映画の背景
生きるお箱町はステディです。 私、ステディは映画、木の上の軍隊を見ました。
映画、木の上の軍隊、この作品は2025年7月25日より全国劇場で公開していて、配給がハピネットファントムスタジオが担当しています。
終戦に気づかないまま2年間も、木の上で生き抜いた2人の日本兵の実話に着想を得た、井上久史原作の同名舞台劇を、津泉真一と山田裕樹の主演で映画化しました。
山田裕樹オールナイトニッポンリスナーとして、これは見ておかなければと思い、映画、木の上の軍隊を見ました。
本作、井上久史が晩年に残した、ガジュマルの木の上で2人の日本兵が生き延びた、というわずか2行のメモから着想を得て、小松座で上映された舞台、木の上の軍隊を映画化したものです。
この舞台は井上久史氏の戦後命の3部作の第2作に位置づけられており、戦争という極限状況下での人間の生を深く掘り下げる普遍的なテーマを内包しています。
井上久史さんの戦後命の3部作というのが、ひとつが広島を舞台に原爆で亡くなった父と娘の対話を描く二人芝居戯曲、父と暮らせば。
こちらは2004年に黒木和夫監督作品で宮沢理恵主演で映画になっております。
そして二つ目が長崎を舞台に亡くなった息子と母の心の交流を描く映画舞台、母と暮らせば。
2015年に山田耀司監督作品で吉永沙織さんと二宮和成さんによって映画上映されております。
そして三つ目が沖縄家島を舞台に戦争末期に木の上で潜伏する兵士たちの姿を描く映画舞台、木の上の軍隊ということで。
こちらは2013年に上映された舞台版には藤原達也さんと山西篤さん。2016年、2019年にも舞台化され、この時は松下晃平さんと山西篤さんが舞台で演じられていました。
いずれも戦後命の三部作が小松座で全て舞台化されています。
木の上の軍隊なんですけども、あらすじをざっと言っていくと、太平洋戦争末期の1945年、沖縄県家島に米軍が侵攻し、激しい攻防の末に島は壊滅的な状況に陥っていました。
物語の展開
宮崎から派兵された山下和雄将尉と沖縄出身の新兵アゲナ成潤は敵の銃撃に追い詰められ、大きなガジマルの木の上に身を潜めています。
圧倒的な戦力の差を目の当たりにした山下は援軍が来るまでその場で待機することに、戦闘経験豊富で厳格な上官山下と島からは出た経験がなく、どこか呑気なアゲナは噛み合わない会話を暮らしながらも二人きりで恐怖と上に耐え続けていました。
やがて戦争は終結するが、その二人はその事実を知るすべもなく、木の上で孤独な戦争を続けます。
原作舞台劇で上官役を務めた山下和雄さんのほか、沖縄出身の津波龍とガレッジセールズの川田裕樹らが共演しています。
ミラクルスティ小座で知られる沖縄出身の平和一博監督が監督脚本を手掛け、全編沖縄ロケで完成させました。
ロケ中にもオールナイトニッポン山田裕樹が沖縄から出していました。
木の上の軍隊、久々に戦争を見たので衝撃がすごかったですね。
アルキミルザスの戦争だっけ?あれ戦争ものって言われると微妙なところがありますけど、
昔の戦争が関係したやつでいくと、戦争ものはそれ以来になるんじゃないかな。
2019年とかそれ以来の戦争もの映画を見た。映画も久々に見たんで、バイオレットエバーガーデンとかそれぶりじゃないですかね。
木の上の軍隊見ていましたけど、いろいろ考えさせられる場面が多くて、重い映画でしたね。
この映画は戦争を知らない2人の兵士が極限状態の中でいかに生き抜こうとしたか、そしてその中で芽生える人間性や葛藤を深く描き出しています。
人間性と葛藤
情報が完全に遮断された中での彼らの孤独とそれでも生きようとする生命力の描写は、沖縄という実話の舞台が持つ重みも相まって単なる戦争映画に留まらない普遍的なメッセージを投げかけています。
沖縄の人にとってアメリカという国がどれだけ憎いかっていうのがちょっと見えるシーンもあったりして、アゲナが沖縄出身でどれだけアメリカに怯えてきたかとか、話がそこじゃないかな。
思いとかあったり。今も沖縄県には31の米軍専用施設が総面積18484ヘクタールと沖縄県に米軍基地が集中しているわけなので、それによって諸問題がいくつかあって、
西方向の問題とか、飛行機バンバン飛んで墜落事故とか起きたりしてますし、汚染とかそういう問題もあるみたいで、本当に沖縄の人にとってはアメリカの軍の基地があることが邪魔でしょうがないっていうのを考えさせられる。
それは作品には出てこないんですけども、山戸雄貴はアゲナが戦争の中で初めてご飯が食べられない、家がなくなってしまう、友達と離れ離れになるといった体験をする純粋な感情を意識して演じたと語っています。
あれができていたのにこれができない、これができていたのにあれができないとか、それが表現されているシーンがよく出てきて、極限状況の中で精神的な揺れとか選択の困難さを含む喪失な葛藤や一貫性を保てない個体の苦しみや矛盾を抱えながら生きる姿の人間の複雑さ、
理屈では割り切れない状況に置かれた人間の姿から極限の中の不条理っていうのが感じられる作品でした。
山田雄貴の頼りないみたいな感じもアゲナの地元に、地元で育ってきた人間がリンクして、神兵な感じもよく出ていた作品だなと思います。
沖縄出身のタイラー和弘監督自身も、家島が沖縄戦でいかに過酷な状況にあったか、そして戦争を知らない人がいたという事実をこの作品を作るまで知らなかったと語っています。
情報格差と認識の断絶から現代的に置き換えると、例えば、紛争地域やインターネットの制限がある国では世界の動きが正しく伝わらないことがある。
災害やパンデミック時の情報の偏りというところがあるんじゃないですかね。このコロナとか、ウクライナ、ロシアの戦争であったりとかっていうのをめちゃくちゃ感じる部分があって。
本当にこんな状況なの?だったら一刻でも戦争をやめた方がいいじゃん。パンデミック、感染拡大っていうのをやめた方がいいじゃん。何をやってんの政府は?っていう怒りに繋がってきてたのもすごく紐づいたなっていうのは思います。
都市部や上京がすぐに共有されるが、離島や山間部では遅れることもあります。SNSによる情報の孤独化、孤島化というのがある。SNSを使ってない人たちにとっては何のこっちゃかわからないですよね。
北陸とか東北で地震があったときに、九州の人間はニュースでしか得られない情報があるので、もしニュースとか見てなかったら、急につけた画面に建物が倒壊している映像とか津波の映像を見るとすごくトラウマになって、ショッキングな情報を
伝授されることがあるんですけど。情報がないと現実全体像が見えないんで、情報の届き方が遠かったりしますもんね。
2011年の東北東日本大震災のときは、九州の方はあんまり揺れてなかったかな。関西までは揺れてたっていうのは、後で聞いたニュースとかで聞いてて、
パッとテレビつけたら津波が、情報の伝達のっていうのがあったんで、知らないことで、知らないとこのまま生き続けていいのかっていうのも、普通の生活しているのと変わらないんですもんね。
だから外で起こっている状況と内で起こっている状況が、よく読み取れないというのもありますんで。
3時過ぎとかのニュースで気づいてたんじゃないかな、当時の。3.11のときはですね。ちょっとあんまりこの話はこの辺にしておきますが。
木の上の軍隊の映画の話としては、沖縄の植物や危険な生き物、地盤、そして一人一人の性格や表情など、悲壮感だけじゃない優しさと温かさもありました。
ネタバレにはならないと思いますけども、その生きていくために、知恵をあげなと上官が振り絞って木の上で暮らしていくっていうシーンも描かれていて、そこは平和な場面もあったんですけども。
そこは平和な場面だったんですけども。それも見れてほっこりするっていうね。ちょっとコメディアスな部分もあったりとか、映画フィクション、事実を元にしたフィクションということで描かれている部分もあったんですけども。
その悲しいだけの話ではなかったよということですね。
井上久志は戦争で日常を奪われた一人一人の物語を書きたいと言っていたそうで、それらの人のかけがえのない人生を書くことが自分が作家になった意味だと60歳にして初めてわかったと井上久志さんは言ったと。
よりたくさんの人たちのかけがえない人生の物語を紡ぎたかったのだろうと言ってましたが、戦争になって窮地に立たされて木の上で逃げるというか、木の上で身を潜めるということになって、
その中でも轟く軍用機、オスプレイか何なのかわからないですけども爆音が流れて、それに恐怖シーンさえ覚えるようなシーンがあったりして、
それは映画を見てても、あ、来たよって言うような、今の沖縄人を脅かすその凄まじい音も、本州に住んでいる私たちも現実へと引き戻し、これはいかんなというふうに。
映画の感想と軍用施設
どうなんでしょうね。沖縄の方たちって日常になっちゃってるんですかね。そういうのも軍用機が通る地域にはいない。
厚木とか、最近で言うと沙賀に軍の施設ができましたよね。自衛隊か、陸軍か空軍かの施設ができたというニュースになってて、
これね、恐ろしいな。山口だったら岩国にありますし、長崎だったら佐世保に海部の施設があるかな。陸軍ではなかったね。
だからその人たちは本土以外、沖縄以外にも本州の人間が住んでいる人たちも、そういうので怖い思いをしているっていうことは、この怖い気持ちを続けなきゃいけないのかっていうと、
ちょっとなんとかならんのかなっていう。それに加えてさっきの言った諸問題とかあると、なんだろうねっていう。
でもまあ、戦争を仕掛けておいて、日本が負けたっていうのは事実でありますし、そっちが1940年とかの戦争に真珠湾を攻撃して、
今になって、昭和100年か、80年経って、今になって軍を引いてくれっていうのはちょっと、それもなんかね、手を出したのはお前だろうっていうことになると。
手を引いてほしいのは山々なんだけど、歴史上、誤った行動をしてしまった日本が、背負わなくてはいけない枷というか、十字架というか、重しというか、罪というか、
一生、日本が国が滅亡するまで追わなきゃいけない使命、運命、宿命なのかなっていうのはちょっと思うし、でもそれをずっと続けるの?っていうので、なんかね、確かに軍多くね?っていうのはあるんですよ。
軍の施設ね、軍用施設ね、アメリカの。それは思ってるんだけど、なかなかね、トーランプさんのあれなんでね、日本はアメリカに支えられているっていうようなあれなんで、強くもいけないわけですよね。
戦争はダメなの?ダメなのよっていうのは、お互いの国でわかってるけども、万が一何があったかわからないというね。
中国が戦争吹っかけていくかもしれないし、ロシアがいろんな、いつ何時核爆弾を落とすかもしれないっていうこの状況で今更引くっていうのは、2国間によってもできねえよなっていうのはあったりして、それを改めて考えさせられる映画だったなっていうのはちょっと、
映画の作品の中でも軍機が飛ぶとむちゃくちゃビビりますよね。ああ、大丈夫?ってなりますんで。そういう話でした。
指折りと文化の洞察
あと気になったシーンとしては、指折りを曜日で数えるっていうね。指折りで曜日を数えるっていうシーンがありました。上官がくせでやってるシーンで、これ手ごよみっていうもので、
右手または左手の手のひらを使って、薬指、中指、人差し指の手のひらの側を使って、節の部分を指していって、何月何日とか何曜日とかっていうのを明確にしていく。
親指で薬指、中指、人差し指の腹を触って月の位置を確認します。薬指の第1、第2、第3腹と中指の第1、第2、第3腹、人差し指の第1腹の7箇所を使い曜日の位置を確認します。
これネットに数ページしかなかったんですけど、何回読んでもよくわかんないんですよね。昔の人はこうやって指を使って手ごよみっていうのを見てたんだなっていう。
こよみにはうるうどしとかあるんで、それによって指の置き方が変わったりするんですけども、何回読んでもよく理解できないんですよね。
あとは野球のバットを持った山田裕樹がいて、フルスイングしてるシーンが2回ぐらい映るんですけども、めちゃくちゃ野球少年なんですよね。
山田裕樹のオールナイトニッポンでも、月曜オールナイトニッポン野球部は野球なんだ、ラジオは野球なんだとかよくわからないことを言ってますけども、マジでフルスイングしてるシーンが野球少年だったんでね。
そこもぜひ見る機会があれば木の上の軍隊見て注目してほしいなと思います。めちゃめちゃいいフリしてますね。さすが元プロ野球選手の息子やなって思いましたね。
あとは映画全編通して大きい声で泣いたり笑ったりっていうのが、マジで山田裕樹のオールナイトニッポンまんまだったんで、山田裕樹のオールナイトニッポンを嫌悪せず見られてる方は楽しめる作品だったと思います。
鬼滅クレヨンしんちゃんもいいけど、ちょっと重たい戦争物である作品も8月に触れてみるのはいかがでしょうか。
曲です。このラジオを覗いてほしい。
アンリデ・ニヌ・ファブシ。映画、木の上の軍隊の主題歌ですね。
北九州の片隅のお婆さんね。
ポッドキャスト界のライムスター歌丸こと、お婆スターのお婆丸は全く触ってなかったもんね。