さあということで、まずじゃあ岸本さんがこのキュレーションした展覧会というか、
ビル1と○○使ってるんですけども、まずどんな感じなのか、概要とかも教えていただけたら嬉しいです。
はい。
鈴木さんからお話いただきまして、この芸術祭全体がいろんな人間像に迫るっていうところだったので、
天宝山だとハイパーレアリズム彫刻だと。
いろんな現代の人間を考えていく上で、いろんな在り方があると思ったので、
いろんなアーティストの方にお声掛けして、これからの人間像、今の現代社会の中における人間というものを表しつつ、
これから未来に向かってどういうふうな人間があり得るのかというところも、
作品を通して映し出しているような方々をお招きして、作品を展開していくという企画流れです。
前半でちらっと鈴木さんが、一応大阪・関西縛りだとは言っていましたが、
一応大阪・関西に関わる、まつわるアーティストから選んでいると。
そうですね。大阪・関西、はい、そうです。
全部で何人の作家さんが今回は?
全部で8組、1000×XLビルに集まっていただいています。
1000×XLビルというか、どういうビルと言えばいいのでしょうか?
もともとオフィスビルとして使われていた建物なんですけれども、
ちょうど1970年バンパックの前年の年にビルが完成して、その後ずっとオフィスビルとして機能していたところで、
取り壊しが決まっているところではあるんですけれども、
そこで過去数年間、国際芸術祭の舞台として使われていたところを、
今回も会場として、はい、ということですね。
実は僕も先ほど見させてもらったんですけど、
こういう芸術祭でビルを使って、使われていなくなった、
ハイビルという言い方もちょっとあれかもしれないけど、
というのは珍しくないと言ったらご平和ありますけど、
この1000×XLビルが特徴的だなと思ったのは、さっきも角野さんにも伝えたけど、
外で活動している人というか、街中にいっぱい人がいるじゃないですか。
だからそれがちょっと僕は新鮮で、アート越しに見える人々というか、
これまでやっているそういうのって、やっぱりもうその街自体がもうちょっと錆びれてきちゃってて、
人もいないところでやってるから、裏路地感のあるビルでやったのが、
全然大阪の人がその辺にいるよって見えたのが、
まあめちゃくちゃそこは新鮮だったんですけど、
それは意識というか、今回立ち上げる時に意識した部分はあったりするんですか?
そうですね。僕も会場見させていただいて、
本当にオフィス街のど真ん中という形で、
会場の構造上、ガラス張りになっているというか、
もう外が丸見えで、向かいのオフィスで働いている人たちもいて、
そういう人間を考える上で、
仕事とか労働ってすごく大きな一つの要素だと思うんですけど、
それを象徴するような場所でアート作品を展開した時に、
どういうことが起きるのかなという、
どういうレイヤーが発生してくるのかな、
メッセージが生まれるのかなというところは、
やってみてちょっと実験的ではあるんですけど、
その辺はすごく楽しみにしながら企画を進めていたところですね。
今回出展作画がすごく特徴的だなと思ったのが、
本当に幅広い年代のいろんな作品、しかもジャンルもバラバラだし、
そこは意識的にいろんな人を選ぼうとしたのか、
それともたまたま選んだらこうなっちゃったのかというとどっちですか?
なんとなくその世代に偏らずに、
同じ時間を共有しているいろんな世代の人たちに集まっていただいて、
これからを考えていくというのがなんとなく思い描いていたビジョンで、
あとはビジネスとかとは違って、
ちょっと遅い時間軸で動いていくような部分があると思うんですよね。
時間をかけて鑑賞していくとか、
そういう意味でもあまり若い世代だけにフォーカスして、
これからを考えていくというよりは、
より幅広い厚みを持った作品であったり、
価値観とかビジョンとかを交えた方が、
より深みのあるものをつながるんじゃないかなというところで、
世代の設定をしています。
今回ビルの2階から6階まであって、
一番上の階は前半でもお話、
釜ヶ崎大学の出張所みたいな感じで、
一室丸々釜ヶ崎になっていたぐらいでしたけど、
他にもいろんな作家さんいますが、
この後はゆっくり畑先生が聞くとして、
それ以外で特にここを見てほしい。
もちろん全員見てほしいと思うんですけど、
ちょっと何人か挙げていただくと。
誰のほうがいいですか、岸本さん的に。
皆さん素晴らしい作家さんなんですけれども、
ここそうですね。
例えば、安土修造がリバーサーとかだと、
78歳、今年お年のベテランアーティストの方なんですけども、
DNAのATCGっていうDNA。
生物の時間に並んでるんですね。
そうですね。
アデニン、シトシン、チミン、グアニンですか。
その記号の配列で生物が規定できてしまう。
っていうところに対する違和感であったりとか、
面白さみたいなのを作品に展開している作家さんで。
安土修造がリバーサーってカタカナで書いてあって、
初めて見る人にとっては何人かよくわからないですけど、
日本の方とかではあるとおりですよね。
そうですね。
滋賀県出身の方で、東京に在留されているアーティストさんなんですけれども、
90年代以降は海外、ヨーロッパでの活動であったり、
発表が主だったので、
知る人と知るという。
僕も何か数年前に3331アーツ治療だって、
安土さんがグループ展に出されて初めて知って、
何か記憶がちょっと打ったから、数年前だからおごろげなんですけど、
何か自分が亡くなったらどこの体の部位をもらってっていいよみたいな、
契約をするみたいな。
血液だとか、骨とか色とあってみたいな。
そういう作家さんという印象だったんですよ。
だから勝手にもう、本当にすごく語弊があるけど、
もうバラバラになっちゃってるのかなと思ったら、
まだ権益でって言ったらあれですけど、
78歳でされてるってことですもんね。
そうですね。
ただご本人を会するとすごく若々しくて、
バイタリティもあって、本当にそんなご高齢なのかなって。
作品も見させてもらいましたけど、
でっかい黒板にもうその子さんAとかTとか書いてあって、
それをさっと消したような作品がありましたけど、
あれもだから実際この場所に来られて、書いて。
そうですね。
蹴立登り降りされて、本当にタフな制作言語をこなしていただきました。
一応今回最高齢というか一番ベテランとすると、
一番下は誰になるんですか?
一番下は吉田桃子さんという絵画を主に制作しているアーティストの方ですね。
あれですね、数年前にソンポ美術館のフェイスの大賞を取られた方ですよね。
そうですね。
取ったばっかりぐらい。
そうですね。
去年のおととしぐらいですかね。
ええ。
もうその方をバッて引いた。
そうですね。
それはどこでこの人にお願いしようと思ったんですか?
実は京都市立芸術大学の僕の後輩にあたるんですけれども、
学部の時からすごくセンスがピカイチで、ずっと注目している作家さんだったんですね。
僕は以前にも企画した伝覧会にも出していただいたんですけれども、
すごく面白い若者の像、若者のポートレートを描くという作家さんなんですけれども、
なぜ若者かというと、これからの未来を担っている存在でもあり、
エネルギーを蓄えているような象徴的な、まだアイデンティティとかですね、
いろいろ定まらないふわふわとした柔軟なもののあり方というところで若者を描いているんですけれども、
今回の展板にもすごく面白いメッセージを与えてくれるのではないかなというところで吉田さんがお願いしていました。
かなりデカい作品、新作を描かれたということでしたけれども。
そうですね、本人も初めて国際芸術祭という大きな枠組みでは初めての発表だったので、
すごくやる気満々に満ち溢れて頑張っていただきました。
トータル300号くらいの作品が今回新作でドカンと。
300号の作品って多分普通の美術館にあったらめちゃくちゃ圧迫感もあるし、
本当に大作って見えると思うんだけど、それはすごく褒め言葉なんだけど、
いい圧迫感がないというか、すごく空間にそっと置かれてる感じ。
なんでそうなのかなと思って、さっきね岸本さんと喋ってましたけど、
昔のカラオケビデオの映像を見てる感覚というか、ちょっと映像っぽい感じが、
映画館で映画を見ててもそんなに画面の大きさを感じなく没入できるような感じで、
すごく映像感があるのかなと思った。
だけど言ったらアクリルで描いてると思うね、油彩で。
そうですね。
なんかその不思議な画題がすごく特徴的なのかなと思いました。
すごくプロセスがユニークで、ここにもいきなり自分のイメージを絵筆で描くのではなくて、
すごい大きな結果としてつながってくるということを
すごく体現されているような作品であったので、
今回は羽田先生にご出展をお願いした次第です。
この作品としては、
万博公園だったところの森を撮影されているということですけれども、
そのきっかけみたいなのは何で撮ろうというのがあったんですか?
もともと1970年の万博の後は、
いったん全部パビリオンをなくして、
瓦礫は地下に埋めちゃうんですよね。
それは国際博覧会規約で決まっていて、
あんだけの巨大なパビリオンの残骸をどこかに捨てに行くと、
産業廃棄物で捨てきれないから。
選別はしているんだけども、一応瓦礫は地下に埋めなさいと。
というのが国際博覧会の規約なんです。
それは大阪に限らずそれまでもそういうことなんですね。
それでサラチリになって、
茶色の砂、完全なサラチリになった上に森を作るという。
もともとは短期研創さんたちが全部会場設計されましたから、
跡地はビジネスセンターになるということでずっと進んでいたんですよ。
それが1970年の9月15日に閉幕して、
同じ1970年の12月にビジネスセンターになる構想がひっくり返って、
もう3ヶ月後に。
3ヶ月後に森を作るという形に大どんでん返しになったんですよね。
それは何か原因は?
それは民族学博物館を作った梅沢忠さんが、
これ以上都市開発をしていくという感じの時代じゃないと。
そういうことをさせないために森を作ったら都市が作れなくなると。
それを防ぐために。
それで30年で森を作れということを、
吉村本夫さんという造園会に託して、
そこに60万本の木を植えるんですよ。
日本で初めてですよね。
巨大なセントラルパークより大きいんですよ。
広さとしては。
広さとしては、そこに60万本の木を植えて、
30年で森にしちゃうという。
実現しているということですね。
今55年経ったんですけれども、茂りすぎて、
下にがれきが上がっている部分だけ水はけが良くて、
予定以上に木がどんどん育ってきて。
逆に良かったんです。
ベランダとか家で植木鉢に木を植える時に、
下に石を入れるでしょ。
そうすると根腐れがしなくなって、
水はけが良くなって育つ。
それと同じような構造になっていて、
設計者の吉村本さんも、
自分が設計した50年先の姿よりも、
木が茂りすぎていると。
それで間伐しなきゃいけないわけですよ。
上はもう樹幹が全部重なってしまって、
下に耐えようがいかないから。
間伐しなければいけないからというので、
間伐するのを決めて、
今の万博の静けさの森に持っていってるんですよ。
万博の会場の真ん中に森がありましたけど、
昨日行って、こんなに森ができてるんだって、
ぐらい森だったというのは、
大きな木を持っていってるんですか。
それを元々の万博のところから持っていってるんですか。
全部で、静けさの森は1500本の木なんです。
そのうち1000本は、
万博の森から持っていってるんです。
これちょっと僕も不勉強だからなんですけど、
そうやって万博の会場をさらちにするというのも、
他の国でもやってます。
それを森にするというのも、
結構珍しい。
珍しいですね。
他の国はほとんどが、
工業団地にして失敗するという、
そういうパターンが多いですよね。
それを森にしたことによって、
僕も太陽の塔を何回か行ってるんで、
数年前とかに行ってますけど、
全然森じゃないですか。
元からそう生えてたのかと思ってました。
そしたらそうじゃないんですね。
70年以降の話です。
太陽の塔は基本的に万博の森があるから、
あれは残すことになったんですね。
みんな太陽の塔ありきだと思ってるんだけども、
基本的に太陽の塔は、
博覧会の後に撤去する予定のものなんですよ。
エキスポタワーがあって、
それは永久にエキスを残すという感じ。
ただし、鉄鎖があって、
それはもうなくなっちゃったんですよ。
だから太陽の塔は、
もし周りが全部ビジネスセンターになってたら、
あんな巨大なものがビジネスセンターの真ん中にあるということはありえなくて、
森ができたから、
万博の中で太陽の塔は残せることになってるんですよ。
よく残したのも、
なんとなく岡本太郎の力がすごくて、
もちろん岡本太郎の仕事もあるんだろうけど、
それだけじゃないですね。
あれが森になってなかったら、
さすがに太郎さんの力を持ってしても、
あれは壊されてたってこと。
岡本太郎さんの偉さというのはあるんだけど、
岡本太郎さんの偉さが、
どこにあったのかというと、
太陽の塔を作ったことが偉いんじゃなくて、
基本的に、
パリ大学に留学したときに、
民族学科に正式に入っているんですよ。
それで、南米の独風のような形のものとかも全部勉強して、
日本の中で民族学博物館みたいなものを作らなければいけない。
パリ人類博物館みたいなものが日本にいるということで、
梅沢太郎さんたちとつながって万博を作っているんですよ。
そこで梅沢さんがいたから、
万博が今の民博になって、
梅沢さんがいなかったら森の構想もなかったんです。
そこにつながっているんですね。
だから、民族学博物館を作るためにも、
岡本太郎さんはリーダーシップとして旗を振っているんですよ。
それを梅沢太郎さんたちに託して、
当時、若い研究者、30歳前後の研究者に、
300万円ずつ、今の日は1000万円くらいですよね。
それをもたして、世界中の民族の民具だとか仮面とかを
集めに回らされて、
買ってこいと。
それを全部持って帰ってきて、
太陽の塔の地下に、
それを全部、仮面とかなんかを展示したんですよ。
そこにつながってくるんですね。
それを、ハンクラー会が終わった後、
それを全部、梅沢さんは残して、
こんだけのものが集まって、
みんな持って帰ったら輸送代高いから、
みんな寄与してくれましたと。
こんだけのものがあって、
日本に民族学博物館みたいなものがいるんだということで、
文部署を拘束されるんですよ。
それでできるんですか。
できるんです。
そのタイミングぐらいで森の話もプレゼンしてると。
そうそう。
そういう力強さがあるなというふうに感じました。
最初、石森さんから依頼を受けたときには、
写真展でしてくれませんかという依頼だったんだけど、
写真展でするというのは、こういう国際的な芸術祭では、
写真展だけだったら弱いなという感じ。
やっぱり時代はAIに動いているわけだから、
AIできちっと挑戦をした方が話題になるだろうし、
なぜ話題になりたいかというと、
70年万博のあの万博の森はほとんどみんな無視しているんですよ。
今回の例えば2025年万博協会も、
70年万博の森があんだけ素晴らしい森になっているといったことに対して、
ほとんど無視なんですよね。大阪府も無視なんですよ。
本当だったらあれは第三のパビリオンだとして、
テクノロジー最先端の科学技術を使って、
人が毎日土を転地返しして、
庭師の人が転地返しをしてやった人間と、
最先端の科学知識がなって、
世界でも例のない森になって、
国連のSDGsの見本のような森になっているのに、
そのアーカイブを、文化遺産を全く活用しないのが2025年万博。
それに対して、どうやったらそこのところに届けられるのかということで、
AIでやろうと。
AIでやったら基本的に話題にはなりますよね。
今、AIを使えば。
別にAIを使った作品だから珍しいという食い付けで寄ってきてもらって、
だけど本州は70年万博でこんなになっているのと。
世界の人たちがこれを見たら、
例えば環境系の人とか、自然系の人とか、
そういう人たちは、今の2025年万博はまた、
科学技術のお披露目ばかりだから、
環境系の人とか自然系の人はみんな引いているわけですよ。
その人たちがやっぱり、世界のその人たちが、
やっぱり万博の森は見とかないといけないということで、
ブームになりますということで提案しているんだけれども、
なかなか動かないと。
まだこれからの勝負なんですよ。
プロデューサーどうですか、鈴木さん。
かつての恩師がこれだけ熱弁していますよ。
そうですよね。熱弁、熱量がすごいなって。
でも今回本当に万博がですね、
梅澤太郎先生が調査団を作って派遣して、
世界中のものを集めてきたというのもありましたし、
70年万博でそういう森が残っているとか、
ある種文化度がすごい高いんですね。
万博博美術館を建てられて、展覧会を行われて、
それが今の国立国際になっているんですけれども、
今回の万博は本当に言い方悪いですけれども、
文化度がめちゃくちゃ低いんですよ。
そういう点で言うと、今の時代なのにね。
そういう点では本当に畑先生がやっているし、
この仕事というのはめちゃくちゃ重要だし、
これもっと世界にPRしていくべきだなと思っているんですよね。
で、梅北というところも、もちろんIRは進んでいますけれども、
梅北二期というところが今開発されるということで、
毎晩やるとかでいろんな話が出ているんですけれども、
もう一回ね、70年万博の時の学びを得て、
本当にどうするべきかって、
0-1って考えた方がいいんじゃないかなと思っているんですけれども、
僕としてはね、ベネチアみたいな公園にして、
ベネチアのジャディブという公園にして、
それこそ各国の常設のパペリオンを誘致しちゃって、
で、ベネチアみたいにアートドックにしてね、
みんなでやろうよというのが僕からの提案なので、
働きかけていきましょう。
だから僕は一番…
急に反応で黙っているからね。
一番実現可能なのが、やはり今度は世界中の人たちが来て、
最先端の科学技術を使って、
命輝くという感じのことをテーマに言い越えているわけですよね。
そうすると基本的にSDGsの大学みたいなものが、
あそこに残った方がいいと思うんだよね。
それを言い出したのは誰かと言ったら、
大阪商工会議所のトリーシンゴさんなんですよ。
サントリーの部会長のトリーシンゴさんが、
ちゃんと新聞文の方に載って公表してあるんですよ。
SDGsの大学を作りたいと。
僕はトリーさんに、
大学を作るのは大変だと。
だけど大学よりもコンソーシアム、大学センターみたいな感じを作って、
世界中のSDGsをやっている人たちがみんな攻撃しに来るという感じ。
今回の万博で、環境に対して、命に対して、
全部アーカイブしていく、
世界の大学共同センターみたいな感じだったら、
意外と作りやすいんですよ。
文部省認可しなくていいから。
それすごくよくて、今回7月にやるアートフェアの中で、
7月21日から22日ですね。
半大とか地球研とか、いろんなところで、
超学際的なシンポジウムの未来者から考えるシンポジウムもあるんですけども、
例えばそういうところでも、
そういうのを今後やっていきますというような宣言とかやっていくというのもありですし、
ちなみにトリーシンゴさんはこの芸術社の実行委員会の副会長をしていただいているので、
前半でスタートアップのビジコン、
特別に出てもらうというのもあるじゃないですか。
今のプレゼンを。
今のプレゼンを、特別役で原田さんがみんなの前で。
ビジコンですか?
ビジコンで、お客さんの前で今の熱いプレゼンをちょっとしてもらって。
どちらかというともうトークイベントで出ていくというか、
ビジコンだと評価がほんまにビジネスになるかと思われる。
別枠で。
だからアトチリオンのやつは大阪市がいろいろ全部募集して、
2つ取っているんですよ。
F1のレーサーと、それからいろんなホテルを作って、
2つが今動き出しているんですよ。
その動き出している2つの案もすべて全部森を作るが入っているんですよ。
静けさの森を大切にして、森を大切にしますという感じがある。
それはとってもいいことなんですよ。
だけどあんなものは作ってから森なんて絶対消費されていくだけで、
枯れていくだけになるから、ここで森を作ると言っておられるときに、
こっちも乗っからないと。
で、乗っかってF1レースとかIRとか全部やったときに、
収益の1%上高の条例を大阪府が作って、
全部森にお金を突き込んでいると。
それがあるとベネチアのジャルディーニの公園のようなものが維持管理できるんですよ。
その1%上高を作らない限り、森を作るのは簡単と言えば簡単なんですよ。