オフ会の経験とテーマの導入
どうも、ソウタです。
ライブ限定クーポンも、現在コメント欄および概要欄の方に貼ってあります。
そちら、ソウフでソウタのAIボットも追加で無料プレゼント。
最強の得点は、詳細概要欄からチェックしてください。
てことで、今回のテーマはですね、
ただのものじゃない、あなたの人生を彩る形ある物語と美しさ。
というね、相変わらず僕の台本ビール作成ボットちゃんはね、
毎度講座席だけに配ってらっしゃるんですけど、
こいつは素晴らしいタイトルを作ってくるんですが、
今回はですね、シンプルに言うと、形あるからこそ美しいみたいな、
そこについて、すっげえ抽象化されたテーマなんですけど、
諸々話していければいいのかなと思っています。
このテーマにした理由がですね、大きくは2つほどあります。
1つ目が、先日ですね、僕の講座席で、
限定の講座席のオフ会ですね、東京オフ会を開催させていただきまして、
参加していただいた方、来てくださった方々、本当にありがとうございました。
非常に楽しい時間で、さらにラストカラオケで終わるっていうね、
オフ会としてはなかなかすごい感じになったんですけど、
がっつり話して、それでオフ会の中で、形ある、何か無を有にするっていうものって、
1つ面白みがあるっていう概念をちょっと話したりしたので、
そこをより抽象化させて話そうかなっていうふうに思っているのと、
そこからイカれてるわって思われたらもうそこまでなんですけど、
昨日とかって12時くらいからオフ会をやりましてですね、
10時までオフ会をした後に、そこから事業メンバーと集まって、
深夜の2時くらいまで仕事をして、いろいろ、ここからの施策とかどうしていこうかとか、
その人の、一緒にやってる人の悩みを聞くっていう、深夜2時くらいまでそれをしまして、
いい話できたなって思って、アドレナリンと自分の頭の思考が回転が回りすぎて、
1ミリも眠れないっていう、眠くならないっていう事象が起きたんで、
いっそのことグラスハート全部見てやるっつって、
朝の4時、4時くらいまでグラスハートを見てたっていう、
朝の4時まで、6、7、8、9、10みたいな感じで全部見終わりまして、
非常に感銘を受けて、そして2時間くらい寝て朝6時に起きて朝活をして今っていう、
お前はバカなのかって言われたらどうしようもないような生活をしたので、
さすがに今日は空き時間、ちゃんと昼寝しようと思ってますが、
でもそのおかげさまで今日のこの話に至るので、まあいいでしょうということで、
もう1個そのグラスハートというものを見た中で感じた、
なんかその形ある物語としてのその美しさってやっぱあるよなっていうか、
音というもの、音というものに形を作ることによってそこに美しさが乗るっていうそこと、
おふかの中で無を優位にするっていうものの美しさ、
まあその2点についてはね非常に感じたので、
そこを深く織り混ぜながら皆様にお届けできたらいいのかなと思ってますので、
本日も良ければ最後までお付き合いください。よろしくお願いいたします。
グラスハートの美しさ
はいということで早速本題の方に入っていくんですけど、
グラスハートっていうものを10話見た上での全体としての感想は、
やはりですね、なんかその物語云々は一旦置いておいて、
なんかその一つの作品として、
なんかそのグラスハートという中身ではなく、
グラスハートと呼ばれるその一つの作品として形が残っているものの美しさとやら、
美しさがあまりにも感性されすぎてるなと思ったんですね。
改めて佐藤武っていう存在がすごすぎるなっていうことがなんか一つあったのと、
まあやっぱそのなんかコンテンツ単体1話1話がどうだったかだったりとか、
なんかそこのキャラの恋愛がどうだったとか、曲がどうだったもちろん色々あるんですけど、
そこを一旦差し置いてそのグラスハートと呼ばれるその一つの作品、
グラスハートというものとして総括された一つの作品として、
あまりにも美しすぎると思ったんですよ。
なんかもう尊敬の意義を超えるぐらい、
なんかやっぱ一つ一番一番に明確な意味を持っているし、
明確になんか期待を裏切っていくっていうこの感じ、
一つ一つのところにある意味曲として、
そのちゃんとこの曲はこのタイミングであるべきだろうっていうところで、
ちゃんと作られた曲が流れたりとかするし歌ったりするし、
その一つの作品として出来上がっているこの感覚、
それがあまりにも美しすぎると思ったんですよ。
やっぱこれって音楽っていう音だったりとか、
物語とか含めての一つの人生っていう、
一つの作られた集合体の本来無であるものを、
一つの作品として言うあるものとして捉え直すことによって、
そこに美しさが生まれるんだなって思ったんですよ。
意味わかります?
つまりその単体単体で見てたりとか、
その一つの一辞書みたいな感じで見てたときは何だ形もないし、
それはそれ個々の問題点になっていくんですけど、
それが形あって終わりあるようなものの一つの作品として、
大きくメタで見たときとか、
一話というものをメタ的に見たときに、
形に残ることによる美しさがあまりにも洗練されていたと思ったんですね。
どっちかというと僕はグラスハートはそこがすごいと思った。
全体としてその音楽というものや、
その物語という本来無である世界規制を言うとして捉えて、
10話の中に完璧なシナリオとして埋め込まれて、
そこに優の概念を植え付けたことによって人を感動させるし、
そこに適切な言葉、適切な物語、適切な楽曲というものがマッチングして、
大きな物語を作ったんですよね。
そこにあまりにも、さっきからずっと言って、
その良さ、美しさを感じてしまった。
10話なんて、
すべての9話までの作った伏線とその物語が、
1つのライブというもの。
ネタバレにならない程度で言うと、
10話ってライブしかしないんですよ。
10話ってライブするんですよ。
1話かけてライブしかしないです。
曲歌ってますずっと。
なんだけど、その10話にある物語1つ1つや楽曲1つ1つが、
そのグラスハートという作品1つ1つを思い出させてくれるし、
その楽曲、その出てくる人物、そこの描写1個が、
これまでの話をすべて踏襲していって、
ライブなのにちゃんと僕らに物語を作らせたんですよ。
しかもライブっていうものも一辞書で見たら面白いものであるけど、
作品として全体を捉えた時には、
面白い理由の存在として美しさが出てきますよね。
楽曲とかそこで含めた1つ1つは良さがあって、
そこにも物語が作られるし、
ライブという1つのシナリオにも物語が作られるっていう、
ここに形ある物としての美しさってすごいあるなっていう風に感じたんです。
音楽と物語の再定義
これが僕らインスタグラマーは、
ある意味作っていけたらすげー理想的だなって思っていて、
僕らは無であるものを言うとして捉えて、
そこに意味を作ることっていうのができるんですよ。
だから例えば皆様の、
これはオフ会で何人かにアドバイスした内容でもあるんですけど、
あなたの物語に1つテーマをつけるとしたら何になりますかと。
あなたの人生、あなたの生きてきた幼少期とか含めての、
1つ1つのところにシナリオとして本の小説のタイトルをつけるなら、
何と書きますか。
そこに無から有を作るっていうものがあり、
そこに有を作り、そしてそこに意味を持たせることで、
美しさって生まれるんだなって思ったんですね。
自分の人生というものはこうであったと。
ここからここまでのところはこういう物語であったという風に、
1つ無を有にすることによってそこに意味合いが作られて、
そしてそこに見る人聞く人を心を動かせる美しさというものが
再定義されるっていう言い方ですかね。
そこに僕はすごい本当の意味で、
これか、人の心を動かすものっていうのは
実はそういう場所にあるんじゃないかなって思ったんですよ。
人はある意味人間ホモサピエンスの良さっていうのは、
後付けでも何でもいいから物語という過去の事象に
意味を作ることができるんですよ。
これって結構すごいことだと思っていて、
つまり何でもない毎日のその1日にテーマを付けることによって、
それに後から意味書きを書き換えて、そこに意味を付けることができる。
そしてそれは意味を付けることによって、
一見したら何らかしらないように見えてる出来事や経験であったとしても、
そこに形を作り、そこに美しさを持たせることができるということなんですね。
僕の毎日のライブ配信とかにも、
ライブ配信としてのテーマや物語シナリオ、
それを作ることによって、それに意味が作られるんですよ。
オッカイはこうであったというものに1つテーマを付けることで、
さらにそこに美しさや本当の意味で共感されるシナリオや、
新しい物語というものが作られていく。
ここに僕は何よりもの価値、何よりもの変化というものがあるし、
そこをこだわり続けていくというのが、
コンテンツクリエイターとしての良さ、本当の意味での、
が隠されているんじゃないかなというふうにちょっと思ったんですね。
それを強くグラスハートという作品からすごく感銘、インスピレーションを受けたなという感じがします。
純粋にグラスハートは前回のところでもお伝えした通りなんですが、
本当にインスタグラマーとか僕ら発信者が見失ったものを再発見する作品だなというのは1つ感じています。
コンテンツというものとか、物の作品というものが売れるために何かをするよりも、
僕らの生きた価値だったりとか、圧倒的こだわりを証明する、
本当に大切なものを示すために自分のこだわりを捨てないことの良さ、
そして音とかその人の全身全霊とか全力というものを投影することだけが、
人の心を動かすということの価値というものを改めて強く訴えかけてくれる作品なのは間違いないです。
それを音楽というもの、音楽とドラマというこの2つの側面からそれを丁寧に僕らに訴えてくれます。
お前らの本気で生きているのかと、全力で何かを奏でているのかと、
お前らの音や音楽は本気であるのかと言ってくる。
そこにこだわりがあるのかと。
というものに佐藤たけるとか含めての演者さんたちの全力、人生かけているというものや、
そこに出てくる楽曲一つ一つに、ある意味音楽というものに命が吹き込まれてるなと思ったんですね。
次の辺に入っていくんですけど、音というこの音楽というもの、
昨日最後にカラオケに行った話をしましたけど、
音や音楽というものにも間違いなく後からつける意味合いが存在すると僕は思っていて、
本来音というものって世の中の生活で聞こえる生活音全ては音なんですよ。
当たり前ですね。めちゃくちゃ当たり前なこと言いましたね。
でもこれ結構皆さん重要なことだというのを思ってほしくて、
例えばうちの母親って絶対音科を持っているので、
うちの母って全ての生活音が楽譜のように音符で入ってくるということをずっと昔から言っていて、
すげえなって感じたんですけど、実際そうなんですよね。
だから全て何フラットとかCシャープとかみたいな感じで全然言えるんですよ。
すげえなと思うんですけど、僕みたいな相対音感型の人はそういうふうには捉えられないので。
でもつまり何が言いたいかというと、音というもの自体には一見何ら価値性ってないんですよ。
だってこうやって、これも音じゃないですか。
今のこの叩いた音に何の意味があるかって言ったら何の意味もないですよね。
これなんか変に叩いて隣の人が反応したら嫌なんてあんましやんないですけど、
これ何の意味もないんですよ。
でもこの音っていうこれをいくつもいくつも連なったりとか、
そこに複雑なものを刻み込んだりとか、
そこにギター、ボーカル、ギター、ベース、ドラムとかドラムのリズムだったりとか、
このリズムというものとかを作ることによって、
そこに一つの音だったのにリズムという概念が入ることで、
もう一個意味を持ちますよね。
っていうものって何かしらの意図が存在したりしてますよね。
意味を作ることができる。
音楽と言葉の意味
そしてさらに通常の音というものに対して、
言葉という、僕らがアイウエオという表現をするこの言葉というものとして、
もう一個さらに意味を持たせることができる。
そして単語、小説、単語1小説、そしてそれが1楽曲、
そしてそこにメッゾピアノ、ピアノとかピアニッシモとかフォルテとかみたいな、
このような強弱と呼ばれるものを作ったりとか、
フォール、しゃくり、こぶしだったりとか、
さまざまな表現というものを作ることによって、
さらにそこに意味を持たせることができるんですね。
こうやって一つの本来だったら何の活性もない、
ただの事象としてしか存在しないものに、
僕らはこれだけ複雑なものを詰め込むことによって、
大きな意味を作ることができるんですよ。
これってすごく重要な考え方だと思うんですね。
意味わかります?僕の伝えたいこと。
すげえ抽象的に言ってるんですけど、
インスタグラムの投稿も一緒だよってことを僕は言いたいんですね。
だからただの一つの、
いいんでしょ、動画撮ってそれっぽいことテロップで書いて、
それっぽい感じに音楽つければいいんでしょって言ってるので、
曲作るのなんか簡単じゃんみたいな。
だってドレミとか適当に入れて歌詞それっぽいこと書いて、
とりあえず弾いてればいいじゃん、曲じゃん。
言ってるのと一緒ってことですね。
そこに意味があるか、物語があるか、美しさがあるかっていうとないですよね。
そこに絶対なこだわり。
そして声というものにも、
この同じあいうえおっていうものだったりとかにも、
感情というものを入れたり、強弱、表現、声のいびき、声色だったり、
様々なものを入れて一つの表現というものになって、
曲っていうのには一つの大きな意味が作られていきますよね。
それが人の心を震わせ、感動させ、涙させ、聞いてよかったと感じさせ、
そこに映像というさらに世界線が組み込まれて、
ミュージックビデオというものが織りなったりとか、
ライブ映像というものが作られたりとか。
そして人の心を動かし、本当の意味で感動させ、熱狂させると思うんですね。
これが僕らの価値。
つまり本来何もないような、ただの概念でしかないような、
こういうただの概念の存在っていうこれに、
僕ら人間はめちゃくちゃな意味を作り出して、
そこにYouの美しさを作ることができるんですよ。
これってすごいことじゃねっていうことをグラスハートからめちゃめちゃ考えたってことです。
僕は個人的に。
改めてすげーなこれって。
無でしかないこういうような世界を、
こんだけYouのものに変えて、
大きく僕らを心を動かして感動させるってすごい。
そして僕らインスタグラマーとかSNSのコンテンツクリエーターは、
この概念と同じことをやっていかなければいけないんだなって強く感じたんですね。
そのような意識で僕らはコンテンツと向き合えているか、
そのような意識で僕らは投稿コンテンツを作れているかと、
日々命を吹き込んでいるかと、
僕の場合だと朝のライブ配信とか、
そして定期的に出しているYouTube、
これらを僕は命を本気で吹き込めているかと、
本気で自分の伝えたいことに意味を持たせているかと。
そうっていうふうに僕は改めて解いたっていう感じですね。
そこにすごい考えた作品でしたね。
だからドラマも見ちゃったら余計また頭が回転するっていう、
本末戦闘のオチだったんですけど、
さすがに寝ずに自分の体の限界が来て寝れたんですけど、
コンテンツの価値
たまにこうなるんでよくないですよね。
本気で頭の回転が回りすぎるときって本当に寝れなくなるんで、
皆さん気をつけた方がいいですよ。
それっぽいじゃダメ。自分の経験に意味を持たせる。
本当にそれだと思います。そういうこと。
自分には何もないって言ってる人って、
何もないわけないんですよ。これはよく言うんですけど。
ただ自分という人生の物語に意味をつけてないだけ、
作っていないだけ、そこに物語と美しさを彩ってないだけなんですよ。
どんな人にもその人生の物語という小説だったりとか、
そこにある音楽ですよね。
音楽のようなものですよ。僕らの人生というものは。
その音楽にタイトルや意味や表現力だったりとか、
コワイロだったりとかの理由を作ってないから、
ないように感じてるだけであって、理由を作れば絶対にその人の人生には
意味があると僕は思ってるんですね。
そこには人の心を感動させたり動かすための理由の存在は絶対にある。
それをもっと突き詰めた方がいいし、もっとそれを作っていった方がいいし、
もっとそれを伝えていく。
そんな人が増えたら、もっとインスタってよくなるんじゃない?
SNSってよくなるんじゃないかなって思うんですよね。
しかもこの作る物語っていうものにも、
悲しいことにこのインスタ業界とかでは、
それを悪用する人たちもたくさんいます。
極端にもったりとか、ここに意味を持たせるものを強烈なお金稼ぎだったりとか、
とにかく夢を見せてしまうだけの使い方をしたりとか、
極端論論で引っ張ったりとか。
でもそんなことしなくたって、美しさと心を動かす浄土っていうのがあれば、
それは伝えるべく人には伝わると思うし、刺さると思うんですよ。
それってすごく意味があるし、大切なことなんじゃないかなという風に僕は感じるんですね。
僕も、いわゆる日々のライブ配信だったりとかって、
めちゃめちゃ真っすぐ受けするようなことを言ってるかというと、
そうじゃないと思うんですよ。
結構リアリスティックだし、すごく小難しいことをこうやってちまちめ言ってるし、
好かれるかというと分からないですけど、
でもこのこだわりや、一個一個のライブには僕は自分の人生が載っていると思っている。
この毎日の。
その前日に起こった自分というものをアウトプットするっていう記憶が、
僕の毎日として刻まれ続けているものだから、僕にとっては大きな意味があるんですよ。
そこのところを聞いて心震わされる人が、
これを聞いている視聴者とかリスナーさんの皆様の中で、
一人でもいたらいいなって思いで日々やり続けることができる。
これってそれ自体に意味があると思うし、
僕はそれ自体が美しさがあるってこと。
そう、だなってすごく感じますね。
伝えることは決まったので、あとは伝え方。
伝わらなければ伝えていないと同じ。
頑張ります。
そう、まさにです。
伝えなかったら伝わってなかったら伝えていない。
本当に一緒ですからね。
だからこそ、それを伝えるための手段として、
この物語として自分をもう一度描いてみるっていうものにはすごく価値があるし意味があると思っています。
だからぜひ皆さんね、今日の話を聞いて、
難しい概念で捉えすぎなくてよくて、
とにかく無を有にするっていうものって、
すごく意味がある。
心を込めることの意味っていうものがすごくあると思うから、
そこのこだわりを持って、
自分のアカウントは自分の大切な楽曲だと思って、
自己表現の重要性
でもいいですよ。
どんな捉え方でもいいので、
そこに美しさを求めて、
何かやってほしいなって思います。
ガセで投稿作っちゃって反省してるところに耐え無理でした。
ちゃんと心を込めないとダメですね。
本当はそうであってほしいなって思います。
僕らインスタグラマーはそうであるからこそ美しいと思います。
ビジネスビジネスしててもいいんですけど、
そこに自分がいなかったら、
それは自分であって自分でない存在になってしまう。
それは本当にその人のためなのかいいものなのかは、
僕は素直にうんとは言えない。
だからその人にとっての最大限の価値のあるものを作るために、
僕は伝えられることを伝えていきたいなと、
これからも思ってますので、
引き続きよろしくお願いいたします。
いい感じかな。