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アートテラートニーのそろそろ美術の話を、この番組は私アートテラートニーがアートに関わる方をゲストにお迎えしてトークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
本日は国立西洋美術館主任研究員、新藤敦さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
ゲスト出演ありがとうございます。
ありがとうございます。よろしくお願いします。新藤です。
まさかこうやって出演してもらえるとは。
そうですか?
そうです。
この間ニコニコ美術館でご一緒させていただいて、その前もYouTubeの番組で。
今やっている展覧会の自然と人のダイアローグの展覧会、広報動画の司会を担当しています。
3人の館長さんと新藤さんと新藤さんと。
今日お会いするのが3回目。公式には3回目。
そうですね。公式には。
1回飲みに行ったから。
コロナそんなに流行る前ですから。
第7波が来る前ですから。
新藤さんが勤めている国立西洋美術館についてお話ししていけたらと思います。
僕も何度も言っていますし、リスナーさんも1,2回は少なくても言っていらっしゃると思いますが、
改めて国立西洋美術館ってどんな美術館ですか?と言われたらどう答えます?
国立西洋美術館ってとても変わった美術館だと思いませんか?
そう?いろいろと考えていくと思うけど、一般的には西洋美術の美術館の「The王道」って多分みんな思っている気がするけど。
そのことが自然に感じられる状態っていうのがとても不思議なことだと思うんです。
どういうこと?
つまり国立ですよね。
普通ナショナルミュージアムっていうと自分の国のものを示す美術館であったりとか、
ナショナルミュージアムといったらね、基本的にはそれがベースにあって、その上にもちろん他国のものが入ったりとかすることはたくさんあっても、
例えばルーブルなんかでも、一応それはいろんなヨーロッパの各地のものがあったり、それこそイスラムから古代からってあるけれども、
絵画誌なんかを描くときには、やっぱりどこかにフランス中心主義みたいなものが出てくるわけですよ。
描くはそうなるんだね。
そこに消失線が来るっていうか、消失線ってちょっと難しい言葉ですけど、
なんていうか、そういう感じに映るわけですね。
フランスだろうがイタリアだろうがイギリスだろうが。
だけども、国立西洋美術館って日本にありながら、
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例えばうちの美術館は元々松方コレクションというものを、松方光二郎という人が築いた、川崎造船場の社長だった人が築いたコレクションベースに、
1959年、昭和34年に開館してますけれども、
基本的にヨーロッパのものしかない。
それで、日本人の作家はその中に藤達があると、田中康史っていう、やはり二人日本人画家っていうのがいるんですけれども、
でも、基本的にフランスで活動してた画家なんて、両方とも、
日本人として存在しているというよりは、西洋人として持っているって感じなんですよ。
1959年に、フランス政府から既存変換された松方コレクションの中に含まれていた二人だけれども、
それは、我々にとっては日本人画家っていうよりも、実際に藤達なんかは、あれになるけど、
というよりも、扱いとして、日本人画家として、我々は見なしてないところがあるわけですよ。
実際には日本人画家だけど。
そういう例外なんかはあるにしても、日本の作家の作品を持たない。
それで、ヨーロッパ各地の現在では、松方コレクションが既存変換された時には、
ほとんどもっぱらがフランスの近代美術でしたけれども、既存変換されたものに関しては、
本当は松方コレクションっていろんなものがあったんですけど、
勢いとかもあってたんだけど、それは東北に行ったりとか、そういうのをしちゃったんですよね。
さらに言えば、もっと古い時代のものとかもいっぱいあったんですけれど、それから各国の美術があったんですが、
フランス政府から1959年に既存変換されたものは、フランスの近代美術だったっていう、ほぼほぼでしたね。
しかしその後に変わっていくわけなんですけれども、ただいずれにしても、そういうものがナショナルミュージアムとしてあると。
西洋のものだけがあって、それを我々が当たり前に国立、我々のナショナルなものとして、財産として、
つまり我々のものではない記憶というか、他者の記憶でしか、他者の記憶の産物を収集している機関をナショナルミュージアムというふうに考えることを当たり前だと思っている状況っていうのは、
これある意味で言うと世界中考えてもすごく例外的な場所なわけですよ。
これ改めて、今聞いた疑問だったんだけど、フランスから変換されるじゃないですか、松方コレクションが。
普通の美術館というか、普通の国だったら、当然東北がもともとあるわけだから、日本は。
東京国立博物館に寄贈してもよかったんだよね。普通の考え方だったら、そこのコレクションに加わっても、本来はおかしくない気がするんですよ。
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ただそこが、
ルールが違って。
1951年のサンフランシスコ交和条約って、皆さんよく世界中の教科書なんかで、日本史の教科書でご存知だと思いますけど、
吉田茂雄さんに調印したところですね。日本の主権回復が行われる場ですね。
そこで実は初めて、松方コレクション戦後に、そこまでにもともと膨大にあったものが売られたりとか、火災にあって消費したりとか、
右翼を拒絶を経て、戦後まで残ったものの中の一部ですけれども、それがフランス政府から寄贈返還してほしいっていうことを、吉田茂雄がサンフランシスコ交和条約に調印するときに初めて、
この時に返還交渉が始まるんですね。
あれなんだよね。結局、戦争で負けちゃったから、フランスに取られちゃった。
そう、敵国財産として募集されて、それで主権回復の場であったサンフランシスコ交和条約を、
あれを日本人が買ってやるんだから返してくれよって言い方なんだ。
その中で返すからには美術館を建てなさいっていうのが条件になっていくわけですね。
それで設計者にはルコルビジェが指定されていく。
フランス系の人が選ばれて。
ルコルビジェが生まれですけど、フランス人になっていくわけですね。
それから、ルコルビジェの弟子であった3人の日本人建築家がいた。
前川国夫と坂倉徹夫と吉田茂雄さんという3人の弟子がいましたから、
この3人がルコルビジェが基本設計したものに対して、実施設計を手伝うという形で国立西部美術館を建つわけですけれども、
その変換、寄贈変換という言い方をフランス政府がしたわけですが、
それをいまだに我々も使っている言葉ですけれども、
寄贈変換ってことは変換じゃないんだ。
寄贈でもあるわけです。
寄贈はしてくれたから、一応日本の国立と言ってはいいことなんだよな。
帰宅ではないから。
日本国民の財産です。
ただもちろんその中でフランス政府が、後方のアルルの審査室など変換しなかったものも当然含まれているわけですね。
国立西部美術館60周年という時にそういうのも来ていたじゃないですか。
本当は松方コレクションだったけど、結局フランスのオルセーノになっちゃった。
あれ何点がフランスが貸してくれなかった?
それはちょっと今パントで伺っています。
でも1割もないよね。
結構9割以上返してくれていたじゃない。
それの時にすごい思ったのは、逆に返された人たち可哀想だなと思う。
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後方のアルルの審査室、これはやっぱりフランスとも返せないよって言ったわけじゃない。
そうは言ってもみたいな。
とはいえ、じゃあ日本にあげてもいいやってわけじゃないだろうけど。
こっちはこれは返せないけど、これはいいよっていうことは、
もし自分が関わったら、フランスの掘りたいよって思う。
でもね、これちょっと後の話につながっていけばいいと思うんですけど、
僕は美術作品、これ今日の問題なんかにも、作品の売買の問題なんかにも関わってくるとは思うんですけど、
やっぱり近代以降、少なくとも、美術作品というのは流通するということが一つは、
動くということが、やっぱりマーケットも含めて、それからある種の労を経るということがあるわけですね。
そうすると、画家たちが例えばフランスで描いた作品が、
当然未来に日本に収蔵される、日本に住み家を持つということを考えてなかったと思うんですよ。
でもそれが起こるっていうこと、いわばこのなんか、そこで、なんていうんですかね、
想像しなかった、予期しなかった配達みたいなものが起こるっていうのは、
これは僕は美術作品のある可能性だと思うんですよ。
例えばもっと言えば、うちの美術館は今、中世の終わりやルネサンス以来、
つまり大体、1300年代とか1400年代のものから20世紀前半までのものがありますけれども、
それこそ500年前とかの画家たちが、日本という場所すら知らなかっただろうと思いますね。
そうした場合に、もちろんジパン部とかっていうふうに知られるようになっていく時代がありますけれども、
でもそれでもまさかですよ、自分の作品が西洋から見れば極東と言われる、
その日本の地にやってくることっていうのは、想像してなかったと思うんですよ。
それはよくこれ学生さんなんかにお話しするときに言うんですけど、
距離にしてみたらね、全然違うかもしれないけれど、
当時ヨーロッパの画家たちが描いたものが、何百年も前に描かれたものが、
今、日本の美術館に収蔵されている状況って、
例えて言うなら、今の画家たちが描いたものが、今のアーティストが作ったものが、
何百年後かに宇宙にあるようなものじゃないかと。
それで宇宙人が受け取っているようなものみたいなものだと思わない?っていう話をたまにするんですよ。
つまり共通言語を持たない人たちであって、
キリスト教がもともと根付いていた場所でもなかったり、
ギリシャ神話やローマの古典的な神話が共有されている場所でもない場所に行くわけですね。
それで、そこで新しいものの価値とかを、我々は見出していく場所として、
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国立西洋美術館というのはおそらくあって、
ただ、そうやって他社の記憶をいっぱい集めていく場所。
そしてその時代幅も非常に広いと。
ですから国立美術館というものの、
ナショナルミュージアムというアートミュージアムというものって、
世界中たくさんありますけど、
その中でも僕はとても異質な場所だというふうに思っていて、
そのことに対してはとても興味深く思っています。
なんかそれを聞くと、
たぶん国立西洋美術館が確かに言われたら、
あ、変わってるなと思ったけど、
今のままでそれに対して違和感を感じなかったってことは、
たぶん日本人が美術っていうと、
やっぱりどっかで西洋美術を思い浮かべちゃう国民なんだと思うんだよね。
その中で日本人の美術館も、もしかしたら、
まあ、鶏が先か卵が先かの話だと思うんだけど、
国立西洋美術館ができたからこそ、
それをもううちらはフンフンと受け取っていたのか、
逆にもともと日本人が西洋美術を、
美術=西洋美術と申すのかって、
なんか今聞いてて、すごく俺もハッとさせられたというか。
今のね、鶏が先か卵が先かの問題でいえば、
やっぱり日本人の印象派好きっていうのは、
国際的に今有名ですから、
あの、向こうで、例えばドイツなんかで、
あの、日本人の印象派好きみたいなことを、
つまり印象派の重要なコレクションがあるっていうようなことで、
それをまとめた展覧会なんかっていうものが、
何年か前に行われたりとかしたりとか、
あるいは今回エッセンに松方コレクションの休館中にですね、
貸し出したりしたのも、
まあそういう流れと無関係ではなかったりするわけなんですけれども、
要するに、こう、何て言うんですかね、
国立西洋美術館というものが、
やっぱり少なくとも、今、美術といえば西洋美術だっていうふうに思うようなことが、
日本人にとって自然になっていった。
つまりあんまり意識しなくなっていった。
不思議なことだというふうに思わなくなっていったっていうことに、
やっぱり、
世からやしかね、過端したことは確かだと思います。
で、それを、これは言ってみれば、
もちろん戦後の日本の民主主義って、
文化ではアメリカの影響がものすごく強いと思います。
ポップカルチャー、サブカルチャーにおいては。
だけれども、美術、こと美術に関しては、やっぱり未だにおフランスっていうか、
フランスのイメージってやっぱり強いと思うんですよ。
それはやっぱり例えば松方コレクションの、
フランス美術のイメージだったり、
印象派中心としたロダンの彫刻で、
印象派の絵画やロダンの彫刻であったりとか、
そういったものが作ってきたものっていうのは、
やっぱり僕は非常に重要だと思っていて、
このことは、もちろんすごくポジティブに捉えることもできますけれども、
一方では、やっぱり批判的っていう言葉って、
日本では避難するっていうふうに聞こえちゃうかもしれないですけど、
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足場とかね。
足場という意味じゃなくて、やっぱり吟味する必要があるというか、
批判的に考えるというのは、要するに吟味するという意味で、
やっぱり西洋美術館が、いわば戦後民主主義の中での、
美術といえばやっぱりフランスとか、ヨーロッパだよっていうものの、
イメージを作っていったんじゃないかということの、
やっぱり西洋美術館自身が自己批判的に通っていくようなことっていうのも、
やっぱりこれから必要になってくるんじゃないかなと個人的には思ってますね。
ちなみにこの新藤さんの見解は、他の同僚と喋ったりはする?
同僚の人たちはそんなに別にそこまで?
ちょっと突っ込んだ話ではあるので、
普段からこういう会話してるっていうわけではないですけど、
展覧会なんかで少し小出しにしてる意見ではあるので、
私がこういうことを考えてるっていうことは、
知ってくれてるというのはあるかもしれないですけども。
今、新藤さんとして来てくださってるから、
別に国立西洋美術館がこういうふうに思ってますよって話じゃないんですよね。
そこ重要ですね。そこ重要。個人として話しちゃって。
重要な意見だなと思ったけど、国立西洋美術館自身が今、
ご意見会とかそうですよね。
自分を見失い始めたのかなと。
批判じゃなくて。
でも逆だと思うんですよ。反対だと思うんですね。
むしろ自分たちの足元というか、根源を見つめ直すという作業があれだと思うんですよ。
なんで西洋美術館なのか。
もともと西洋美術館って、立つ前に先ほど、
国立西洋美術館に至る流れの中で、フランス政府から美術館を建てなさいという要請だったわけですね。
条件になったわけですね。
その時に最初は、箇所はフランス美術館だったんですよ。
もしフランス美術館になっていたら、フランスのものしか集められないですよね。
ですけれど、これが最終的には国立西洋美術館になるわけですけれども、
そのことによって、後々の広がりもカバーしていけるようになっていくわけです。
でもその時に国立美術館も良かったわけだよね。
国立美術館という名前もないわけじゃないですか。
いやいや、すでに竹橋の、
東京国立近代美術館の先なんだ。
そうです。竹橋の今の東京国立近代美術館は、当時は京橋にあって、1952年に開館しています。
そっちは先なんだ。
そうです。あっちが兄貴分なんですよ。
それに対しての国立西洋美術館になったんだ。
そうです。東京国立近代美術館は、当時は国立近代美術館という名前で、
それでそれが分派したのが京都です。
京都が京近部になる。
そうなんです。
だから今聞いて、国立西洋美術館が最初かってなんとなく思っちゃってたから、
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新種造品で日本作品をどうするんだろうと思った。現代だと思った。
そっちは国立近備とか京近備に行くんだ。
そうなったとしたら。
ですから、東近備なんかは、基本的には海外のものを集めますけど、
やっぱりベースにあるのは日本の近代美術史であったりするわけですよね。
京近備だって国際的なものを買いますけど、そういうとこありますし、
一方で大阪にある国立国際美術館は、その名の通り国際的な、
英語の中にインターナショナルとかって言葉が入ってるわけじゃないんですけどね。
英語名の中に。
でもやっぱり国際的なものをより買う姿勢っていうのは強いかなっていう風には映りますけれども、
とはいえ日本人作家のものも当然、現代作家のものは買っていくわけですね。
ですからそういう意味では、うちは完全にすごくガチガチの縛りがあって、
時代的にも、基本的には20世紀の前、第一次大戦ぐらいまで。
というのが一応の新規購入の時とかの、今後どうなるかはわかりませんけれども、
今までの不分立みたいなものがあってですね。
それでスタートは絵画なんかで言えば、中世の終わりからルネサンスにかけてがスタートラインで、
最近中世の写本とかをまとまってご寄贈いただきましたので、
それで時代の幅がちょっと広がったりともしました。
昔より昔に遡っていくことになるわけですけど、12、3世紀とかまでになりましたけれども、
そういったいろんな形でジャンルなんかも、時代なんかも広がってきていますけれども、
基本的にはすごくフレームを持っていますよね。うちの美術館というのは。
あとちょっと疑問というかあれだったんだけど、
元々スター・マツカタさんのコレクションでジャスタートするじゃないですか。
今コレクションはちなみにそこから考えたら何倍ぐらいぐらいだと考えていますか?
純粋な数だけで言ったら20倍以上ですよね。
そんなに増えてるの?
20倍以上と言ったら嘘かな。
でも20倍以上ですね。
当時が375点ぐらいだったんですよ。
当初が変換、寄贈変換された時が。
でも今6500は超えてますし、7000点近いですから。
7000点でごめんなさい。6500は超えてますから。
7000点ごめんなさい。というのはないですけど。
ですから20倍近いと思いますね。
それは毎年増えていったもんなんですか?
一気に増えた時があったりとか、そのグラデーションは?
最初の頃っていうのはある種なだらかなところもありますけれど、
一括寄贈とか、例えば東武美術館から
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道美江のまとまった版画を購入、道美江のコレクションをまとまって今1700点ぐらいの作品があるんですけど。
6500のうち道美江が1700点。
一番多い?
多いです。
ですからそういうものがあったりするんで、
一概にこの数字というのもですね、1500ぐらいあるとは言っても、
6500点あると言っても、
そのうちの大半というのは一部の作家が占めてたりもするんです。
前後は油彩じゃなくて?
油彩が実際500ちょっとですから、
版画が多いですね。
版画が4000点超えてますから。
俺の中の国立西洋美術館さんのイメージ、
一番最初に国立西洋美術館はちょっと変わっていると思いません?と言われた時に、
一応一般の方は多分国立西洋美術館は自然だと思いますよって言った中で、
俺はちょっと思ったのは、結構版画とか素描に力を入れてるなっていう印象。
これは見たいとしてる?
特にこの10年ぐらい展覧会行くと、
言い方が悪いけど、
ここちょっと出してくる感じ。
こっちは別にそんなに版画見なくていいのになと思うのに、
そうなんですか?
いやいや、今は好きなんだけど、
最初からやっぱりああっと興味持ち始めた時って、
もう本当10何年前、だからもう2004年とか5年とかに、
もう美術=油彩みたいな感じだった。
自分の中では。
と思って見に行くと、
国立西洋美術館さんはなんかちょいちょい版画素描挟んでくるイメージがなんかあって、
他の美術館に行くと、油彩がいっぱいあって、版画はちょこっとみたいな感じなんだけど、
それこそ版画だけの展覧会とかされたり、
なんかすごい版画と素描を押してくるなっていう印象はなんか、
ありました僕らは。
だから今も多分版画素描の展示室もあったりとかもあります。
個別にあります。
はい。
なんかそれぐらい、それはなんか今僕は個人的な解釈として思っているのは、
なんか日本の日本人に版画と素描の魅力を伝えようとなんか、
必死にされているのかな?
なんかこう啓蒙しようとしているのかな?と、
なんかまあ好意的に受け取ってはいるんだけど、
どうなの?意図的なのかな?
えーと、体系的にコレクション、
いつもお名前出して大丈夫だと思うんですけれども、
我々公的機関ですから、
購入にあたっては必ずその収集委員会、購入委員会というものを開きます。
で、そこでこの作品を買うに値するかどうか、この美術館にとって、
それを外部の第三社員みたいなものに、
大学の先生や、
ご専門のキュレーターの方々に来ていただいて、
審議していただくわけです。
そこで丸罰がついて、丸が出ないと購入できません。
さらに言えば、価格の妥当性というのもそこで審議されるわけです。
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で、その中でよく来ていただいているお一人が、
中橋中陵先生という、
狛井哲郎の弟子で、東京芸大で長らく、
銅板画研究室の教授に勤められた方ですけれども、
たまたま最近お話しする機会があって、
やっぱり西洋美術館もいよいよ、
体系的に西洋の版画を示すことのできるコレクションを持つようになったよね、
というのを言ってくださいましたし、
収集委員会の場でもそういうことを、
ちらほら最近、より以前にも増して、
おっしゃってくださるケースが増えています。
やっぱり日本で版画の啓蒙的な役割というと、
やっぱり町田の版画美術館だと思うんですよ。
ですけれども、うちは絵画や彫刻ももちろん持ちますけれども、
それと同時に、
例えばですね、私はもともとデューラーという画家の専門で、
ドイツの?
ドイツの、ドイツのレネサンスと呼ばれる時代を代表する画家ですけれども、
デューラーの油彩画、
板絵を買うことって、
これもうほとんど可能性的に言ったら、ほとんどじゃないですね、完全に0%です。
金額的な問題、出回らない?
出回らないです。
デューラーの新筆であるものが市場に出ることは、
これはタイムマシンでもない限り、購入できないわけですよ。
それは代々、王公貴族たちが受け継いだものが、
その後、18世紀の終わりに、
例えば、ルーブル美術館なんかが典型的にそうですけれども、
市民革命と共に誕生する美術館という制度に受け継がれるわけですよ。
もともと王公貴族のプライベートなコレクションだったものが、市民のためのものになる。
ということは、さかのぼっていくと、
これはもともと、みんな、ヨーロッパで見ているものは、
パブリックミュージアムで見ているもの、皇帝的な美術館で見ているものは、
実はさかのぼると、
市的なミュージアム、王公貴族のプライベートなものだったりするものが、
代々受け継がれているわけです。
デューラーの作品は、とりわけそういうものが多いですし、
重要な画家として当時から認識されているから、
早くから、重要な王公貴族たちのコレクションに入っていて、
それがパブリックミュージアムに引き継がれていく形になりますから、
そこ先、例えば、タイムマシンでもないと買えないというのは、
いくらタイムマシンを与えたところで、
それはしょうがないわけですよ。
出てこない?
そう。だけど、版画であればそうではないわけです。
それで、デューラーは、当館のコレクションにおいて、ある中核を成していますが、
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継続的に、
そうですね、私もですから、デューラーは、
ほぼ毎年に近いくらい、やっぱり購入、基礎になり、
版画誌の基礎になる部分ですから、
少なくとも2年に1度くらいのペースでは、
必ず購入するようにしていて、
そのための調査とか、探してくることは、継続的にずっとやってきましたね。
これ、質問です。
コレクション、一般的なコレクター、美術館ではなくて、
これ欲しいで買うわけじゃない?
デューラーが良いクサってもいいじゃん?ってなるわけじゃない?
一般のコレクター。
でも国立美術館では、そういうわけにいかなくて、
なぜなら国民のお金というか、
デューラーがまた出てきたけど、とりあえずもう1個買っとくか、
みたいな書き方はできないわけじゃない?
全然違います。
スペア買っとこう、みたいな話とかもできないじゃない?
そうです。
ということは、おそらく、なんとなく想像でいうと、
これが足りないから、ここを買い出していこう、みたいな感じだと思うのね。
だからみんな委員会とかも、これだったら買った方がいい、
となるとした時に、それを踏まえての質問なんだけど、
今国立美術館さんとしては、もしくは、新藤さんはいいけど、
何パーセントまで理想像、全部を集めるとした理想像のうち、
何パーセント達成している状態だと思います?
理想像というのは、そもそも描きにくいんですよね。
さっきも言ったようにですね。
近代の美術であれば、まだマーケットに出ているものが結構あります。
重要作品なんかでも。
その個人像だったものが売却されたりとか、市場に出回るケースってありますから、
オークションにかけられたりとか、
我々はオークションには参加できないので、
金額が決まっていて、それを委員会にかけることによって、
価格の妥当性というのを測ってもらわなきゃいけないので、
オークションには参加できないんです。
その場でどんどん値段が増え上がっていく中で、委員会で毎回やるわけにはいかない。
100万円だけど、今する?200万円だけど?
そのスーツできないもんね。
私たちとの美術館だったら違うと思います。
ただ、古い時代の美術なんかだと、
とりわけマーケットに本当の一線級の作品が出てくることは、
ごくごく稀であったりとか、
大体国際的にみんな「あの作品だよね」って知っている作品が出たのは、
なんとなく共有できるくらいのものなんですよ。
そういうものを、2012年からですかね、
当館のみならず国立美術館全体で特別購入さんが付くようになったんです。
これによって、それまでは手が届かなかったレベルの作品が、
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数億円のものっていうのが購入できるようになって、
それで徐々に増やしていってはいるんですけれども、
ただ、そういうものを使ったとしても、
先ほどの質問から一瞬遠ざかっていると思われるかもわからないですが、
そこに戻すとですね、
理想像といえば、例えばルーブルを理想像とするのか、ロンドンのナショナルギャラリーを理想像とするのか、
というようなことを言い出したら、
それはもう絶対に、先ほど申し上げたように、タイムマシンがない限り無理なんですよ。
後発組ですから。
我々のコレクション形成者なんていうのは、高田官聖教しかないわけです。
これは松方のコレクションを別にすればですよ。
特に古い時代のものなんかはそうです。
そうすると、理想像というのは、そもそもどこにあるんだろうということを、
常に考えなければならない状態にあるんだと思います。
それを常に考え続けるということが我々の責任だし、
それからその中で何が足りないかというのを常に考えています。
これは学芸員みんな考えています。
一応でも一通り、ルネッサンスから20世紀、先ほど戦前と言っていたけど、
俺が見ている限り、素人も。
一応一通り揃っている気はするの?
バロックだけないとかそういうこともないから、
そういう意味では一応体系だってはいるって考えていい?
それとも、あそこらへんがもっと弱いなって思っているとこもある?
例えば、今回、自然と人のダイアログなんかで来ている、
ドイツロマン主義の画家たち、フリードリーキとか、
フォルクワングミュージックス館からお借りしている、
ドイツロマン主義の画家たちの作品なんかは、
私はドイツ語圏の美術専攻なので、
購入できていないことに対して、責任の一端はあると言うべきですけれども、
やっぱりそのあたりは歯抜けですよね。
それから、新古典主義と呼ばれる時代が弱かったりとか、
アングルとか。
アングルとか買おうとすると、これはちょっと難しいですけど、
あるいは初期年でランド絵画と呼ばれるものなんかでも、
市場に出回る絵画なんかは、本当になかなか難しいんですけれども、
なかなかもっと購入の余地があったりとか、
あるいは充実している17世紀のオランダ絵画とかでも、
ジャンルによっては、例えば肖像画がないとか、室内画がないとか、
いろんなことがあるわけですよ。
それから近代なんかでも、最近ではフランス中心だけじゃなくて、
ドイツのものであったり、北欧のものであったり、
そういうものを積極的に買っていこうとか、
あるいは、女性の画家の作品が、
前館長のマブチー・アキコさんという先生が、
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強く推し進められましたけれども、
女性画家の作品を購入していこうということで、
ベルト・モリゾンの作品を入れたりとか、
そういったこともやってますけど、
まだまだ続けなければならないことだと思ってます。
結構多かったら集まってるような気がするけど、
そうでなくてまだまだな。
もう我々にとっては欲しいものだらけです。
もう常に渇望している状態ですね。
でも、これこそね、ニコニコ動画で出た時にも教えてもらったけど、
最近いいの買ったっていうね。
ああ、ガレン・カレラ。
覚えましたけど。
そうですから、北欧なんかに、
ちょっとあれは、都市的な購入という比喩が正しいかどうか分かりませんけれども、
きちんと繋ぐことは、なかなか既存のコレクション、我々の、
既存の近代絵画のコレクションとうまく接続するには、
間がちょっと抜けてる感じなんですよ。
連想ゲームじゃないけど、
この作品とこの作品があるからガレン・カレラと繋がってみたいな。
例えば、ハンマー総理という画家を、
北欧のヘルメルみたいな。
しばらく前に買ってますけれども、
10年近く、10年くらい前ですね。
ですけど、ハンマー総理も都市的に購入したわけですけど、
これはデンマークの画家ですね。
ガレン・カレラはフィンランドの国民的な画家ですけれども、
しかし、2人とも異なるスタイルを持っている画家ですし、
方法論を持っている画家ですから、
2つを並べるというだけで、
北欧というコーナーをにややかに作ることができても、
何かもう少し別の文脈を差し込むことができるかといったら、
まだうちのコレクションは十分じゃなかったりすると思うんです。
ですから、展示するにも工夫が必要になってきますね。
そこら辺を、今例えば、自分なんかドイツ語圏の美術師ですから、
やっぱりその飛び石になっているところをどういう風に埋めていくかみたいなことを、
ガレン・カレラに繋がっていくような、
既存のフランスの中心としたコレクションと、
近代美術とガレン・カレラと繋ぐようなところの間を
ちょっと考えなきゃいけないなとかですね。
そういうことはやっぱり思いますね。
常に考えているんですか?
そうですね。
でも作品としては本当にいいものだって言ってたもんね。
それはもう、ロンドンのナショナルギャラリーにバージョン違いのものがあって、
それが非常に世界的に話題になった。
それ全く同じバージョンの4枚あってですね。
それが『ケイテレコ』だった?
『ケイテレコ』
ミズウミを描いた絵ね。
今、自然と人のダイアログに出していて、
4バージョンの1バージョン?
一番大きなサイズのものなんですけれども、
非常にその中でもいいものだと思います。
こういうニュースがもっと流れりゃいいのになって思うの。
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せっかくすごくいいものを買って、
っていうことを聞いて初めて、
そんなにすごいものを買ってたんだって思うんだけど、
あんまり、別に隠してはないはずなんだけど、
もっとみんなメディアが取り上げてくれたらいいよね。
こんなにいいものを買ったぞ、日本にあるぜみたいな。
我々の情報発信の仕方の問題もやっぱりあると思っていて、
そのあたりは今、美術館自体の広報力をどうやって高めようかということは、
いろんな形で検討しています。
私自身はそのチームには入っていませんけれども、
強化していこうとしているところではあります。
ただ、やっぱりガレンガレラに限らずですね、
例えば、2018年に、
例えば、自分が購入に担当した、
クラナハの遺体、ユリットの作品を買ったんですけど、
あれなんかでも、もうちょい話題になってくれてもいいのになって正直思いましたね。
あれが、つい最近で言えば、スルバランという画家の大きな大作が入ったんですけれども、
スルバランはスペインの?
スペインの、スペインマロックの作家ですけれども、
とかなんかもそうですし、
クラナハのすごさは、今ここで言えばいいですか?
すごく小さな絵ですけれど、
例えばユリットの絵っていうのは、
やっぱりもうそんなに、たくさん描いてはいますけれども、
先ほど言ったように、
基本的にはもう王国貴族たちのコレクションから、
ミュージアムに入っていくっていう流れの中に、歴史を辿ってきているわけですね。
あれは、紅釈迦や白釈迦をずっと、うちに入ったものに関しては、
紅釈迦や白釈迦を代々こう受け継がれてきて、
それで、20世紀になって、
プライベートコレクションになっていく中で、
20世紀を通してずっと21世紀に入るまで、
プライベートコレクションとしてあったので、
たまたま売られてなかったので、ミュージアムに入りましたけれども、
ユリットって、クラナハの作品の中でも非常に中心的な課題ですし、
首を切った人、ホロフェルネスが持っているやつ。
自分の国がですね、
故郷がホロフェルネスという敵将を率いる軍勢に襲われた時に、
ユリットという勇敢な女性が、
彼を先に追わせて斬首するという、
特に首を切った女の人。
そして、故郷を救ったという物語のヒロインなんですけれども、
それを、2016年にクラナハでやった時に、
非常に世界的にもマスターピースである、
ウィーン美術師美術館のユリットをお借りしましたけれども、
それなんかは、1700年の時点でハプスブルッケのコレクションになっていたことが、
おそらくとも1700年ですよ。
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時点でハプスブルッケのコレクションになっていたことが分かっているわけです。
ということは、まさにタイムマシンでないと変えないわけですよ。
そう考えると、いくら小さなユリットとはいえ、
やっぱりこういうものが、さっき言ったような意味で、
クラナハなんかがね、日本に後々自分の作品がやってくるだろうなんて、
考えて書いてないですよ。当然のことだから。
それこそ我々は、宇宙人として受け取っているようなものかもしれないわけですね。
距離の感覚で言えば。
それをしかし、やっぱり、それを鑑賞しながら何か感じたりとか、
見たりとか、物を考えたりすることができると。
これってやっぱり一種の、時間をまたいたコミュニケーション可能性みたいなことの、
非常に重要な話だと思うんですよ。
取り上げてほしいという、さっきの話とちょっとずれてきますけれども、
やっぱりそういう風に、美術作品というのは、
時代を越える、時空を越えることができるので、
そしてその中で、一種暗号みたいなものが、どんどん受け継がれていって、
それで新しい解釈が生まれてきたりとか、
もともとキリスト教であったりとか、
ヨーロッパの言語を持たない人間たちが、
そこで新しくそれらと出会ってやることで、
新しい見え方がしてくるかもしれませんし、
何か新しい想像につながるかもしれない。
そういったことが起こるというのが、やっぱり芸術作品の可能性だと思っているので、
そういう意味では、我々の美術館というものが、
日本にあることの一つの意義というのがあると思いますしね。
今聞いていると、ちょっと勇気づけられたなと思ったのは、
やっぱり一般の人って、美術って難しいとか、わからないって言うじゃない。
そうだなと思う側面もあると思うけど、
でも今のシームさんの話を聞くと、
美術作品って言ったら宇宙人と出会っているようなものだから。
シームさんから見てもそう思うんだけど。
だからやっぱり一般の人も、宇宙人と出会うくらいの気持ちもあるかなと思うと、
逆に言うと、それはわかるわかんないで語るものでもないと思うけど、
わかんなくて当然なのかなと思う。
特に西洋の美術作品というのは、
向こうの画家たちが持っていた、その時代その時代で変わっていく、
あるローカルに共有されていた言語であるとか、
表現の言語であるとか、図像学であったりとか、
それから技術的な面でもそうですね、技法的な面でもそうですし、
いろんなものが詰まった、一種の暗号みたいなものだと思っていただければいいと思うんですよ。
それをデコードするためには、暗号ってコードって言いますよね。
それをデコード、つまり解読するためには、
いろんなキーが必要になって、デコードキーが必要になってくる。
しかしそれは、我々専門家にとっても、
デコードキーが十分ではない場合っていうのはしばしばあることで、
42:02
要するにやっぱり考え続けない。
例えば私、リューラーの専門って言いますけれども、
リューラーの作品でわかんないものなんて本当に山ほどありますよ。
だからこそ続けるわけです。
ひたすら。やっぱりそれは、リューラーの研究とかもちょっとサボってるところあるわけで、
でも毎年のように作品買ったりとかする中で、
調査は実は外に発表するもの以外とかでもいろいろ書いたりとかしなきゃいけないんですよ。
購入にかけるには論文みたいなものを書かなきゃいけないんですよ。
そうすると論文に、論文までは行かないですけど、調査表というか調査ノートみたいなもの。
それは結構かなり真剣なものであって、シビアなものであって、
そういう中で、そういうふうにいろいろ調査、ずっと途切れなくリューラーのことを考えてきてますけれども、
でもやっぱりわかんないことだらけですね。
それでやっぱりだからこそ続けられるわけですよ。
わからないからこそ、われわれはそれについて考え続けるし、
でもそこに何かがあるとやっぱり思ってるからですよね。
それはいろんな方向から、例えば、
カイドクの切り口を入れた時に、いろんな角度から応答してくれるわけですね。
例えばリューラーなんかそうですけどね、とりわけ。
それは別にさっき言ったスルバランとか誰でもいいんです。ガレンカレラとかでも誰でもいいんです。
モネであってもかまいません。
やっぱりそれは、われわれはもともと共通言語を持ってないし、時代の隔たりもあって、
それで失われていった記憶というものもたくさんあります。その間に。
ですから文献を調べているだけでわからないこともたくさんありますし、
そのためにはやっぱり深くいろいろなことを学んで、
ですから知ることを通じて、それである一部分がわかったりとか、
でもやっぱり、ただ、わかろうとする努力というんですかね。
やっぱりそういうものはわれわれは必要だと思いますし、
すごく学研院なんかに求められるものは、
知識を伝えてくださいというようなところがちょっとあるわけですけど、
解説をしてくださいという言い方をされるわけですけど、
本当に伝えなければならないことというのは、
本当はわかろうとするその姿勢なのかもしれないですね。
ある意味で言えば。
みんなもそうだよってことだよね。見る人も。
そういうことですね。程度の差ですから。結局のところ。
知識の量というのは。
それは例えば、トニーさんの方が、
私なんかより音楽の知識が圧倒的に詳しいと仮にしましょう。
当然お笑いのこととか、私なんかはど素人で、
そしたらお笑いのどういうポイントで、
ここで笑いが生じるかとかっていったようなこととかっていうのは、
45:00
例えばテクニックとかいっぱいあるわけじゃないですか。
それからトレンドもあるわけですよね。
時代に応じてそのポイントも変わってくるわけですよね。
そこには歴史があるわけですね。
それがしかしきちんと継承されなくて断絶したりすると、
途端に後の時代にはデコードできなくなったりする。
笑えないものになったりするわけですよね。
それ単に古びてるからとかっていうよりも、
デコードキーを忘れてしまっているからっていうのが、
継承されていなかったりするケースってあるわけじゃないですか。
それと一緒で美術作品も、
失われたリンクみたいなものがあったりすると、
やっぱりあれこれってここの部分は分からないなとか、
あるいは画家も完全に意味を単一のものとして作っているわけじゃないわけですよ。
そうすると、曖昧に残している部分っていうのは常にあったりするわけです。
だからといってそのことに我々開き直って、
ここはもう分からないよっていうふうに、
開き直るだけじゃダメなんですね。
なぜそれが不確定性を持つかみたいなことまで語らなきゃいけないわけですけれども、
でもやっぱりそういうことを含めて、
やっぱり分かろうとするという努力っていうのは、
伝えていくべきかなというふうに思いますね。
ちなみにさっき真淵館長の話で言っていた、
基本的に館長さんの意向っていうのは結構大事だったりするんですか?
コレクション形成に関しては。
ケースバイケースですけれど、
基本的に我々はすごくフェアな、
みんなが購入候補作品を持ち寄って、
それでどれが今年買うに妥当かというのを、
金額的な問題もあったりもしますけれども、
ディスカッションするんです。
ですからその中で館長が出してくる場合もあり、
もちろん最終的な責任というのは、やっぱり館長に行きますから、
その意味では館長が責任を負わなければならないので、
やっぱり館長の意向というのは当然強く働きはします。
もちろんです。
ただし、それで決まっているかというとそうではなくて、
やっぱりそのプロセスというのは、
非常にある意味では民主的な議論というか、
それはやっぱり我々はあくまでも、
自分の個人的に買いたいものとか、
趣味で買いたいものを買っているわけじゃないわけですよ。
税金で買っているわけですから、
あくまでも公共財産を買っているわけですね。
要するに我々は代理人に過ぎないわけですね。
だから館長の意向のみで動いているというのは違いますね。
そうか、だからみんなが持ち寄ってきたけど、
最終的には俺が館長だから、
俺の言うことを聞けにはならないんだね。
ただし、やっぱり最後の非常に難しい判断なんかの時には、
館長のご判断を仰ぎます。
ちなみに今まで歴代の館長と結構いたもんですね。
そうです。もちろんです。もちろんです。
とりわけ今、常設展なんかでも紹介しているんですけど、
第二代の館長の山田智三郎さんという人がいて、
智三郎さんはどういう人ですか?
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知恵の智だ。
知恵の智ですね。
この方は戦前から活動されていた方で、
ドイツで勉強されて、ドイツで博士論文とか書かれて、
後期バロックとかっていう時代を研究されていたんですけれども、
日本語バージョンなんかも戦中に出版されたりしてますけれども、
そういう方なんですよ。
山田智三郎という人が、
1968年、これは西洋美術館が1959年に開館してから9年ものことなんですけれども、
就任直後からコレクション形成の方法を一挙に変えたんですよ。
それまでというのは、基礎を変換された松方コレクションをベースにして、
それを保管していくような形で、
フランス近代を中心としたものをちょっと買い足したりはしてたんです。
なんですけれども、そこで山田智三郎さんが館長になって、
68年に、例えばそれこそですね、
クラナッハの月生まねの祈りっていう作品があるんですけど、
これは山田智三郎さんがユネスコの出張で、
お仕事でヨーロッパに出張行ってる時に見つけてきて、
ちょっとこれ買おうとなったわけです。
それで、本人、館長直々に当時の資料を漁るとですね、
ヨーロッパの専門家たちとやり取りしたり、
アメリカの専門家たちとやり取りして、
この作品に間違いがないかということを調べてですね、
その年に他にも2点、
オールドマスターと言われる古い時代の画家の作品を買ってるんですよ。
てことは、先代というか、フランス中心にしようと言ってるのからしたら、
全然離れちゃってるんですね。
そうなんです。
その時にドイツ絵画とイタリアの古い絵画が購入として入ったんです。
実は帰宅っていう形では、
旧松方コレクションのオールドマスターっていうのは、
それ以前からあったんですけども、
帰宅されてはいたんですけども、
しかし、購入という形で、
そこで収集方針を変えちゃったわけです。
勘としてってことなんだろうね、それは。
それで、その後、山内三郎さんが館長を長らく勤められるわけですけど、
お辞めになった直後にですね、文章を残されていて、
自分が館長の機関だった時期に方針転換を図ったと。
これで、松方コレクションを中心とするフランスの美術だけでは、
近代美術だけではなくて、
まさに中世の終わり、ルネサンスから近代までの幅広い、
多様な美っていう言い方をなさってましたけれども、
集めていける場所。
51:00
そして、それから西洋美術館は、
生きた知識を人々が得られる場所になっていかねばならない、
という言葉を書かれていたりとかですね。
その時に、ロンドンナショナルギャラリーみたいなものとか、
一種モデルにするような言葉みたいなものも語られたりしていますけれども、
非常に重要な方針転換をなさったわけです。
そうしなかったら、今の西洋美術館は全く姿が違います。
それだから、さっきの話に繋がるんだなと思って。
ガリレン彼らが買ったって言って、
やったじゃん、いいの買ったよと思ったけど、
どう思ったか、素人だから。
でも、新富士さんはその時に、今のこれを繋がなきゃいけないって言ってた。
これまさに今、たぶんそうで、
結構飛んだものを買ってくれたわけじゃない?
田中さんが。
だからこの間埋められた。
あと山田さん。
山田さんが買ったものが、ちょっと前の新古典初期とかだったら、
さらに前のイタリアとかルネスタンスを集めたかどうかわからないけど、
だいぶ飛んだものを買ってくれたことによって、
この間埋めていかなきゃいけなくなったから、
今のことになったんだと思うと、
すごい良いとこ買ってくれたなって思った。
これはさっき言ったような、
日本で見られる、
つまり当時が形が意識しなかったであろう日本という場所に、
作品が届くための条件にもなっただろうし、
古いものがですね。
と同時に日本で、もちろん東京富士美術館さんのように、
古い時代の絵画を持ってらっしゃる、
ヨーロッパの絵画を持ってらっしゃる山崎雅久さんなんかも、
ロボコの絵画以上に持ってらっしゃるとか、
ヨーロッパの絵画を持ってらっしゃる。
とはいえ、国立西洋美術館という場所は、
一応その通しで、
中世の終わりから20世紀の前半までというのを、
見られる場所になっていくにあたって、
山崎さんの成果というのは、
僕はもっと強調していくべきだろうと思っていて、
これはやっぱり日本の中で、
松片コレクションの話はこれまでたくさんされてきているんですけれども、
こうやって開館して以後の歴史というものも、
今展示の中で一部紹介していますけれども、
やっぱり我々もっと外に向かって、
伝えていく必要があるかなと思いますし、
なぜ今の我々の美術館の姿になっているか、
どういう方針でコレクション形成をやってきたか、
そしてしているかということを、
やっぱり発信していく必要があるんじゃないかなというのは思っていますし、
だから本当に飛び石をしてくれたことによって、
広がって、
そのことによって、
日本で見られる美術作品の地域や時代というものが、
もうはるかに幅広くなったわけですね。
たしかにね。
もちろん山崎さんの転換も素晴らしかったけど、
そこからさらに1968年にそこからなって、
今2022年までに、
54:00
間埋めていった人たちもすごいよね。
それはできないですね。
先輩たちには本当に、
すごい努力があったと本当に思っています。
多分すごく言い方を選んで言うけど、
印象派だけの方が、
もしかしたら一般の人は好きな人もいたかもしれないですね。
当然ですね。
なぜこの間のどうでもいいのがあるんだろうって思う人もいるわけじゃない。
印象派が好きな人からしたら。
だけど、
多分そうは言っても買ってくれた人たちがいたから、
通しが見られるんだよなっていうのも今、あえて思ったと思う。
通しがですね、
通しっていうのはどうすればいいか、非常に教科書的で、
つまらないものっていう感じがするかもしれませんけど、
地味に見えちゃうかもしれないけど。
でもやっぱり、
僕なんかも変化球みたいなものの見方をするのが、
やっぱりどちらかというと好きなタイプなんですけど、
ですけど、やっぱりそこのベースには、
やっぱりきちんとした歴史観というものが、
それは単一じゃないんですよ。
複数の地域や複数の歴史が複数に走ってるっていうようなイメージです。
実際に、例えばコルビジュの空間の中にゴールドマスターを今展示してるわけですけれども、
これはもうしばらくそうですね。
で、そういう中でいうと、
コルビジュの空間って人筆書きのように一見思いますけど、
結構壁面がバラバラとしてるじゃないですか。
一方通行に見えるけどね。
見えるけど、実際に一方通行がある。
小道みたいなのがいっぱいあるもんね。
そう、小道がいっぱいある。おっしゃる通り、いい理由ですね。
ありがとうございます。
そう、で、そうすると、その小道なんかを使うと、
例えばこっちの壁はイタリアだけれども、
こっちはスペインにできるとかね、
こっちはネーデルラントとかの柵にできるとか、
こっちはオランダの海外にできるとか、
いろんな軸線が走ってるっていう感じの作り方ができるんですよ。
で、その中で、しかし、やっぱりいつ行ってもこの作品は見られるよね、
というようなところもうちは大事にしていて、
それは一つには、我々がしばしば一軍と呼ぶような
ゴールドマッサーの作品というのは、
展示しているのはほとんど全てであるからというのもあるんですけど、
でもそれでもだいぶ数が増えてきましたよね。
入れ替えなんかもしてますし、
やっぱりそういう、山田知沙風呂が言ったところの、
多種多様の美っていうか、
そういうもの、私の言い方で言えば、
複数の価値観とか、複数の記憶の在り方ってもの、
過去の記憶の在り方ってもの、
地域とか時代によって異なるものってたちが、
共存しながら言い合わせているような状況っていうのが、
やっぱり出来上がっているっていうのが、
これは、やっぱりこれまでコレクション形成をしてきた先輩たち、
先輩方の成果だと思いますし、
57:01
我々もそれを築いていかなきゃいけないというふうに思ってますね。
いや、なんか素晴らしい話を聞けたなと思うし、
これ聞いた上でもう一回情節点みたいなと。
でもね、それで申し上げると、
今回リニューアルオープンを、
今年の4月に行ったわけです。
2020年の4月に。
最初の自然と人のダイアログが始まったのが6月からですから、
展覧会特別展ですね。
そう、特別展は。
最初、情節展だけ開けたんですよ。
そう、4月からの段階でね。
はい、2ヶ月くらい。
最初はですね、どうなるんだろうなって思ってたんです。
一般の人は特別展を見て、ついでに情節展を見るみたいな人が多いけど、
その情節展オンリーの2ヶ月間。
何だったら普通の場合は企画展だけ見て、
私もしばしば学生時代そういうことをよくやってたわけですけど、
企画展だけ見て情節展は見ずに帰っちゃうというケースがよくあるわけです。
実際入場者数もかなりの差があるわけなんですよ。
本当は一緒に見れるのにね。
一緒に見られるんですけどチケットで。
ですけど、情節展をご覧にならない方が多いんで、
実際に情節展だけ開けたところでリニューアルした時に、
どういう感じで受け止められるのかなっていうのをずっと思ってたんです。
もちろんその中で、今回コレクションインフォーカスというようなことで、
さっきの山内三郎の業績を紹介したりとかもしたりもしてるんですけれども、
新しい試みなんかを情節展の中で行いつつも、
情節だけだと来場なさってくださる方々にどれくらいインパクトがあるかなと思ったら、
結構反応を拝見していると、
それだけで改めてコレクションの良さみたいなものを言ってくださる方が非常に多かったことに、
私はかなり感銘を受けました。
やっぱりコレクションだけでこれだけ。
ミュージアムというものの大前提はコレクションです。
つまりコレクションのない美術館、日本語では美術館と呼ぶんですけれど、
コレクションのない場所のことも。
例えば国立新美術館がそうです。
国立新美術館と呼んでますけれども、
あそこは英語面はナショナルアートセンターなんですよ。
いざ長谷さんがそれを2回前におっしゃっていただきました。
これはコレクションがないからなんですよ。
美術館の最たる基礎というのは、
展覧会でもありますけどその都度変わっていく。
時期ごとに変わっていく特別展でもありますけど、
やっぱり変わらないコレクションがあるということなんですよ。
これを大事にしないことには、美術館は美術館に足りないわけですね。
ですからミュージアムの最低限のベースにして、
そしてやっぱり最大の可能性であるのはコレクションだと思ってますね。
じゃあ自然と人のダイアログの告知はもういいですね。
いやいやいや。ごめんなさい。
見どころは自然と人のダイアログの見どころは、
1:00:03
僕と新富士さんと神賀岡さんが出ているニコニコ美術館を見ていただければ分かります。
9月11日日曜日までやってますので、ぜひご覧ください。
そして見どころを知りたい方はニコニコ美術館を登録していただければ無料で見れますので、そちらで見ていただければいいですね。
登録しないと見られないでしたっけ?
登録しなくても見られますので、見ていただければいいです。
そしてそちらも見つつ、常設展コレクションも見ていただければいいですね。
まだまだ伺っていきたいんですけども、それは後半ということでございまして、
あと10月にも展覧会があるんですよね?
そうですね。ベルクブリューン美術館というところから、
ベルクブリューンコレクションという劇ですね。
これもドイツからですけれども、ピカソとその時代という展覧会が10月から始まりますので、
こちらもぜひ合わせてチェックしていただけましたら、
私は全然担当と関係がないですけど、でも申し上げておきます。
そういう時も当然常設展示は見れますので、皆さん見ていただけたらと思います。
ということであっという間の前半でしたけれども、後半もどうぞよろしくお願いいたします。
こちらこそよろしくお願いします。
はい、ということで次回は新富士山のご経歴を交えつつ、
さらに美術についての話をしていきたいと思います。
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