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2024年5月22日、そろそろ過去になりますが、
今日は、いろいろありましたけど、
群蔵1年分の1年の感想がじわじわXに届いてて嬉しいですね。
特にですね、フォロワーさん以外からも、
もともと知り合いの方以外からも感想が聞けて嬉しくて、
僕の群蔵1年分の1年といううちには、文芸誌の群蔵を1年間通読、最初から最後まで読むっていうのを12ヶ月分やったという、
それについての文章が書いてあるんですけども、
実際に今、文芸誌を通読するチャレンジをやっている人とか、
普段から文芸誌読者としていろんな文芸誌を隅々まで読んでいるような方からの反応もあって、
そういう方からはですね、ここに書いてあることがよくわかるとか、
この文芸誌を読み進める上での難しいところ、大変なところとか楽しいところっていうのが、
すごくちゃんと的確に言語化されてて、それがいいみたいな感想も持っていてありがたいなというふうに思いました。
逆にその文芸誌を普段読まないというか、そんなにがっつりと最初から最後まで読むみたいなことをしてない人にとっては、
なんかちょっと新鮮な発見があるみたいな、なんか言われてみればそうだけど、
わざわざ言葉にしてなかった、いろんな素敵な発見があるみたいな書き方をしてくれた方もいて、
それはつまり普段から文芸誌を読んでいる人にとってはわかる。
で、読んでない人にとっては新しい発見だというふうな、それぞれにとって面白みがちゃんとある、
そういうふうな人として最終的に形になったのかなというふうに自分でも思って、
なんかすごい良いバランスのものにできたんだなということは、改めて今実感しているところで感想をもらえるというのは嬉しいですね。
あと、やっぱり皆さんね、照映というか表紙の画像をあげてくれるんですけど、
やっぱりね、群蔵一年分の一年何がいいってね、表紙が映えるんですよ。
阿蘇山中岳の写真、花壇の写真を使っているんですけど、あれがめちゃめちゃ映える感じがあって、すごい個人的にはお気に入りです。
で、それ以外だとあれですね、今日は文振りで買った本とかも読み進めまして、
昨日は二人のデカメロンって柿根翔吾さんと青木真平さんの共著の本、雑談、いろんな雑談をまとめたり、あとエッセイをまとめたりした感じの本で、
あんまり明確なテーマがあるようなタイプの本ではないんですけど、
なんとなくこのいろんな社会からの批判であったりとか、あとは経済的なルール、経済のシステム、利益を上げなければいけないとか合理化しなければいけないみたいな、
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ある種の一つの意味に固定しようとしてくるものとか、そういった一つの形に縛り付けようとしてくるものから、
何か逸脱したりとか、オルタナティブなものを用意したりとか、ちょっと距離を取ったりとか、
そういうことについて語られているというような雰囲気が大枠ではあるかなと思いながら読みました。
完全に解放されたい、自由になりたいみたいな、自分を縛り付けるもの、規定するものから完全に解放されたいみたいな、そういうわけでもないですよね。
場所場所によってはルールがもちろんうまく機能して大切な場所もあるし、一方でそれが邪魔になるというか、
本当にそれってうまくいってるんだっけとか、それって本当にいいことなんだっけみたいなところを見過がされた状態で運用されているみたいな、
そこが気になるみたいな、そこではやっぱり別の方法とか、別の距離の取り方があるんじゃないかみたいな、
そういうふうな感じで、完全なる解放みたいなところではなくて、もうちょっと距離感があるよねみたいな、
そういうところを考慮をしながら書いているような感じがあって、面白かったですね。
あとは、きしなみりゅうさんと竹花舞子さんの往復書館。
なんてタイトルだっけ、ちょっと待ってください。正確なタイトルを出そう。
竹花舞子さんときしなみりゅうさんの往復書館。
往復書館。これだ。往復書館。今夜鈍調が上がるですね。
今夜鈍調が上がる。これもすごいよくて、竹花さんときしなみさんの往復書館ですよね。
交互にお手紙を出し合った文章と、それから2人のそれぞれ文章が載っている。
きしなみさんはミステリーとして読む坂口安吾の風博士みたいな本。ちょっと論考っぽい文章で。
竹花さんは読書エッセイみたいな感じのもので、
特にきしなみさんから事前に聞いてたんですけど、竹花さんの読書エッセイがめちゃめちゃよくて、
往復書館の文章もめちゃめちゃよくて、とてもいい本だなと思いましたね。
あときしなみさんがところどころ、緊張はしないことにしたんで、もう緊張しないんですみたいなことを言ってたり、
あと最初は何か新しいことを始める時だけは力がいりますけど、その後はもう継続するだけなんで、思ったより力なんていらないですよねみたいなことを、
割とさらっと書いてて、やっぱりきしなみさんはどこか超人的なところがあるなというふうに改めて思ったりしましたね。
ちょっと逆感してるというか、下達してるというか、そういうところを改めて読んで感じたりもしましたね。
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それから、やっぱり時間が経つのが早いというか、往復書館で今年入ってからのこととかも書いてあるんですけど、
今年の元旦に野党の地震があったじゃないですか。
僕自身も野党の地震は当時はちょうど実家の兵庫に帰ってて、
深海地にある鬼楽館という落豪の寄せで父親と一緒に落豪を見てたら、途中でちょっと揺れたんですよね。
ちょっと揺れたなみたいな、ちょっと長めに揺れたなみたいな感じの体感があったんですけど、
その時はまだそんな大きい規模の地震が起きてると気づいてなくて、
落豪を見終わった後に駅まで、最寄りの駅まで歩いたら、
さっきめちゃめちゃ大きい地震が起きた影響で電車にも遅れが出ててみたいなアナウンスが鳴って、
そこで初めてネットとかSNSを見て、こんな大きい地震になってたんだみたいな、
そういうふうな体感をしたのが今年の1月だったんですけど、
元旦にそんなことがあったということは、もちろん野党の地震が起きたということはあるんですけど、
元旦だったんだな、あれっていうこととかは結構もう言われないと思い出さないというか、
言われてみればそうでしたねみたいな感じになってることがたくさんあって、
そういう意味でもある種の日記的なものであるとか、日付みたいなものが含まれた文章を読むっていうことによって、
ちゃんと忘れないための装置じゃないですけど、
記憶が呼び起こされるみたいなことは結構大切だなというふうに思ったりもしましたね。
といったところで、引き続き文振りで買ったものとかも読み進めなきゃいけないと思うので、
仕事終わりに喫茶店とか寄って本読んでから帰るとか、今後もうちょっとやろうかなというふうに思ってますけどね。
とりあえず今日はこんなところで終わろうと思います。おやすみなさい。