幼少期から高校時代まで
♪~
「アートテラー トニーのそろそろ美術の話」を
この番組は私 アートテラー トニーが
アートに関わる方をゲストにお迎えして
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き
岡田美術館主任学芸員小林予子さんを
ゲストにご経歴を交えつつ
美術についての話を続けたいと思います。
♪~
はい、ということで前半お疲れ様でした。
ありがとうございました。
ご飯もよろしくお願いいたします。
ということで前半でも言いましたけど
結構知り合ってが長いんですけども
意外とプライベートの話を伺う機会がなかったので
一切?
そうはずよね。
もうゼロ、ゼロです。
話盛り上がってるけど基本的には
展示室でずっと展覧会見ながら話してるので
ところでいつから美術に興味を持ってましたか?
とかなんか聞かなかったので
ちょっと聞いてみたいなと思うんですけど
はい、いつから美術に興味を持っていましたか?
それがですね、こう質問いただいて
考えてみるんですけど
うーんと思って
これは後になって、ずいぶん後になってからですが
祖父が、いや私が生後3ヶ月でも
亡くなった祖父なんですけども
母の話による、母方なので母の話によると
骨董屋さんだったらしいんです。
へぇ~
ちっちゃな着物ですよ。小美術やってて
だから家には
伊藤慎水さんの絵があったとか
なんか、ついた手があったとか
その祖父が刀ポンポンなんてやっていたって
いうことを聞いて
それはもしかしたらどこかで
血に流れているのかなっていうところはあるんですね
ミフィやベルばら、中学時代
で、そんな小さい頃じゃあ何に興味を持ったかっていうと
保育園の頃に興味を持ったのは
ミフィ
全然違う角度の元が
流れるように話してきて全然違う元で
当時はうさこちゃんと言っていて
大好きだったんですよ
で、ディクションコ入ってから
ベルサイユのバラ
なんでこれを喋っていいと思ったかっていうと
両方とも展覧会やってるじゃないですか
確かに確かに
だから今となっては
美術扱いでいいんじゃないか
美術のものとして
でもミフィもそうですもんね
だって色味はモンドリアンから
そうそう
ブルーナさんが
四色にこだわったりとか
絶対的に線にこだわって書いてるっていう
美術品といいんじゃないかなって
子供の時も美術品として目立てたんですね
としたい
としたい
でもミフィはどうハマったの?好きで買ってもらってたと思うんですか?
親が大胆だと思うんですけど
絵本いくつもあって
毎日、子供が寝る時に読んでもらったりとか
ぬいぐるみとかよりも絵本
あとうさこちゃんの子にエプロンとかしてました
へぇ~
で、その後ベルバラにしました
そうです
だいぶ変わりましたね
だいぶ変わりましたね
小学生でハマるもんなんですか?ベルバラ
結構大人の世界ですよね
でもハマってしまって
絵がきれいですよね
あの美しさに
あとオスカルの生き方に
グッと見て
小学生で
小学校、小学年ですか?さすがに
そうですかね
それでセリフを覚えたりして
ハマってるんですけど
漫画ですか?アニメではなくて
漫画です
そういうのは友達とも話してた?
してましたけど
私ばっかですね、だいたいは
周りはまだそこまで
中学校での感動とその後
そうかもしれませんけど
でも本当に今でもオスカル様というふうに
私は呼んでますけど
そんな時代があって
美術というものに興味を持った
いわゆる美術に興味を持った最初は
中学3年の時に
シナコ旅行で
宇治の平等院の「アミダニョライ」
あれを見た時だと思います
へぇ~
そういうのに感動した?
そうで若手のいたりだし
藤原のより道という大貴族が
作ったお寺だし
お金にあかせて
贅沢に作ったもんでしょ
みたいな感じで
どんな中学生ですか?
そもそもですけど
中学生はああいうのを見ても
興味がない学生じゃないですか
やっぱり仏像とかよりも
保管のところで遊びたい
行くのはいったんですね
貴族が作ったものじゃないかみたいな
そうだよ、あまり期待してなくて
歴史の教科書っていうか
授業で
文化欄は好きだった
文化史のページは好きだったんですよ
だけどやっぱ貴族が作ったっていうのに
なんかどうも
気にこわなくて
そういう興味のなさってあるんですね
全く興味がないとか
一般の中学生だけど
そうじゃなくて
貴族が作ってるから
ちょっと興味持てなかった
そうなんか嫌だなみたいな
でもいったら
感動しちゃったんです
それで
はぁ~と思って
あの前に立った時に
この阿弥陀様はなんだろうって
思っちゃったんですよ
普通の仏像ってことは
目がもっと細くて
なんかこう
あんまり表情
半開き的な感じが多い
表情がないじゃないですけど
だけどあの阿弥陀様
ちょっと目が平気味で
なんかこう
しっぽ豊かで
理屈はないんですよ
ただすごいって思っちゃったんです
その事前のアンチの気持ちは
吹っ飛んでしまって
あ!超えてるとか思っちゃったんです
それで
中学旅行の作文を書きましょう
って合いがないんですけど
阿弥陀如来その真奈子と心
って言って
論文じゃないですよ
中学旅行でそんな書いて
そんなの書かないですよ
普通
書いたんですよ
その時
一人で行ったわけじゃないわけじゃないですか
メンバーで
メンバーはどんな感じだったの
知らないんですけど
私も別に
そんなことを言ってるわけではないし
その時に感動したよとかも伝えたい
別に喋ってはいないと思うんですけど
心の中で思って
書いたら
たまたま教育実習できていた
高校時代からの興味
国語の若い女の先生に
褒めていただいて
作文ですか
そう
論文みたいな
今喋ったように書いたんですよ
もともとこんな風に
あまり期待してなかったし
見てみたら感動したみたいな
そのまま書いたんですけど
誉められると気持ちよくなります
そんな体験があって
仏像に興味を持ち始めて
なぜか高校の時も
関西京都ならが主学旅行で
その時は仏像見てました
法隆寺とか好きだったから
本当にその時は浮いてましたね
周りはそういうところに行きたかった
一人で臨時社会の先生と
仏像の話しながら
喋って歩いたりしてて
夜は枕投げようと
ちゃんとしたんですけど
ちゃんと押さえて
昼間は仏像大好きだったり
佐賀の方の資績とか
回ったりしたり
大学時代の研究分野の変化
大原行ったりとかしてたんですよね
大学行って
ただ高校の時は基本古典が好きだったから
古文とか漢文とか好きだったので
大学に行ったら
古墳系に行こうかなと思って
文学部入って
最初の2年間は教養部みたいに
色々やってて
別れ目が3年から
専門に入る時に行って
そこでちょっと出来心で
インド仏教師っていう
オリエンテーションっていって
色んな研究士と回ってみて
っていう機会を設けてくださって
本当に出来心がいいんですよ
行ってみたんですよ
そしたら教授、助教授、助手
5人ぐらいずらっと並んでいて
そのうちの1人が
頭が光ってて
耳が大きくて
眼鏡が上げて
マハトマガンジみたいな
インターブルで行ったら?
インターブルにいたんですよ
その5人のうちの誰が行ったか
分からないんですけども
ここの研究室に入ったら
サンスクリットと
ヒンズームとパーリー語が
マスターできなければいけません
って言われて
無理でしょ
1個も無理ですよね
ダンジーみたいなのもいるし
インドに行っちゃったみたいな
見た目で圧倒されてるのに
そんなことまで言われて
もう無理って思って
おそらく先生方は
生徒を見たとたんに
できるできないって分かると思うんですよ
この子はできるはずないって
最初から門前払いだから
そういうことを
無理なんて言って
最初に諦めさせたんだろうって
後になって思ったんですけど
パーンって
そこは早いなと
もちろん無理って
出来心ですよ
その頃には
古典に対して
あまり興味がない
文字だけじゃつまらないかも
みたいに思い始めて
形合うところがいいなと思って
ゼミでの成長
どうも東洋日本語の
通信ってのがあるらしいと思って
行ってみたら
あの優しいお兄様
助手でいて
ニコニコしながら
いろいろ教えてくださったんですよ
その時仲間の
学生の女性たちに対して
楽しかったんですね
6人の女性と男性1人で
7人で学科に入ったんですね
そしたらその時の
優しい女子の方は
早々に博物館に出られて
その後大学の教授になって
いられるんですけども
いらっしゃらなかったんです
それでも楽しく勉強
してなかったんですけど
大学時代アイキドやったんですよ
意外
中高って
本当私運動オンチで
体育全然成績悪くて
コンプレックスがあったので
運動神経なくてもできる
っていうもので
武道っていうのは
毎日お稽古していけば
ちゃんと上達する
っていうふうに言われたので
と思って満を持して
アイキドグに入って
大学のアイキドグ
そうそう
それでも体育会なので
もう稽古毎日あるし
合宿もあるし
明け暮れていたので
勉強しなかった
毎日明け暮れたら
やっぱり強くなったんですか
3年間やると
5級から始まって4,3
初段までは取れて
一応苦労日までは
えじゃあ
アイキド初段なんですか
そうそうそう
意外な意地
じゃあ
柳が入っても大丈夫ですか
全然ダメです
だってもう卒業してから
やってないので
ダメなんです
だからあまり
勉強してなくてですね
といっても
3年に入る専門に入るので
ゼミ発表というのがあるわけですよね
最初に発表したのが仏像で
くだら観音ってわかる
宗流寺
あれにおそらく
高校の修学旅行で
惹かれたんだと思うんですよ
それ発表して
その時に教授が仏像の先生だと
女教授は中国海外の先生だったけど
そこでまたパーンって叱られて
その論文って発表がですか
口頭発表ですけど
やっぱり初めてだし
いろんな皆様の論文とか
他に言われてることを読んで
それ喋ってたんですね
そんな人の意見ばかり言っちゃダメだと
君はどう思うんだいって
一言教授に言われて
それ今でもずっと
君はどう思うんだいっていう
そこを自分が
どう考えるかっていう
そのせいは極端で
人のものは読むなって言うんですよ
読まないわけにいかない
例えばなしの言い方だと思うんですけど
読んだとしても
自分の見方っていうのを
ちゃんと伝えなさいっていうのを
今まで大事にはしてますかね
でもいい出会いですね
そこで言われたことがあっても
あとは集学館、ゼミの研修旅行っていうのがあって
そこでいろいろ個人ぞの宅行ったり
博物館、美術館で特別観覧させていただいたりして
勉強して
気に入った一点を発表しなさいっていう場があって
そこで弱宗だったんですよ
へぇ、仏像じゃなかったんですか
そこでは弱宗にしたんですね
小林学芸員の美術遍歴について
仏像も当時教授が行った
学生連れてあちこちのお寺さんとか
調査されたのにくっついて見に行ったりもしてたんですけど
ゼミ旅行の時は弱宗の
展覧会にも出るのでご存知だと思う
昭告寺の鶴の絵を模写した弱宗の絵っていうのがあって
それを見せていただいて
その今展示、お金別館でしてる作品にもありますけども
白い五粉という絵の具をレース編みのように
透明感豊かに塗っていく
そういった羽の描き方があって
鶴の羽の描き方が素晴らしいなと思って
それはどこで見たんですか
個人のお宅ですね
原本の中国の絵は昭告寺さんにお持ちなんですけど
模写した
個人が持ったものを見せてもらえたんですか
それはその時は今みたいに弱宗文もない時ですか
もう少し弱宗を知られて
ずっと前ですよね
それをこの羽の白が反転する描き方みたいなことを発表して
それは面白いなあなんて
その気持ちも
厳しい先生に言ってもらって
そうこうしてるうちに
卒論のテーマを決めなければいけなくなるんですね
やっぱり仏像好きだから
くだらかんのんとか言っちゃったんですよ
そしたらその時の女子の先輩が
いやねってね
当時はまだ今のように女性の仏教
仏像研究者っていなかったんですよね
仏像に研究するっていうことは
段の仏壇の上に上がって
仏像を持ち上げたりひっくり返したり
いろいろやるんですけど
肉体労働の
そういうわけじゃなくて女性は入れない
そういう生液として
そういうこともあるから
女性は絵をやった方がいいよって
そこでパーンってこう
言われてそうなのか
その時は割と素直に
じゃあと思って
でもだって研修旅行で
いろいろと仏像見せてたのに
早めに練習してくれりゃいいっすよね
それで先輩で女性の方々は
皆さん絵のことなさってるし
そうかと思って
じゃあ絵で何やろうかなと思った時に
芸術研究の始まりと春信の研究
その時に惹かれたのが春信
浮世絵の鈴木春信
いろいろ考えた中で春信やりたいと思って
卒論のテーマに決めたんですよね
ただ本当に勉強はしてなくて
全然研究の道に進むなんて
強いほども思ってなかったから
早めに就職決めて
もう卒論を書けば出れるし
みたいな感じでやってたんですよ
その時は就職はどういうところに行きたいのか
普通の一般企業で
行ければいいやつだったのか
そんな感じだったんですよ
それでもう決まってたし
決まったのか
決まって
決まった後で
卒論を書いてて面白くなっちゃったんですよ
卒論やってたら
そんなボタンあるんですね
そんなんだからもう決まってるから
適当に書ければ
形式だけ書ければ
卒業してはい就職
そうやってる時は面白くなっちゃって
春信のすごく知的な構成なんです
画面が春信の絵って
それがどんな風な構造になってるかなと思って
当時は今みたいに
パソコンで切り抜いてとか
できないんですよ
どうやったかっていうと
研究室に暗室があって
自分で白黒の写真を焼くことができたんですね
キャビネ版の陰河市の先輩から言われて
イルフォードの繁光卓を買いなさいって言われて
何言われてるか全然わかんないですけど
サンスクリット語ぐらいよくわかんない
それで買って
1人くらいの女性が入るように
6分割を切って
キンセットに持って
自分で複写した白黒のネガーを
陰河に焼き付くように
部分的に焼いていったんですよ
そうか今なら簡単ですもんね
パソコンで切り抜いて
ペッペッと貼っていけるけどできない
できないから
全部その部分を写真に焼き付けて
それを組み合わせて
同じ型がこうなってます
それの組み合わせのパターンが
こんな風になってるみたいなことを書いたんですよ
そうすると評価されちゃって
思いのほか
あの怖い教授が
のこのこいい仕事をしてくれたみたいに言ってくださって
本当に短い卒論です
小林学芸員の美術学研究の進展
原稿4子で50枚ぐらいしかなくて
まず後半はダメだけど前半がいいとか言われて
ちょっと研究室の器用に書きなさいって言われたので
就職して仕事をしながらだったんですけど
ちょっとまとめて
もう就職はしたんですか
そうしたんです
やってるうちにやっぱ面白くなっちゃって
やっぱ戻ろうかなみたいに
そうなんですか
だから就職してしばらくしやめて
2年後に大学院に入り直したんです
自分の母校に戻っても仏像の先生とか
全然違う分野の先生なので
仏像の恩師にお相談に行ったら
そこで言われたのが春信なので
ちゅーちゃんのところに行きなさい
まさか
小判ちゅーさん
ちゅーちゃんって言われて
ちゅーちゃん言いづらいですね
おそらく小林館長のことをちゅーちゃんと呼ぶのは
私の恩師だけだったんじゃないかと思うんですよね
小林館長はもともと東京国立博物館に勤めていて
私の恩師は奈良国立博物館に勤めていて
もともと博物館仲間で
よく知ってたんだと思うんですよね
ちゅーちゃんちゅーちゃん
その時でもちゅーちゃんって言われても
パッとあの人だなってなったの
もちろん春信の卒論書くと
色々読んでますので
あああのちゅーちゃん
直接なんか絶対言えないんだけど
一応その恩師の言葉を使って
ちゅーちゃんのところを受けて
それでももう一つの女教授の恩師の
別の大学に行っていたので
そっちも一応受けたんですけど
そっち落ちてめでたく
なので拾っていただいた小林館長の学生になって
春信の勉強を研究したんですけど
途中で2年ぐらいやったんですけど
陸営ばっかりやっててもなみたいなところもあって
そこで池の大が
前半にも出てきた
小林学芸員の美術遍歴について
文人側の方にシフトしたので
修士論文書くのに4年間かけて
それで修士論文出して
就職していったわけなんですけども
その時に小林館長は
今でこそ優しそうに見えると思うんですけど
怖かった
ほんまですか
そんなイメージ全くない
あまり言っちゃいけない
ちゅーちゃん怖かったの?
おそらくずっと若い頃で
学習院に入られる前
来られる前は名古屋大学に行ったんです
若い名古屋時代のことを知ってる方とか
怖かったと思うんです
私とも本当に怖くて
厳しいこともいっぱい言われて
あの高層発表っていうのがあって
修士論文からの美術研究への転身
修士でどんなことを書くかって言って
美景の大学のこの作品の
こういうことをやったら
ダメだそんなのみたいに言われまして
当時ちょっとその建築士との関係っていうような
美術士のやり方が流行り始めたところもあって
お寺の障壁画も
その建築士的なことも含めてなんて言ったら
そういうのはなんか
感に触ったのかわかんないんですけど
流行りに乗ってるなみたいな言い方です
そういうのもあったかもしれないんですけども
その自分がなかなかこう
なんていうかアプローチできない
あの知り合いがないお寺さんだったし
あの面倒も見てあげられないし
ってことでブツブツいろいろこう
ブツブツいろいろな心の声が
俺は始めましたけど
おっしゃっていただいて
でも結構厳しかったんですよ
私泣いてしまってですね
まだ若かったし
今のように心臓に血が入る前なので
タイガーとミッフィーの想い
こうシュンとして
で先輩に相談したりして
で先輩がでもまあ
ゆこちゃんね
今先生についてるんだから
先生のゆとりにしたらって
なだめていただいてそうかと思って
先生が小橋館長が勧めてくださった作品
あの台南の飛行の病
あのスケッチとか残ってる
あの病部名は京都国立科学物科にあるんで
それもっと調べてみたら
って言われて
あの実際の作品との関係も出てくるかも
って言われて調べてたら
出てきちゃった
出てきちゃった言うとおりだった
そうなんですよね
結構あの新しい説になって
でゼミのゼミ発表でしたら
喜んでくださって
よーしケンカうれみたいな
従来の説に対して
そうなんか嬉しそうに
よーしケンカうれ
そんな人だったんだ
でなんかその周りの学生さんとか
喜んでくださって
で学会発表もさせてもらったりして
論文にしてっていうことがあって
だから御子の言うことは聞くべきだな
でもだから当時流行りだった
その研究的なアプローチしたら
別にそこまでは
発表まで行かなかったかもしれない
そうです
見ることも大変だったし
おそらくこう袋工事に入っていたかもしれないですよね
本当に先生のおっしゃる通りで
であのだもう本当感謝ですよね
頭あがんだり
池のタイガで目覚めた理由ってのが
きっかけはあったんですか
わからないです
気づいたってことですよね
そうです
なんかこう春信もそうなんですけど
色々見てて惹かれるものがあったのが
春信とタイガなんですね
でただあの二人の共通点は
全く同時代の東と西なんですね
春信は江戸で京都がタイガなんですけど
18世紀の半ば
小林次官長の時代工運の江戸前期中期後期
中期のど真ん中なんですよね
であのその時代の
なんかこうものに惹かれるのかな
っていうのがあります
でさっき申しました
その養成年間の中国の焼き物
それも養成も実はタイガが生まれた
1723年に始まるんですけど
表示なんですよね
でさらにベルサイン
俺も思いましたベルバラがそうだなと思いました
オスカルは架空の人では
実際モデルいるにしてもね
時代性に惹かれてるとこもあるのかもしれない
ベルバラが複製になってると思わない
ここで複製回中になるとは
そしてミッフィーもみたいなことになってるんですけどね
ミッフィーは違いました
ちょっと違います
残念ながら
なんかでも惹かれるものがあるのかもしれない
トニーさんもみんな誰でも
シンパシーのある時代ってあるんじゃないかな
生まれ変わり
私の場合それは18世紀
僕ですか
僕はでもマグリットがすごい好きなんですけど
そう考えると20世紀
でもダリとかシュルレアリズムとかに
引かれますけど
そうですね
今振られたはいいんですけど多分ないですね
その年代の年代は
小美術の中でおそらく惹かれる年代って
それぞれみんなあるのか
あるんじゃないかなって思ったりは
これは新しい切り口というか
新しい問いかけなので
ちょっとリスナーさんももしかしたら
私17世紀ですとか
そうそうそう
16世紀ですって人もいると思います
理屈抜きで好きな作品を見つけて
そこを窓口にして見ていくと
なんか実はこっちも同じ時代だったみたいな
だからそういうわけではないと思うのは
例えば美術だけじゃなくて
やたらと大正ロマンが好きですとかみたいな
ありますよね
区分で好きな人っているし
それで言うとリンパもそうなのかもしれないですね
だいたい100年ごとになってるってことは
100年前のあの年代が好きだった人たちが
集まってるのかもしれないし
なんかそういう年代の区切りってのがあるかもしれないですね
タイガーにして今でもずっと
春の子供でソセロンで書いたまま
何もしてないですけど
永遠の恋人みたいな感じはあって
タイガーの方は
あの本当にさっきも
作品のこともしましたけども
繊細なのと
雑俗の世界っていうか
清らかな聖歌な感じがして
あのとても惹かれるんですね
文人画とは
研究はそれだけではできませんので
そんなことばっかりは言ってられないんですけど
コンテにでも惹かれるものがあると
研究もモチベーションが上がるから
なんとかもう少し深めたいなと思っているんですけど
池野太郎というのは中国に憧れてたから
なんか名前
池野の漢字があったんですか
はい池野っていう姓なんですけど
池太郎っていう風に
中国人風に
漢字一文字漢字二文字にしたかったみたいな話が聞いたことがある
良さの武僧も者武僧って言ったり
それはやっぱ当時そういう流行りがあるんですか
そうです
中国風にっていうのはよくあったんですね
それでこの小林さんが携わった文人画ということなんですけど
これ
軽くいきますか
軽くですねこれ
まず文人って読めないじゃないですか
文人とか
文の人とか
私の知人が何文人画って言って来た人もいて
まあそうだよね
今の現代では死後に近いかもしれないんですよね
でこれ理屈説明し始めたら
もう本当にわけわかんなくなるくらい
ちょっとこう歴史的には複雑なところがあるので
私なりに
まあツライギャラリートークなどで言ってる
二つのポイント
司書が一致
司と書とが
が
司書が一致の教示
それは画の中画面の中のことですか
そうですね
ただ詩が書かれていなくても
絵が詩状を持っているとか
無性の詩って言うんです
絵は無性の詩って言うから
詩は有性のがって言ったような
お互いが保管し
この場合の詩っていうのは
中国の昔の詩みたいなことなんですか
それとも今作るものもあるんですか
当時作る
当時これは過去の歌詞館であるので
古典的なっていうものと
でも文人その人は詩を作ること
書を書くこと
絵を書くこと
いずれにも優れているっていうのが前提
司書が三折って言ったりもするんです
司書がっていうのが教養の根底にある
っていうのが一つと
二刀流みたいな大谷翔平みたいなこと
詩もできて書もできて
絵もできてみたいなこと
司書が一致っていうのが一番わかりやすい
それが一つと
あとは精神性の高さを問うとぶっていうのが
大事かなと思ってまして
例えば輪場だと装飾性とか
デザイン性じゃないですか
丸山史上射精
精の字違いますけども
射精できないじゃないですか
家の家だったら難しい
構築性だったりするのか
わかんないんですけど
精神性が問じられるっていう
この二つがポイントとして挙げておけば
わかりやすいのかなと思ってるんですね
精神性と言えば人柄も関係してくるんじゃないですか
そうですね
人柄も関係してきますけども
その画題テーマにしても
脱俗の世界
俗ではない
で、その精神性と理念的なところの中に
自己的ってちょっと難しい
自ら楽の語です
自己的というのは適当の的に
意にかなうって書いてるんですけども
簡単に言えば自足の境地です
自ら楽しんで自分の気持ちにかなう
という精神的に豊かなところも
とうとうということで
画風から言ったら
とても柔らかな
自分の心情を乗せやすい
柔らかな筆地で
書いていくものが多いんですけれども
ある意味死後に近いような
昔の東洋の教養人の世界ではあるんですけども
理屈抜きに絵を見ていただくと
さっき言ったタイガンド
柔らかくて繊細で
心に染み入るようなところがあります
ただ印刷物とかになりづらいんですよ
なるほど
良さがそれだと伝わって
そう、色が淡かったり
筋がね、濃淡が微妙だったりする
だからメディアに乗りづらい
そう、池のタイガは文人画の代表とか
そうですね
私が言いたかったのは
色々メディアに乗りづらいところがあるんですけども
本物を見ていただいたら
現代の今も価値観が変わってるじゃないですか
ただこうお金があればいいわけじゃなくて
皆さん地方に移住したりとか
そういう生活になって
本当に自分にとって大事なものを
探す時代になってますよね
その中で文人画は
受け入れられるんじゃないかなっていう
思いはある
文人画の評価
露発的なじゃないけども
今最近流行りの生き様というか
生き方みたいな感じなんですね
改めて見直してもいいんじゃないかなっていう
もっとアピールしなくちゃいけないかな
なんて思ったりもして
いわゆる映えないってことなんですね
そうそうそう
オシャレと
なるほど
映えればいいってもんでもないですもんね
というか
映えないとこにもいいものはあるんですよ
キャッチーな音楽が流行る一方で
円価いいよなみたいなこともあるんじゃないですか
15秒で切り取った時にはあんまり良さがないけど
TikTok向きじゃないけど
染み入る曲とかもありますよね
そっち側なんですね
そうだかもしれないですね
でもゆう子さんはそっち側が好きなんだ
どっちかというと
地味な人間なんですね
地味な人間?そんなことは
でもその文人家で卒論を書いて発表もしました
そこから美術の道に就職になるんですか?
そうですね
それで学部時代の時も大学院は変わりましたけど
その研究室にそれぞれ先輩たちがいて
時々やってきたりとか
旅行に行った先でお話したりとか
みんな素敵な人たちで優しくて
奇策でいいなって
人柄に惹かれて
いいな学芸になりたいな
なりたいなとなっちゃったわけですよ
そうしてるうちに
その最後に論文就論書き始める頃
大学院の4年目の時に
ちょっと来ないと言われて
この世家堂さんの方の先輩に
大学の時の先輩だったんですけど
なんかアルバイトに来ないかって
小林優子の美術館・美術品の魅力
お誘いをいただいて
1年間アルバイトをしながら
漫法で就志論文を書いて
その書き終わった年に
今は丸の内に移りましたけども
世田谷役の岡本で
世家堂文庫美術館というのを開館したんです
その年に就職した
開館とともに就職して
そこでしばらくいさせていただいたんですね
本当嬉しかった学院になれて
夢のような気がして
あの時の二子玉川の春の花見月の光に浴びる
川焼きとか今でも
どこの花見月ですか
二子玉川駅に降りて
三子玉高の方に向かって
そっから世家堂の方に向かって
花見月の並木道に歩いてたんですよ
昔歩いてたんですか
バスじゃなくて並木道を通って
嬉しくて幸せな時期になって
仕事の時期とかも触るようになって
手足箱の中に入って
掛け軸の入った丸まった箱とか持って
階段登ったり
それが嬉しくてたまらなかった
何だかわかんないんですけど
今でもそうですけど
掛けたり閉じたりするのも好きなんですけど
なんか丸まった絵の入った箱持ってるっていうのが
無償に好きなんだ
ちょっとわからないです
どういうことなんだろう
その抱えてるのが楽しい
一番テンション上がる
理由がわからない
理由はわかんない
それを掛けて開くのが楽しみだなって
ワクワク感みたいな感じ
あるんですか
でも持ち帰る時も楽しいんですか
不楽しい
その丸まったものを持ってるのが楽しい
なぜかわからないんで
ちょっと理屈を考えてみたんですけど
なんかこう
おかしくなってきちゃった
開いた時にやっぱり立派な絵ですよね
何百年も残ってる
それがなんかこう
丸まって休んで
こうこう
いって
こうこうこう
静かにしているのを
抱えてるっていう
じゃあ今ちょうど天然界やってる
ジャクシュドイストンの掛け軸も
もう丸めて持ってきたいですね
箱に入れて囲む時が楽しい
じゃあ早く6月4日終わらないかな
もちろん見ていて
絵が描かれてる空間
美術館の展示室の空間もちろん大好きだし
美術館という空間
どこの美術館に行っても
好きなんですけども
何故かその瞬間が
でもこれ聞いていてよかったですよ
後輩の学芸人さんが気を使って
私持ってきますよなんて言ったら
楽しみ奪われてる
なるべくそうならないように
これは申し遅れしとかないで
つい持っちゃうんですよ私が
前足で撮りたいの大好きで
ついやっちゃうんですよ
やっちゃうのでやらないように
皆さんにやっぱ
若い人達に慣れてほしいから
あダメって言うことで
手をこう一緒に
そんな衝動があるんですか
ごめんねやってやって
何なんですかその衝動
聞いたこと初めて聞きましたこれは
どうでもいい話ですよ
でもこれまでいろんな学芸人さんと
お話することもあるわけじゃないですか
仕事から
その共通の人は見つかったんですか
私も私もみたいな人
でもある
今もともと博物館にいられて
この博物館に大学の先生になった方は
撒いてる瞬間が好きと
あるんですねそれぞれ
そう撒いて
キューなんてやってるんですよ
何の話だろう
美術館の仕事について
それはね近いものなんですよ
でも撒いてるのは分かる
開くが一番テンション上がるんじゃない
それは聞いたことがあまりないですね
開くときに
ワクワクするの当然だと思う
それは当たり前で
聞いても面白くないです
それは普通ですもんね
そうじゃないところが
でもその方だけです
似たような人形の感じ
ゆう子さんは撒いてる時はそこまでなんですか
撒くときはそれが緊張するし
苦戦もあるので
一点一点うまく撒けるかって
何年やってても緊張はあるんですよね
だから緊張がなくなって
撒いちゃってまあもういい
安心感もあるのかもしれないんですけど
いやこれはちょっと
でももしかしたらですけど
おじいさんもそうだったかもしれない
もしかしたら
そういうことかもしれない
なんかそういう内なのかもしれないですよね
そうじゃなければ理由つかない
この理由つかない話を
なんで聞いてんのかなと思ってました
ずっとなんか結構面白い話です
すいませんどうでもいい
こういう話が聞けるのが
だってこんな話あれですもんね
日曜日ですかもしないですもん
アートシーンで来られて
文人の寄贈・図録作成について
私はこうやって
絶対言わないですもんね
さすがこの番組らしい
ヘプトだなと思いました
せいかと文庫さんではどう言ってるのか
いろいろ文人の
一番印象残ってるのは
文人が来てきつかったのが
いろいろあるんですけど
きつかったどういう
お世話になった先輩が抜けられて
抜けられとは思わなかったんで
ちょっと落ち着いたから
少し勉強しようかなと思ったら抜けられて
次々に展示をしたり
図録作ったりしなければいけなくなったりとか
印材が寄贈されて
1年後でいいと思ったら
半年後に図録作れとか
なんか無茶ぶりが結構あったりして
本当に頑張ってきたわ
言うんですけど
辛かった中でも
民進書が正章
っていうのがあって
中国海が図録作った時に
これは自分の専門ではない人って
難しいので
研究の所先生に
何人か手伝っていただいたりしてやったんです
けどもやっぱり辛かったですかね
でも民時代と新時代に特化した
図録を作れたので
それは大変勉強にはなりました
私は絵画が
ニソン・キーセイ絵画が専門であるんですけども
焼き物も含めて
青稲戸時代の経験
いろんな分野に触れることができた
っていうのはすごくありがたくて
その後岡田美津海に入って
本当にいろんな分野
1回から5回まで見ていただいた通りありますので
青稲戸さんで勉強させていただいた経験は
本当に今に
とても良い経験をさせていただいて
勉強させていただいたと思ってるんですね
一番何が良かったかっていうと
手グス貼りっていう仕事
だから茶道具とか
焼き物を
地震から守るために
付いてますね手グスが
飛ばないように
特に大震災があったりして
気を使うようになったじゃないですか
結構やってたんですよ青稲戸時代に
それも日津さんとかから教わるんじゃなくて
青稲戸さんって岩崎県なんですけども
親子2代で使えてきた方々の
2代目の方がいらっしゃって
その人に教わったんですよ
なぜかっていうと
その人は釣りが大好きで
手グスって釣りの
ロードを使いますね
網を自分で編んじゃったりして
昼間なんかね
方のいる場所で
ストープの前で網を編んだりしてたんです
手グスの扱いに慣れていて
その技を使って
こう貼るんだっていうのを押さったんですよ
あれは手グス貼りって
博物館学で学ぶとかじゃないですか
結構
博物館ごとに独自でやってるんですか
おそらく専門の日津さんとか山戸さんとかに
やっていただくかも多いと思うんですよ
でも当時まだ青稲戸さんにいた頃は
その方に教えてもらって
学芸員が貼ってたんですね
こうやるともう完全に止まるよみたいな
簡単に容量よくきつく
こうやるといいんだとか
っていうのを押さったんですね
でそれが特に
焼き物を展示の時は
担当の焼き物の専門家は
解説書いたりしてるので
絵画専門の私は
ひたすら手グス貼ってるわけです
その技は持ってるから
からざるを得ないという役割として
だからいくつもいくつも貼って
覚えちゃったところがあって
それが岡田美術館に入って
2013年に開館したんですけども
岡田美術館での手グス貼り
2015年に噴火
箱根山の大櫻谷の噴火騒ぎで
すごい地震だったんですよね
下から突き上げるような
でそれまで手グス貼ってなかった
ああ貼れってことになって
250点が1回2回だけで
結構な量あれ全部貼ったんですよ
ゆう子さんが
私と学芸員残り2人と
あとちょっとなす主母にお手伝いいただいて
休館しないで毎日閉館後に貼ってたんですか
で一周やれやれって終わったんですよ
そしたらちょっとその
面身装置って
それと方針が変わって
もう1回
やり直しですか
2周
早めに打てほしかったんですよ
そうまあでもそれでも
安全に越し込んで
無意識に培ってしまった
手グスの貼り方っていうのを
皆さんにお伝えして
やっていただいて
ただ貼ればいいってもんじゃなくて
いかにきれいに貼るかとか
あれのやり方って
コツ
でもそれは
岩崎家の使い方に教えていただいた
それをアレンジしてるだけなんですけども
それをまた伝えて
じゃあここにじゃあ
茶碗
丼的なものがあります
そしたらまずどうして
お碗的なものは十文字に
あることが多いですよね
国にどういう風にかけたら
すぐ決められない
一回刈りをして
そこである程度固定してるけど
テンション調整して
もう1回短くしたり長くしたり
っていう作業が必要なんですよね
強くもなく弱くもなく
そこの調整が効くような
手櫛の美意識
仮止めの仕方
いう技がある
これをやると
調整できる止まり方があるので
それでまず引っ掛けて
調整してピンピンって音で確認してから
最後にキュッてやるんですけども
最後どっち側に手櫛持っていくかとか
どこで切るかとか
準備意識にこだわりながら
逆に言うと普通に展覧会
他のところ見に行った時に
ちょっと手櫛甘いなとか思ってた
思う
思うのですか
嘘にすごいですね
一般の人は
手櫛つけていただいて
それは確かに作品としては大事なんだけど
多分一般的な美術のファンですよ
手櫛がない方がいいな
が多分一般の感覚じゃないですか
手櫛なしで見たいなだから
手櫛の張り方も多分見てないけど
ゆんこさんのレベルだと
手櫛の美意識までいくんですね
岡田の美術家の学芸品は
みんな見てると思います
この美意識ちょっと
張り方が弱いんですか
弱い弱い
強さはちょっとわからないんですけど
張り方とか
例えばこの平というか
平でもどこに輪っかが来るかですよね
一番普通にやっちゃうと
一番首の細いところに行っちゃうんですよ
はいはいはい
こうなった
ここに行っちゃう
そうすると首締めたみたいになって
花瓶みたいなものの形の首の部分に
こうキューってなってる感じがしちゃう
そうじゃなくて
そのここでかかってるところが
肩の少し低いところにあった方が
目立たない
なるほど
だからそうなるように調整の時に
輪の位置を下げる
っていう技があるんですか
そうにしていく
調整したりとか
なるべくしっかり倒れないようにしなければ
いけないんだけども
見栄え美しく
できれば目立たない
できる限り目立たず
作品の見どころを考慮した美術展示
作品の見どころを隠さないようにとか
だからお皿の場合も
縦文字の方がいい場合もあれば
V字に貼る場合がいい方があれば
あるいは平行に貼った方が良かったりとか
それは作品の形とか高さに合わせて
全部考えて
どっちがいいかしらねなんて
相談しながらやったりしてます
ちょっと今後お方見せに
テルスばっか見そう
やめてくださいよ
本当は目立っちゃいけないものなんですけど
だけどこんな話で盛り上がっていいのか
プロフェッショナルだなと思います
それこそ
岡田美術館の10周年とコロナ禍
そんなことないんですけど
まさかその岡田美津館が開館して
2年後にそんな大枠谷噴火とか持ってない
確かにあれ結構大変でしたよね
今でも
本当にもう観光客も少なくなっちゃったり
その時にありがたいなあの経験って思って
そんなこともあったりしましたかね
聖歌堂イズムが続いてるんですか
学ばせていただいたおかげっていうか
教えてくださった方は恩人です
聖歌堂はいつまで
18年ぐらいいたんです
あれ僕聖歌堂時代にお会いしてました
やっとお会いしてない
岡田でお会いしてる感じですよね
聖歌堂だから展覧会は全然普通に見てるんですけど
そうですかね
もう出るからだと思うんですね
まだこの番組には出てないんですよ
聖歌堂さんは
長谷川さんすごいお世話になってるんで
陽炎天目の
そうですね
今根丸の内に移られてね
本当に近く行けるようになったから
ありがたいなって思うんですけどね
で今岡田美女ですけど
でももう10年目じゃないですか
そうです早いですね
どうですか岡田美女史館の10周年
振り返ってみて
その大変なところはその大枠谷
山あり谷ありで
コロナもあったりとか
あと雪でね
急関大雪になっちゃったりとか
山の中だから
自然災害仕方ないんですけども
それでももうコロナも少し緩まってきて
お客様戻ってきてくださって
弱虫とおひそさんの人気で増えてきているので
また盛り上がっていけばいいなと思ってるところです
ちょうど10年目で
だからちょっとコロナも落ち着いてきたのが
本当に良かったですね
ちょっと美術じゃない話も
箱根のドライブとイノシシエピソード
ちょっとしていけたらなと
美術以外の趣味はありますか
これ皆さんに聞いてるんですか
そうですね
好きなみですけど
箱根に住んでるので
ドライブしたりとか
あの真駒場で車でちょっとですから
気が向いたら行ったりとか
その近くに箱根の峠の道の駅行ったんですよ
そこで三島の野菜買ってとか
ドライブ一つ楽しみ
そうなんですか
運転的長いんですか
ずっとペーパードライブ学生時代にとって
あのペーパーだったんですけど
箱根に来て最初歩いて通ってたんですけど
イノシシが出る
へー箱根あの辺で
いっぱい出るんですよ
そうなんですか
あるあるの
そうなんですね
普通道路とかで
全然歩いてます
前で小泳園さんの前にファミマがあったんです
ファミマのゴミ箱のとこにこんな大きなイノシシいて
それでファミマの店員さん慣れていて
モップ猫
あとは一応
あるあるなんですね
そうでさすがにあれ怖いですよ
確かに確かに
夜行性だから夜会うことが多いんですけど
会う日ある時私がそのファミマで買って
よりによってカマンベルチーズとか
ちょっと高級な普段の
コンビニだからちょっとあれですもんね
玄価ですもんね
そうそれで買って
パンとかヨーグルトとか買って
歩いてたんですよ
お家に向かって
僕が取って来たら猫かなって思った
近づいたらイノシシ
怖いですよ
そのコンビニの袋
目がけて
あれはもう食い物だって分かってる
そのカサカサって音で分かるんです
で振り向いたら
ヨーグルトチラシ食べてました
ひったくりみたいな感じで
それとか
あと結構仕事遅くて真っ暗になった
歩いたりして
1号線からちょっと登らなきゃいけなかった
そこのところにイノシシがいて
なんかスポットなのか
もううろろろしてるんですよ
でもういなくならないんですよ
イノシシが
ちっちゃめのイノシシだったんですよ
だからイノシシではないんですよ
だからでもいない
なんかちょっと視界からいなくなったから
いなくなったかなって思ったら
後ろにいて
なんかこうお尻にキュッとかされて
そんな可愛らしい話じゃない
ないですこれは
怖い話ですよ
お鼻でツンツンでされて
えっとなって
でもちょっと帰れなくなっちゃって
で本当怖かった時もあったりしたので
もうこれはもう車
って思って
車
乗り物になった
そう
でドライブしたり
あとベランダで
ちょっとお鼻育てたりとかしてるんです
実は休みの半分以上は
10日目無理してる
それはもうこっちにも
東京にも来られる
だけどそのしょっちゅう来られるわけじゃないし
今月の何月何日は
この館とこの館とこの館行こう
みたいな
決めて
そう決めて計画立てないと
ダメでだから関西
こないだも和歌山とか行ったりしたんですけど
結構行ってて
最近は特にトニーさんのブルーゴ見て
そうなんですか
でもほら行きたいのいっぱいあるんです
行ききれないじゃないですか
美術館巡りについて
そういうのを拝見して
参考にしていただいた
行けないけども
これで拝見したから
まあっていうようなところもあったり
一方でトニーさん行ってないなとか
知らんとこで張り上がる
でもそれは日本美術だけじゃなくて
西洋のとかみたいな
基本は日本美術ですかね
自分の研究分野とか
あと収蔵品に関わるものを見ることは
多いは多いんですけどね
現代アートとかも
ほとんどは見ないです
展覧会ありすぎますよね
東京に住んでいれば
ちょっと隙間出てできると思うんですけど
箱根の山場ですのでね
山場ではないです
井戸志士より怖いじゃないですか
じゃあだとしたら
これはね
館長が言ったんですよ
箱根に住み始めてまもなく
ゆうこさん箱根の山場だからとか言われて
なかなかの発言ですよ
言われちゃったら
自分から言うしかないなと思って
ブログも読んでいただけているのは
ちょっと光栄でした
読んで拝読して
本当にいけないのは
楽しませていただいております
美術館も巡りもしつつ
充実してますねそしたら
そうです結構忙しい
楽しいですけど
いろんな作品を見るのに
理屈からというよりは
作品から入りたい立ちなので
いろいろ見て
一つの展覧会にいるヒントもらうと
また次の展覧会で
繋がったりとか
そういう楽しみもあったり
最後にこれ聞いてますけども
将来成し遂げたいことを実現したいこと
成し遂げたいって大きな話ですね
今岡田別家に勤めているんですけど
10周年になって
もっともっとお客さんに来ていただいて
理想は台北の航空機っていったことありますか?
ないんですけど
いつ行っても似合ってるんですよ
最近コロナで行けてないんですけど
もちろん中国の名品が
あそこに収まってるって言うのもあるんですけど
箱根の航空機とは言わないんですけど
いつ行っても世界中の方が見えてるような
そんな見使いになったらいいなっていう
気持ちはあります
大谷翔平について
そのためにこういうことしてみたいのもあるんですか?
そこまで具体的な
一つ一つ展覧会を大事にして
結構東良さんも20周年ですからね
でも最初からそうだったわけではないって
努力されて
お客さんを冷やして来られたって
伺ってますので
一道にやっていくしかないかなと思ってるんですけども
そういったことを続けていきたいなと思います
是非是非
箱根に行ったらイノシシも会えるわけですね
親子でいたりするらしい
小秋田になったりも多いのは
ゴーラらしいんですけど
サファリ感覚でも楽しめますしね
是非皆さん箱根に足運んでいただきたいなと思います
改めて担当されている展覧会を
告知していただけたらなと思います
現在開催中の
開館10周年記念展第1部
「弱虫と一村 時を超えて繋がる」
岡田美術館について
6月4日日曜日まで
会期中無休で開催しておりますので
是非お越しいただければ嬉しく思います
是非是非
先半にも言いましたが誕生日の方は誕生日
割引と誕生日の方は正体ですので
それも合わせていただけたらなと思います
ということでそろそろ収録が終わりになりますが
収録いかがだったでしょうか
緊張して始めて
今も緊張してないわけではないんですけれども
いろいろ突っ込んでいただいて
自分が想像したように
以上に受けていただいたりして
素晴らしい会だと思うように
良かったのかどうか
分からないんですけども
岡田美術館に興味を持っていただける機会になれば
心から思っております
ありがとうございました
まだまだ掘り下げたら
いろんなものが出てきそうなので
また次の展何回でも担当されるときには
また遊びに来ていただけたらなと
夢に思っております
本当ありがとうございました
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