1. そろそろ美術の話を...
  2. #066 美術史と美術批評の違い..
2022-09-10 1:01:45

#066 美術史と美術批評の違いについて(国立西洋美術館主任研究員 新藤淳)

国立西洋美術館主任研究員 新藤淳さんをゲストに芸術作品の捉え方や国立西洋美術館のコレクション形成についてお聞きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/066 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

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Guest Profile

新藤淳 (しんふじ あつし)

  • 1982年生まれ。美術史、美術批評。国立西洋美術館主任研究員。共著書に『版画の写像学』(ありな書房)、『ウィーン 総合芸術に宿る夢』(竹林舎)、『ドイツ・ルネサンスの挑戦』(東京美術)など。
  • 展覧会企画(共同キュレーションを含む)に「かたちは、うつる」(2009年)、「フェルディナント・ホドラー展」(2014-15年)、「No Museum, No Life?-これからの美術館事典」(2015年)、「クラーナハ展 ―500 年後の誘惑」(2016-17年)、特別展示「リヒター|クールベ」(2018-19年)、「山形で考える西洋美術|高岡で考える西洋美術──〈ここ〉と〈遠く〉が触れるとき」(2021年)など。

Show Notes

美術に興味を持った時期の話題

美術を学び始めたときの話題

新藤さんが担当した美術展の話題

00:00
(音楽)
はい、アートテラーとにぃのそろそろ美術の話を、この番組は私アートテラーとにぃがアートに関わる方をゲストにお迎えしてトークを繰り広げるポストキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、国立西洋美術館主任研究員新富士敦史さんをゲストにトークしていきたいと思います。
(音楽)
ということで、後半もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前半もね、結構いっぱい喋りましたね。
そうですね、ちょっと喋りすぎちゃったかもしれない。
そして、収録には載ってないですけど、前半と後半の間が今一番盛り上がってました。
そうです、そうです。
ちょっと今もう、等しいことを待っているんだけどね。
この後後半あるんですけども、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。新富士です。よろしくお願いします。
ということで、毎回皆さんに聞いてるんですけど、ゲストに来た方、皆さんにいつから技術に興味を持っていましたか?
これをちょっとぜひぜひ。
今回、こういうお話いただいて、ゲスト宣言の話。
ゲスト宣言の話。
ゲスト宣言の話いただいて、自分の話もしてみたいなことなのかなみたいなことがあったんで、
僕がいただいてたペーパーの中に、率直に言って、本音ですよ。何の謙遜でもなく、
自分語りなんていうのができる人間は、それは本当に一端の仕事をやった人間がやれることなので、
僕なんぞが、自分語りをまだまだできるようなことは僕は何一つしてないと正直思うんで、
そう、正直言うと、おこがましいって思ってますね。
これを今、1L流しちゃうと、流れるんですけど、次からのゲストがすげーやりづらいと思う。
いや、それは個人の方のあれなんで、僕はそういう風に思っちゃいますね。
ただただ、
雑談ベースで。
ただ、雑談ベースで言うと、すごく話し出せばキリはないですよ。自分のこととかで、美術に関心を持ち始めたこととかのきっかけって言ったら、
これは本当にキリはないんですが、一つだけ言えることは、私はおそらくちょっと例外的なところがあるとすれば、
美術が嫌いなところからスタートしてるってことです。
おー、ほうほうほうほう。
あるいは、美術というものが自分にとっての最大のコンプレックスだったかもしれないっていうところからスタートしてるっていうのは、子供の頃。
でもね、そしたら俺と似てるかもよ。
本当ですか?
だけど、うちは、これ多分この番組で言ってるけど、うちはお父さんが日本画描いてたんだけど、それを見に行かされてた。年に1回出品してるの。
お父さんの絵は別に好きなんだけど、日本画。
ちょっと待って、日本画家であるってこの絵で言ってなかったことないですか?
日本画を描いてるアマチュアです。本業は全然違うんで。
03:07
いやー、ちょっと今その話初めて聞いたわ。ちょっとずるいわ、ここで出してくるの。
いやいやいや、だから。
そうなんですか?
ここで出してくるんですけど。
いやいや、違う。そっちはちょっと話さなきゃいけないな。
だから、それでこの番組にも行ってことなんだけど、それでね、お父さんが日本画出してるんですけど、その会だから、そういう美術団体だから、洋画とかもあるわけ。
その中に洋画で、行くから見るじゃん、子供ながらに。ヌード画が多かったの。
それですごく嫌なの。子供ながらにじろじろ出ちゃいけないんだと思って。
だから、お父さんに連れていかれなくなってからは、美術館は行かない。自発的には。
描くのはどうでした?
描くのも苦手だったから。
あのね、俺ね、自分でもなんだけど、色塗りするまではそれなりにいけん。色塗り飽きちゃうから、適当に塗って先生か学会するみたいな。
大山くんは途中まで良かったのに。だから、描くのもあんま得意じゃないし、好きでもないし、見るのも好きじゃないから、本当に美術館。美術好きじゃなかったよ、俺は。
だけどある時期に目覚めたわけですね。
そうそうそう。
それは非常によく似てます。
じゃあ、なんで嫌いだったの?それ。
私も、だから自分語りしたくないとか言いながら、そこまで振られると、もうちょっと語らざるを得なくなりましたけど。
もう頼めますよ。
うちも父がアーティストだったんですよ。それでアーティストだったといっても、私広島生まれて広島育ちなんですけど、18歳まで大学で上京するまでは広島で育ったんですが、
父は高校の美術の先生をやりながら、現代美術のアーティスト活動をやっている人でした。
若い頃は東京でやってたんで、発表してたんで、私が物心ついてからも、何度も銀座、当時はまだ菓子ガローの時代ですから、
90年代とか、今みたいなコマーシャルギャラリーとかがバンバンといった時代じゃないんで、菓子ガローを借りてコテンやったりとかして、東京に連れてってもらったりとか何度もありましたし、
そういった感じで、彼の作品が家の中にあり、制作の現場があり、それから美術館にもしょっちゅう連れていかれる。
自分にとっての現代圏の美術館というのは、広島市現代美術館という場所で、広島市現代美術館というのは日本で初めてできた、効率の現代美術館なんです。
これが私が小学校1年生の時、平成元年、1989年にできました。我々小学校1年生って平成元年入学じゃないですか。
大学は2001年に入学。21世紀最初の年でしょ。その世代なんですよね。
そうなん。分かる分かる。
平成元年にできて、そこで当時の子供の私にとって見たら、美術館に行くよって言ったら、どこどこ美術館じゃないんですよ。
06:05
もう肘山っていうところにある広島の。
山の中にあるのね。
そういう名詞、広島市現代美術館に行くよじゃないんですよ。美術館に行くよと言えば、もうそこのことなんですよ。
広島美術館とかもあるじゃん。
あるけれども、
もう美術館と言ったらそうなの?
父の中では、もうやっぱり現代美術の書なので、あとはそこの公募展なんかにも出してて、賞をいただいたりしたりしたりしたりしたり、最初の時に。
そういったことで、晩年はもう本当にグズグズの書でしたけど、だし人間的にはもう本当に無茶苦茶な書でしたから、とにかく10年前に亡くなったんですけれども。
で、画家の息子だとかって、やっぱり思われるじゃない?だから、とにさんも経験なさってるように。
俺はね、そんな大事な親父じゃなくて、俺もちょっと親父も去年亡くなっちゃってるんだけど。
そうですか。
でも、画家としては食べていけなかった。
だから私も、私のところもそうですよ。
でも、去年亡くなった後に聞いたので言うと、30代の時には教えてたらしい。だからそれぐらいのことはしてたんだなと思って、それは知らなかった。
そこも共通点なんだね。名前とそっちだけで。
もしかすると、アーティストの息子に生まれたアツシという名前の人間は、何かコンプレックスを抱えるようにできてるのかもしれないけど、ある偶然。
他にいない人がいる。
偶然かもしれないけど。
でも、俺の場合は、たぶん、そんな周りの人がアッチって言われたけど、アッチのお父さんが画家とは思ってなかったからあんまり。
だから画家の息子って言い方。家に友達が遊びに来たら、うちにはいっぱい絵が飾ってあって、絵を描いてるのは知ってたと思うけど。
シームさんなんて言われたの?子供の時。
勝手に自分の中で、自意識の問題なんでしょうね。
画家の息子なのに、もっと絵が描ける子っていっぱいいたし、あと、やっぱり漫画の上手な子とか、クラスの中で漫画を自分で創作しては、みんなに読ませてくれる、楽しく読ませてくれる人気者とかいたじゃないですか。
やっぱり、そういう子はすごいなと思ってて、自分にはそういうこともできない。
画家の息子なのに、絵が上手じゃない自分っていうのがいて、それが段々段々コンプレックスになっていったようなところであって、
でも、それがね、しかし、思春期っていうものを迎えていく中で、いろんなものに関心が出てきて、
例えば、それまでは読書嫌いだったのに、言葉というものに興味が出てきたりとか、あるいは自分の場合は、どちらかというと視覚的なもの、ビジュアルなもの、あるいはクリエイティブなものに関して言えば、
ファッションとか結構入り口でしたけれど、あとサブカルチャー全般ですかね、海外のものとか含めて、
そういったものが入り口にもなったりしてきて、それでそうこうしているうちに、やっぱり大学どうしようということを高校1年生も入ってすぐ考えたわけですけど、
09:12
父がちょっとある人に合わせてくれて、その人は美術の人というわけじゃなかったんですけど、非常にかっこいい大人に東京の書院で合わせてくれて、
そのうちに、自分ひょっとすると、美術というかこういう、美術にもいろんなアプローチの仕方があるんだなということを分かってきて、
書くとかクリエイトするだけではなくて、
その時期に父がこういうものを読むといいとかっていうので、何十年も昔の批評家の文章とかを古い美術手帳とかを引っ張り出してきて、これを読めとかって言って、読んでもわけわかんない。
最初はとにかく、僕の中で父に対するコンプレックスというのは、現代美術っていうのは、結局初戦はこんなわけわかんないことやって、それでなんか目くらまししてんでしょって思ってたわけですよ。
でもそれは自分の中の言い訳で、本当は何かがあるに違いないって思ってたわけですね。
それで高校時代とかに、自発的に美術館に行くようになってきて、そうこうしているうちに、だんだん自分の中で惹かれる、例えばコンセプチャルアートであったり、
それから自分にとっての入り口にとって一番重要だったのは、パウル・クレイト書くかな、あれはマチスとかもそうでしたね。
そういうものが好きだったり、あれはちょうど広島にも来てた展覧会の中で、三田セザンヌの絵だったりとかが入り口になってくれて、あとジャコメティー展があったんですよ。
そういうものと出会っていく中で、あれ、これひょっとして、やっぱり父がやってることとか言ってることっていうのは、こういうものとか、どっか遠くでは父は二流三流の人だけれども、
無関係じゃないんじゃないかなとか思い始めてきて、やっぱり何かこれ本気で考えていかないと分かるようにならないぞっていう、挑戦する異論の気持ちかな、
その訳の分からなさ、この父の人としての理不尽さというものと相まった訳分からなさみたいなものがあって、それに苛立ってたわけですよ。
お父さんはどういう系のものを描くんですか? 描くっていうよりも具象の人では全くなくて、オープンで作ったり、インサレーションっぽいものをやったりとか、
あるいは半顔みたいなものでシルクスクリーンとかもやってましたし、ある時期の人たちってみんなシルクスクリーンやってるんですけど、
例えば、単的に言うなら、父といっても、私1982年生まれなんですが、父って全然生まれなんですよ。1940年生まれ、私42の子なんです。
12:10
それで聞いてらっしゃる方の中で、お分かりになる方はどのくらいいらっしゃるかわかんないけれども、例えば荒川修作っていうアーティストなんかの影響が、その直後世代なんですよ。
荒川修作の影響なんかが非常に強い仕事を若い頃やっていて、例えばジャスパージョーンズとかラウシンバーグとか、家庭の食卓でですよ、自分以外誰も分かんないのに、
例えばジャスパージョーンズがとか、滝口修造がとかっていうような、こういう名しか出てくるんですよ。食事中に。意味が分かんないですよね。
分かんないし、そうだね。でも、こいつ何言ってんのみたいな感じですよね。嫌だったわけなんかそういうのが。
しかも、お父さんはその話がしたいんだ。だってさ、別にするタイミングはいきついまでは、例えばご飯食べ終わって、リビングとかで、ちょっと何か合唱とか見ながらならわかるよ。飯食いながら、どのタイミングでジャスパージョーンズが出る?
だから、それは母とかに何か言ってるわけですよ。それで、子供ながらにそういうのを聞きながら、だんだん母とかも一緒に美術館とか行く間に解像度が上がっていくわけですね。
レベルアップしていく。
新婦実家では当たり前の会話だもんね。
だけど、何か流してるみたいな。おじいちゃんとおばあちゃんもいたりとかして、よりわかんないみたいな。母がとおじいちゃん、おばあちゃん。
それは嫌になるよね。
嫌になってきてた。ところが、高校とかになってきて、だんだん父に対して挑んでいくような意識とかでいってくると、やっぱりこの人がわかってんのに、自分がわかんないの嫌だと思い始めて、
最初は対抗心みたいなものとかあったと思いますけど、でもこの話なんでしたくないかっていうと、結局、美術に関心を持つ人間は、やっぱり最初のルーツのとこから美術があったんじゃないかっていうことを思われるからなんですよ。
でもね、俺も実はそれがあって、番組上、この話もしたし、聞かれたら言うの、日本がうちの家に返したよ。
本当に一般的によく言われるのは、死を引いてるんですねって言われちゃう。でも俺はそれも番組で言ってるけど、相方に連れてかれたのが本当の現体験だから、別に俺は嫌いでもないし、あれなんだけど、お父さんのおかげとは思ってない。
この美術に関しては。だから、やっぱりそうで、こういうこと言っちゃうと、番組聞いてる人も多分そうだと思うけど、二人でもそうで、やっぱり美術がある家に生まれたから美術に興味を持ったよって言われちゃうのも俺も本当に嫌だ。
そうなんですよ。やっぱり芸術っていかなる回路からもあって、あるいはもうなんだったら美術っていう言い方自体もうやめたらいいと思うぐらいで、いや、つまりそういうフレーム自体。
美術を美術的に見なきゃいけないっていう縛りなんていうものは、あえてもう言っちゃいますけど、さっき言ったような古い時代の作品を見るためには、解読するためには、前半で言ったような話とかで言えば、デコードキーが必要だから分かるための努力しなきゃいけないっていう話はしました。
15:19
それは確かにそうだけれども、でも例えば当時の人たちが、我々が今日抱いているのは美術っていう概念と同じようにして絵を描いてたかって全く違ったりするわけですよ。
芸術っていう概念は科学とかもっと近かったりとかしてたわけですね。昔の画家たちにとっては。例えばデューラーなんかにしたらそうですよ。
今で言ったらあの人はサイエンティストでもあるし、哲学者でもあるだろうし、しかもお城の図解みたいなのを描いたりしているような人ですよ。
そういうことになってくると数学も分かるし、だから何でも、とにかく。
ダブンチも言う。
そうそう、レオナルドだってそうですけれど。
つまりアートっていった場合にアルスっていうラテン語に遡りますけど、アルス、それからギリシャ語のテクネっていう概念に遡りますけど、
芸術ってものは、そもそも我々アイビジュースっていうのも今非常に狭く捉えてるけれども、やっぱり芸術ってもっと広いものだし、
本来、美術史的に見なきゃいけないとか、美術は美術であるみたいなことをやっぱり堅持しすぎる、強く固く持ちすぎるみたいなことっていうのは、僕は大反対ですね。
しばしば自分もそういうのを強化しちゃうような文章とか書いちゃってると思うけれども、美術史的な文章にすぎるものをいっぱい書いちゃってると思うけれども、
でもやっぱり一方で、トニーさんがこうやってね、噛み砕いてお話しなさってるように、やっぱりいろんな回路があっていいし、いろんな見方をしていいし、
作り手たちも美術の中からだけリソースを取ってくるんじゃなくって、やっぱりそれ以外の世界から広い文化、文化だけじゃないですね、
それこそ科学であったり、農業であったりとか漁業であったり、何でもいいですよ、いろんな問題があるわけですよね、
そういう中にも一つずつ技術体系があったりするわけで、本当はだからそういうものとか関係しているものとしてあったはずなんだけれども、
それがやっぱり美術っていうのは近代の中で非常に自律性というものを求められて、美術の固有性というかね、文学とは何が違うんだとか、音楽とは何が違うんだということの固有性というのをどんどん突き詰められていったわけですけれども、
結局それが解体されたと言いながらそのコストモダン的にね、だけれども実際のところそうなってないですよ、
ますます美術は美術の人たちだけのものになっていってるような感じがするし、それはちょっとつまんないなって正直思うかな、
18:07
多種類その話で言うとやっぱり美術が美術のためのものだっていうのは、本当うちわ受け、いわゆるお笑いでいううちわ受けっぽい、楽屋ネタっぽいなっていうものが多いじゃない、
だからやっぱりそれは、お笑いって言ったら楽屋受けっていうものもあるから、それはそれであってもいいと思うけど、でも他のお笑いがあったらいいよなって思うし、
多分俺もそうで思って最初にやっぱり、本当この番組で言ったかもしれないけど、相方と最初に見に行った時の農民が17世紀の子はめちゃくちゃ笑い取りに行ってるんですよ、
農民から見た時には犬がおじさんに近づいてたりとか、年老いた人が若い妻と言うけど、若い妻は財布を狙ってるとか、めちゃくちゃ笑い取りに行ってるのに、美術とか芸術って言っちゃうとみんな笑わない、なんか崇高なものと思っちゃうから、
俺は何を思ってもいいと思うよ、鑑賞してる人はそういう立ち位置で思うけど、でもそれがなんて素晴らしい色合いとか、なんて素敵な構図って言ってるのは、漫才見てるのに服の色が対照的で綺麗なわけだから、
ネットが立ち位置が素晴らしいとか言ってるような感じで、内容は、みたいな、それは書いた人からしたらショックだと思うので、
でもね、裏切りはいくらもあってもいいわけですよ、だからさっき言ったことで言うと、一方でだからと言って僕たちは美術師のスペシャリストであることをきっと諦めないと思います。
それは諦めちゃだめで、だけども芸術っていうのはもっと広い可能性に開かれてたんじゃないかっていうようなことっていうのは、これは過去の作品を語る中でも言えますし、
現代を見ていてそう思うことですよね。現代美術を見ながら、やっぱり今アートの世界っていうか、例えばそういうことも開かれる国際展に出て上がっていくとか、マーケットの中で売れていくとか、そういうことだけが目標になっていくような世界っていうのは、
やっぱりこれは一元化されすぎていて、つまり美術という業界の中で回ってるシステムの中だけで、このことが進んでいって、その中で作品が完結している状態っていうのは、これ本当につまんないと思うんで、
そうじゃないことに、人々にもっと別のものを考えさせるとか、そういうことをもっと我々は考えていかなきゃいけないし、それはアーティストたちもそうだと思うし、そういう中に例えば批評みたいなこともあったりするでしょうし、
そうですね。だからやっぱり美術が美術として閉じていくっていうのは、僕は大反対ですね。でも、閉じるならって話で、話戻したかもしれないけど、どうして学芸人の道に行こうとしたの?
21:00
学芸人ですか?学芸人はまあ、だから別に美術の仕事じゃなくてもよかったろうに、いっぱいこうやっていっぱい喋る機会があって、沈海さんの中身がわかったからだけど、知らない時代、前半でも言ったけどなかなかお会いできなかった時には、
もう超王道の、なんなら国立西洋美術館のど真ん中にいる人だから、もう学芸員of学芸人、若手の中のエリートのように思っとったから、だから当たり前なにも美術が好きで、美術のうちに、だからあって話したから、前に言ってくれましたけど、逆に俺は俺のことを、ちょっとオラはついているほど思ったから、俺は追えて思ってたから。
どういう経緯で美術は面白そうだなと思って、そのまま大学美術の道に?
そこも実は、父はアーティストだったので、高校の時に美学美術史という学問があるということを知ったわけなんです。高校1年生の時に。それまでは建築とかの方がいいのかなとか思ったりしてて、でも早くもこれ理数系左折しそうだしなとかっていうのを高校に入って思ったりしつつ、
やっぱり自分文系かなとか思ったりもしたりとかして、なんとなく文学部方向かなと思ったりもしたりするのと同時に言葉に対する意識みたいなものが芽生えてきて、
ただ、大学の時には、本当はだから私結局東京芸術大学の芸術学科っていうところに進むんですけども、これはもう芸術をやる人、あるいは美術史か美学をやる学科なんで、それしか選択しないじゃないですか。
すごく正直に、この年になったから言えますけど、受かった後に父と大喧嘩をして、それは父はアーティストだから、父は賜日だったんですけど、やっぱり芸大とか行ってほしいわけですよ。
でも自分は、なんで18歳で悪いけど、なんで美術だけに特化したものに自分の人生を規定されなきゃいけないのって言って、
本当にそういうこと、東京で広島から部屋を探すために入学金とか振り込まなきゃいけないタイミングで、人生で初めてぐらいの特区見合いの喧嘩やって、
口だけじゃないんだ、手がある。
手が出るって言うのもおかしいけど、組手ぐらいの年老いた、当時60歳になってた父と、でも向こうも本当に殺気だったので、笑い話みたいなものですけど、僕はそのくらいあれは、思春期の最後のあがきだったと思いますね。
24:11
それを掴めて何を話すの?
総合大学に行ってればまだ選択肢があるじゃないですか。3、4年から美術史とかを選ぶとかっていうような選択肢はあるかもしれないけれども、それまでにやっぱり少し自分の中で勉強して、いろんなものを見極めたいなっていう風にちょっと思ってた。
だけれども、それすら許されない。
お父さんの人はそれもダメだった?
そう、美術の方に行ってほしかった。それはなぜかというと、別の大学の選択肢が実はその時点であったからなんですよ。
そうか、行きたかった、第一志望はここにあったんだ。
一応建前上、第一志望東京芸大ということに国立はしといて、私立でそうじゃないところもあったので、そちらがもう行けてたので、だからそれはもうどっちに吹き込むかみたいな話だっただけですよ。
お父さんとしては芸大に行ってほしかった?
そう、だけどそのことに対してやっぱり自分はすごく抵抗を示しました。
そのことと流れから言うと、学芸になるかどうかみたいな話で先ほど聞かれたので、ちょっとここは言いにくいですね、率直に申し上げると。
芸大に入るかどうかみたいな話は一個人の本当に笑い話でするんですけど、学芸というのは、秋が出たらそこにポストが、毎年就職する一般企業さんと違うんで、秋が出たらたまたまそこに募集がかかってみたいなことなんですよ。
たまたま私の場合は、就職論文書いたときに書き終えた後に、国立芸術館に結員があって、そこにたまたま入るってことになったということで、運が良かったってことなんでしょう。
としか現時点では申し上げられない。
でも、ドイツ美術で入った、ドイツ美術はどこで選択したの?
正直言うと、ドイツの美術がやりたかったかって言われると、それはちょっとあったか。
まずは、先ほどから申し上げているように、思春期までに影響を受けているものとかは、基本的に近代のものとか現代のものなんですよ。近現代美術の批評をやりたくて上京しました。
ですから、自分が今国立西洋美術館にいることとか、あるいはデューラーを曲がりなりにも専門にして国立西洋美術館に入った過去とかが、いまだに不思議に感じています。
27:04
クランナカ展やってデューラーやってても、ガチガチドイツ古典みたいな印象だったから、お会いして話すまではね。
だけど、もともと現代美術というか、今では一般的な名称になってコンテンポラリアートというものが好きだったし、
基本的には戦後の美術、父が生きてた時代の美術とかが一番多分詳しくて、それ以外は自分が関心のあったクレイとかセザンヌだったりとか、そういうものに興味があったりとかしてましたけど、専門になるようなことは知ってたわけじゃないですけど、
でもただ、現代美術で卒論書こうってなった時に、なんか違うなと思ったんです。
それは温子である小石耕一先生という、これはヨーロッパ中世美術のご研究で、日本では大権威と言っていい方なんですけれども、
ウィーンで博士論文を書かれて、オッド・ペヒトという非常に重要な歴史に残る美術史家のもとで学ばれた方で、日本人でありながら向こうで渡り合ってた方なんですけれども、
そんな偉大な先生の授業を初めて恐々受けた時に、授業は受けたことがあったんですけど、初めて講義を先輩方に混じって受けた時に、
時間がねじれたみたいな感じがあって、やっぱり受けていくうちに、これ多分現代美術だけやってたんだと、芸術とかっていうものを非常に狭くしか捉えられないなということを直感したんですよ。
と同時に、現代作家の中に、こういう大変失礼な言い方にも聞こえるかも分からないけれども、一生かけられるアーティストはいないってその時思ったんです。
その当時の現代アーティストに?
その時の時点でですね、コンテンポラリーの書く書きたかったので、そうすると、一生かけられるなって思う人はいないっていう、名前聞いてたかな?いや本当にそうだったんですよ。
その時に、デューラーって、美術史っていう学問とかが19世紀の終わりから20世紀の前半にかけて形成されて、とりわけドイツ語圏を中心に、美術史っていう学問の母国語がドイツ語だって言われる企業があるくらいで、
デューラーっていうのをこぞって、いろんな美術史の方法論の実験をやった人たちが、こぞってデューラーのことを語ってたんですね。
ドイツ人じゃなくて、ドイツ語圏の人たちが。
それでいろんな方法論の実験が、語り方の実験が行われるわけですよ。
30:04
それでデューラーが、言わば近代人たちを触発するような感じで、新しい方法が生まれてきたりとか、新しい着眼点、新しい概念が生まれてきてるっていうことが、なんとなくわかってきて、
そういった方法論の問題とかを絡めて、デューラーに関心が芽生えて、そういうのでソソロンが書けないかなと思ってやってみたら、手に負えないと思っちゃったんですね。
でも、すごい大失敗とおけて、それでこれは、卒論でデューラーは一回やめて、現代に戻ろうと思ってたのに、
朱子も、木下先生のところで、そんなにやめますなんてとても言えない感じになっちゃって、それで朱子も当然、木下先生に指示して、デューラーをやらせていただきたいですみたいな感じになって、
一応、朱子もデューラーを書いて、それでも手に取って負えない、もう謎だらけ、難しすぎて、読まなきゃいけない文献は膨大、いくらでも出てくる。
さらに新しい切り口を入れようと思ったら、いくらでも入れてしまう。これ終わりねえなと。
最初で話したことから、現代アプリだと一生かけてるやついないなと思ったけど、デューラーやったら、逆に一生じゃ終わらない人だと思ってます。
究極を二つだね。
もちろん、近代の画家でも、クレイとかみたいな人を思うと、例えばドイツ語圏で言えば、僕特権的に好きなのでクレイみたいな人は、やっぱり一生かけてもわからない人だと思いますよ。デューラーとかと一緒で。
そういう選択肢もあったと思うんだけど、なるべく長いタイムスパンを取りたかったというのがあります。
自分がルネサンスのこととかを全く知らないことを恥じたし、その中で現代美術とかって言ってても、やっぱりこれしょうがないかなと。現代の方には何とかしていずれ戻ろうと思って、その時なんとなく心に誓って、とりあえずちょっともぐってみようと歴史に。
それを聞いてふに落ちたのが、それこそ担当されたクラーナ派展。2016年からこの間に。これが国立西洋美術館で、自分の中でインパクトがあったのは、現代アートもあったのよね。
クラーナ派展って聞いたら、もしかしたらクラーナ派の周囲の画家を紹介すると思いきや、現代アートもあるわと思って、これまでの国立西洋美術館とは違う展覧会だなと思って担当学芸員を調べたら、新美術館だと思った。
それはすごく印象に残っている。
ちょっと悠遠な話をすると、さっきちょっと言いそびれたことで、大学での小石先生との出会いというのも非常に大きかったんですが、これ大前提なんですが、自分が古い時代に遡るにあたって、時代というのもあったと思います。
33:07
2000年代の前半に私は大学時代を過ごし、2007年に終了してますけれども、大学院を西洋美術館に入ったんですが、
このぐらいまでの時期って、とりわけ私のように批評とかそういうものに関心のある若者たちが読んでいたスターたち、例えば名前を出すなら岡崎賢二郎さんとか、そういった方たちで、岡崎賢二郎さんの『ルネサンス経験の条件』という本があるんですけど、
この本が出たのが2001年のことなんです。あるいは、2001年ぐらいからそれ以外の書き手の方たちでも、私が日本人で影響を受けていた方々の書きになるものというのが、
批評なんだけれども、結構古い時代のものを扱うというスタンスが当時すごくあって、そこで新しいものの見方が提示されるとかというようなことが結構多かったんですよ。
だから僕としては、自分みたいなタイプの人間って当時たくさん生まれるんだろうなって勝手に思ってたんですよ。
こういうのを読んだってことは、同じように影響されるわけだから。
でも実際にオールドマスターまで行った人は多分少なかったんだとは思いません。
似たような関心を持たれた方って、他にいらっしゃるかもしれないですけど、
でも岡崎さんの影響とかは今すごく強いですけどね、我々は。
みんなやっぱり大かれ少なかれすごい影響を受けてますけど、私の場合はそういう形とかでも出たと思ってます。
だからそういうのと大学での経験と2種類あって、そういう中でもう一つの軸戦に、
異質な時代のもの、さっき美術館では時代順に西洋美術館は並べるってことをやってます。
いわゆる時系別を並べる。
一方で私変化球が好きなんですっていうのを前半で言ったと思うんですけど、
それが例えばさっきおっしゃってくださったクラナ派展で現代美術も一緒に並べるとか、
あるいはリヒターとクールベを常設での中でいきなり出会わせてみるとかいうようなことをやってきたんですけれど、
私が勉強してた2000年代前半から半ばにかけて出てきた考え方に、
時代順に並べるやり方をクロノロジカルな並べ方という時代順、変年史的ってことになるんですけど、
アム・レ・トシオっていう変年史的なものなんですけど、
これに対してアナクロニズムとか、アナクロニズムっていうのは削除、あるいはアナクロニーとかですね、削除性って訳せばいいのかな、
36:06
アナクロニズムって時代削後って訳せちゃうんですけど、そういう意味じゃなくて、
単に時代削後としてのアナクロニズムではなくて、むしろ何か時間がこう、
サクサツしてる状態っていうんですかね、
決してネガティブなイメージじゃなくて、ポジティブに、アナクロニックなものをどうやって見出していくか、
例えば時代のかけ離れているものとか、時間的に遠差のあるもの同士が、
不意にパッとショートカットして、ある類似を見せたりとか、それを同時に考えるとか、
そういう方言論みたいなものが、美術史の中で新しいものとして出てきてました。
そういうものにとっても影響を受けたんですね。
こういう名詞とか出してもなかなかしょうがないけど、
リディウベルマンっていうフランスの美術史家、思想家なんかがいるんですけど、
ジョルディ・ディ・ヴェルマンの考えや それからディ・ディ・ヴェルマンの作品なんかを
盛んに活用されながらテキストを書いて出した 日本のカキての方々の影響があって
そういうものが自分の中で やっぱり美術館で活動していくうえで
ベースになってきたかなと思いますので
今でこそここ2、3年なんですけど
ちょっと時代の離れたものを 国内の美術館で展示するっていうのは
結構一般的になってきたと思うんですよ
でもこれが自分は結構プライドを持っているのは
一応私は蔵の果ての時も 無茶苦茶批判されましたし
いやだってそれこそ岡崎さんのところから 聞かされましたよ
影響を受けたはずだよ
その話は岡崎さんにもしたことあるけど
こんなこと言っていいんだからすいません 勝手にすいません
いやいやそれこそ本当にそうで
だからそれ批判も浴びながら そういうことやってきたし
信念を持ってるわけだとね
いやというのはやっぱりあれは単に 古いものと新しいもの並べたっていうんじゃなくて
倉那派という画家はそもそも欲望喚起的な画家なんですよ
それでいろんな類作をいっぱい作るわけ
例えばユディットならユディット10何枚とか 幻想してるだけで10何枚とかあったりとか
アダムとイヴに関してだけとかだったら 工房作含めたら50点ぐらいあったりするわけですよ
そういうふうにしてあの時500年後の誘惑っていうタイトル付けたんですけどね
彼がなんで絵画を類作で大量生産をやるかって言った時に
39:01
やっぱりそれは一種 イメージとか絵とかっていうものを見つめる視線というものの欲望を
どれだけ増幅させるかみたいなことを 工房全体の食品の中に組み入れてたと思うわけですね
それが一つ欲望というのは買う人にとっての性的なそれとも所有欲?
両方ですね
だから今日であればそれこそ
だからあの時もカタルムの中には書いたりしてますけれども
当時から見たら非常に男性主義的な考え方で
それはミスティックな見方をしたら もうアウトなものいっぱいあるわけですね
倉中のやってる仕事なんで
ですけどそれは時代の制約の問題がありますから
それは今そこで倉中の作品NGってしまうと
展示できなくなってしまうものがたくさんあると思います
当時のってことだもんね
ですけど今おっしゃったようなエロティックな要素なんかも含みつつ
かつその購買欲とかっていうのを
やっぱりその刺激するように
そういうふうにあの絵作りをしていってた
で文業体制して例えばパーツごとに絵が描けたりとか
そういうようなことまでやってたわけですよ
でこの頭だけ描くのが得意な人とか
この首飾り描くのだけが得意な人とかまで
おそらくはそこぐらいまで分割してたんじゃないかと思うんですよ
もう本当工場制作みたいな感じよね
このパートさんはここだけやるみたいな
その時に倉中という画家自身が構築した
そういうシステムっていうのが欲望喚起のシステムみたいなものを
非常に実装していて
でこれ今日において考えると僕は結構批判的にも捉えると思いますけど
それは資本主義なんかと結びついて考えるとね
だけどちょっと過去の例で500年前のかかなんで
非常に先駆的だったと思うんですよ
そういうやり方が欲望の喚起システムとして
美術史でパッとそういうこと言われると
ウォーホルがそういう話されるんじゃないかとさらにもっと前にさそうだもんね
だからまさにそうで
だから向こうの美術史家がしばしば言うのは
倉中の工房のことをウォーホルに名づられて
ファクトリーと呼ぶんですよ
それでまさにそうだと思うんです
それでねそういった問題があると
ディプロダクションっていうか類作みたいな
類似するイメージみたいなものがどんどんどんどん増殖していくっていう
そういう欲望のレーズの中で
そういうものが時間を超えていってるなっていうのを感じてたわけです
僕は
で倉中の場合は例えばピカソなんて明白にそうで
そういう倉中が仕掛けたそういうものに
ある種自分が積極的に絡め取られながら
倉中の作品を別用に描き換えていくようなことをやっていくわけですよ
こういうことって一種のリプロダクションでもあるんだけれども
別の描き換えでも倉中のやり換えでもあって
42:03
で、何て言うかな
そういう時代を超えたね
一見そこには数百年の差があるんだけどギャップがあるんだけれども
連綿と続いてきたそういう
だから倉中の欲望関係システムみたいなものを分析しようと思ったら
僕は本当はコンテンプラリアートとかまで続いてきている
倉中とかの類作みたいなものを生み出してしまう
その欲望の構造って何なんだろうということを同時に考えないと
本当のそれって浮かび上がってこないんじゃないかと思って
ああいう展示をやったんです
なんか今聞いて思ったけど
2016年7年にはそのこと俺も思わなかった
いやいやいや欲望関係システムの話をしてたけど
当時説明を受けてたけど
今話を聞いて思ったのは
今NFTやとかまさに同じことやってる
まだやっぱりその類似するって
だからやっぱ5年前には思わない
NFTがなかったから
やっぱこれはまたさらに5年後にも新しいこういうことができてくるし
なんか面白いね
なんかそういう話をシステムというかね
まあそうですね
だからこれはシステムだけで言うと
これは批評的な
それはちょっと美術史家としての視点でやってるので
批評的な立場に立つと
例えばクラブが現代の画家だったとしたら
僕結構批判的なこと言ってると思います
こんなことやってみたいな
いやつまりその欲望関係のシステムを増殖させていって
結局そうやって
例えば今だったら確実資本主義ともつりつきまいから
それに乗っかってるだけなんじゃないのみたいなこととかを
多分言っちゃうと思います
それにどんどん加速させていって
資本主義やってるだけでしょみたいなことを
多分言っちゃうと思うんだけれども
それは500年前に自分たちで仕組みを作り上げて
一種ほとんどコンセルみたいな
総合商社みたいなものを作り上げてたわけですよ
で原材料から何から全部仕入れてきて
自分たちで全部整えて
すごい体制を作り上げたわけですね
アルプス以北ではやっぱり明らかに
圧倒的に早い試みだった
ブリューゲルとかそういう人たちがやってった大量生産に
先にじるわけですよ
やっぱりそのことは
やっぱり今日的な問題とか関わってくると思ってたし
だからそういう批判覚悟で
そういう問題をあぶり出したかったのもあるし
それから海外では2000年代から
スタンダードになっていた
さっき言ったようなアナクロニックな展示
時代順じゃなくて
時代がかけ離れたもの同士を展示する
というようなことを
日本でも何かやんないと
やっぱり誰かやんないとちゃんと
よくないんじゃないかって思ってました
だから当時本当にボロボロになりながらやりましたけど
いや本当にそうなんですよ
なんかそれは
だからその後に似たような試み
45:02
一見似たような試みって
いうふうに思われるものがあるかもしれないですけど
ちょっとそこはプライドがありますから
違うことやってましたっていうのは
それはやっぱりそういうことを
一応リスク取りながらやってきたとは思ってますね
それを聞いて思ったのは
多分一般の美術ファンからは
そんなに批判はありました?
いやわかんないです
やっぱり西洋美術館で
やっぱりバーンと
なんかそういう現代美術とかのイメージとかが
作品とかが出てくることに対して
やっぱりこんなものを見に来たんじゃない
っていうふうに思われた方って
たくさんいらしたと思うし
やっぱりそれはあったと思いますよ
俺も逆にやっぱり
今喋りながら思い出してきたのは
あの時に出した現代と中国の
元作たくさん作るアーティストさんを紹介して
一瞬なんでこれは出てくるのか
私は思ったけど
だけどそこで説明を見たりとかすると
なるほど
倉庫の工房でたくさん作るっていうのと
リンクさせるためなんだと思うと
逆にあった方がわかりやすかったの
これまではたぶんもしそういうことがあったとしても
パネルで終わらせたと思う
申し訳ないけど僕は美術見に行くけど
あんまり理解力ない方だから読むだけだと
だから文字だけだと
たぶん流れて終わったと思うのね
俺はねだから
シングジさんがいらっしゃるから
お世辞で言ってるわけじゃなくて
あれがあったからそのことが
今6,7年後の俺も覚えてるから
俺はあってよかったと思ったのね
あってよかったんだよ本当に
いやありがとうございます
大批判も浴びたからな
批判を言う人って
本当にそれって美術ファンが言うのかなってなって
美術関係者が多分言うだけであって
いやいやいいんですよ批判は浴びた方がいいんです
もちろん批判があってもいいと思うんだけど
たぶんさなんか
たぶん前半でも言ったけど
やっぱ美術家が芸術のためのことやって
美術家が美術のためのことやってるみたいな話あったけど
俺はちょっと批判的に思うと
ちょっとどっかで学芸員さんとか美術館は
美術館の人たちの目を気にして
展覧会やってるんじゃないかなって
最近はそのまま思わないんだけど
こういうことをやると同業者が
なんかちょっとこんな目で見られるかもと思って
なんか真面目な展覧会が過去は多かった気がするのね
真面目って言うからちょっと
バカみたいな言い方しちゃったけど
だけどなんかここ最近
なんか俺の中の肌感覚は
もう少し一般のお客さんとか
あと美術を広めた
もっと皆さんに美術館に来てもらいたいって思って
展覧会をやってるような感じが
この10万館ではちょっと思ってきた
なんか肌感覚で
だから今だったらそんなにね
変なことじゃないというかあれだけど
あの当時は少しあれだったのかな
斬新だったのか
どうすかね
48:00
5年6年経ちますけどもう少しでね
でもその批判覚悟で言う時に
新富士さんは多分展覧会の時に
だってその現代アークターやった方が
面白いと思ったわけだし
その時にどっちを見るの
これをやると
美術関係者は
うるさがかもいるじゃない
ああいう人は批判してくるだろうけど
でも一般の人はこっちの方が面白いだろうな
と思って鍛えを切れる
両方でしたあの時は
つまり先ほど言ったように
やっぱり一つはやっぱり
国立栄養美術館とかの役割の一つっていうのは
やっぱり海外でなされてる
実験的な展示の方法とかを
やっぱり日本で
先ほど言ったように僕なりのロジックがありましたし
それを踏まえ自分なりのロジックに置き換えながら
やっぱりその向こうでなされてるような
展覧会の先営的な試みっていうのを
翻訳するっていうか
そういう役割もあると思うんで
国立栄養美術館なんかは
それがなされないのはおかしいんじゃないか
というのに個人的に思ってました
それと同時に一方では
やっぱり真口を広げたいという思いもあったし
もちろんとはいえ倉中の
ただし1000級の作品を当時
ウィン美術史美術館に
私その展覧会の準備のために
ウィン美術史美術館の絵画館で
7ヶ月研修させていただいたんですけど
2013年ですか
やっぱり彼らの力があって
倉中の本当にいい作品が借りられた
遺体を動かすってとっても大変なことなんですよ
その中でプラスそういうこともやる
ああいう現代美術みたいなことも
合わせてやるっていうのが
オーソドックスな部分と
トリッキーな部分と
結局トリッキーな部分が目立ちすぎちゃったって
ことなのかもしれないんですけど
そこのバランスは今だったら
もう少し別用の取り方をするかもしれないですが
ただやっぱり
自分なりにはなんていうか
チャレンジっていうのは必要だったのかなとは思いますね
やっぱりいろいろあったんで大変でしたけど
ちなみに今日ずっと話に出てきて
批評っていう話が出てきたじゃないですか
新富士さんが二相とするか
あれかわかんないけど
批評って自分なりにこういうものを
目指してるとかってあったりするんですか
批評ですか
美術史を研究するのとは
やっぱり全然違う感覚でやってますね
その批評って
やっぱりこうなんて言うんでしょう
美術史ってリサーチがベースですし
その上に立脚して
何を歴史として語れるかっていう
もちろん歴史を語るってことは
あまねく物語を語るみたいなことでもあるんですけどね
でもそのとはいえ批評語るっていうのは
51:05
もっとこう例えば
何にもないと思われてるところに
実はこういう線が引けるよねとか
実はこういう構造があるよねとか
そういうことをやっぱり指摘してきて抽出して
そういうことをやっぱり
こう言説化していくことだと思うんですよ
でそれをやっぱり
あとはやっぱり
極端に言えば
やっぱりこの世界に対して
やっぱりより開かれた状態じゃないと
やっぱり本当は良くないんだと思いますね
批評っていうのは
結局のところ美術作品について語りながら
結局この世界のこと考えてるっていうか
感覚で多分批評をやる時には
あるんだろうと思うんですけど
でもやっぱり端的に言えば
さっき言ったように
何もないように思えてるところにある線
美術史なんかでもそういうことって
しばしばあるんですけど
やっぱりこういう星座が描けるよねとか
そういうものをばっと浮かび上がらせて
見るとか見せるとか
そういうようなことを言葉によって
紡ぎ出していって
単なる何かの類似とかじゃなくて
こういう問題があるよねここにはって
一見問題じゃないとされてるものの中に
問題を見出すとか
やっぱりそういう行為だと思いますけどね
批評って
今日話聞いてて
そろそろまとめの時間になってくるか
あれだけど
やっぱり美術広め対話でも
批評も含めて展覧会開くのも含めて
やっぱり一般の人に来てほしいとか
見てほしいっていうのは
なんかずっとある人なんだなっていうのが
わかって僕は救われた感じがします
本当ですかありがとうございます
勝手に同志と思ってます
ありがとうございます
そうですね同志
違うんですか
いやいや同志です同志です
私同志です
そうです
逆に最後に全然違う話なんですけど
美術以外の趣味はありますか
っていつも聞いてるんですけど
そうなんですか
美術以外
ずーっと美術のこと考えてそうなイメージがあって
本当に美術が
最大の趣味にして仕事だと言えるんじゃ
言えるんですけど
でも趣味と言ったら
野球の情報とか見追ったりとか
スポーツ野球サッカーですね
野球は僕も広島生まれなんで
もっぱら広島カープですけど
サッカーは昔から好きで
サンフレッチ
サンフレッチはちょっとあんまりなんですけど
そこは違うんだ
だからJリーグ世代だもんね
そうそうそう
まさにね
まさにJリーグチップスを
俺もサッカーやってたし
Jリーグチップスは本当に買いましたよ
54:01
買いました
あとは動楽ですけど
やっぱり一番美術以外とかで
美術はやっぱり仕事ではあるので
辛いこともいっぱいあるんですけど
息抜き的な意味での趣味で言うと
だから動楽なんですけど
ファッションかな
確かになんかいつもオシャレなイメージ
いやいやそれは違う
逆に批判覚悟で言うけど
学芸員さんの中で一番オシャレだから
なぜなら学芸員さんみんなあんまり
オシャレじゃないから
いやいやいや
男性の学芸員さん
女性はねオシャレな方
カチッとしたの苦手
どちらかというと多分
それはちょっと大人気ないんですけど
男性学芸員さん基本スーツかシャツだよね
シャツインが多いよね
でもだからといって
なんかこうハイブランドなんていうんですか
ハイエンドなブランドが好きっていうか
のではなくばっかりが好きなんじゃなくて
結構若い人の作る服とかも好きですよ
あと外国の若い世代が作ってる
ちょっとオルタナティブな服とか
そういうあとは
なんかメインじゃない国
フランスとか
イギリスとか
イタリアとかそういうところ
あれ日本とかじゃないところで
できている服とかも
例えばウィーンにいましたけど
ウィーンのアーティストグループみたいな
半分アーティストグループみたいなものを
作ってるブランドのものが好きだったりとか
結構だから割合詳しいっちゃ詳しいかもしれないです
ファッションのところがね
メンズが中心ではありますけど
レディース見たりするのも好きなんで
それはいつか展覧会に落とし込むはないね
それはちょっと
やっぱりファッション関係のものって
今まで1回しか文章書いたことないですけど
展覧会表で
そうですね
自分の仕事に今のところ
直結してくるかって言ったら
展覧会の方ではちょっとないかもしれないですけど
でもやっぱりさっきの言った
美術っていうフレームってものの中に
閉じこもることのつまんなさから言えば
本当は複飾とかだって
例えばうちの美術館で言っても
指輪のコレクションがね
橋本コレクションっていうのが
2010年代に一括寄贈されて
工芸の部門の中で
新しい分野を切り開いてくださったわけですけど
橋本さんご自身はお亡くなりになったんですが
でもやっぱり身につけるものですよね
僕は指輪にはときめくじゃないけれども
でもやっぱりそのなんて言うんでしょうね
やっぱり芸術って言っても
色々あるわけですよね
だからそういう真口を広げてくれるとか
芸術また真口を広げるっていう言い方は
ちょっと違うな
57:00
というよりも芸術は複数の角度から
やっぱり考えられるものっていうか
そういうことをこれからも考えていきたいので
そういう意味ではわかんないですね
ファッションになってそれは考える時が
来るのかもしれないですね
まずは西洋美術館のグッズで
なんかかっこいいTシャツ作るとか
新富士山プロデュース
それは売れない
すごい奇抜の
それは嫌だ
それだったらどっか好きな
若手のデザイナーさんとかに
なんかデザインしてもらいたい
新富山プロデュースして
じゃあユディットのTシャツ作ろう
ユディットのTシャツはダメですよ
ガレンカレラとか確かにいいかもしれないですね
今ミュージアムTシャツ結構増えてきたから
なんかすごい集められてるんですよね
新富士山プロデュースで
ちょっといいやつ作ろう
じゃあこれやろう
自分が着れるやつ
これだったら俺も着たいなって
新富士山が思える
ロボ入りとか着ないからな
そうだから別にいいじゃん
Tシャツじゃなくてもいいんだもん
そうなんですか
だから新富士山プロデュースと
国立西洋美術館のアパレルブランドタッチ
もうそれはね無理
あのねなんとこの番組で
ファッションデザイナーと出会いましたから
前回のゲスト駒形愛さんが
あそうなんですか
そことコラボして
ちょっと待って
国立西洋美術館のグッズ作ろう
すごい話まで言ってますけど
これ僕西洋美術館帰ってたから大丈夫かな
でもなんか意外な話が聞けて面白い
ちょっとガチで喋りすぎちゃったな
どうしよう
最後に言い残したこととか
いやなんか自分語りしないとか言っときながら
喋りすぎたな
確かにそれは途中から思ってる
ごめんなさい
自分語りしてくれてるな
ごめんなさいちょっと待って喋りすぎたな
ちょっと後悔してきて始めたぞ
じゃあそうだね
だって本戦回ってないところで
今日はトニーさんに逆質問するとか言うから
結構構えてたんだけど全然質問来なかった
ごめんなさい途中から本気になっちゃった
じゃあこの番組も何回かやっていくと
特別会とかやるから
一回新富士山が回すそろそろ水の話
俺がゲスト出演
それいいじゃないですか
やってみてもいいかもね
そうですね
日本画家の息子であった大山敦史さんが
いかにしてトニーになり
アトテラトニーになりっていうね
そっちが大きくバージョンね
それはやっぱり必要じゃないですか
そうだね
なんかすごいアートTシャツの自慢をされるとかさ
あーすごい欲しいこれとかみたいな
なんかそういうそういう会があってもいいんじゃないですか
じゃあそういう会は
ちょっとじゃあいつかまたやりましょう
ぜひぜひ
その時には告知も兼ねて
出ていただけたらと思います
改めてだからなんか告知とかありますか
そうですね
これ配信って9月11日
1:00:00
じゃあ10月の回よりはある
もしかも西洋美術館の
表説ステラをあげて
9月11日なんですか
そうです10日配信
10日配信
じゃあもう10日配信なんであれば
もうラスト1日
自然と人のダイアログといって
ラスト2日ですから
今日土曜日で聞いてる人もいると思う
土曜日聞いてらっしゃら
強化した
9月11日日曜日まで
国立西洋美術館にいて
絶賛開催中の自然と人のダイアログ
という展覧会がございます
S1000のホールコアの美術館というところから
お借りしている作品と
当館の松形コレクションの中心とした
もののさまざまな対話ですね
をテーマにして
近代の画家たちが
この世界をどういうふうに見つめたか
ということを多角的に掘り下げている
展覧会ですので
ぜひぜひご覧いただきたいなと思います
はい
ぜひぜひよろしくお願いいたします
はいじゃあ新村君
今日はありがとうございました
はいこの番組は不定期配信です
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感想はハッシュタグ
そろそろ美術の話を
今後聞きたいテーマやゲストは
番組ウェブページまで
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はいでは次の番組です
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(♪~♪)
01:01:45

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