むしろ岡田さんはエッセイズとされてきているから、システムにすごく強い方でいらして。
それでポッドキャストって、わりとシステムをきちんと把握していないとできないことっていうのもたくさんあるので。
そういう意味で、後で話は出てくると思うんですけれど、私の言霊インタビュー立ち上げの時も、岡田さんにたくさん手伝っていただいたんですけれど。
だからこんなにご自身がインタビューするっていう流れになるっていうのも、すごい方向転換でしたよね。
本当にエンジニアだったので、自分が表に出るっていうのはほとんど考えてなかったんですよ。
技術面でのサポートを皆さんのさせていただければなっていうふうに思ってたんですよね。
でしたよね。けんさんの時もそういうシステム的なサポートっていう感じでしたもんね、お仕事で言ったら。
本当にそうですね。
それがまさかご自身でもインタビューをして番組作って、しかもそれが1000回を迎えてっていうことで。
本当に。
本当は今日私がインタビューされるんですけれど、どうでしたか、この1000回されてきて。
最初は本当に知り合いの経営者の方にいろいろお話を伺って、よかったら出ていただけませんかみたいな感じで、会社さんにお伺いして取っていったんですけど。
だんだんとそういった人たちが増えてくると、ご紹介が生まれるようになってきたんですね。
そんな経営者の方いらっしゃるけど、よかったら紹介しましょうかって言っていただけるように徐々に徐々になって。
いろんな経営者の方との出会いがあって、私も経営者の方のお話を聞くと、それぞれの方がすごく思いを持って、志持って経営されていらっしゃるので、
私もすごく刺激を受けたりとか勉強になるような会を積み上げていきましたね。
今まで、そうすると1000回ですけれど、単純に1000人っていうことではなくて、何回かインタビューしている方もいらっしゃるんですか。
そうですね。中には何度か出ていただいて、それぞれの時期でいろいろ発展されていらっしゃる方もいらっしゃいますし。
そうすると人数にするとどのぐらいなんでしょうね。
でもほとんど初めましての方が9割以上なので。
じゃあもう900人以上にはインタビューされて出演してくださっているわけですね。
そうですね。
でもいいですか、つい私インタビュアーの佐賀で、岡田さんが主導権を握らなきゃいけない、ついつい私いろいろ聞きたくなっちゃってインタビューしちゃうんですけれど、
今までお会いした経営者の方の中で、岡田さんがそのお名前出さなくても、この人すごいなっていう方がどなたかって、たぶんパッとそうやって思い浮かぶ顔の方っていらっしゃると思うんですけれど、何がすごかったですか、その方たちの。
そうですね。やっぱり同じような職業の方もいらっしゃるんですよね。
例えば弁護士さんだったら、弁護士さんも何人もいらっしゃるんですけど、でも同じ弁護士さんなのに自分自身はこれをやるんだっていうような明確なビジョンを持っていらっしゃって、幅広い業務ができる中でもここを特にやっていきたいんだっていうような、そういった思いを真の通ってるような方いらっしゃるんですけど、
そういった方は本当に印象深くて、この部分をすごく特化されていらっしゃるし、そこを力を入れて思いを持ってやっていらっしゃるんだなっていうようなところが、すごく輝いて私も見えたので、やっぱりそうやって突き詰めていって、一つのことを打ち込んでいくっていうのは素晴らしいなっていうふうに感じましたね。
その後、そういうやっぱり自分はこれなんだっていう軸みたいなのを持っている方たちの、その後みたいなのは何かご覧になったりはしてるんですか。
そうですね、人によってはその後もご縁をいただいて、結構お話しさせていただいたりとか、あとはですね、この経営者の志をきっかけに、ポッドキャストの魅力を築いていただいて、自分も番組したいということで、声ラボがサポートさせていただいて、定期配信していただけるようなお客さんも出てきたりとかして、番組も増えてきてますね。
そうですよね、声ラボさんがサポートして、そうやって番組にしてっていうのも数は相当数になってますよね。
今ですね、累計で310番組超えるぐらいに今なってますね。
そんなになったんですか。いやー、岡田さんのコツコツと日々されてきたその賜物ですよね。
本当にありがたいですね。こうやってご縁をいろいろいただけるっていう、のころがらつながってるなって感じますね。
そうですか。私が主導権握るのはそろそろこのあたりにして、岡田さんにもうバトンを戻しますけど。
まどかさんの、いくつか他の現場、本田けんさんの現場だけじゃなくて、他の現場でもご一緒させていただくことがあって、その時にね、いろいろお話も聞かせていただいたんですけど、
はじめのまどかさんのことだまインタビューというポッドキャスト番組、始める時もね、いろいろご相談しながらスタートしたなーっていうのは思い出深いですね。
あの時、そうですよね。だから岡田さんがあの番組やってみませんかっていう一言で、いやー自分でやるのどうかな。やりたいし、もし立ち上げたらインタビューしたい人はいっぱいいるけどなーとかっていう思いはあったけれど、でもあそこから早かったですよね。
スタートするまで早かったですし、いろんな方にお声掛けされて、結構皆さんすごく賛同されて、あっという間に決まりましたよね。
もうあの、そこはね、ゲストの皆さんはなんか、あーもうまどかちゃんがそう言うならみたいな感じで、もう協力するよみたいな方たちがバーっとこう集まってくださって、だからそういう意味ではそのゲストの方に困ることはあまりなくて、
途中ね、私が3級で妊娠して、思うようにインタビューに行けなくなったり、編集できなくなったりっていうね、体がちょっと大変で、そういう時にどうしてもテンポよく収録行って配信してっていうと、それがすごく結構一月、あの時5、60万アクセスぐらいありましたよね。
すごいね、人気番組でアクセス多かったですね。
そうそう、だけどやっぱり私がなかなかそれが叶わなくなると、あの多分登録番組っていうのも勝手に外されちゃったりして、そうするとね、もうあの私のその妊娠出産期にガクッと数で言うと減ってきちゃったりして、っていうのはあったんですけれど、でも本当にもうゲストの人たちはもうこの人インタビューしたいっていう人みんなも、もう是非是非っていう感じで
賛同してインタビュー受けてくださって、しかもその全部機材もゼロから自分で集めたりして、でもあの時も私の友達に、あるそれこそ経営している女性のお友達がいて、ちょっと年上のお友達が
いやー、まどかねってあの絶対いい音声で残した方がいいから、もしその機材今すぐまどかが自分のお金で訓練できないんだったら、私は別にいつ返すでも全く構わないからお金貸すからって言ってくれて、で結局その時彼女にお金はまあ借りずにね、自分でなんとかもう全部準備はできたので、
その収録機材とかマイクとかマイクスタンドとか細かいそういうものも全部自分が準備はできたんですけれど、でもああいうことがなかったらそんなお友達の熱い気持ちっていうのを知ることはなかったし、自分がこういう番組を立ち上げるってその言霊インタビューっていうのは目には見えないものをお届けしたいっていうのもあって、
最初その言霊インタビューなのか番組のタイトルね、言霊インタビューか波動インタビューかな、その波動でいろんな人の思いを乗せるっていう意味で波動インタビューとか自分でこういろいろノート書いてる時にアイディアが出てきたんですけれども、結局その言葉のこと言うのことの魂でその方の魂を届けるっていう意味で、普通言霊って霊の方の魂ですけれど、
この人の魂、思いを届けるっていう意味で言霊っていうふうにタイトルつけたんですけれど、なんかその人の人生とか、それで今どんなに成功してる人でも、もれなくみんな同じように人生って右を曲折あって、それこそ岡田さんだって、今はこうだけれど、
7、8年前の時に一回、リセットから始めて、すごく手探りで不安だったと思うんですけれど、そういう時期が必ずみんな人生ってあるじゃないですか、でもそういう時期があったからこそ、今につながるっていうのもあるし、
あの人は有名だし、成功してるから自分とは違うっていうのではなくて、若い人も含めて、そういう成功してる人が同じように自分と同じように苦労してきたり、人生行き詰まったり、もう命諦めちゃおうかなって思うようなことがあっても、そこでくじけずに今があるからここにつながってるっていうのを、
なんかこのただの人事のエピソードじゃなくて、自分も同じように自分事として聞いていただきたいなって思って、それでインタビューをしてきていて、かつ大きな番組ってもう作家さんもいたり、ディレクターさん、プロデューサーさんっていらして、私も大きな番組、JWaveでも番組を9年近くやってたので、
そうすると、もちろん自分でこの持ち込みもできるんですけれど、基本はやっぱりゲストこの方ですっていうふうに決められたゲストをお迎えする。
決められた台本もある中でっていうのにずっとやってきた中で、そうじゃなくて自分が聞きたいことを何の縛りもなくインタビューしたい。
それが叶うのが、やっぱり自分の立ち上げた番組だなっていうのもあって、だから基本何の原稿も準備せず、前編後編あって、前編はそのゲストの方の人生の流れ、後編はその方の専門の話っていうことでずっと続けてきて、
それこそ言霊も、今はもうYouTubeに全部移行して、ちょっとサーバーがね、岡田さんのやられちゃってね、配信不能になっちゃったので、いたしかたなくYouTubeに全部データを移行して、その時も岡田さんにいろいろ力を貸していただいて移行したんですけれど、
今はYouTubeで、なので不定期にはなるんですが、配信して、かつ今画面付きでね、動画で配信してるので、またあの時とスタイルも違うんですけれどね、だからそんな感じで、ポッドキャストがスタートではありましたけれど、すごく自由に自分の番組ができたっていうのは、大きい経験だったなっていうふうに思いますね。
この言霊インタビューの番組をスタートされたのが、まどかさんの、なんかすごい転機にもなったのかなっていう感じで、今まではね、やっぱり曲穴とかそういう結構制限のある中でのインタビューだったのが、本当にまどかさんが聞きたい、いろいろ見えない世界のお話とかもされてらっしゃるインタビューなので、本当ここからね、すごく活躍もされてらっしゃるような感じしますね。
なんか自分、すごくでも怖かったんですよね。
言霊インタビューを立ち上げるときに、やっぱり私が好きなこととか大事にしてることって、この目に見えるものだけじゃなくて、その裏側にあることとか、本当に三次元で感じるものじゃない部分も、私は大切にしてきてるから、
だからその目に見えない世界のことを伝えてる人たちもたくさんゲストにお呼びはしてるんですけれども、それによってどんな色眼鏡で自分が世の中に映っちゃうのかなっていうそんな不安があったり、
あの立ち上げのときは、立ち上げたらもう早かったですけれど、でもやっぱりその自分の中での葛藤はあって、自分がじゃあ今ポッドキャストで言霊インタビューを立ち上げたら、あの当時の仕事仲間、現場仲間のスタッフの人たちはみんなどんな風に見るのかなとか、すごく怖かったし、
なんかね、こうやって一見目立つ仕事をしているくせに、目立つことが怖かったりとか、そういう感じで、なんかこの、そんな精神世界のことを伝えたら、なんて言われるのかなとか、リスナーの人がどう思うのかななんて思ったんですけれど、やってしまったら、もう自分が楽しくて楽しくて、もう夜中まで編集しちゃったり、
撮影、収録ね、収録してきたらもう、いても立ってもいられなくて、もうすぐにパソコンに向かって編集作業して、で、夜な夜な自分でナレーションも入れて、みたいな、そんな生活だったんですよね。
その、あの、妊娠前だから、いくらでも自由がね、体としても自由が効いてたので、あの当時はもうコンスタントに週に1回配信してたんで、いやだから、今思えば、何をそんなに怖がってたのかなっていう思いもあるし。
やり始め、やってみると、やっぱりね、反応も思ったものと違ったりとか、受け入れてもらったりとかね、そういったところもありますよね。
結構ね、言霊インタビューって、リスナーの方たちの思いがまた熱くて、その、で、この間そうそうこんなことがあったのが、私最近YouTubeだから顔出しもするじゃないですか。
そうですね。
私ずっとラジオの畑で来てるから、あのむしろ何がいいって、ラジオってほら顔がバレないからいいんですけれど、だから私テレビを受けずにラジオ一社だけ受けたんですけどね。
でも、あのほら最近ラジオの世界もだんだんYouTubeも配信したり、ね、そうするとだんだんこう顔出しも、ラジオパーソナリティとはいえ結構顔出してるじゃないですか。
私はほらYouTubeもしてるから、もっと顔出したら、この間たまたま全然違うところで、あのすいません、インタビューしたり、あの、司会したりとかいうお仕事されてますか?って言われて、
で、私え?って思って一瞬びっくりして、で、でも嘘つくわけにいかないから、あ、はいって言ったら、私の言霊をすごく好きで聞いてくださってる方で、
パッと顔見たときに、あって思ったけれど、でも自信なくて、でも私のしゃべり、違うところでしゃべってるしゃべり声を聞いて、話し方がもう絶対そうだって思ったらしくて、
あ、もう話しかけようって思ったらしいんですよね。だからやっぱり声でわかった、確実にそうだって思ったらしいんですけれど、その方はもう言霊インタビューが大好きで、
あと、私のYouTubeチャンネルも結構見てくださっている方で、言霊インタビューが人生を変えるきっかけになったって言ってくださる方とか、結構熱い思いをYouTube、コメント残せるのでね、
そうですね。
過去のも全部私配信はしてるんですけれど、本当にこの番組で人生の流れが変わりましたって言ってくださったり、あ、どこかの誰かにちゃんと届いてるんだなっていう思いが、なんかね、配信者ってあんまりリアクションってないから、
あと実際ラジオってポッドキャストよりももっとわからないんですよね。その聴取率っていうのはもちろん局側からくるから、何パーセント聴取率があって、どのぐらいだから聞かれてるとかっていうのがもちろんスタッフみんなに定期的に配られるんですけれど、
あの、ほらラジオって普通、ながら劇とか車の中でとか会社でとか、普通そんなにメール打ったりとかしないじゃないですか、本当の人じゃない限り。
そう、だからそういう、例えばこう、あのフレーズ間違ってますよとかいうものは結構送ってきたりするし、よっぽどコアなファンはラジオのそういうの聞いていっぱい送る人はいるんですけれど、
だいたい普通はただ聞いてるだけっていう方がほとんどだから、生の声ってわからないから、だからすごくそういう意味でも、リスナーとか聴いてくださっている、見てくださっている方の声が届くっていうのはすごく嬉しいことだなって思ったりして、そのリアクションがね。
いいですよね。それでYouTubeも今発信されてらっしゃるんですけど、それからあの書籍も出版。
そう、今年出したんですよね。あの今年の、あれいつに出したんだっけな、春ぐらいに私出したんでしょうか、2月に出したのかな、あのサポートシステムスイッチオンっていうのは、これは一般の書店では買えなくて、いわゆるKindle出版で、Amazonではあの紙書籍も買えるんですけれども、
そのサポートシステムスイッチオンっていうのが、ある日私の脳内に響いてきたっていう、そういうちょっと不思議体験がありまして、それは私のYouTubeの中でもサポートシステムスイッチオンの再生リストを作ってるので、いろんな私の高次元とのアクセスみたいなやりとりも含めて動画で配信してるので、
まあそれはの興味ある方はその見ていただきたいんですけれど、それをちょっとこうフィクションにして物語にして、あの届けたいなって。で、小さな宇宙人アミっていう本が私は大好きで、バイブルにしてるんですよね。今もあれ絶版になっちゃっていて、あの桜桃子さんが表紙を書いているのがまた素晴らしく可愛くて、シリーズが3部作あるんですけれど、
エンリオなんとかさんっていうその方が書かれているものを、あの日本語訳された本があるんですけれど、あれもフィクションとして物語として本にはなってるんですけれど、私あれもう20年近く前だと思うんですけれど、読みながら、あ、これってノンフィクションだなって思ったんですよ。
すごく不思議なUFOと遭遇した男の子がいて、ペドリートという男の子がいて、で、そのアミという宇宙人、可愛い宇宙人のその宇宙船に乗って、いろんなところに連れて行かれて、しかも異星人、違う惑星にも行って、自分の、まあいわゆるなんて言うんでしょう、ツインレイというか、もうもともと一つだった存在みたいな女の子とも出会うみたいな、
いろんなそういう話が物語として描かれているんですけれど、いやもうこれは本当に実際の話だなって思って、だから私のサポートシステムスイッチオンも、読んだ人がすごくこう簡単に読めるけれど、あ、これって本当かなとか、あ、こういうことって自分にも起こりうるかなとか、そんな感じで、それこそ言霊インタビューも、
自分ごととして聞いてほしいなって思うのと同じで、あの本も、私が特別だからこういうことがあったんですっていうんじゃなくて、あなたにも同じようにサポートして常に見守ってくれている存在はいるんですよっていうのを伝えたくて、それで本にしたんですよね。
あれに岡田さん1ヶ月で書いたんですよ私。
すごいんですよね。だからもう頭の中にはもう存在してたっていう感じなんですよね。
そうそうそう、もうあって、で急遽そのいろいろ相談乗ってもらった人が、そのノンフィクションの私の話じゃなく物語にしたらどうかって言われて、そこから、だから去年の12月、2024年の12月はもうすべてその本に捧げた1ヶ月だったんですけど、寝ても覚めても本パチパチ売ってて、
でまたKindleって自分でね、表紙も発注してデザイナーさんに3パターンぐらい来て、でそれもYouTubeの中でちょっと盛り上げたいなと思って、実際皆さんの意見もどうですかってちょっと聞いたりしながら、
そう、だからそれはそれですごく楽しくて、なんかあれも買いました?なんていうふうにコメントくださる方もいらしたりして。
物語になっているので、私も読ませていただいたんですけど、すごいスッと入る感じで、なんかもうあっという間に読むことができて、その後に窓川さんの解説というかね、後書きあったので、そこを読んで、なんかこういうことなんだっていうのがすごくいろいろ繋がるような部分もあったので、
そうだったんですね。
その両方があったので、私はすごくよかったなというふうに感じますね。
しかもね、岡田さんはほらある意味SEをされてきてとか、そういう理系の方で、ある意味こうスピリチュアル的なところからはすごく遠い分野をされてきてるわけじゃないですか。
でもその岡田さんにそうやって、しかも男性である岡田さんに、そういう感じでこう受け入れてもらえたり、そういう感じの感想を聞けるっていうのはすごく嬉しいなって思います。
でも時代的にもだんだんと、こういったところを興味持っている人も増えてきたような感じはしますね。
変わってますね。
なんかもう本当に10年前とも20年前とも全然違いますね、状況がね。