年金制度の設計思想
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
今回は年金の設計思想について考えます。
以前、戦略とは何かの回で、弓矢とかピストルとかミサイルとかの武器にも設計思想があるという話をしました。
同様に、例えば法律にも設計思想はあるし、年金のような制度にも設計思想はあります。
人間が作っている以上、設計思想って必ずあるんです。
なんとなく裸んだと、年金制度について不満を持っている人の方が多いような感じがします。
テレビや新聞は年金を批判しているし、若年世代からは年金は自分らが年を取った時にはもらえないだろうと思っている人も多い感じがする。
なので、年金制度に対する批判っていうのはそこかしこで見かけるんだけど、年金制度について賛成している用語派の意見ってあんまり見ない感じがします。
なので、前に読んで面白かった「知らないと損する年金の真実」っていう、今はなき大江秀樹さんの本をメインに設計思想の箇所だけ抽出する形で話します。
大江秀樹さんは、僕が間接的に知っている人で人格者だし信用できると思ってますので、あえて硬い本ではなく、この本の名前を出しています。
本の中では年金制度を擁護する立場から論が展開されます。
なので、反対派の方はイデオロギー的な立場が違うから、まぁモヤっとするような部分もあると思うんだけど、そこは適宜エポケーしながら聞いてみてください。
一応、一から説明しますけど、年金ってそもそも貯金ではないですから、自分の支払ったお金が自分に返ってくるというものではありません。
よくある誤解に、年金制度とは、自分が支払った保険料を国がプールしておいて、その人が高齢者になったらプールしてあるお金を返してくれる、65歳になるまで引き出せない貯金のようなものが年金であるっていうのがあるんだけど、そうではないということです。
そうではなくて、例えば今この瞬間、2025年だったら、現在の現役世代が支払った保険料は、それがまるっと2025年現在、今の高齢者に行きます。
ということは、自分が仮に2050年に高齢者になるとしたら、自分の年金を支払ってくれるのは、その時の2050年に働いている現役世代ということになります。
シンプルに言うと、年金のお金っていうのは、現役世代から高齢者への仕送りみたいなスキームなんです。
どうして現役世代が高齢者へ仕送りをしなければいけないんだっていうところに、設計思想が潜んでいます。
まあ、これらは全部、厚生労働省のホームページに全部書いてあることではあるんですけど、
社会的不要への移行
その前の超そもそもの話、法律とか制度っていうのは、突然現れるものではなく、歴史の積み重ねの上に苦肉の策として出てくるものですよね。
年金制度の場合、伝統的な家族感が大元にあると言います。
伝統的な家族感とは、日本昔話とかにあるような、
おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さん、子供たちみたいな、家族が3世代4世代にわたって、みんな同じ家に住んでいて、みんなで助け合いながら日々生活をしている。
それで、おじいちゃんおばあちゃんは、だんだんと体が弱ってきて、お父さんお母さんが面倒を見てあげているみたいなやつのことです。
この状態を、私的な不要と書いて、私的不要と言います。
しかし、社会全体として、各家族化が進み、寿命もめっちゃ伸びて、私的不要が厳しくなってきて、さあどうする?ってなったわけです。
歴史的には、親の老後、子供や親族が面倒を見る、私的不要が主流だったわけだけど、
年化とか、各家族化、長寿化、個人主義化でそれが困難になり、私的不要を制度化して、社会的不要に転換する必要性というのが出てきました。
めちゃくちゃ噛み砕いて言うと、今までは、年老いた親の面倒は、家族が見るのが当たり前だったんだけど、親の面倒を見るのを外部に委託するようになったわけですね。
家族が面倒を全部見ないっていう風になれば、そこにはお金がかかるようになります。
家族がやれば、ただだけど、他の人が面倒を見るなら、当然色々な出費が発生するよね。
老人ホームに入るっていう人もいるだろうし、在宅介護を受けるかもしれないし、買い物だけヘルパーさんに頼むかもしれない。
それは高齢者世帯とかの、その人たちの自由です。
でも家族が丸がかえしていた時代には発生しなかった出費が現れてくるわけで、これをカバーするのが年金だというロジックなんです。
だから年金のスキームは、子供が親に仕送りをして、自筆的に面倒を見ているという形になっています。
では、なぜこういう設計思想が大事かっていう話を試行実験しながら考えます。
例えば年金を批判する際、年金制度はもう破綻しているから、なくしてくれって政府に要求するとします。
すると政府側が切れる一番強いカードっていうのは、ではなくしてもいいけど、知的不要の時代に戻ることになります。
国民はみんな、自分の親の面倒は自分で見てくださいっていうカードだと考えられます。
逆算するとそういうことになりますね。
このカードを出されたら、結構その交渉は厳しい戦いになると思いませんか。
だから相手に強いカードを出させないために、設計思想をあらかじめ把握しておいたら、
強いカードを出すっていう戦術を、そもそもさせない戦略を立てながら立ち振る舞えるから強いっていうふうに考えられます。
そういうわけで、年金制度というのを一つの例として出して、設計思想というのも思想の一つですし、
こういうどのようなものにおいても、思想を抑えておくってめっちゃ大事じゃない?という話でした。
というわけで、今回はここまでです。
次回もよろしくお願いします。