特にね、ビジネスの取引なんかは、ギブアンドテイクってね、当たり前に思うし、
もうちょっと日常におとしたら、友達の貸し借りとか、これは貸し借りだから、互換じゃないですか。
でももうちょっとプライベートになってくると、今度恋愛でギブアンドテイクになると、こじれるなーって、なんとなくでも感じませんか。
そこはなんか、ちょっと違うなっていうのは確かに感覚として。
ありますよね。なんかその、投下交換みたいな、フェアっていうね、作種とか依存がないフェアな状態って、良さそうじゃないですか。
見返りを求めてるのっていうふうな感じを受けちゃうような感じがしますね。
そうそう、だからそこが愛情とか信頼に感情が入ってくると、これだけやったんだから、返してみたいな。
でもこれだけやったんだからの基準は、その人の世界の基準じゃないですか。
だから当たり前だと思って、やってもらってて、当たり前だと思ってると、当たり前じゃねえよって言われて。
そうですね。価値観が違うとね、そこの基準も違いますね。
そうそう、こういう、なんか愛情、優しさ、心、信頼もそうなんですけど、ここに何かしらの見返り、つまりギブアンドテイクですよね。
求めてしまうと、やっぱ関係は崩れやすい。
確かに。
でもこれって、恋愛になったらみんなああって思うけど、仕事になると、いやそれはビジネスだからって。
そうですね。
線引くじゃないですか。
線引きますね。
それは、今までそれでよかった。
なるほど。
これからそこの線の曖昧さっていうのが、価値観に含まれていくであろうという話なんですね。
そういうことなんですね。確かにね、恋愛とかそういったところで言うと、まあわかる気がするけど、ビジネスにまでそこもだんだんと反映されてくるようになるんですね。
なので、ギブアンドテイクで言ったら、Z世代はビジネスに関しては完全ギブアンドテイクじゃないですか。
たぶんそうなんですよ。この時間やるべきことやったら帰りますみたいな。
そうですね。自分のやったことは全うしましたみたいな。
終わりみたいな。
昭和世代だとサービス残業って言葉が。
ありましたしね。
同僚がやっぱ頑張ってると、ちょっと手伝おうかなとか。つまりそれって心の交流とか、なんかなんていうのかな、情とか、まあいろいろあるじゃないですか、言葉をつけるとしたら。
でもその情を、なんだっけ、ドラマ見てないんだけど、人の話を聞くとそういうことかなと思ったのが逃げ恥でしたっけ。
搾取っていう単語が結構流行った時期があると思うんですけど、その優しさにつけ込むと、優しさを搾取されているという表現になったりして、結局それって答えがないんですよね。
そうですね。難しいところですよね。
線引きがさっき曖昧になるって言ったのはここで、ビジネスは線が引きやすかったけど、そこも由来で行く中で、でも世の中はどういうことが起きてるかって言ったら、やっぱり、なんだろうな、与えること、そして受け取ることっていうのが循環なので。
吐く息と吸う息と一緒に、吐く息与える、吸う息で受け取る、これ2つないと死んじゃうんで。
そうですね、どっちもね、必要ですよね。
そう、だから与えるだけだったら吐き続けるから、それはもう息絶えるわけです。
ありますね。
受け取るばっかりだともう息吸えないようで苦しくなるんですよ。
そうですね。
だからやっぱりそういう循環するっていうのが大事なんだけど、やっぱりそこの部分が、答えが見えないっていう不安定さ、自分でそこを決めていかなきゃいけないということと、人間関係があると、自分はある種のルールを決めても、相手は違うルールを持っている。
そうですね。
そういうところで、どうしたらいいかってなると思うんですよ。
はい。この辺りどうするといいんでしょうかね。
これはですね、やっぱり自分がやりたいの、WANTから始まって、やりたいことをやるから始まって、WANTからWILLに。
私の書籍を読んでほしいんですけど、WANTとWILLの違いはね。
WANTからWILLに変わっていくと、おのずと臨機応変に、与える受け取るが柔軟にしなやかになっていくので、
なんていうのかな。
人との交流が楽になる。
これって具体事例で言うと、それこそ本当に私、若い時は、この10日交換、ギブアンドテイクっていうのが正しいのだと思ってたんです。
はいはい。
むしろ、返さなければの責任感で頑張ってたんです。
はいはい。
もういただいたら、返さなければ。
なんか、たとえばお金をもらってプロとして仕事をしたから、その価値を返さなければ。
それで頑張ってきたんだけど、それってでも固くなさを生んだんですよね。
ああ、なるほど。
融通が効きにくい人間が育ってたんです。
私のことなんですけど、ある程度ね。
融通が効かないと、これね、恋愛でまたね、こじらせる。
なるほど。
それこそ、やってあげてなんでやってくれないんだろうとか。
自然にやってるんだけど、どこかで見返りというか、結果を期待する。
見返りっていうか、これをやった先にこれが待ってるであろうという期待が叶わなかった時に不満が出るわけですよ。
その不満は結局恋人同士なのにっていう役割とか前提っていうのを盾に、相手にいろいろ言うわけですよね。
そうですね。
まあそれはこじれるよねっていう。
若い時はみんなそうだと思うので、教科書していただけると思うのですが、そこがやっぱりあれおかしいなって。
でも結局、私のケースで言うと、そのウォントからウィルの当てはめると、私は仕事を自分がやりたいことだけに絞ったんですよね。
なるほど、はい。
で、やりたいことに絞るっていうことは、それは経済的にも大変になるわけ。
でもそれを通しても、やりたいことに集中したんで。
そうすると、やりたいだけじゃうまくいかないって気づかない。
だからウィルが必要になってきて、もうやるっていう、もうこれだっていうものが必要になってきて、その中でこれだを見つけて、やりたいじゃなくてこれだだけ集中していけばいいってなったら、やりたくないことも自ずとやるようになる。
なるほど。
なぜなら、やるって決まってて、それで例えば仕事でスピリチャイルド、私の場合仕事にするってなったら、当時そういうのはあんまなかったし、
何だろう、参考になる人もそんなにいないし、ネットでは調べられても、あんまりね、そこで起業みたいな、今はね、いっぱいいるけど、昔はやっぱなかったわけ、情報が。
で、そういう中で、結局調べるのも正直めんどくさいじゃないですか。
聞く人もいないから不安じゃないですか。
でもやりたいからやるじゃないですか。
これを埋めるためにやっぱりやりたくないことやるんですよ。
一応ね、ある程度収入ないと貸していけないから、やりたくないけど派遣をするとか、やりたくないけど調べて地道にセッション受けてみるとか、他の人どうやってるんだろうって見に行くとか、
そういうのはね、自ずとやることが決まれば、やりたくないもやれるようになって、ただその手前のやりたいことしかやらないって時は、
やりたくないことはやらないって排除してるから、バラン、アンバラン。
なので、やるっていうところに行くと、やってあげてる感がなくなるんですよ。
与える感もないんですよ。
それを別の言い方で造与っていう単語をよく使うんですけど、これが縄文時代は造与でできてたっていうお話もされてる方もいて、
これからメジャーになるんじゃないかなと思うんだけど、一部の人はね、当たり前に使ってる単語だけど、
造与の個本質的にあるものって私の言葉で言ったら、
本当にお母さんが自然と子供に無償の愛を与えるなんていう価値観も全くなく、自然にやるあの感じ。
子供がお父さんとかお母さんに何か頼まれて、純粋な時って、やろうってやってあげようってやってあげるもなく、
やるよ、みたいな。分かったよ、いいよ、手伝うよ、みたいになるじゃないですか。
あの感覚なんですよ。
なるほど。
その感覚がつかめてくると、何だろう、損得でもないし、ギブアンドテイクでもなくなるので、自分が困った時には助けてって言えるし。
言えるし。
誰か困ってたら、じゃあ私はこれできるけど、みたいな。
なんかね、自分ができなくても、できそうな人知ってるよとか、頼まれなくても自然に動けるわけですね。
世の中の価値観がだんだんそういう風にして変わっていってるっていうところなんですね。
そうです。だからシェア文化っていう単語にも使われてるけど、それこそ昔、狭い世界では当たり前に行われてたはずなんですよね。
パソコン、ネット関係だったら、そのパソコン通信から始まり、掲示板っていうのができたりして、
そうすると、これってどうやって使ったらいいんだろう、誰かが何か教えてくれるっていうのがあるじゃないですか。
今もそれがもっとマスカ、マスメディアっていうかその一般化して、
誰もがSNSで、例えばパソコンが開かない、どうしようってつぶやくと、
なんかこれはチェックしましたかとか、
教えてくれたりしますもんね。
Appleの連絡先わかりますかとか、こうですよ。
なんか聞いてもないのに、きれいに教えてくれる人いるじゃないですか。
なんかあれが結局、見返りを求めてない行動。
もしかしたら自己承認欲求で教えたいとか、上の立場になりたいとか、
なんかそういう欲求あるかもしれないけど、でもそれって前面には出てなくて、
その自分の欲求の衝動のもと、困ってる単語、言葉を見て、
知ってるから教えてあげようって、素直に教えてくれてる。
これがもうすでに世の中には起きていて、難しい言葉使わなくても、
人間って自然にそうなる要素があるんだと思うんですよね。
だからぜひ皆さんもそういった気持ちで色々と対応して、
自分ができるところを素直にこれできるよとか、紹介するよみたいな感じになっていくと、
その循環の中に入っていけるような感じがしますね。
しますします。
なんか昔の、なんていうのかな、ギブアンドテイクが正しいと思ってた私みたいな人は、
これめちゃくちゃ生きにくい世の中になってきて、
もう一つ生きにくさは何かっていうと、ケチな人ってもある。
絶対そういう感想を持つ人、別にね、
誰もが光と闇を持ってるので、
どんなにいい人でも、100人がその人のこと好きになるわけないじゃないですか。
そういう前提に置いといてもらってですね。
でも何か損するじゃないですか。
別にケチなつもりじゃなくて、
その当時の私なら自分の信念、プロとしてみたいな意思のたてにやってるんだけど、
今の世の中にそれを置き換えると、結構めんどくさい奴になるっていうメリットがあって、
でもそれってちょっとしたきびなんですけど、
そのきびは何でわからないかっていうと、自分に制限があるからなんですね。
例えばその、当時の私であれば、
何か結局、損得感情ですね、簡単に言ってしまえば。
損得感情っていうのはお金とか、何か愛情とかじゃなくて、
単純に自分が傷つきたくない、損をしたくない、この感情なんですよ。
得を得たいっていうよりかは、損したくない感情の、
損は何かっていうと物質的な、愛情的なものではなくて、
本当に自分が傷つきたくない、つまり自信がない、自尊心が低い、
この状態がそれを生んでたなっていうのがあるんですね。
だからこそ、ギブアドテイクは分かりやすいから、やったらその分返ってくる。
非常に分かりやすい指標、物差しなんだけど、
今の時代、それ物差しで生きると損をするので、
そこの機微が分からないのは繰り返しになるけど、
やっぱり自分の自己防衛が強い状態にある人はそこに陥りがち。
つまり、投下交換って罠であり罪になる可能性があるよ、そういう話です。
なるほどね。なかなかね、こういった本当に価値観が変わる時代だと、
そこに移っていくのがどうしても感覚的に難しかったりする方もいらっしゃると思うんですけど、
ちょっとね、いろいろ今日のお話も聞きながら、
ちょっとこういった世界もあるんだなっていうところから、
少し踏み出していただけるといいなって思いますね。
そうですね。それって結局、無意識的なブロック。
そのブロックをうちでは制限って表現、葛藤とかも含めて。
その制限をいかに開放するかっていうのが大事なので、
今度11月に制限開放ワークショップリトリートっていうのを開催するんですよ。
なるほど。ぜひこれね、今日のお話聞いて、
ちょっと自分もこの制限開放しなきゃなーってちょっと思ったら、
ぜひ申し込んでいただけるといいですね。
今もう申し込みも始まってるんですかね。
はい、始まっていて、先行で本当にね、クローズドで募集しただけで3分の1がすぐに埋まって、
どうしても11月の連休で岩手に来たんですけど、
なかなか行きづらい場所でもあるっていうのもあるのでね、
申し込みをどうしようかなと思われてる方もいると思うんですが、
まずワークショップがもうめちゃくちゃその、
頭で今日の話を理解しても絶対心はどうしても守っちゃうので、
守っちゃうところを守らなくても自分でいられる強さ、柔軟さを得る、
そういうワークができるんですね。制限開放していくとそうなるよ。
でもう一つうちのリトリートの特徴は神社ツアーに行くんですけど、
その自分の力だけじゃない大いなる存在の力も味方につけながら現実変えていくっていう、
自分の心の奥底と外側の大いなる力とここをね統合させていくっていう、
そういう合宿的な、合宿って言うとあれだけど、楽しくワークして神社行って美味しいもん食べて帰るっていう。
参加するだけでも変わるんでね。
これ日程をもう一度教えてもらってもよろしいですか。
はい、11月の22、23、24日、同日、月、祝日なんですよね。
3連休の時ですね。
はい、3連休ですね。この時に参ります。
ぜひね。今申し込むとあれですかね、ちょっとお得なプロもあったりするんですかね。
そうなんです。早期割引がね。今なら。
今なら。はい、今なら。
まだ間に合いますかね。
まだ間に合いますよ。
ぜひ早めにね、申し込んでいただけたらと思います。定員もあるのでね、ぜひお早めに。
そうですね。もう今回ちょっと増席できないんで。
ぜひぜひ早めに申し込んでいただければと思います。
はい、ピンときたらぜひね、申し込んでいただけたらと思います。
このポッドキャストの説明欄にリンクありますので、ぜひそこから申し込んでいただけたらと思います。
はい。
由美さん、今回もありがとうございました。
ありがとうございました。