1. そろそろ美術の話を...
  2. #080 自身の良心を納得させる..
2023-04-01 55:57

#080 自身の良心を納得させるために描いた画家 田中一村について(岡田美術館 主任学芸員 小林 優子)

岡田美術館 主任学芸員 小林 優子さんをゲストに田中一村についてお聴きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/080 番組の感想は、⁠#そろそろ美術の話を⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile

小林 優子(こばやし ゆうこ)

  • 岡田美術館主任学芸員。東北大学文学部史学科(東洋日本美術史専攻)卒業、学習院大学人文科学研究科博士前期課程修了、静嘉堂文庫美術館学芸員を経て現職に至る。専攻は日本近世絵画史。
  • 担当した主な展覧会図録に『日本の文人画Ⅰ・Ⅱ』『明清書画清賞』『筆墨の美 水墨画』(以上、静嘉堂文庫美術館)、『琳派の精華』『若冲と蕪村』『田中一村の絵画』(以上、岡田美術館)。

Show Notes

岡田美術館について

若冲と一村について

同時代の作家の話題

岡田美術館の展覧会『雑駐と一尊時を越えて繋がる』について
♪~
はい、アートテラートニーのそろそろ美術の話を
この番組は私アートテラートニーがアートに関わる方をゲストにお迎えして
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です
本日は岡田美術館主任学芸員小林裕子さんをゲストにトークをしていきたいと思います
♪~
ということでご出演ありがとうございます
ありがとうございます
いつも岡田美術館でいっぱい会う感じですよね
そうですね
大変新鮮で緊張しております
緊張してますか?
こう見えても
でももう長いですもんね
そうですね
開館直後から来ていただいて
団体の皆様が来ていただいたり
いつも本当に紹介していただいて
とても感謝しております
いえいえ
ありがとうございます
しかも大体行くと
この前も先月今展覧会で行かせていただいて
2時間くらい喋ってました
そうでしたね
キリがないです
気づいたら2時間くらい
展覧会を見ながらいつも案内していただいて
こちらもいろいろ教えていただくことが多くて
屏風の中の背中にヒナを乗せたマガモの話なんか面白くて
あるいはその後のスライドトークネタにさせていただいております
僕が喋った話がです
ありがとうございます
なので今回はそういう感じで
いつもみたいな感じでできたらいいなと思ってますので
よろしくお願いいたします
さあということで
小林さんが勤めている岡田美術館については
エピソード55、56で小林忠史館長にお話いただいてますので
そちらを皆さんお聞きいただければと思います
小林さん小林さんでややこしくなっちゃうから
じゃあ優子さんと呼んだ方がいいかもしれない
ありがとうございます
ということで僕も行ってきたばかりという
優子さんが担当している
「雑駐と一尊時を越えて繋がる」について
まずは教えていただこうかなと思っております
はい
あの当館岡田美術館が今年おかげさまで10周年を迎えるということで
その10周年にふさわしい展覧会を考えました時に
この10年間で人気の高かった画家
誰がいるかなと思いますと
4人いて
雑駐、一尊、三
一尊だけ三付けにします
はいはいはい
というのはまだ関係者の方がご存命の方がたくさんいらして
そういった方々と話してると絶対三付けなんです
なるほど
呼び捨てちょっとしづらい
しづらいかも本当にできない感じなので
一人だけ三付け
はいはい
あと北斎、宇多摩呂ってなるんですけども
あの2人ずつに分けて2体にして
最初は雑駐と一尊さんということで
第一部をやっています
というのも一尊さんは昭和52年に亡くなっているんですけども
その後間もなく
成人はあまり画壇で評価されなかったんですが
NHKの番組で代々的に紹介された時に
当時学習院大学教授だった小林忠司館長が
ゲストに迎えられて
そこで一尊さんのことを昭和の雑駐と
言った経緯がありまして
画風の点でも生き方の点でも
大変似通ったところがある2人ということで
そういったことからこの2人を組み合わせた
第一部ということにしています
第一部はいつまでやっているんですか
はいこれはですね
6月4日までまだ期間ありますので
田中一村の経歴と作風について
皆さんぜひお越しいただきたいと思います
雑駐さんについては
三付けちゃった
雑駐は別に三付けしない
はいって別に
それが許可しなくてもいい
どっちでもいいですけど
これは小林館長の回にたっぷり話していただいたんですけど
この番組的には初登場
一尊田中一尊さん
そうなんですよ
意外としゃべる機会がなかったので
ぜひ今日はこの田中一尊さんはどんな人なのかというのを
ぜひぜひいろいろと教えていただきたいなと
わかりました
あれは2010年でしたかね
千葉市美術館さんで大きな展覧会をされたので
見た方もいらっしゃるかなと思うんですけども
生まれたのは1908年
明治の終わり頃です
今の栃木市に生まれまして
幼少の頃に東京に移って
20代までは東京ですかね
30代40代千葉に住んで
50歳の時に当時日本の最南端というのは
沖縄はまだ返還前だった
尾島に移り住んで69歳で亡くなるまで
自分の両親が納得する絵を描くという気持ちで
失踪な生活をしながら描き続けて
一人亡くなっていったという方ですね
画壇ではあまり評価されなかったんですけども
物も少しずつ紹介されて
今は大変人気が出ているという人です
昭和の弱虫と話もありましたけども
日本のゴーギャンとも呼ばれたりしますよね
人里離れたところに住んでみたいな
南の方の島でということですね
その時代が毎日英会したわけじゃないというか
仕事をしてお金を貯めてみたいな
制作の資金を作るために5年間
大島紡衣の工場で糸を付けるという
その仕事をしてお金を貯めて
3年間絵に専念する
またその時期が終わったら2年間働いて
2年間絵を描くという風にして
ですので天見大島に19年間いたんですけども
おそらく絵に専念できたのは10年くらいかもしれない
それは前から気になったんですけど
なんでそんな感じですか
例えば仕事しながら働いて
働きながら描いている人っているじゃないですか
日中働いて夜描いて
毎日一応描いていくんです
このイッソンさんの短期決戦というか
長期働き
おそらく働きながら描くということができなかったんですかね
本当に絵だったら絵に集中したいという感じですか
おそらく今お伺いながら思いましたけど
昼間は日の光の下で描きたかったんですかね
そうするともう
田中一村の制作活動
あと画材には本当にこだわっていて
質の高いものを東京から取り寄せて
絵の具も絹も取り寄せていましたし
制作の資金というのは相当必要だったと思うんですよね
とても過剰です
1年に3点しか作れなかったとか
しかも1年に3点でも少ないなと思うんですけど
それが長期で考えるとか
働いている5年間とかもあるわけですから
10年間でって考えたら
じゃあアマミ時代だとどれくらいしか
色紙とか商品はあるんですよね
スケッチとかいっぱい
おそらく仕事しながらもスケッチはしてましたので
残っているんですけども
本が実際の作品と言われても
実は30点くらい
そんだけしかない
そうなんです
それでその半分くらいは
アマミの田中一村記念美術館さんにあるんですね
その他は個人像のものが多くて
田中一村の作品の収蔵と展示
岡田美術館には2点収蔵されてるんですけども
アマミの美術館以外で
美術館が収蔵してるって実は我が館だけ
2館しかないじゃんって
何もしないと思っちゃうかもしれないけど
その30点のうちの2/15の2
そうなんです
フェルメール持ってるみたいなのよりもすごいことなんですね
そうかもしれないですね
でもその作品を今気になったのは
僕も田中一村展
千葉市美術館で見たりとか
もちろん岡田美術館さんと
田中一村展なんかで見て
我が館が苦手で嫌いで行ったって言うじゃないですか
その描いた作品はどこに発表してたんですか?
発表してなかったんですよ
ってことは自分のために
自分で大事に大事に
これは伺った話ですけども
やっぱり南国ですし
ネズミとかゴキブリとかいろいろいるじゃないですか
そういうのに食べられちゃうのが困るから
巻いてなんかこういう
土管というんですか
塩ビの缶みたいなところに入れて
天井から吊るしていたとか
っていう話を聞いたことがある
別に毎日見れるように
田中一村の制作意図と評価
展示しというか自分家に飾らせたわけではなくて
そうではなくて出来上がったら大切にしまって
一度亡くなる近くなった年だったと思いますけども
千葉に持って帰って披露して
そのうちいくつかは買っていただいて
そこで思いがけない製作資金を得ることができてですね
戻って私は本当にこれでまたしばらくかける
という高速な手紙も残ってたりするんですよね
みんな大変好意になった方に譲ったりとか
そういったこともしてるんです
本当は古典をしたかったんですけども
それはしないまま亡くなってしまった
本人が見てないんですか
自分の古典というものを
そうです
そういうところが伊藤寂春っぽいわけですね
そうですかね
寂春の場合は銅色彩絵というのが一番ね
あれは小国寺さんに納めて
機会という紅葉の時にかけられたりしてはいましたけれど
寂春の場合は全30幅で
あと三像像もあるじゃないですか
伊藤さんはその30点を書いてたんですけど
何となくシリーズで書いてたんですか
天海十二ヶ月を構想していたということが
手紙からわかるんですよね
それが全部どれに当たるかまではわからないんですけども
千葉市美術館でなさっていた松尾さんですとか
この辺りっていうのはね
大きさとか画材から予想がつくような感じなんですけども
一応十には揃ってるんですか
いやおそらく揃ってはいない
じゃあやっぱり完成する前に
亡くなっちゃった可能性が高い
ちょっとその辺りは私の詳しいことはわからないですが
おそらく天海の自然に対する異形の念とか
天海の地の神に対する海の神ですね
尊敬の念とかもあったと思うんですけど
寂春とほとんど似てるところが
冷作構想という点でも共通点
確かに
あとあれですよね
自分の才能をわかってくれる人は
この先に現れるだろう的な予言の言葉みたいな
そうなんです
私もそのことをずっと考えていて
寂春は当時人気あったじゃないですか
大変
京都の平安人物誌などに
ガイドブック的なやつ
王居の次だけれども
ナンバー2みたいな名前が出てきて
人気があったにも関わらず
あんなこと言ってますよね
千年末みたいな
千歳武元の当末みたいなことを言ってるんですよね
自分のことをわかってくれる人は
千年後に現れるだろうみたいな
それ末って言ってるんですよ
その割にはあれですよね
小林官庁が早めに見つけてくれたとか
千年も経たずに
伊士村さんはどういう感じのことですか
これは伊士村さんが亡くなって間もない頃に
伊士村さんの取材を始めた記者さんが書いた本の中に
聞き書きだと思うんですけども
生前注意の人に
今は評価してくれる人はいないけれども
50年後100年後
私の絵を認めてくれる人が現れればいいのです
そんな言い方をしていたそうなんですよね
まさにそう言っていたそうなんですけども
これは諦めというよりは
一部それもあったし
自信もあったしっていうところだと思うんですけども
この周囲の評価って二人は全然違うのに
同じようなことを言ってるってすごく興味深くて
これはどういうことかなってしばらく考えて
昨日も予習しながら考えていたんですよね
それはなんかこう
世の中の流行とかにとらわれない
人気があるとか人気がないとかに関係ない
普遍的な名画を書きたいっていう意欲なのかなっていうところに
ちょっと来たんです
それで思いつくのは
写生における動物の意義
ジャクチュウって最初写生を知った
カノンハに学んで
でもそれは絵を描くこととしては良くない
というような写生に行くわけなんです
じゃあ何を写生するかっていう時に
人物を描くのは嫌だ
古のような良い人々がいないというのに
実際の景色も良くない
描くに至るものとしては生き物だということで
生き物は何がいいかって言ったら
じゃあ鶏が近くにいていつも見れてきれいだから
ということで鶏をいっぱい買うんですよね
それについて文献で残されているので
これに対してジャクチュウのことを研究している
佐藤康博先生が
これはどういうことかっていうと
中国の名画に匹敵する
やっぱり当時は中国が先生なので
中国の名画に匹敵する家を描こうという意識だって言ってる
それがずっと頭にあったんですよ
一方で伊尊さんの電気の方を見てますと
伊尊さんの手紙の中に
未知の風景植物動物を調査し
写生し絵に構成し
それを名画の水準まで高める
という言葉があったんですよ
同じようなことがこれだみたいな
今ラジオの中で伝わらないけど
めっちゃテンション上がる
ガッテンガッテンみたいになった
それでここも似てると思って
だからこう
田中一尊と伊尊氏の共通点
普遍的な名画を描きたいっていう意欲が
一何倍強かった二人なのかな
ということは思います
これその割にって言ったら
ちょっと言葉を選ぶんですけど
東京で展示したいという願望はなかった?
東京でっていうのはあったのかな
画壇とは距離は置いたけれども
やっぱり名画ですから
美術館で展示したいとか
そういう感じではない
自分の納得できるものを描きたいタイプだった
画壇古典を開きたいってことは
すみません私はあまり詳しくない
恐縮なんですけども
気持ちはあったようなんですけどね
画壇の評価っていうのは
離れていたかもしれないですよね
だからこその閻魔大王に見せる絵だとか
両親にかなう絵だとか
そういったことを盛んにおっしゃってますよね
これあのさらっと言っちゃったんですけど
天海大島に行ったって話ですけど
いろんなエリアがあったと思うんですけど
なぜ天海大島選んだってのがあるんですか?
その直前に
岸州和歌山とか四国とか九州
旅をしてるんですよね
そこの時のスケッチも絵とかも残ってるんですけども
そういう中で南の風土に対する
魅力を強く感じたんですけど
でもやっぱりおっしゃるように
ゴーギャンとか
そういった西洋の画家たちの
あり方っていうのもあったかもしれないです
じゃあせっかくなので
田中一尊さんの代表作というか
せっかくですから
岡田美術館さんが持っている作品について
岡田美術館の作品について
具体的に教えていただきたいなと思うんです
ありがとうございます
今回展覧会のメインのコーナーは2つあって
一つは一尊さんと
弱虫の彩色の絵を相対して並べるコーナーがあります
ケースが向かい合っていて
一方に弱虫3,4点
こちらに一尊さん
さっき申しました天海の2点ですね
弱虫は弱虫で
同色作画は別格として
彩色画を描いていたのは
ほぼ40代とその前後くらいで
実は85年の長い人生の中で短いんです
同色作画の中ではあまり多くはない
実はと
その希少な彩色画が
東海には4点あって
現在3点なんですけど
来週から4点に増えますね
このオンエアの4月1日の段階では4点になっているんですね
その向かい側に一尊さんがいて
そこではまず2人の彩色画の絵を見ていただきたい
華やかなコーナーですよね
そのうちの一尊さんの細長い縦長の絵は
先ほど申しました
5年間大島紬の工場で働いて
これから3年間思いっきり描けるっていう
その幸福な3年間が最初のコロナ
なるほど一番油を塗っている時ですね
そうですね
幸せだったかなって思うんですよね
北地町線朝顔って白い大きな花が上の方に揺れていて
綺麗な緑色に包まれて
その白と緑の波が寄せるような下に
赤松林という渡り鳥が立ち立つという絵なんですけども
その前に立つと勇気づけられるような
清々しさと共に
本当に気持ちよくなるというか
いい絵だね
いい絵ですよね
赤松林って川蝉の仲間みたいな絵ですけど
なんかかっこよくないですか
一村さんが描く赤松林って
孤高の存在みたいな
シュッとしてね
くちばしがキリッとして
目が輝いて
ハイライトの入れ方が素晴らしいんです
それはあえてやってるってことですか
もちろんですよ
渡り鳥って野生の鳥ですから
そうそう近くに見られるわけではないと思うんですけども
一村さんの近くに来たことも多かったらしくて
とても綺麗な鳥で
おそらくお気に入りだったのかなというか
一村さんの絵に時々出てきますよね
今回の絵の組み合わせも何か意味があったりするんですか
赤松林と朝鮮朝顔
北朝鮮朝顔は独特性があるって言うんですよね
だからあんまり
天身の地では好まれる花ではない
というようなことも
幽霊花とかそういう名前もあれらしくて
だから館長が言うように
他に桑子芋とか阿丹なんかも
それほど当地の方では好まれるものではないものを
あえて選んでるっていうところがあるんだよ
他の絵の場合桑子芋かい?
今回の北朝鮮朝顔の場合も
画家田中一村
そういうところもあるらしいんですけども
でも赤松林はね可愛くて
その組み合わせがなぜなのかわかりませんけども
2つとも花も鳥も
イーソンさんのスケッチがたくさん残っているんですよね
だからその形に大変惹かれて
画像を膨らませていたモデルたちだったかなと思いますね
そこにちょっとわかりづらい
目に入りづらいですけど
ガジュマルの木の木根ってわかります?
根っこの部分ってことですか?
空気中から
ヒゲのように見えるやつですね
これは大きな木の空中の枝から
ヒゲのような根が落ちてきて
それがやがてふと粉になっていくわけなんですけども
それを描いているんですよね
細かく描いてますね
それも一本一本
この一本の線画のどれくらいの時間がかかったんだろうかって思うんですけど
これも天見に行きますと
いたるところにガジュマルの木があって
木根垂れていますので
天見を象徴する植物であるんですが
このですね
この木立朝鮮浅草の奥にも
暗く闇になったところに
本当だ
画面の左側ですね
左奥って感じですかね
そこにもあって
この明暗の差
本当だ
何回かこの絵見てるけどそこ気にしてなかったですね
そうなんです
細かいんですね
そうですね
伊杉さんって光に対する感覚がとても鋭敏な方で
カメラが好きでいつも写真を撮る
白黒カメラの写真ですけども
それで写真を撮ることによって
絵の構図を研究したり
材料にしたりしていたって人であるというのと
本当に水墨くんが
後で進みまね話もしますけども
木画の近代化という言葉を残していくくらい
水墨画に対する意欲も大変強かった人で
水墨画の大切な要素の一つに
光の表現というのがありますし
一一倍光に対する感覚が鋭敏であった人なんですね
なので伊杉さんの絵を見る時に
光の表現ってちょっと見どころだと思ってるんですよ
なおかつ墨絵を大事にしてるので
墨の使い方、黒の使い方、闇の使い方っていうのが
一見華やかな色に満ちた作品の中でも
これあると色を際立たせているじゃないですか
このバジュマルの目
コントラストだから
やっぱりカラフルな
南国だから勝手にカラフルな印象で思ってるけど
だけじゃないってことなんですね
その裏側というか
それで東漢の習道品にはないですけども
天見時代の代表作の中には
墨を使った絵いっぱいありますよね
あまり有名なのは
アダンの夢とか
明るい色彩のものが多いかもしれない
アダンの絵でもやっぱ墨というか
黒の表現って大事だなと思ってますけれども
伊杉さんの幼い頃から南側と習って
水墨画が当時は流行っていた
近代の中国画をマスターして
墨を使いをマスターしていた人なので
それはもう最後まであって
絵を見る時にちょっと注目したら面白いかなって
絵の深み
奥行きを作っている大事な要素のようには思います
そうかそうか
色ばっかり目行っちゃいますけど
よりちょっと何だろう
ぐっと止まって奥を見るといいんですね
そんなところ一つ
もう一点
熱帯魚
熱帯魚の作品
熱帯魚は3匹の魚が豚じゃなくて
しかも食材として描かれている感じですよね
泳いでいる姿じゃなくて
そうですね
地元の魚屋さんと親しくなって
売り物の魚をスケッチさせてもらっていたんですよ
つむぎ工場のお仕事の行き帰りとか昼休みに
その時のスケッチがいっぱい残っていて
こんな風にスジブダイのスケッチも残っています
青ブダイ
これはスジブダイかな
これはスケッチはスケッチです
これは青ブダイ
熱帯魚3種の作品は青ブダイ
しまたれくちべら
そしてスジブダイ
1個も知らない魚が
これは向こうではメジャーな魚
魚屋さんに取材に館長とお邪魔したんですけども
本当にこれくらいきれいな魚が並んでいて
イッソンさんは50歳になった12月に
天見大島に行くんですけども
その年のうちに
ヨロン島とか近くの島に取材旅行に行って
その時に美麗な美しい熱帯魚が手に入ったので
社政に忙しいっていう手紙を書いていた
言った途端にもう書いてる
いい文字を見つけたななんですね
そういう気持ちでいて
スケッチもたくさん重ねていって
でもこれが生まれたのは
天見に着いてから15年後
もう書き始めてからもう寝かせに寝かせた
そうだいろんな書きたいものがいっぱいあったんだと思うんですけど
蝶の絵とか鳥の絵とかいろいろあるんですけども
そういうのを書いた後に
この魚の絵を
エビの絵とかいくつかこういう海の幸の絵があるんですけども
やっぱり晩年なんですよ
これも晩年近い
もう亡くなる4年前
これがさっき申しました
1年間に3点
しか書けなかった時の1点
うわーなるほど
この絵をよく見ると
魚が3匹並んでますけども
背景的なものも書かれてるじゃないですか
そうですね
もう隙間がないんですよね
左下に書かれてるのは
ものかなんかの上に置いてあるんですか
これはおそらく葉っぱ
葉っぱの上に乗せてる状態
なぜ葉っぱかわからないんですけど
甘みの地で生えている葉っぱを敷き詰めて
作品の詳細
その上に乗せてるんだ
絵に乗せてるっていう感じだと思うんですね
で光が
やっぱり光
ハイライトが
魚の頭の部分ですね
キラッと光ってるってことですね
なので画面の左上の方から光が
柔らかな光が当たってる感じなんですよね
この星のような花が
ヤコウボクっていう花で
夜になるとジャスミンのようないい香りがする
ということはやっぱり夜かなと思うんですよ
なるほどなるほど
そうかそういうのわかるんですね
となると月の光かな
フーディまでに見えてきたりして
でおそらく売り物の魚を
スケッチさせてもらってるし
射精した時は死んでいたはずの魚なんですけども
なんか喋りだしそう
確かに可愛らしいですね
なんかヒゲが動き出しそうな
ピロピロとか
なんかそんな
目の形も全部違うし
これ金使ってるんですよね
一番上の魚の目の部分ですか
全部全部
金が入っていて
余計生き生きとしていて
今にも息を吹き返しそうな感じがする
あのアマミ行って
この美しさに驚いて
描きたい描きたいと思って
そのアマミの魚っていう画材
画材と岩絵の具という美しい画材がこう
合わさって
こうなんか融合した夢のような
宝石だなと思って私見ていて
これがイスノさん描きながら
自分の筆によって
この絵が出来上がりつつあるその時って
それはもう
画家として幸せだったんじゃないかなって
思ったりして
でもそうなったらあれですね
作品を見てもらうとかじゃなくても
もう一番のファンが
自分みたいな感じなのかもしれないですね
そうかもしれない
見るものは本当にこれ感動するなって思います
作品としては本当僕もすごい好きなんですけど
最初見た時に
魚としては美味しくなさそうだなと思っちゃったんですよね
見慣れない魚なので
いわゆるハマチとか
サンマとかサバだったら美味しそうと思うけど
ハマチはなさそうだなと思ったんですけど
ただ展覧会の時に隣に
この作品についてのイスソンさんのコメントというか
症状があって
意外と美味しいみたいなコメントが書いてあった
缶ぶりにいて酢味噌で食べると美味しいとか書いてあって
美味しいんですよね
美味しいです
ゆう子さんもお召し上がりになった
お願いして食べさせてもらいました
イスノさんについて
どれを食べたんですか?
どの魚か
この魚かどうかわからないんですけど
向こうではこのブダイカの魚のことをエラブチって言うんですよね
本当にたまたま乗せていただいたタクシーの運転手さんが
とてもいい方で
エラブチ食べたいって言うからって言って
魚屋さんに連れて行ってもらって
レストランとかじゃないんですよ
そこでパックで買ってきて
知り合いのレストランに連れて行って
うちらも申し込んだけど食べさせてみたいな
食べさせていただいて
本当に山身の皆様は親切でいい方々ばかりで
初めて館長と
前回イスオンさんの展覧会をした時に
それに先立ってご一緒させていただいて
取材行ったんですけども
もう感動に感動で
実はそのイスオンさんが親切にしていただいたっていう
魚屋さんの奥様にも
ご老齢で施設に時々通われたり
どこでもあったんですけども
そんな方にもお会いできたり
生前のイスオンさんを知ってる
社政したあの魚屋さんで
今の方が社政してる
それとかタクシーの運転手さんも
イスオンさんが通っていた住み工場の近くに
お家があって
よく高校生の頃とか歩いてたって
見たことがある
勝手に歴史上の人物と思っていた
さっきのように
さん付けするっていうぐらいですから
それだけまだ関係者がいっぱい
千葉に住んでた頃に支援した方ですとか
たくさんいらっしゃいますので
夢夢イスオンなどと
言いづらいところもありますかね
年代で言うとあれですよね
芸大時代が東山会と同期だったっていうことは
東山会と同い年とかですよね
そうですそれとも現役合格ですのでね
ちなみに東山会の場合は会議さんになる
坊や
なんとなく会議って言ってしまう
思い入れというか研究してる
どうしても親しい方にたくさん
応援してしまった結果
こうなっているわけなんですけど
でも会議さんも会議さんで
急にさん付けになり始めた
本当に素晴らしい画家として尊敬しています
年代としてはそこなんですね
結構なんかすごいもう昔の人みたいに思ってるけど
そうではないですね
昭和52年に亡くなってるって
もうついこの間のような気もしないでもないし
現代の方ですよね
日本は高度経済成長の時代であったわけなんですけども
晩年の頃は
でもそういったの全く離れて
南の島で
極めて質素な暮らしをしながら
絵描き続けたって
でも出来上がったものは
もう質素とは真逆のというか
すごく横順な絵ですね
ご存知かどうか
東京から全部取り寄せていって
柔絵の具を必要なグラム数を測って
何グラム何グラムって
薬の包みのようにこんな小さな包みに入れて
千葉の落花生の四角い缶の中に
びっしり入っていたんですよ
千葉時代の
そう
で館長がよく話してくれるんですけど
二百とかたくさんの包みがあるって言うんです
だから本当に大事だったと思う
柔絵の具
そっかそっか
絵の具そのものがってことですね
柔絵の具
そうで一粒残らず
惜しむように最大限に美しく発色させたいっていう
意欲もあったのかなって
この絵の綺麗さを見ると思いますよね
それを聞いて改めて見るとよりまた
すいません喋りすぎです
そうみたい
でこの2点がカラーもありますが
墨の作品も素晴らしいということですよね
そうですね
墨の作品も
あの当館で収蔵されているのは
色紙の滝の絵があるんですけれども
これ縦30センチぐらいの小画面なんですけども
いつもスライドトークで大きく拡大しますとね
全然損色ないっていうか見ごたえがあります
耐えうるってことですね拡大しても
そうですね
今回記者さんですとか
イスキヌトニーさんですけど
何人かの方取材に来ていただいて
ある方が動画を見てるみたい
あーこの滝の
そう
水が流れ落ちていく動きが見える気がするって
おっしゃってましてね
確かにそうだなって
あのイッソンさんの今
お一子さんが著作権者としていらっしゃるんですけども
その方が子供の頃
イッソンさんご自身から
滝のこの水の描き方が難しいんだよっていう話を
聞いたことがあるんですよね
だから人一倍
あのなんていうか
力を入れて描いてた部分
この絵とは違う絵だと思いますけども
滝の表現にはある自負があったんじゃないですかね
この滝はどこの滝を描いたんですか
それはね分からないんですけども
これをこの天海に行く直前の旅行の時に
得たものじゃないかっていうふうに言われてるので
もしかしたら奇襲だったら
夏とかね
もう想像の範囲ですけど
あり得るかなと思うんですね
でこれ見てると逆光
はいはいはい
この森が
木々があって
その木と木の間に
なんかこうホワッと光ってる部分があるんですよね
木がすごく黒々としたシルエットで
向こうから光がやってくるようなところがあります
先ほど申しましたように
光の表現っていうのは
あのイソンさんにとってすごく大事な要素で
この場合絹地なんですけど
ちょっと分かんないんですけど
絹地に雲も散らしてるんですよ
キラキラっていう
それを散らしていって
余計光沢がある
で淡い墨をその上に塗ると
そこがちょっと銀色に光ったように見えたりして
田中一村の意欲と技量
それで光って見えるんですか
素材の特性を絵の中に光として取り込んで
なおかつこの黒いところには
墨だけじゃなくて
盛り上がりがあって
なんか黒い岩絵の具を使って
よりこう闇の深さ
影の深さを作っていって
光と影の対比を表現してるんですよね
色紙の作品っていうのは
勝手に本画があって
色紙かと思っちゃうけども
色紙にもこだわりがすごい
これも絵画だったかな
色紙とは言っても
何枚も書き損じをして
4日かかって書いたんだとか
そういう文章も残っていて
愚作化にしない
徹底的にいい絵を小画面だろうと
展覧会と田中一村の作品
大画面だろうと書くっていう意欲は強かった
意思は強かった人ですよね
この色紙は自分のために書いて
取ってあったんですか
これはお世話になった方に売ったり
そういうものも売る
売るというか
そういった形もあったと
注文されてってこともあったようなんですけども
でもそういうものでもだから
手を抜かずにってことも
僕画の近代化という言葉を残しているので
墨の表現に対する
なみなみならぬ革新の意思というのは強くて
この小さな作品にも
それは表れているなと思います
先ほども言っていた
僕画の近代化って言うってことは
僕画があれだったんですか
ちょっと廃れてる時代とかじゃないですけど
変えてやるんだみたいな意味も入っているんですか
そうですね
もしかしたら日本画が
墨ではない色の方に向かっていたので
あえて墨の世界を今に生き返らせたいという気持ちが
今お話を伺いながらあったのかなと思いましたね
今回の展覧会は他にも
結局計何点一層の作品が出てくるんですか
計7点あります
5点は岡田美術館の収藏品で
2点は個人の方からお借りしているものなんですけども
この色紙ですけども
紫陽花の絵もね
ちょっと色が混じっていて
水墨画みたいなところがありますけども
この色の変化と
大中小の花の大きさの差と配置によって
この画面の枠を超えて広がっていく様子が
トリーミングされていることによってですね
この構図の素晴らしさっていうのを
特にこの小画面では感じるものですよね
こちらの花勝負の絵もそうですけどね
つぼみが上の枠突き破って伸びていきそうな
躍動感が
生き生命力を感じさせますしね
勝負っていうとあれですもんね
尾形孝琳の五千冊にもなってますけども
柿ツバタのイメージがあるけども
それを覆すような
そうですね
おそらくこれ近似の色紙にしてますし
根底の意識にはあったのかなと思いますけれどもね
それでも紫系統の色を二色使って
ちょっとこれ盛り上がってるんですけども
実はこの辺り
立体感つけて
写実性を高めた絵にしてます
いいですね
今回だから過去最大に出してる動画が
そうしたら一尊作品としては
数年前にもやったんですけども
久しぶりですね
それ以来というか
さらに弱虫も出る展覧会
田中一村について
というだけじゃなく他にも作品が出てるんですよね
そうなんです
道道時代の画家ですとか
一尊さんが学んでいた
画家たちの絵も合わせて
あとその二人が主に描いた
花鳥画という画題に注目して
花鳥の屏風
プロローグとして屏風のままを作ったりしております
冒頭にも出てきましたけど
カモがお母さんカモなのか
お父さんカモかわからないけど
子どものカモを背中に乗せてる
かわいらしいのも出てくる
そうなんです
一見地味な水墨画なんですけど
見ごたえがあって
その画家の名前わかんない
名もない画家の絵でも
見ごたえがあるっていうか
そういうところの面白さも見ていただきたいな
なんて思っております
全部で何点くらいですか?
今40点ですかね
この他にも展示もやってますからね
これは企画展だけの展示ですけども
4階の方では特集展示というか
尾形健三の焼物を
尾形健三の焼物19点あるっていうのも大したことだし
最近来た方にお褒めの言葉をいただいたって聞いたんですけど
それを一堂に出して
絵も少し出してるんですね
尾形幸林の弟ですね
そうです
トニーさんに取材していただいたブログの中に
ジャクチュウと一村さんと健三も独身だったっていうのを
あ、三人とも生涯独身だ
そうだって思って気がつかなかったんです
僕も今のところ独身なので
それで僕らの時代とか
僕らの時代みたいになってたなっていう
ブログで書きましたね
これは知らなかった新たな発見だと思って
そしたら今度健三も合わせて
健三と一村とか健三とジャクチュウとか
いろいろできるなと思ったんですよね
で実はこれは一つ喋りたいかなと思ったのは
健三とジャクチュウの接点は
生涯独身というだけじゃなくて
実は善というのが大事な
ジャクチュウも善に邁進した人なんですよね
大学の満腹寺に行って
経産もらったり名前もらったりしてるんですけども
健三が参禅していたお寺っていうのが
直師庵っていう
直師庵ってどういう字ですか
直に指を折り直師庵ですね
それで佐賀の方にあって
そこに独生精炎っていうすごく厳しいお坊さんがいて
直接教えを授けたのは2人か3人しかいない
その中の一人が健三だった
そうなんですか
厳しいわりには
健三がそれだけ熱心に学んだということだと思うんですよね
それでその直師庵の何代か後に
ムセンジョウゼンってお坊さんがいて
その人とジャクチュウ親しかったみたいです
ジャクチュウの水木画にいくつも賛をしていて
詳しいところまでわからないです
ムセンジョウゼンも独生精炎も大見
今の滋賀県です
そういった知恵があるようなんですけども
独身の画家たち
その厳しい直師庵のお坊さんの系統の人と仲良かった
というところで繋がっていて
お寺だっていっぱいあるわけですからね
その中でたまたまな
そういうところもあって
ああなんか繋がるなと思って
そうだそこをもう少しこう
そうだけどそれはこの間トニーさんが
僕らの時代って言ってくださったので
そこまでこう思いが
僕がなんか一ボケしただけなので
そこは繋がったんです
元々知識はあったんですけども
あ、協調できるなって思って
池戸大河とライジング弱虫
他にでも独身の人っているんですかね
そう考えて
なんか意外とみんなでも
長生きしてるのに独身って少ないですよね
たぶん
だからやっぱり確かにちょっと
特徴の3人な気はしますよね
そうか
気がつかなかった
意外と海外で考えても結構結婚してるか
結婚はしてるけどみたいな話はあるけど
生涯独身って意外と
池戸大河も玉蘭がいましたしね
そうですね
武尊だと
後輪だって
丸山王居もいますからね
そうかもしれない
ちょっと大事なポイント
浮世絵師だって北斎よってあるですもんね
そうですね
娘さんがいますしね
じゃあなんかやれるかもしれない
やれるかもしれない
今回ちなみに他に
この一尊さん、弱虫以外で
推し作品がいっぱいあると思いますけど
これ見てほしいありますか
私が今まで研究を若い時からしている
池戸大河っていう画家がいて
この人は弱虫の仲良し
弱虫グループの一人なんですけども
少し前にライジング弱虫っていう正月ドラマ
はいはいはい
吉野助さんが弱虫を演じて
栄田さんが代点をやった
ちょっとボーイズラブっぽい感じも
あそこに池戸大河出てたんですよ
あれ誰が演じたの
役者さんの名前は
大東俊介です
あー出てた出てた
はいはいはいはいはい
ちょっとね
あの私たちの感じているイメージからは
池戸大河って
僕がちょっと何だろう
何ですかね
枯れてるイメージって言ったら
ちょっとなんか渋いイメージだった
ちょっと無作ルしくて
熱血感みたいな感じの
お腹が焼くまわりでしたね
玉蘭奥さんの玉蘭も
なんかちょっと女っぽすぎちゃって
ちょっとイメージとは違ったんですけども
まあああいう形で皆さんに知っていただくのは
いいかなと思って
その池戸大河の描いた屏風があるんですよ
それはおそらく30代の終わりぐらいに描いた
春と秋の中国の監視の世界を描いたものなんですけど
色がだいぶ飛んでしまって
田中一村の絵画世界
淡くなっているんですけども
とても繊細で綺麗な気持ちの良い絵ですね
陽気比がニコッと笑っていたり
桃やスモモや薙刀の葉っぱの天秤が
こうチラチラチラチラ宝石のようだったり
小さいんですけども
お長鳥が笑うように待っていたりとか
そういう弱虫や一尊さんの精緻な絵とはまた違った
柔らかくて繊細な世界っていうのはそこにあって
ぜひ見ていただきたいかなと思います
あとそれもありますし
小林さん、ゆう子さんといえばですね
子供語の解説
岡田美術館に行った方だったら
あれかと思ったのが
ひょっとしたらいいかもしれないですけど
あれなんですね
岡田美術館に行くと
いつもキャプションがあるんですけど
そこに子供語の解説があるんですけど
それをもうゆう子さんがいつも
いつもというか
やってみると皆さん喜んで読んでくださって
大人もみんなこのやつ読んでくださって
やっぱり喜ばれると嬉しくなっちゃって
また描こうかなっていうふうになるんですよね
ただ一番目指すところは
一般用と内容を変えたいんですよ
単純に言葉を子供向けにしてるんじゃなくて
だから理想としてはもう一回絵を見直して
違う要素を抜き出してそれを書いて
両方読んでいただきたいなっていうのはあるんですけど
結構至難の技でそれがうまくいく場合も
たまにあるんですけども
言葉を変えたいっていうことが多いんですけどね
でも子供語の方がテンション上がってる
熱が入ってる感じだなと思って
そうなんですか
より主観が入ってる感じ
そうかもしれないですね
ですよね
でもその方がきっと見る人も
感情移入していただいた方がいいのかな
あまり意識してないんですけど
今回も全作品についてるってことですよね
40点につけました
大変ですよねそれ考えたら
そうですね
一般向け書くよりも大変
そうですか
そうやっぱり優しい言葉にしなくちゃいけないし
どこを見たら視点もあるし
もう一回見直してっていうところがありますので
結構時間かかる
準備大変ですよねそう考えると
そうですね
何ヶ月も前から作品解説書き始めてやってますけど
今だからちょっと展覧会も開始したんで
少し休めてるタイミング
そうですね
でもおかげさまでこうやって
取材を何本かいただくので
それも一生懸命少しずつ準備したりして
ありがたいですね
その先もまた考えながら
次の展覧会のことも考えてても
10年20年と続くわけですもんね
そうですねこれから長く発展していっていけばいいなと思ってますけど
せっかくですので
ちなみに岡田美術館の調節展での
展示作品の解説「東西花から草も椀」
今回の展覧会じゃなくての推し作品って言うと
これね難しいですね
1階に中国当時ですよね
2階に日本当時
いっぱいあるんですよね
それで焼き物の中でって考えたんですけど
ご覧になってるか分かんないと思うんですが
1階は中国当時が歴代というか
古い方から新朝までありますでしょ
最後の部屋が新朝当時の部屋で
その中に一点言葉で言っても分からないと思うんですけど
東西花から草も椀っていうのがあって
お椀とか茶碗とか
カップですよね
ペアであって
東西って豆の彩色って書くんですね
これは明治時代に始まった技法なんですけども
輪郭線が黒じゃなくて染め付けの青
なので印象がすごく柔らかいんですね
そこには上絵付けで透明な色があるんですけども
新朝時代の有名なお茶って
高紀念館があって
建立年間で60年ぐらい続いている長いお茶がある
その間に短い養成年間があるんですよ
10何年しかなかったんですけど
その時代の焼き物がものすごく洗練されていて
ある一角が
実は第5室の一角に養成のものが並んでいる
真ん中からちょっと左に行ったところに
もう諦めました僕は
どうしよう
行ってそれを搭載を探すしかない
それが本当に綺麗で
ぜひ見てくださいっていうピンポイントです
そういうのってたまに見に行ったりするんですか
要するに自分で
そろそろ見に行ってみようかな
行こうかなとか
私ども学芸員も広報も
みんな1日1回は巡回というお仕事があって
ガラス拭きしながら1回回るんですよ
やってるの?
やってるんです
その時にちょっと見たいものを
しばらく眺めてみたり
ガラス拭きながら見てみたりとか
そういう時があるので
そんな中で
ほぼ毎日見れるんですか
そうです
じゃあ今の話聞いて思ったより丁寧に拭いてるんですね
そういうことになります
もしくはたまたま行った時に
すごい熱心に拭いてる人いるなと思ったら
ユウコさんなんでしょうね
でもおそらく他の人たちもみんなやってると
自分の推しの作品を
やたら拭いてるだけだから
お仕事について
除雪の話は後半でも
色付きたいかなと思ってますが
そろそろ終了記録が
前半の終わりの時間が近づいてまいりました
せっかくですが改めて告知をお願いしたいと思います
ありがとうございます
開館10周年記念展第1部
「弱虫と一尊 時を越えて繋がる」
今開催しておりまして
6月4日の日曜日まで
無休で開館しておりますので
ぜひお越しください
それまでの間に
もしお誕生日の方がいらっしゃいましたら
10周年の感謝を込めてということで
お誕生日ペア特別ご招待という企画をしておりまして
ご本人様とお連れ様1名まで
計2名ペアで無料で
すごい太っ腹ですよね
入管料2800円×2ですから
5600円もタダになると
これは誕生日が分かるものを持っていけばいい
身分証明証保険証ですとか
免許証ですとか
あとマイナンバー
そういったきちんとしたものを
ご用意いただきましたら
無料でペア
すごいですよこれは
だって前に伊藤弱虫展をやった時に
伊藤弱虫割って言って
伊藤弱虫と同じ名前の人じゃないと
2800円無料にならなかった
ちょっとケチな話をしたんだなと
口が開けたことを言えなかったけど
そんな感じでいるわけないなと思ったのが
今回は誕生日ですから
これはだいぶ太っ腹な感じ
結構たくさんの方が来てくださって
よかったなと思った
だから逆に自分が
6月4日まで誕生日じゃないやってる人は
頑張って身近で探して
その人連れていけばいいってことですからね
ですからね
さらにでも6月4日以降の誕生日の方も
ってことですよね
第2部の展覧会が
「宇多摩の都北斎」という展覧会が
6月11日から10周年の10月を挟んで
12月の10日まで行われていて
この期間も誕生日割りは続きますので
ぜひお越しいただきたいと思います
残念ながら5日から10日までの人が
たまたま展示期間に帰り中ですからね
はいですけれども
まあまあでもどっちかはいるでしょう
ぜひぜひそのタイミングで行っていただくか
別にね誕生日じゃなくても
行っていただけたらなというふうに思います
いろんなイベントもやるそうですし
ユコさんのギャラリートークとかも
そうですね
結構今回は第1部では週に3回やってまして
私が弱虫トイッソンさんの話をするのは
金曜日なんですけども
月曜日には先ほど申しました
県山の特集展示のスライドトークがありますし
水曜日には他の常設の部分のスライドトークもあって
学芸員が入れ替わりでお話させていただいてますので
その機会にお越しいただければ嬉しく思います
どれくらいの時間?1時間くらいあるんですか?
3、40分30分くらいと思っていただいて
11時から
放送を聞いて本人に会いたいなという人には
金曜日に行くとお会いできる可能性が高いということでございます
6月4日まで開催してますので
ぜひご覧いただきたいなと思います
次回のトピックについて
次回は小林さんのご経歴を交えつつ
さらに美術についての話を続けていきたいと思います
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