何を選んでもいいんですもんね。
別に整理をお願いしたわけではないですから。
絶対これ選べよとか圧かけたわけじゃなくて、みんながたまたま選んだらという。
これは川尻さんもどうですか?率直に言って。
いや、びっくりした。
まさかこれが選ばれると。
言ったら、だって国立絵美術館にこれまでいる子なんですもんね、この子に関しても。
500円で見れるんですよ。
安上がりの子みたいな感じで。
これはメインビジュアルにボディゴの傑作があって、もう一個これを選んだ理由って何だったんですか?
キャベツとメロンだけでは、広報的には弱いと。
どんだけ説明、知ればね、わかった上であれがメインなのはわかるけど。
やっぱり人の顔、目の方が人々の注目を集められる。
かつ、こういう言い方は良くないかもしれないけども、綺麗なお姉さんである。
華やかで。
華やかでもある。
っていうことがやっぱり大きかったと思います。
それを決めたのは僕ではなくて、共催者の、基本的には日経さんなので。
僕が押したわけでもない。
日経の皆さんはみんな女性ですもんね。
男性の人たちがこれを選んだというよりは、ちゃんとみんなで話し合って。
この時代でいろいろと説明しとかないと、なんか怪しくなっちゃうから。
ちゃんと女性のスタッフさんたちもみんなで会議して、これが良いってことだったってことですもんね。
もちろん、やっぱり今の時代そういうジェンダーのバランスの問題っていうのは当然あるし。
その中で西洋美術館としても、やはりそのジェンダーバランスを是正して当然行かなければならない。
なので、最近のこういう西洋、西美に限らず、西洋美術の大型展をやると、
女性がかって、最近はほぼ必ず1点か2点必ず入ってますよね。
なるほど、意識的にちょっと選んでる。
だと思います。
それは確かに僕らもそうだし。
なので今回、いくつかあります。
でもとにかくサンリーゴに行く作品で、これはちょっと面白いなと思ったのはやっぱりブノアの作品で。
それはやっぱりこの作品単体としてもそうなんだけども、
カフェと並べられると思ったら、これは面白いと思ったのがきっかけなんですね。
でもやっぱりその女性画家を選ばなきゃいけないとは言って、
僕らの現代の人たちがそう思っても圧倒的に絶対数は少ないわけじゃないですか。
たくさんあって選んでなかったわけじゃなくて、そもそも当時女性画家が少ないからやっぱり数も少なくて、
そこから選ぶのも大変だと思う上でも、ただ女性画家としてこういう人活躍してたよってある程度知られてる。
例えばマリー・アントナと書いたルーブランだとか何人かいるけども、
一般的には申し訳ないけど知られてない2人ですよね。
この時代の女性画家の話をするのであれば、本当であればヴィジェル・ルーブランとラビュー・ギアラという方がいて、
フランスではね。その2人を取り上げるべきなんですよ。
それができたらいいんだけども、残念ながらセリビにはどっちも作品もないし、
サンディ・グリムも残念ながら作品もないので、
だけども十分魅力的な作品だし、カフェも魅力的な作品だし、
もちろん女性画家だから取り上げればいいわけでもちろんないんだけれども、
女性画家を女性画家と並べることによって何が見えてくるのかというと、
別に両方女性に描きましたという事実以上のものは出てこないこともそうなんだけれども、
でもやっぱりほとんどの、多くの取り上げビギナーの美術さんの方は、
この18世紀の後半に実はそんなにたくさん女性画家が一種の減少になったわけなので、
そういったことをお見せする価値というのは当然あるだろうし、
同時代に同じ展覧会に出品していたことが分かっていたりする二人なので、
友達、知り合いだったかもしれない二人。
ありながらかつでも全く同じじゃないんですね、この二枚が。
違うところもたくさんある。
説明をぜひぜひ。じゃあカペの作品からいきますか。
これは自画像。
これは自画像です。
もう一点の方は別の人が描いた女性の肖像が。
女性画家が描いた女性の肖像ですね。
カペの絵は自画像で、ブルーのサテンのドレスを着ていて、
髪の毛もフリフリのカールしていて。
名古屋巻みたいな感じですね。
昔流行った。
頭には大きなブルーのリボンをつけていて、
いわゆる典型的なロココファッションですよね。
それに対してこのブノアの方はとてもシンプルな。
シンプルだけれどもエレガントな。
パッと見た感じで言うと古代ギリシャとかベンハーとか
ああいう映画に出てくるような服を着ている感じはしますよね。
ギリシャ彫刻みたいな濡れ衣のようなシュミーズみたいなものだけを着て
リボンを巻いて、上にショールをまとっているというね。
こっちのブノアの絵の方は、モデルさんはコスプレ的なことをしている。
これが当時のファッションというわけではないですか。
これが当時のファッションです。
ファッションなんですか。
ロココというものからシンコテン主義と言いますけども
よく絵画ではロココシンコテン主義と言うけど
シンコテン主義になった時にはファッションもシンコテン主義。
当時こういう服を着ていたんですか。
それはただ絵画だけではなくて文化一般なんです。
そうなんですか。
これ両方とも当時の風俗をちゃんと描いている絵なんですね。
そうです。
ブノアの方が確か数年年下。
絵が描かれたのはもう15、6年後。
本当にロココ時代に描かれたの終わりぐらいに描かれたかなというカフェと
本当にシンコテン主義が始まったような頃の絵なんですね。
そういう見比べができるわけですね。
そういうことなんです。
カフェもブノアも活躍度は結構どれぐらいだったんですか。
どちらの画家もやっぱりそうやって当時フランス革命の後に
フランスでサロンという国が主催する大きな展覧会が開かれて
長い間男性しか出品できなかったんだけども
女性が出品できるようになった時に
20人ぐらいの女性が出品するんだけども
その20人ぐらいの女性画家の中の2人です。
実力はもちろんあったってことですね。
だけどちょっと流派が違って先生が違うんですよ。
カフェはどういう流派?
カフェはザック流とちょっとロココの系統を引いた
カフェの先生も女性画家で
ラビ・ユギヤルという人で
ブノアはダビットというシンコテン主義の
ナポレオンの絵で有名な方ですね。
について勉強した。
別にこの頃は女性画家になるには
女性の先生に学ばなきゃいけないというわけじゃなくて
ブノアのように男性の画家に学ぶ人もいたってことですか?
人もいた。
ダビットはそういった点で
女性の弟子を取るごとに
とても熱心というか寛容だった人で
この時代ダビットの弟子の女性画家って多いんですけども
何人かいらっしゃるんですか?
それまでの時代にはほとんどなかった。
それまでの時代はやっぱり女性っていうのは
家族に画家がいないと
芸術家がいないとなかなか芸術家になれなかった。
つまり公的な美術を教える場所では
勉強することが許されていなかった。
学校的なダメってことなんですね。
なので工房みたいなところで
お父さんが画家だったら娘が弟子になってもおかしくない。
旦那が画家だったとか
そういったところから出てくる人が多かった。
でもこの時代になると
もちろんルーブランとか
女性画家がまず台頭してきて
そこで学べる女性画家も出てきたし
男性の画家でもダビットのように女性の仲間
男性とは区別して教えていたようですけども
女性の弟子を取る画家も出てくる。
時代背景というか
この二人はそういうところもちょっと違うんですね。
理由が違いそうですね。
比べると確かにそういう意味で面白いわけですね。
これでもカフェの絵の気になるところは
自画像ですけど
ポーズとしては絵を描いている自分を描いているんです。
画家である自分ですよ。
今まさに絵を描こうとしているわけですけど
じゃあこんなドレス着なくない?って思うんですけど
これは外行きというか
こんな格好で当時の女性画家は絵を描いたわけではないと思うんですよね。
つまりやっぱりこれは
現代でいうところのアーシャだと思います。
僕も何かドコミルテンのホームページで
コメント求められたんですよ。
いろんな見方で
最初に言われたのがいろんな人がコメントしますって
トニーさんは真面目なのは求めてないみたいな感じで
そういうのは他の人がやるから
何かちょっと違う角度のくださいぐらいに言われて
どうしたもんかなと思って
でもカフェの作品が
僕の個人的な絵なんですけど
すごく前から気にはなってた絵で
カフェの作品は元々好きだったんですよ。
前にそれこそ一回三菱四皇館の
レブル運転に出た時から
それが三菱四皇館の時には
暖炉の部屋の上に置いてあったから
ちょっといつもより高い位置に飾ってあったんです。
その時に見た見下してる感がすごすぎて
俺はこの人無理だなって
合わないタイプだなと思っていて
それから何か思ってるのが
女性起業家インフルエンサーぐらいの
私こんなに仕事できますよ感のアピールが
今生きてたらインスタでそういうことしてそうな人だな
みたいなコメントが入ったんですけど
結構そういう意味では圧強いというか
でもそこはやっぱり
すごく自信に溢れてますよね
彼女はね
しかも当然若くて
なので社会が少し変わってきた時に登場して
ハンドルはあるけれども
それを何とかして乗り越えてやっていこうとする
その若い女性の
やっぱり自信に満ち溢れた
私ならできるよっていうね