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2024-04-18 10:43

2024年4月18日

2024年4月18日の日記です。山内朋樹『庭のかたちが生まれるとき 庭園の詩学と 庭師の知恵』/庭作りのプロセス/事前に設計図を用意しない/創作一般に共通する/千葉雅也/短歌/題詠/完成作からお題が抜ける/露天風呂/「いいヒノキ使ってるなぁ」/神保町ブックフェス

#声日記

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2024年4月18日、そろそろ過去になりますが、
今日は久々に仕事の後、何も予定とかやらなきゃいけない作業とかがなかったんで、
結構比較的だらーっと過ごしちゃいまして。
一応ね、今読みかけの本があったんで、読み進めてるところで、結構終盤の本ができてるのかな。
全体380ページぐらいあるところの324ページまで来たので、
まあまあ終盤の方にまで差し掛かってきたなっていう感じなんですけど。
今読んでる本がフィルムアート社から出てる、山内智樹さんという人が書いた、
庭の形が生まれる時、庭園の私学と庭師の知恵という本で。
この山内さんという方は、自身も庭師をやりながら、
京都教育大学で美学を専門にした教員の方でもあるらしくてですね。
実際のその庭作りの現場に行って、どういう風なプロセスで庭が作られているかというのを
フィールドワークで研究しているみたいな、そういう風な方なんですよね。
だから、この庭の形が生まれる時というのは、
実際に京都にあるお寺の庭作りの現場を訪れて、
どのようなプロセスで庭が出来上がっていくか、その中で庭師の人たちがどのように動いているか、
あるいはどのようなコミュニケーションが取られているかということをかなり丁寧に記録して言語化していく中で、
その庭作りというものの中で、庭師の人たちがどのような思考で庭を作っているか、
あるいはその制作過程の中で、どのようにして庭というものの形が生成されてくるのかみたいなところを探っていくような本ですね。
今回フィールドワークで対象にしている庭作りの庭師の人が、
事前に設計図とかを用意せずに作っていくタイプの人で、
まずは試しに石を置いてみて、感覚的にすごく石を置いていっているように見えるんだけども、
なんとなく庭師さんから話を聞いたりとか、どのような流れで石を置いているか、
1手目はここに置かれていて、2手目はこっちに置かれていて、
3手目はこっちにこんな形の石が置かれて、みたいなのを記録して検討していくことで、
実はその庭師作りの中で様々な要素が重なった上で、
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ある種感覚的にというか言語化されるまで行っていない思考の中で、
なんとなくこっちのあたりにこの石を置くんだ、みたいなものがどんどん生まれてきているんだな、
みたいな発見があったりとか、あるいは庭師の人たちのコミュニケーションであったり、
あるいは庭師の人たちの道具との付き合い方であったりとか、
そういったものについて様々な角度から検討している本で、
単純に庭に関する本なんですけど、創作一般であったりとか、
様々な別のジャンルにもその感覚とか共通するような部分がありそうだなというふうに読んでいて思いましたね。
実際、この本の帯は哲学者の千葉雅也さんが書いてるんですけど、
庭の見方をガラリと書いてくれる画期的な庭園論であり、すごく応用の効く本だと思う。
一つ石を置き、もう一つをどう置くかというのは絵画の話でもあるし、
音楽でも料理でも会話術でもビジネス術でもあるからだということで、
その庭作りのプロセスっていう、結構多くの読者にとっては関係のなさそうな話なんだけれども、
その中で行われているプロセスっていうのは、特に実際に手を動かしながら作る創作だったりとか、
そういうものにも結構共通しているなというふうに読みながら思いました。
特に僕は単価を自分で作ったりもするんで、単価のこととかを想起しながら考えましたね。
例えば、ある一個の単語をきっかけにして単価を作っていくときに、
ある程度文字数の縛りがある中で、
例えばここにこの単語を置いたとしたら、前後どういう風な文字数をどういうリズムで入れるかであったりとか、
あるいはその単語が持っている意味、イメージであったりとか、あるいは字面ですよね。
カタカナなのか漢字なのか、あるいは普通は漢字で書くけどひらがなで書くのかみたいな、
そういう見た目の質感が変わってくるわけですよね、漢字で書くかひらがなで書くかによって。
テイストとかニュアンスも変わってくるし。
最初この位置に置いたけど、だんだん単価として仕上げていく中で、その単語の位置が変わってきたりとか、
あるいはもともとはその単語をきっかけにして単価を作っていたのに、最終的に出来上がった形からはその単語がなくなっているみたいなことがよくあるんですよ。
代営といって、あるお題をもとにお題の言葉を入れ込んだ単価を作りなさいみたいなのがたまにあるんですけど、
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代営としてそのお題を読み込もうと思って作ってるうちに、最終的に完成した単価の中に漢字のそのお題の単語が抜けてるっていう場合があるんですね。
お題は入ってないんだけれども、最初にその単価を発送する起点になったのはそのお題の単語なんです。
お題の単語なんだけども、その単語をもとにいろいろ検討して構成というか、遂行していった結果、そのお題がなくなっているという。
実際の出来上がった単語からはなくなっているという。そういう現象があるんですけど。
そういうこととかをいろいろ考えたりしながら今読んでいるところで、もうちょっとで読み終わるところなんですけど、結構なんか面白い本だなというふうに思いましたね。
ちなみに僕の父親も庭作りの仕事とかしてまして、自分自身、父親自身もいろんな有名な庭園の庭を見に行ったりするのが好きな人だったりするんですよね。
木を見るのも結構好きなんで。一回そこまでかと思ったのが、僕が小学生ぐらいの時ですかね。
小学生で弟も小学生とか幼稚園とかで、父親と家族、母親も4人で旅行行った時に男風呂入って、露天風呂があったんですね。
旅行行って露天風呂行ったら、露天風呂が外出たら向こう側は全部一面海なんですよ。
だから一面海を見渡せる露天風呂で、すごい迫力の海の風景が広がってて、
多分9割9分の人は初めて露天風呂の外に出るお風呂から、内風呂から外に出て露天へ出て行く時には、
まず目の前に広がっている海の迫力に、「おーすごい!」みたいな。
わーすごい海迫力あってきれいだねーとか。その海の感想を言うはずなんですよ、露天のね。
目の前の景色の感想を言うはずなんですけど、うちの父親は海には目もくれず、露天風呂のお風呂に使われているヒノキを、
あーこれいいヒノキ使ってんなーって言いながら、木材の方にすごい興味を持ってたっていうことがあってですね、
その印象がものすごい強いんですけど、そういう意味では庭にはね、庭園というものにはうちの父親はすごい興味を持っている人なんですけども、
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趣味でね、自分で土地を、ちっちゃい土地買ってそこを自分で工事して、ちょっとした庭みたいなのにしたり、植物植えたりとかしてね、
もうガチの庭作りとかもしてるような人なんですけど、うちの父親は。逆に僕はあんまりそういう庭とか風景みたいなものにそんなに興味を持たずに生きてきた人間なんで、
この庭の形が生まれるときは結構今、新鮮な感触で読んでいるところです。
もうちょっとで読み終わりそうなので、引き続きこれは読み切りつつね。
本当に5月にはブンフリもあるし、あと人望庁ブックフェスっていうね、人望庁の各出版社が汚れちゃったりとか、
ちょっと状態が悪くなっちゃって、一般には流通できない状態になっちゃった本とかを安く売ったりする、そういうイベントが5月にはあったりするんで、
ちょっとね、それに備えて、なるべくたくさん今積んでる本も読んで、処分するものとか売るものとかは売ってスペースを空けないといけないなと思って、
僕の陣を作るにあたっても、その陣を置くスペースがないから、
そこにもうちょっと用意するためにもつんどく本をたくさん読み進めていかなきゃなと思っているので、また引き続き本は読んでいこうかなと思っています。
といったところで、今日は以上です。おやすみなさい。
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