1. そろそろ美術の話を...
  2. #023 アーティゾン美術館の成..

アーティゾン美術館 教育普及部長 貝塚 健さんをお迎えして、美術館の成り立ちや5年におよぶリニューアルについてお聞きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/023 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

Guest Profile

  • アーティゾン美術館 教育普及部長 貝塚 健(かいづか つよし)
    • 1989年、ブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)学芸員。学芸課長、学芸部長を経て2018 年から教育普及部長。専門は日本近代美術史、美術館教育、博物館学。
  • 企画担当した主な展覧会に、白馬会展(1996)、藤島武二展(2002)、坂本繁二郎展(2006)、岡鹿之助展(2008)、安井曾太郎の肖像画(2009)、青木繁展(2011)、描かれたチャイナドレス(2014)など。

Show Notes

  • アーティゾン美術館
  • 創設者 石橋正二郎と社会事業 | 公益財団法人 石橋財団
  • 青木繁
  • 坂本繁二郎
  • 古賀春江
  • 真藤恒 - Wikipedia
  • サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール
  • 睡蓮の池: クロード・モネ
  • すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢
  • オランジュリー美術館 - Wikipedia
  • ブリヂストン美術館の名品ー石橋財団コレクション展
  • 藤島武二
  • ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館建設寄贈 | 創設者 石橋正二郎と社会事業
  • 国立映画アーカイブ
  • 石橋文化センター
  • ブリヂストン美術館から名称変更、「アーティゾン美術館」が2020年1月18日にオープンへ
  • 公益財団法人 石橋財団 | ISHIBASHI FOUNDATION
  • 石橋財団コレクション×鴻池朋子 鴻池朋子 ちゅうがえり
  • 現代美術家・森村泰昌の展覧会がアーティゾン美術館で - 明治期の画家・青木繁《海の幸》に向き合う
  • トネリコ | TONERICO:INC.
  • 廣村 正彰
  • ラーニングプログラム | アーティゾン美術館
  • STEPS AHEAD: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示 | アーティゾン美術館
00:10
はい、始まりました。アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。
この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、
トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は、アーティゾン美術館教育普及部長、
貝塚剛さんをお迎えしてトークしていきたいと思います。
じゃあ、改めてよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
はい。さあ、ということで今回貝塚さんと...
はい。じゃあ、貝塚さん、軽く自己紹介してもらっていいですか?
はい。貝塚剛と言います。
アーティゾン美術館の教育普及部長というのをやってまして、
実は美術館の学芸員になって31年目なんですね。
教育普及部長になったのは3年前からなんですけど。
そうですよね。だって一番最初に会ったときは違いましたよね、肩書き。
はいはいはい。
ちょこちょこ変わるから。
後々変わるから。
だってそもそもアーティゾン美術館という名前も変わったばっかりですもんね。
変わったばっかりですね。
もともとブリジストン美術館時代にお会いしてますからね。
はい。
そうなんですよね。
この教育普及部長というのが何なのかというのは後ほどお話しいただくとして、
そもそもじゃあこのアーティゾン美術館ってどんな美術館なんですかっていうのを
ご紹介してもらってもいいですか?
はい。かつては1年半前までブリジストン美術館というふうに言ってました。
これはタイヤメーカーの株式会社ブリジストンを作った石橋翔二郎という人物が、
石橋翔二郎は自分で絵を集めていたんですね。
これは会社のお金じゃなくて自分のお金で買ってたんです。
ポケットマネーで。
ポケットマネー。
それをある程度まとまった段階で、これはやっぱり自分で楽しめなきゃいけないと。
いろいろな人と一緒に楽しめなきゃいけないということをいろいろ学んで、
それで自分のタイヤメーカーの本社ビルを建て直したときに、
そのビルの2階をギャラリーにしてしまって、
そこで自分の個人コレクションを展示して公開したというのが美術館の最初なんです。
そのときのコレクションというのは、
例えば今、アーティゾン美術館さんという印象が強いイメージがあるんですけども、
そもそもコレクションは何から始まっていたんですか?
もともとは日本のアプライラントなんですね。
そっちが最初なんですか?
そっちが最初なんです。
石橋長寿郎は福岡県久留米市という、
博多から天神から電車で30分くらいの、
今は企業城下町ですけども、
江戸時代はお城があった大名が治めている久留米派の町で、
03:03
そこで生まれて、そこでタイヤメーカーを作ったんですよね。
タイヤメーカーを作り始めた頃に、
その前の企業館の時代があったんですけども、
タイヤメーカーを作り始めた頃に絵を集め始めて、
それでどうせ集めるのならば、
まず久留米ゆかりの作家ということで、
一人は青木茂、
それからもう一人は坂本藩次郎という二人、
これは石橋長寿郎に7歳年上。
ほぼ世代は一緒なんですね。
ちょっと年上ですね。
その二人の絵を中心に集めていって、
油絵が好きだったんですね。
最初は?
最初は。
これはお兄さん、二人で会社を盛り立てていったんですけど、
お兄さんはどちらかというと、
日本画とか美術が好きで、
で、弟の正次郎さんの方が油絵が好き。
ちょっと進み分けができたんですね。
今は実は、お兄さんが集めた絵も、
今、うちの美術館にいくつか入ってるんですけど、
それで小美術もあるんですか?
摂集とか、壺とか。
ありますね。
あれはお兄様の趣味だったんですか?
もともとそうなんです。
でも久留米ってそう考えると、
すごい人いっぱい生まれてるんですね。
あと小川春江という人がいますし、
それから実用家の慎太郎久志さんとか、
それからソフトバンクの孫さん。
孫さんは隣の鳥栖生まれだけど、
高校は久留米なんですね。
僕ちょっとだけ繋がりあるんですけど、
藤井文也さんも久留米ですか?
藤井文也さんはもうバリバリの久留米ですよね。
松田誠子さんもそうです。
すごい生まれてるんですね、久留米から。
スターですね、スターが。
そのうちの一人が市橋翔二郎さん。
僕ら今回収録してる場所がアーティストの美術館。
場所は京橋じゃないですか。
これがブリッジストーン美術館のスタートからも京橋だ。
場所としては。
市橋翔二郎さんはタイヤメーカーは久留米に作って、
事業を拡大して東京に出てこないといけないということで、
出てきたときにいくつか本社に移転したんですけど、
戦争の終わり頃に京橋、今のこの場所に定めて本社のビデオを作って、
戦争が終わってから建て替え。
そのときに美術館ができたと。
これ1152年って書いてありますけど、
当然ですけど国立西洋美術館よりも先?
先ですね、7年前にできた。
じゃあ都内で初めて西洋美術を見たいって言ったら、
ここに来るしかなかった、美術館としては。
ここよりも早い美術館っていうのは首都圏では神奈川県立美術館。
06:02
それぐらいしかないですね。
3ヶ月前。
そんな近さだったんですか。
他には禰豆美術館とか大倉集合館、東京都美術館がありましたけど、
西洋美術をいつでも見られるっていう美術館はブリジスと美術館が最初だった。
もともと洋画集めてたわけじゃないですか、日本の。
どこで印象が集まるんですか。
これがね、正確なことはわからない。
記録がないんですけど、
第二次大戦が終わる間際ぐらいに、
石破商長さんの興味の関心の範囲が広がっていったんですね。
戦争前は、戦前戦中は日本人の油を買っていたんだけれども、
彼らがモデルにしたヨーロッパの方も集めようということで、
最初はモデルあたりを買ったらしい。
当時は美術館じゃなかったですから、購入の台帳もないし、
なんとなく最初のモデルだったらしいっていう話だけは。
でもじゃあ、1152年開館した時には、ある程度揃ってた状態だったんですか。
揃ってました。
これ、戦争終わって7年後ですけど、
戦争が終わってすぐに、すぐから西洋美術にかなり注力していって、
ほんの5、6年の間にかなりのコレクションを形成したんですね。
それはやっぱり今から思うと安かったんですよね。
当時としてはいい買い物だったんですか。
当時としてはいい買い物だったんです。
もちろん、戦争を続けても。
今買うとなった金額的には。
その時からある代表的な作品って、例えばどういうのがあるんですか。
シザンドのサント・ヴィクトワールさんとか、
それからクロード・モネのシーデンの池とか。
それもその時から、開館時からあるんですか。
ありました。
ここのマスコットキャラクター的なスワル・ジョルジェット。
あれはずっと後からですね。
そうなんですね。
コレクションってそういう意味ではどんどん増え続けてるんですか。
どんどんではないけども、じわじわと増え続けていると。
あれですよね。
数年前にフランスでこのコレクションが行きましたよね。
はい。
それは評判どうだったんですか。
フランス人が見た時に、この日本の一美術館のコレクションってどういうリアクションだったんですか。
実際、40万人見に来てるんですよ。
4、5、6、7、8、5ヶ月ですね。
5ヶ月で、ただオランジュリー美術館っていう、
ほっといてもモネのスイレンを、
スイレンの場も二部屋のオーバルの部屋ですね。
あれを見に行く人たちがいて、
ついでに見てくれたんじゃないかとは思うけれども、
09:01
でもあの年、17年のパリで開かれた、
県内の入場者数のベストデビューが入ってました。
そうなんですか。
それは当然こっちのベストメンバーが行ったんですか。
ベストメンバーです。
これは休館中だったからできたことで、
オランジュリー美術館の学芸員の方に来ていただいて、
何でも好きになってくださいと。
有名な話は向こうからした。
それで、実はオランジュリー美術館と一緒に展覧会をやったことがあったんですよ。
クロードとビッシーっていう作曲家をテーマにした展覧会を。
海とかで有名、結婚とかで有名な。
ピアノ曲とかオペラとか。
一緒にやったんですね。
その時、オランジュリー美術館のスタッフ、学芸員もレジスター、コンサーバーなどいろいろ来てくれて、
お前の作品いいねって言ってくれて、
それはお世辞だと思ってたんですよ。
なるほど、なるほど。
本場を見てるわけですからね、向こう。
オランジュリーの人がいいねって言うのは、
それはアクセル・ストーク太郎と思っていて、
休館中に、いまだだ、課せるんだけど、なんて話を、
それをずっとやり取りをしてますよね。
そんな話をしたら、じゃあ、って話で、
トントントンと言って、
何点くらい向こうに行ったんですか?
76点。
結構行きましたね。
それはオランジュリー以外のフランス市民の反応とかも入ってきたんですか?
76点の中に日本洋画、
藤島滝、青岸渓、海の幸とか、
天平の方向とか、
7点行ったんですね。
最初の部屋にそれを飾ってくれたんです。
シザンディア、モネイア、ルノワールドの前に、
青岸渓、藤島滝並べてくれたんですね。
これは当時ブリジスト美術館の出発点は、
日本のアマランじゃないかっていうことを、
アマランも説明したんだけど、
それをちゃんと組んでくれて、
美術館の出発点はこれですっていうことを、
展示で示してくれたんですね。
それで、フランスをほとんどの人にとっては、
わからないじゃないですか。
誰だって感じですかね。
誰だって感じだけど、
結構注目をしてくれたという話です。
政治もありますし、いろいろあるんだけども、
結構面白いって言ってくれましたね。
貝塚さん見に行かれたんですか。
行きました。
どうでした?
本場フランスに自分のところのコレクションがあると。
オランジュリ美術館、ご存知のように、
素晴らしい印象がある。
ポール・ギオムっていう画書家さんが集めたコレクションを
12:02
中心に作ったコレクションもあるし、
ボルドン・スイレンはあるし、
そういうところに行っても、
うちのヨーロッパ界はそんなに引き当たらないなって
いう気がしましたね。
そこそこにハマっているし、
お客さんもちゃんとこれだけじゃなくて、
うちの展覧会も見てくれて、
日本の油絵もちゃんと見てくれて、
嬉しいに見てくれていました。
でもそう考えたら誇らしいですね、日本人としては。
そうですね。
意外と日本の方がたまたまパリに旅行して、
オランジュリ美術館に行って、
ブリジスト・ミスカワコレクションってやっているの?
しばらく休館していたけれども、
ここで見られてよかったっていう話を
いくつか聞いています。
そっちの方もあるんですね。
日本人が向こうで出会ってみたいな。
そういう方が日本のコレクションを
書いている人が喜んでくれるっていうことを
喜んだっていう、そういう向きがあるんですね。
なるほど、そういうことなんですね。
そしてちょっと話、若干戻しますけど、
石場翔太郎さんは生涯で4つの美術館を設立、
寄贈しているということなんですか?
1つが当然ブリジストの美術館ですか?
他にもいろいろと。
ブリジスト美術館が1952年の1月にできあがって、
その4年後なんですが、
ベネシア・ビエンダーレ、
これは生涯の美術館ではないんですね。
展示会場で、中身はないわけです。
2年ごとに現代美術、それから建築展を
今交互にやっている、
ビエンダーレという2年に1度の展覧会を
美術と建築を交互にやっているんですが、
それがベネシアの街の一角に各国が
アメリカかドイツかフランスか
パビリオンみたいな感じで。
パビリオンを持っていたんですね。
日本はなかったんです。
日本はなくて、
ベネシアのビエンダーレの事務役の方から
日本政府にここなら空いているぞ、
というのを何年か前から出し渡ったんですね。
ここ最後だぞ、この場所。
作るならもうここしかないぞ。
ここしかないぞ、早くっていう。
その時に日本はまだ戦後10年経ってない。
10年ぐらいですから、
いろいろお金の使い道が困っている時で、
その時に石橋市長が
それならば自分がお金出しましょうということで
立てて寄贈したんですね。
それがいまだに使われている。
いまだに使われています。
これはブリジストーンとして作ったんですか?
これは石橋生二郎さんの個人ですね。
15:04
すごいですね。個人で建物を作っちゃった。
そうですね。
寄贈したってことなんですね。
寄贈した。
寄贈で言うと順番が変わっちゃうかもしれないですけど、
東京国立近代美術館も実はそうなんですよね。
そうです。
これが1969年ですけど、
石橋生二郎さんが亡くなる7年前ですね。
東京国立近代美術館というのは、
今のアーティスト美術館から歩いていくぐらいの
国立映画アーカイブ。
ありますね。
私はどうもフィルムセンターって言ったのが。
ちょっと前までフィルムセンターって名前だった。
あそこが、戦前は映画会社一括の本社で、
それが国に寄贈されて、
国が買い取ったから寄贈したから。
そこを中身だけを入れ替えて、
国立近代美術館にしてたんですね。
それがオープンした時から、
これは手狭だろうって言われたんですが。
収蔵庫とかの問題もあるし。
なんでかというと、もう耐えきれないとか。
限界が来ちゃった。
場所が北戸丸公園の一角に、
ここから入っていると。
またそういう話が出てくる。
似たようなデジャヴみたいな感じ。
必ずそういう話が出てくる。
建物作んないここだぞみたいな話が。
ここしかないぞみたいな。
これも僕の手前ですね。
個人のお金で。
最大は個人じゃないです。
個人のお金で、
建てて国に寄贈したと。
土地は国のもので、
裏物は個人で建てて寄贈したと。
入り口から入って、
すぐ横の壁にちゃんと書いてあるけど、
みんなすぐ入っちゃうから。
寄贈されたものですって書いてありますもんね。
ロッカーに真似入れちゃいましたね。
しかもちなみに69年に言った話ですが、
56年には久留米市に石橋文化センターの建物、
これもまた寄贈してる。
これは生まれ故郷の久留米市に、
当時はビジネスは東京を中心にやってたんだけども、
やはり生まれ故郷の久留米に対する思い入れはすごく強くて、
久留米市に美術館を含む総合センター。
石橋商場は文化とスポーツにお金を出すのが好きだった。
スポーツにもなんですか?
タイヤメーカーはかつては社会人野球で強かった野球チームを持っていたり、
それからスイーミングプランを作ったり、
今は久留米市美術館って言いますけども、
その美術館の横にスイーミングプールを作って、
当時としては50mの鋭度がある、かなり本格的なプールだった。
18:04
水泳の記録が出た、日本記録が出たこともある。
それが今は潰してしまって、もっといいプールは他にもありますが、
今は石橋商事廊記念館という建物に建て替えている。
市美の方にプール自在の名残で、
日本記録が出た時の飛び込み台だけ一つだけ残っている。
オリジナルとして残っている。
一角が公園みたいになっているんですよね。
笑い的なのがあったり、日本庭園があったり。
その一角にあるんですよ、名残が。
今は石橋商事廊記念館と、
久留米市美術館と、
久留米市中央図書館。
奥に日本庭園があって、
石橋商事廊と非常に親しかった坂本範次郎という絵描きのアトリエを、
久留米の伊丹土内の屋根市から移築して、
その公園の中にある。
確かにお見通しがありました。
移築してきたんですね、わざわざ。
久留米市美術館というのは元々何でしたか?
建てた時は石橋美術館。
ある石橋商事廊さんが自分と美容師をかぶせて、
美術館を建てて、
久留米市に寄贈したんですね。
最近だから名前変わった。
名前変わりました。
石橋商事廊さんが亡くなった後に、
実際その石橋美術館は、
久留米市から運営を石橋財団。
石橋美術館を作った時とほぼ同時期に作られた財団法人。
その財団法人に運営をお願いしたいという話があって、
石橋商事廊さんが亡くなってから、
石橋財団が運営していたんですね。
所蔵費を置いて、人を送り込んで運営していました。
それが2015年に、
もう一度運営を開始するという形で、
その時に久留米市美術館という風に名称が変わって、
建物は同じです。
その時はブリッジストーン美術館と姉妹館みたいな感じだったんですか?
組織としては一緒ですから。
だから石橋財団が久留米市の美術館施設を
拝借して運営したという形。
今だから統合した感じですよね。
ゲームとアーティストの美術館って。
コレクションは久留米からもっそり引き上げた。
東京に持ってきて。
青岸渓の海の幸とか坂本半塁の宝牧三番というのは、
21:00
石橋美術館だけずっと展示してた。
それも今は東京で見れるようになっています。
今はちょうど展示している。
そうですよね。
じゃあアーティスト美術館のリニューアルの話を聞きたいなと思うんですけども、
ブリッジストーン美術館が5年間かけてリニューアルして
アーティスト美術館に変わりましたけれども、
ぶっちゃけた話いいですか?
なかなかアーティストの方に言えないんですけど、
最初アーティストの方に変わると聞いた時に、
正直ダサいなっていうか、
意味わからないし、
何その言葉みたいな。
僕はですね、それは個人の見解ですけど。
結局1年経ってしっくり来ちゃってるから、
もう馴染んでるんですけど、
最初聞いた時にはうんってなったんですけど、
中の人たちはどんなリアクションだったんですか?
ブリッジストーン美術館がアーティストに変わりますって。
結構な決断ですよね。
そうですね。
看板が変わるわけですからね。
これ2年前の9月だったから、
記者発表するって、
当時美術館がなかったと、
記者発表する場所がなかったので、
ホテルだったから借りて記者発表して、
それまで実は我々知らされてなかったんですよ。
アーティストになるってどう知らされてたんですか?
そうなんですか?
そう。
トップシークレットで、
会社の社名変更と同じようなもので、
本当にトップシークレットで、
社名変更とか会社の買収とか、
いろいろと同じぐらいトップシークレットで、
今日重大な記者発表があるぞってことが、
なんだか分かったんですね。
でもそれしか知らないんですね。
官名変更とも知らないんですね。
日にちは忘れたけど、
午前11時に記者発表があって、
記者が30人か40人ぐらい集まってきていただいて、
でも当然貝塚さんも知らないってことは、
記者のもう、
会名するっていうので集まってるわけじゃないんですよね。
何か重大発表があるらしいっていうぐらいの。
それで11時発表になって、
記者の方、ジャーナリストがすぐその場で、
配信し始めたりしますから、
もう10時半ぐらいはインターネットがバーっとできて、
それで早速もう、
避難されて、
避難されてくれて、
これは良くないとか、
もうどうして変えるのっていう声ばっかりなんですよ。
どっちかというと3Pで言うともうPのが多かったの?
もう3だってないです。
3だってないですね。
日ばっかりで、
それで、
10時40分ぐらいかな、
これは略称ゾンビだねっていうのが、
ネットで上がって、
インターネットで見なきゃいけなかった、事務所で。
金塚さんどのタイミングで知ったんですか?
その時です、その時です。
ってことはネットニュースですよね?
ネットで知った。
その時の中の人たちのリアクションどうだったんですか?
24:04
注目してたんですね。
何だろうみたいな。
パソコンを見て、
声が出ないですね。
そうなんですね。
一応だから説明は公式ホームページに出てますけど、
アートとホライゾン、地平線を合わせてアーティゾンですよね。
それはじゃあ、
結局トップだけで決まったってことなんですね。
もう最後どの辺で、
どの辺のレベルで議論されたのか、
それもよく分からないんですけども、
最後は本当のトップが、
これだと。
結局1年経ってしっくりきてるし、
たぶん今はそんな批判もないと思うんですよ。
もうすっかり。
飽きちゃってますよね。
これだから何で解明したんですか?
名前がアーティゾンじゃなかったとしても、
解明した理由ってのあるんですか?
これは実は解明に向けた歴史っていうのがありまして、
石橋翔二郎さんが存命中に、
当時から株式会社ブリティストンの本社ビルの中にあって、
ブリティストン美術館っていうから、
株式会社ブリティストンが運営してる美術館じゃないかっていう風に、
もうほとんど、99%の人はそう思ってるし、
美術業界でも半分以上そう思ってたんです。
いわゆる企業美術館のイメージっていう、
サントリー美術館とかそんな感じのイメージだったんですけど、
違ったんですか?
それが実は石橋財団っていう、石橋翔二が作った財団法人が、
お金運営、人もお金も作品も全部運営してる。
もうきれいに切り離されていて、
もちろん大アメリカと我々はすごく良い横な関係であって、
それは株主と企業という関係なんですね。
我々は株主で企業から配当の利益を頂戴して、
それを運営式にしてるっていう、そういう関係なんですが、
一応組織としては全く違う。
そっかそっか、じゃあブリティストン、これを機に、
でも広告で変えるしかないかったんですね。
それで石橋翔二が多分やっぱり気にしていて、
俺は会社の宣伝のために美術家やってるんじゃないっていうことを言いたいと、
多分思ったんでしょう。
名前変えると。
変えるっていうとこまで決めて、で亡くなっちゃったんです。
そのまま結構おやむやになっちゃってたってことなんですか?
それでその後変えるかっていうと、
亡くなった創設者を偲んで変えるのかって思われるのは嫌だった。
それはそれで。
で、改名は一回、
エンディングになっちゃった。
立ち入りになって、
27:01
ずっと変えたいという意思は組織の中にずっとあったんですね。
で、変えるとしたら、
このタイミングで行くしかないんでしょう。
なるほど。
ビルができて、空間も全部変わって、
休館中に集めた作品も多少あって、
いろんな展覧会のやり方とかも多少変わっていって、
そういう段階で背を引くなら、
その時に名前も変えるということをいろいろかぶせていく。
それこそがあったんですね。
でもこれ変わったわけじゃないですか。
後から聞いたりしたんですが、他に候補があったみたいな。
結構アーティストに一択だったんですか?
いやいやいや。いっぱいあったらしいですよ。
それはいっぱいあったらしいですね。
その中でやっぱりトップの意識としては、
私、美術館は創設者ゆかりの名前か、人名か、地名かどっちかだと。
そうじゃないのにしたいっていう。
新しいパターンを探りたかった。
これでも海外からはどんなリアクションだったんですか?
それこそだっていろんなオランジュリズムとも関係があるわけじゃないですか。
なんか言われました?
聞いてないですね。
そうですよね。
まあどうでもいいんじゃないですかね。
でもこれちょっと謎が解けました。
確かにみんなざわつきましたもんね、あの時も。
中の人もざわついてたんですか?
ざわつきたいけど、ざわつけない。
この気持ちはどこに行くの?
しばらく間は業界の人に会うと、
なんで変えちゃったの?そんな名前よくないってみんなに言われて、
うまくいろいろ説明するわけですよ。
説明するけど、自分の気持ち100%のことを言ってるわけじゃなくて、
いろいろ思いを。
誰よりも思ってますもんね。
だけどやっぱり公式形態は言わなきゃいけないし、
そういう感じですね。
でも思ったより早く浸透したなっていう印象がありますよね。
なんか俺も数年かかるのかなと思ったけど、
なんかしっかりアーティゾン美術館っていうのが。
この名前が変わっただけじゃなくて、
僕はもう当然何回か来させていただいてますけども、
大きく変わったところってあるんですか?リニューアルになって。
ビルが新しくなった。
かつては9階建てのビルだったのが、
23階建てになりまして、
かつては1フロア、2階だけが展示室だったんですが、
3フロアになったんですね。
ビルが高くなったっていうことは、
それだけエレベーターの数が増えたりして、
コア部分っていう、
フロアで使えない面積がだいぶ大きくなったので、
30:04
3フロアだから3倍かっていうと、
そこまでいくと2倍なんですよ。
展示面積としては。
展示面積としては2倍。
でもやっぱり2倍ですから。
それからかつては天井がすごく低くて、
一番高いところで270センチしかなかったんですね。
結構キツキツですね、普通の美術館で考えたら。
大きい、特に現代美術の大きい作品は、
それを今は4.2メートル、高さ4.2メートルです。
1.5倍以上ですね。
1.5倍以上、2倍弱になって大きい作品を売られている。
それから展示室の中は、
いろいろな構造上の問題をクリアして、
広い、ほぼ正方形の広い空間にして、
展示ごとに仮設の壁を立てたりして、
工夫できるような自由度の高い空間にしようと。
空床も変わったし、照明も変わったし、
さまざまなことを変えて、
小美術も展示できれば、現代美術も展示できるような、
自由度の高い空間にしたというところで、
我々の活動自体も幅が広がったんですよ。
そうですよね。だって、現代アートってそんなに、
ブリッジストーン美術館じゃなかったんですけど、
もう結構去年から河野池智子さんであったりと、
今後も控えてるんですよね。
今年は森村康原さん。
森村さんがうちのコレクションとコラボするんです。
もちろん数年前からお話を持っていて、
森村さんはアートストーン美術館のコレクションと一緒にやるならば、
俺は海の幸でやりたいと。
海の幸を並べて、
海の幸からインスパイアされた新作を今作ってるんです。
これいつ公開される?
10月2日から。
見れるんですね、今年。
新作なわけですね、今回に合わせて。
もちろん旧作もあるけど、メインは新作。
この辺は海塚さんはどう感じたんですか?
これから現代アートもやってくるんだ、みたいなのが分かったんですか?
昔の話なんですけど、
ブリッジストーン美術館の時代にできたオープンした、
1950年代は他に美術館はなかったので、
実はコレクションは印象派とか明治大正のアムライだったりするんだけれども、
展覧会としてはバリバリの現代美術が出たんです。
その当時のですね。
例えば50年代のアンフォルベルとか、
33:02
舞台もいくつか並べてるし、
アメリカの中小表現主義っていうニューヨークの50年代の作品も並べて、
ポロックとかその辺りとか。
デグリームとか並べてましたし、
かつては同時代美術にも関心を払っていたんですね。
その後、各地に美術館が出てきて、
現代美術に批准を置いた美術館のお客さんが出てきて、
それならば強みを生かすには、
やっぱり持っているコレクションのところに特化していこうということで、
なんとなく現代美術を、
距離を置いてきたんですね。
だけどやっぱり、
ブリース美術館の出発点は、
同時代美術にもコミットするというところに、
ある意味では、
原点回帰みたいな感じですかね。
原点回帰っていうのもあるんですよね。
なるほど。
これちょっとプロデューサーがぜひ聞いてくれって言ってたんですけど、
リニューアル期間中って暇だったんですか?
皆さん、中の人は何をしてるんですか?
展覧会っていうのは、
明日オープンっていう時に、
パッとオープンするわけじゃなくて、
何を並べるか。
並べるための壁を作る。
その壁を作るために、
どの作品を組み合わせるかっていうのを考える。
そのためには、並べる作品を集めるためには、
他の美術館に頭を下げて借りてこなきゃいけない。
借りてくるためには、
作品を描ける手続きが必要だったり、
借りるための条件、
運び方の打ち合わせだったりするんですよね。
それから、
これを借りるんだったらこっちも借りたいとか、
いろんなことを打ち合わせるわけですけど、
長い展覧会だと5年くらいかかるんですよね。
準備だけで。
本当の出発点から。
準備が短くてもやっぱり1年はかかるんですね。
だから、5年間休館を始めた直後から、
再開館後の準備が始まるんですね。
暇ってわけじゃないですね。
結局いつもと同じ業務をやってきたってことですね。
そうですね。
それにプラス、
このパーツのビルは、
休館した後のビルを壊す時の時点とか。
それからサラチンして建て上がるのに、
また時間がかかって、
壊し始めてから建てて、
半年空調を回して、
アンボリアとかサンとかを吸い出して、
就航してから半年をぶるんですね。
オープンしたから即入居ってわけにはいかないですね。
普通の人とは違って。
オフィスビルとか、
それは美術作品に悪い影響があるんですね。
36:02
退職したりする可能性もある。
アンボリアとかサン。
すぐ入れないので、
そういうことを虐待していく合間に、
展示の設計の、
大幅な設計はかなり早くは決まりますけど、
具体的にコンセントをどこにするとか、
ドアを内開きにする人と開きにするとか、
エスカレーターをもうちょっと、
ネックのこっちにずらした方がいいんじゃないかとか、
そういうディテールの設計変更はずっと続くんですよね。
本当に直線まで。
それから、
トニーさんよくご存知の、
4階の小美術室の、
暗い部屋に、
横15mの一枚ガラス。
あれは例えば、
15mの一枚ガラスって、
建物ができたら入れられないようです。
一枚のですね。
もちろん裸で入れるわけではない。
梱包した状態で入れるには、
建物ができる場合に入れなきゃいけない。
そういうのも考えなきゃいけないですね。
実はあれは、
8月15日という夜、
午前0時に入れたんですけど、
そこまで覚えてるんですか。
それは一年間、
一年間というか、
一番車の人通りが少ない時間でした。
そういうのを狙ったんですか。
狙って。
もちろん30分、1時間で入れるわけではなくて、
3時間か4時間かかったんですけども、
私初めて、
物を繁重するための図面というのを見ました。
そういうのもあるんですね。
建築の図面とはまた別なんですね。
別に、
3時間、4時間のために、
クレーン車をどこに置いて、
どういうふうにクレーンを振って、
4階に外から差し込むんですけど。
あれが1枚ならせなかったら、
もう少し楽だったってことですね。
でもやっぱりこだわりなんですね。
切れ目があるとそこが気になっちゃうから。
でも気にしないですもんね、一般の人は。
だから意外と。
気になってないからすごいわけじゃないですか。
そこにもし切れ目があると、
ここに切れ目があるなと思っちゃうけど、
気になってないけど、
気になってないための努力がすごいことですね。
そう考えると。
それは竣工の1年前ですから。
それ入れたのかです?
入れたのかです。
ずっとそれだけはあった状態だったんですか?
それは搬入して、
木箱に入って搬入して、
搬入した時は開けて点検するわけです。
だけど点検が終わったらもう1回、
周り工事中ですから、
もう1回箱に入れて、
8年以上そのまま置いて、
いよいよ本当にさようにさように、
壁が全部出来上がって、
ガラスを設置するっていう時に、
39:01
もう1回開工して。
そんな大変だったんですか、あそこ。
そうです。
聞かないとわかんないですよね、そういうの。
他にカイヅカさん的に、
こここだわったぞみたいなのがあったんですか?
今回リニューアルするんじゃなくて、
俺の中でここだけは譲れないみたいな。
どうでしょうね。
もう私あんまりこだわりがないタイプだから。
他の学芸さんが逆に、
ここすげえこだわったぞってあるんですか?
これやっぱりトネリコっていう、
インテリア会社をデザインしている、
彼らがこだわりがすごくて、
3フロア、6階、5階、4階って、
床の色が微妙に違うんですよね。
濃さのグラデーションが変わってるんですよね。
グラデーションが変わってるんですよね。
それに合わせて置く椅子、
これもトネリコがデザインした椅子なんですよ。
椅子の取っ手の背もたえの色が合わせて変わるんですよね。
そうなんですか。
あの椅子っていわゆる監視員さんが座るんですよね。
僕ら関係ないやつにもそんなにかかってるんですか?
へえ。
2つ並べないと違いがわからないんですけど。
なんとなく最初に、
6階からお客様がお入りいただくと、
そこは暗い空間にして、
スポットライトが映えるようにして、
それからだんだん明るくなって、
最初に火にしようと言っても、
ちょっと語弊があるけれども、
ポーンと感覚を超えていただいて、
それからだんだん日常に戻ってくるっていう。
日常に戻って、最後にカフェに行っていただくっていう。
そういうコンセプトがあるんですか?
そうなんですよね。
へえ。
結構いろんなとここうだったけど、
サインも新しくなりましたよね?
サインはヒロムラさんっていう、
東京オリンピックのフィクトグラフデザインされたのにお願いをして、
本当にかっこいいデザインになってくれましたね。
本当だからまだ1年目ですけど、
まだ来てない人はぜひ本当に来ていただきたいですよね。
前のブリッジストーン美術館のイメージで来ると、
相当土木も抜かれますよね。
そうですね。
でも一か所だけあれなんですよね。
前の名残で最後の部屋がカーペットになっているんですよね。
そうなんです。
ですよね。
カーペットで天井を下り天井にして、
かつてほど低くはないけれども、
ちょっと他の部屋よりも天井が低くて、
アンティーブな、親密な、
心を和ばせて最後にお帰りいただく、
そういう空間を一つ作っています。
アーティゾン美術館、初の人もいればブリッジストーンに慣れしやすい人もいると思いますので、
来ていただきたいなと思うんですが、
ここでちょっと話を変えたいなと思うんですが、
42:01
アーティゾンといえば美術普及プログラムが充実しているということで、
最初にもう言いますと、
教育副部長ですもんね、今。
どういうことをされるんですか?
どこの美術館も大体みたいなことをやっているんですけれども、
うちの看板のプログラムの一つが土曜講座と言いまして、
ブリッジストーン美術館がオープンした翌月からスタートして、
今、2300回、そもそも2300回超えているんです。
これ毎週?毎月?
そこまでいかないし、
それから、特に去年はコロナでオンラインに切り替えたのもあったり、
中止になったのもたくさんあって、
毎月、毎週まではいかないんですね。
かつてはブリッジストーン美術館自体は、
年間30回ぐらい講座をやってました。
いわゆるどこの美術館でもやってますけど、
展覧会に合わせた講演会みたいなのがあるじゃないですか。
とはまた別ですよね、これ。
展覧会に合わせてやることもあるし、
30回はさすがに無理なので、
展覧会に関係ない学会と一緒にやったり、
学員が興味を持っているテーマで組んでみたり、
いろいろバリエーションを見ます。
これ、常連の方がすごく多かったんですね。
それで、ちょっと語弊があるかもしれないけど、
大学の教養課程ぐらいのレベルぐらいまで
行っちゃってたような気がします。
内容があって。
内容が。
それで、私も大学生の時に初めて、
ブリッジストーン美術館同様講座に来て、
今の私の世代はそういう人たちが多いんですよね、業界。
ブリッジストーン美術館の同様講座、
アーティスト美術館の同様講座、
初めての方にちょっと講座お願いしますって言うと、
結構喜んでくれる方が。
ついに呼ばれた。
ここに来たぞみたいな。
とうとう番が来ましたねっていうような方もいらっしゃる。
ステータスなんですね、ある程度。
ステータスというか、やっぱり思い入れがあるんですよね。
ある種の思い入れがあるという方が多いですね。
これは誰でも聞けるんですか?
いっぱいの方が。
これ今はコロナの影響もあって、
いろいろ申し込み制だったり当日、
制限が早かったり、いろいろ工夫してるんですが、
基本的にはどなたでも。
これ当時としては、開館時、1952年としては結構画期的だったんですね。
当時、美術館自体がほとんどなかったので、
オープンの年は、ほぼ全階満席だった。
当時は230席だったんですけど、
満席で、三谷さん、左。
そういうレベルの方が。
45:01
岡本太郎さん、お答えいただいたことありますし、
写真を見ると、今だと消防法上許されないんですけど、
立ち見がぐるっと。
すごく画期がある。
盛況だったんですね。
次第次第に、美術館で似ている講座をやるようになったし、
大学の一般向けの講座もやるようになりましたし、
いろいろな各地の自治体の教養講座もやるようになって、
だんだんうちも落ち着いてきて、
かつての展示と同じように、
うちのコレクションにだんだん絞り込んだ、
いったような講座になってきていたんですね。
こういう講座をキャスティングするのも、
絵図画処理の仕事ということですか。
これは学芸の中で、今回のシリーズは担当で、
プログラム組んでということをやったりして、
私は部署として、一生懸命全体のバランスを見て、
連観の計画をさせたり、
ちょっとこれだけ固いのがちだからこうしようとか、
いろいろなことを直接。
これは土曜講座であり、
いわゆるギャラリートークはまた別にあるということですね。
土曜講座はレクチャールームという専用部屋で、
座席とスクリーンがあるという部屋なんですけど、
ギャラリートークは展示室で、
作品を周りにして作品を語るというものですね。
これは今月2回。
結構やってますね。
ただ今コロナで、
展示室の中でのオーラル、
声を出すという活動はやめようということで、
ギャラリートークは今中止中、中断中です。
これがコロナが落ち着いてくれれば、
またギャラリートークは復活。
というふうにやってます。
他にいろんな活動されてると思いますけど、
特にうちは変わってるなと思うやつってありますか?
そうですね。
ファミリープログラムという、
小学生を含む家族向け、
キッズ&ファミリーですね。
子ども向けはあるかもしれないけど、
家族向けなんです。
これはやっぱり、
自分もそうなんですけど、
小さい時の親に連れられて、
美術館を知るという経験が、
ちょっと大きい入り口になるだろうということで、
もちろん学校向けもやるけれども、
先生に連れて来られるか、
親に連れて来られるか。
これが多分、普通の日本人の最初の美術館の入り口だろうということで、
家族向けのプログラムを、
そんなにやってるんですか?
具体的にはどういうプログラム?
これは常連が多くて、
毎回毎回バリエーションを変えないといけない。
うちのファミリープログラムは、
48:00
基本的にうちのコレクションを使う。
ジョノワールドだったり、青岸ヒルドだったり、
あるいは現代美術館だったり、
そういったものを使って、
大体2時間。
クイズを出す回もあれば、
ワークシートを渡して、
いろいろ巡ってもらって、
集まってまた、
ディスカッションしたり、
ギャラリートークと組み合わせたり、
毎回毎回色々と変えて工夫しています。
家族参加ってことは、父母両方にならないといけない。
どういう単位で出てくるんですか?
昇華室がいれば、
どういう組み合わせでもいいです。
逆におじいちゃんと?
おばあちゃんとお娘とか、
それから同居していないおばあさんと、
でもいいんだ。
なんていうのも、あんまりこだわらず。
でもこれは逆に、
小学校6年終わっちゃうと卒業になるんですか?
卒業生になっちゃうんですね。
そういうパターンもあったんですか?
今まで20年もやってきたら、
ファミリープログラムの常連さんが、
ついに卒業したなっていう時もありますね。
これは、アーティスト美術館がオープンする、
前の年の9月に、
ホームカミングデーっていう、
ファミリープログラムのかつての常連。
社会人だと。
かつての小学生、社会人になった人もいましたけど、
そういうかつての常連に呼びかけて、
来てもらうと。
新しい美術館ができる前に、
何にも絵が上がらないところを、
こういう風になったよっていうのをお見せする
っていう会員があったら、
150人来てくれました。
結構来ましたね。
親も、かつての親、かつての親。
合わせて150人。
だから最初は午前中だけの予定だったんですけど、
申し込みが多くて、
事がならないような仕事で、
午前にもう同じことになりました。
懐かしい人もいっぱいいますね。
懐かしい。
本当に小学校6年生でバイバイって言ったきり、
もう十数年ぶりに会うっていう。
中には一人ぐらい美術関係者になった人はいるんですかね?
美術大学に行ったっていう子は何人かいます。
いる?
今美大生っていう子がいますね。
当然だからファミリープログラムがきっかけで
美術好きになったってことですよね、そう考える。
その前から好きだったのかもしれないし、
なんとも言えないんですけれども、
大学生にとっての美術のイメージっていうのは、
かつてのプロジェクト美術館で見た作品ですよね。
これはいまだに続けていくんです、今後も。
今後も続けていきます。
これもコロナが落ち着いたら、
今予定では5月ぐらいから
復活できるかなと思っていますので。
皆さんそれはホームページを見てチェックしていただけたらなと思います。
51:01
そして今オンラインプログラムもやっていますということで。
これはトニーさんと一緒にやっていまして、
これは一応小学校、高学年の方にはなるようにというイメージで、
毎回10分ぐらいの動画で、
基本的には1作品をいろいろ取り下げて、
やり取りをしながらご紹介するというプログラムを
月2本ずつです。
そうなんですよ。
アーティストの子供の広場というタイトルで、
毎月第2・第4土曜日に配信されています。
これなかなか収録が結構1日仕事なんですかね。
そうですね。
6本を。
6本撮り。
6本撮り。
1日6本撮りですもんね、朝から。
ほぼ僕はぶっつけ、
基本的には貝塚さんがこういうこと喋るっていうのを事前にペラっていただいて、
ほぼアドリブですもんね。
本当にトニーさんがいろいろ組み合わせて、
こちらが話しやすいようにいろいろやってくれるので、
本当にありがたいです。
1人じゃああいうことできないですね。
いやいや、でも本当に貝塚さんのお話がうまいので、
楽しくやってますけどね。
高学年向けとは言ってるけど、大人が見ても楽しいですし、
この前収録したんですよね。
今ちょっと今日僕らは3月中旬に収録してますけども、
アーティスト広場を3月上旬ぐらいでした。
そうですね。
たぶんこれのシーズンが4月からになるんですけど、
なんか不倫の話をちょっとしちゃったんですよね。
そしたら一緒に撮影してる学園さんが、
あれはカットするかもしれませんねってこう言って、
そうだこれ子供の広場だったんだって、
後で思ったんで、
そこがどうなってるかは皆さんぜひYouTubeでチェックしていただきたいんですけど、
そうそう、ついついね、そういう話も。
子供向けだったことすっかり忘れてたなって思います。
こそこそって言われましたから。
で、第3シーズン4月からはテーマとしては、
カッコいいをテーマにやってるということで、
この配信は4月の3日ですけども、
たぶん4月の8日に第3シーズンが出ると思います。
すごいカッコよくオープニング撮りましたもんね。
撮影スタッフがやたらとうちら二人を持ち上げて、
カッコいい、カッコいい、みたいなこと言ってました。
それも含めて見ていただけたらなと思います。
はい、そして最後、せっかくなので告知していただきたいと思いまして、
現在開催中の企画展についてということで、
今何が開催されていますか?
ステップスアヘッドっていう英語のタイトルなんですが、
われわれの収蔵品だけでサンフロアコンベンター展覧会をやっています。
54:01
これはこの休館中に新しく収蔵した作品をちょっとフィーチャーして、
かつこれまでのコレクションの代表作品と組み合わせて、
どちらかというと20世紀とか新しめの作品に焦点を当てた展示をやっています。
これが9月5日、東京オリンピック、パラリンピックの時期なんですね。
ずっと続きますので、ぜひお楽しみいただきたいと思っております。
新収蔵品はちなみにどれくらいの数増えたんですか?5年間で。
100は行きますか?
行ってます。
今回はその中でもほぼ全部出し切ってるんですよね、新収蔵品。
これまでアーティゾン美術館開館して1年経ちましたから、
その間にじわじわと出しちゃったんですが、ここで一気に出したっていうところもありますね。
なので、こんな作品持ってたの?みたいなのが結構驚きが多いので、
アーティゾン美術館、ブリジストン美術館自体知ってる人が来ると多分相当驚くんじゃないかなと思いますので、
ぜひ見ていただきたいなと思います。
しかもこれですね、オンラインで見れば1200円でしたっけ?
結構安いんですよね。
確かにね、その辺ちょっともう一回調べます。
でも結構安く見れます。
しかも大学生ただなんですよね、アーティゾンさんになってから。
これはなんでなんですか?最後に聞きたかったんですけど。
これがやはり若い方に美術を好きになってもらいたい、知っていただきたい、味わってもらいたい、
ということの気持ちとの表れですね。
かつては中学生まで無料なんですね。
高校、大学生というのは一般よりも安いけれどもお金を承担していたんですが、
もう一気に大学生まで無料にしようと。
逆にかつてはシリアンという65歳以上が安かったんですけども、それをなくしたんですよ。
その分だから学生にとるってことですよね。
かつては学生とインパクトシリアンです。
3種類あったんですけど、今は無料か有料かでシンプルな体系になっています。
もしお子様がいらっしゃる方はぜひ一緒に来ていただきたいなと思っております。
ということで、いろいろとあっという間のお時間でしたけれども、
次回は海賊家さんのご経歴を交えつつ、さらに美術についての話を続けていきたいと思います。
57:23

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