1. ソウタ|SNSで唯一無二を作るラジオ
  2. インスタにおけるセンスの言語化
2024-08-09 35:56

インスタにおけるセンスの言語化

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00:01
アマゾンミュージックでバトルナンバーとソウェイン・ザ・アーティストの話をさっそく再生します。
準備完了だ。
それでは、おはようございます、皆様。
今日も、いつも通りライブ配信をやっていければなと思っているのですが、
お久しぶりです。
あれですね、あれですね、あれ。
センス、センスの言語化を今日はやっていこうと思います。
何故かというと、ちょうどね、この間、水野学さんの本とか見て思ったんですけど、
そういうのを含めて、あの人ってセンスいいよねーとか、
あのアカウントインスタのセンスあるよねーみたいな、
ああいう感じの言葉で片付けてしまうのはもったいないなと思いましたので、
今回このセンスと呼ばれるものをちょっと深掘ってみて、
センスとは、というところとか、
センスを磨くにはどうすればいいの、みたいなところとか、
そこについてのお話をなんとなくできればいいのかなと思っています。
ので、ぜひよろしくお願いいたします。
はい、じゃあ、いつも通り録音開始してやっていこうかなと思います。
どうも、そうとです。
このチャンネルでは、1年でフォロワー数1万人以上をたくさん配信したり、
フォロワー1万、5万、10万、そして20万人を超えるようなインフルエンサーのマネタイズのサポートをしたり、
メンズ美容さんのフランチャイズオーナーとして、
僕にしかできないような一時情報をどんどんアドビュートしていくラジオとなっております。
皆様が知ってよかったと思うような情報をどんどんお届けいたしますので、
よければフォローのほどよろしくお願いいたします。
はい、ということで、
今日もですね、いつも通り複数のプラットフォーム同時配信ライブという形でやらせていただいていますが、
今日はですね、どんなお話をするかと申しますと、
センスってものですね、センス。
これ、皆様答えられます?
センスって何ですか?
センスって感覚というか、
これまでやってきたものみたいなところの中で、
こいつセンスあるよな、とか、
鋭角センスあるじゃん、とか、
写真撮るセンスあるよ、とか、
料理のセンスあるよ、とか、
数学のセンスあるよ、とか、
いろいろ言われますよね、センス。
才能とセンスはちょっと違ったりすると思うんですけど、
このセンス、そして今回は才能との区別化も含めて、
改めてこのインスタ運用というところにおける、
センスって何なんだろう、というところの言語化と、
そもそもセンスって磨くにはどうすりゃいいの?
言語化として、一個その抽象化をさせて、
しっかりと具体で考えなければ、
どうすればいいかを考えつくことができないじゃないですか。
英語なんでもそうですけど、単語だけ知っていても、
単語のイメージがわからなければ、
それをどう生かすかを考えることができないというのがある通りなので、
今回はですね、センスって呼ばれるものを一旦言語化をしてみて、
それではインスタ運用でセンスを磨いていくには、
03:00
どうすればいいのかって話をできればと思いますので、
よければ最後までお聞きいただければと思います。
じゃあ早速本題に入っていこうと思うんですけど、
センスって何なんだろうっていうのを考えたときに、
デザイン講義とかの本を書いている水野さんっていう書籍をですね、
最近読ませていただいて、
本当その通りだなっていうか、
偶然でも出ないなって思ったんですよ。
あの人が言っているセンスっていうところの言語化について。
それが何だったかっていうと、
センスとはこれまでの人生で経験してきた知識と経験の集積であるっていう、
この考え方ですね。
もう一度言います。
センスとはこれまで経験してきた知識と経験の集積であるっていう考え方です。
もうこれがまさに、
センスって呼ばれるものを一番きれいに言語化してるんじゃないかなって個人的には思いました。
言語化をしている人の本を読むというのは僕はものすごく好きで、
茶能型の人の書籍ってすごく論理的だから、
分かりやすくていいなって個人的には思うんですけど、
この言葉にね、うわその通りで何も否定しようがないなって思ったんですよ。
皆さんはイメージできますかね。
センスってこれまでの人生の経験してきたことだったりとか、
やってきたこと、知識や経験の集積、つまり集まったもの、
それがセンスと呼ばれるもので出てくるっていう考え方なんですよ。
つまりこの言い方をさらにもうちょい抽象化させて言うと、
センスいいねあの人とかインスタ運用のところのセンスが出てるねってどういうことかというと、
たまたまできてるんじゃなくて、
これまでそういうインスタっていうものに、
これまで触れ合ってきている状態が長いからあるように見えるだけっていう考え方なんですよ。
今の意味わかります?
これまでインスタ運用とかショート動画とか、
そういうのに触れ合ってきているからこその、
できセンス度合いが高くなっているっていう考えができるわけです。
これって、実はインスタに限った話の言語化っていうわけではなくて、
例えばですね、よくあるのが音楽のセンスって言われたりするじゃないですか。
音楽的センスあるよねとか、
あの人音楽のセンスすごくないって言われることがあると思うんですけど、
音楽のセンスって言われるものもどう考えても、
これまでの人生経験の集積であるっていうのは間違いないと思っていて、
なぜかっていうと、平成の時代の楽曲と昭和の時代の楽曲と、
昭和の時代の楽曲であからさまに音楽のレベル感って異なってきているのを、
皆さんはね、さすがにご存知だと思います。
例えば今の昭和の時代を必見しているオフィシャルヒーダンディズムだったりとか、
ミセス・グリーンアップルとかの楽曲って、
頭がおかしいぐらい難しいじゃないですか。
どんな状態やねん。
あの人たち音楽のセンスやばいねってみんな言ってるんですけど、
あれって平成とか含めてこのご時世でものすごく難しい音楽スケールだったりとか、
06:04
音楽のことを経験してきてしまったからこそなせる技だし、
昭和の楽曲とか今更聞くと音の上下もないし、音の揺れ動きもないし、
意外とシンプルで歌いやすくて、もっと言ってしまえばカラオケで点が取りやすいって言われるんですね。
昭和の楽曲っていうのは。
なんでかっていうと、
その頃の音楽としての収穫っていうのが少なかったからってわけなんですよ。
ただ今の令和になった時代、
何もかもを使えるものだったりとか音楽のシンセサイザーとか含めての、
使える幅っていうのが増えた結果、
できる幅が広がり、
なんだかんだセンスとして出せる音楽のアウトプットが高くなっているっていうことなんですよ。
そして今それの影響もあってか、
小学生中学生でも音楽の才能にあふれる人がとてつもない王様になってるんですよ。
音楽センスやばい小中学生ってのがめちゃくちゃ増えたんですね。
例えば超有名なのはバンサンカとか歌った月さんとかもそうですけど、
もう才能あふれきっちゃってるじゃないですか。
アドさんとかもそうだけどね。
まだ10代とか20とかなのにとてつもないセンスを発揮している。
でもあのセンスって何でかっていうと、
ボカロ曲の台頭だったりとか、
この平成曲以上以降の超難しい音楽スケールのレベル感だったりとか、
なんだかんだ洗練されて強くなっていた音楽ってものにずっと振り合ってるから、
そのセンス才能っていうのが廃下されたっていう意味合いなんですよ。
だから今って令和のこの超絶難しい楽曲を聴きまくっている人間たちがいっぱいいるから、
結果センスにあふれるような小さい子供たちってのが音楽としてバリ増えたんですよ。
これの意味ってわかります?
つまり、センスいいねとかセンスとして出せるものとかのアウトプットレベルが上がっているっていう状況って、
これを言語化すると、これまで経験してきた、見てきたもの、感じてきたもの、やってきたものっていうもののレベル感の状況と上達によって、
見るネイティブだったりとか当たり前の基準値が上がった結果、センスが高くなっているっていう状況なんですよ。
だからインスタでも同じことが言えるんですね。
この人センスあるねみたいな人たちっていうのは、
簡単に言うとショート動画だったりとかリール動画のコンテンツだったりとかを見る、チェックするとか、
実際の撮影をするとかスマートフォンに慣れているとか、
そういうもののネイティブ度合いによってアウトプットできるセンスのレベルが変わってくるってことなんですよ。
簡単に言うと。
だから結局センスがあるねって思われている人ほど、
こういう今の現状のインスタっていうところに含まれる映像だったりとかコンテンツメイキングだったりとか、
日々の動画撮影とか写真撮影とか映えるために自分がどう映るかとかっていうのをネイティブ的に考えている人たちの世代がいるから、
09:01
そういう人たちのものを見ているからリール動画とかショート動画のコンテンツの質やセンスが高くなっているように見えているってことなんですよ。
この言語化結構僕綺麗にしたと思うので、
みんながこれは確かにその通りやって理解できてるかちょっとわからないんですけど、
本当にそういうことなんですよ。
つまり史上間の成熟がなかった頃っていうのは、そもそもショート動画っていうもの自体の見るっていう時代がなかったし、
出せるアウトプットレベルのものも高くなかったから、
僕らがリール動画っていうのが始まりました。
ちょうどインスタ運用、僕が運用開始した頃っていうのにリール動画っていうのがショート動画として追加されたんですよ。
リール動画がね、インスタに。
当時はTikTokしかなくて、TikTokも女の子のダンスしかなかったんですよ。
だから暮らし系のアカウントとかも含めてリール動画って全然みんな上手じゃなかったんですよ。
だからセンスがあるねっていう人の動画とかも2年前のコンテンツとか見ると別にそんな上手じゃないんですよ。
僕が7日間で5万フォロワー増やした時のバズったリール動画コンテンツとかもそうだし、
その頃からずっとやってる激有名インフルエンサーの方々の2年前とかの投稿とか見ても、
多分みなさんそんな上手だって思わないんですよ。
これ本当にそうです。みんなそんな上手だって思わないんですよ。
でも当時はそれがセンスがあるって言われてたんですよ。
よくそんな上手にリール動画作れるねって言われてたんですよ。
だけど今ってどうですか?
今のリール動画なんて、よく僕も言いますけどレベルが上がりすぎたんですよ。
全体の。
ショート動画っていうもののレベルが上がりすぎて、
画質もすげえ、テロップの入れ方もすごいとか見せ方も上手い。
でもそれこそセンスあるねっていうレベル感がセンスあるって状況が上がったんですね。
これは何でかっていうと今の原稿化している通り、
センスっていうのはこれまでやってきたことの経験や知識の集積だからなんですよ。
本来センスあるねっていうこの言葉自体で片付けていいんだったら、
昔も今も変わらないはずなんですよ。本来ね。
しかしそれの基準が変わってしまっている。
音楽的才能センスって呼ばれるものもどう考えても今変わってきている。
そして今インスタ運用とかこのインスタっていうSNSの市場感における部分でも、
明らかにこのセンスあるねっていう状況が変わってきた。
なんでかっていうとその今やショート動画というものを見て成長してきたとか、
ショート動画というものを見る文化が当たり前になった結果、
センスのある状況っていうのが高くなっているからっていうだけなんですよ。
つまりここから何が言いたいのかっていうと、
あの人リーグ動画作るの上手いなとか、あの人ショート動画写るの上手じゃん。
写真写りいいね。動画写り上手いじゃん。動画撮るの上手。動画作るの上手。
すごいセンスあるよね。やっぱりあの微妙なインスタで伸びるような感覚をつかんでいるのセンスあるよね。
12:01
って言って片付けている人たちっていうのは、その人たちが持っている裏の努力というか、
その知識と経験の集積に気づかず単語で片付けてしまっているっていうのは、
割ともったいなくねっていう話を今日はしたかったっていうことです。
ここまで結構遠回りして伝えてみたんですけど、皆さん伝わりましたかね。伝わってたら嬉しいんですけど。
つまりセンスって呼ばれるものは一言で片付けてしまうと、あいつセンスあるねで終わるんですけど、
実はセンスっていうのは、その人の努力や見てきた経験値だったりとか、やってきたものや持っている知見というもので、
同じセンスって呼ばれるものが生まれてくるっていうことなんですよ。
だから皆さんがあの人みたいには撮影できない。あの人はセンスがあるからだって言って片付けてしまう人たちは、
実はそういう人ほど誰よりもショート動画を見てるだろうし、誰よりも撮影をしてるだろうし、
誰よりもいろんなものをチェックしている可能性があるっていうことです。
ここに気づけるとやっぱり皆さんのイメージが変わるんじゃないかなと思います。
やはりですね、僕の知り合いとかでそれこそ20万人を超えるような、どっちかというと、
ワキワキ系の女性インフルエンサーとして発信運用している人たちとかっていうのもそうですけど、
この人絶対センスあるようになって周りからしたら思われるようなタイプなんですよ。
そう、だけどこだわりすごいですからね。ショート動画とか作る時の。
本当に例えばじゃあ仮に1個玄関から入りますっていうシーンを撮るにしても30から40回ぐらい撮り直すだったりとか、
自分が綺麗に映ってるってシーンをどのシーンの客観的視点であっても納得がいかなかったら何度でも撮影し直すみたいなことをやるタイプなんですよ。
リール動画とかの編集でも0.1コンマのこだわりを持ったりとか、大きさ、見せ方、テロップの入るタイミング、雰囲気の出し方、
みたいなところの超細かい部分にまで徹底的にこだわりを持っている人たちなんですね。
でも多分そのやっている努力やそのやっている過程とかが見えずに本番の1個の集積としての結果だけを見るから、
あの人センスあるねってなって思っちゃうんですね。
そう、てのがあるなって正直気がしてます。
だから本当にすごいなって人たちとか、本当に徹底してるとか、映像綺麗だな、リール動画うまいな、ショート動画やっぱりちゃんとやってるなって人ほど、
触れ合ってる時間とやってる時間とこだわりの時間が別次元にいるっていう風に僕は感じています。
それをセンスで片付けてはいけないと思っている。
だからインスタ運用におけるこのセンスって呼ばれるものは、
結局ショート動画をこれまでどれだけ見てきたかっていうことだったりとか、
普段からどういう視点でリール動画とかを見ているかっていうのももちろんそうだし、
そしてそれを実際に撮影する時とかも何度も何度も撮影にこだわりを持って何度も撮影をしたりとか、
何度も何度も何度も何度もこうやってリール動画コンテスト投稿したりとか、
15:02
その結果が才能やセンスとして表面上に現れているだけだっていうところが、
僕としてはすごい感じています。
こういうところかなっていうふうにすごい感じます。
そして皆さんからしたら僕という存在を見ていると、
ソウトさんって言語化のセンスありますよねってよく言われたりするんですよ。
これも全く同じ理由で片付けられるってことです。
僕も最初からこんな言語化できたわけではないし、
元々言語化は好きだけどひたすらそういうことを考え続けているというか、
やっぱりよく人と話す時とかもそうですけど、よく言われるんですよ。
なんでそんなにずっと言語化とか考えてるのって言われるぐらい、
多分僕の中では人の話を聞いたりとか、本を読んだりとか、何かしらのインプットを行った時に、
必ず外へのアウトプットするための言語化や、
次のネクストアクショントゥードゥを絶対に考える癖があるんですよ。
それをひたすら繰り返し続けているということと、
これまでどんな物事、どんな感覚、どんなことであっても、
絶対に言葉にしよう、絶対に言語化しよう。
自分の中でも言語化して、中小と舞台に落とそうという、
数学的理論でやっていこうということをやり続けてきたっていうのと、
ずっとそういうことを考えているっていうのと、
数学とか含めてバックボーンとして、
それで言語化するためのものっていうのを、
バックボーンとして持っているっていう、
その過去の知識、そして経験してきたこと、
この2つを繰り返してきたからこそ、
今、こうしていろんな人に対して、
センスと呼ばれる中小的な概念も言語化がある程度自分の中でできたりとか、
あとはこうやって人前とか含めて、
ライブ配信で台本なしでしゃべるっていうのも、
僕の昔から言っていた、
このボイシーっていうのをずっとやり続けてきた結果が、
センスという言葉で集積されるんじゃないかなと思うんですよね。
ここ直近で見ている人たちからしたら、
僕がこんな平気な顔してずっと何分も何分もしゃべっているの、
異常だっていうふうに思うかもしれないけど、
それも結局ずっとこうやってやり続けてきた結果、
それがセンスとして磨かれていっているという状況なだけってわけなんですね。
ほんとこれだけだから。
つまり皆さんが、私センスないからとか、
私インスタのセンスないから、
動画作るのセンスない、うまくないからとか、
こうやって言って、自分がセンスがないって言って、
そのセンスがあるように見えて、
実は頑張っている人たちの努力の否定でもあり、
自分を慰めるための言葉として、
センスって言葉を使ってはいけないというふうに思っているんですね。
個人的には。
それぐらいやはり、
インスタとか含めて向き合っている人たちの本気度はいって、
やっぱり皆さんが考えるものと比にならないぐらい上の土台で、
インフルエンサーという映像にこだわりを持ったりとか、
編集にこだわりを持っているので、
そこは皆さんも負けないぐらいやらないと、
センスって言葉で片付けてしまう、
18:01
諦め人間になってしまうと思っています。
ただ、僕のこういう放送を聞く人、
いつも言っているパラドックスなんですけど、
こういう放送を聞く人ほど、別にそういうことを思っていないパターンが多いんですけどね。
意外と積み上げてきたっていう、
僕という存在を見てきているからこそ、
センスとかってセンスじゃないよな、
やっぱり頑張っている人たちがいるんだろうな、
というところを思える人たちが揃っていると思うので、
そこはちょっとパラドックス的な要素なんですけど、
ただ、何度も伝えたいのが、
センスって呼ばれるものは、
本当にこれまでその人が人生経験をしてきた体験価値というものと、
そのジャンル領域における自分が感じたことのまとまり、
おはようございます。お願いします。
その収穫なんですよ。
その経験してきたもの、全ての体験してきた価値がまとまったものである。
それがセンス。
それがセンスとして表に出ていて、
その表面に見えているだけということなんですね。
これは忘れないでほしいなと思います。
全くその通りですね。
言い訳にしちゃいけないなと気が引き締まりました。
それはよかったです。本当に。
本当にそういうことなんですよ。
これが他の表現とかにおけるセンスだと思っています。
ぜひ覚えておいてほしいなというところですね。
センスという言葉で片付けられる単語とか片付けられる事象というものって、
いわゆる生まれながらにしてどうしようもないものという
普遍的なものにセンスという言葉を使わないんですよ、みんな。
どう頑張っても、たとえばどれだけ頑張っても
絶対に変えられない事実って存在するじゃないですか。
たとえば顔。かっこいい、かわいい、顔小さいとか
こういうものっていうのは本当に物理的に
整形しますとか美容、医療とかでボトックス打ちますとか
二重整形しますとか
それでも外からのメスを完全に入れない限りは
変化させることっていうのは無理じゃないですか。
それは努力じゃなくてそれはもうチートみたいなもんですからね。
インスタでいうフォロワーを買うみたいなもので
それは一旦話は置いておくんですけど
っていう世界線じゃないですか。
でもその人の顔とかを見て顔かわいい人とか
顔かっこいい人とかイケメンに出会った時に
センスあるねって言葉は絶対使わないでしょ。
人は普遍的なものとか必ずその生まれ育って
もうすでに絶対的に変えることのできない
普遍的なものに対して人はセンスって言葉を
使わないんですよ絶対に。
つまりセンスって言葉を仮に使っちゃってるってことは
その人が何かしらの影響外部影響とか
過去の影響度合いから変えることのできるものに対して
センスって言葉で片付けるんですね多くの人が
例えば筋肉とかであるじゃないですか
腹筋割れてるとかそういうのを見た時に
うわこの人やっぱりトレーニングとか含めて
筋トレのセンスあるよなーみたいな
さすがだよなーみたいな
継続のセンスあるよねとか僕言われますよね
継続のセンスとか
21:00
こういうのも全てそうなんですけど
結局それって何かしら外部影響だったりとか
これまでの過去の経験的要素で
いくらでも変更できることなんですよ
変えることのできること
それをセンスで片付けてしまうのはやはりもったいない
逆にセンスってものを言語化して
こういうことを考えられるってことは
今はこれはもうそうやって片付けるのは
もったいないって言い方をしていますけど
もっとこれを逆の表現をしたら
皆さんはセンスって磨けるってことなんですよ
簡単に言ったら
センスを磨くっていうのが
このまま同じ意味合いで言語化ができるんですね
センスを磨くっていうのは
つまり経験や知識の幅を増やしましょうっていうのが
センスの幅を磨く
センスを磨くってことなんですよ
いいですか
これめっちゃ大事ですよね
つまり知識や経験を増やすことが
あなたのセンスを増大させるんですよ
僕のところで言うと
知識や経験っていうのは
例えば知識で言うと
僕最近シェアラウンジ契約またしたので
そこのシェアラウンジ行ってるんですけど
本をめっちゃ読むんですね
シェアラウンジに本いっぱいあるんで
その本を読むことによって
今日のこの放送が出来上がってるわけなんですよ
その本で水野学さんのデザインの
デザインの言語化講義みたいなやつを読んだから
自分の中でデザインとかセンスとか
そもそもデザインっていうものも全然言語にできるし
それをロゴ一つのこの位置に
なんでこれ置いてるかっていう
そのデザインの位置感やったり
全ては言語化できるんだってことが話であって
それは決してセンスではないってことを言っていて
すごいなって思って
じゃあこれってインスタで受ける
インスタの文字の位置だったり
テロップの位置感だったりとか
表現とかっていうのも全部
言語化できるものであり
別にこれはセンスっていうのは
別に才能とかではないっていうところが
分かったみたいなのを
今ここで放送できてる
でもこれも次のネクストアクションに移して
自分の中で言語化した結果
この知識と経験
この知識が増えたから
今こうやって表に出せる
アウトプットのものが増えてるんですね
とか経験
例えば昔僕
ライブの
間違えてライブじゃない
ボーイシーの1年前ぐらいの放送で
バックナンバーの東京ドーム公演に行ったときに
バックナンバーのライブを見たときに
ファンカとは手に届きそうで届かない距離感である
っていう言語化をしたんですね
この放送も僕の中で自信作の一個なので
ぜひ聞いてほしいんですけど
バックナンバーの東京ドーム公演のライブに
去年行ったときに
家族と行ったんですけど
母がバックナンバーのファンクラブ入ってるんで
チケットが意味わからないぐらい
いい席に当たっちゃったんですね
バックナンバーの東京ドームの公演ライブなのに
アリーナ席の前から6列目みたいな
ふざけてんのかぐらい
すげー場所取れちゃったんですね
それが取れたときに
バックナンバーのライブでは
途中でサブステージの移動ってのがあったんですよ
そうすると一回東京ドームの
ここの通話のところ歩くんですね
歩くんですよ
24:00
めっちゃ近くまで来るんですね
それを見たときに僕が感じた言語化が
手に届きそうで届かない距離感
手に届きそうってのはどういうことかっていうと
別に井織さんとか清水井織とか
バックナンバーの人たちって
別になんだろうな
アーティストとして歌を歌ってる時とか
全国民の心を動かしたような
あの楽曲を歌ってる時は
圧倒的存在感と世界観を作ってるけど
歩いてるっていう時の移動の時
ただのおっさんだったんですよね
普通のおじさん
全然普通のおじさん
なのにみんなアリーナ席から
ずっと手伸ばして
井織さんみたいな感じでやってたんですね
内輪とか持って
みんなが通ってった後に
本当によかったみたいにみんな言ってるのを見て
これが本当にファンを作っていくんだと思ったんですね
別にファン化っていうのは
誰も届かないような
圧倒的な
なんだろうな
憧れ的存在が
人をファンにするんじゃなくて
なんか意外と近い距離感にあるんだけど
でも絶対に届かないような存在感っていうのが
本当の意味でファン化を作るんだなって思った
っていうものが
ありましたっていう話とか
これもさっき言った通り
こういう言語化と
僕の中で引き出しをこうやって増やしていってるだけなんですね
それからいろんな別のファン化の角度を考えていって
アイドル的ファン化や
インディーズバンドのファン化だったりとか
考えていったりとか
してその幅や経験知識や
伝えられるものを
どんどんどんどん増やしていってます
その結果
今の言語化っていうものを出せるとか
こういう場で
今みたいな引き出しを出せるって幅が増えていった結果
なんでそんなにいろいろ言語化できるんですかって言われるんですね
あとは
よく僕講座とか
コンサルティングする時に
いつもいろんな人から
いろんな人というか
コンサルをした相手から言われるのが
なんでそんな事例持ってるんですかって言われるんですね
なんでそんな特段調べずに
なんでそんないろんな人のアカウントの事例知ってるんですかって言われるんですけど
これも結局
ショート動画見まくってるからなんですよ
ショート動画見まくってるし
ありがたいことに講座生を見てると
講座生から伸びてるアカウントの視野があって
それの言語化もするとか
いろんなシナジーや相乗効果あるわけですけど
そうやっていろんな事例を知ってるし
いつも言ってる通り
僕は寝る2時間前とかに
だいたい2時間くらい
TikTokを見てから寝るって習慣を
ずーっとやってるので
ひたすらショート動画を見る習慣があるんですよ
そもそも
てのがあるから
ショート動画ってものに目が慣れてきてるし
いろんなものの事例を知ってるから
出せているっていうだけなんですね
だからこれも全部結局
センスと思われしものだったり
言語化って呼ばれるものとかも
全ては結局
僕がこれまで聞いてきた
この知識や経験の幅っていうものが
増えているというか
このインスタやSNS
ショート動画
そして経営論みたいな界隈では
多少皆さんよりも
いろんな経験をしているから
引き出しとして出せているだけであって
結局のところ
それがなかったら出せないんですよ
僕だって
ただあるから出せているだけ
っていう話なんですね
まとめると
本当にだからこそ
伝えたいのは
27:00
皆さんのこのインスタ運用とか
何かにおける
センスって呼ばれるもので
片付けちゃいけない
何事も
例えば
もう私
40代50代だから
インスタン行って
わかんなくて
センスが全くなくて
撮影のセンスがなくて
動画の編集のセンスがなくて
これまでキャップカットとか
使ったことないから
センスなくて
って言って
言い訳して片付けてませんかと
自分自身の現状だったりとか
自分自身の今置かれている
環境を理由にして
質の低い動画っていうものを
いいと思ってませんかと
質の低い動画
質の低い状態
質の低い状態でも
私はセンスがないから
っていう理由とか
環境を理由にして
適当にしていませんかと
こだわりを持ってていますか
センスって言葉で
自分や他人を片付けてませんかと
ここは
今一度
振り返ってほしいなと思います
そう
あなたはよく言うんですけど
インスタっていうこの市場とか
TikTokショート動画
全部そうですけど
この表に投稿する
っていう市場感に出た瞬間に
そんな人たちと
全く同じ土俵で
戦っているんですよ
同じ土俵で戦っている
自覚を持ってくださいと
なぜか
そういう他人の動画コンテンツを
見た時に
あの人はセンスがあるから
私はこんなに上手に
作れないって言って
センスで片付けて
自分自身のコンテンツを見る時には
自分のコンテンツと含めての
映像の撮影だったりとか
環境のせいにして
だけど
その状況下で
自分の方が
質の低い動画を
質の高い人たちが
いっぱい出して
100万再生を出している中に
質の低い自分の動画を出して
なぜか勝てる
伸びると思っている
普通にこうやって言語化したら
当たり前に自分が
ヤバいことを言っている
ってことに気づくはずなんですけど
ほとんどの
インスタとか運用する人は
気づいてないんですね
その事実に
自分が質の低い動画コンテンツを
出しててもしょうがないと
だって分かんないから
センスないから
って言って片付けて
だけど
敵は
そのセンスあるね
って言って片付けて
私この人みたいに
センスないから
って言って
諦めを作った
センスがある相手と
同じ土俵で戦っているんですよ
どうやって勝つ
って話ですよね
そう
無理なわけじゃないですか
そんな状況で
片付けてしまうと
無理なんですよ
だから経験しましょうと
センスってのは
さっき言った通り
経験すれば磨けるんですよ
だから僕いつも言うんですね
これまで
TikTok見たことない
インスタ見たことない
分かりましたと
じゃあ見てくださいと
好きになってくださいと
諦めて
ショート動画見まくってください
って言うのは
そういうことなんですよ
見ないとセンスなんて
磨かれないんだから
そう
で何度も言う通り
センスを磨くために
ショート動画とかを見たりとか
事例を集めるために
ショート動画を見るわけであって
リサーチだったりとかね
含めても
全部含めてそうですよ
リサーチや言語化や
そういうのを含めるために
インスタとか含めて
ショート動画を見るわけですね
だからパクるとか
引っ張られるとか
そういうために
動画を見るんじゃない
っていう
そう
っていう話なんですね
全ては
30:00
で最終
センスがない状況で諦めるから
他人のコンテンツを
パクるしかなくなると
そう
私にはセンスがないから
他の人の上手く言ってるものを
パクるしかないから
出て終わると
それで一巻の終わり
はいさよなら
みたいになっちゃったら
もう最悪なわけですね
だけど
さっき言った通り
何度もこの場でまとめて言いますけど
センスっていうのは
経験してきたことの集積なんだから
いくらでも高められるんですよ
そう
負けられる
負けないようにできるんですよ
それはね
それは皆さんが
僕よりも
ショート動画について
詳しくないなんて
逆に言ったら普通になるわけですよ
だってさっき言ったとおり
ショート動画ってものを
見てきてる年月とか
向き合ってる本気度合いとかが
全然ちゃうわけじゃないですか
ここ最近インスタ始めました
みたいな人とかで
これまで一般的なところに就職していて
みたいな仕事終わった後に
たまーに見るぐらいだったかな
って思ったけど
インスタ始めましたって人が
見るショート動画の知見と
ショート動画とかリール動画が
始まった段階から
ひたすら毎日リールばっかり見て
ずーっと見続けて
コンサルティングとかで
いろんなジャンルずっと見続けて
毎日夜2時間TikTok見続ける
2年間以上続けてきてる人間ですよ
一応こう見えても
その人間と同じ土俵で
ババーンつって
ショート動画について
つってやったら
僕の方がさすがに
詳しいに決まってるじゃないですか
っていうこういう話だけなんですよ
本当に
だから皆さんも
それに負けないぐらい
じゃあ後から始めたんだったら
後からでも勝てる
ランチェスター戦略とかが
あるぐらいだから
後発だったら勝てるように
それ以上に質の高いものとか
まとめられた
大器化されたものを見て
しっかりと勉強して
センスと呼ばれるものを
磨いていって
出せるショート動画の
コンテンツの実質を
高めていくと
そういう日々の習慣の
繰り返しみたいなものが
結局皆さんの本当の意味での
センスを高めて
コンテンツとしての
クオリティを高めて
価値提供できる幅を広げて
結果価値提供
そしてそこから
人生を変えていくための
発信というのが
できるんじゃないかな
というところを
今日のメッセージと
させてください
何度も言いますが
センスと呼ばれるもので
片付けないでください
センスというもので
人を片付けないでください
そういう人ほど
頑張っている
そういう人ほど
経験している
いろんなこと
というふうに
僕は感じています
なので
じゃあ努力しろよ
という話というよりかは
そんな努力の基準値なんても
上げちまえみたいなことを
よく言いますけど
シンプルに
できる幅だったりとか
やれることだったりとか
増やしましょうと
なんとかなるから
それをずっとやり続けること
それが結果
皆さんのショート動画の
センスを磨いていくんじゃないでしょうか
表現力
言語化
それも日々やり続ける
頑張って言語をしようとする
訓練をするから
できるようになってくる
本当それだけだから
頑張ろう
というところが
今日皆様に伝えたい
メッセージでございました
少しでも皆様の中で
お気づきのある点があれば
幸いです
はい
じゃあ一旦録音の方を
終わりにしますので
アーカイブで聞いている方は
ぜひですね
毎朝8時台に
ライブしているので
33:00
よければお越しくださいませ
はい
このように
僕のチャンネルでは
フォロワー数1万人以上
たくさん配信したり
フォロワー1万5万10万
そして
20万人を超えるような
インフルエンサーの
マネタイズのサポートをしたり
メンズ美容さんの
フランチャイズオーナーとして
僕にしか話せないような
一時情報をどんどん
皆様に向けて
アウトプットしておりますので
今日の話が少しでも
参考になったなと
確かにセンスって
そういうことか
というふうに思った方は
ぜひいいねのほど
お願いいたします
また
ボイスは拡散性のない
プラットフォームでございます
だからこそ皆様が
心優しくね
こいつ面白えとか
こいつなんか一生懸命
頑張っているというふうに
拡散してくれること
それが
僕の心からの
助けになりますので
引き続きよろしく
お願いいたします
最後にお知らせを
させてください
2点ほどあります
1点目が
8月17日
講演会を行います
はい
8月17日
東京渋谷のほうで
オフライン講演会のほど
行いますので
13時から14時という形で
行います
ぜひお盆休みが
終わったぐらいかな
もしくは
休みかなと思いますので
休みで暇があるとか
せっかくなら
僕とオフで
直接話したいとか
人がいらっしゃいましたら
ぜひお越しくださいませ
また
オンラインのほうも
ございますので
オンラインも同じチケットで
購入できますので
概要欄とかのほうに
チケットのほうは
ございますので
ぜひ
オンラインのほうも
購入できますので
ぜひ
概要欄とかのほうに
チケットのほうは
ございますので
ぜひチェックのほうを
よろしく
お願いいたします
はい
もう1点の
お知らせが
今週の土曜日か
日曜日
明日か
明後日の
どちらかで
ワンちゃん
今ちょっと編集の
細かい部分の
調整途中なので
日曜日になるかな
と思いますね
いよいよ
10時間
10時間では
ないですね
6時間超えの
気持ち悪いぐらい長い
最新版
完全版のコンテンツを
ついに
タイミングが来た
と思っています
本気で
本気のものを
作ったので
ぜひ皆様に
少しでもお届けできるのが
怖いですが
楽しみにしています
ぜひ
見ていただいて
感想をいただけますと
幸いですので
お願いいたします
はい
あとあれだ
もう1個だけ
お知らせをさせてください
現在ですね
インスタグラムの
ストーリーズ
インスタグラム攻略アカウントの
ストーリーズのほうで
売上を高める
高めようとしないことが
売上を上げることである
っていうことを
テーマに
ちょっと
10分間くらい
動画で言語化したものを
チャットボットを
使っているんですけど
反応してくれた人に
配っています
はい
そちらはですね
実際にこういう場で
話していないとか
YouTubeに上げるつもりもない
その場で
喋ったコンテンツなので
今コメントした人
限定で受け取れる
コンテンツとなっていますので
よければ
コメントして
受け取っていただけますと
幸いです
すみません
いろいろもろもろ
宣伝のほうが
長くなってしまいました
それではまた
次回の放送で
お会いしましょう
センスとは
これまでの知識や経験を
集積した言語化であること
人をセンスがよかったら
片付けず
自分のセンスを
磨く習慣をつける
今日も一日で
頑張っていきましょう
以上 総裁でした
35:56

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