1. そろそろ美術の話を...
  2. #133 ピカソとヨックモックミ..
2025-06-14 57:40

#133 ピカソとヨックモックミュージアムについて(ヨックモックミュージアム 富安玲子、小幡佳奈子)

ヨックモックミュージアムの富安玲子さん、小幡佳奈子さんをゲストにピカソのセラミックコレクションについて伺いました。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/13⁠⁠⁠3⁠  番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile

富安玲子(とみやす れいこ)

  • ヨックモックミュージアム 企画担当主任学芸員

小幡佳奈子(おばた かなこ)

  • ヨックモックミュージアム 教育普及担当主任学芸員


Show Notes

ヨックモックミュージアムについて

ピカソについて


展覧会について

サマリー

ピカソとヨックモックミュージアムに関するエピソードでは、ヨックモックミュージアムのユニークさやピカソのセラミック作品についての深い洞察が紹介されています。富安玲子さんと小幡佳奈子さんは、ピカソの芸術的な影響や美術館のコレクションの特徴を掘り下げて話します。ピカソの芸術家としての人生や影響が振り返られ、彼のキュビスムや『ゲルニカ』に見られる社会的メッセージが強調されています。また、ピカソが陶芸を通じて職人との協力を重視した背景や戦争の影響についても考察されています。彼の作品は平和への思いを伝えるための戦略的な考え方で生み出されています。さらに、ヨックモックミュージアムでは「ピカソセラミック見立ての芸術」という展覧会が開催され、彼の独自の視点が紹介されています。このエピソードでは、ヨックモックミュージアムにおけるピカソの展覧会について語り、ゲストキュレーターの正治陽さんの役割や展示のユニークなアプローチが紹介されます。展示されるセラミックアートやその背後にあるストーリーにも焦点が当てられ、ピカソの遊び心を表現する工夫が明らかにされます。ピカソとヨックモックミュージアムの展覧会では、ピカソのセラミック作品の魅力が紹介され、バローリスとの関係にも焦点が当てられています。また、ヨックモックのオリジナルグッズやイベント情報についても取り上げられています。

ヨックモックミュージアムの紹介
アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日はヨックモックミュージアムの富安玲子さん、小幡佳奈子さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
ということで、お二人、ゲスト出演よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
改めて、それぞれ自己紹介していただいてもいいでしょうか。
富安と申します。ヨックモックミュージアムコレクション担当の学芸員でございます。
よろしくお願いいたします。
そして、小幡佳奈子と申します。ヨックモックミュージアムの教育普及担当の学芸員です。
よろしくお願いいたします。
今日は朝から、ヨックモックミュージアムを貸切状態で収録させていただいているということで、ちょっと贅沢な収録でございますが、
ヨックモックミュージアムってどんなミュージアムなの?っていう人も多いと思いますので、
まずは、ヨックモックミュージアムって、そもそもヨックモックって聞くと、
あれ?あのクッキーみたいなのが浮かんでますけども、
それでいいのかなとか、皆さんいろいろ考えていると思うので、
よろしくお願いいたします。
東京南青山にある私立の美術館で、ヨックモックの会長藤沢敏康が、
2020年に開館いたしました。
と聞くと、本当にヨックモックのってことですよね、皆さんがお馴染みに。
でもそうすると、何の美術館なのかなみたいな。
ヨックモックお菓子の美術館なのかなと思いきや、コレクションは全然違うんですよね。
そうなんです。ピカソとのセラミックの美術館になっております。
ピカソと言うと絵画とか版画のイメージがありますが、セラミック。
いわゆる焼き物、陶器、陶芸って言うと一番わかりやすいんですが、
陶器、陶磁器って言うと、日本とか東洋のものすごく素晴らしい伝統があって、
その目線で見るのが正しいのかどうかっていう問題提起が、
ピカソなんといっても20世紀の芸術の革命者でもあって、
ピカソ自身もいろいろ問題提起を内包しているような作り方をしているので、
そこは一旦自由になって、素材の名前でカタカナで呼んでしまおうということで、
すごい乱暴な言い方しちゃいますけれども、
セラミックという、ちょっと距離を取るような表現で、
ピカソのセラミック作品
当館セラミック、ピカソのセラミックのコレクションの中心になっておりますので、
その展覧会をしております。
ピカソって、今までこの番組もそろそろ5年目に経つんですけど、
真正面からピカソを取り上げるのは今回初めてなんですが、
多分もう誰もが知っているというぐらいのピカソですけど、
よく考えたら、ピカソの美術館って日本で、
ピカソ美術館って意外となかったですよね。
フランスとかにはありますけど。
そうですね。ピカソの一番良い作品は、フランスとか欧米ですね。
日本はやっぱりちょっと出遅れた感もありますし、
出遅れたって言ったら怒られますね。
しょうがないですよね。
本当にしょうがないところ。
みんながピカソの作品が欲しい。
ピカソを見たいと思っているので。
ピカソはやっぱり画家、絵画というところで非常に有名な人で、
実はこういうセラミック、焼き物に注目されたのは、
もう本当に最近なんですね。
まだ誰も強く注目していなかった時に、
10日の館長が30年ほど前に、
トニーさんご覧いただいたからお分かりかと思いますが、
明るい、ピカソって言うとゲルニカとか、
割合にゴリゴリとしたものも多いんですけれども、
非常に明るくて幸せな雰囲気を出しているものが多くて、
お皿を見た10日の館長が、
この幸せなお皿にこのよくもくのお菓子を載せたら、
とても幸せな世界になるんじゃないかなっていうのがピンときて、
それですごく心が引かれたというところで、
なんて言うんでしょう。
いわゆる美術史的な価値がどうのとかっていうよりも、
コレクターの心一つでコレクションを始めてというので、
評価が後から追いついてきたと言いますか。
じゃあこれだけ集まったし、
美術館作ろうってなってあげたら、
ようやくその頃に世界的に、
ピカソの焼き物、実はすごいんじゃないの?
美術館の建物と展示
っていうことになって、
実は世界的にも非常に注目をいただいております。
ピカソのセラミックの美術館って言ったら、
今のところ世界で珍しい?
珍しいですね。
もちろんピカソが作っていた、
後でご紹介できればと思いますけど、
バローリスという町ですとか、
いくつか素晴らしいコレクションを持っている美術館はありますけれども、
そうですね、そんなに多くはない。
例えばパリの国立ピカソ美術館なんてありますが、
そこも去年行ったら一番上に、
セラミックのお部屋ができていて、
それまでなかったんですけれども、
そのくらい絵画とか、せいぜい彫刻だったところが、
どんどんセラミックに注目を始めた、
という感じですね。
そういう意味でもぜひ皆さん注目いただきたいわけですが、
このコレクションとしては何点くらい持っているのか?
ヨックモクコレクションという、ヨックモクミュージアムになる前に、
ヨックモクコレクションという名前で、
ずっと30年ほどかけて収集されていたんですけれども、
ほとんどがピカソのセラミックの作品なんですが、
もちろんそうではないものも、
もとはアート好きな館長夫妻で、
いろいろなものを持っていたので、
例えば今回でもピカソと同じスペインの画家の、
油絵じゃなくてブロンズ作品というのが面白いんですけれども、
ジョアン・ミロのブロンズ作品なんかも持っていたりしています。
ちょうどギリギリまだ東京都美術館でもミロ展をやっていると思いますけれども。
全部で600点くらいを入れ替えながら展示しているということですよね。
美術館の建物自体も、こだわりの美術館ということですけれども、
まず展覧会に入る前に、建物の話もいいですか?
ありがとうございます。
この場所も美術館を作るにあたって、館長夫妻が探して建てたんですけれども、
南青山の住宅地の中に、ちょっとぱっと見普通のお家のような感じで建っております。
狙いというのが、自宅にお招きするようなスペースを作りたいということだったので。
ホットできるような。
外壁の白い感じもそうですけれども、
ブルーのタイルで屋根や周りに装飾してありますが、それはヨックモックのテーマカラーと。
本店の外観みたいな感じを取り入れつつ。
ヨックモックって皆さんに思っていただきながら、ここねって思っていただける感じで。
屋根の瓦の作り方なんかは、南普通の独特のものを形を引用して作っておりますね。
やっぱりセラミックにこだわっている美術館だなと思うのが、
当然セラミック外観とか内観でも使っているだけじゃなくて、サインとかもセラミックですもんね。
そうなんです。
ヒロムラデザイン事務所さんが、
せっかく焼き物の美術館なんだからサインを焼き物にしようというふうに突然きらめいたそうで。
またそこからヒロムラデザインの人も大変だった。周りのスタッフの方も大変だったらしいんですけれども。
それに、どこかの館長が、僕の知り合いの京都の焼き物作家を巻き込んでということで、
非常に特徴的な、最近だとデザインの学生さんがサイン見に来ましたっていう。
例えばトイレの入り口だとかロッカーとかいろんなところに作られている。ある意味作家の作品ってことか。
そうですね。オリジナルもオリジナル。
ですから、デザイナーと現役の焼き物作家のコラボ作品。
しかもエレベーターの床もセラミックですよね。
そうですね。これもこだわりのタイルで。
浜場を意識して特注なんですかね。
やはり自宅にお招きするからには、最高におもてなしを用意したいという。
よくもくのおもてなし精神なんだなと思いながら見ておりますが。
おもてなしもすごいですけど、別にドレスコードってわけじゃないですけど、
あの服を着ていくと暑くなるとかもあるんですかね。
そうですね。ボーダーを着てくると少しおやすくなるという。
ボーダー割りみたいな。
はい、ボーダー割りを行っております。
今日はお花さんもボーダー。
そうですね。
意図的に着ていくもんなんですね。
よくもくミュージアムであればみたいな。
そうですね。自然とコスチュームのようにボーダーが増えてきたっていうのはありますよね。
ピカソといえばボーダーを着ているイメージがあるからっていうことでボーダーを。
お客さんもボーダーを着ているとピカソのミュージアムだっていうことで喜ばれる感じもするので、
意識的ではないんですけど着ております。
それはボーダー割りのボーダーはどんなボーダーでもいいんですか?
ピカソ的なボーダーじゃなくても細かったらダメとかそんなことないんですか?
ボーダーであれば何でもOKですか?
縦縞はNGなんですけど。
縦縞はすごく厳しい。
縞だったらOKじゃない?横で。
横だったら大丈夫。太さも大丈夫だし。
あと靴下がボーダーだとかそういう人もいるんですよ。
ゼブラ柄はどうしましょう?
ゼブラはちょっとかわいそうなんですけどちょっとダメですね。
ボーダーだとボーダーだと。
まだゼブラでどうですって言われたことはないですね。
シマですけどね。
いろんなことをやっているこのクミュージシャンですけども。
改めてピカソについてどんどん掘り下げていきたいなと思うんですが。
番組でピカソを取り上げるのは初めてなんですけども。
多分世の中の人もピカソって知ってはいると思うんですが、
改めて初めてなので、どんな人なのか基礎的なところから教えてもらってもよろしいでしょうか?
まず生まれたのは1881年19世紀の末ですね。
生まれた場所はスペイン。
地中海沿いのマラガという古い古いローマ帝国以前からの
フェニキア人がいたりとかいう本当に古い文明が栄えていた港町です。
なので新種の気象みたいなものも町全体にあったのかもしれません。
そこで幼い頃生まれて、
ピカソを特徴づけるものというと、
そのあたり非常に闘牛が盛んなところで、
本人も首も座らないうちから抱っこされて、
闘牛場に連れてかれたというような話も残っていて、
闘牛が大好きな少年であり、
長寿って闘牛が大好きなおじいさんになっていくんですけれども、
まだその当時は闘牛は全然普通に盛んに行われて、
今はいろんな動物保護の観点からかれるだろうけど、
大丈夫だったわけですね。
長寿ってお父さんの仕事の都合でも北の方に行ったりとか、
大きくなると首都のマドリードの学校に行ったりとか、
バルセロナに住んだりとかありました。
そこでいろいろな出会いがあって、
最終的には20歳頃に当時の芸術の中心だったパリにやっていきます。
その時は貧乏な若者で、
フランス語もまだ怪しいようなんですけれども、
当時の同じくらいの世代の若手芸術家の中では、
彼の才能がズバ抜けているというのがみんなわかって、
パブロに自分の作品を見て何か言って欲しかった、
というようなことを言っている人もいます。
そこでルーブル、もちろんその前に自分のマドリードで
プラド美術館の子を見て、ベラスケスですとか、
ピカソの芸術と影響
古い歴史を作ってきた画家たちへの尊敬、大好きなんですね。
ちゃんと古典を敬愛して、
その上でもちろんパリでもそういうものを見て、
吸収をして、
彼の生涯の興味・関心の大きなものの一つというのは、
自分はこの世界を、
画家なので絵に描くけれども、
立体の世界を平面の世界に表現するのはどういうことだろう、
というのをものすごく真面目に考えて、
それでよく知られているキュビスムというものに構成するのに、
見たまま描くというのは、もう写真が出てきたので、
それはもう写真に任せたらいいんじゃないか、
仲間たちで一生懸命考えて、
その形をもっと素朴な形に、シンプルな形に還元していくんですとか、
色も見たままの色も色彩学なんかも随分進んでいったり、
当時の最先端の科学の成果なんかももちろんものすごく影響しながら、
本質というものを探るという大冒険がキュビスムであり、
当時の最先端の表現者たちが取り組んできたこと。
そこでピカソはもう第一人者として、
なかなか世間がですぐ理解してくれたかはちょっと別なんですけれども、
トップランナーとして走ることになります。
ただそれが第一次世界大戦というのが1914年に起こるので、
30歳過ぎぐらい。
そうするとパリで一緒に頑張っていた仲間たちが、
例えばドイツ人なんかも来るんですけれども、
第一次世界大戦ってシンプルに言うと、
ドイツ対フランスの戦争みたいなところがありますから、
国に帰って出征しなくちゃいけないとか、
ピカソ自身はスペイン人なので、
フランスにもドイツにも組みしない立場なんですけれども、
フランス人のお友達も出征しなくちゃいけないとか、
もうバラバラになっていく。
戦争に行きたくない人はもう亡命してやるとか。
そこで一回キュビスムの運動というのは終わると言われておりまして、
その中で次はダダイスムとかシュレラリスムなんかが出てきて、
ピカソはそれに直接は関係しないんですけれども、
先行するピカソの活動がなければ、
その辺は出てこなかったと言われております。
戦争とゲルニカ
その間にピカソは今度は古典をもっと大事にするような絵を描いたり、
どんどん作風を変えていって、
第一次世界大戦が終わり、
10年間の平和な1920年代があり、
1933年にはナチスドイツが政権を取るというふうになると、
また世の中がだんだん厳しくなって、
空気が悪くというか厳しくなっていって、
とうとう1937年には、
彼の母国スペインの小さなゲルニカという街を、
ナチスドイツが空襲するという惨劇が起こる。
そこでパリにいたピカソはそのニュースを聞いて、
有名なゲルニカという大作を描くわけですよね。
ゲルニカが戦争中に西ヨーロッパの方を巡回して、
見た人の心を打つ。
それを見てまたピカソ自身も感銘を受けるという、
そういう体験もするんですけれども。
ようやくパリも結局、
フランスがあっさり負けちゃったりするので、
ナチスに占領されるんですけども、
そこでずっと居続けていて、
亡命もせずに戦争終結を迎えると。
もう60歳を過ぎているわけですよね、その頃に。
戦争終わったら、
もう新しい恋人もできて、
陶芸と職人との協力
ちょっと南仏に行くと。
だいたい皆さん、ピカソの興味って、
ゲルニカ描いておほほほっていうところで、
一段落しがちなんですけれども、
ピカソの焼き物はそこからなんですね。
ついにここでようやくセラミックに。
セラミックに始めるのは60歳過ぎとか、
人生を折り返すということなんですね。
なんせ80年前ですもんね、戦争終わるの。
当時のことですから、平均寿命のことを考えてみても、
コーナリーな陶芸家、芸術家だったら、
ちょっと名声をどうしようかな、
考えてもおかしくない立場。
60歳だったら大ベテランになってるけど。
人気引っ張りで、
もう描けば売れるような立場なんですけれども、
たぶんそういうことに興味ないんですよね。
また自分の表現、次の表現も何ができるか、
また面白いことがあって。
という精神でたぶんずっといて、
きっかけは、ピカスはなんせ地中海沿いのマラが生まれなので、
暖かいところが好きなんですね。
そういう生物みたいな感じで。
なんかほっとくと地中海に行っちゃうんじゃないかしらっていう。
バカスの旅行で南出に行って、
誰かから行ってみればって言われたとか、
いろいろ説はあるんですけれども、
ほぼ偶然に近い形で、
南出のバローリスという町に行きます。
そこには実は、
マドゥーラ工房という焼き物工房があるんですけれども、
そこの一番素晴らしいのは、
そこの女主人、
若いご夫婦でやってるんですが、
ラミエ夫妻、特に奥さんのシュザンヌさんという人が、
この夫婦もともと地の人ではなくて、
よそで勉強してきて、
そこで何か新しいことをやりたい。
シュザンヌさんはデザイナーとしても非常に優れた。
古い形の陶器なんかもものすごく勉強していて、
それをアレンジして、
新しい形を提案してみたり、
なんてこともやっていたんですが、
そういう人だから、
たぶんピカソが立ち寄ってみればって言われて、
そうすると、
お客さんには粘土の塊をポンと渡して、
何か作って、手を動かしてみて、みたいなことをされるそうです。
そこはちょっとピカソを作って、
それはそこだけだったらしいんですけども、
翌年になると、
もう一回また来たよ、みたいな感じで、
そこから本格的に、
ちょっとやりたいんだけど、みたいな話になったようです。
工房の方としても願ってもないということで、
非常に優秀な職人さんを抱えて、
小さい工房なんですよ。
だいたい5人。
スタンダードさん入れて5人。
ただ、伝説の六郎名人みたいな、
ジュールさんという人がいたんですけども、
その人もある程度、
若い頃に、
ちゃんとお金を貯めたのがあれですけども、
ワインの葡萄畑で、
引っ込もうと思っていたところを、
シュザンヌさんに口説きを落とされて、
職人として復帰して、
彼女は、
州の職人養成学校みたいなところで、
講師もしてたんですけども、
そこで自分が目をつけた学生を、
私の工房に来ない、っていう風に。
結構、もうできる人が、
できる人をピックアップしてきて、
精鋭たちを用意していて、
もともと、ピカソが来るまで、
その工房が作ったものは、
一般向けのものを?
一般向けの、
実は去年の秋に、
職人さん、
シュザンヌさんにピックアップされて、
優秀な若者だった職人さんが、
今89歳で、
大変お元気なんですけど、
お話を伺うことができて、
それまでに、
ピカソが来てから、
入ったらしいんですけどね。
それまでにも、
シュザンヌさんがデザイナーでもあったので、
彼女が、
割合にデザインが入った、
美術的なものも作っていた。
日本のアリサとか、
そういう伝統の街に、
東京のキレキレの、
こんなデザイナーが来て、
新しいプロダクション作ろうよ、
みたいな、
実験的な、
そうです。だから、
ピカソが、
形にグシャっとしたものを、
ことをやったとしても、
麻痺を仕留めるんじゃなくて、
え、面白い!
というふうに反応できる人たち。
ピカソがテラミックで、
一緒にやろうとなった時に、
ピカソが1からロクロ回して作る。
どういう立ち位置でピカソが入るんですか?
ピカソはやっぱり、
自分の表現したいことだけやりたい。
そうなので、
土をこねるとか、
美しく成形するとか、
あとは、
陶芸家の人だと、火を見て、
2日間突き切るとか、
そういうものは、
職人にお任せと。
そこまでの信頼関係が、
ちゃんとあったということでもあるんですけど、
なので、
陶芸家にもお皿がたくさんありますけど、
それをお皿の形に、
仕上げるのは、
職人。
それを彫ったり、
変形させたり、
というのがピカソ。
それを焼くのは職人。
そういう分担が。
例えば、
今いわゆる、
絵付けとかマフォルトとか、
そうすると、
一点物になるということですか?
そうですね。
ピカソは、
本格的に作り始めたのが、
25歳で、
亡くなる直前までなので、
だいたい四半世紀にわたって、
作っていたんですが、
その一点物というのが、
だいたい3500点くらい作っていた。
結構作っている。
全体の数は、まだ全員は見えていないんですけど、
息子さんがそういうふうに言っている。
当然、その間に絵も描いているし、
版画もやっている。
彫刻も何か作っているし。
3500が確認されているということですよね。
そうですね。
点物じゃないバージョンもあります。
あります。
ピカソがそもそも、
職人さんと一緒に仕事したいなというふうに、
始めたのが、
戦争の体験がすごく大きくて、
さっきゲルニカをみんなが見て、
すごく感激したのを見て、
本人が感激した。
そうすると、
アーティストも社会に対して、
もっと何か言えるんじゃないか。
ピカソの人生、
第一次世界大戦で、
今まで積み上げてきたことが、
ワヤにされてしまったり、
自分の母国、大好きな母国のスペインは、
内戦で、
ファシズムが
台頭して、
帰らない決意をするに至ったりしていて、
アーティストが、
もっと発言することで、
世の中を良くして、
戦争が起こらないことに寄与できるんじゃないか、
ということを思い、
それにはもっと、
みんなで一緒に仕事をしよう、
という風に考え、
すごい真面目な
人なんですよね。
そうした時に、
職人と一緒に仕事をする、
いいな、という、
一人で絵は描く、
というものと、
明確に
意図があって、
職人と一緒に仕事をしよう、
それは平和に
寄与するために、
だから、ちょっと幸せな感じ、
というものが、
出てきている。
もちろん、このセラミックを作っている数十年の間、
描いている絵でも、
死の恐怖とか、
そういうものも、
描いているんですけれども、
面白いくらいに、
焼き物のセラミックの方には、
そういう影って、
パッと見ですけどね、
出てこない。
オブジェ的な、
形のものもありますけれども、
お皿とか、
花瓶とか、
身近な形が、
ベースになっていたりする。
ピカソの作品とその影響
見る人も、
身近に感じたりして、
ピカソの、
身近な作品、
一番身近に感じられる作品、
それが、
重なって、
平和な世の中に、
というようなところが、
あったかもです。
ピカソがある程度、
形を作っていったのを、
職人さんが、
版画でいうと、
エディションのように、
作るパージョンもあるってことですか?
そうですね。
すごく特徴的なのは、
石膏で型を作って、
そこに石膏を固めて、
石膏にピカソが、
彫刻刀みたいなものを、
その道具で彫って、
そこからは、
職人さんの仕事なんですけど、
柔らかい粘土を当てて、
剥がして、
型なので、
いくつもいくつも、
抜けるんですね。
本当に発想は、
まさに版画なんです。
そうすると、
ピカソの平和の気持ちが、
みんなに言ってものよりも、
たくさん届くっていう、
非常に戦略的な考え方。
でも、
ピカソって、
絵画、版画でも、
同じモチーフを、
ちょっとずつ描いて、
たくさん描く、
メタモルフォース、
変容の画家、
そこに同じ型から抜いた、
陶器がいっぱい並んでいると、
そうすると、
エディション作るっていうので、
見本の色はこの色で、
っていう見本もあるんですけども、
ちょっとずつ、
色の付け方を変えてみたり、
白土で作るの、
赤土で作るの、
そこに黒色を塗るの、
それぞれいくつか数作ってみたり、
それも、
いってものっちゃいってものになっちゃう。
気に入ると、
そのバージョンを、
いくつかずつ作るっていう、
そこも、
自由な感じですね。
作ったものは、
例えば、
絵画の場合は、展覧会で出すとか、
セラミックはどうしてたんですか?
同じに展覧会で、
出ていて、
そうですね、
普通のバローリスっていう町で作ったものも、
例えば、
パリで展覧会をやると、
ピカソが焼き物を作ったんだって、
っていうので、
本でも代々的に、
いろんな当時の芸術家の中でも、
紹介されるし、
展覧会も大成功をするし、
そうすると、
バローリスっていう、
言ってみれば、
焼き物と南仏なので、
あと香水ですね、
戦後、ものすごく発展するかっていうと、
どうなの?っていう感じの、
産業の町だったところが、
画前注目をされて、
町おこしにも、
結果になってしまうという。
ピカソ一人のおかげで。
女性問題とピカソの人生
ピカソのみんなで幸せになろうよっていうのが、
ある意味とても成功を、
アートの力で、
成功したようなところもあるわけですね。
だから、今でもバローリスの人たちっていうのは、
ピカソのことをすごく大事に、
思っています。
そういう、
ここまでの話を聞くと、
ピカソってすごい人だなという、
もちろん元々思っていたんですけど、
一方でピカソというと、
聞いている方の中には、
何人かいるかもしれないですけど、
女性問題と言いますね。
女性の変歴がよく、
ピカソといえばみたいになるじゃないですか。
これは個人的な率直な、
疑問な、
質問で来ているんですけど、
僕は男だから、
ピカソがこうやっても、
今のご時世はどうなのか分からないけど、
別に、
いいな、モテ男でぐらい思うけど、
女性の学芸員さんたちが、
研究している中で、
いろいろと発覚していくわけじゃないですか。
嫌になったりしないですか。
その中で研究している中で、
アーティストとしてはいいかもしれないけど、
人としてどうなのか、
と思ったりはしないですか。
どうですか、それは。
どうしても私たち作家は、
作品で見てしまうので、
あれなんですが、
ピカソは浮気者というのではなくて、
毎回真剣に恋をしている、
だと思います。
数が多かっただけで。
作品でもいろんなものを作る。
好きな人が多いのは、
幸せな人生なんだろうな、
とも思いますし、
毎回真剣に悩む。
子供たちに対しては、
愛情深い父親であるし、
ちゃんと悩むのが、
真面目な人なんですよね。
気持ちを押し殺して、
ということもなく。
ピカソと別れた女性で、
幸せな後半生を送れない人も、
多いと言われました。
女性の人生を破壊した。
輝きが強すぎて、
という部分ももちろん、
あるんですけれども、
ピカソに人生を破壊されたと言うと、
女性だけではなくて、
男性も変わらず、
彼の作品を見て、
何事もなければ、
そこそこの画家になれたかもしれない。
どうやっても、
ピカソ風になってしまって、
自分に才能発揮できなかった人もいただろうし、
ピカソに人生を破壊された、
天才と同じ時代に生きてしまった、
幸せもあれば、
幸せもあったのかな、
これまでの絵画とか版画で紹介していくと、
そっちがフューチャーされがちだったけど、
このセラミックに関しては、
街が幸せになっている。
意外とピカソの交際の部分は、
あんまり評価されていなかったけど、
ここ来るとそれが分かりますね。
社会的に目を向けると、
ちゃんとできている、
という感じもあるかもしれません。
ついつい、
週刊誌的になっちゃうじゃないですか。
女性問題ばっかり取り上げちゃうけど、
ちゃんとやっている、
公共事業的な話のところは、
あんまり真面目に取り上げられないけど、
やっぱり言っていくべきですね。
ヨックモックミュージアムの展覧会
そうですね。
女性問題に見るんだったら、
女性にお付き合いする方によって、
作風が変わる。
それならそれで、
ちゃんとそれに注目してみると、
それはまたとても面白いので、
こんなに変えられるのか、
というくらい変えられたり。
でも、絵画は青の時代、
バラエティの時代、
色々と変わってきますけど、
セラミックは、
市販世紀は変わっていってるんですか?
細かく見ると多少変わるんですけれども、
やっぱりモチーフは、
地中海的なモチーフが主だったりしますし、
そんなに絵画ほど劇的に
ゴンゴン変わるというふうではないですね。
細々技法で、
新しい技法を職人さんたちと
開発してみたりとか、
今度、ちょっと難しい形に挑戦してみたり、
みたいなことはありますけれども、
あまり時代では、
変わっていかない。
後半生になっていって、
ハンコミがまた作って、
モチーフがちょっと
作るものが変わっていったり、
というのは、
ありますけれども、
そうですね、
一番最初に作ったものというのは、
まだ、
なんせ、
釉薬なんかも
知識が全然ないので、
東海オンエアの
いってものの作品にもありますが、
いろんな色を、
ある程度、自分の作りたいものが、
セラミックでやりたいことが
見えてくると、
色の使い方も
そんなに多くなくて、
非常に洗練されて
いくんですけれども、
一番最初は、
絵の具と一番の違いって、
火を通すので、
塗った釉薬の色と、
ガラッと変わる。
多分、それが面白かったんだと
思うんですけれども、
いろんな色を乗せていく。
とっても色使いが
多いなと思ったら、
もしかしたら、最初の1年くらいの作品かもしれない。
絵画的な発想で、
それがだんだん慣れてきてくる。
セラミックならではの技法になってくる。
そうですね。
去年、職人さんに聞いたときに、
最初は本当に知識ゼロで
やってきたんだけれども、
彼は自分で釉薬を調合したりとか
そんなにしないんだけれども、
一回言ったことは、
二度と忘れない。
すごいって。
天才なんですよ。
彼はちゃんと
セラミック、陶器というものを
理解していた。
それでまた職人の信頼を勝ち取ったり
もするわけです。
技術的なことも、
一回説明したことは完璧に理解して
ちゃんと。
だから、この間の技術で
さあ、みたいな話ができるわけですね。
職人同士の会話になるってことなんですね。
はい。
89歳も
50年も前の話ですけれども、
非常に
幸せに
回想をして、
ただピカソが来ている時の
広報というのは、緊張感で
誰も喋らない。
必要な話でというような
大変な緊張感でという話を
していらっしゃったんですけれども、
とても幸せな時間だったという
ふうに言っていました。
その人はまだご存命で、
もう一人いらっしゃるんですよ。
ピカソと仕事した人と
喋れば?
そうですね。
今、ちなみに
このヨックモックミュージアムさんでは
毎回展覧会が開催されているということですが、
今回はどんな展覧会が
開催されているのでしょう?
実は開館から今年で5年目になるんですけれども、
今年までは
私たちのヨックモックコレクションを
ご紹介、お披露目をしましょう
ということで、
収蔵品で様々な切り口から
展覧会をやっていたのですが、
今回は日本の
その考え方と
ピカソの物の見方と
共通点があるのではないかということで、
展覧会のタイトルとしては
ピカソセラミック見立ての芸術
という展覧会でございます。
見立て、例えば
有名な京都両安寺の石堤だと
白い砂を
大海の海に見立てて
というような
晴れ山水というやつですね。
というようなことを
ピカソ、この時期の特に
当国というか
アスタンブラジオ寄せ集め
既存のその辺にあるものを
全く別の意味を持たせていく
一番有名なのだと
古い自転車を持ってきて
そこのサドル
座るところですよね。引っこ抜いて
そしたら三角
サドルって三角でちょっとデコボコして
それを壁にちょっと
三角が見えるようにして置いてみる
そうすると手を持つハンドル
を今度はキュッと抜いて
耳のようにさす
そうすると
これは牛の頭です
角が生えているように見える
それはだから
自転車のサドルとハンドルを
牛の頭に見立てる
というふうなこと
そこの
もちろんルハジの石堤の見立ては
背景に全能
ピカソと自由な精神
深遠な思想があるんですけれども
出発点になっているのは
そういう一つのものを
そのものの見方だけに
こだわらない
自由な精神
ということで
ピカソのその自由な精神と通じ合うものが
あるんじゃないかなということで
これは
東海の展覧会というのは
いつも監修の先生に
入っていただくんですが
今回のゲストキュレーターが
ポーラ美術館の正治陽さん
この番組にも出演いただきました
正治君
ピカソの若手の
超元気な研究者で
彼が入ってくださって
そういう展覧会
セラミックもじきと
それ面白いですよ
という
ピカソの遊び心に
ゲストキュレーターも遊び心を持って
取り組むという形で
やっていただいて
見立ての芸術という
ヨーロッパでは
なかなかやりにくい
目線の展覧会
日本ならではという展覧会で
開催中でございます
展覧会の独自性
正治君がすごかった話は聞いていて
オープニング
僕は来れなかったんですけど
今回
ショー立ての中に
闘牛がテーマになっているショーがあるからか
知らないですけど
正治君が赤犬を欲しいと言って
闘牛
やったんですよね
2日前でしたかね
急に赤い布があると
いいなという連絡が来て
スタッフは
展覧会の準備で走り回っているので
唯一全然手が空いてなかったんですけど
手が空いていると
スタッフ全員に見なされた
東海の副館長
ある程度言うと
よくもくの会長夫人なんですけど
走り回って赤い布を買ってきて
内覧会の日に備えたという
今回正治さんが
ゲストキュレーターということで
正治さんならではの演出とかは
あったりするんですか
正治さんは東海の展示にも
新鮮な目で
ご提案をくださって
展示の最終決定をする
東海の副館長とも
非常に意気投合という形も
ありまして
いろんな新規塾を
入れていきました
例えばピカソの
花瓶を鳥の形に
見立てるという作品があって
それを何事もなければ
普通にケースに入れて
壁際に飾ったりするんですけど
鳥を森に返そう
と言い出して
壁に
森の
抽象的な感じの木を
緑色の
壁紙の形で張って
そこに鳥を
木に止まっているように
袋みたいな感じの
水差しが
それも非常に
ピカソに
見立ての気持ちというのが
鳥だ鳥だという風に
お客さんにも非常に
伝わりやすかったですし
それから
陶牛のコーナー
陶牛のショーですと
お皿が
楕円形の長丸のお皿を
これをピカソは
同じような形の
陶牛場に
見立てた作品が
あるんですけれども
真ん中に牛がいて
口の部分に
観客席みたくなっている
立ち上がっている部分を
まさに観客席の
立ち上がっているところに見立てて
そのようなものを
じゃあ
牛を原寸大
まではいかないけれども
大きく伸ばしてみようということで
そのお皿を
横が
2メートルぐらいまで
引き伸ばして
壁に張って
シートにして張って
そうするとやっぱり迫力も
ありますし
ピカソは
お皿の中に全部収めたけれども
やっぱり表現したかったのは
この牛の偉大さ
とか強さ
なんだなっていうのが
すごく伝わってくるものになりましたし
あれでも当初壁じゃなかったんですよね
そうなんですね
元の希望は
壁もすごい素敵でしたけど
ありがとうございます
そうです 庄司さんの最初の提案は
床に
その大きなシートを
大きく拡大したシートを張って
皆さん
いらした方が
投球場の中に入るっていうような
そういう仕掛け
テラミックの世界に入る
だから投球場の
広さに及ばないんですけども
そこはまた
半径2メートルぐらいのシートを
巨大な投球場に見立ててもらって
さすが庄司君の発想ですね
そういう
それで素晴らしいなと
私たちも思って
いろいろ
ピカソというのは
著作権者の方が
いるのでそちらに
こういうことで床にシートを張って
中に入りたいという
お願いをしたんですけれども
最終的には踏むのは
勘弁してくれと言われて
大事な作品ですからね
シートとは言えですよね
やっぱダメかなって
これだけいろいろ説明して
ピカソの著作権者の方たちが
作品をとても大事にしていらっしゃる
金太郎は
モネ店の時に
モネのグッズでレジャーシート作りたいと言ったら
それもやっぱり
モネの方からダメと言う
美術館がダメと言ってたのかな
だからやっぱり意外と
それは世界共通なのかもしれない
仏像店かなんかでも
仏像でソックス作るとか
それを踏むのは
良くないとか
感覚的にはあるんでしょうね
ポスターと陶牛の文化
やっぱり
リスペクト
グッズでも今回の
当初の計画でも
やっぱり
作品世界のリスペクトが
あるんですよ
ってものすごく
あったんですけども
それと
具体的な動作として
踏んでしまう
っていうことで
考えられて
ちょっとそれは
っていうことなんですね
写真撮影基本的に
SNSにあげなければ
自分楽しむ分には
あげていい
個人であれば
ピカソの著作権者の方から
数年前に
今の作品は
床よりも壁の方が
写真映えとして考えたら
結果論ですけど
結果オーライで
よかったです
写真撮影全部OKな
個人の方のご利用であれば
SNSのアップまでは
OKというふうにいただいておりますね
バイスポットがいっぱい
あともう一個バイスポットだなと
バイスポットいかないかもしれないですけど
テーブルの上に
作品が置いてある
ちょっと変わった展示もありましたもんね
それはまた
トートロジー
同じ形同じ言葉の反復
っていうものを作品に
していったまた
楕円形のお皿を
テーブルに見立てて
その中にテーブルクロスがあって
その上に絵として
お皿の中の絵として
お皿の中にテーブルがあって
お皿があってコップがあって
っていう
騙し絵のような
作品があるんですけれども
それを
ギストキレイター 翔二さんと副館長が
じゃあもう一つ
それに今度また応えるために
展示の時には
テーブルに乗せましょう
同じ楕円形のテーブル
もう一個だから外側に
同形反復を繰り返したわけなんですね
ただその展示に
楽芸員の立場としては
作品保護も気にしなくちゃいけないので
一番いいのは
ガッチリしたケースに入れるとか
ガッチリした
結界柵で囲うとか
手ぐそで
グルグルに止めるとか
したいなって
チラッと言いましたら
副館長が
それは違うと
そもそもこの美術館も
私立の
自宅に招くように
30年かけて集めた
コレクションを
皆さんと共有
一緒に楽しみたいということで
作った美術館なのよと
その時に
全部を
露出
何もない状態でお見せするわけにいかないのは
分かる
焼き物っていうのは
ケースの中に入ってるばっかり
楽しさとか
良さっていうのは
全部は伝わらないと思う
だから毎回
1点でも2点でもいいから
生で見ていただきたい
っていうことを強く言いまして
何かあった時の
責任は全部自分が取るから
って言って
今テーブルにポーンと
置いてある
もちろん止めてはありますけどね
なので
それも
当館からの
見ていただきたい
ところですし
確かにそうすると
ピカソの仕掛けたものが
テーブルの上に乗って
面白さっていうのも
見ていただけるんじゃないかな
と思いますので
お楽しみいただければと思います
ちなみに
その先に
ポスター
なぜかといった
セラミックのポスターが
展示されてましたけど
それが
ピカソが
セラミックを作っていた
バローリスという町なんですけれども
非常に
町お越しになったり
関係が非常に良かった
というのもあって
バローリス市の方から
ピカソに
市の催し物のポスターを作って
もらえませんか
と依頼をして
なのでご覧いただいた
10点出ておりますけれども
あれピカソ展のポスターじゃないんですね
2種類ありまして
バローリス市の
国際陶器市
もう調子に乗ってますね
バローリス市のね
ピカソももちろん
自分の作品も出してはいるんですけれども
その国際陶器市の
ポスターというものを
非常に美しい
版画作品として
作っておりますのと
もう一つバローリス市の
催し物で陶牛の
告知ポスターが
ございます
バローリスはスペインではないわけですね
フランスだけどそこで陶牛をやるってことですね
もちろん
南スツにもいくつか陶牛の文化のある
町はあったんですけれども
バローリスは全く陶牛
やってなかった町なんですが
ピカソがものすごく陶牛好きなのは
みんな知っていたので
ピカソへの感謝というか
ピカソをみんなが喜ばせたい
ということで
仮設の陶牛場を
作って
そこで陶牛を
催したと
その時の
ピカソがものすごく喜んでいる
映像なんかも残って
いるんです
ご覧いただきましたけど
あのポスター
陶牛告知のポスターの出来の良さといったら
という感じですよね
素晴らしい
僕のためにやってくれたな
ポスターを作って
何回かやったんですけど
ピカソが亡くなってからは
一回もやっていないということで
ピカソとバローリスの関係
やっぱり根付きはしなかった
ピカソのために
今全点出ているけど
全部で何点
27点
ピカソとバローリスの関係の中で
出来てきたバローリスコレクションという風に
陶館では呼んでおりますけれども
ポスター全点ございます
その中から今回10点
新種装品なんですけれども
10点で
焼き物
これまでの4回の展覧会は
いくつか半端も
ございましたけれども
ピカソのセラミックを
バンバンバンとご紹介を
したんですが
初めて周辺といいますか
バローリスとの
親密な関係というのも
ご覧いただけるようになっております
びっくりしたのは
1年目からさせてもらって
今回ポスターが新種装品的
そのうちの1点が
今まで見てきたなという
というのも
こちらのシガールの
プチシガールです
オリジナルグッズあるじゃないですか
カームのデザインが
そのポスターなんですよね
ポスター自体は
去年からお披露目だけど
その絵柄はずっと
僕も見てたなと思ったんですけど
ピカソの一連のポスターの中でも
一番やっぱり
有名といいますか
非常に心惹かれる
作品で
だから
数年後に
ポスター本体が当館に入るということを
全く予想しないままに
その
絵柄を
選び
シガールという
オリジナルの缶で
シガールの
詳細が入っている
大人気の
オリジナルグッズになるんですけれども
なかなかピカソのところも
あまり許してくれないと言ってましたよね
普通だったらそのデザインに
そうですね
担当者が大変な苦労をして
缶を作って
もちろん色構成
調査顕著に見ていただかなきゃいけないんですけど
送ったら
赤が違いますとだけコメントが返ってきて
どう違うんだ
担当者は頭抱えて
だから缶の工場の人も
いろいろ
工夫をしてくれたという
ふうに聞いております
デザインのほうも
ちょっと手描き風に
例えば線を周りに
枠を囲ったりすると
手描き風の線は
ピカソが描いた線と思われては
思われかねませんので
やめてください
なかなかな
コメントが返ってきたようで
これは
ここでしか買えないんですか
オリジナル
たまに
特別な機械に
予想でもご紹介させていくことはありますけれども
例えばパナソニックのピカソ
そうなんです
基本はこちらで
ヨックモックミュージアムの
缶ということが
明確な場合しか
お出ししません
コーヒーも
作りましたので
オリジナルコーヒーも
最近です
それも
大変ご好評いただいておりますので
うちのグッズの一番人気は
不動の
ヨックモックという
名前が付いているので
そういうプティッシュがある感と
お供のコーヒーみたいな感じですね
ぜひそちらも見ていただきたいと思います
ということでそろそろ収録が
終わりの時間になっておきましたので
改めて告知をよろしくお願いいたします
ヨックモックミュージアム
ただいま開催中の展覧会は
ピカソセラミック
見たての芸術です
会期が
12月28日
今年いっぱい
長く
皆さんを
お待ちしておりますので
月曜休館
月曜日が祝日の場合は開館しておりまして
翌平日に休館いたしますけれども
長い期間
途中さまざま
イベントなんかも交えながら
やっておりますので
ヨックモックミュージアムのイベント
ぜひお出かけいただければと思います
そして
友の会があると
友の会というのをやっておりまして
こちら1年間なんですけれども
会員招定時で
展覧会期間中何度でも
入館が無料となっております
美術館の招待券を2枚
差し上げるのと
あと1回分の
アートセッションの無料体験
アートセッションというのを
こちらの美術館でやっております
教育普及で
あと当館主催の講演会に
優先予約ができるという
お得な
個人会員が
5500円になっております
いいですね
友の会に入るもよし
まだ始めてくる方は
ボーダー来てくるもよしということですね
ぜひぜひ皆さんに
お越しいただきたいと思います
そしてアートセッション
こちらは後半にたっぷりお話し
聞けるということでございます
お二人どうもありがとうございました
後半もよろしくお願いいたします
ということで次回も
岡田さん岡田さんをゲストに
トークを続けていきたいと思います
57:40

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