カタリ派の基本教義
ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。
前回の続きです。
カタリ派とは、主に南フランスや北イタリア、ライン地方などにいたアンチカトリックのキリスト教分派です。
カタリとは、空気清浄機の清浄の清浄なものという意味。
カトリックが腐敗しだしてきたというだけでなく、治安も悪くて至るところに悪人がたくさんいたという意味で、腐敗したこの世界に抗議するものみたいな意味で、清浄なものと名乗っていたのではないかと思います。
カタリ派の指導者たちのことをパルフェと言います。
英語読みとするとパーフェ。パーフェクトのパーフェですね。
日本語だと監督者という言葉が当てられていて、完全な徳のものと書いて監督者。
めちゃくちゃ徳を積んでそうな名前ですけど、実際彼らは極めて高い道徳水準と謙信的な姿勢を示すことで、民衆の心を強く引きつけていたそうです。
彼らは独特の心情を持っていて、結婚を肝炎、肝炎の罪の肝炎と同一視していて、悪しき行為と非難しており、牛乳や肉を生殖行為の産物とみなして一切摂取しようとしませんでした。
また彼らは徹底的な非暴力主義を掲げ、あらゆる戦争を不正とみなし死刑に反対していました。
こういう反出生主義のような心情はカタリ派の教義から来ていて、キリスト教は一神教ですから、当然神は一宗しかいないわけだけど、カタリ派は善なる神、善心と、悪なる神、悪心がいると考えていました。
このあたりの、悪に関する独特の教義はカタリ派の核心となる部分で、同時にカトリックからすると最も疲れたくない弱点のような箇所でした。その辺は後で詳しく説明します。
それでカタリ派の教義によると、善心が霊的な世界を創造し、善心と同等の力を有する悪心が物質世界を創造したとします。
つまり聖書の中で謳われている天地創造の創造は1回きりではなく2回あったという教義です。
詳しい人は察しているかもしれませんけど、マニ教っていう古い宗教やグノーシス主義っていうのによく似ています。
あとは世界最古の宗教の一つと言われるゾロアスター教にも似ています。ゾロアスター教における悪心といえばアンディマユですね。
さらにカトリックにおいては、神に背いた天使が天界を追われて打天使や悪魔になったというのが通説ですが、カタリ派においては悪心が天国に攻め入って天使を捕らえ、悪心が形作っておいた人間の肉体に天使を閉じ込めたとされます。
そもそもこの物質世界は悪い神が作ったから、だからこの世界が悪に満ちていて住み心地が悪い上に死を免れない肉体に我々は閉じ込められているのだというわけです。
なので性行為による生殖は、悪しき連鎖に加担する行為であるとして非難され、肉体的な欲望は抹殺し、自らを浄化しなくてはならないとされたんですね。
また特に狂信的なカタリ派神とは、悪心が形作った肉体に幽閉される霊魂がまた一つ生まれるとして子供の誕生を嫌悪していました。
カトリックとの対立
競技だけ聞くとヤバい奴らみたいな印象があると思うんだけど、一旦競技を無視して、彼らがやっている行動だけ見てみると結構立派な人たちにも見えてきます。
監督者パルフェたちは結婚を否定し、暴力と無縁の生活を送り、ひたすら他者の幸福のために生きることを徹底していました。
これって外形的にはキリスト教のもともとの教えを守り、きちんと独身を貫くすごく立派な神父様にも見えませんか。
実際彼らは社会のあらゆる階層から強力な指示を得ていました。
特に貧しい人々は監督者たちは人格の高潔さにおいても聖職者としてもカトリックの司祭たちより優れていると信じて疑わなかったそうです。
さっきの語り派の競技のように、もうバチバチに異端なので、カトリック政党派は語り派に対して悔い改めるように何度も求めましたが、説得が功を奏さなかったので次第に暴力に頼るようになります。
1179年の第三回ラテラの公会議ってとこでは、語り派を異端と断罪するにとどまらず、忠実な神徒は一丸となって、この悪役と勢力的に戦わなくてはならない。
そのために必要とあらば武器を持たなければならない。
異端の輩の財産は没収し、すべての王公に彼らを奴隷にする権利を授けると明言するほどまでに緊張は高まることになります。
ここまで言うかってほどカトリックは怒っているように見えますけど、ではなぜそれほどまでにカトリックはブチ切れていたのか。
それは語り派がカトリックの一番痛いところをついたからだという話を次回したいと思います。
というわけで、ここで切って次回に続きます。