思想哲学への興味の背景
ストーリーとしての思想哲学 思想染色がお送りします
今回はポッドキャストのエピソードが100回を迎えるということで、記念に何か特別なことをしてみようかという回です
ストーリーとしての思想哲学は、これまでずっと淡々と思想や哲学の話をしてまいりました
それは何か理由あってのことというわけではなくて、僕個人に関わるような話を聞いても誰も興味ないだろうと思ったからです
というのも、僕があんまり特定の個人に対して興味を持つタイプではないから、僕としては思想哲学とか物事の構造の話とかの方が明らかに面白いと感じるタイプなので、そのようなスタイルでやってたということです
ただこれまで感想などをいただける中で、意外と僕個人のパーソナリティについて質問もいただきました
ありがたいことだと思います よく考えてみると全く僕自身の話をしないというのも、それはそれで誠実さを欠いたような感じもするから
試しに僕が哲学や思想に興味を持つようになったきっかけなど、そういう個人に関わる話を特別編ということでちょっとだけしてみたいと思います
僕は現在進行形で文学に関する仕事をしています 昔から文学が好きでした
結構な頻度でドストエフスキーの話はするけど、10代の時だったら キャッチャーインザライ、ライムギ畑で捕まえてとか
村上春樹とかもそういうのも普通に好きでした ただ思い返してみると思想哲学に興味を持ったきっかけはテレビゲームだったと思います
もしかしたらゲームかよって思うかもしれないけど、でもそんなもんなんじゃないかな 今だったらアニメや漫画を経由して哲学に興味を持つみたいなルートもあり得ると思います
こういうサブカルチャーを経由して哲学に興味を持つみたいなルートってめっちゃ大事だと思うんですよね 流入経路って多ければ多いほどいいですから
美術やアート、文学のようなメインカルチャーを流入経路、パスとして 思想哲学に入ってくるっていうルートはすでにあるんですよ
それこそ大学で美学を学ぶとかね でも仮にそれだけだとするとメインカルチャーを享受できてきた
文化資本豊かな人たちだけが思想哲学ルートに入ることになるので 実質的に上流階級が独占してしまうことになります
この辺はブルデューの回でやりましたよね だからこそカウンターパートとしてサブカルチャーを流入経路とする
パスを太くするっていうことが大事だよねっていう話です 話がそれたので元に戻すとゲームの話でしたね
僕の場合は小学生の時ドラゴンクエストがめっちゃ好きだったんです ゲーム自体も面白いけど音楽もすごくいいですよね
もう夢中になってたのだけどドラゴンクエスト6っていう作品が特に刺さったんですよ
ドラクエ6は現実世界と夢の世界と行き来するっていう設定があって 行き来には井戸を使います
井戸はあの水を汲む井戸です 井戸に入ると夢の世界に行けるっていう設定なんだけど
ある日インターネットでこれはジークムントフロイトの世界観が下敷きになってるって 見てすごく驚きました
フロイトって無意識とか夢とか精神分析の人ですけど 当時小学生ですからフロイトなんて知らないじゃないですか
井戸を使って夢の世界に行くって設定に何か意味があるなんて思っていなかったんだけど 井戸というのはフロイトの用語ですよね
カタカナの井戸 井戸とSとか言いますけど 井戸とは精神分析学における専門用語で 人の無意識の中にある本能的な衝動のことです
このカタカナの井戸と水を汲む井戸をかけて 井戸に入ることで夢の世界に行くっていう設定にしてるってのを見て
それで脚本ってこうやって作るのかって思ったわけです 今は身近なゲームを引き合いに出してますけど
芸術作品も同じ構造です それこそフロイトならシバンクマイエルの映画もフロイトを下敷きにしているし
優れた作品の裏には思想哲学があるという構造は全く同じです それはつまり思想哲学を知っていると作品を解釈できるようになる
あるいは脚本を作ることができるようになるということを意味します この気づきがはっきりと思い出せる中では
僕の思想哲学に関する現体験であったんだろうなと思います 作品を読み解き解釈するって今でもめちゃくちゃ面白いと感じます
経営学と現実世界の理解
で思想哲学はこの世界がどのような構造でワークしているのか 世界の裏側にはどんな形の歯車があり歯車同士がどのように噛み合って動いているかを教えてくれますが
それと同じく作品を読み解くという行為も構造を読み解くという行為です 構造を読み取って解釈してそれがメイクセンスした時に感じるひらめくような感覚っていうのが好きなんだと思います
解釈といえばスーザン・ソンタグの反解釈なんかが有名です ソンタグによると芸術作品がどんな技法を用いて作られているかを読み取って
その技法が見る人にどんな効果を与えるかという観点から解釈するという方法があると言うけど
もちろんそれだけじゃなくて解釈の方法って多様なんです 他にもポールドマンっていう人の脱構築秘評ってやり方もあるし
突き詰めていくと底なし沼のような深さがあって一生ハマれるなぁと思います あとはそうですね
以前チラッとポッドキャストの中でも大学院で経営学修士を取ったって言ったと思うんですけど その辺の話もしてみます
経営学って一般的には会社経営に関することだけど むしろ芸術畑の人も勉強したらいいと思うんですよね
というのも僕たちが生きるこの世界って経済活動の集合体だし 大人であればほぼ全員が経済活動に従事しています
だとすればこの世界がどのようにワークしているかを理解するために 営利企業がどういうロジックで動いているか知らないといけないんじゃないかなと
個人的には感じています じゃないと文学やアートだけしか知らないと
現実から有利してよ迷い事を言ってしまう羽目に陥りかねません 経営学というともしかしたら意識の高いビジネス書とか
小手先のマーケティングテクニックを連想してイメージが悪いという人もいるかもしれないけど そっちじゃなくて
もっと本質的なマーケティングの裏にあるきちんとしたアカデミックな理論とか 現場のオペレーションをどう構築するかとかは勉強してめちゃくちゃ良かったなと思います
哲学は世界について知ることであり 文学などの人文学は人間について知ることであるわけで それだけだと車輪が片方だけだと思うんです
加えて現実世界で働いている人がどういうロジックで働いているかがわかると 車輪がもう片方加わって車輪の両輪が回る
つまり現実から有利していないフェアな認知ができるんじゃないのかなと そのような感覚です
なんか意外と自己開示って難しくて あんまり僕自身の話にならなかったような気もするんだけど
要は僕はものすごくフェアに話をしようとしていますってことです 思想について扱うというポッドキャストである以上
僕が特定の思想に堅入れしてはいけないと思うし 公平性とか平等性にすごく気をつけながらこれからも話をしていくから
ある程度は信用して聞いていただけると嬉しいなと思います では今回はここまでです
また機会があればこういう普段と毛色の違う話もしてみたいと思います 次回もよろしくお願いします