1. ストーリーとしての思想哲学
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2026-02-15 07:36

#144 外部不経済、フリーライダー、ジョーカー

サマリー

本エピソードでは、経済学の「外部不経済」と「フリーライダー」の概念を解説し、これらが現代社会の問題や映画「ジョーカー」のテーマとどのように関連しているかを考察します。営利企業の経済活動が社会に与える負の影響や、犯罪、格差問題におけるフリーライダーの構造を明らかにし、ジョーカーが社会の歪みに対する代償を徴収する存在として描かれていると分析しています。

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ストーリーとしての思想哲学 思想染色がお送りします。
外部不経済の概念とその具体例
今回は、外部不経済の話です。 外部不経済って、もし経済学部であれば、確か大学1年生で習う結構基礎的な概念です。
でも、もしかしたら意外と知られてないのでは?とふと思いましたので、紹介してみます。
フリーライダーの概念を理解するのに、外部不経済は役に立ちます。
外部不経済とは、マーシャルって経済学者が提唱した概念で、経済学の用語なので主体は主に営利企業です。
営利企業などの経済活動が市場や社会に迷惑をかけることってありますよね。
それこそ、四日市全足とか水又病みたいな郊外から、不動産会社が下町みたいな住宅街を再開発して、観光客や買い物客がバンバン来るようになった結果、
不動産会社ばっかり儲かるようになって、もともとそこに住んでいる住民の自由環境が悪化するとか。
でも不動産会社は再開発をしたからといって、もともとの住民が住みづらくなった分、保障することはしません。
他にも自動車メーカーなんかも、もちろん社会に必要ではある一方で、負の側面があるのは事実ですよね。
販売した自動車が道路をたくさん走れば交通事故も起こるし、渋滞も引き起こされるわけですが、その渋滞に対して責任を取るわけではありません。
交通事故の被害者に対して、自動車メーカーが保障を行うというわけでもありません。
それに、車のスピード違反は自動車メーカーが人を出すんではなくて、警察が税金で人を雇って取り締まりをしています。
他にもアルコールを販売している飲料メーカーもアルコール中毒者を生み出しているわけですが、そのアルコール中毒の治療費は国民健康保険などで賄われます。
これは批判ではなく事実として飲料メーカーが社会や税金にフリーライド、ただ乗りしている構図になっていますよね。
このように、営利企業などが経済活動をすれば、どうしても社会に迷惑をかけてしまい、他の誰かにその分のコストを支払わせるっていう構造が現れてしまう、これが外部不経済です。
フリーライダー防止策としての課税と刑罰
だからこそ自動車だったら、例えば運送会社はすごいデカくて重いトラックを使用するわけですが、デカくて重い車って道路をめっちゃ擦り減らすんですよ。
道路が痛めば補修しなければいけないので、外部不経済が発生しているわけだけど、自動車重量税を導入することで、
デカくて重い車を使用している者に一部費用を負担させて、完全なフリーライドは許さないようにしていたりもします。
以前、文化人類学の話をした時にも言ったような気がするんだけど、ホモサピエンスってフリーライダーをめっちゃ見護するんだよね。
経済活動というか、人間生きていれば何かしら他人に迷惑はどうしてもかけてしまうものだけど、
自分だけ金儲けをしたり、ちゃっかり得をして、それで生じた迷惑には知らぬ存ぜぬは許さないっていうのが外部不経済の概念であり、僕たちの西側諸国の設計であるわけです。
はい、今、フリーライドを防止するために迷惑につながりかねない活動に課税しているって話をしましたが、刑罰も同じ構造にありますよね。
というのも、犯罪ってお金の稼ぎ方としてはすごい効率的なんですよ。
例えば、泥棒、強盗、強括、詐欺、これって全く元手となる資本が必要ない上、数分から数十分とかで何十万とかあるいは何百万とか稼げてしまいます。
経済学とかの文脈で言えば、投入する労働料に対して返ってくるリターンがクソほど高いわけ。
これはあまりに効率が良すぎるから、もし仮に刑罰がなかった場合、みんな犯罪しかしないようになって、市場経済や社会そのものが外部不経済に押し潰されてしまいます。
これをシカゴ学派の経済学者のゲイリー・ベッカーは、犯罪者は社会の安全という公共財をただで奪い取り、自分だけ利益を得る、つまりフリーライド。
そこで、刑罰というコストを課すことで、その外部不経済を本人に内部化させる、本人に無理やり引き受けさせると、ようやくするとこのように言っています。
格差問題と映画「ジョーカー」
もっとマクロで考えると、格差問題も外部不経済とつなげて考えるとわかりやすくなると思います。
止める者が効率的に利益を上げ続ける一方で、その経済活動の背後でどうしても構造的に生じてしまう搾取とか教育格差とか差別的な取り扱いといった外部不経済を、
すべて社会の恵まれない人々に押し付けて止める者が誰もそのコストを支払おうとしなかった場合、つまり恵まれた人々が恵まれない人々にフリーライドするようになったとき、その蓄積された外部不経済は暴動という形で一気に紛失する。
僕は映画のジョーカーがすごく好きなんだけど、ジョーカーってこういう話だと思うんです。
主人公のアーサーは恵まれた人たちの活動によって生じてしまった外部不経済を押し付けられる側でフリーライドされる側でした。
だから最後はその分の代金を徴収した。ラストシーンは未払いだった代金の徴収であり生産であったと読めます。
僕たちがジョーカーを見て、どこか奇妙な共感を覚えてしまうのは、社会というものがあまねく誰かの利益のために誰かがコストを押し付けられているという構造になっているっていう風に本能で直感しているからであり、
そうするとフリーライダーという悪者をジョーカーがやっつけている完全懲悪者として見ることができるからだと思います。
繰り返しになるけど、ホモサピエンスの本能にはフリーライダーは許さないという性質が備わっているから、本能と整合する物語だから共感してしまうし、
妙な気持ちよささえ覚えるんだと外部不経済という概念を補助線に用いると、そのように読むことができます。
というわけで今回はここまでです。次回もよろしくお願いします。
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