1. そろそろ美術の話を...
  2. #020 日本画専門美術館のプロ..

山種美術館の山﨑妙子館長をお迎えして、山種美術館の話や日本画の魅力、クラウドファンディングについてお聞きました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/020 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

Guest Profile

  • 山﨑妙子(やまざき たえこ)
    • 東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。
  • 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程を経て1991年博士課程修了。学術博士。
  • 故・平山郁夫氏に日本画の手ほどきを受けるなど、日本美術全般への造詣が深い。
  • 山種美術財団理事・山種美術館特別研究員、副館長を経て、2007年に山種美術館館長に就任。
  • 日本画の新たなる魅力を伝えるため、さまざまな企画展を手がけている。

Show Notes

  • 東京藝術大学 | 大学院美術研究科
  • 平山郁夫について | 平山郁夫美術館
  • 法隆寺金堂壁画 
  • 村上隆 Kaikai Kiki Co., Ltd. 
  • 画壇
    • 院展(いんてん)= 日本美術院公募展
  • 創画会(そうがかい)=  一般社団法人創画会
  • 上村松篁
  • 高山辰雄
  • 速水御舟の芸術 
  • Cafe 椿 - 山種美術館
  • 菓匠 菊家
  • 谷口吉生 法隆寺宝物館 | 日本の建築【世界建築巡り】
  • 谷口吉郎
  • 東京のレトロ美術館 | とに~(アートテラー), 青山裕企 
  • 京都・嵯峨嵐山 福田美術館 -FUKUDA ART MUSEUM-
  • MIHO MUSEUM | I.M.Pei 設計の美術館
  • MIHO MUSEUMのアプローチ
  • 映画『君の名は。』公式サイト
  • YOASOBI オフィシャルサイト
  • 【特別展】Kawaii 日本美術 ―若冲・栖鳳・松園から熊谷守一まで― 〔過去に開催された展覧会〕 - 山種美術館
  • 図録一覧|山種美術館ミュージアムショップ
  • 香老舗 松栄堂
00:10
はい、始まりました。アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。
この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、
トークを繰り広げるボットキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、山谷美術館館長・山崎太子さんをお迎えして、
美術の話をしていきたいと思います。
はい、ということで、引き続きよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
お迎えしてって言ったら、逆に僕らがお迎えされている状態だからね。
山谷美術館の応接室で収録させていただいております。
今回は、ぜひ館長のプライベートの部分にお伺いできたらと思っておりますので、
答えたくないことは、ちゃんと答えられるでしょう。
カットもできますので。
改めて、経歴をというか、館長になるまでみたいな話を伺いたいなと思うんですけども、
経歴をご観点させていただいたとおり、経済学部だったんですか?
そうなんです。
元々、美術系に行くつもりはなかったんですか?
小さい頃は絵を描くのが大好きで、
本当は絵で芸大に行きたいと思っていたんですけど。
描く側だったんですか?
ちょっとやっぱり才能がないなっていうのがあると気づいて、
絵は見るだけになっちゃって。
仕事としては、本当は国際経営をやりたくて、
それで経済学部に行ったんです。
そうだったんですか。
その時には、どっちかというと、
山田で証券側の報道士を届かせたからですか。
どこから、この後は結構芸大ですよね。
陰陰に行くってことですよね。
そうなんですよね。
何があったんですか?
卒業する頃に、
なかなか4年生の女子のいい就職先というのがなくて、
それだったら元々好きだった美術館に入ろうと思ったら、
うちの父親がすごく厳しい人で、
全然美術の勉強もしていない人、
自分の娘でも入れるわけにはいかないと言われて、
そこから1年復帰して、
芸大の美術学部の方を受験したんですけど、
全然勉強していなかったので、
結局二浪しちゃって、
その時は死ぬほど勉強したんですけど、
それでなんとか入ることができて、
そんな時代があったんですか。
そうなんですよ。
結構大変な挫折じゃないけど、
そうですね、
友達はみんなバブルで、
ジュリアナとか行きまくってたので、
私はジュリアナも一回も行かずに、
03:01
ずっと勉強してたんですけど、
そうなったんですか。
バブルも効果ができなかったんですか。
全然幸せでしたね。
終わったら八月とは死ぬ。
全然勝手なイメージで、
だってそれこそおじいさんが作った美術館で、
お父様が二代目館長だから、
当選のようにも館長になっているぐらいに思っていたけど、
そういうわけにいかなかったんですか。
でもその勉強して、
二年間勉強した後は、
日本画で入ったんですか。
日本美術地位を勉強しようと思って、
入ったんですけども、
芸大に入った後に、
たまたま平山先生に、
平山育夫先生に、
せっかく芸大に入ったんだから、
日本画の技術も勉強して、
画家の心がわかる美術館長になってくださいって言われて、
そこから平山先生と、
平山先生の文科の先生たちに、
日本画の制作とか、
後隆寺の近藤兵器画の文章とかを教えていただいて、
勉強と両方やったんです。
めちゃくちゃ大変だったんですか、学生時代は。
受験も大変だったんですか。
大変でしたね。
平山さんってどんな方だったんですか。
平山先生はとにかく真面目な方で、
先生の部屋に入っても、
女子学生とは絶対目を合わせないっていう感じで。
それは厳しいんですか、社員なんですかね。
いや、たぶん気をつけてらっしゃったなと思いますけども。
何か起きないように。
とても真面目な先生で、
本当に素晴らしい方で、
大変な苦労をされているので、
いろいろと先生から伺ったお話から、
本当にこんな苦労をした人がいるんだっていうぐらい。
例えばどんな苦労があったんですか。
例えばですね、
先生はちょうど1959年ぐらいに、
移転に落選したんですけど、
その時先生はすでに芸大の大学院の助手をやられていて、
ですけど落選しちゃって、
もともと広島で小学校の時被爆してるんですね。
被爆してらっしゃるんで、
後遺症で白血病が出ちゃって、
落選した上に白血病の後遺症で、
ずっと具合が悪くなっちゃって、
寝てらっしゃったらしいんですけど、
その時に一生懸命仏様に祈ることで、
病気が自然と良くなったっていうことと、
06:00
あと仏教伝来っていう、
一生のテーマをその時に見つけられて。
それでそういう白黒とか薬師寺の話題とかも書いて、
そういうバックボーンがあるんですね。
一生懸命のテーマっていうのが、
その仏教伝来を書くっていうことです。
そういうテーマに出会われたっていうのも、
大変なご苦労の時があったからこそで、
私に先生がおっしゃったのは、
何事も校長の時にニコニコしてるのは当たり前だけども、
うまくいってない時こそ、
それを笑顔で乗り切れるかどうかに、
その人の心から問われるっていう話をされて、
びっくりして、そんな大変な思いをされたとは思えない。
本当に穏やかな先生だったんで、
すごいなっていう。
取り切ってるんですね。
そうですね。
トニーさんもそうですけども、
やっぱり笑顔っていうのはすごい大事なんだなって。
僕はそうか、笑顔嘘くさいって言われるときは、
たまに恐縮になる。
でも確かに、
辛い時でもやっぱり辛い顔はしないようにしようと思ってます。
人前に出る仕事なんで。
別に大したことじゃないと思うんですけど、
笑顔だけじゃないけど、
例えば今こういう時期で、
Twitterとかブログとかで、
悲しいこと書いたら多分いけない。
あんまりこんなこととか政治のことは言わないようにして、
常にバカっぽく言おうとは思ってはいる気がします。
人前に出る以上。
多分それに救われる人もたくさんいるし、
トニーさん自身も大変な時の笑顔で、
ご自身も救われてる部分もあるんだと思う。
いい話を聞いたなと思う。
でも大変でしたね、そんな時期が。
私も本当に受験の時も博士論文書いてた時も、
こんなに勉強したら命が縮まるんじゃないかって、
もう辞めたいって母に何度も言ったんですけど、
ここまでやったんだからやるしかないでしょって言われて。
母も結構厳しかったんで、
そう言われて励まされながら頑張ってきた。
ちなみに同級にあれだったんですよね、村上隆さんと。
そうなんですよね。
クラウド関係のようにコメントを寄せてまして、
そうなんですよ。
深いなつながりだと思って。
村上さんはちょうど私と同級生で、
彼はもちろん大学からですし、
すごく日本画上手かったんですね。
本当ですか。
有名な、本当に上手い学科の人で。
学生とかで頭抜きに出てる感じ。
09:01
弟さんも今も日本画科でやってらっしゃるんですけど、
そうなんですか。
多分陰天の同人だと思うんですけど、
弟は有名な兄弟で、
でも在学中は私はどちらかというと陰天系で、
村上さんは創画系だったんで、
そんなにすごく交流があったわけでもないんですけど、
ただ展覧会だけは見に行ってて、
村上さんの展覧会はよく見に行ってて、
それで大学院の時、卒業した後も展覧会を見に行ったりしてて、
彼は彼で結構うちの大和田美術館を勉強のためにそっちを見に来てくれてて、
そんな感じでもともと接点はあったんですけど、
その後しばらくずっと、
どっかの地点から現代アートの方に行かれたんで、
あまり接点がなかったんですけど、
たまたまニューヨークで再会して、
一緒に展覧会見に行ったりとか、ご飯を食べに行ったりしてて、
その後どんどん大和田美さんが有名になって、
ここ数年たまたま展覧会場とかで会ったりして、
懐かしいねって思います。
すごいドラマですね。
そうですね。
結構エルモンもいろいろあったんですね、大学時代に。
そうですね。
実技の方はすごい方がいっぱいいらっしゃいましたもんね。
卒業論文は何を書いたんですか?
私は修士論文と博士論文を書いたんですけど、
博士論文の方では早見行修の研究をしたんですね。
早知から早見行修さんは好きだったんですか?
そうですね。早見行修については子供の頃から、
そんなにたくさんの絵もなかったんですけども、
すごくそっと親が大切にしてたっていうのと、
あとは他の将来の絵も買ってたりしてたんですけど、
そういう綺麗な日本画がすごく多い中で、
助手の絵だけは怖いなって感じました。
子供の頃からね。
どうして怖く感じるんだろうと思った時に、
やっぱり助手の絵っていうのを深く研究してみたいなと思ったんですね。
へー。
これは古い本で恥ずかしいですけど、
芸師の本ですかね。
そういえば前半の時に、金市さんと画家の交流みたいな話をやったんですけど、
幼い頃とかにいろんな人があったりしてたことはありますか?
12:00
そうですね。今回手の中をやっている冷山会先生のお二人なんかも、
いろんなものを買ったことがありますし、
奥田玄宗さんがお二人とか、
上村翔子さんも、
松原さんいますか、
すごく私、かわいがってくれて、
終始論文の時に、
松原だけじゃないんですけど、
いろんな画家の文章について調べたんですね。
その時に翔子先生が、
2日かかりぐらいで、
翔原さんと翔子さんがご自宅だったお家で、
翔原さんの祝図帳っていう、
スケッチ帳みたいなのを見せてくださったりとか、
特に翔子先生とだから思い出があります。
家にいられたってこと?
そうですね。京都の。
いっぱい鳥が飼っているお家なんですか?
いや、京都の方もご自宅で、
鳥飼っているのは奈良の方です。
へー。
それで、あとは高山達夫先生のご夫妻とか、
結構最近の先生方はかなり皆さん、
本当に子供の頃から山田恵美さんに、
大体皆さんご夫妻でいらっしゃるんですよね。
そういうもんなんですね。
今の画家の先生は割と、
先生だけでは出てこないんですけど、
必ず奥様と一緒にいらっしゃることが多くて、
奥様にも結構小さい頃から会えなくて。
へー。
でも、その時はすごい画家の人だと思ってないんですか?
それとも、ある程度子供の中にもか。
子供の中にも一応、
この英語の先生みたいなとか、いろいろあったんですよ。
印象深い方とかいますか、その中でも特に。
大学院の博士論文を書いた時に、
自分の作品を芸大で展示する、
本当に恥ずかしいんですけど、
展示したんですよ。
作品と論文と両方。
そしたらいろいろな先生方が来てくださって、
高山達夫先生が、
別にそれに一つ一つ、
これが最初に書いた絵で、
これが二番目でとかって書いてないんですけど、キャプションに。
私が一番最初に書いた冬の絵があって、
それが一番下手で、恥ずかしいなと思ってたら、
高山先生が、
君はね、この絵を書いた時の心持ちを忘れちゃいけないよって言って、
上手くなろうと思っちゃいけないとおっしゃってたんです。
僕はこの絵の教えられたなとおっしゃったんです。
高山先生が。
もとは当然巨匠ですよ、高山さん。
もとは当然巨匠で、
それが私が書いた一番下手な絵に教えられたとおっしゃったのでびっくりして。
15:03
すごい謙虚な方なんですかね。
あとはやっぱり初心みたいなのを忘れちゃいけないってことなんだろうなと。
その時の絵はどこかにあるんですか?
一応保管してますけど。
次の高山達夫展で出した方がいいですよね。
高山達夫が教えられた絵ですね。
それはあまりにも下手なんで、
本当に恥ずかしいんですけどね。
びっくりしましたね、その時ね。
だってどれが一番最初なのか分かったってことですよね。
そっかそっか、年代書いてないけども。
だから逆に言うと、他の絵は上手く書こうとしちゃってるのがバレてると思うんですかね。
もしかしたら。
本当にその時はびっくりしましたね。
見る人が見れば分かるもんなんですね。
そういうもんなんだなと思って。
保管長、今は書いてないんですか?
今はちょっと休みしてるんです。
たまに書いたりはしてたんですか?
スケッチぐらいですね。
なかなか日本が解いたりいろいろ手間がかかるので。
それで卒業しましたってなって、どういうタイミングで保管長になったんですか?
保管長になったのは、この建物を建てるために、もう地が84くらいだったのかな。
だからなかなか会議とかに出れないので、それで私が、
政府選挙。
政府選挙。
さっき言ったように、疲労に来てからってこと?
いや、疲労のビルを建てるために。
そうですね。
疲労のビルの準備のときに、結構夜中まで打ち合わせしてる。
保管長になって変わった部分ってあるんですか?
それまでの伝統もあると思うんですけど、
私が保管長になってから変えたなっていう部分というか。
そうですね、やっぱり日本画って一部の人のための、すごく専門的なものっていう感じで、
ちょっと先での扱いっていう部分があると思ったので、
いろんな方が羨ましされて楽しい思い出とかね、
あるいは美味しかったとかっていうことを覚えていってもらえるかなということで。
カフェですか?
カフェの和菓子っていうのは最初から企画して、
展覧会に合わせて毎回5つオリジナルの和菓子が?
最初は5つじゃなかったんですけども、
展覧会出品作にちなんだ和菓子っていうのを作ったらどうかっていうことで。
それで元々かやぼちゃんの頃にお茶室があって、
そこでお茶室があるときにお願いしていた青山の菊谷さんがお願いして、
18:02
そういう和菓子を作ってくれたんですね。
毎回こだわって作ってるんですもんね。
すごいこだわるね。
何回か試作もしに来てるっていう。
そうなんですね。
今ちょうど資料が1つあります。
これは今ちょうど収録中にやってる展覧会ですね。
東山会展で5つ。
次の海玉堂っていうのを昔もできてるんですけど、
もう既に完成してるんですけど、
その完成までに色々と菊谷さんとやり取りをして、
ここはもうちょっとこの色にしてほしいとか色々やり取りをして。
色のこだわりはありますか?
ありますね。
やっぱりあんまり濃すぎたりすると品がない感じになっちゃうので、
色をなるべく淡い感じにするのがいつも好きです。
これあとインスタにも上げてますもんね。
そうですね。
すごくSNSでも皆さんに評判が良くて、
結構ツイッターなんか見てても、
あの和菓子が食べたいから美術館に行くって。
それはもうまさに私最初からそういう風になって。
選んでたって。
だって和菓子も購入もできるんじゃない?
テイクアウトも2個買うとかもできるし。
そうなんです。
ですよね。
でもそれ以外のコーヒーとかもすごいこだわってる。
そうですね。
カフェ椿さんとかですよね。
テーブルや椅子も。
それが館長のこだわりだったんですか?
そうですね。
やっぱりあんまりブタブタした感じじゃなくて、
日本外に合わせた感じのシンプルなインテリアの方がいいかなと思って。
あとあれですよね。
前伺ったんですけど、建物とか着物が買えるような感じ。
そうですよね。
そうなんですよね。
ここは着物割りとかもやってるじゃないですか。
この着物にこだわりっていうのはあるんですか?
三番町の頃によく着物教室の先生方が来てくる。
団体で20人、30人来てくださってて。
その時に皆さんお着物にいらっしゃって、
やっぱりお着物が買えるような空間の方がいいなと思ったので、
着物にはこだわりを持って着物割り引きをしたり、
着物の方がいらしていただけたらなっていう感じで。
三番町は着物は結構着られる方ですか?
そうですね。
イベントとか講演会とかそういう時にはなるべく着物を着て、
和文化を早く発信するように。
それは昔からだったんですか?
もう学生時代からとか。
いやいや、もうそんな学生時代はその余裕なくて。
21:00
ほんとにいつもポロシャツにジンズみたいな感じでやってました。
でもあれですよね、1月のいつもお迎え。
今年はできたんですか?2021年。
はい。1月3日にいつも着物でお迎えしてるんですよ。
そうですよね。
やっぱりご来館者の方もお着物の方たくさんいらっしゃるので、
やっぱりそういう着物を持ってても着ていく場所がないっていう方に、
ぜひいつか着てきていただければなという感じです。
男性で着物で来られる方っていますか?
いらっしゃいます。
男性の着物はとても素敵ですよ。
僕も着物が似合うって言われるんですよ。
ほんとですか?
だから結構着物、今着てる服もだから着物っぽいよ。
ああ、親知ればね。
そうなっていうようにしてて。
つい前回都内も着物が、帯とかもすべてが。
あ、そうなんですか。
じゃあ今度着物で。
今度ぜひ着物で。
着物できたいと思い。
さあ、そして着物の話もしましたけど。
他にぜひぜひ聞いてみたいことということで。
美術以外の趣味はありますか?
なかなか質問されないところなんで。
さっき途中まで言ってたんですけど。
もともと私、建築に結構興味があって。
大学院の時も別に隊員と関係なかったんですけど。
西洋建築士っていうのを受講してて。
まだあんまりヨーロッパに行く機会はそんなにないんですけど。
でも今は新しいビルもいろいろできてるし。
古いビルもそのまま残されてるところもあるし。
すごく建築っていうのは好きで。
ちょうど12、3年前ぐらいにこの美術館を作った時に。
建築家の人たちと一緒に日本中の美術館を見てもらったんですけど。
それがすごく楽しくて。
好きな建築、美術館建築ってありますか?
そうですね。谷口芳代先生が東京国立博物館の宝龍寺宝物殿っていうの。
あれがやっぱり一番好きです。
スタイリッシュな感じが。
中もすごくて。
監修の人の椅子を動かしちゃいけないって言ってて。
そこはちょっと怒ったんです。
椅子の足の。
バミリみたいなことですよね。
それを見た時は結構びっくりして。
やっぱり建築家の人と見てもらうといろいろそういうことを教えてもらえるんで。
普通に見ても気づかないんですけど。
すごいこだわりがあるんだよっていう感じ。
24:02
確かに。かっこいい建築多いですもんね。谷口さん。
もともとがうちの香山町の美術館が谷口先生のお父さんの。
吉郎さん。
谷口吉郎さんの建築だったんで。
すごく谷口先生、吉郎先生も
こちらからやってくださって。
父の後は僕がやるからねって言ってくださってたんですけど。
ちょっと時期的な問題で難しくなっちゃって。
ただいろいろとアドバイスをしていただいて。
上がオフィスなんですけど。
ミュージアムインオフィスになっちゃダメで。
オフィスインミュージアムになるように
担当の人によく伝えてねって言ってくださって。
なるほどって思ったんですよ。
なるほどなるほど。
じゃあ谷口さんは少し関係はしてるんですか?
最初の図面とかは見ていただいてとかしたんですけど。
建築画押すってのは初めて知りました。
僕はずっと建築ツアーやってるので。
13年。
コロナでストップしてますけど。
建築家の方と都内の建築を見て回るツアー。
それはレトロな美術館で。
本も出されましてね。
そうなんですよ。
あれも建築ツアーやってる繋がりで。
そうなんですね。
じゃあまたぜひ建築ツアーやるときは。
ぜひご招待させていただきます。
参加させていただきます。
ぜひぜひです。
他に好きな美術館建築とか。
でもほんと日本全国回る。
結構やっちかち見ましたけどね。
美穂美術館なんか素晴らしいですね。
岐阜でした。
滋賀。
滋賀ね。
そこの尺径っていうから、
自分とかで持ってらっしゃる景色が素晴らしい。
桃源郷のイメージ。
岩見平さんでしたっけ?
ルーブルさんですかね?
ピラミッドを作った方ですね。
結構衝撃的だったんですよ。
すごいですよね。
銀色のトンネルみたいなのがくぐってくるんですよね。
謎のトンネルがあって、
トンネルを抜けるとそこに
桃源郷みたいなのが。
確かに。
じゃあ結構そういうのも。
今はさすがにこういう時期だからあれですけど。
美術館作るために回った以外のときも
結構建築見てもらったりはしてたんですか?
いや、そこまではしてないんですけど、
ただドッペ行ったときに
いろいろと細かいところが気になったりとか。
他に家でできる趣味とかもしたりするんですか?
そうですね。
家でっていうわけでもないんですけど、
もともとは結構音楽とか
歌舞伎とかミュージカルとかオペラとか
27:02
舞台は実際見るのは好きなんですけど、
今はちょっと残念ながら見れないんで。
家でテレビで見たりとか。
あと映画も結構好きで。
最近はアニメとかも結構見て。
鬼滅の刃とかも?
鬼滅の刃もまだ見にはいってないんですけど、
ネットフリックスとかで見ました。
見たことないですね。
結構いろんなのを見てるんですね。
そうですね。
前回は古藤さんのが結構好きですね。
鬼滅の刃とかは結構すごいよかったです。
それこそ前半のときに話していた
名古居の2.5次元ミュージカルが見に行ったりするんですか?
それはちょっと残念ながらまだ行ってないんですけど。
ちょっと興味はあるんですかね?
もちろんチケットとか取れれば行きたいなと思うんですけど。
アニメも漫画も読む感じですか?
読む方はあんまり最近はしないんですけど、
どっちかというと映像で見る方です。
音楽は誰が好きなんですか?
音楽はクラシックから今流行っているものまでみたいな感じです。
押さえてるんですね。
イメージだと館長はいつも着物で出られてるから、
そういうの聞いてるイメージないと思いますね。
まさか鬼滅の刃を見てると。
私ミュージックステーションとかも結構好きで、
毎週から見てます。
今でもですか?
はい。
じゃあ結構若い。
僕なんかはあまり見なくなっちゃってるんで、
最近何が流行ってるんだろうと思うけど、
毎週見てるわけですよ。
結構あるんですね。
だいたいわかるわけですね。
そこまで詳しくはないですけど。
じゃあ夜遊びとかも?
うん。
まさか館長と夜遊び。
意外とだって、あれどこだったか。
それこそ本当にこの前福田美術館に行って、
20代の学芸員さんに夜遊びの話したら、
誰ですかって言われて。
本当ですね。
その間でも工学に馴染みてね。
はいはい。
門川ミュージアムですね。
昔の門川ミュージアムで。
そういう話は館内でしたりするんですか?
館内ではあまりしてないかもしれない。
たぶん学芸を知らない人もたくさんいるから。
意外とみんなそういう、
最近の話とかしても通じないことが多くて。
そうか、館長バカバカしいよ。
そういうことですね。
いやいや、そんなことないですけど。
割と何でも興味を持つ人なんで。
僕ちょっと今、リアルに調べようと思ってたのが、
急に脱線しちゃうんですけど。
30:00
鬼滅の刃が流行った時に、
鬼滅の刃が柄があるじゃないですか。
緑と黒にしますとか、朝の葉模様とか。
あれって頑張っていろんな日本画探せば、
ある気がするんですよ。
あの模様。
確かにね。
これを今、日本の美術館、
頑張って探したら、
鬼滅の刃の模様ですよ、
って言って打ち出せるから。
要するに伝統的な模様なわけですから、
探したら出てくるんじゃないか。
それこそ上村翔恵の襟の部分に、
緑と黒の一抹があったのか。
これをみんなで頑張って探しませんか、キャンペーン。
どっちでも探したら出てくるんですよ。
どっちでも見つかれば。
そうですね。
対象自体の設定だからね。
あの柄とかあるかもしれない。
あの柄を翔恵社か何かが、
商業登録的なこと、
衣装登録しようとして、
それがさすがにダメでしょ、
みたいなネットでバッシングがあって、
だってそれは昔から伝統的な柄なんだから、
ってなってたんで、
探せば出てきそうな気がするんですよね。
もし見つかったらぜひ。
じゃあちょっと探す。
他にもぜひということを聞いてみたい。
そんな館長ですけども、
新しいお客さん獲得に向けてじゃないですけど、
日本画館を増やすために考えていることとか、
やってみたいなと思っていることはありますか。
そうですね。
やっぱりさっきも申しましたけど、
リアルの美術館に来てもらうためには、
オンラインホテルとかサービスとか、
そういうのを充実させるということが
非常に大事かなと思っているので、
その辺のところを、
私たちもまだ手探り状態なんですけれども、
いろいろやっていきたいなと思いますし、
あとは本当に、
どこから入るかっていうところの、
日本画でないところからでも、
すぐ鬼滅の刃の柄じゃないですか。
そういうのも常に心がけて、
探すようにしていきたいなと思います。
こういう展覧会が意外とお客さん入ったなとか、
もう一気にリクセでやったら、
意外と受け良かったなとかってありますか。
展覧会で考えると。
そうですね。
これ可愛いっていう展覧会もね、
相当人の目に。
ありましたね、可愛い。
可愛い動物とかの展覧会ですよね。
可愛いってキーワードで。
あの時、たまたま知り合いみたいな感じで、
中田安田さんとか、
キャリーさんとか、
その辺に、
よかったら来ていただけませんか、
みたいな感じでお願いしてたんですけど、
結局全米ツアーからキャリーさんが
来てもらえなかったんですけど。
33:01
機械さえ背後だったんですね。
可愛い文化も。
確かに。
ちょうど可愛い展覧会。
これ見たの覚えてます、可愛い展覧会。
これは結構海外からの問い合わせがあったりとかしたんですよね。
今更ですけど、
用意していただいている渡辺さん、
美術館さんのお図録用意してもらっているんですけど、
これが特徴的なのが、
このサイズですよね。
そうですね。
普通、図録の家には手元にありますけど、
何サイズというか、
観光本くらいのサイズになってるんですよね。
これもこだわりですもんね。
そうですね。
やっぱり女性の方が多いので、
お客様に。
ハンドバッグに入って、
軽く持って帰っていって、
あとは電車の中の方に見るのも、
足の上に落としたら、
怪我しちゃうような巨大な図録じゃなくて、
大きいのがあったらいいなってことで、
やりだしたんですけど。
こういうのも館長も含めて全員で会議している。
そうですね。
せっかくですから、
告知にぜひ使っていただいて、
ミュージアムグッズ、こんなのもあるよとか、
あれもぜひ。
次の2月6日からの海玉堂展では、
海玉堂の撮影と、
解説というか、論文も付いていて、
お孫さんの大倉さんという方がいらっしゃるんですけど、
その方が結構一緒に住んでいたりして、
思い出がすごく多い方なので、
その方が書いてくださったエッセイなんかもあって、
これが図録になるんですね。
うちのミーゴ版の図録にしては、
ちょっと厚みのある、
すごく内容が濃いです。
こだわりの館長、これこだわったな、
みたいなグッズがありますか?
マスキングテープっていうのは、
最近結構流行っているんですよ。
このマスキングテープ、
各種すごくかわいい動物が付いているのとか、
そういうのがあって、
それがすごい人気がありますね。
やっぱり女性目線というのも大事ですか?
大事ですね。
やっぱりお買い物をすごく楽しまれるのは、
どちらかといえば、
女性の方が多いので、
女性目線がすごく多いですし、
あとはこういう手ぬぐいなんかは、
男性の方も結構買われるので、
あとこのジャクチュウのジャクチュウと、
西村ゴンのワンちゃんのピンバッチ。
これも結構かわいいですね。
こういう会議から館長が出ているってことですね。
そうですね。
どんなものを作りましょうというところ。
なかなか他の美術館の館長は、
そういうことをしないと思っていますからね。
毎回ちゃんと位置から。
36:02
そうですね。
ミュージアムショップは本当に地下で、
実際に美術館の中のもう一つの美術館という、
コンセプトでやっていて、
美術館の中にあるので、
今見た印象をお家に持ち帰ってください、
ということをやっているんですけど。
例えばこの上村松原のお香なんかも、
有名なお香屋さんに、
以前行った職員の二人で行って、
こういうコラボをお願いして作ってもらった。
館長自ら行かれたんですね。
そうなんですよ。
働きますね。
これは松原さんの、
結構有名な、
本当に日本一有名なお香屋さんなんですけどね。
そのためだけに行って作ってもらったんですね。
そうですね。
やっぱりそこまで見てほしいですね、皆さん。
展覧会で作品を見た後に、
ぜひミュージアムショップも見ていただき、
そしてカフェで和菓子も、
こだわりの和菓子も、
お召し上がりいただき、
やっぱりそういうふうに、
トータルで楽しい思い出を作っていただければ。
毎回大体年間何本ぐらい?
年間5回ぐらいです。
結構多い方ですよね。
そうですね。
まずは河合玉堂展が、
すぐ控えしているということでございます。
河合玉堂展では、
1930年、昭和5年に、
ローマ日本美術展覧会で出品された、
非常に貴重な大作をお借りして、
グッドグッドに展示しますので、
それは本当になかなか見れないものなので。
観客も見たことがないという。
そうなんですよ。
そもそもどこにあるのかわからなくて、
伺ってもらったら、
個人の方がね。
へー。
河合玉堂展自体何年ぶりぐらいですか?
3年ぶり。
3年ぶりか。
そうですね。あっという間ですよね。
本当ですよね。
あと前回ちょっと話できなかったのが、
山田姉さんと関わり深い人というのは、
奥村とぎゅうさん。
そうですね。
とぎゅうさんは本当に、
なかなかおっとりした方ですね。
実力はあるんだけども、
世に出るの遅くて、
38歳で初めて陰天に合格したという。
それまでずっと下積みだったんですか?
そうですね。絵本の冊子とか書いてあったと思うんですけども、
ずっと下積みで。
それで、
だけどその頃、下積みの頃から、
39:00
うちの祖父が、
私は将来性のある人の絵しか買わない、
と言ったらしくて、
それをすごくとぎゅうさんは、
その言葉で励まされたんだって言ってくださって、
でも本当に、
秋の陰天の借金って大きいんですけども、
それを全部山田姉が見せて、
買ってくださいって言って、
ほとんど買わせていただいたっていう。
それは売れてから声かけられたわけじゃなくて、
下積みから見せてくれたからって。
本当に遠慮がちな、
自分が自分だっていう感じの方じゃなかったんで。
それは売れてから買われなかった?
売れてからは非常に軽率な、
穏やかな方だったんですけども、
でも長生きされたから、
結局はすごく作品が、
100何歳?
101歳。
すごく作品を、
いろんな人が見てもらうことができて、
押すだけだったけど、
長生きされた分、
よかったなと思ったし。
河原とぎゅうさんの家に電話が引いたみたいな。
そうなんですよ。
とぎゅうさんが、
私の祖父が亡くなった時に、
日本経済新聞に書いていらっしゃったんですけども、
私の祖父が、
とぎゅうさんのお家に遊びに行った時に、
まだ電話がついていなかったんですね。
それを知らないんで、
祖父が、
ちょっと電話、申し訳ないけど、
貸してくださいって言ったら、
いや、うちにはまだ電話ないんですっておっしゃって、
そしたら、2、3時間経ったら、
電話局の人が来て、
これから電話を取り付けます。
お金はもらってありますって言って、
あまりにも山崎さんが、
すぐに行動してくれた時に、
びっくりしたっていうようなことを。
すごいエピソードです。
すごい行動力。
最後に、それも見たいなと思うんですけど、
山田さんはどんなおじいちゃんですか?
私は祖母が1歳の時に亡くなっちゃったんですけど、
祖母と一緒に、私の家族はみんな住むことになったんですね。
ですからすごく親しいっていうか、
ただのおじいさんっていうか、
家族の一員として親しくさせてもらったんですけど、
父とか母とか、会社の人にはものすごい厳しくて、
すごい怖かったらしいんですけど、
私にはものすごいパワーがあってくれて、
本当に目の中に入れても痛くないという感じで、
大地さん、大地さんと言って、
42:00
家族で言っても2人だけの世界観でできてたみたいで、
よく両親で言ってましたけど、
本当にガエルっていうか、
怖かったんですね、社員たちにとっては。
全然私に対しては一度も怒られたことはなかったです。
そんなに可愛がるの?
何でも買ってあげるよって言われたんですけど、
私はいつも、
やよしと絵の具とか買ってくれとかって言うと、
ガエちゃんは、もっと別のもの買ってあげるのにね、
もっとおもちゃとかいいの見えようみたいな感じで。
あと私が小食だった時も、
お寿司屋さんに行っても、
卵とかきゅうりしか食べられなくて、
すごくいつもがっかりしてた。
おいしいもの食べさせてあげようと思って。
もっと食べさせてあげたいのに。
しかもよりによって卵とか。
なんか言いたくないけど、
貧乏な人が頼むようなもんじゃないですか。
我慢させてるみたいになっちゃう。
ネットでだと、
例えばそんなにかわいがっているからって言って、
太子さんに絵をくれるとしてくれるってこともあるでしょ?
それはなかったですね。
そうなんですか、そこは。
別に一緒の家に住んでるので。
私もそこに住んでるから、別にそんなに。
でも逆に画家の皆さんに、
うちの孫のために描いてくれよみたいな。
それはなかったですね。
私のおばのために描いてくれたりもありましたけどね。
海玉堂さんが、
私のおばが結婚するときに
鶴の絵を描いてくれて、
それは結婚祝いにも行ったり、
座ったりしたり。
そういうのもあるんですね。
まだやっぱり子供があったからですね。
なるほど、なるほど。
でもこれ55年ですもんね、
そのおじいさまが作った美術館画っていう。
本当にね、すごい歴史はやっぱり、
まだまだもちろんもっと、
昔からある美術館もたくさんありますけれども、
自分が変わってきた中ではね、
そんなに長く続いてきたんだっていうのは、
非常に自分としては重みがあるというか、
これからはさらによくしていかなくちゃなって思ってます。
50周年が、ついこの前のような感じですもんね。
本当なんです。
50周年でやってたじゃないですか。
その時も全然僕らも関わってたけど、
もうあと5年後に、
60周年完璧祝い的なのが来るわけですね。
そうなんですよね。
あっという間でしょうね。
5年10年あっという間だから。
本当に。
ちょっとその時にはまたいろんな企画を
45:00
ちょっとやっていただけたらと思いますけれども、
はい、ということで、
いろんなお話を伺い続けまして、
お話もいろいろと。
こちらこそ楽しかったです。
初めての収録ですけれども、
どうでした?収録の感想とかいただければ。
やっぱりラジオとかだと全然知らない、
初めて会う方が収録にいらっしゃるので、
フォトキャストの富士さんが、
もともと話慣れてくれる富士さんなんで、
大変やりやすくて楽しかったです。
もともと私、あまり声とか話し方がよくないので、
富士さんの滑舌の良さを少しでも
気にならなくちゃなと。
毎回それ言うけど、全然そんなことないですよ。
全然聞き取りやすい。
いや、とんでもないです。
またこれにモリーズまた出ていただければ。
こちらこそありがとうございます。
次に告知がある時にもご覧いただけたらと思います。
ありがとうございました。
はい、ということでこの番組は定期配信です。
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46:55

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