に行ってしまったなっていうのはあって、奥さんは地元から出たことがなかったので、
初めて外の世界に出て、初めての出産があって、初めての子育てになって、
右も左もわからない土地間のない場所で、友達もおらず、
で、その時僕の実家に住んでたので、生まれたての子供がいたら、それだけでね、まず自分のね、今までの生活がガラッと変わって、自分のタイミングで生活するっていうのができなくなるのに、
僕の実家で住んでたので、そっちにも気使いながら自分の行動をしていくっていうね、何十句もストレスがかかる状況の中で、
高校で体育の教員で部活持ってるって聞くと、わかる人はわかると思うんですけど、旦那は家にいないんですよ
そう、僕一年中家にいない、朝も早くて、夜帰ってくるの遅くて、土日も部活だし、夏休みとか冬休みっていう長期休暇も部活でいないので、
そうなってくるとね、奥さんに何十句のストレスを与えてたのかなっていうぐらい追い込んでしまったので、
最後の方奥さん精神的に来てしまって、500円玉ぐらいの遠景脱毛が2箇所ぐらいできてたりとか、
子供に直接当たってしまうみたいな時も瞬間瞬間あったので、
そして最後の決め手は、奥さんがぽろっと、教員はもう無理、この生活はもう無理って言ったので、
あ、そこまで追い込んでしまってたんだなって気づかぬうちに、っていうのに初めて気づいて、
ちょうど3月、3月前ですけど年明けて、その時非常勤講師だったんで、
非常勤講師だいたい1年とか2年で契約更新だったので、次どうしますかっていうところで、
学校からはありがたいことに先生にはずっといてほしいので、6年7年契約か、
で、6、7年、30歳までの契約で、っていうお話をいただいてたんですけど、
その学園のルールで、30歳までに正規雇用にならないとその学園では正規の教員としてはもう採用することはできません、
その学園のルールがあって、私立の学校だったんで、
教員としての思い
ってなった時に、そこはね、待ってる先生、結局正規採用されていくのは全ての教科で順番って言ってたので、
そうなっていくと僕の順番って相当後なので、
そうなった時に、今の奥さんの状況とかも鑑みた時に、これ以上は続けられないなっていう、
今すぐ正規雇用ですって言われてもちょっと続けられるかどうかなっていう状態だったので、
学校に対してはすごいありがたい提示をしていただいたんですが、申し訳ありませんということで、
3月いっぱいで退職するというか、教員は辞めますというふうにお伝えしてたんですけど、
でもね、どこで知ったのかわからないですけど、当時部活の方は、作家部の方は1年生を担当させてもらってたので、
40人くらいですかね、いたんですけど、その子たちが僕が辞めるっていうのをどこからか情報を得て、
僕を連れてきたのも副校長先生っていうのを知ってたので、知らない間に副校長先生の部屋に行って、全員で先生を辞めさせないでくださいと、
辞めるって聞いたんですけど、本当なんですかっていうところで、
もし本当なら僕たちには先生が必要だから辞めさせないでくださいと言って行ったらしいんですよ、
それは副校長先生から聞かされたんですけど、教えてもらって、
何回か辞める辞めないのところで話す機会もあったので、その時に実は先生にどうしても残ってほしくて先生が僕たちには必要だって言って、
サッカー部の子たちがさっき全員で来たんです、私のところへって言ってて、
それ聞いたときはめちゃくちゃ嬉しかったですし、5月の始まりの時を思えば、
こんなここまで受け入れてもらえるなんて想像もできない状況だったので、
少しずつですけど、自分のやってきたことが、あの時欲してた少しでも受け入れてほしい、受け入れてもらえたらなっていうところに到達できたのかなっていうのはありましたし、
彼らの中に何か残すものが、彼らに伝えられた部分が少しでもあったのかなと思って、
あの時の彼らの行動とか言葉が本当に嬉しかったですね、
先生方からも、最後の方は送別会の時も、本当に来てくれたのが先生でよかったよって言ってもらえましたし、
最初は、生意気な奴だったらぶっ飛ばそうと思ってたんですけど、
でも本当に来てくれたのが先生で本当によかったですって言ってもらえて、
そうですね、途中からは教官室とか職員室とかグランドどこ行ってもみんな本当によくしてくれたので、先生方も、
父母会の方、保護者の方達も本当に先生が来てくれてよかったって言ってくれましたし、
なんで先生を残せないんだよ、みたいな、
なんでこういう頑張ってくれてる先生を残せないんだ、うちの学校、学園は、
最後は味方になってくれてましたから、本当にありがたかったですし、皆さん本当に優しくて良い人で、本当に感謝しかない一年でしたね、
だからこそ辞めるという決断が申し訳なかったんですけど、どうしても妻の状態とかを見ていると、
その時は本当に生徒たちとか学校の人たちの存在とか繋がり、本当にありがたくて楽しかったんですけど、
あの時は家族の方を優先させてもらったという最後でしたね、
全国の先生方への感謝
だからあの時関わってた生徒たちも今28歳とか、高校3年生だった子とか30歳くらいですか、立派な大人ですからね、
今みんなそれぞれ、日本のどこか、もしくは世界で活躍している人もいるでしょうから、どこかで頑張っていると思うんですけど、
本当に貴重な人生の一年間を過ごさせてもらったなと思います
こんな話をしていると、本当にそう思うと学校の先生って人の命を預かるというか、
自分の仕事もよく言われますけど、学校の先生ってずっと子供たちの命を預かって、教育とか育成とか育てるとか育つとか、そういった部分にずっと従事してて、
これ幼稚園とか保育園の先生もよく言われますけど、相当な覚悟と責任感がないとできない仕事じゃないですか、
そう思うと、よく学校に聞くクレームとか、信じられないですよね、
もっと学校を良くしていくとか、子供たちのことを思っていたと意見ですけど、本人はそういうつもりで言っているのかもしれないですけど、
よくよく聞くと、単なる自己中的な、自分のことしか考えていないようなザ・クレームの話を聞くと、本当に残念に思いますよね
どんだけ責任感と覚悟を持っている人たちが、そんなわけわかんないクレームによって押しつぶされてしまうっていうのは、
今回これ、自分の教員の時の話を振り返りながら話してましたけど、
話しながら、全国の先生方への感謝の感情が芽生えてきましたね、
今その回になりそうですね、この放送、この場を借りて、全国の先生方、教育に関わる全ての方に感謝を伝えて、今日はこのへんにしようかなと思います
では今日も最後まで聞いていただきありがとうございました
もしよろしければ、いいね、コメント、フォロー等々、全国の先生方に感謝の思いを込めて、押していただけるとありがたいです
皆さんもぜひ、僕も友達とか知り合いに学校の先生やられている方がたくさんいるので、
本当に感謝しかないですね、あの方たちに感謝の思いを持って、今日の放送は終わりたいと思います
本当にありがとうございます、それではまた次回の放送でお会いしましょう、バイバイ
24:48

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