解像度の重要性
おはようございます。
ちょっと開始まで、もう少しお待ちくださいね。
やっていきますよ。
今日はですね、解像度の話ですね。
解像度をどうすれば高くできるのかっていう部分をね、
できるだけ分かりやすく丁寧にお話できればと思ってますんで、
よろしくお願いします。
今日の話もまた大事な部分が多いかなと思うんですが、
頑張ってお伝えできればと思います。
オープニングとかエンディングとかちょっと変えていこうかな。
よし、じゃあ録音開始してやっていきましょう。
どうも、ソウタです。
このチャンネルではフォロワー数1万人以上をたくさん配信するステップという講座を運営したり、
フォロワー数1万、5万、10万、そして20万人を超えるようなインフルエンサーのマニタイズのサポートを行うエスロードを運営したり、
メンズ美容サロンのフランチャイズオーナーとして、
僕にしかできないような一時情報のみを厳正シャードプット式ラジオとなっております。
皆さんが知って本当によかったって思う情報のみを厳正視聴を届けしてまいりますので、
よければフォローのほどよろしくお願いいたします。
有料スクールを超える学習、教材、ソウタのインスタ大学、今だけ無料配布中。
ライブ限定クーポンも同じく概要欄に貼ってあります。
そちら送付で、ソウタのAIボットですね、こちらを無料プレゼントしてますので、
合わせてチェックのほどよろしくお願いします。
はい、ということで今回のテーマはですね、
頑張ってるのに成果が出ない理由。
実は解像度の低さで決まっているっていうところでお話をしていきます。
こちらいつも通り僕の台本作成ボットに作ってもらったんですが、
シンプルに解像度を高くしていかないと、
一つの視点とか一つの物事の解像度を高くすることが、
結果的に僕らの表現とかだったりとか、
コンテンツメイキングと呼ばれるものの質を上げていくよっていうテーマですね。
ここについてお話をさせてください。
多くの人がですね、なかなか解像度が高くなくて困ってるっていう方が多いでしょう。
難しいですもんね、解像度を上げるって。
でも逆に言うと難しいからこそ、解像度高く物事を捉えられる人っていうのは、
やっぱり成果が出やすいっていうふうに僕は感じてるんですね。
だからこれの自分の失敗とか成功とか、
何かの取り組みとか全ての物事をパッと見た時に、
解像度をどこまで高くできるかっていうものですね。
つまりかけてるメガネの度数を高くするようなものですよ。
それのレベル感が高ければ高いほど、
コンテンツの質だったりとか、理解力だったりとか、
成長レベルっていうのは高くなるんだろうかというふうに思ってます。
言語化との関係
それを今日ご説明させていただければと思うので、よろしくお願いいたします。
ということで早速本題に入っていくんですが、
解像度っていうのは言語化にも近いですね。
言語化って、いろんな人が言語化言語化言語化言語化って言ってるけど、
僕からしたら言語化っていうのは、
どんな人にとっても分かりやすいものに、
抽象と具体で展開できる、展開及び因数分解ができることを、
僕は言語化だと呼んでるんですね。
これをみんな抽象具体というところは考えてるけど、
これを展開と因数分解の考え方でできない人っていうのは非常に多いと。
しかしこの解像度を上げていくっていうのは、
簡単に言うと、より自分の中での理解を上げていくことになるので、
どちらかというと抽象具体で考えるなら具体に近いんですね。
これによって解像度を上げていくんですよ。
例えば、このご飯が美味しかった。
ご飯が美味しかったっていうものって、
解像度めちゃめちゃ低いじゃないですか。
どう美味しいのか誰にでも分からないじゃないですか。
ここに米一粒一粒が、粒が立っていて、
噛んだ瞬間に甘みがふわっと口の中に広がるように、
味がついていったと。
こんな美味しい米を食べたのは初めてでした。
って表現するだけで解像度ってめちゃめちゃ上がってますよね。
こういう感じで、一つの何かを考えると、
そこら辺の解像度を高めることによって、
そこに対する理解力が上がっていくってことなんですね。
これは言語化と解像度っていうのは、
ほぼニアリーコールで捉えてもらって、
めちゃめちゃ構わないんですが、
解像度を上げるっていうのは、
ちょっと言語化と僕は違うなって思うのは、
言語化するっていうのは究極論、
言語化っていうのは他人が聞いても分かることが、
僕は言語化だと思うんですね。
つまり言語化したって言うんだったら、
こういう場所で説明した時とか、
何かを例えとかする時に、
ここにいる人10人中10人が分かるっていう状態、
うお、すげえっていう風に感じる状態っていうのが、
言語化だと思っています。
一方、解像度を高めるっていうのって、
これは他人の理解が、
ぶっちゃけどうでもいいっちゃどうでもいいんですね。
解像度を上げるっていうの。
人が何かを見える、この目が見える、見えないっていうもの。
ある意味視力検査みたいなもので、
隣の人が視力2.0あったら、
その隣の人にも視力2.0を見させるようにしなきゃいけないことはないじゃないですか。
例えとしていいか分からないかっていうのが、
そんな感じで、解像度っていうのは視力みたいなもので、
自分が視力2.0になるように見えればいいんですよ。
どんな手手段をとっても。
だから僕らレーシックだろうが、ICLだろうが、
何でもいいですけど、
っていう手法を何としても使って、
視力を上げていくわけですよ。
それが解像度を上げるだと思っているんですね。
これを他人に強要する人はない。
ここが違いだと思います。
解像度を高めるっていうものが、
視力2.0になるように見えればいいんですよ。
これが違いだと思います。
解像度を高めるっていうものは、
自分自身の視点を高める
言語化とはほとんど一緒ではあるんだが、
言語化っていうのは他の人に分かりやすく伝える能力が言語化なんですよ。
ぶっちゃけ言うとね。
ここに対して比喩表現とかメタファーだったりとか、
具体抽象っていうものを
因数分解の展開の考え方したりとか、
論拠法だったりとかを考えていかなきゃいけない、言語化は。
でも解像度を高めるっていうのは、
別にこれは他人にはどうでもいいんですね。
自分の中でしっくりくりゃいいんですよ。
あ、私にとってこれはこうだ、みたいな。
だから他の人が全く意味不明でもいい。
でもその視点がめっちゃこう上がっていく、
解像度が上がっていくっていうものは、
視力が良くなるようなもんなんで、
視力良くなったら物事判断つきやすくなるじゃないですか。
見えるじゃないですか。
見えるということはね、
人生良くなりますから、当然ね。
僕はコンタクト今もしてるんですけど、
コンタクトにしないと0.001以下になるんですよ。
0.001以下っていって、
度数-9.5とかの乱指みたいな感じなんですね。
今の度数-9.5の乱指っていうのを
理解できる人は、
こいつイカれてんなってのが分かると思います。
理解できなくても大丈夫です。
目良い人は理解できないと思うんですよ。
っていうぐらいまでになってて、
その見えない世界って解像度がもう激アラなんですね。
距離感も分かんないし、何も見えないみたいな。
目とほとんど近くでも指紋すら見えないみたいな。
これって何もできない。
これが解像度が低い状態なんですよ。
簡単に言うと。
コンタクトつけると1.0は無理か。
もう見えてないな。
近くまでは見えるから、
そうすると解像度が上がっていくっていうことなんですね。
こうやって視点を捉えていくんです。
うん。
なんで解像度を高めるためっていうのは、
他人に理解できなくてもいいです。
だから自分の中で、
物事の捉える視点を高めてほしい。
これが解像度を高めるっていうことだと覚えておいてください。
なので言語化をする以上に、
解像度を高める方が大事です。
うん。
言語化は別にできなくたっていいと思ってます。
よくいろんな人に言うんですけど、
この世の中は、
ビジネスマンだったりとか、
すごそうな人たちが多すぎるせいで、
言語化をすることこそが素晴らしいことであると。
言語化ができることこそが、
思考の状態である。
言語化ができるから、
みんなの人生は良くなる、みたいな。
言語化市場主義っていうのが、
最近めちゃくちゃ横行してる気がするんですよね。
言語化してるやつが偉い。
言語化できるやつが最強だ。
頭がいい、みたいな。
でも僕は、いい地理はあると思うんですよ。
できないよりできた方がいいと思うんですよ。
別に人生は得分すると思います。
僕も、鬼よりも言語化が強いかもしれない、
みたいなところですから。
うん。
でも、
何だろうな、別にそれによって
人生を損するわけでもない。
むしろ言語化っていうものを極めようと
左脳に寄り切った結果、
右脳的な感情表現というものを
欠落しやすいので、
言語化が強い人って。
だから本来、感性として捉えなきゃいけないものに
論理を引き込もうとするので、
それは良くないと思うんですよね。
うん。そう。
解像度を高める重要性
っていうのがあるから、別に言語化できなくたって
別にいいと思ってるけど、
解像度を高めるは全員できた方がいいんですね。
そう。さっきもあった通り。
解像度を高めるっていうのは、
言語化とはまとっきり違う。
違くはないんだけど、違うものなので、
本当に他人に分かってなくていいんですよ。
他人が理解できない表現でいいんですよ。
自分が見たフィルターが
より詳しくなるように書き換えてくれ
っていうような感じなんですね。
自分で見たそのフィルターで
この物体を見たときの捉え方が
美味しいだけじゃなくなるってことなんですよ。
自分の表現でいいんです。そう。
意味が分かんない表現でいいんですよ。
何言ってるんですかみたいな。
結局例えが意味分かんないですけど
みたいな感じでもいいんですよ。
解像度を上げるだけなんで。
でもそれは大事ってこと。
僕らに他者の理解はいらないから
自己理解のみでOKだから
そこの捉える視点のレベル感を上げること。
これが解像度を高める。
これをするとめちゃめちゃ
成果とか含めて成長に直結しやすいんじゃないかな
って僕は思ってるんですね。
なんでうまくいったんだろうとか
なんでこれが伸びなかったんだろうって
伸びなかった理由を言語化する。
じゃなくて伸びなかった投稿の解像度を上げる
っていう風に思ってもらえると
振り返りとかもしやすいんじゃないですかね。
言語化しようとすると
僕らとかにも分かるように伝えなきゃいけないんですけど
解像度を上げるって場合は
自分だけのことでいいんですよ。
これは私にとって
パッと見た瞬間に意味が分からないから
伸びないと思った。
とかでもいいんですよ。
これは伸びなかったじゃなくて
パッと見た瞬間に意味が分からないから伸びないとか
解像度を高めてるんですよこれも。
例えが適当すぎるんですけど
そんな感じで別に
本当に自分の中での理解力を上げるっていう行為として
残っていれば構わへんので
ただこれもせずに放棄して
言語化も苦手だしそういうのもやんないからって
放置してしまう。
他者の理解の不必要性
解像度が低い状態で放置すると
本当に成長につながんないので
それだと意味がないよねって思ってます。
だからちゃんと物事の解像度
パッと見た瞬間の印象とか
感じたことっていうのを
しっかりと再定義とらえ直して
物事の視点をちゃんと上げていくっていうのは
めっちゃ重要かなって思います。
そのぐらいの感覚でいいのですね。
うん。マジでいいと思いますよ。
全然問題ない。
っていうか
なんだろうな
これを単位に視野するってなったら
言語化が必要になってくるけど
自分の中の自己理解って面においては
これぐらいの解像度で
僕はいいと思ってます。
ただあまりにも多くの人が
この解像度をめちゃめちゃ
めちゃ荒な状態で放置しすぎじゃねってことなんですよ。
だから皆さんの
このいわゆる副業とか
このインスタグラム運用ってもので見る眼鏡が
あまりにも度数が悪すぎる。
皆さんの皆さんに合ってない度数で
物事を見てるから
だから投稿を見ても何も感じないんですね。
伸びている投稿とか
投稿を見ても何も気づきがないみたいな。
あかんやみたいな。
状態は解像度が悪いんですよ。
低いんですね。
それを高めるために
物事の捉え視点を自分なりに
上げていく訓練をしようぜってのが
今日お伝えしたいことでございます。
なんとなくイメージ伝わりますかね。
今日の言いたいこと。
こうしていくだけでも
ぱっと見の瞬間の解像度が上がっていくってことは
捉える視点のレベル感も上がっていく。
そうするとさらに成長に繋がっていく。
そして成長に繋がるってことは
解像度が増えていくってこと。
そうすると結果的に成果に繋がっていくっていう
性のスパイラルになると。
解像度が悪いと分からない。
無理の繰り返しで
どんどんどんどんネガティブな方に
マイナスが落ちていって
結果的にもう伝えたいことの
1ミリも伝えられない。
なんでこうなっちゃうんだろうみたいな
落ちにいくっていう最悪の循環になると。
このバランスですね。
バランスじゃないこの違いですね。
なので解像度を高める訓練をしてください。
とはいっても解像度を高めるには
人に話せたらいいんだよ
っていう風に思うかもしれないですが
これはさっきもあった通りです。
例えてください。
自分なりの例えでいいです。
自分だったらこう考えるな
これは自分だったらこう思うな
っていう風なものを
とにかく増やしていってください。
人に話すことで解像度が上げられると思います。
それもその通りですね。
人に話すでもいいです。
でも人に話すだと
相手が理解できるように
喋らなきゃいけなくなるので
もちろん大事です。
言語化をする上で
人に話すっていうのがめっちゃ大事だから
教えたつもり勉強法みたいなもんで
人に話すことで
自分の伝えている視点で
何が良くて何が悪いかが分かるから
言語化レベルが上がるんですけど
解像度を上げている状態だと
他人に理解できなくてもいいので
他者に理解できるような説明に
究極論なんなくてもいいということですね。
これが違いかな。
だから人に話すよりも
自分で話すみたいな
こうこうこうでみたいな
っていうだけでも全然いいかなって思うので
とにかく喋ってみたり表現したりとか
伝えてみる中で
自分の中で普通の表現よりも
深めてられてるか
深い表現としてできているかってところを
今一度強く深く振り返っていただけると
いいんじゃないかなってのが
今日お伝えしたい内容でございました。
ぜひ皆様の中に
今日の話が解像度を上げるきっかけ
気づきになっていれば
僕としてはいいのかな
というふうに思っている次第でございます。