今年3月20日。
ちょうどだから今月中に。今、配信3月8日ですから。
まだ一度も世田谷美術館にお越ししていない方は、
お花見のついでにぜひお立ち寄りいただけると。
実は世田谷美術館開館はいつになるんですか?
1986年の3月30日が誕生日で、恐ろしいことに来年40歳になるんです。
そうかそうか。もうだから終年が近づいているわけですね。
そうなんですよ。
私も物心をついて以降にできた美術館なので、
結構新しい美術館というイメージがまだまだあったんですが、
40年も経っていて。
でも木鈴田公園の方が古いですよね?
もちろんです。
作るとなった時には、世田谷を代表する木鈴田公園の中に作ろうと思って作られたってことですね。
その辺の戦は、私当時はいなかったので。
ただ木鈴田公園は東京都の公園なんです。
世田谷美術館は丘にしているので、
これも本当かどうかは知りませんが、
某都立の現代美術館が1個しかないんですね。
あれですね。
ここの土地を欲しがったとか欲しがらなかったとかいう話を。
実機的にあれは1990年ですよね?
あちらの方が後なんですけれども、
あそことの公園みたいな感じで。
でもどっちにしろ駅からは遠いからですね。
東京都、あちの某の駅からというと、ここもちょっと駅からありますけどね。
でも場所的には素敵な場所ですもんね。
車で来るには駐車場も間違いなくあるし、
1日過ごすのであれば公園に来て、
美術館に寄って、公園に寄って、また帰るみたいなね。
そういうのだとファミリー層にもっともっと利用してもらいたいなみたいな感じがしますけど。
当時の世田谷美術館は主なコレクションと言うと何になるんですか?
主なコレクションとなると、数で言うと圧倒的に世田谷区ゆかりの作品がめちゃくちゃ多いんですけれども、
当時まだ区立の美術館というのが、
イタバシさんはもともとあって、
ほぼそんなに、5年と離れてないぐらい。
イタバシ、練馬、目黒、渋谷区小棟美術館とうちと、
ほぼ80年代の半ばから後半に経っているので、
ほとんど同じぐらいなんだけど、うちが一番最後。
そのラインナップだと最後で、その時に最後だからね、
もうちょっと特色を出したいなって思ったみたいで、
世田谷区の作品だけではなくて、
国際的な、剣術美術館の考えることに近いのかもしれませんけど、
目玉の何か持ちたいよねって言った時に、
たまたままとまったコレクションとして、
素朴派というものが、
無理に出てたと言っちゃうとあれなんですけれども、
たまたま無理に出てたからというわけではないんですけれども、
それと出会いがあり、
当時の最初代の館長が一目惚れしてしまったようで、
当時まだ素朴派というものは、
全く日本で紹介されてなかったに近かったんです。
新しいジャンルというか、今までまだ日本にちゃんと紹介されていない、
ルソーはもちろん皆さんご存じだと思いますが、
素朴派のメインがルソーで、
言っちゃうとルソーしか有名じゃないみたいな感じもあるんですが。
いわゆるなんとか派って、
印象派だと印象派のグループとかがあるけど、
素朴派は結局みんな日曜画家というか、
それぞれ勝手にやってた人たちが、
総称して素朴派みたいな。
ある評論家がそれを、
お互い同じ素朴派に挙げられている方たちは、
お互いにそんな面識はなく。
基本はメインの仕事がある人たち。
イメージとしては。
本業があって、絵も描いてた人たち。
それまでは19世紀末ぐらいですかね。
その頃までって職業画家しか世の中にいなかった。
プロのいわゆる画家。
趣味で絵を描いている人がいなかったとされていて、
画材とかも普通にその辺の人たちが買えるようなものではなくて、
お弟子さんを何十人も揃えて、
偉い先生がいる工房で絵の具を作るところから始めて、
10代の初めの頃からそこに弟子入りして、
絵の具を練るところから始めて、
才能のある人がそこからプロになっていくというものしか、
それまではなかったとされているところで、
ルソーの頃、印象派もその後すぐ続くんですけれども、
お店で絵の具が売られるようになった。
市販されるとですね。
チューブの発明があったので、絵の具のチューブが売られるようになったら、
今まで絵を描こうとか描く状況になかった人たちが、
思い立って絵を描けるようになってしまったんです。
いわゆる趣味で描けるようになる。
なので、それまでは日常画家というものはいなかったとされている中で、
アーニル・ルソーが多分、美術史上最初の日常画家。
好きで好きで描きたいから描いていた。
その弊害が、ルソーの作品ってそこまで古い作品じゃないんですけど、
たぶんちゃんと子供の頃から工房に弟子入りしていると、
この絵の具とこの絵の具は化学反応を起こすから混ぜちゃいけないよとか、
この油を使うとダメだよみたいなのがある中で、
ノウハウがあるわけですね、これまで作ってきた。
ルソーの絵ってめちゃくちゃ痛みが激しいんですよ。
そこは知らないで作っちゃってる。
この色綺麗だなみたいなだけで混ぜて作ったりするためか、
たかだか100年ちょっと200年経ってないくらいの作品なんですが、
他の同年代の作品と比べると、ものすごく痛みが激しくて。
そういう弊害もあるんですね。
そうだなと思いますね。
今回ここはアーニル・ルソーももちろんあるけれども、それ以外のものもあるんですね。
素朴派を一応まとまっては思っているんですが、
もともと言われている素朴派というのはごく数人、
これはある評論家が、もうルソーが亡くなった後だと思うんですけども、
聖なる心の画家展というのをやって、
そこに8人、9人だったかな、何人かの人たちのことを、
一応正しい素朴派という人たちで、
その後、たぶん世田谷美術館がそれをコレクションするようになってから、
これは意外とないですよね。
まずアンリルソーのコレクションに含まれているといったら、
いろんなところにあるけど、
素朴版がたくさん見られるといったら、結構珍しいですね。
そうですね、確かに。
アンリルソーは3点しか油絵を持っていないので、
代表作ではあるんですけれども、
そこに続いていく美術の見方というものが、そこから発して出てきているので、
その後にもやったルソーから始まるという展覧会だったり、
ルソーに見た夢とか、
日本の中にもすごくたくさんの作家がルソーに影響を受けているだろう。
日本人は特にルソーを好きだよねって話がよくあがるんですけど、
そこもすごく不思議だなって。
ちょっと脱線していいですか?
全然いいですよ、そういう番組なんで。
日本人ってわりと超絶技巧だったりとか、
もうちょっと整った美しいものが好きな民族だと思うんですけれども。
一方でいうとですね、一刀弱駐が好きだったり、
最近で言うと明治の超絶技巧みたいな。
そうですね。
講座なんか開いてても、
そういうものが好きだなってことを肌に感じているんですが、
一方、例えばゴッホとかゴーギャンとかルソーとかを、
他の国以上に好きな人が多いんじゃないかなと思うのは、
何か矛盾しているように思うんですよね。
もしかすると、原点には何かそういう整っていない、
ものすごい力を持った何かに惹かれるっていう感覚を持ちつつ、
超絶技巧にも惹かれつつみたいなことですか?
多分、それがうまく言葉にできないというか、
よくこういう仕事をしていますと、
美術の見方がわからないんですっていう質問をすごく受けるんですね。
そんなのだって、プロになるわけじゃないんだったら、
自分が好きなものを好きって言えばいいじゃんと思うんですが、
自分が好きなものをいいっていうことに自信がないということをよく思うので、
なんかその辺にもしかすると、
超絶技巧的なものってある意味わかりやすいじゃないですか。
自分にないものというか、できないこと。
それが素晴らしいものだっていうふうに。
自分が描けそうなものに対しての素晴らしいんだっていうことが、
もしかしたらうまく、
すみません、なんか急に私、
もしかしてこれかも、今長年考えちゃったけどこれかもみたいな瞬間に。
今来ちゃったの?収録中に。
でも、お笑いも近いなと思うのは、
例えばM-1とかで4分間完璧な漫才をしましたとか、
好きのない漫才みたいなものが評価されてるじゃないですか。
最近のM-1とか見てると、
もう完全に作られてる。
特に令和ロマンが2年連覇したみたいな。
一方で、素人の面白さみたいな番組もあって、
三馬さんがやってる五長獣早押しクイズだとか、
昔で言うと、きんちゃんが素人いじり始めたとかみたいな。
だから、両方ある気がするんですよね。
片や落語とかの完璧な、
もう名人技みたいなものもあれば、
何気ない素人の面白さみたいなのもあって、
そこは結構アートとお笑いって似てる気がしますよね。
本当だ、そうですね。
でも、その素人お笑いの時に大事なのは、
たとえば、たけしさんとかみたいな、
みんなが認める天才の芸人が、
この人たちを素人面白いって言うから面白いと思うという人で、
結構、アンリルーソーもピカソが認めたからみたいな。
そういうとこもある気がする。
それはありますね。
あのプロフェッショナルがこの素人をいいと言ってるってことは、
いいんだなってなってる気もしますよね。
それはそれと言うと寂しいですけど。
寂しいです。
たぶん、ピカソが評価しなかったら、
もしかしたらルソーは残ってなかったかもしれないですよね。
そこはちょっとある気がするなと思いながらも。
でも、こういうのはセタピじゃないと、
なかなか出てこないトピックですね、確かに。
と思いながら今聞いてます。
そうなんですよね。
私、自分の仕事が一応学芸員なんですけど、
今の展覧会担当してるんですけど、
全然展覧会やってこなくて、
どっちかというと、人と関わる仕事をずっとやってきたために、
ずっと、なんでみんな美術を分からないとか分かりたいとか、
そういうのってどういうことなのかなってずっと考えてたんですよ。
美術ってものすごく詩的なことじゃないですか。
お仕事として評論家になったりとか、美術師化になったら別なんでしょうけど、
まず自分が何をどう感じるか、
もしくはそれが人とどう違うのかみたいな、
そういったことを考えていく、
自分を見つめるのが美術を作る方法、見る方法だと思うんですけども、
すごくそこに答えを求めるというのが、
どう解消したらいいんだろうとか、
これが何だろうとか、ずっと普段から考えてるんですよ。
もちろんまだ本当の答えには全然行き着いてないんですけれども、
何かすごく違う、
そんなに他の国に住んだこともないですけれども、
ちょっと他の国の人と話しても、
美術が好きな人たちはすごく多いと思うんですけど、
美術に求めるものっていうのが、
何かちょっと特別な日本人が、
現代美術は苦手だって、だいぶ解消されてきましたけど、
それでも最初の頃、美術は好きなんだけど、
印象派までだなっていう方がめちゃくちゃ多くて、
それを私も美術館に入って最初に感じたことで、
現代美術わからん、つまらん、みたいな感じなんですが、
これ多分普通に考えると、
印象派で分かれるはずなんですよ。
みんな美術がわからないっていうのは、その以降の、
だいたい美術がわからないって言ってる人も、
印象派まではわかるって言うんですけど、
印象派以降から現代美術というか、
個人的な表現になっていったわけなので、
わかるとしたらそれ以前の、
ドラクロとかロマン派とか、
あのぐらいまでしかわからないんだよって言ったら、
まだ納得できるんですけど、
それが何でなのかなっていうのをずっと考えてまして。
わかる、わからないで言うと、
やっぱり僕も仕事から聞かれるわけで、
美術ってわかんないんですとか言われるんですけど、
そこの話に繋がるんですけど、
こういう話を結構、
安前さんと一緒にいるとこういう話をよくちょこちょこしちゃうのは、
ここではやっぱり安前さんの、
今回展覧会の話ももちろんするんですけど、
安前さんのメインの仕事としては美術教育の部門。
世田谷美術館さんは美術教育もかなりずっと力を入れてるってことですもんね。
最近まだ教育って言葉を使わないようにしてますけど、
普及なんですよ。
美術普及?
普及担当です。
どういう具体的には試みをしてるんですか、世田谷美術館さん。
何してるんでしょうね。
色々とやってるじゃないですか。
子供向けの鑑賞教育もしたり。
でも、添子さんの話、すごいと言いましたけど、
この美術館を作る時の話まで遡って、
世田谷美術館は、ルソーとか素朴派を扱うっていうところから、
誰もが持っている根源的な美術っていう、
それは多分美術が好きな人たちだけじゃなくて、
人間なら当然持っている根源的なものを感じたり、
綺麗だなと思ったりする感覚の力。
そういうものを大事にしようねっていうところから始まったわけで、
そのために、当時まだ珍しいとされてたんですが、
始めから、その時はまだ教育って言葉を使ってましたが、
教育普及事業と美術の展覧会ですね。
これをほぼほぼ同じ比重で、この美術館を運営していこうと始まるんですよ。
その頃は、美術館で講座をやっているところはもちろんありましたけれども、
私が大学の時にも、博物館学で習うと、まだ教育普及のことをほとんど語られないんですよ。
美術館の運営についての学園の資格を取る授業の中で、
丸一年間、一日だけ、最近変わった美術館は、教育普及というものをやっている美術館もあってね、という話があっただけで。
それは国内にはあったんですか?
瀬戸谷美術館です。
その時に珍しい美術館の人たちが、瀬戸谷美術館だったんですね。
私はその時はそうなんだと聞いていて、
ただ、その時の私のもう辞めちゃった先輩の学芸員は、
その時の板橋にしても目黒にしても宮城県立美術館にせよ、
いわゆる国内で教育普及事業をちゃんとやり始めた美術館というのが大体その辺で、
数えるほどしかなかった。
それがほとんど同時期に立っていて、
そこの学芸員が全員口を揃えて、
かどうかわかりませんけれども、
うちが本家だって言ってるっていう。
うち時代的にはちょっと遅れるんで、
うちは後じゃないのかと思うんですが、
うちの先輩はうちが本家だなと。
瀬戸谷美術館も本家と。
いろんなところに元祖のお店があるみたいな感じですよね。
たぶんその人たちも全然知り合いじゃないわけでもなくて、
でもたぶん次はこれだなっていうのは同時にいろんなところで、
一通り県立美術館とか大型の美術館が整備されて、
80年代がバブルですよね。
あの時に小さな地方自治体が美術館を作り始めた時に、
今までの美術館じゃない、しかも地方自治体であれば、
もっと生活に身近な美術館であるべきだっていうことを、
たまたま同じ時期に違うところで、
いろんなことを考えていた人たちがいて、
その当たりに出てきた美術館が、全部教育普及というものを売りにして、
非常に開館の時から力を入れてやっている美術館で、
当然うちもそうだったわけで、
うちの美術館ができた時の、世田谷の区長というのが今から3代前かな、
その区長がご自分も絵を描かれる方で、
毎年世田谷区民展とかに出していたりとかして、
ただそこが偉い方だなと思うのが、もうなくなっちゃいましたけれども、
自分が美術趣味なんですが、政治家としては口を出さないと決めてくださって、
それで3代の館長を引っ張ってきて、
行政にもいろんなタイプがありますけれども、
館長が行政の方というところも結構多い中で、
その区長が、世田谷区の美術館の館長が、
美術の専門家であるべきだということで、
専門家の初代館長を引っ張ってきて、
政治家としては、最初から区長選の時に、
文化都市世田谷というのを掲げるんですよ。
文化の香る都市世田谷というので、
世田谷区を作ってきますよというふうに歌って当選した方で、
その時の公約というか文書の中に、
私が区長になったら、世田谷区に美術館を作ります。
その美術館は、一部の美術マニアにだけ受ける美術館じゃなくて、
全ての区民に必要とされる美術館にします。
さらに具体的な案が2つありまして、
1つが美術鑑賞教室という、今でも私たちの仕事の目玉になっている、
世田谷区の公立の小学校、当時64校、今は61、60まで減ったかな。
その64校の小学校の子供たちの小学校、中学校が32校を、
全員、世田谷美術館に招待します。
90何校分ですか。
もう1つが、世田谷区に住んでいる人たちが、
本格的に美術の勉強ができる場を美術館の中に作ります。
これが美術大学という、今でも続いている人気講座です。
この2つが、未だに私の世田谷美術館の普及の柱の2本立てになっています。
もっと細かく話すと、鑑賞教室というのは、
小学校、中学校、若干数が減ったものの、
小学校は4年生、中学校は1年生。
今、ここのところ3年ぐらいで、1年生、2年生、3年生全員呼んでいるのですが、
中学生は試験だけあげて、各自勝手に来なさいね、なので、ちょっと置いておいて、
小学校は学校単位で4年生の子供たちが、1年間にわたって、
私たちとしては体感的には毎日来ているという感じです。
だから、1学年でいうと、3クラスとか4クラスとかあったりするんですか?
そうです。今、増えているんですよ、すごく。
かける全部の学校分ということですか?
もちろんです。だから、年間6,000人とか7,000人とかになっていて。
それをクラス単位で呼んでいますか?
学年単位で呼んで、それを他の美術館だったら、
例えば、「自由に見てくださいね。」というパターンもあると思うんですけど、
世田谷美術館はどうするんですか?
最初の10年間は、「自由に見てくださいね。」だったんですよ。
私が入った1年目、2年目まではそんな感じで、
そうすると、当時はひどくてですね、
1日に同じ時間帯に2個起きていたので、
展覧会場に300人とかの子供たちが、わーっていたりとかして。
当然、一般の方も見てているんですか?
もちろんですよ。
毎日苦情が来るという状態で。
静かに見たい人にとってはどうなんですか?
当時だから、今から30年くらい前なので、私が知っているのは、
ここは子供の来るところじゃない!って叫ばれたりとかもしたんですね。
さすがに今は、そういうお客様はいらっしゃいませんけども。
これも言っちゃっていいと思うんですけど、
起こるべくして事故が起きちゃったんですよ。
ほぼ私の目の前で。
ある展覧会、ある作家の方。
子供たち当時、授業で来ているので、メモを取っていたんですね。
今は子供たちの鑑賞教室でメモを取るのは禁止しているんですけど、
私たち一応学芸員は、子供たちが集まった時に、
高堂という広い部屋で、最低限のマナー。
美術館ってこういうところだよ。
今日こういうの見れますよ。
これやっちゃいけませんよ。
走っちゃいけない。
おしゃべっちゃいけない。
大きな声でおしゃべりしちゃいけない。
触っちゃいけない。
この3つの約束をして。
なぜなら、美術品というのは世界に1個しかないものなんだよ。
壊したら時が静かないんだよ、というところで、
たまたま広い部屋から急に狭くなる廊下という
組み方をしている展覧会の時に、
ところ転式に後ろからワーッと入った子供に押されて、
先頭の子がメモを取っている鉛筆のまま、
作品にポンといっちゃって。
刺さっちゃったんですか?
刺さっちゃったんです。
今はないんですが、昔は結界って、
今は結界ってロープが張られていたりとか、
ワイヤーだったりとかするんですが、
その時の結界が作品の前に段差があるやつで、
一段高くなっている。
そこにつまづいたために、勢いよく行っちゃったんです。
作品に結構な傷がついてしまって。
ただ、その子は、メモを取っていた子は、好きな子だったんですよ。
むしろ、わざと最近どこかで、
修学旅行行っている子だみたいな、
そういうことじゃないんですよね、その子が。
自分がたぶん、今でもそうなんですが、
だいたい学校の先生が宿題に行って、
好きな作品をメモしておいで、だと思うから、
その作品が好きだったんでしょうね。
もう今でも忘れられないですけど、
その子が大泣きしちゃって、
大事なものを、世界に1個しかない大事なものを、
傷つけてしまったってなるし、
横にいた寛新さんも、
私がちゃんと見てなかったからって泣き出しちゃって、
そこに駆けつけた私も、もらい泣きしてしまって。
でも、そうなりますよね。
幸いなことに、その時、
その作品を作った作家の方が、
元気で生きていらっしゃっていて、
しかも、その先生の持ち物だったんですよ。
個人像を借りていた。
これが誰か個人でも、別の方から借りてきたりとか、
海外から借りてきたりとか、
ものすごい大事になったと思うんですけども、
その方にすぐ担当の学園が電話して、
その方が、「いいよ、いいよ。僕、これから行って直すから。
ただ、その傷つけた子どものケアを、美術館はしっくりしてください。」
いい人ですね。
すごくいい人でしょ。
グークリは良かったですね。
そうだと、こっちは美術館として、
初めてそんなことが起きてしまったので、
ちょっと子供の子って感じだったのが、
そうだってなって、すぐパッコーと連絡を取って、
大丈夫だからって、これを作った人が、
大丈夫だよって、僕直すからって言ってたよって言ったら、
その子も、
私が美術館をその後に描いた時には、
その先生が展示室でこれを直している姿を見ましたけども、
あえてどなただとは言いませんけれども、
最近、その方は亡くなられてだいぶ経つのですが、
その方のご遺族とお話をする機会があったら、
そのことをよく、お嬢さんのご遺族の方もご存知で、
実を言うと、相当ショックだったらしいんですよ。
本当はその先生も。
何も語ることがない、動物がいっぱい出てる展覧会。
いやいや、すごい素敵な展覧会でした。
展覧会は植物で。
植物ですね。ここら辺ぐらいまではみんなが予想の通り、
動物展が終わった直後に、
次は植物でお願いしますみたいな感じで来てたので、
私もそのつもりでもいましたし、植物。
ちょっと今度すごく広くなっちゃうんですけど、
動物よりもやっぱり植物描かれたものの方が広く。
動物展を作る時に作りながら思ったのって、
動物はやっぱり擬人化というか、
自分の思いを乗せる方向に、
人間の代わりに何かを語るものとして描かれていることが多かったんですが、
植物って全く他者。
本当に人間、動物とは別の生き物というふうに捉えてるなというふうに。
中には植物もなくはないんですけど、
生き物としても全然違うものだというところから着想を得て、
もっと人間を超える大きなもの、もっともっと大きな生命。
最初から私たちは生きてるというタイトルから始まっているので、
生命や人の命みたいなものがずっとテーマにはなっていて。
今回展覧会、作品としては何点くらい出るんですか?
表向きは…
何だこれ。
表向きは約100点って書いてますけど。
約100点なんですけれども、正確に言うと135点です。
なんで33番読んだの?
なんで誤魔化したんですか?
いろんなアラーキーさんの作品もあったり、
向井純吉さんとか北尾次郎さん人なんかも出るということで。
海外ものが少なめなんですけれども、
バラエティにとっていろんな種類の表現が見えるというところは、
日本画もあるし、ドローイングも写真も版画も彫刻もあります。
しかもメインのビジュアルに使われているのが、
当初の話に出てきました遠本しすこさんであり、アンリルソーであり。
つながるわけですね。
他にも子どもたちとコラボしたところがあるということですが、
これは後半でその話もたっぷりしていただきたいと思いますので、
そろそろ収録終わりの時間になってまいりました。
改めて展覧会の告知をお願いいたします。
世田谷美術館コレクション1000選ぶですね。
緑の惑星世田美の森の植物たちという展覧会を2月27日も開催中です。
4月13日まで世田谷美術館の1階規格展示室で行っています。
ぜひ皆さんこれをきっかけに来ていただきたいと思います。
関連イベントもいっぱいありますので。
そしてもう一つこちらも話が出ました。
世田谷美術大学。
こちらも今35期生を募集中で、
3月1日から3月31日だけ4月1日まで募集になっています。60名。
中身のことを詳しく言うのは時間もないんですけれども、
卒業された方はみんな必ず卒業したくない。
もうずっと世田谷美術大学にいたいとおっしゃいますので、
一応世田谷区の区民対象ではあるんですけれども。
働いていればいい。財財重か財金か。
それもないという方はぜひ友の会の会員になっていただければ。
もしくはこれをきっかけに世田谷に住んでいただければということですよね。
トニーさんにもたぶんほぼ毎年講師にいらしていただいてますので。
なんかやるかもしれない。結構毎回無茶ぶりがすごいですよね。
生徒の方が一番大変だと思うんですよ。授業の時間が長いからあれですけど。
ここで3時間講義っていうすごいロングスタイルのことになって。
ある時なんかはパワポ使っちゃダメですから、トニーさん今年はみたいな。
謎の縛りもあって。パワポ無しでやってください、3時間って。
今年ももしかしたら無茶ぶりされるかもしれませんが、
気になる方は世田谷美術大学、これはホームページで。
はい、ホームページの方で募集してます。
ぜひチェックしてみてください。
ということで後半もどうぞよろしくお願いします。
はい、ということで次回も東谷さんをゲストにトークを続けていきたいと思います。