言葉の解像度を上げる
言葉というものを本気で人の心に届くように書いていくための思考法についてですね、お話しできればと思いますので、本日もよろしくお願いいたします。
じゃあ早速録音開始してやっちゃっていきましょう。
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はい、ということで今回はですね、その言葉本当に届いているか、薄っぺらい情報を人の心に震わす言葉に変えるための思考法について、
かっこいいテーマですね、またお話をしていければと思います。
多くの人がですね、ありがとうとか、感謝しているとか、分かりました、承知しました、理解しました、使えますね。
おはようございます。こういう言葉、みんな大好きですね、この言葉。
ですが、本当にその言葉届いてますか?
って言われた時に、届いてますと言える人って少ない。
そしてこれが結果的にインスタグラムとかSNSのリールとか、普段の発信とか普段の言葉ってところで、
その言葉薄っぺらくね、その言葉本当にちゃんと心からの思いで言ってるのか、みたいな。
そこがイエスと言えない。
正直言って、本当の意味で理解とか本当の意味での負に落ちたりとか、
本当の意味合いでその言葉を使えてるか、伝えてるかっていうと届けられてない。
結果、テロップも台本もアフレコも全部薄っぺらいと感じてしまうんじゃないかなと思っているんですね。
なので今回は、もっと自分の伝えたいことをしっかりと深掘って、自分の思考法に変えていただく。
そのための思考法についてですね、お話できればと思うので、よければ最後までお付き合いくださいませ。
多くの人が言葉を、よく僕が言うのが、言葉を抽象的にすればするほど、その気になってしまうっていうのがめちゃくちゃな問題だと思うんですね。
よく言葉の解像度を上げるって僕はこれの言い方をするんですけど、解像度がめちゃめちゃ荒い人ってすごくたくさんいらっしゃるんじゃないかなと思うんですね。
解像度が荒くて、そのメガネ、本当のその見るべきフィルターが適切に見えてない状態。
もっと綺麗なレンズを通して見なければいけないものをレンズがない状態で見てしまっているパターンっていうのが非常に多いのではないかなと僕は思っています。
例えばよくある事例が、悲しいとか、うざいとか。うざいはさすがにちょっと口悪いですね。悲しいとか、悔しいとか、何が、忙しいとか。忙しいって何ってことですね。
何がどうあったら忙しいんですかみたいな。何をどう言ったら悔しいんですか。そこを解像度を上げていかなければいけない。その解像度を上げつつもみんなが伝わるような表現で相手に届けてあげること。
それがコンテンツみたいなところで、相手により深いものとか大きな本気の意味合いとかをしっかりと届けるための大切な思考法になってくるわけですね。
感情を深く伝える重要性
例えば、どう悔しかったのとか言った時に、僕がよく言う簡単な事例は、コップの水があふれそうになるくらい悔しさがこみ上げてきた。
というだけでも、悔しさの総量というのが相手に伝わるようになってきますよね。
何が嬉しかったの?どう嬉しかったの?何が理解できなかったの?どうして?
こういうものの解像度をできるだけ上げていく練習というのを、とにかく普段の日常生活からしてほしいんですね。
なぜリール台本が薄っぺらくなるのか。なぜリールの言葉、アフレコが浅く聞こえるのか。なぜ人の共感を呼べないのか。
そこは、言葉の解像度というものが荒い。
言葉の解像度が荒い人って何があるかというと、メンタルコントロール力が結構弱い人が多いですね。
言葉の解像度が荒い人に共通しているのは、メンタルコントロールできていない人が多いです。
なぜかというと、等しく悔しいは悔しいし、等しく悲しいは悲しいになっちゃうからですね。
今の自分の悲しさがどれくらいかとか、どう悲しいのかとか、どういう理屈でとかっていうその悲しさがないから、
彼氏とか彼女に振られた奥さんに怒られた旦那さんからなんかひどいこと言われた時の悲しさと、
ちょっと日常的に嫌なことがあったなんとなくさりげない悲しさも全部悲しいになっちゃって、
同じ感情になってしまう。結果コントロールできない。
その結果、その時のエピソードトークの悲しいの感情を伝える時にも、悲しかったんだよね、その時。
悲しい。何が?みたいな。ってなってしまう。結果伝わらない。
それはあなただけだよね。結局あなたが勝手にそう思ってるだけですよね。
それってあなたの感想ですよね。になっちゃうわけですよ。
で、なってたらそれは言葉に届いてないし、さっきの薄っぺらい情報になってしまうわけですね。薄い。
結局本気でいいと思ってる。せっかく伝えようと思って表現してるのに薄っぺらく、
フィードバックの価値
奥に共感が得られない。そんな悲しい内容で終わってしまうわけですね。
それって嫌じゃね?って思うんですよ。
それって意味ないというか、そうしたいわけじゃないじゃないですか、僕らっていうのは。
そうじゃなくて、しっかりと相手と僕らを、なんだろうな、かっこよく言うとシンパシーをつなげる。
共鳴し合うみたいなね。心が勝手に共鳴し合う状態にするわけですね。
シンクロニシティが必要なわけですよ。過去のボーイシティ聞いてください。シンクロニシティについては。
心が勝手に共鳴し合わないといけないですね。
心が共鳴するっていうのも、意見合うねっていうよりも、
マジで心共鳴してるわ、すごくね?って言った方が、良さというか深さが出ますよね。
こうやって人の心とかに対して感情に震わすような言葉として解像度を上げていくためには、
やっぱり自分の感情とか自分の普段の表現というものは、
自分しかわかんねんじゃねっていうものにしないことですね。
相手でも捉えられるような言葉になっているか、相手でもそれは視点として持てるような情報になっているのか、
っていうのは常に見直したり見返したりして、考えたりとか向き合っていくって必要が僕はめっちゃあるんじゃねっていうふうに思っています。
しかしほとんどの人がそこについて考えなかったりとか、
なんか適当曖昧になってしまったりとか、
それっぽい表現で止めてしまう結果、感情を適切に伝えることができない。
自分の思っていることや、自分の伝えたいアサーションというものができないんですね。
とにかくアサーションができない。
自分はこうこうこう思ってるからこういう感情なんだよってどう思ってるのができないまま、
自分しか理解できない、他人だと理解できない。
だから何度もこうこうこうだって言ってるでしょ、なんでわからないのって言われても、
なんで相手がわかんなかったのかを考えてなかったりとか、その場の一時の感情にぶちまけてるし、
その時の自分の感情も何の感情だったのかが理解できないから再現もできない。
再現というかその反省もできないし、次の変化もできないしみたいな、
そういう風なオチになってしまうわけですね。
嫌じゃないですか、もったいないじゃないですか。
そういうことよりもやっぱり、じゃあどういう感情だったんだろうとか、
その上で相手に伝えられるように、相手が知ったり聞いたりしたら、
ああそういうことだったんだねと思ってくれるようになるには、
どういう思考とかどういう思いとかをしっかりと相手に伝えてあげればいいんだろう
ってところを何度も振り返っていただいて、
こういうふうに言ってあげたほうがいいな、こういう風に言ったら相手がどう思うんだろうか、
相手にこうやって伝えたらこうやって感じるんだとかをひたすらフィードバックされ続ける。
ひたすらにフィードバックフィードバックフィードバックフィードバックフィードバックって言って
まあ仲良い人でもいいですし家族でもいいですしね 旦那さん奥さんでもいいと思いますし友達とかでもいいと思うけど
エピソードを話してどう感じたどういうエピソードの取れられたかっていうのをしたした フィードバックもらえながらどうやって言ったらもっと伝わるだろうひたすら考え
続けるっていうのが めちゃ大事なんですよねうん
そう 扱う言葉が大枠すぎたかもこれは自分のことだ自分の中でしか理解できないバード
を選んだいやあまり考えてなかったんだ相手のことまで反省 素晴らしいですねそうまあそういうこと結局
相手がどこまでわかってるかっていうことをちゃんとフィードバックする環境フィードバック してもらう環境っていうのはめっちゃめちゃ必要なんですね
そう これがねない人が多いんですよ僕だって人生の中で
相手が自分の言葉のエピソードを聞いてどう感じたかっていうことを フィードバックしてもらう機会って実はめっちゃ少ないですね
思いません 全然ないでしょそういう経験したことありますかっていうふうに聞かれたら
はいありますとめっちゃよく言われましたって人って意外と少ないですよ 女の子同士のあの会話なんて学生時代でわかるとそれなしかなかったわけですよ
そう で今だと死ぬ死ぬかよだが死ぬとか言ってるだけになっちゃうわけですねそう
ってなっちゃって結局相手に何がどう伝わっててどう感じたかっていうフィードバックが 来ないわけですよ
だし社会人になってしまったらそんなもの関係ない理不尽の理不尽の嵐にあるわけですね そう知るかと
ダメだもうダメだみたいな感じになっちゃってどう相手が捉えてるかっていうのも ちゃんとそういうのを捉えられる機会はないと
そう だけど sns 発信てそれがフォロワーとか再生数とか
共感とフィードバックの重要性
インプレッション数にも影響するわけですねそう 私にとってこれめっちゃ泣けるこう共感できるエピソードにしたんですけど全然共感され
ませんでしたっていうまあ 市場の市場の反応でするかわかるわけですね
そう どうか
あとはまあ講座入っている人とかじゃったらその生徒からどう感じたかとか どう思ったかとかどう捉えたかっていうものを適切にフィードバックしてもらえたりとか
そうだよねここもっとこういうこと言った方がよりわかりやすいかもしれないっていう気づき を得たりとか
でもそれを同じ理解の位置で壁打ちし合えるわけですねそう やった時になんか自分はすべて分かったつもりで
って相手に話してても例えば相手のエピソードを聞いた時に意外と相手のそのエピソード 全然わかんないなと思うことってありません例えばそう
それを自分もやってしまっているということですね他人にもそういうことに気づけたり とかしてあれみたいな実は自分も伝えるときに意外と
あのわからない相手にとって共感されるとかわかるあるあるみたいな感じな程度でしか 分かられてなかったんじゃないかってなってもっとこう泣けるこう心をえぐられるような共感される
エピソードですねどうしたらいいかをちゃんと考えていくみたいなそう っていうところが必要になってくるし
そう今のしあのちーこさんのコメントの通りで大人になればなるほど言われないし子供 にもそのようなことを丁寧に伝えられては少ないのかもしれません
そうなんですよこれねあの教わらないし 大人になったらそれを指摘してくれる人すらいないんですね
そう これが大問題で指摘してくれる人すらいないっていう
これがまあぶっちゃけの正直なあのところじゃないですか 誰も指摘してもらえない誰もそれについて言ってくれないから
なんか自分がダメなのかとかあってのが正しいのかとか 自分がどんぐらいまでそれについて理解しているのかとかを
適切に把握できないわけですねそう これが大きな問題点だと思っていて
理解を深めるための方法
あの結果 それっぽい言葉で処理しようとしているだけみたいな
これ結構僕のね一緒にやってるメンバーとかにもよく言うんですけどそれ なんか分かりましたって言った瞬間に僕はこう通うんですよ何が分かったか
言ってって言うんですよ なんか僕が伝えたこととかの中で
分かりました やってみますって言うから何が分かったか言ってって
言うと 全然解像度が浅かったりとかするそう
そこでいやそれは全く持って分かってないよねって それで分かったっていう言葉で処理して分かった気になっているのダメだよねとか
そう っていうことを早く話したりとかそう
どうしてそういう感じになっているのかなんでって言うことをちゃんめっちゃ深掘ったり とか
これわかっなんか発する表現とかでなんかなんとなくわかっちゃうんですよねぶっちゃけ なんかその近くの人になったら特にだし別に説とか含めてですけど
なんかその送ってる文章体だったりとかオフラインだったらオフラインの言葉とかの表現で あっこれは多分口先だけだよな
多分この言ってることっていうのってすぐわかるわけですよなんとなく あーこの人たぶん今理解したと言ってるけど別に理解はしてないだろうなみたいな
そうって時にあのちゃんとちゃんとそこを分かってもらわなきゃいけないものとかだったら ちゃんとそれで聞きます
えじゃあ具体的にどっからどこまでをどうやるかを常にもう1回言ってとか そういつからいつまでにとか
そうあのこないだピッパーの法則の話もそれで あのピッとやったらパッとやる時のそのピッパーで即やるか
いついつのいつまでにやるかを決めてその場でメモれって言われてたと思うんですけど みんなこれを後でやろうって言葉で終わらせるんですね
とか今週中にやろうとか後でやろうとか 今日中にやろうとか
これ解像度浅いんですよそう今日中っていつまで 今週中っていつまで何か
とか 曖昧なんですよ曖昧だから実行できないんですね
そう曖昧だしし解像度が浅いからそれの実行もできない これはつまり現実的な事実としての物事を捉える時にも曖昧な表現であればあるほど人は
行動できないし 感情表現も曖昧であればあるほど適切な感情理解になっていかないんですよ
極端論例えば歩く時にはこの場から出ていくためのストーリーを作ったら 右足を5センチまずは前に進める
その後左足を前にこうやって進めていく こういうことを人は歩くときに常に体というのをシナプスの信号がそういう把握をしてる
わけですよ この先の地面はどうなってるかっていうものを予測したりとかどうであるかを勝手にね
把握したりとかその通し根から徐々に徐々に進んでいくみたいなことを試行してるわけですよ人は勝手に
そうそれを慣れてくると人は処理しなくても同じ感情化を得られるようになってそれを 自動処理できるようになるから楽に動くわけですよね
うん っていうことで何が言いたかったかっていうと結局
あの ボイシーとかもそうだしコメント欄もそうだし普段のインスタの発信も全部そうなんですけど
何をどうしてっていうところの解像度をとにかく上げる靴をつけてほしいのと自分が どこまでわかっているか人に言ってみて人からリアルなフィードバックだったりとか
ご指摘をいただくっていう機会をちゃんと設けた方がいいし 1個1個その時間帯を大切にした方がいいと
その習慣づくりやその日々の繰り返しが僕らの想像以上の大きな成長とか変化とか 気づきとかそういうものを作ってくれると僕は思ってますんで
何度もそこについては振り返っていただけるといいかなというふうに思っています