1. ストーリーとしての思想哲学
  2. #66 歌と言語の起源4
2024-04-21 07:29

#66 歌と言語の起源4

人間の言語の起源はどこにあるのか。また、歌の起源は何なのかを先史から紐解く話です。

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ストーリーとしての思想哲学
【思想染色】がお送りします。
前回の補足として、もうちょっと動物の名前の話をしたいと思います。
民族生物学者であるプレント・バーリンによると、鳥と魚の名前の付け方にもミミシス的な特徴が表れているとのことです。
前回話した鳴き声などの擬音や音響感だけではなく、鳥の名前は比較的多くの高周波数の分節音からなる傾向があって、これが鳥の素早い、機敏な動き、鳥らしさを象徴しているというふうに思われます。
一方でこれとは対照的に、魚の名前は低周波数の分節音からなり、滑らかなゆっくりした連続的な流れ、魚らしさを象徴しているようです。
バーリンはこの動物の名前に関する分類をさらに発展させて、英語話者の学生がワンビサ語の鳥と魚の名前を聞き分けられるかを調べました。
鳥の名前と魚の名前のペアを16組用意して、600人の学生にどちらがどちらかを推測させました。
例えば、チュンチュイキットとマウツ、イヤチとアフフなどのペアを提示したところ、学生たちの推測の正当率は偶然に生じる確率より優位に高かったんです。
今のだと、チュンチュイキットが鳥で、マウツが魚なんですけど、この問題が一番推測が簡単だったようで、98%が正解しました。
実際これ、僕もなぜかは言語化できないけど、チュンチュイキットは鳥で、マウツは魚だって僕も思いました。
なぜかは言語化できないけど、なんかわかる。
つまり、言語以前の原型言語、ミミシス的なコミュニケーションなんだと思います。
この実験は、推施しても再現性があったから、かなり角度が高い実験結果です。
ここから言えることは、僕たちは概ね、全く馴染みのない言語でも、言葉の音と動物の物理的な特徴等を無意識に結びつけて、ある種の動物を直感的に認識できるらしいということです。
で、ちょっとマニアックな話なんですけど、この知見はですね、言語学の根本的な主張への反論となっています。
結構前にソシュールの話をした回があったかと思うんだけど、
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言語学的には、物と名前との間には何の繋がりもないという風にされています。
これを言語の恣性と言います。恣性というのは、恣的の恣です。
言語学ではよく犬が引き合いに出されるんですけど、犬って日本語では犬っていうし、英語ではドッグ、
フランス語ではシアン、ドイツ語ではフント、マレー語ではアンジンと言います。
これらの単語はいずれの単語そのものからは犬の姿を想像することはできませんよね。
ドッグとかフントっていうのは生活の中に溶け込んでるから想像しにくいかもしれないですけど、
マレー語のアンジンから犬らしさを感じるかって言ったら特にそんなことはないし、犬の鳴き声や動きも連想もできないから、
これが言語の恣性っていうのを説明するのによく使われています。
でもバーリンの研究は、動物の名前が完全に恣意的ではなくて、その動物が出す音、義音や体の大きさ、動き方などの固有の特性を反映しているっていうことを示しました。
さっきの鳥のチュンチュイキットなんかは、こうした特性をすべて含むような贅沢な名前だから98%もの正当率を叩き出したのだと考えられます。
これは歌と言語の起源というテーマに対してすごく重要な点で、初期人類の原型言語についても重要な意味を持ちます。
初期人類が身近な動物に名前をつけていたとは考えづらいっていう話はちょっとしたかと思いますが、一方で鳴き声の模倣だけではなくて、物理的な特徴を捉えた発声動作も行っていたと考えられます。
例えば、動きの遅いマンモスについてコミュニケーションするときは、母音のア・オ・ウを含む低周波数の発話を使ったであろうし、小さくすばしっこいゲッシルイとか羽ばたく鳥などを表すときは、母音のイを含む高周波数の発話を使ったであろうと想像できます。
何が言いたいかというと、動物の鳴き声と人間の言語とはかなり隔絶している感じがするじゃないですか。
猿やチンパンジーのキーキー鳴く声と人間の言語能力ってものすごくかけ離れていて、完全に別物のような感じが直感的にはします。
でもキーキー鳴く鳴き声と人間の言語との間には、今言ったようなミメシスあるいは原型言語が横たわっていて、地続きで連続しているんだってことです。
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動物の鳴き声と僕たちの言語は普通に連続しています。はい。
また別の言い方で言うと、ミメシスや原型言語を使用することができた類人猿は結構たくさんいたんだけど、ミメシスや原型言語を超えて、さらに言語を話す条件がたまたま揃った類人猿はホモサピエンスだけでした。
脳みその容量とか筋肉などのスペックで言えば、ホモサピエンスよりもネアンデルタール人の方が優れていました。
これはもしかしたら直感に反するかもしれないんですけど、脳みそはネアンデルタール人の方が大きかったんです。
でもネアンデルタール人は絶滅して、生き残り繁栄した人類はホモサピエンスでした。
そしてその分岐点は、言語を獲得することができたか否かだったというわけ。
この分岐点、なぜホモサピエンスは言語を獲得してネアンデルタール人はしなかったのか、
次回はその話をしたいと思います。
次回もよろしくお願いします。
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