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2025-08-16 1:03:07

#138 彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術について(アーティゾン美術館 学芸員 上田杏菜)

アーティゾン美術館の上田杏菜さんをゲストに、彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術展について伺いました。

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Guest Profile

上田杏菜(うえだ・あんな)

  • 石橋財団アーティゾン美術館学芸員。 早稲田大学第一文学部総合人文学科美術史学専修卒業、アデレード大学大学院(オーストラリア)にて学芸員・博物館学修士課程取得修了。南オーストラリア州立美術館インターンを経て現職。


Show Notes

アーティゾン美術館について

開催中の展示について

告知・お知らせ系

サマリー

このエピソードでは、アーティゾン美術館の学芸員である上田杏菜さんがオーストラリアのアボリジナル・アートについて詳しく語ります。特に、エミリーとマラ・ウィリーというアーティストの作品とその文化的背景に焦点を当てます。上田杏菜さんは、アボリジナル・アートの重要性とその表現の多様性について解説しています。サリーガボリやジュディ・ワトソンの作品を通じて、彼女たちの故郷や文化がアートにどのように反映されているかを探求します。 また、オーストラリアのアボリジナル・アートと、その背景に関する深い分析が行われており、様々な作家の作品や彼らが直面している歴史的な課題が紹介されています。特に、ジュディ・ワットとマリー・クラークの作品を通じて、アボリジナルコミュニティの文化や歴史がどのように表現されているかに焦点を当てています。 さらに、このエピソードでは、アボリジナル・アートの復興とその重要性についても語られています。上田杏菜さんは、アートを通じて文化を再生し、アボリジナルの人々の歴史とアイデンティティを理解しようとする姿勢を紹介しています。そして、アーティゾン美術館で開催される『彼女たちのアボリジナル・アート』展を通じて、アボリジナル・アートの重要性や将来の展望についても言及されています。

アボリジナル・アートの基本理解
はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、アーティゾン美術館学芸員 上田杏菜さんをゲストにトークを続けていきたいと思います。
ということで、前半でも展覧会の話をしましたが、後半でもたっぷり話をしていきたいと思います。
改めて彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術の話の続きということですね。
前半の時にエミリーの話をして、最後終わったと思うんですけど、
エミリーと言うと、すごい詳しくない人間が言うまではドットアートのイメージがあるんですけど、
エミリーは元々ドットアートを描いていたんですか?
いや、元々はドットというよりは、もうちょっと具象的な、具体的な草の姿とか、
具体的な動物の足跡とかを描いていたりしてましたね。
アボリジナル・アートイコールドットアートみたいな印象があるんですけど、
ドットは何かを表しているものなんですか?
草だとか、草の実とか、そういうことなの?
いろんな見方があるんですけれども、
一つの、アボリジナル・アートイコールドットアートってイメージがあると思うんですけど、
実は始まりっていう時には、そこまでドットが前面には出てなかった。
男性たちが描いた時代があるとかいう時も、別にドットアートではなかった?
なかったんです。どっちかというと、本当に儀式の場面をそのまま映し取ったようなものだったり、
あと、本当にドリーミングのお話がわかるような、いろんな足跡がついていたり、図像があったり、
本当に具体的な場面がよくわかるものが多かったんですね。
なんですけど、コミュニティの中でも、そういうお話って、やっぱり外部の人に知られちゃいけない部分。
内部の秘密みたいなものがあって、
それが絵として、しかもカンバスで、もう半永久的に残るような素材に。
やっぱり今までは、その絵が一時的で、砂絵とか体とか、その場が終わってしまったらなくなってしまうものだったのが、
カンバスとかになって、もうずっと残っていくってなった時に、
やっぱりコミュニティの中でも、その絵はもう外に出してはいけないだろうっていう指摘が、
やっぱりコミュニティ内部から起こったりするんですよ。
そうなった時に、じゃあそれを何で隠し始めるかっていうと、
ドットが登場してくるんですよ。
その見せちゃいけないものを隠すためのドットなんですか?
秘密文書のいわゆるノリ弁的なニュアンスなのか、もともとは。
もともとはっていうのも、やっぱり一つはあって、
なので、砂絵にですね、ドット、描いたものの上にドットが追いかぶさってくるっていう絵が多くなってくるんですよ。
必然的な理由で描いてたんですね、最初のドットっていうのは。
エミリーもそういうふうにエミリーのドットを解釈する研究者の方たちは結構いて、
今回私の図録でも少しそこに溢れたんですけど、
エミリーが何であんなにドットをしたかっていうと、
やっぱりコミュニティの中にある重要な部分は隠したいっていう、
彼女の一つの戦略的な手段の一つとして、ドットを用いたんじゃないかっていう。
だからやっぱりドットというと、草前さんを浮かべる人もいると思いますけど、また違うんですね、同じドットでも。
なるほど、なるほど。
そう見るとまた見かけ方が変わってきますね。
僕がアモリニーもアブリジナルだと初めて知るジャンルだったので、
マラ・ウィリーの芸術的表現
エミリーはギリギリ知ってたんですけど、
今回展覧会では初めて知る作家さんがたくさんいましたので、
ここからはさらに他の作家さんについて色々と聞いていきたいなと思うんですけども、
じゃあまず誰からいきますか?
そうですね、入口すぐに一番最初に展示している作家がいまして、
ノンギルン・ガマラ・ウィリーという作家。
絶対一回で覚えられない気がします。
どこで区切ればいいんですか?
ノンギルン。
呼ぶときはどう呼んでるんですか、上田さんは?
マラ・ウィリー。
マラ・ウィリー。はい、わかりました。
マラ・ウィリーさんがいて、
彼女はですね、オーストラリア大陸の北部、結構上の北部出身でして、
オーストラリア南半球なので、北部があったかい。
なるほど、そっかそっかそっか。
南に行くほど寒くなるんですか?
そうです、寒くなります。
じゃあ、オーストラリアで事件を起こした人は南に行くんですか?
日本だと北へ北へみたいな感じだけど、向こうは南へ南へ行くのかもしれないですね。
オーストラリア大陸のもっと下行くと南極がありますので、もしかしたらもう…
果てに言うと南へ南へのイメージなんだ。
なるほど、なるほど。
日本人の感覚で言うと、南に進んでいく感じが北なんですね。
そうですね、北があったかい。
あったかいところの人。
ここの地域はユーカリ。
みなさん聞いたことあると思うんですけど、ユーカリが結構豊富にとれる地域でして、
結構本当に熱帯も近いので、マングローブとかも結構生えてる地域なんですよ。
そこ出身はですね、出身の作家さんなんですが、
もともとこの地域はユーカリの樹皮を木から剥いで、
カンパスみたいにちょっと平らにして…
その樹皮そのままバリバリって剥がしてきてですか?
なんか編んだりとかじゃなくて、そのまんま剥がして。
そのまんま剥がして。
で、ちょっと水分を飛ばすので火にかけたりして、水分を飛ばして、
なるべく平らにした樹皮に天然顔料で絵を描くっていうのは、
結構もともと絵画の主流として行ってきた地域なんですね。
なので、今回の展示室でも本当に樹皮が…
確かにやりました。
やりました。
裏側が見えるようになってましたね。
そうなんです。
樹皮だなってわかりましたもんね。
そうなんです。
そこをちょっと見ていただきたいなと思ったので、
360度見えるような天井から映っているんですけども、
まさに本当あれが主流の絵画制作の地域なんですね。
なので、まずそこを一つだけでも、
本当すごいオーストラリアのオリジナルアートの多様な表現方法っていう意味では、
すごくいい例だと思っています。
今回の展覧会は、アーティゾン美術館のコレクションももちろんあるんですけども、
基本はオーストラリアから持ってきたんですか?
そうですね。
全部で52点出品しているんですけど、
そのうちの5点、当館の所蔵作品を展示していて、
残りはほぼオーストラリアから釈養してきた作品です。
それは一箇所から借りてくるというよりは、
伝統と革新のバランス
それぞれのコミュニティのところからって感じですか?
その作品は美術館に収蔵されているので、
美術館からほとんど借りてきて、
あとは一部個人の所蔵作から借りてきたという感じです。
樹皮って運ぶの大変?
湿度管理とか大丈夫かなと思うけど、結構あれは強いんですか?
強度としては有価に。
やはり木なので、湿度管理は大切にしなきゃいけない素材でして、
実は今裏面を見せているバークペインティングは、
当館が所蔵しているコレクション作品です。
これまで展示したことってあった?
あります。
その時も後ろ見えましたっけ?
見えなかったです。
今回初めて裏も360度見れるということですね。
そうです。今回初めて。
これは一つの見どころのポイントですね。
かつ彼女は、当館が所蔵しているコレクションの図像は、
男性がもともと受け継いできた図像を彼女が描いているんですね。
でも前半で言っていましたけど、
男性と女性は基本的にはコミュニティが違う話だったじゃないですか。
ということは、普通は教え合わないんですか?
今までは教え合わなかったんですけど、
1980年代、90年代から男性だけだと文化継承が難しくなってきてしまって、
コミュニティの中で。
そこで女性作家の要請が求められて、
女性にも図像、伝統的に男性しか受け継いできなかったものが、
女性にも与えられるようになったという背景があって、
マラ・ウィリーは、彼女の夫がもともと作家活動をしていて、
彼女は夫の制作の助手を長くしていた経緯もあって、
夫が所属する種族、クラムの図像を一部描いていいよという許可を彼女が得ます。
そういうことなんですね。
ということは、遊びがあるとかないとか、
話も前半で出ましたけど、
それは男性のところに伝わってきた伝統のものをちゃんと描いている感じですか?
はい、そうです。
ただ、やっぱりマラ・ウィリーも、
ずっと今まで男性に継承してきた聖なる図像に、
図像が表す物語への尊敬の念というものは強くて、
許可を与えられた図像以外は全く描きませんでしたし、
彼女の新しい解釈とかもなかったんですね。
彼女が何をし始めるかというと、
少しずつ許可を与えられた図像からも、彼女は離れていって、
どっちかというと、神聖なものを含まない、本当に自称的な、
アレンジするくらいだったら、オリジナルを作るってことですか?
目の前に見える風景を、ただ彼女の思う通りに描くってことをし始めるんですよ。
やっぱそれが、この女性作家のすごいところだなと思っていて、
やっぱり男性は継承しなきゃいけないっていうところから遊びがない。
女性はどんなに継承していいよって、描いていいよって言われても、
やっぱり一歩置く。
彼女が何を考えるかっていうと、
自分のオリジナリティをそこに出していくっていうことをするんですよ。
そのオリジナリティが出た作品っていうのを、今回退治するように置いてある、
あの作品がまさに、聖なる図像を含まない、本当に自称的なものを彼女が描いていて、
それは何かというと、あるビーチに打ち付けられる水しぶきとか、
岩に落ちる雷っていうのを、彼女が本当に抽象的に描いている絵なんですよ。
パッと見たらわかんないといったらあれですけど、どっちも図像的だけど、
そうやって比べてみると確かに全然違うわけですね。
そうなんです。
そこがやっぱり彼女のすごいところで、
ノンギレンガ・マラウィリは国際的にすごく評価の高い作家の一人でして、
特にこのバークペインティングを主流としている地域では、本当に重要な女性作家の一人なので、
これはもう覚えるべき作家の一人ってことですね。
この方はもう亡くなりになる、いわゆる物骨作家の一人。
今回展覧会で7人プラス1組の中で、物骨作家はエミリーとそのマラウィリと、
あともう一人いらっしゃいます。
もう一人紹介しますか。
もう一人紹介する物骨作家は、展覧会会場の一番最後に、
鳥を務める方ですね。
鳥を務める作家さんでして、
彼女は私たちはサリガボリと呼んでいますが、正式な彼女の名前は、
私たちはって、アーティゾン美術館?アボリジナルアート研究者たちは?
そうそう、結構みんなサリガボリって呼んでいます。
ただ彼女の名前もとても長くて、いきますよ。
マーディ・ディン・キン・ガーティ・ジュワンダ・サリガボリ
すごい、10言語10言語みたいな感じになってきた。
サリガボリがパーストネームというか、ファミリーネーム?
ガボリがファミリーネームで、その次にサリというのが、いわゆるヨーロッパ的な名前を付けられたのがサリガボリ。
彼女の本当のオリジナルの名前は、マーディ・ディン・キン・ガーティ・ジュワンダというのが彼女の名前なんですよ。
これも意味はもちろんあって、彼女はオーストラリアの北部の上の部分が少し窪んでいて、ここが湾になっているんですね。
青森県みたいになってますね。イメージイメージ。
青森県みたいになっている、そこの湾に小さな島があるんですけど、その島出身なんですね。
島出身で、ただその島が1948年くらいだったかな、大きいサイクロンに襲われて、島の真水のお水を飲むところが高潮によって埋まっちゃうというか、
なので島にずっと住むことが難しくなってしまうんですね。
真水を確保できなくなっちゃった。
というので、島民の人たちが近隣の島に強制移住という形で、移住せざるを得なくなったという背景があって、結局今でもこの島へは完全に島民の人たちはまだ帰れていないんですよ。
避難区域みたいになっているってことですね、日本でいうと。
まだ完全に帰れていなくて、
サリーガボリの初めての経験
そういう中、サリーガボリもですね、避難先の島でずっと過ごしていて、80歳を超えた時に高齢者施設に入居している人向けにワークショップが避難先の島で開かれて、それにサリーガボリ参考するんです。
それまで別に英会したわけでもなくて。
しかもワークショップでってことなんですね、最初は。
そのワークショップに参加して、参加の2回目でカンバス画に初挑戦を彼女がするんですね。
実は今回の展覧会に、そこで彼女が描いた初めてのカンバス画を展示しています。
どんな絵でしたっけ?
一番小さい。
最初の方にあったやつ?
そうです、一番小さい絵で。
ありました。
これはワークショップ中の絵なんですか?
そうです、彼女が一番最初に描いた絵です。
これから彼女は80歳を超えています。
彼女も想像が爆発して、91歳ぐらいで亡くなるんですけど、その数年前まで絵画制作を続けて、2000点以上彼女に描いています。
エミリーもそうでしたけど、爆発力、後半の伸びがすごい。
ディープインパクトみたいなスネ足の人たちが、なんでそんなに多いんですか?
オリジナルアートの人たちは。
すごいですね、伸びが。
そうなんですよ。
僕が抽象がたくさん見慣れていないからわからないですけど、他にも当然描いている人がいっぱいいるわけじゃないですか。
ワークショップなんだ。
飛び抜けて違うってなったんですか?
飛び抜けて違かったんだと思います。
彼女は2005年にワークショップに参加して、
ここ最近の話なんですね。
2005年の5月とか6月だったかな、ワークショップに参加して絵を描くんですけど、
その年の12月には美術館で個展やってるんです。
そんなことあるんですか。
これ収録7月だから、2ヶ月前にその辺のおばあちゃんが高齢者室で描いたら、
今年の年末にはもう個展やってるんですか。
どんな世界なのか、世界線がわからない。
すごいですね。
でもやっぱり展示している絵を見ていただくと、完成度がすごいんですよ。
迫力もすごいし、あとカンバスの大きさですね、注目していただきたいのは。
でっかいの多いですよね。
彼女はですね、さっき1948年に島から避難しなきゃいけなかった。
それは彼女が24歳頃の出来事だったんですけど、
それまでも島へ完全に帰れてないわけですよ。
何を描いてるかっていうと、彼女の記憶の中にある自分の生まれ故郷を描いてます。
これは2000点すべて、彼女の生まれ故郷の島を描いてます。
抽象画のように見えるけれども、彼女にとっては物証とかモチーフはあるってことなんですね。
そうなんです。
大体大きく6つぐらいのテーマに分かれていて、
そのうちの一つが、彼女の名前にもあるマーディリンキっていうところが、
彼女が生まれたところの地名っていうんですかね、島の一部がマーディリンキって呼ばれていて、
そこで彼女は生まれたから、彼女の名前にもその土地が与えられていて、
他の大きい6つの主題のうちが、一つが彼女の出身地。
もう一つ多く描かれるのが、ディバーディビというところで、
これもこの島の地名で、そこは彼女の夫に由来をする地名で、
もう一つそこはですね、この出身の島を創造した岩原の精霊がそこにいるっていうふうに呼ばれている。
彼女はこのディバーディビも多く描いていて、今回の展覧会にもその主題の作品いくつか出品をしているんですけど、
そういう感じで、島を描いてるんですけど、その描く島は必ず彼女の夫とか、
アボリジナルアートの展覧会
あとは父とか兄とかっていうのに関係のある。
やっぱり全部自分が関係しているものになると。
2005年ってことは、そのブレイクの仕方はSNS的なのでブレイクしたんですか?
というわけでもなくて、口コミというか、通常使いで。
そうだと思います。
彼女はですね、2022年から2023年にかけて、パリのカルティエ財団の現代美術財団、そこで彼女の古典をしています。
それが次にミラノのトリエンナーレに巡回して、イタリアでも彼女の古典が。
今、特に世界が注目している作家の一人ってことですね。
この作品はアーティストさんはお持ちなんですか?
1点持ってます。
今さらなんですけど、アーティストさんはいつからアボリジナルアートを集め始めたんですか?
2006年に、まだアーティストン美術館と呼ばれる前の、ブリジストン美術館の時に、
2006年にプリズムオーストラリア現代美術展という展覧会を開催しました。
それは本当にオーストラリアの現代美術という枠で、
アボリジナルじゃないもの関係なく幅広く紹介する展覧会だったんですけど、
その中でもやっぱり一つの作品というか潮流としてアボリジナルアートは紹介してました。
その展覧会をした後に、2007年にオーストラリア美術を5点ほど絵画作品を当館が収蔵しまして、
それが最初のオーストラリア美術の収蔵でした。
他にオーストラリア美術を集めている美術館って日本にあるんですか?
えっとですね、やっぱり博物館が多い。
民博とかだったらあるかもしれないけどってことなのか。
だから美術館でっていうとまだまだこれからの。
でも今世界的に見ると、テイトでもやってるし、カルティエもやってるしっていう意味では、
世界的には今収蔵の対象になっているものなんですね。
この3人が紹介していただいたのが、物骨作家で活躍されている方。
ジュディ・ワトソンの作品
そして今回は現役の作家も。
だから内覧会の日には4人来てらっしゃいましたもんね。
4人をぜひ紹介していただきたいと思います。
誰からいきましょうか?
そしたら、ジュディ・ワットソン。
急にって言ったらあれですけど、親しみやすい名前になった気がします。
これまでは覚えられる気がしなかったんですけど。
全体の作家さんは、ちょっとヨーロッパ風の名前というか。
というわけではなく、たまたま。
でもですね、特に私が選んだこの4名の現存作家っていうのは、
みんな都市部で活動している作家たちなんですね。
それ私実は意識的に、そういった作家を選んだっていうのはあって。
というのも、物骨作家で挙げた3名は、
生まれた地域にずっと住んで、そこの文化とか伝統を大事にして、
作品制作につなげていった作家だったんですけど。
やっぱりそれだけだと、
今の現代のアボリジナルアートの全容というものは、やっぱり伝わらないと思っていて。
なぜかというと、
オーストラリアのアボリジナルの人口の8割は都市部にやっぱり、
住んでいるっていう現実があります。
でなると、やっぱり都市部に住んでいるアボリジナルをバックグラウンドに持つ人たちが、
普通に大学に行って、美術教育を受けて、美術作品を作っているっていう動きがあるわけですよ。
やっぱりそこもきちんと射程に入れて、展覧会で紹介しないと、
アボリジナルアートの今の姿っていうのは伝わらないのかなと思って。
いわゆるプリミティブなアートで終わっちゃいますもんね、創作。
そうなんですよ。
っていうので選んだのが、この4名の作家。
で、ジュディ・ワトソンさん。
ジュディ・ワトソンは、1997年にベネチア・ビエンナーレに選ばれた作家の1人。
3人の中の1人ってことですか?
そうです。3人はですね、エミリーが1人。
で、今回のジュディ・ワトソンがいて、
もう1人、イボン・クルマトリという彼女も、コミュニティでどっちかっていうと、
バスケットとかを現代作品として作っている作家がいるんですけど、
その3名が選ばれていて、ジュディ・ワトソンはその1人だった。
当時は結構若かったってことですか?
そうです。
3人の中で最年少ぐらいの人。
そうです。
彼女は大学3つぐらいの大学で美術の勉強をしてるんですよ。
で、プリントメイキング、だから版画の知識がすごく専門的に、
自分の表現方法として持っていて、
なので今回の出品作品、4点あるんですが、
入っていってすぐのところに版画の16点組ぐらいのものが1個あって、
逆の壁にリネンを裏打ちしてない、本当に垂れているリネンのカンバスの作品が1、2、
で、3点組が1個あるっていう感じで、
1997年にベネチアに彼女が出品した作品の2点、今回展示をしています。
ベネチアに出たやつが出てきてるんですね。
そうなんです。
とんでもないことが起きてたんですね。
さらっと展示されたけど、そうなんですか?
そうなんです。あれはベネチアに出た作品なんです。
世界が初めてちゃんと見たアボリジナルアートかもしれないものが来ているということですね。
そうです。
でもやっぱり、
ありました。
一見抽象画のように見えたんですけど、展覧会で見てびっくりしたのが、タイトルがアカシオって書いてあって、
だからちっちゃい魚がいっぱいいて、なんかスイニーみたいな感じですよね。
これはですね、
でっかい絵かなと思ったなっていう。
アカシオっていうのは魚ではなくて、モ。
モなんですか?
そうです。
ちっちゃく赤く見えているのは金魚じゃなくて、赤いモ?
モが大量発生している姿を描いています。
っていうのがですね、たしかちょうどこの1997年の前後ぐらいに、シドニーワンで赤モが大量発生。
社会問題的になったんですか?
はい。社会問題、環境問題が起こっていて、
この作品は本当にそういう水に関連した作品になっているんですけど、
よく見るとやっぱり赤モの、
いっぱいちっちゃい赤い点がいっぱいあるんですよね。
少し水色が見えている。
彼女はやっぱりベネチアの水路も彼女の頭の中にはあった。
ベネチアビエナに発表するから。
ベネチアの水。
だけどそのベネチアの水っていうのも、やっぱり人間の活動によってあらゆる面で破壊が起こって、
汚染されてしまってということですね。
というところが意味として入っている。
あともう一つレイヤーとして入っているのが、
水っていうものはですね、もともと彼女の出身地域では重要な水資源があって、
そこで結構虐殺なんかが行われていた。
それを巡ってってことですか?
巡ってだったり、水場で虐殺を行われていたり。
結構流れる血、海に血が流れるっていう場面が、
彼女自体はもちろん目撃はしていないですけど、
やっぱりそういった物語が、
象徴的なんですね、そのコミュニティの中では。
彼女はやっぱりそれももちろん意識して重ねているっていう作品で。
彼女の作品。
でもそういう説明だけ聞いちゃうと、
すごい驚々しい絵と思いきやだけど、
結構見るとターナーの絵っぽいというか、
絵としては深い感が全くないですよね、作品としては。
聞いてみるとなるほどって思うけどっていう。
そこがやっぱり彼女の作品のすごいところだなと思っていて、
彼女自身もですね、
初め見た時には綺麗だなって思っていいって言ってるんですよ。
だけどレイヤーをやっぱり1枚ずつ剥がしていくと、
そうじゃない部分が見えてくる。
やっぱりそこで見えてきたものっていうのが、
ずっと頭に残り続けるって彼女は言っていて、
その見方は本当に間違ってなくって、
綺麗なんだけどその奥にあるものっていうものはそうじゃないっていうですね。
やっぱりこれも彼女がプリントメイキングで培った色を重ねていくっていうところに、
あとは意味も重ねていくっていう、
彼女の本当にスキルがよく反映されている作品だなって思いますね。
あとはこれがまさに版画、エッチングの作品なんですけど、
これはですね、アボリジナルの血の優位性。
なんかいろんな英語で書かれているので読めないですけど、
文章、いわゆる文章っぽいものがたくさん壁に並んでて、
そこに血のシミのようなものが上について見えた作品なんですけど、
これは実際どういう作品なんでしょう?
はい、これはですね、まさに公式文章の写しを作品にしてるんですけど、
これは彼女の出身のクイーンズランド州で、
実際にアボリジナルの人たちに対して選挙権を与えるかどうかっていうところで、
アボリジナルの人と役所の人のやりとりの文章になってます。
ジュディ・ワットの作品
アボリジナルの夫婦がですね、
私たちはオーストラリアのために頑張って働いていますと、
アボリジナルだけれども、
ある選挙に対して選挙権を与えてくれませんかという書面を役所に出した。
そしたら役所から返ってきたのが、
あなたは両方の家系にアボリジナルの血が入っているから、
選挙権を与えられません。
役所の公式の回答としてのことですね。
そこで使われていた言葉が、
あなたにはアボリジナルの血の優位性があるので、
選挙権は与えられません。
優位性って日本語で聞くと困る。
いい意味でポジティブなように聞こえますけどね。
聞こえますけど、ここではそうではなくて、
いわゆるフルブラッド、純血のアボリジナルの人には選挙権が与えられない。
ハーフカーストと呼ばれて、
どちらかが白人の血が入っていれば、
一定の条件の下で選挙権を与えます。
そういう文章なんですよ。
そういう言葉が公式に、公的に使われていたのがこの文章です。
そこにまさにジュディ・ワットさんは、
赤いインクを血のようにして重ねて、
吸っている。
かなり皮肉なというか、
制度に対しての怒りを感じるわけですけど、
この作品自体は、今、公立の美術館が持っているんですか?
これはですね、私はクインズランド州立図書館から釈要しました。
作品として認められているんですね。
そうです。
黒歴史とは言わないけど、公立としてはあまり良くなかったことなんですけど、
これが作品として認められているんですか?
もともとこれをコミッションしたのが、私が釈要したクインズランド州立図書館が、
彼女に、ジュディ・ワットさんに、作品のコミッションをした。
それはですね、女性の賛成権100周年をクインズランド州が記念するときに、
州立図書館が展覧会を開催して、各作家に作品をコミッションして、
それに対して、ジュディ・ワットさんはこれを作品として制作した。
やっぱりそういう問題も一個じゃないわけですね。
当たり前ですけど。
なので、やっぱり現代サッカーの人たちは、
結構こういう政治的な問題も、真正面からぶつかっていくサッカーは多いですし、
それぞれの自分の出身地域で起こった過去の歴史とか、
でもそれをほとんど今まで語られなかった出来事というのを、
作家が作品を通して、もう一度こういうことがあったんだよというものをきちんと定義している作品が多いかなと思います。
今のアカシオのもそうだし、文章のも。
じゃあオーストラリアだけの問題かって言ったら、
多分日本も別に数十年前まではあったわけで、
全然遠い国の話ではないですよね。
そこは単純にオーストラリアの文化を見に来る展覧会というわけでもないですね。
これは全世界で起こり得ていることだなというのは感じますね。
私もそう思います。
イワニスケースと核実験の影響
もう一人の作家、イワニスケースという作家でして、
彼女はウーメラと呼ばれる南オーストラリア州の少し内陸の町出身なんですね。
じゃあ寒いってことですね。
そうです、ざっくり言うと南です。
冬とかきちんと寒くなる地域出身でして、
彼女の3つのアブリジナルのコミュニティのバックグラウンドに持っていて、
その地の一つのコミュニティの地域で、
イギリス主導による核実験が行われました。
これは1957年くらいから、
ビキニ環礁とか、あの辺りの土地ぐらいということですね。
いわゆる冷戦期に、各国が核実験をしあっていた時期に、
実はイギリスはオーストラリアの第一で、
核実験をやっていたんです。
1957年から63年くらいまで、
結構やってたんですね。
合計7回くらい、投下実験をしています。
それはいずれも、この彼女の祖先のふるさとで、
核実験が行われていて、
1967年にアボリジナルの方たち、
市民権を得たと最初にお伝えして、
この核実験が行われていたのは、その前なんです。
67年の前に起こっていた事件ですね。
そうです。
ということは、核実験を行っている時に、
どれくらいのアボリジナルの人たちが亡くなって、
どれくらいの健康被害があったのかって、
当時も全く把握できなかったし、
今も現実の実態は分かっていないんですよ。
本当に被害者も多いですね。
広い大地で誰もいない所でやったってわけじゃないんですか?
違います。
彼女の祖先のコミュニティの人たちが、その場にいた。
うわー。
今でも、この核実験が行われた地域にまたがるコミュニティでは、
黒い雲に関する話とか、
体に起こったこととか、
雨とか、そういう話って残っているんですよ。
本当に不勉強で申し訳なかったですけど、
核実験のいろんな所で起きているのは聞いていたけど、
これ初めて知ったんですが、
オーストラリアでは有名な話しがある。
オーストラリアでも全国民が知っているような話でもないんですか?
オーストラリアでも語られてこなかった。
彼女はアデレードの大学でガラスを専攻に美術を勉強して、
なのでガラスを主にインスタレーションとして作品を制作しているんですけど、
そこで今回展示している作品の中に、
まさにこのガラス爆弾と呼ばれる作品を展示していて、
これは本当にイギリスが実際にオーストラリアの大地に投下した
核兵器の形を模していて、
その中には白いガラスと黒いガラスが入っているんですけど、
爆弾の形をしたガラスの作品が3つあって、
そのガラスの中にガラスの作品がまた入っているんですよね。
これのガラスはいわゆるヤムという植物を表して、
ヤムイモのヤムの形を模しているんですけど、
これはスケースの出身地域のアボリジナルの人たちが
もともと伝統的に食べていた食料の一つであるんですが、
やっぱりここでスケースが表しているのは、
亡くなった無名のアボリジナルの人たちというのを
こういうガラスで表現しているという作品があります。
あとはオーストラリアは、特にこのスケースの出身の南オーストラリア州では、
ウランの採掘、オーストラリアって鉱物の採掘が盛んに行われていますけど、
その中にウランも含まれています。
特にスケースの出身の街、州ではウラン採掘が活発に行われていて、
もちろんウランって核兵器の核融合に重要な原子の一つですよね。
スケースはウランをガラスに入れた作品も作っていて、
実はこのガラス作品、2024年に東漢が新収蔵した作品で、
今回は東漢の所蔵作品として、この展覧会で初めて披露した作品になっています。
ウランが釉薬としてガラスに入っているんですけど、
ウランはブラックライトを当てると緑色に蛍光発色します。
結構ヨーロッパのグラスとかでもありますね。
ウランガラスみたいな、昭和とかにもちょっと流行ったりとかして、
たまに展覧会でブラックライト当ててみたいなのがありますけど、
いわゆるその作り方で作られているもの。
まさにウランガラスとして作っているんですけど、文脈は全く違っていて、
ここに含まれているウランというのは、オーストラリアの大地で採掘されるウラン。
それは何かというと、やっぱり故郷の大地がえぐられていく。
採掘してしまった以上。
もう元には戻らない大地の姿。
やっぱり採掘していると、結局、地域に住んでいる人たちの健康被害というものはあって、
ガラスをよく見ていただくと、一つ一つに傷がついていたり、穴が開いています。
それは削られていく大地と、地域に住む人たちの健康被害というものを、
こういう形で表している作品になります。
採掘したのは、オーストラリアの地元の人たちではないということですね。
企業が取っていくということ。
地元の人たちにとっては、健康被害が増えちゃっているということなのか。
そこだけ聞くと、すごい恐ろしい作品だけど、
これもまたさっきのジュリーの作品に近いけど、見た目は綺麗ですよね。
そうなんです。
これがまた本当に綺麗で、ガラスだからやっぱり繊細さというものはありますけど、
彼女は専門的にガラス吹きを学んでいるので、その技術も高い。
彼女の技術力も高いけど、本当に見ただけではパッとすごい綺麗な。
しかも光が変わるんですよね。
ブラックライトが当たって、また普通の光に戻っていくのが周期でなっているので、
ブラックライトが当たった瞬間にちょっとパリピ感は出ますよね。
緑に光って。
でも考えさせられることをちゃんとわかった上で見ると、また見え方が変わってきますけど、
パッと見は夜の感じがありますよね。
それくらい綺麗な作品だなとは思いました。
数も42個ガラスがあって一作品なので、数としての集合体としても迫力がありますよね。
今回のメインビジュアルに使われている作品のうちの一つとしてですね。
マリー・クラークのポッサムスキンクローク
次がマリー・クラークという作家がいまして、
彼女はメルボルン出身というかメルボルンを拠点に活動している作家で、
メルボルンなので南なんですね。
南の都市なので冬はめちゃめちゃ寒い。
この地域に住むアボリジナルの方たちは、
伝統的にポッサムという小さい袋を持っている有体動物。
カンガルーと同じ。
大きさはワラビよりちょっと小さくて、ネズミよりちょっと大きいみたいな。
でっかいモルモットぐらいのサイズと思ったらいいのかな。
それぐらいの動物の毛皮をコートのようにして使っているという伝統があって、
赤ちゃんが生まれると一人一着ポッサムスキンクロークって読んでるんですけど、
この毛皮が与えられて、その人が成長すると毛皮が継ぎ足されていって、
最終的に亡くなるとこれに埋葬、包まれて埋葬される。
本当にゆりかごから墓場まで使うものなんですか?
はい、そうなんです。
ポッサムって今言っていると、そんなに大きくないじゃないですか。
ってことは、一人にあたり何ポッサムぐらい必要なの?
何ポッサム必要なんでしょうね。
突き出していくってことは、どんどん増やしていく?
そうです。
もっとでかい毛皮のヤツはいないんですか?
なんでポッサム、ちっちゃいやつで進んでいっちゃうんですか?
いっぱいいたんだと思います。
でもじゃあ、ポッサムサイドからしたら、
そこのコミュニティに赤ちゃんが生まれるたびに恐怖なわけですよね。
2,30やられると思った方がいいかもしれない。
本当ですね。
ポッサムとしては恐ろしい話ですよね。
そうですね。
そこでは伝統的なものなんですね。
そうなんです。
今までにやってるんですか?
結局、イギリスの植民地化の時に、狩猟を禁止されたりとか、
移動を禁止されたりして、ポッサムの狩猟ができなくなった。
代わりにブランケット、毛布が支給されるんですよ。
そうすると、この伝統が途切れてしまった。
本当に最近ですよ、1980年代くらいになって、
アーティストを中心に、ポッサムスキンクロークの復興活動が起こりだすんですよ。
マリー・クラークは、それに1990年くらいから参加をして、
ポッサムスキンクロークの技術の復興に携わります。
この作品は、結構最近作った作品なんですけど、
アートとしてポッサムスキンクロークを作っていて、
これはポッサムの毛皮を縫い合わせて作っていると思うんですけど、
そこに図像というか、毛皮には絶対ない模様も含まれているんですよ。
これが彼女の作品として。
何が描かれているのですか?
まず、赤色のモチーフが5個あって、
緑色が1,2個あるんですね。
形も全然バラバラですね。
島みたいなように見えるけど。
これは、まさに彼女の関係しているコミュニティのルーツを表していて、
この赤色のモチーフ5つが、彼女のアボリジナルのルーツを表しています。
こっちの緑は、彼女の5世代上ぐらいに、アイルランドとイギリスの街が入っているそうで、
緑はそれぞれのアイルランドとイギリスの地域。
これは地図なんですか?
そうですね。
正確な地図かはわかりませんが、それを象徴する。
ポッサムスキンクロークとアイデンティティ
もともと、ポッサムスキンクロークも1人1枚持っていますので、
それが誰なのか、誰のものなのか、そしてポッサムスキンクロークにその人のアイデンティティーが与えられるわけです。
そうなると、その人のコミュニティの図像が入っていたり、その人のトーテムが図像化されて入っていたり。
実際に当時の人たちも、そこに自分なりの模様を入れていったんですか?
はい。
それを作品として再現したということなんですね。
これはマリーさんのアイデンティティが詰まった本人のポッサムスキンクロークなんですね。
そうですね。
これは本当に大きくて、横が4メートル、縦が3メートルくらいのポッサムスキンクロークで、
全部で63のポッサムスキンが使われているそうです。
実際はこんなにデカくないですか?
作品として考えたからデカいけど。
実際は自分が羽織れるものだと思います。
かつ、伝統的にポッサムを縫い合わせるのに、カンガルーの尻尾の剣、いわゆる筋肉の筋を意図としてやるみたいです。
カンガルーの仕留めてるわけじゃない?
カンガルーで作った方がいけそうな気がするけど。
カンガルーの毛皮はどこにいったんでしょうね?
カンガルーの毛皮はどこにいったんでしょうね?
カンガルーで作れば3、4個で作れそうな気もするんだけど。
ポッサムが暖かいんですかね?
暖かいのかもしれないですね。
カンガルーは剣の方が使える?
今、勉強にやりました。
ポッサムはオーストラリアでは狩猟ができません。
ポッサムはニュージーランドから仕入れているみたいです。
ニュージーランドのポッサムなんですね。
こういう作品を未だに作り続けてるんですか?
そうなんです。
今はこの文化が復興して、コミュニティの中で赤ちゃんが生まれたらポッサムスキンを与えて、儀式の時にはみんなこれを羽織っています。
これはニュージーランドから狩猟できない以上?
そうでしょうね。
ニュージーランドのポッサムが衝撃ですよね。
オーストラリアのポッサムは平和になったのに。
ただ、アボリジナルの人たちは狩猟ができるみたいです。
そうなんですね。
そっかそっか。
じゃあ、そこの撮ってるかもしれない。
なので、彼女はこういう作品をマリー・クラッグは作っていたり、
彼女は失われてしまった文化の復興活動にアートを通して積極的に携わっている作家の一人ですね。
ジュリー・ゴフの作品
なので、こういう作品を今回展示したりしています。
あと4人目ですね。
4人目がジュリー・ゴフさん。
彼女はタスマニア。
タスマニアはさらにメルボルンの下にある。
タスマニアってそんな寒いんですか?
そうなんです。
タスマニアは島なんですけど、メルボルンの下に位置していて、本当に冬はめちゃめちゃ寒くて。
そういう場所なんですね。
しかも結構雨が多いんですよね。
本当だ。だいぶ南にある。
という結構寒い地域出身なんですけど、
彼女は元々メルボルンに生まれまして、スコットランドの父親とアボリジナルの家系を持つ母親の間に生まれます。
タスマニアはですね、植民地下における先住民の人への影響というのは多大なものがあって、
1876年ぐらいにはアボリジナルを両家に持つ先住民の方がいなくなってしまうんですね。
なぜかというと、虐殺と疫病ですね。
という形でほとんど先住民の方が亡くなってしまって、土地も植民者にどんどん没収されていって、
先住民の人たちは強制収容所に収容されていくという歴史があります。
その家庭で子供たちは同家政策として白人の家庭に送られて、白人として育てられていくという中で、
やっぱりジュリー・ゴフの祖先も強制的に母親両親から引き離されて、白人の下に連れ去られていったという祖先を持つ人なんですね。
今回出品している作品の中で、まさにそのテーマに正面から向き合っている作品があって、
タイトルが1840年以前に非アボリジナルと生活していたタスマニア出身のアボリジナルの子供たちというタイトルの作品があります。
これは83本の未完成のティーツリーと呼ばれるオーストラリア原産の木があるんですけど、
それを枝を未完成の槍に見立てて、83本の槍があって、
それを椅子の座面が抜き取られた椅子の枠に残されたその座面の中に差し込まれている状態です。
しかも槍って聞くと結構短いかと思うんですけど、結構高さがある作品ですよね。
結構高いです。
この槍一本一本にこういう風に名前が。
槍の一部が切り取られていて樹皮が剥がされている状態で、そこに文字が書き込まれている感じですね。
薬金のようにして。
ガールXと書いてあります。ゴールディフとか書いてあるかな。
これは何かというと、いわゆる連れ去られた子供たちの名前が。
たぶん当時の名簿とかがあったのか、それで書いているんですか。
それがですね、ジュリー・ゴフが、彼女も4つぐらいの大学で勉強を学部から博士まで勉強していて、
学部時代に戦死学、考古学、人類学を彼女は勉強しています。
なので彼女のリサーチ力ってすごいものがあって、
この作品も彼女がリサーチして分かった。
どこかに名簿があったとかじゃなくて、調べてきたんですか。
一人一人を。
彼女が分かった範囲の子供の名前をこういうふうな作品にしていて、
この中の一人にゴフの祖先の名前も含まれている作品です。
アボリジナルアートの未来
リサーチ力でいうと、去年僕がベネチア・ヴィエナール取材で行かせてもらって、
オーストラリア館もめちゃめちゃリサーチした作品が賞を取っていたじゃないですか。
金字獅子賞。
そういう傾向があるんですか。
あれは別にジュリーさんの作品じゃなかったですけど、
ルーツをとにかく調べられただけ、調べましたみたいな作品でしたけど、
これもそういう作品ってことなのか。
ここには主流社会によって作られた歴史が、
アボリジナルの人たちの目線は一切入っていないというところで、
どういうふうにしてアボリジナルというか、
先住民の非植民者の人たちの目線を汲み取っていくかっていう意識が、
作家の中ですごく強くて、
そこで彼らが何を当たるかというと、過去の文章。
それが残っているわけではないから、文章として調べていくしかないと。
そう、調べていくしかないものもあれば、
公式文書として残っているものから、
もう一つの物語を紡ぎ取っていくという活動もあるし、
あとはコースケースとかみたいに、
語られなかったものをアボリジナルの目線から語り直すという作品もあったり。
でもそう考えていくと、さらにこれから時代が進んでいくと、
いろんなものが、メディアとかもどんどん発達していくと、
やっぱりこの作家さんたちも、そういうものを武器に、
もっともっと調べていけそうじゃないですか。
なるとアボリジナルアートはここで終わるというより、
これからさらに2段階、3段階進んでいきそうな気がしますね。
これからより注目のアートのジャンルなんだなっていうのは、
今回展覧会で改めて思わされた気がします。
今後も企画は考えていくんですか?
アボリジナルアートの展覧会は。
なんせアボリジナルのコミュニティは250以上ありまして、
今回は8組、7名と1組しかご紹介できていないということは、
まだまだあるんだね。
今後は第2弾、第3弾。
これがもともと2007年にやったというか、
これが一応第2弾になるかわかりませんけど、
さらに続いていく可能性があるんですね。
でもそういう意味ではこれまでアボリジナルアート、
多分これをきっかけに知った人も多いと思うんですけど、
そういう意味では今回入門編という意味では、
いろんな作家を知りて、
やっぱりそういう意味ではこれはぜひ来てほしい展覧会ですよね。
実はそれでなんと後半すべてが終わってしまったんですけど、
1個だけ聞いていいですか?
本当はいつも後半にプライベートの話を聞くんですけど、
そもそもなんですけど、
上田さんはどうしてこのジャンルに興味を持たれたのか、
これは多分これだけは聞いてほしいなという。
きっかけは何かあったんですか?
きっかけは、まさに2008年のエミリー・ウングワレーテンに、
私はまだ大学の学部の学生だったんですけど、
そこで美術小学校で大学で勉強していて、
ちょうどこの展覧会は夏休み期間中に開催してたんですよ。
なので夏休みにいろんな都内の展覧会を見に行って、
行ったうちの一つがエミリー・ウングワレーテンで、
その衝撃はやっぱりものすごかった。
それまで美術史だから西洋美術とかもやってたって?
そうです。
別にこれをピンポイント狙ったわけじゃなくて、
とりあえずやってるので入って、衝撃。
まさにどちらかというと、西洋美術に寄った美術を勉強していて、
なのでエミリーを見た時もやっぱりその目線だったんですよ。
すごくモダン的で抽象的なのに、
なんでこんな絵が、しかもエネルギーが半端ないんですよね。
もうご覧の中からわかりますよね。
すごいエネルギーだったんですよね。
やっぱりそれに圧倒されて、
でもその時エミリーを見ていた自分の見方っていうのは、
どっちかというと西洋美術のレンズを通して見ていた自分だったっていうのは、
今になってすごくわかっていて、
その後ちょっとカナダに行って、
カナダの先住民の美術も見て、
そこで美術を専門的に将来仕事にしていくんだったら、
先住民の美術を専門にしたいって思うようになってきて、
大学院をオーストラリアの大学で勉強するんですけど、
やっぱりそこでこのポストコロニアルの視点から、
美術史を見ていくっていう作業をオーストラリアの大学院で行います。
そこでアボリジナルの美術も勉強して、
そこで自分の美術の見方が180度変わるっていうのを経験して、
エミリーを世界にアピールするには、
西洋美術の抽象表現主義にエミリーみたいな得意な人が出てきたっていう紹介の仕方は、
すごく効果的ではあった。
私もフックが引っかかった。
だけどやっぱり現地でポストコロニアリズムとか、
アボリジナルの人たちの目線でアボリジナルアートを見ていくと、
その語りだけじゃ全然足りないんですよ。
っていうのを自分が気づかされて、
自分が将来オーストラリアの美術の展覧会を日本でやるんだったら、
やっぱりその目線でこの美術を伝えないと、
その美術の魅力とか本当に伝えたいメッセージっていうのは伝わらないなって思ったので、
今回の展覧会は本当そういう目線で展覧会をやりたいと思って企画をした。
上田さんみたいな方がいらっしゃるから、
多分この展覧会ができたなと思うんですけど、
ちなみにアボリジナルアートを研究しているとか、
これを専門にしている学芸人さんって他に知らないんですね。
日本にいらっしゃるんですか?
いや、私もまだお会いしたことがなくて。
上田さんですらないの?
じゃあいないじゃないですか。
その、民博の先生たちとは仲良くさせていただいているんですけど、
やっぱり民博の先生たちは文化人類学とか、
そういう方向でオーストラリアの専業目を研究されている人たちで、
これやっぱり美術史からアボリジナルアートを見るっていうのは、
まだわからない。
仲間がいないんですよ。
このジャンルの古今奮闘している。
海外にはいるわけですよね。
当然オーストラリアに行ったらいっぱいいるし、
だけど日本で考えたら。
もう風当たりめちゃめちゃ。
誰も私の前をよける人いないんで、
私で受けている感じですね。
だからでも上田さんのこの展覧会を、
この番組でも盛り上げていくし、
僕も他の展覧会も盛り上げますけど、
今美術史の学生が見て、
アボリジナルアートだとなって、
後輩が生まれてくるかもしれないですよね。
これをきっかけに。
本当にそれを望んでいて、
もちろん2008年のエミリー・イング・ワレーテンは、
全く悪いものではなくて、
それがあったから私がいるってすごく思っています。
アボリジナルアートの重要性
そういう展覧会をやってくれないと、
新しい視点が生まれてこないんだなってすごく思っていて、
でもあの展覧会はすごく成功して、
何十万人って入りましたけど、
そのうち一体何人が本気でアボリジナルアートを勉強しようと思ったかというと、
もしかしたらすごく少ないのかなって。
そう考えるとこの展覧会も、
いろんな番人に受け入れてほしいですけど、
その中に本当に種が植わるのが一部なのかなと思っていて、
でもそれが多分展覧会をやる意義なのかなと思っていて、
やっぱりその1個か2個終わったところから、
数十年20年経って新しい見方、
ここから始まると、
この展覧会をやった意義があるなって思います。
すごい良い話を聞けました。
この番組やってて良かったなと思います。
いつでも喋りたくなったら来てください。
この番組は何分でも付き合います。
アボリジナルアート番組にしていいぐらいですし。
今回、トニーさんほとんど喋らず、
私喋ってた感じで。
こんなもん大丈夫ですか?
いつもこんな感じですよ。
僕は聞き役ですから全然問題ないです。
すごい嬉しい聞き役でした。
こんなに気持ちよく。
まだまだいっぱい聞きたい。
まだまだ作家いるわけですし、
まだまだ紹介しきれないわけですから。
これからは海外でも注目しているアートですからね。
ぜひ、いつでも遊びに来てください。
ありがとうございます。
改めて、渡辺さんが種をまく企画展の告知をお願いします。
ギャラリートークの告知
現在、アーティゾン美術館で開催中の
彼女たちのアボリジナルアート
オーストラリア現代美術
9月21日の日曜日までとなっております。
そして上田さんの話を直で聞きたいという方は
ギャラリートークがあるそうです。
はい。ギャラリートークが9月19日の金曜日
夜の6時半から7時半まで行う予定ですので
皆さんぜひ来ていただけると嬉しいです。
この番組を結構学生さんも聞いたりしてくれていると思うので
美術の分野でたくさんあって
コウホー研究したりピカス研究したりという人はいっぱいいるけど
まだアボリジナルアートは狙い目ですか?
狙い目だと思います。
でも本当これから日本で
もっともっと伸びるんじゃないかなって思いますし
なので仲間が増えてくれると嬉しいです。
ぜひ上田さんに会いたいという方は
9月19日ぜひ来ていただきたいと思います。
ということで彼女たちがアボリジナルアートの話を
前後編に合わせてたっぷりお話を伺いましたけど
また今後も番組に遊びに来てください。
ありがとうございました。
この番組は不定期配信です。
各種ポッドキャストサービスでのご協力をお願いいたします。
感想はハッシュタグそろそろ美術の話を
今後聞きたいテーマやゲストは番組ウェブページまでお願いいたします。
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