1. そろそろ美術の話を...
  2. #127 世田谷美術館の巻き込み..
2025-03-08 1:00:16

#127 世田谷美術館の巻き込み型 教育普及施策について(世田谷美術館 東谷千恵子)

世田谷美術館学芸部普及担当マネージャー 東谷千恵子さんをゲストに、世田谷美術館の成り立ちや特徴、教育普及についてのお話をお聞きしました。⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/12⁠7⁠⁠⁠⁠⁠  番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile

- 東谷千恵子(あずまや ちえこ)

-- 世田谷美術館学芸部普及担当マネージャー


Show Notes


世田谷美術館について

企画展について

サマリー

世田谷美術館の普及担当マネージャー、東谷千恵子さんが桜祭りなどの教育普及施策について語り、美術館の魅力を伝えています。また、世田谷美術館の歴史やコレクションにも触れ、地域との関係性を深める方法を考えています。世田谷美術館では、美術を身近に感じるための新しい教育普及施策が展開されています。特に、素朴なアートやアウトサイダーアートの重要性に焦点を当て、観客との関係性を深める取り組みが進められています。世田谷美術館は、地域住民に開かれた美術教育を通じて、芸術への理解を深める普及活動に力を入れています。特に子供向けの鑑賞教育を実施し、美術館と地域の連携を強化しています。また、世田谷美術館は地域の学校を招待して美術鑑賞を行う先駆的な取り組みをしています。このエピソードでは、事故を乗り越えながらも鑑賞教室を存続させるための工夫と、美術大学との連携について語られています。世田谷美術館では、美術大学の卒業生が多く関わっており、鑑賞教室や展覧会を通じて地域の子どもたちと深い関係を築いています。特にコロナ禍を経て、楽しみながら美術作品に触れる重要性が再確認され、新しい展覧会の企画が進められています。

世田谷美術館の紹介
アートテラー・とにのそろそろ美術の話を
この番組は、私アートテラー・とにが アートに関わる方をゲストにお迎えして
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は、世田谷美術館学芸部普及担当マネージャー 東谷千恵子さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
はい、ということでよろしくお願いします。
いやー、東谷さんについに出ていただけるということで。
そうなんでしょうか。
そうなんです。関係性もかなり深いと言いますか。
じゃないですか。僕は勝手に思ってますけど。
そうですよね。最初だから何年前になりますかね。
もう6、7年は経つんじゃないですか。
もっとかな。コロナ前、全然前に。
とにさんがたまたま100円ワークショップに いらしてくださってたんですよ。
ああ、そうです。アートツアーで。
それでその時に、うちのボランティアの一人が 同じようにとにさんのファンがいて。
私に、あれ、とにさんじゃない。
どうする、声かける、声かけるって言って、声かけた。
ああ、そうだった気がします。
そこからいくつか仕事の話もあったりとかして。
なので、東谷さんと仲良すぎるからってのもあれですけど。
普通に展覧会見に来たら、東谷さんが いつもいらっしゃる部屋があるんですよね。
学芸部の部屋じゃなくて、 いつもいらっしゃる部屋があって。
そこに寄って、だいたい1、2時間なんか雑談して 帰るみたいな関係性でして。
だから東谷さんにはぜひ いつか出ていただきたいと思ったんですが。
この後、後々ゆっくりお話いただきますけれども。
担当される展覧会が今ちょうど始まっているということで。
あわせて今回はご出演いただいております。
さて今回、世田谷美術館、この番組も 5年目、6年目に今年突入するんですが。
世田谷美術館は初登場という。
おかしいですね。
しかも、この番組プロデューサーも この番組が始まって、
結構いろんな美術館に行くようになったのに。
さっきチラッと聞いたら、 絹田公園には来るけど、
世田谷初めてだっていう。
そういうお客さんもいらっしゃるかもしれないので。
改めて、世田谷美術館ってどんな美術館なのか。
教えていただけたらと思います。
桜祭りの取り組み
今おっしゃったように、本当によく聞くんですよ。
絹田公園にはよく行くんですけどっていう話。
実は、この話していいのかな。
昨日、某ラジオ局で収録してたんですけど、
その時、全く同じこと言われてた。
プロデューサーの方が。
絹田公園には行くけど、絹田公園の中にある 世田谷美術館には来ない。
困ったもんですね、これは。
有名といえば有名なのか、
すごく話飛んでしまって、美術館の紹介じゃなくて。
たぶん後でまた桜祭りの告知もさせてもらおうと思うんですが。
世田谷美術館、とにかくお花見のメッカなんですよ。
メッカというほど有名じゃないので、
お花見にとても手頃な。
なるほど、なるほど。
そんなにファミリー層が、変な酔っ払いもいないし。
要するに上野公園とかみたいなところではなく、
隅田川の地域ではなくここは。
とにかく枝が下まで来ているので、
お花見にすごくよくて。
世田谷区以外の方もお花見にはいらっしゃるんですけど、
私も昔、同じことを世田谷美術館で勤めているんです。
どこにあるんですか?って言って。
いや、隅田川の中なんですから。
あ、お花見にはよく行くんですけど。
言われまして。
あるあるなんですね。
それが、うちのボランティアの方たちみんなで、
予選を集めたら、同じような体験をみんな持っているんですよ。
みんなそう言われてる。
みんなそう言われてるので。
じゃあ、隅田公園のお花見に来ているお客様に、
世田谷美術館ここにあるよ、
っていうアピールをする機会が欲しいね、
って言って始まったのが桜祭りなんですけど。
これはどういう祭りなんですか?
桜祭りはそのままです。
隅田公園に来るお花見客に、
世田谷美術館は実はここにあるよ、ということで。
例えば展覧会のチケットが不思議なくらいたくさん当たる抽選会とか。
当選率が高すぎる。
そのうち音が出ないと、
お花見客はこっちに寄らないよっていうので、
ライブやったり、
ドラムサークルって太鼓のパフォーマンスやったり。
あと飲食、生ビールがないとお客さん来ない。
お父さんもお母さんも。
レストランの出店で生ビールって上り立てて。
技術的なお祭りでは全くないんですね。
ないですね、確かに。
普通の出店みたいなことになって。
ただ、ここに世田谷美術館があるよ、
ってことを知ってもらうのがまず大事なので。
これをきっかけに認知されていくところもあるわけですね。
フリーマーケットも全然美術と関係ない。
日用品を売ってるフリーマーケットも。
基本出店者は外部の方をお断りしていて、
世田谷美術館の友の会の会員とボランティアの方と、
あとは講座の参加者なので。
世田谷美術館の敷地内に桜の木は一本もないんですよ。
ちょっとお借りして。
その桜じゃないんです。
あ、そっちの桜の方がいっぱいいるんですね。
すごいあっちに賑わっているように見えるなっていう桜祭り。
そう、二つの意味が掛かっている桜祭り。
コレクションと歴史
今年3月20日。
ちょうどだから今月中に。今、配信3月8日ですから。
まだ一度も世田谷美術館にお越ししていない方は、
お花見のついでにぜひお立ち寄りいただけると。
実は世田谷美術館開館はいつになるんですか?
1986年の3月30日が誕生日で、恐ろしいことに来年40歳になるんです。
そうかそうか。もうだから終年が近づいているわけですね。
そうなんですよ。
私も物心をついて以降にできた美術館なので、
結構新しい美術館というイメージがまだまだあったんですが、
40年も経っていて。
でも木鈴田公園の方が古いですよね?
もちろんです。
作るとなった時には、世田谷を代表する木鈴田公園の中に作ろうと思って作られたってことですね。
その辺の戦は、私当時はいなかったので。
ただ木鈴田公園は東京都の公園なんです。
世田谷美術館は丘にしているので、
これも本当かどうかは知りませんが、
某都立の現代美術館が1個しかないんですね。
あれですね。
ここの土地を欲しがったとか欲しがらなかったとかいう話を。
実機的にあれは1990年ですよね?
あちらの方が後なんですけれども、
あそことの公園みたいな感じで。
でもどっちにしろ駅からは遠いからですね。
東京都、あちの某の駅からというと、ここもちょっと駅からありますけどね。
でも場所的には素敵な場所ですもんね。
車で来るには駐車場も間違いなくあるし、
1日過ごすのであれば公園に来て、
美術館に寄って、公園に寄って、また帰るみたいなね。
そういうのだとファミリー層にもっともっと利用してもらいたいなみたいな感じがしますけど。
当時の世田谷美術館は主なコレクションと言うと何になるんですか?
主なコレクションとなると、数で言うと圧倒的に世田谷区ゆかりの作品がめちゃくちゃ多いんですけれども、
当時まだ区立の美術館というのが、
イタバシさんはもともとあって、
ほぼそんなに、5年と離れてないぐらい。
イタバシ、練馬、目黒、渋谷区小棟美術館とうちと、
ほぼ80年代の半ばから後半に経っているので、
ほとんど同じぐらいなんだけど、うちが一番最後。
そのラインナップだと最後で、その時に最後だからね、
もうちょっと特色を出したいなって思ったみたいで、
世田谷区の作品だけではなくて、
国際的な、剣術美術館の考えることに近いのかもしれませんけど、
目玉の何か持ちたいよねって言った時に、
たまたままとまったコレクションとして、
素朴派というものが、
無理に出てたと言っちゃうとあれなんですけれども、
たまたま無理に出てたからというわけではないんですけれども、
それと出会いがあり、
当時の最初代の館長が一目惚れしてしまったようで、
当時まだ素朴派というものは、
全く日本で紹介されてなかったに近かったんです。
新しいジャンルというか、今までまだ日本にちゃんと紹介されていない、
ルソーはもちろん皆さんご存じだと思いますが、
素朴派のメインがルソーで、
言っちゃうとルソーしか有名じゃないみたいな感じもあるんですが。
いわゆるなんとか派って、
印象派だと印象派のグループとかがあるけど、
素朴派は結局みんな日曜画家というか、
それぞれ勝手にやってた人たちが、
総称して素朴派みたいな。
ある評論家がそれを、
お互い同じ素朴派に挙げられている方たちは、
お互いにそんな面識はなく。
基本はメインの仕事がある人たち。
イメージとしては。
本業があって、絵も描いてた人たち。
それまでは19世紀末ぐらいですかね。
その頃までって職業画家しか世の中にいなかった。
プロのいわゆる画家。
趣味で絵を描いている人がいなかったとされていて、
画材とかも普通にその辺の人たちが買えるようなものではなくて、
お弟子さんを何十人も揃えて、
偉い先生がいる工房で絵の具を作るところから始めて、
10代の初めの頃からそこに弟子入りして、
絵の具を練るところから始めて、
才能のある人がそこからプロになっていくというものしか、
それまではなかったとされているところで、
ルソーの頃、印象派もその後すぐ続くんですけれども、
お店で絵の具が売られるようになった。
市販されるとですね。
チューブの発明があったので、絵の具のチューブが売られるようになったら、
今まで絵を描こうとか描く状況になかった人たちが、
思い立って絵を描けるようになってしまったんです。
いわゆる趣味で描けるようになる。
なので、それまでは日常画家というものはいなかったとされている中で、
アーニル・ルソーが多分、美術史上最初の日常画家。
好きで好きで描きたいから描いていた。
その弊害が、ルソーの作品ってそこまで古い作品じゃないんですけど、
たぶんちゃんと子供の頃から工房に弟子入りしていると、
この絵の具とこの絵の具は化学反応を起こすから混ぜちゃいけないよとか、
この油を使うとダメだよみたいなのがある中で、
ノウハウがあるわけですね、これまで作ってきた。
ルソーの絵ってめちゃくちゃ痛みが激しいんですよ。
そこは知らないで作っちゃってる。
この色綺麗だなみたいなだけで混ぜて作ったりするためか、
たかだか100年ちょっと200年経ってないくらいの作品なんですが、
他の同年代の作品と比べると、ものすごく痛みが激しくて。
そういう弊害もあるんですね。
そうだなと思いますね。
今回ここはアーニル・ルソーももちろんあるけれども、それ以外のものもあるんですね。
素朴派を一応まとまっては思っているんですが、
もともと言われている素朴派というのはごく数人、
これはある評論家が、もうルソーが亡くなった後だと思うんですけども、
聖なる心の画家展というのをやって、
そこに8人、9人だったかな、何人かの人たちのことを、
一応正しい素朴派という人たちで、
その後、たぶん世田谷美術館がそれをコレクションするようになってから、
素朴なアートの価値
うちの学芸員や初代の館長が、素朴というものに打たれるわけですよ。
美術の原点でいう。
やっぱりどうしても美術というと資金の高いもので、
知識がないとわからなかったり、
特に西洋文化がちゃんとわからなかったり、
キリスト教がわからなかったりするとわからないとか、
ましては20世紀美術になるともっと今度深い何か、
頭で見るような作品が増えてくる中で、
美術ってもっとそうじゃなかったんじゃないのか。
もっと上手いとか下手とかという意外に何かある、
その人しか出せないような熱情を誰かに伝えるようなものが、
美術だったんじゃないかということを、
最初の展覧会の時から、
私はまだいないんですけども、
その時の学芸員とうちの館長が話をして、
そこからもう少し広げて、
素朴的なるもの、素朴的な美術ということで広げていき、
そこから例えばアウトサイダーアートであったりとか、
今もアウトサイダーアートという言葉がどうなのかなというのもありますが、
一応美術史上そういうジャンルはまだあるので、
あとは子供の作品であったりとか、
アウトサイダーですよね。
アカデミックな美術と真ん中に、ものすごい訓練をして勉強をして、
いろんなものを乗り越えて、
人に認められたという人たちじゃないところで表現活動をしていて、
でも実はそのもの自体も、
めちゃくちゃ誰かの心を打ったりとかするじゃないですか。
そういうものが元々アートだったんじゃないのかということを、
開館の時の展覧会で打ち出しまして、
その後からもその周辺のそういう力を持った。
例えば最近だとトウモトシスコさんとか、
トウモトシスコ展がありましたね。
ああいうちゃんと評価されずに、
でもものすごい熱い作品を作っていた人たちというものを、
なるべくちゃんと拾っていこうよ、見ていこうよという、
中心に連れ出していこうよというような動きを、
世田谷美術館がしてきたような美術館なんです。
日本人と美術の関係
これは意外とないですよね。
まずアンリルソーのコレクションに含まれているといったら、
いろんなところにあるけど、
素朴版がたくさん見られるといったら、結構珍しいですね。
そうですね、確かに。
アンリルソーは3点しか油絵を持っていないので、
代表作ではあるんですけれども、
そこに続いていく美術の見方というものが、そこから発して出てきているので、
その後にもやったルソーから始まるという展覧会だったり、
ルソーに見た夢とか、
日本の中にもすごくたくさんの作家がルソーに影響を受けているだろう。
日本人は特にルソーを好きだよねって話がよくあがるんですけど、
そこもすごく不思議だなって。
ちょっと脱線していいですか?
全然いいですよ、そういう番組なんで。
日本人ってわりと超絶技巧だったりとか、
もうちょっと整った美しいものが好きな民族だと思うんですけれども。
一方でいうとですね、一刀弱駐が好きだったり、
最近で言うと明治の超絶技巧みたいな。
そうですね。
講座なんか開いてても、
そういうものが好きだなってことを肌に感じているんですが、
一方、例えばゴッホとかゴーギャンとかルソーとかを、
他の国以上に好きな人が多いんじゃないかなと思うのは、
何か矛盾しているように思うんですよね。
もしかすると、原点には何かそういう整っていない、
ものすごい力を持った何かに惹かれるっていう感覚を持ちつつ、
超絶技巧にも惹かれつつみたいなことですか?
多分、それがうまく言葉にできないというか、
よくこういう仕事をしていますと、
美術の見方がわからないんですっていう質問をすごく受けるんですね。
そんなのだって、プロになるわけじゃないんだったら、
自分が好きなものを好きって言えばいいじゃんと思うんですが、
自分が好きなものをいいっていうことに自信がないということをよく思うので、
なんかその辺にもしかすると、
超絶技巧的なものってある意味わかりやすいじゃないですか。
自分にないものというか、できないこと。
それが素晴らしいものだっていうふうに。
自分が描けそうなものに対しての素晴らしいんだっていうことが、
もしかしたらうまく、
すみません、なんか急に私、
もしかしてこれかも、今長年考えちゃったけどこれかもみたいな瞬間に。
今来ちゃったの?収録中に。
でも、お笑いも近いなと思うのは、
例えばM-1とかで4分間完璧な漫才をしましたとか、
好きのない漫才みたいなものが評価されてるじゃないですか。
最近のM-1とか見てると、
もう完全に作られてる。
特に令和ロマンが2年連覇したみたいな。
一方で、素人の面白さみたいな番組もあって、
三馬さんがやってる五長獣早押しクイズだとか、
昔で言うと、きんちゃんが素人いじり始めたとかみたいな。
だから、両方ある気がするんですよね。
片や落語とかの完璧な、
もう名人技みたいなものもあれば、
何気ない素人の面白さみたいなのもあって、
そこは結構アートとお笑いって似てる気がしますよね。
本当だ、そうですね。
でも、その素人お笑いの時に大事なのは、
たとえば、たけしさんとかみたいな、
みんなが認める天才の芸人が、
この人たちを素人面白いって言うから面白いと思うという人で、
結構、アンリルーソーもピカソが認めたからみたいな。
そういうとこもある気がする。
それはありますね。
あのプロフェッショナルがこの素人をいいと言ってるってことは、
いいんだなってなってる気もしますよね。
それはそれと言うと寂しいですけど。
寂しいです。
たぶん、ピカソが評価しなかったら、
もしかしたらルソーは残ってなかったかもしれないですよね。
そこはちょっとある気がするなと思いながらも。
でも、こういうのはセタピじゃないと、
なかなか出てこないトピックですね、確かに。
と思いながら今聞いてます。
そうなんですよね。
私、自分の仕事が一応学芸員なんですけど、
今の展覧会担当してるんですけど、
全然展覧会やってこなくて、
どっちかというと、人と関わる仕事をずっとやってきたために、
ずっと、なんでみんな美術を分からないとか分かりたいとか、
そういうのってどういうことなのかなってずっと考えてたんですよ。
美術ってものすごく詩的なことじゃないですか。
お仕事として評論家になったりとか、美術師化になったら別なんでしょうけど、
まず自分が何をどう感じるか、
もしくはそれが人とどう違うのかみたいな、
そういったことを考えていく、
自分を見つめるのが美術を作る方法、見る方法だと思うんですけども、
すごくそこに答えを求めるというのが、
どう解消したらいいんだろうとか、
これが何だろうとか、ずっと普段から考えてるんですよ。
もちろんまだ本当の答えには全然行き着いてないんですけれども、
何かすごく違う、
そんなに他の国に住んだこともないですけれども、
ちょっと他の国の人と話しても、
美術が好きな人たちはすごく多いと思うんですけど、
美術に求めるものっていうのが、
何かちょっと特別な日本人が、
現代美術は苦手だって、だいぶ解消されてきましたけど、
それでも最初の頃、美術は好きなんだけど、
印象派までだなっていう方がめちゃくちゃ多くて、
それを私も美術館に入って最初に感じたことで、
現代美術わからん、つまらん、みたいな感じなんですが、
これ多分普通に考えると、
印象派で分かれるはずなんですよ。
みんな美術がわからないっていうのは、その以降の、
だいたい美術がわからないって言ってる人も、
印象派まではわかるって言うんですけど、
印象派以降から現代美術というか、
個人的な表現になっていったわけなので、
わかるとしたらそれ以前の、
ドラクロとかロマン派とか、
あのぐらいまでしかわからないんだよって言ったら、
まだ納得できるんですけど、
それが何でなのかなっていうのをずっと考えてまして。
わかる、わからないで言うと、
やっぱり僕も仕事から聞かれるわけで、
美術ってわかんないんですとか言われるんですけど、
現代美術の魅力
最近僕なりの答えとしてよく言うのが、
もうその話やめませんみたいな感じなんですよ。
それは何でかっていうと、
結局美術を見て楽しむ時には、
最終的に僕は、今は面白いか面白くないかで判断してて、
わかるかわからないかは入り口でしかなくて、
面白いか面白くないかじゃないですか。
それって多分、漫画を読む時もそうだし、
映画を見る時もそうだし、
全ては面白いか面白くないかって、
みんな多分ジャッジしてるのに、
そのわかるかわかんないかって入り口のところじゃないですか。
そこはね、漫画とかと違って、
一時、悪い人たちがいたんですよ。
わざと煙巻いて、
わかんなくしてきた時代がやっぱりあったじゃないですか。
素人にわかるものは美術じゃないとまでは言わなくても、
それに近いことを言ってた時代があったので、
その余波がまだ残ってるから、
なんとなく、
ただ面白いじゃダメなんだな、この世界は。
っていうのがまだ残っちゃってるんだと思うんですよね。
でも結局、わかるけど面白くないものなんて、
いっぱいあるじゃないですか。
例えば富士山の絵が描いてあって、
富士山の絵が描いてあって、横山太郎の絵が悪いとは言いませんよ。
でも富士山の絵が描いてあって、
富士山だなって思って終わるじゃないですか。
でもわかるかわかんないで言ったら、
富士山ってことはわかってるから、
わかってるわけですよ、これは。
でもこれが面白いか面白くないかは、
また別の話じゃないですか。
でも逆に、わかんないけど面白いものっていっぱいある。
それはお笑いもそうで、
何言ってるかわかんないけどめっちゃ面白いの。
逆にベタすぎて全然面白くないなとかあるから、
結局、面白いか面白くないかでいいんだよっていうことを、
もっと言っていかないとなと思ってます。
だから、わかるかわかんないかは、
所詮入り口で。
要するに、特に美術の世界なんかは、
わかんなくて面白いものいっぱいあるよって思うし、
特に現代美術なんてわかんない、
現代美術ってよくわかんないって言われるけど、
わかんないから現代美術であって、
わかんないから面白いじゃんって。
わかるんだったら自分でやればいいじゃんって思うんですよ。
って思うような気がするけど、
そこを多分意外と言ってこなかったんだと思うんですよね、
これまであんまり。
そうやっちゃったら、たぶん番組が終わっちゃうんだって。
美術番組とかも。
だから、やっぱりいろんな研究者とか評論家の方が、
いろいろとコメントして、
いろいろとやるのは大事だと思うけど、
とは思いながらやってますけどね。
できることといったら、
最近、いいよねとだけ言うようにしてます。
なぜいいかとか一切言わない。
世田谷美術館の新しいアプローチ
でもそれこそ、ちょっと自慢みたくなっちゃいますけど、
世田谷美術館さんで何度かお仕事させてもらって、
2年くらい前に、
鑑賞教育を新しいの考えてくれっていう授業があって、
無茶振りも出尽くしてるじゃん、世の中に。
え、俺考えるの新しいの?と思って。
やったのがガヤを飛ばす。
マッチョの人の大会とかでみんなが褒めるじゃないですか。
肩にトラック乗ってるよみたいな。
あんな感じで美術作品に対してみんなで褒め合おうっていう企画やったら、
あれ意外と盛り上がりましたね。
みんなでガヤを飛ばす。
先生方対象。
世田谷の美術の先生8つ目。
みんなで褒めてましたよね。
だから、そんなんでいいんじゃないのかと思いますけどね。
美術教育の重要性
そこの話に繋がるんですけど、
こういう話を結構、
安前さんと一緒にいるとこういう話をよくちょこちょこしちゃうのは、
ここではやっぱり安前さんの、
今回展覧会の話ももちろんするんですけど、
安前さんのメインの仕事としては美術教育の部門。
世田谷美術館さんは美術教育もかなりずっと力を入れてるってことですもんね。
最近まだ教育って言葉を使わないようにしてますけど、
普及なんですよ。
美術普及?
普及担当です。
どういう具体的には試みをしてるんですか、世田谷美術館さん。
何してるんでしょうね。
色々とやってるじゃないですか。
子供向けの鑑賞教育もしたり。
でも、添子さんの話、すごいと言いましたけど、
この美術館を作る時の話まで遡って、
世田谷美術館は、ルソーとか素朴派を扱うっていうところから、
誰もが持っている根源的な美術っていう、
それは多分美術が好きな人たちだけじゃなくて、
人間なら当然持っている根源的なものを感じたり、
綺麗だなと思ったりする感覚の力。
そういうものを大事にしようねっていうところから始まったわけで、
そのために、当時まだ珍しいとされてたんですが、
始めから、その時はまだ教育って言葉を使ってましたが、
教育普及事業と美術の展覧会ですね。
これをほぼほぼ同じ比重で、この美術館を運営していこうと始まるんですよ。
その頃は、美術館で講座をやっているところはもちろんありましたけれども、
私が大学の時にも、博物館学で習うと、まだ教育普及のことをほとんど語られないんですよ。
美術館の運営についての学園の資格を取る授業の中で、
丸一年間、一日だけ、最近変わった美術館は、教育普及というものをやっている美術館もあってね、という話があっただけで。
それは国内にはあったんですか?
瀬戸谷美術館です。
その時に珍しい美術館の人たちが、瀬戸谷美術館だったんですね。
私はその時はそうなんだと聞いていて、
ただ、その時の私のもう辞めちゃった先輩の学芸員は、
その時の板橋にしても目黒にしても宮城県立美術館にせよ、
いわゆる国内で教育普及事業をちゃんとやり始めた美術館というのが大体その辺で、
数えるほどしかなかった。
それがほとんど同時期に立っていて、
そこの学芸員が全員口を揃えて、
かどうかわかりませんけれども、
うちが本家だって言ってるっていう。
うち時代的にはちょっと遅れるんで、
うちは後じゃないのかと思うんですが、
うちの先輩はうちが本家だなと。
瀬戸谷美術館も本家と。
いろんなところに元祖のお店があるみたいな感じですよね。
たぶんその人たちも全然知り合いじゃないわけでもなくて、
でもたぶん次はこれだなっていうのは同時にいろんなところで、
一通り県立美術館とか大型の美術館が整備されて、
80年代がバブルですよね。
あの時に小さな地方自治体が美術館を作り始めた時に、
今までの美術館じゃない、しかも地方自治体であれば、
もっと生活に身近な美術館であるべきだっていうことを、
たまたま同じ時期に違うところで、
いろんなことを考えていた人たちがいて、
その当たりに出てきた美術館が、全部教育普及というものを売りにして、
非常に開館の時から力を入れてやっている美術館で、
当然うちもそうだったわけで、
うちの美術館ができた時の、世田谷の区長というのが今から3代前かな、
その区長がご自分も絵を描かれる方で、
毎年世田谷区民展とかに出していたりとかして、
ただそこが偉い方だなと思うのが、もうなくなっちゃいましたけれども、
自分が美術趣味なんですが、政治家としては口を出さないと決めてくださって、
それで3代の館長を引っ張ってきて、
行政にもいろんなタイプがありますけれども、
館長が行政の方というところも結構多い中で、
その区長が、世田谷区の美術館の館長が、
美術の専門家であるべきだということで、
専門家の初代館長を引っ張ってきて、
政治家としては、最初から区長選の時に、
文化都市世田谷というのを掲げるんですよ。
文化の香る都市世田谷というので、
世田谷区を作ってきますよというふうに歌って当選した方で、
その時の公約というか文書の中に、
私が区長になったら、世田谷区に美術館を作ります。
その美術館は、一部の美術マニアにだけ受ける美術館じゃなくて、
全ての区民に必要とされる美術館にします。
さらに具体的な案が2つありまして、
1つが美術鑑賞教室という、今でも私たちの仕事の目玉になっている、
世田谷区の公立の小学校、当時64校、今は61、60まで減ったかな。
その64校の小学校の子供たちの小学校、中学校が32校を、
全員、世田谷美術館に招待します。
90何校分ですか。
もう1つが、世田谷区に住んでいる人たちが、
本格的に美術の勉強ができる場を美術館の中に作ります。
これが美術大学という、今でも続いている人気講座です。
この2つが、未だに私の世田谷美術館の普及の柱の2本立てになっています。
子供たちの鑑賞教室
もっと細かく話すと、鑑賞教室というのは、
小学校、中学校、若干数が減ったものの、
小学校は4年生、中学校は1年生。
今、ここのところ3年ぐらいで、1年生、2年生、3年生全員呼んでいるのですが、
中学生は試験だけあげて、各自勝手に来なさいね、なので、ちょっと置いておいて、
小学校は学校単位で4年生の子供たちが、1年間にわたって、
私たちとしては体感的には毎日来ているという感じです。
だから、1学年でいうと、3クラスとか4クラスとかあったりするんですか?
そうです。今、増えているんですよ、すごく。
かける全部の学校分ということですか?
もちろんです。だから、年間6,000人とか7,000人とかになっていて。
それをクラス単位で呼んでいますか?
学年単位で呼んで、それを他の美術館だったら、
例えば、「自由に見てくださいね。」というパターンもあると思うんですけど、
世田谷美術館はどうするんですか?
最初の10年間は、「自由に見てくださいね。」だったんですよ。
私が入った1年目、2年目まではそんな感じで、
そうすると、当時はひどくてですね、
1日に同じ時間帯に2個起きていたので、
展覧会場に300人とかの子供たちが、わーっていたりとかして。
当然、一般の方も見てているんですか?
もちろんですよ。
毎日苦情が来るという状態で。
静かに見たい人にとってはどうなんですか?
当時だから、今から30年くらい前なので、私が知っているのは、
ここは子供の来るところじゃない!って叫ばれたりとかもしたんですね。
さすがに今は、そういうお客様はいらっしゃいませんけども。
これも言っちゃっていいと思うんですけど、
起こるべくして事故が起きちゃったんですよ。
ほぼ私の目の前で。
ある展覧会、ある作家の方。
子供たち当時、授業で来ているので、メモを取っていたんですね。
今は子供たちの鑑賞教室でメモを取るのは禁止しているんですけど、
私たち一応学芸員は、子供たちが集まった時に、
高堂という広い部屋で、最低限のマナー。
美術館ってこういうところだよ。
今日こういうの見れますよ。
これやっちゃいけませんよ。
走っちゃいけない。
おしゃべっちゃいけない。
大きな声でおしゃべりしちゃいけない。
触っちゃいけない。
この3つの約束をして。
なぜなら、美術品というのは世界に1個しかないものなんだよ。
壊したら時が静かないんだよ、というところで、
たまたま広い部屋から急に狭くなる廊下という
組み方をしている展覧会の時に、
ところ転式に後ろからワーッと入った子供に押されて、
先頭の子がメモを取っている鉛筆のまま、
作品にポンといっちゃって。
刺さっちゃったんですか?
刺さっちゃったんです。
今はないんですが、昔は結界って、
今は結界ってロープが張られていたりとか、
ワイヤーだったりとかするんですが、
その時の結界が作品の前に段差があるやつで、
一段高くなっている。
そこにつまづいたために、勢いよく行っちゃったんです。
作品に結構な傷がついてしまって。
ただ、その子は、メモを取っていた子は、好きな子だったんですよ。
むしろ、わざと最近どこかで、
修学旅行行っている子だみたいな、
そういうことじゃないんですよね、その子が。
自分がたぶん、今でもそうなんですが、
だいたい学校の先生が宿題に行って、
好きな作品をメモしておいで、だと思うから、
その作品が好きだったんでしょうね。
もう今でも忘れられないですけど、
その子が大泣きしちゃって、
大事なものを、世界に1個しかない大事なものを、
傷つけてしまったってなるし、
横にいた寛新さんも、
私がちゃんと見てなかったからって泣き出しちゃって、
そこに駆けつけた私も、もらい泣きしてしまって。
でも、そうなりますよね。
幸いなことに、その時、
その作品を作った作家の方が、
元気で生きていらっしゃっていて、
しかも、その先生の持ち物だったんですよ。
個人像を借りていた。
これが誰か個人でも、別の方から借りてきたりとか、
海外から借りてきたりとか、
ものすごい大事になったと思うんですけども、
その方にすぐ担当の学園が電話して、
その方が、「いいよ、いいよ。僕、これから行って直すから。
ただ、その傷つけた子どものケアを、美術館はしっくりしてください。」
いい人ですね。
すごくいい人でしょ。
グークリは良かったですね。
そうだと、こっちは美術館として、
初めてそんなことが起きてしまったので、
ちょっと子供の子って感じだったのが、
そうだってなって、すぐパッコーと連絡を取って、
大丈夫だからって、これを作った人が、
大丈夫だよって、僕直すからって言ってたよって言ったら、
その子も、
私が美術館をその後に描いた時には、
その先生が展示室でこれを直している姿を見ましたけども、
あえてどなただとは言いませんけれども、
最近、その方は亡くなられてだいぶ経つのですが、
その方のご遺族とお話をする機会があったら、
そのことをよく、お嬢さんのご遺族の方もご存知で、
実を言うと、相当ショックだったらしいんですよ。
本当はその先生も。
世田谷美術館の取り組みの歴史
ただ、自分のせいで、
美術が嫌いになってしまう子が出るっていうことが、
もう耐えられない。
ご遺族の話ではやっぱり、
作家の方って先生の方も多いから、
何かがきっかけで、不登校になってしまったことが
昔あったというふうにお聞きして、
それが急に蘇ってきて、
そのきっかけに自分の作品がなったらたまらないと思って、
そういうふうに言ってくださったと聞いて、
またすごい脱線してますけどね、この話。
その作品は今、世田谷美術館のコレクションになっていません?
違います。
借りてきた作品でしたのに、
他の美術館の作品だったのに。
素敵な話があったのに、世田谷美がどうしてもそれを手に入れたほうが良かった気がします。
本当ですよね。
そうなんです。
本当ですよね。
なんで他のとこ、こんだけのエピソードがあって、
なんで他館があると言っちゃったんですか。
結局それで、
鑑賞教室っていうのが、
これ話またすごい前後しましたけど、
これ多分お聞きになっている方たちも、
区立に、区立の美術館があって、
その区に小学校があったら、
その小学校の子どもたちが、
全員その区立の美術館を見に行くっていうことって、
何が自慢なの?と思うくらい、
当たり前のことだときっと思われると思うんですよ。
当たり前じゃないですか。
今は何か当たり前の印象はあります。
最近は当たり前になってきたんですけれども、
それが1986年の段階では、
全国で他に一つもなかったんです。
日本で一番初めに、
地域の学校を全部を呼ぶってことをやったのが、
世田谷美術館なんですよ。
これはもう本当に元祖。
元祖なんです、本当に。
しかもそれから、
次にやったのが多分、
皆様がそういう活動をしているところは、
そこだよなと思うような、
某美術館だと思うんですけれども。
出さなくていいけど。
皆が思い浮かぶのがあるかもしれないけど、
それよりも10年以上前にやっていて、
その世田谷美術館の今の話でいうと、
事故を乗り越える工夫
事故があったわけじゃないですか。
そしたら、もうやめようよってならなかった?
なりました。
でも今も続いてるわけじゃないですか。
そこからどうしてそれが続く?
当時、そのことがあった時に、
学芸会議の場で、
みんなで誰がいい思いをするんだと。
子供は騒いで何しに来たんだかわからず、
プロレスを起こして帰っていくと。
でも学校が事故が起きたら、
これ、保険どうなってるんですか?
みたいな話になるし、
作品は傷つく。
お客さんから毎日文句が来るわ。
関心もない。
関心もない。
今、誰も一人とも。
誰もいい思いをしてないじゃないか。
確かに今のところ。
これ、やる意味あるの?
っていうのが言われて、
その時やっぱり、
我々当時4人いた普及のメンバーは、
相当危機を持ったわけですよ。
それまでも、
いろんな行政の人や美術館の人が視察に来て、
すごいことやってますね。
うちもやりたいですが、
無理です。
みたいなことを、
口を揃えておっしゃる中で、
うちはたまたま、
区長がトップダウンで、
学校に、
はい、やんなさい。
美術館、はい、やんなさい。
ってなったから、
すんなりできてるのを、
なかなかそこを、
いろんな他の行政は、
トップからっていう工事もならないせいか、
どっちかがやりたいと思っても、
その温度差によって、
なかなかそこが共同して、
その事故はできない中に、
私たちがこれ、
自分たちから捨てるって、
そんな馬鹿なことあるかっていうことで、
どうしたらいいかを、
考えたわけなんですね。
その時、一つが、
鑑賞教室は、
1年間の予定は立てちゃってるので、
事故の翌日も来るんですよ、子どもたちが。
手が空いてる学芸員、
全員作品の前に張り付いて、
これ以上何か起きないように、
ってやっていて、
当然、普及課の我々は、
それが一番の仕事ぐらいで、
やっていたら、
毎日作品の前で、
子どもたちと会話すると、
すごく楽しいんですよ。
それまでは、
行動で説明した後、
自由になったのが、
きっかけになって、
張り付くようになって、
子どもたちと。
危ないところに立てようと、
思うんですけれども、
同じ作品でも、
子どもによって、
全然違うことを言ったり、
あとは、
昨日受けた話が、
今日全然受けなかったり、
こんなに子どもによって、
違うんだ。
勤めている学芸員なのに、
子どもに言われるまで、
ここにネズミがいるとか、
気が付かなかったよとか、
すごいディテールを、
子どもと一緒に見ると、
見えるなっていうのがあって、
これもしかしたら、
これが楽しいと思う人たち、
他にもいるんじゃないかな、
って思ったのが一つで、
すごく複雑な話なんですけど、
私、美術館に入って、
担当していた仕事が、
美術大学っていった、
さっき言った、
もう一本の柱。
美術大学自体簡単に言うと、
火曜日と木曜日の10時半から4時半まで、
5月から12月まで、
みっちり実技と講義と、
トニーさんにも更新きてもらったり、
実技と講義と鑑賞で、
まるごと美術を、
ちゃんと勉強するっていう講座なんですね。
デッサン教室みたいなのもあれば、
僕が行ったのは、
美術の見方を伝える。
いろんな講師が来て、
結構ガッツリ勉強やりますよね。
ガッツリやります。
私、美術館に入ったのが95年なんですけども、
その事故が起きたのが96年なんですよ。
96年ということは、
私が最初に、
まるごとその企画から、
美術大学を担当した年で、
週2回会っていると、
仲良くなるんですよ。
基本的には世田谷在住か、
基本そうですね。
在住、在学、在勤の人が、
でも抽選なんですね。
はい、抽選です。
一応ね、世田谷区に全くゆかりのない方は、
10日の友の会に入っていただければ、
申し込み資格ができる。
今、募集中です。
気になる方は、ぜひホームページ調べていただいて。
それで2日、仲良くなるんですよ。
当時10期生だったんですけど、
その10期生の人たち、
いまだに私も一緒に飲みに行ったりとか、
めっちゃ仲良くて、
うちら飼ってる猫の名前もみんな知ってるみたいで、
仲良くなるのに、
ふと12月が卒業式なので、
12月を過ぎると、
その人とお別れしなきゃいけないんですね。
なるほど。
一応、税金を使ってる事業ではあるので、
しかも抽選なくらい人気あるから、
初めて、まだ受けてない人が優先。
次の期になったら。
なので、2回目が受けられないんですよ。
そうか、そうか、そうか。
その人たちから私、
卒業間近の10月くらいに詰め売られて、
私たち、世田谷美術館大好きになりました。
美術にも興味を持ちました。
で、その後放っておくんですか?って言われて。
大学院を作れみたいなことだったのかわからないけど。
私も別れたくないし、
美術館に行きたいって言ってる人たちを拒む。
でも当時、美術大学の大学院は、
いやいや、それよりもまだ待ってる人たちを、
先にやりなさいよってなったのにできなくて。
あれちょっと待ってよ、
なんかさっき私、
こういうことやったら、もっと美術。
面白い。
あ、もう一個あったんだ。
美術とはどういうものかって伝えるときに、
どうしても先生を呼んでくると、
現代美術が分かりませんっていう人に対して、
現代美術の専門家を呼んでくると、
現代美術がそもそもアートであるから始まっちゃうじゃないですか。
その人にとっての、
さっきの分かる分からないじゃないですけど、
その人の負には落ちないわけですよ。
寄付側からしたら。
そうですね。
そっちの専門家は負に落ちてるかもしれないけどってことですね。
そもそもその前のとこが知りたいんだってなっていったときに、
それももう一つ。
どうしたら自分の問題として、
私がいいと思うことをいいと思えるんだろうかって、
その三つの問題が、
ちょうど私のそのときに、
三つ、正義ですよ。
美術はどうしたら自分の問題になるのか。
それからどうしたらこの人たちとこの先もお付き合いできるのか。
はい、世代が美術大学のネット通りですね。
それからもう一つが、
鑑賞教室をどうしたら存続できるのかって、
この問題が同時に起きて、
あれ、これもしかして全部つながるんじゃない?
ってなって、
その卒業する人たちに、
美術大学の大学院は作れないんだけど、
ボランティアって興味はありますか?
今、美術館はすごいこういうことで困っていて、
そういうときに、
一人でも二人でも多くの人が会場にいてもらって、
そのときはまだ解説をするとか、
そういったことも全然なく、
美術館にいてもらって、
子どもとの危険がないように見てくれるところとか、
やってくれれば、
それに必要な研修会という形での授業とかだったらできるし、
例えば油絵の展覧会だったら、
油絵講座とかもできますよとかいう、
ちょっと半分嘘か何かわかんないけども、
聞いといて、
そしたら美術大学の卒業生60名のうち35名がやります。
それでそのとき上司に行ったら、
いいねという感じで、
美術大学との連携
もうお金も予算も立てなくて済むしみたいな感じで、
即それで翌年の鑑賞教室から、
一応その鑑賞教室に関しては、
ボランティアの方たちが一緒に見ていくので、
それで危険を防げますということを訴えて、
あともう一つが実は出張授業もそのとき始まって、
子どもたちがどこに何しに来たのかわからないで帰っちゃうから問題があるので、
ここはこういう場所でこういうことがあるから、
これをしちゃいけないんだよということを、
ちゃんとわかってもらってから来ればいいんじゃないかということで、
その二つですね。
事前に私たちが出向いていって、
今度美術館来るが待ってるよと言って、
子どもたちにちゃんと事前の心構えを作ってあげて、
来たときにはボランティアが待ち構えていて、
一緒に回るということで、
この鑑賞教室が存続させられるんじゃないか。
すごいですよね。アイディアが繋がった瞬間。
今はボランティアさんは何人くらい?
今は登録で、ずっと大体登録で450人くらい。
そうですよね。
美術大学卒業生の関与
だから僕が遊びに来ると誰かしらいらっしゃる。
そうなんです。
大体もう別に美術大学はボランティア養成の講座じゃなくて、
美術大学を出なきゃいけないということもないんですが、
結果数で見ると、5分の4が美術大学の卒業生で、
やっぱり美術大学で言うと、本当に美術館を
うちの美術館と呼んでくれるんですよね。
そういう人たちが、美術館困ってんだったらな、
みたいな感じで来てくれるし、
ここがある種の居場所みたいになってくれて、
実際鑑賞教室も楽しいですしね。
そこから今度派生して、
その子たちにまた来てねとお別れをするので、
また来てくれるんですよ。
でもそれこそ何十年もやってたら、
その時にここで美術館を見た子どもたちが、
もう大人になっているわけじゃないですか。
だからうちの学芸員にそういう子が2人います。
すごい。それはすごいですね。
これがまだ続いているわけですもんね。
続いています。
だから鑑賞教室が1986年の最初からやっていることを考えると、
来年40周年じゃないですか。
ということは現在、当時4年生で10歳なので、
49歳以下で公立の小学校に入っていたのは、
全員世田谷美術館の域が掛かっているということです。
コロナ禍と展覧会の再開
すごい。そんだけ来ているのに、
最初の話に戻ると、
金太郷園には行ったことがあるけど、
世田谷区議員以外の話なんでしょうね、これは。
それはね、話すの長いんですけどね。
例えばさっき中学校もやっていると言ったじゃないですか。
小学校で来ているはずなのに、2年前ですよ。
中学校1年生になった子に鑑賞リーダーが、
2年前来たでしょって声が。
覚えてないって言うんですよ。
何かがあるんですかね。ここ忘れちゃって。
でもそれをね、もうちょっと。
いや、こういうの見たでしょ。
結局美術館ってメインが企画展なんですよ。
なるほど。
企画展はその1回こっきりなので、
そこを印象強くしちゃうと、
結局それは覚えてるけど、
2年前の展覧会を、
この子たちはあれを見てるはずだなってところまで遡って、
こういう作品を見たはずだよって言うと、
意外と覚えてる。
そうかそうか。
でもそんな中で、この話にようやく繋がるんですけど、
企画展を。
そうなんですよ。
今までやらなかった企画展を、
梓谷さんが、前回もやられて、
今回は第2弾。
前回は、ざっくり言うとどの展なのか。
前回は動物展です。
瀬旅の森の動物。
しかも、この区内の子どもたちとコラボしてという展覧会ですもんね。
これ、まだ7つだって大丈夫ですか?
あんまり良くない。
もうちょい。
私、展覧会やらない学芸員で、
それを全うしようと思ってたんですけど、
やっぱりコロナですよね。
コロナで、初めて鑑賞教室が、
丸2年中止になったんですよ。
そうかそうか。
それが相当私的には痛くて、
ずっと続けてきたこの活動で、
2年抜けてしまったこと。
その子たちどうなるの?みたいな感じもあって。
あと、さらに、
先生方はもしかしたら、
これを機に面倒くさいから、
鑑賞室を辞めようかと思われたらどうしようと思って、
いたら意外と、
逆に先生方も、
むしろこの生の作品を見るということが、
どれだけ重要かということが、
このコロナでより分かった。
鑑賞教室を2年後に再開した時って、
2年生の時の遠足以来、
どこにもお出かけをしていなかった子たちで、
これ本当なのかなって思うんですけど、
1週間、夜眠れなかったっていう子たちが、楽しみで。
これ来れるのが。
ものすごい食いつき方。
過去見たことがないぐらい、
作品に対する目の開いてるって、
こういうことかというぐらい、
何でも面白がるっていうのを見て、
やっぱり物を見せるっていうのって大事なんだなって、
改めて学芸員として思いまして、
子どもに向けての展覧会だったら、
やってもいいかな。
それプラス、いろいろ展覧会が飛んじゃったりとか、
海外から借りてきづらくなったりとかの中で、
収蔵品による展覧会をやるっていうことが、
中指で決まったときに、
でもそうか、これ私が言い出したんだろ。
収蔵品でどういう展覧会ができるかっていう会議を、
コロナのときに何人かで集まってしたときに、
うっかり企画書を出しちゃったんですよ。
それ初なんですか、ディレイステーション初の企画書。
普及事業って、
人とじっくり付き合う仕事なので、
子育てと一緒ですよ。
やることいっぱいあるんですもんね、そもそも。
今、手が離せないのって言えないので、
その人とちゃんと付き合うことを考えると、
展覧会に関すると、そっちが進んじゃうと、
普段やってる仕事っていうのが、どうしてもものすごくなっちゃうので、
絶対私はそっちをやるんだと思ってきてたんですが、
ちょっとこういうことになっちゃって。
そのときは、周りの人のリアクションはどうだったんですか?
今まで企画書を出さないアズマヤが出したぞって。
だから、それがすんなり通ったのは、
これ、水さしちゃいかん。
アズマヤが展覧会やるって言ってるっていう空気だったと思います。
そのときが、第1弾が動物で、
今回2月の21日も始まってるわけですね。
最初が、私たちは生きているセタビノ森の動物たち。
これ、最初から3部作の予定だったんですけど。
じゃあ、無事に第2部が今。
第2部のテーマは、セタビノ森の植物たち。
メインタイトルは、緑の惑星。
セタビノ森の植物たちというタイトルで、
前回が、私たちは生きているセタビノ森の動物たちでやってたので、
動物ときたら植物かなっていう、すごい安易な感じなんですが。
前回はコレクションの中に出てくる動物の作品を中心に出してて、
今回は植物の作品。
動物、最初から私は何となく3部作と思ってたんですけども、
もちろん初めてやらせるわけで、
3部作でやるつもりでは始まってないんですけども、
ここを安易に子どもたちに楽しんでもらう展覧会をやりたいということで、
食いつきがいいのは動物かなって、ほんとそれだけの話ですよ。
動物の作品もいくつか、私が好きな作品も、
動物が出てくる作品がいっぱいあったので、
とにかくこのコロナ禍に大勢の子どもたちに、
美術館に足を運んでもらうために、
あの手この手と今までの普通で培ってきたノウハウを、
そこに出してやる展覧会ということで始まり、
実際この展覧会をやった時は、2023年だったので、
コロナ中はウェブでの配信とかもたくさんやっていたので、
そういう新しいノウハウとかも出しつつ、
今後の新しい普及事業につながるような展覧会ということでやったので、
植物展の開催
何も語ることがない、動物がいっぱい出てる展覧会。
いやいや、すごい素敵な展覧会でした。
展覧会は植物で。
植物ですね。ここら辺ぐらいまではみんなが予想の通り、
動物展が終わった直後に、
次は植物でお願いしますみたいな感じで来てたので、
私もそのつもりでもいましたし、植物。
ちょっと今度すごく広くなっちゃうんですけど、
動物よりもやっぱり植物描かれたものの方が広く。
動物展を作る時に作りながら思ったのって、
動物はやっぱり擬人化というか、
自分の思いを乗せる方向に、
人間の代わりに何かを語るものとして描かれていることが多かったんですが、
植物って全く他者。
本当に人間、動物とは別の生き物というふうに捉えてるなというふうに。
中には植物もなくはないんですけど、
生き物としても全然違うものだというところから着想を得て、
もっと人間を超える大きなもの、もっともっと大きな生命。
最初から私たちは生きてるというタイトルから始まっているので、
生命や人の命みたいなものがずっとテーマにはなっていて。
今回展覧会、作品としては何点くらい出るんですか?
表向きは…
何だこれ。
表向きは約100点って書いてますけど。
約100点なんですけれども、正確に言うと135点です。
なんで33番読んだの?
なんで誤魔化したんですか?
いろんなアラーキーさんの作品もあったり、
向井純吉さんとか北尾次郎さん人なんかも出るということで。
海外ものが少なめなんですけれども、
バラエティにとっていろんな種類の表現が見えるというところは、
日本画もあるし、ドローイングも写真も版画も彫刻もあります。
しかもメインのビジュアルに使われているのが、
当初の話に出てきました遠本しすこさんであり、アンリルソーであり。
つながるわけですね。
他にも子どもたちとコラボしたところがあるということですが、
これは後半でその話もたっぷりしていただきたいと思いますので、
そろそろ収録終わりの時間になってまいりました。
改めて展覧会の告知をお願いいたします。
世田谷美術館コレクション1000選ぶですね。
緑の惑星世田美の森の植物たちという展覧会を2月27日も開催中です。
4月13日まで世田谷美術館の1階規格展示室で行っています。
ぜひ皆さんこれをきっかけに来ていただきたいと思います。
関連イベントもいっぱいありますので。
そしてもう一つこちらも話が出ました。
世田谷美術大学。
こちらも今35期生を募集中で、
3月1日から3月31日だけ4月1日まで募集になっています。60名。
中身のことを詳しく言うのは時間もないんですけれども、
卒業された方はみんな必ず卒業したくない。
もうずっと世田谷美術大学にいたいとおっしゃいますので、
一応世田谷区の区民対象ではあるんですけれども。
働いていればいい。財財重か財金か。
それもないという方はぜひ友の会の会員になっていただければ。
もしくはこれをきっかけに世田谷に住んでいただければということですよね。
トニーさんにもたぶんほぼ毎年講師にいらしていただいてますので。
なんかやるかもしれない。結構毎回無茶ぶりがすごいですよね。
生徒の方が一番大変だと思うんですよ。授業の時間が長いからあれですけど。
ここで3時間講義っていうすごいロングスタイルのことになって。
ある時なんかはパワポ使っちゃダメですから、トニーさん今年はみたいな。
謎の縛りもあって。パワポ無しでやってください、3時間って。
今年ももしかしたら無茶ぶりされるかもしれませんが、
気になる方は世田谷美術大学、これはホームページで。
はい、ホームページの方で募集してます。
ぜひチェックしてみてください。
ということで後半もどうぞよろしくお願いします。
はい、ということで次回も東谷さんをゲストにトークを続けていきたいと思います。
01:00:16

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