1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #130【老子 雑談】哲学と科学..
2023-07-23 49:10

#130【老子 雑談】哲学と科学/プロレスと体験格差

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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サマリー

老子編終了後の雑談会では、西洋と東洋の思考の違いやクオリアについて話し合われています。また、メギド72というゲームの物語において、異世界との戦いや精神的な攻撃についても触れられています。老子の哲学について考察し、プロレスが体験格差につながる要素を探求しています。プロレスの魅力や感動について話し、地域格差の問題も指摘しています。岩手県にはプロレスの道場があり、毎週試合が行われていますが、他の体験の機会は少なく、文化的な感度の差を感じることがあります。しかし、大阪や東京のような都会の良さや文化との距離を感じたことで、自己肯定感や豊かさを育む大切さを実感することができました。クオリアとメギド72の話題について雑談しながら、寄付の意義や散財の感覚について考えています。

老子編の終了と思考の違い
はい、それで哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、老子編終了ということで、今回はのんびりと雑談会ということでやっていきたいと思います。お疲れ様でした。
はい、お疲れ様でした。やっぱりあれだね、あの老子、アイデーカーの後にさ、老子をこうやってみたわけだけど。
うん。
やっぱなんかその、兄貴がたぶん途中で出た、なんか喋ってる方もちょっと安心というか。
うんうんうんうん。
ね、あの受け入れてもらえるよねみたいな話があったと思うんですけど。
うん。
なんか僕自身もやっぱ話してるテンションとかやっぱ聞いてるテンションが全然変わるなってめっちゃ感じましたね。
あーそう、もうなんか台本作りレベルから違うねやっぱり。西洋で作る時と東洋で作る時のこう感覚の違いというか伝えたいことの違いみたいな。
はいはいはい、そうだね。なんかやっぱりその、西洋とか特にハイヘッカーとかはやっぱりこの、なんだ、論理的にやっぱ正しいっていうのがあって決まっちゃってるから、その捉え方とか解釈の仕方。
うんうん。
なんかいかにそれを正しく伝えるかとか、その間違わないようにその、どう伝えるかとかってやっぱ結構気にしてたなって改めて思うんだよね今になると。
はいはいはい。
そう、なんか例えばさサイデッカでその、世界内存在とかっていうのを言ったと思うんですけど、それってなぁにって、まぁめちゃめちゃやっぱり理解しにくい。
うんうんうん。
し、やっぱ僕自身も正しく理解できるかっていうのが、まぁ正直やっぱ自信がないところもあるから。
はいはいはい。
やっぱ過剰に兄貴がなんかね、やっぱその違うとか、そういうことじゃないみたいなことを結構言いがちだって思うんですよ。
うんうんうん。
だからやっぱろうしとかその東洋思想だと、まぁ雰囲気を感じてくれればいいよねみたいな部分とか、あとまぁこれが正解だみたいなものが、まぁもちろんなくはないけど、
うん。
まだ西洋ほどなんだ、パチッと決まってるものではないから。
まぁね、だって残ってる資料にしても、だってハイデッカがさ、102冊分のなんか、何かでしょ?雑巾が残ってて、ろうしは5000字でしょ?対して。
そうだね、そうだね。まぁ全然ね、その分量も違うし、やっぱ解釈もね全然違うから。
まぁ時代も違うしね。
2000年で2500年前の人と、まぁね100年ちょっと前の人とみたいな感じで。
はいはい。もうね、ハヤト的になんかこう作りながらさ、やっぱりこう、自分がこう面白いと思うポイントとかもやっぱりこう違かったりとか、今回ろうしで、ハヤトなにここ面白かったなとか、そういうのあったの?なんかこう情報としてっていうよりはハヤトのこうなんか思ったこととか。
はいはいはい。
そうだね、やっぱまぁ一番はその、今回何聞いたか話してても感じたけど、やっぱりそのろうしがさ、いわゆるこう世界がどうできたかとか、世界観をどういうふうに作っていったかみたいなところはやっぱめっちゃ面白いけど、
それをいつかね、現実の政治とか、その訓示とかを話すみたいになった時に、なんか全然信用のらねえなこいつみたいなさ、そういう感じがあったじゃないですか。
まあそうだね、なかなか難しいよねっていうね、それを実現するのと。
そういうのは実は自分が読んでる時にはそこまで感じなかったんだよね。
あーそうなんだ。
感じなかったというか、まあそうなんだろうな、まあちょっと無理はあるけどでも頑張ってるなみたいな感じだったんだけど。
あーはいはいはいはい。
そう、ここで兄貴に話して、それってどうなのとかってやっぱ言われると、確かにこれ言われてもなんかあんま納得できるよなとか、説得力かけるよねみたいなことをやっぱ思って、
やっぱそういった意味で、そのなんだ、自分だけを中でこう消化してる時と、やっぱ人に話して反応をもらってる時の感覚がやっぱ違うよなっていうのは改めて感じたよね。
あーなるほどね、どう、なんか老子にさ、まあ憑依して喋ってるとして。
はいはい。
そういう風にさ、それ使えないじゃんって言われた時にさ、ムッとしたりとかしなかったの?
そんなことねぇし。
もちろんね、なんかはないというか、このね、話してる中で、やっぱ否定されると辛いっていうのはあるじゃん、多分それはお互いだと思うんだけど。
でもなんか、そのやっぱり、投票した時に話してる時はやっぱり、まあそういう感覚もあるよねとか、
はいはいはい。
まあなんだろうな、その、別にこれが正しいあれが正しいっていう感覚じゃない気持ちでやっぱり話してるから、
ほうほうほう。
お互いにそう言われればそうだよねとか、そういう考え方もあるよねっていうのは割とスッとこう入ってくるんだよね。
あーなるほどね。
でもやっぱり西洋とかハイテクアとかやってると、なんかこれが正しいと思って話してるから、なんか言われると、いやそれは違うとか、いや違う、そういうことじゃないんだよねみたいなのを結構強く言っちゃうなって。
もうそれもまた面白いよなあ、どうなんだろうね、ハイテクアとかは自分のさ、そういう思想というか、その哲学っていうものに対してこうやっぱり自信があったのかなあ、どうなんだろうね、そういう。
あったと思うよ、あったと思うし、やっぱり西洋ってこれも隠っていいかわかんないけれども、やっぱりそのね、やっぱり善か悪かとかさ、良いか悪いかみたいな、やっぱりそういう感覚っていうのは絶対に根底にあるだろうから、正しい正しくないとかね。
やっぱり自分の論が正しいっていうことを補強するためにいろんなことを話してくだろうし。
なるほどね、そのための批判とかは歓迎だけれども、あくまでそれを元に自分の説を標高にしていくみたいな感覚なのかな。
だからね、その俺が正しいっていうことは即お前は間違ってるに結構繋がってしまいがちだと思うんだよね、そのどっちもね、良い悪いとかになっちゃうと。
ろうしとかだと、別に良いとか悪いとかっていうのも超えて、あるがままに生きようみたいな、成人ってそういう在り方だったじゃん。
やっぱりそこの感覚の違いは、よくあるじゃん、喋ってる言語が違うと発想も違うみたいな、日本語と英語両方バイリンガルの人がいたときに、結構性格も変わっちゃうみたいな話って時々聞くと思うんですけど。
なんかそんな感じで、やっぱり西洋とかハイデッカーとか喋ってる時と東洋とかろうしを喋ってる時の自分の感覚とか、批判を受けられるキャパシティとかも変わってんなっていう感じがしたんだよね。
クオリアと感覚の表現
なるほどなるほど。そういうのもまた面白いし、ハイドの感覚ね、西洋界と東洋界の感覚も違うんだよね。やっぱりこの自分の考えを理解しろよっていうのと、もうちょっと世界観を一緒に共有しようよみたいな、その違いがあるみたいな感じなんだよね。
あるある。ちょっと今さ、自分の感覚って話を思い出したんだけどさ、フォリアっていう言葉って聞いたことある?
ファイナルファンタジーとかで聞いたことあるかな。
呪文とかじゃないです。学術用語です。
たぶん一番有名なのは、モギ・ケンイチロウさん。農科学者のモギ・ケンイチロウさんいるじゃない。がたぶん一時期言ってて盛り上がってたので、世の中的にはたぶんそんなに広がってない言葉なんだけど、
学術研究的な世界では結構引き続きいろんな研究がされたりしてる概念で、何かっていうと、まさに今言ったような、例えば同じことを言われたけど、自分がムッとしたとか、別にそんなに気にしなかったみたいな、そういう自分の中に起きる感覚。
もっと言うと、よく言われるのは、例えばリンゴがあったときに、同じリンゴを見るっていうのは兄貴にも俺にも同時に起きるんだけど、そのリンゴの丸さとか赤さみたいに言うもので、どう頑張ってもお互いに共有できない。
自分が、例えばカンのハヤトっていう人間が赤っていうものをどういうふうに赤いと感じているかっていうその捉え方とか感覚っていうのは表現できないよねっていうか、表現できないというか、なかなか言語化できないっていう話があって。
そうだよね。その限界があるよねって話だよね。どこまで正確にトレースできてるかって話だよね。イメージを赤。
トレースできてるかとか、そもそもトレースできるものなのかっていう話があって、それが自分が感じているその感じ方のことをクオリアって言葉で表現したりするんだけど。
感じ方ね。
それを科学的に結構証明しようみたいな動きがあって、そういう本を読んだんですよ。
面白かったのが、心理学に馴染めない方はあれなんですけど、心理学の実験って、要は調査書とかで何かがこう、自分はこう思ったとか、例えばこういう時にこうしがちであるみたいなのを丸つけるみたいな、1から10まであって丸をつけるみたいなものとか。
それこそ心理テストみたいなね。
あとは映像とかを見て、これが見えたか見えなかったかっていうのをボタンを押して報告するみたいな、そういうテストが多いんだよね。
それにやっちゃうと何が問題かというと、結局自分が思ったことは表現できるんだけど、その思ったっていう、その思ったことをどう感じたかって言いますね、クオリアに関してはどう頑張っても自分では報告できないみたいな問題があって。
なるほど、なるほど、はいはいはい。
なんとなくこんな感じとか言えたりとか、紫、赤っていうのはピンクには近いんだけど緑は遠いみたいな、そういうのは言えるんだけど、でもそれも赤というものを表現するだけであって、自分が赤いというものをどう感じたかっていうことは表現できないんだよね。
そういうときに、なんかそのノンプロポーザルテストかな、なんかそういう体の反応、要は目がどう動いたかとか、脳波がどう動いたかとか、そういう無意識というか自分が制御できない動きで持って、その被験者というか、人間の捉え方を分かろうみたいな、そういう検査方法があるんだって。
うん、なるほど。
それによって無意識というか、人間が言葉で表現できないとか、自分でも意識として捉えられないんだけど、おそらくあるであろう感覚も科学的アプローチの対象にしようみたいな動きがあるらしくて。
なるほど、なんかよりそうだね、人間の認識というか、さっきの思うって方だよね。
そうそうそう。
そっちに直接的にアプローチしてる感じがするもんね。
よく言うもんね、やっぱり思ってることと感じてること、ここは結構やっぱり前もこれ、どっかの雑談会で話したかもしれないけど、結構混同しがちだったりとか、分かれてない場合も結構あると思うんだけど、
やっぱり思ったこと、それに対して感じたことっていうのは言葉だったりとか、何らかの形で表現して出てきたものは感じたことであって、結構そこの自分の無意識に近いところを思うという感覚に対して、
そこに対する自己認識能力というかスキルとか、あとそれを感じるっていう風に表現を置き換えるっていうところの、多分何段階か思うから感じるステップって何個かあって、
それに対する認識と表現力みたいなものは個人差がある感じがするから、多分心理テストだとそこのバイアスにすごい大きく左右されちゃうんだろうね。
そう、それは絶対あるし、あとどんだけ頑張っても意識できない領域では絶対あるんだよね。
例えば自分が何かを好きだとか嫌いだと思った時に、それは何を思ってそう感じたのかとか、好きだと感じる前に何を感じたのかみたいな、
そこまでくると全意識、無意識じゃないけど全意識みたいな感じで人間が捉えられないものって多分あって、そこはどう扱うかみたいな話もあるし、
メギド72のバトルと攻撃
雑談だからいろいろ話飛ばしちゃうんだけどさ、最近ちょっとハマってるというか、またやってるゲームがあって、スマホゲーの中でメギド72っていうあんまりめちゃめちゃメジャーではないゲームなんですけど、
それ結構面白すぎてずっとやってて、1年くらいやってなかったんだけどまたちょっと復帰したんですけど、まさにそこで今関連するような面白い話があって
なんかその、結構バトルものというか異世界とつながるみたいな感じの、結構壮大な物語なんですけど
何系なの?ゲームでいうと
ゲームはRPGかな一応、一応ストーリーがあって、守るために戦うぜみたいな感じでバトルを繰り広げていくんだけど
その中で、いろいろ他の国を侵略しよう、他の世界を侵略しようみたいな時に、いわゆるいろんな攻撃があるんですよ、物理的な攻撃もあれば精神的な攻撃もあるんだけど、
その精神的な攻撃の中に、いわゆるその人の脳の中に、脳というかそういうところに、ある種寄生虫みたいなものが入っていて、あたかも自分が考えているかのように思考させるみたいな、そういう場面があったのね
ほうほうほう、なかなかえげつない攻撃だね
それで面白いなと思ったのが、その登場人物をやってたんだけど、その時に、自分が考えているというのと、その寄生虫に考えさせられているって、区別できないよね、みたいな話をしてたんだよ
そんな、なかなか激しいゲームだね
そうね、結構ね、ダークファンタジーというか、そういう感じなんだけど、でも今ね、その話をした時にそれがパッと思い浮かんで、要はやっぱりその自分が考えているって思っていることも、要はその考えている手前で何が起きているかっていうところについて、やっぱりブラックボックス
だからそこに対して科学のメスが入るっていうのはめちゃめちゃ面白いなと思う一方で、そこってどこまでたどり着けるんだっけって同時にあるんだよね、それは科学者の方々が自分たちでむしろ言ってたんだけど
そうなんだ、そこは分かった上で、たださっき言った言葉だったりとか、丸つけるとかよりは目の動きだけだとか、そういう方がまだ近いよねって話だよね、多分その奥には
そっちからを、そっちも手がかりにできるんじゃないかっていう感じかな
これまで目の大きさとかそういうノウハウ、ノウハウは言ってあるだろうけど、そっちをちゃんと突き進めていくってのはあんまりやられてないから
そうなんだね
だからそういう科学者の人たちの発想力も面白いなと思ったし、そういうふうにして人類の謎とかに取り組んでるなっていうのを最近知って、やっぱり面白いなみたいなのを感じてたっていうところですね
はいはいはい、なるほどね、その科学、確か面白いね、その科学×哲学みたいなね、その分野、その分析の領域をどう表現するかみたいなものって結構やっぱ試行実験でしかなかったものが、科学と言われるものでどこまで目に見える形で共有されるのかみたいなのは確かにすごく面白そうだよね
やっぱりどうしても老子のさ、今回無名とか有名っていう話もしたと思うんですけど、有名の世界は名が付けられて区別が付けられてるっていう世界は多分科学で生きるんだけど、無名の世界は多分もう科学というか、今の自然科学では多分扱い切れないんだと思うんだよね
そもそもものを区別しないっていう中でどう観察とか認識を対象にするんだみたいな話があるから
さっき言うともう全意識的なところの領域に入ってくるってことだよね
そうだね、そう。その時にやっぱりそんなものはないんだっていう風にやっぱり気にしてるのか、その無名っていうもの自体がね
でもそういうものもあるんだって思うのかっていうのはやっぱりまだまだ個人の好みですよねみたいな感じに多分なっちゃう
だからというか、そこではね多分老子もあれでしょ、その後哲学の一派を形成したじゃなくて、やっぱり道教になっちゃってるわけじゃん、宗教になっちゃってるわけじゃん
そこは力強さでもあり、前フッサールでやったような万人にとっての正解みたいなもの
根拠を持って、説得力を持ってみんなに受け入れられる学問として受け入れられるところも教会戦みたいな感じがするね
そうだね、だからやっぱりある程度の説得力だったりとか納得性、それはキリスト教も一緒だと思うんだけど
中世とかでやったと思うんだけど、キリスト教といわゆるキリスト教以外の人たちに信じてもらうためにいろんなロジックを積み上げたりとか
納得できるようにこういう罪っていうのはこういう存在でとか、こういう風に考えてリストゼルスの哲学とかを出力するとこんな風に考えられるよみたいな話をしてきたわけで
そっかそっか、はいはい
やっぱりそういうね、人間ってなんとなく頭で納得しないとやっぱり動けないけど、やっぱそれだけだと思っちゃいみたいな
そういうのがあるんだろうなっていうのを最近クォリアの本を読んだりとか、ゲームをしたりとか、いろんなところから考えてるみたいな感じですね
なるほどね、そのゲームってどんどんアップデートされてストーリーが増えていく系のやつなの?
そうそうそう、スマホゲーだからどんどんシナリオが追加されたりとかキャラクターも追加されるんだけど
でもなんかね、結構それだけ壮大な物語だから、1回追加されたらじゃあ次追加されるのは3ヶ月後ですみたいな感じで、1年か2年前ぐらい
でちょっと1回離れちゃってたんだけど
もうコンプリートしたって、別に待ってる間にちょっと飽きちゃったみたいな
そう飽きちゃったとか、ちょっと1回お腹いっぱいだなんてちょっと重たすぎて、お話が重たすぎて日常でゲームにやるのは辛いなと思ってたんだけど
最近ちょっとまた余裕が出ると思うんだけど、やっぱり元々ゲームとかすごい好きだから、それやりたいなと思っていろんなスマホゲーとかダウンロードしてたんだけど
なんか何もしっくりこないみたいな
新しいのやろうと思ったけどまたそっちに戻ってきたみたいな
何気にスマホゲーとかってやってる?最近
やってない、あとね、最近ね、続けてないんだけど一瞬やったのがね、新日本プロレスのゲーム
なるほど、あれプロレス好きっすね
最近
そうそうそう
そうだよね
ストロングスピリッツをダウンロードしてやってみたりとかしたんだけど
でも一番ハマってたのは、ハマってたというかちゃんとやったのは音ゲーかな
前やってたのはバンドリーのゲーム
はいはいはい、音ゲーはそうだよね、確かに
音ゲーの前には戻るんだけど、プロレス最近好きっていう人に会うなと思って
あ、そうなの?周りにもいるの?
そうね、めちゃめちゃいる訳じゃないけど、ポンポンと2,3人くらいプロレス好きでとか
そうなんだ
めっちゃ推しててみたいな人に出会って
なんかプロレス面白いだろうなとか
結構最近盛り上げようとしてるみたいな話も聞くけどさ
実際それが伝わってるんだなと思って
ちゃんとこれから入ってくる層にもリーチしてるんだなみたいなね
そうそうそうそう
今年の新年の目標で、ちゃんと好きなものを見つけるみたいな話があったんだけれども
2月か3月くらいに、それこそハヤトと似ててというか
何人かの人からパパッとプロレス面白いよみたいな話を聞いてて
あとテレビとか見ててもけんどう小林とかさ
あとYouTubeだとクリームシチューの有田さん
プロレスのYouTubeやってたりとかして
そういうの面白くて
そういう話を聞いてて
プロレスの魅力と感動
ちょうど2月かな
無刀鬼平寺っていうレジェンドの引退試合があったんだけど
そういう話を周りから面白いよって聞いてたから
たまたま見てみたんだよね
引退試合、引退イベントをね
そしたらめっちゃよくて
面白かったんだ
もう涙出てきて
そんなに?
かっこいいって
もう60歳で
目と目を消してもう60歳なんだけど
結構いい歳だね
僕の昔も両膝壊れてて
両膝にボルトを埋めて
基本車椅子で歩いてるぐらいの人
これ多分有名な
そっちからの人からは有名な話なんだけど
酷使しすぎていろんな技
もう体ボロボロなんだけど
引退試合とかにも合わせて
きちんと体も作ってきて
もちろん膝はもうダメだよ
歩くのも結構きついみたいな
ただもう広い会場だから
肌道も長いんだよね
無刀鬼平寺と言われて
わーって入場するところから
歩いていくところも50mぐらいあって
そこ歩くのもきついだろうみたいな
何も見せずに歩いて歩いて
これで試合できるのかなと思って
もう全然初心者だから
何なら始めてみるぐらいの感じ
お前情報だけ見て試合見てたら
いざリングに立ったら動くんだよね
めっちゃ動いて
若いって言ったら40くらいの
すごい人気の選手とバーッと戦って
もうそんだけ歳なのに
体も結構バキバキというか
ちゃんと厚みもあって
しっかり鍛えてて
動きもあって
もちろん歳出し膝も悪いから
そんな気便な動きをめちゃくちゃする
ってわけじゃないんだけど
すごいかっこよく試合作ってて
イベントもすごくいい感じで終わって
年もそこそこと言ってて
もう引退試合なのに
こうやって人々を感動させるというか
こんなにかっこいいものあるんだなみたいな
なるほどね
地域格差とプロレスの体験
格闘技とかは詳しくないんだけど
あとスポーツとも違って
本当に白黒つけるかみたいな
勝負じゃない部分もあるというか
まあそうだよね
違う部分で白黒はつけてるんだけど
相手を倒す
本当にぶちのめすって部分でも
白黒はつけないから
無くないと思うような感じがするから
ここよりは多分難しいんだけどね
そうだよね
プロレスは格闘技ではあるとは思うんだけど
世界観が多分ちょっと違うんだよね
武藤圭司は格闘芸術って表現してるらしいんだけど
試合は作品っていう風に表現してる
だから勝った方にも花があるし
負けた方にも負けた側の花があるというか
見せ方がある
すごい世界だなっていうのを
今だとこうやって言語化してるんだけれども
その試合を見て涙が流れてきたというか
感動しちゃって
ちょうど近く岩手にも
武藤圭司が最後に言った
プロレスリングノアという団体が
ちょうど試合があるということで見に行って
面白いみたいな
なのでちょっとハマり始めたというか
ちゃんと人生でこれ
30年後半のおっさんが何言ってるんだって話なんだけど
初めてちゃんと物事に趣味というか
プロレスの押し勝つ的な感覚を
少しこんな感じなのかなって
思い始めた
ごめんねすごい長く語っちゃったんだけど
いいんじゃない
プロレス兄貴の話で面白そうって思った人がいると思うけど
そんな感じなんだね
そうそうそう
だからこれを何か
例えばハヤトは哲学だったりとか
ゲームを好きとか色々あるかもしれないけど
何かしかにこういった熱量を向けられる
自分が向けられてるとは思ってないんだけど
今練習してると思ってたけど
そういうことなのかなみたいな
この対象が違うだけで
そういうリスペクトというか
エモさみたいなものを感じながら今
ちょうどプロレス好きの方は今G1やってるから
何やってる話だけど
初心者なりに楽しんでる
いいよね逆にそういう
コンテンツの話になっちゃうけど
テレビで見て面白いと思って
近くでやってリアルで行くことができるっていう
そういう裾の広さとかもすごい大事だよね
大事だね
文化とか
うちら岩手じゃん
言うて田舎
特に今の時代は
あんまり地域による格差って
ないんじゃなかろうかと思ってたの
言うてもね
岩手だろうが東京だろうが大阪だろうが
うちらも子供時代2,30年前はもちろん
ネットもちゃんとなかったから格差はあったかもしれないんだけど
言うてねテレビもあったし
その辺のベースってあるんだろうと思ってたんだけど
あるというか田舎なりにもやっていけると思ってたんだけど
最近思った
プロレスに興味持って
プロレスができるジムみたいなやつあるのかな
プロレス体験ができる場所あるのかな
ないんだよ
東京にはあるの
ちゃんとプロレスの選手としてやってる人たちが
トレーナーとして
フィットネス感覚で
プロレスを体験できます健康にもいいし
ボクシングとかキックボクシングとか
同じ感覚で体験する人もあるらしいんだよ
東京とか神奈川とか
岩手県の体験格差
岩手だとこっち道徳プロレスの道場があるんだけど
そういうのはやってない
毎週試合はやってるんだけど
そういう体験はやってないんだよね
だからそういう体を動かすのに何やるってなった時に
柔道とか
ボクシングキックボクシング柔術とか色々あるんだけど
じゃあそれが数あるかとか
例えば自分の場合夜
今ちょっと子供もいるから夜じゃなくて昼
日中いけんじゃん
そうなるとほぼないみたいな
そうだよね確かに
柔道やってみようかって時も夜7時から9時とかさ
ちょっと今は無敵かなみたいな
それが東京とか調べるとさ
総合格闘技のジムもあるしプロレスもできるし
それがいつ行ってもいいみたいな
毎日今からやってるみたいな
それが30,40代のおじさんクラスもあるし
若者クラスもあるしみたいな
これは格闘技みたいなやつだけで見てもそうだし
自分趣味なかったから思うんだけど
これがやっぱりライブに行くとか音楽
あと最近神田博山のラジオもすごい聞いてるんだけど
そういう芸能だよね
講談あと落語とか歌舞伎とか
劇も演劇とかもだよね
ああいうのが全然数が少ない
アフターファイブにどれ行こうかなって感覚じゃないじゃん
神田松本城時代に岩手の来たことがあるんだけど
その時にもみんなワイワイと言って
珍しいもの来たありがたいや
ちょっと日常となる国がある
そういう意味で文化というか
都会の良さと文化の距離
そういう感度みたいなもの
なんだかんだ東京とか大阪
都会ってちょっと悪く言われるというか
コンクリートジャングルみたいな
イメージで田舎モンからするとあったんだけど
やっぱり都会の良さその感度の良さ
文化との距離みたいなものは
改めてというかちゃんと感じたね
そうね
ごめんすげえ語ってるけど
それはねやっぱり
何かをやろうとか好きだとか
本格的にやろうと思った時に出てくるよね絶対
僕も元々そういうオタクだったから
それこそちょっと変な話だけど
いわゆる昔の同人誌というか
例えばコミックマーケットというイベントがあって
そこで売られている本って一般社会に流通しないわけだよね
東京とかだとそういう本を売る場所がいっぱいあるんだけど
岩手だとそういうのはないから
めっちゃ高い通販代を払ってきていたとか
なるほど駅前のアニメイトじゃなかったの置いてなかったの
アニメイトじゃ売ってないんだよ
虎の穴とかメロンブックスみたいな
そういう専門的なところに行かないとダメだよとか
今だとそういうのも相当メージャーなんじゃない?
体験の重要性と支援活動
一番の時はもっとアンダーグラウンドな感じだったけど
そうね今はだいぶ広がってきたと思うんだけど
20年前とかだからさ
それこそオタク友達と集約旅行行って
僕は仙台のそういうお店に行って
良かったみたいな
確かに早藤は本とか音楽とかCDとかもいろいろ買ってたもんね
買ってた
やっぱりマイナーな文化というか
本当に突き詰めようと思えば思うほどそこって意識せざるを得ないというか
あるよね
僕は今京都に住んでるけど
近くに大阪があり京都は京都で色んな美術館とかもあるし
それこそお祭りとかもちょうど祇園祭りの時期だったけど
そういうのに見ようと思えば本当に自転車でも行ける
っていうのはすごくありがたいというか
場所が
やっぱりリアルって大事だなって思うよ
環境ね
これが面白いのが今岩手にいるからとか田舎にいるからみたいな表現をしたんだけれども
これもやっぱりそんな単純な話ではないというか
そこが言い訳に実はならない部分もあって
その環境があれば
ある程度その文化レベルってそこに条理があるわけじゃないんだけれども
そこに興味があるとか感度が高い人は多分増える環境が整ってるはずなんだけれども
田舎ではあっても多分
そういう感覚を持ってる人っていうのは
今の俺らとちょっとあまりにも
どうしても欲しい漫画がある欲しいものがある時に
じゃあもう俺はここにいてもしょうがないと
大学とか高校に行く時に絶対にやっぱりここ出てやるっていう人って
出てるじゃん状況するみたいな感覚
そういう感覚を持ってる人たちがやっぱり出てくるんだろうなっていうね
だからどっちがいい悪いじゃないんだけど
あれだろうねやっぱり僕ももちろん大学に出たっていうのもあるし
まずは関東圏にネットで友達作って
その人に語って送ってもらうとか
やってたね
当時まだチャットとかそういうのが前世紀だった時代だけど
中学生ぐらいの時からなんかやっててもね
関東圏の人からなんか送られてきてたもんね
親ちょっと心配してたけどね
変なことやってんじゃないかみたいな中学生だからね
知らない人からね
知らない大人と付き合ってるってね
やり取りしてるみたいなネットでね
確かに確かに
そういうのはね逆にねこういうインターネットがない時代はね
それこそ文通とかやった人もいただろうし
そういう意味ではねアクセスしにくいけどやっぱりできないことはない
ただやっぱり子供っていう観点で考えると
やっぱり周囲の大人とかやっぱり理解とかやっぱり協力は必要だなって思うよね
そうだね確かにね
そう思ってもやっぱり親にね金ないからとか
でもしょうがないとかって言って状況はやっぱり反対される
ただそれを乗り越える強さがある人しかみたいな
そんなのってやっぱりボスというかね
人数減るよねみたいな
あとチャンスはやっぱり少ないというかね
難しいなっていうのはね
なんかすごい感じた
それと今日脱線しまくり台なんだけどさ
まさに今の話でちょっと思い出したんだけど
昔僕が仕事で東日本大震災があったじゃないですか2011年
その復興支援というか
そこで被災した子供たちを楽しませるみたいなことを
仕事としてやってた時があったんだよね一時期
そこで出会ったNPOの団体で
チャンスフォーチュルドレンっていう団体があって
子供たちに例えば親御さんが例えば亡くなってしまったんだけど
大学にちゃんと行きたいとかっていう時に
塾に行けるとか
勉強できるクーポン券を配って
復習の機会を均等にしていこうみたいな団体があるんだけど
その団体がねちょうど最近だな
まさに体験格差
何格差?
体験格差
体験要は生まれたから一度も県外に出たことがありませんとか
今みたいな博物館に行くとか
ライブに行くとかそういうのを本当に一回もしたことがない
ような人っていうのは全然子供たちでいて
そういう人たちのために基金というかそういうのを作って
要はそういう
いわゆる他の人たちができてるけど
自分ができない体験というのをさせてあげようみたいな子供たちに
っていうクラウドファンディングを最近始めてるんだよね
そうなんだ
やっぱりその中でも書いたんだけど
やっぱり人に言わせると別にそんなことさせる必要ないじゃないかと
わざわざ県外に連れ出すとか旅行に行くとかって遊びだから
そのようにお金なんか使ってる人ないんだっていう声もあるとは思うんだけど
やっぱりその体験をしていくことが
大人になってからのいろんな豊かさだったりとか
自分自身がちゃんと恵まれてるっていうのは
自己肯定化につながるよねって話があって
今の兄貴と話したことって僕もすごい実は感じたことがあって
京都大学に来た時に
大阪とか神戸とか京都たちっていうのは
当たり前のように塾にも行って
いわゆる予備校か行って大学受験をするとか
岩手に予備校そもそもなかったじゃん
1校だけあるけど3の予備校ないからさ
仙台行って寮に入ってやるじゃん
みたいな学習機会とかもそうだし
やっぱりそれこそ博物館とか一つとってもそうだし
大学がいっぱいあるから大学生との交流とかも
高校生とか結構あって
自分で学部どこに行くとか
どういう仕事をするとかっていうのもある程度見えたりする
東京とかはそうだよね
インターンとかも発達したから
大学生時代から別にそれが良いとは言わないけど
やっぱり一定仕事の経験を身につけて
自分でちゃんと選択ができる
昼ぐらいって岩手とかを見ると
なかなかそういう風に学習生活を過ごせる
そもそも機会が少ない
とかって思った時に
そういう在県の格差を埋めるとか
ちゃんと自分はいろんなところに行けるんだみたいな感覚
国内でもいいし海外でもいいし
そういうところに支援をするってすごい素敵なことだなと思って
僕も寄付というかクラウドファンディングでしたんだけど
そういう今話してて
知識格差がないとはいえやっぱりあるよねとか
在県って大事だよねみたいなことに今つながって
自分の中でスッキリしたというか
今日ってスポンサーついてるの?
NPO チャンス フォーチュードレンさんはスポンサーなの?
いきなり宣伝始めたけど
でもなってめっちゃいい活動だと思わない?
すごく素晴らしい活動だと思う
難しいところで
まず最初に
そういう素晴らしい活動っていうのはめちゃくちゃ賛同するし
本当に社会的意義も強いと思うから
ぜひどんどん強化できる人はそういうのって
協力?お金でもいいし時間でもいいし
っていうのは本当にその通りだと思うんだけども
これはね結構難しいところでというか
これ日本人独特の感覚なのかな?
ここはねちょっと興味はぜひね
哲学的な観点からというか宗教なのかもしれないけど
いわゆるソーシャルビジネスというか
社会事業、社会的事業へのうさん臭いさ
別にこれはこの事業がうさん臭いって言ってるわけじゃないんだけれども
なんかねそこの難しさ
今ソーシャルビジネスと社会的事業を同列に並べたんだけれども
厳密に言うとそこは定義は多分違くて
ソーシャルビジネスはちゃんとビジネスしてこうお金回してこう
社会的事業はもうちょっと寄付とかクラファーみたいなのを活かしてこうっていう
もうちょっと寄付メインみたいな売り上げじゃないみたいなとこも
あるかなとは思うんだけれども
そういうところの多分ね
感覚の整備かな
これは自分がどうこうじゃなくて
自分が関わってるというか
経営の支援と言うとおこがましいんだけど
一緒にさしもたさせていただいている経営者さんとか
中でもやっぱりそういう福祉とか社会事業関係の方もいらっしゃるんだけど
苦労するのは結構そこなんだよね
苦労するっていうのはそういう活動っていいねって言われるのが
ある意味当たり前だからこその難しさを感じてて
だからごめんね
今の活動もめちゃくちゃ賛同するしやっぱ体験って大事だから
それってやっぱさ
遺伝じゃないレベルで引き継がれる
文化的なんとかみたいなのあるじゃん
ミニムかな文化的社会的遺伝とか
そういうところの
改善というか
善ではないんだけどそこに対する何らかのアクションとして
環境から整えていきましょうってすごく
意義がある
だからそういう
様々な素晴らしい活動に対して
話じゃないんだけど安直にいいねっていうことの難しさが
自分の中であってめんどくせえなと思うんだけど
意味がわかんないかもしれないんだけど
クオリアとメギド72についての雑談
素晴らしいんだけどいいねいいね俺も寄付するわっていう感じではないというか
ちょっと難しいところ
今話したら
面白いなと思ったやっぱり僕はその団体のことを個人的にも
知っているし一緒に仕事したことがあるから
代表の人のことも知っているし
他の寄付をするみたいなことを割とやりたいと思ってる人なのよ
やったほうがいいとか
やらないほうが悪いとかってことではなくて
兄貴が言ったようにそこに対してその散屈さとか
結局自分が何かやったことが
役に立つのかとか
悪いことにされるのではないかという感覚があるっていうのもすごいわかる
やっぱりそっちだなって思ったね
寄付の意義と散財の感覚
大事なのって
面白いよね今ハヤトが言った代表の方も知っているし
ハヤトは2011年の震災復興の時からそういう活動をして
今でもそういう活動をしている素晴らしい人たちだ
分かっているからそこに
もう一歩のアクションができる
自分の場合も事業をやっている方で知り合いの方とか
そういう気持ちというか具体的なアクションというのがあるから
もちろんその辺の
整備一つとしてのクラファンだったりするのかもしれないけど
その辺の
ビジネス的な意味だったりとか
ボランティアでもいいんだけどそういう活動の
大枠だよね
これこそが田舎の感覚なのかもしれないけど
聞いていらっしゃる方は何十何年前以上の
感覚で喋っているんだってことはあるかもしれないけど
意外と岩手とかでやっていると結構ネックだったり
するからどうやって
具体的な人の繋がりを作っていって
巻き込んでいくかみたいな
個人的にも少し興味ある部分でもあるから
うまくできればいいのになぁとは思う
なるほどね面白かった
創始編についての話
そういうのが自作的な問題に出てくるかもしれないし
ぜひよろしく
今日ちょっとダラダラといろいろ喋ってしまいましたが
結論ない話をただただしちゃった
そんな感じで老司会は以上になるんですけど
次から創始ですね
創始っていう教科書とかで書いてたと思うんですけど
そういう創始っていう人が何人かいるみたいで
よくローソー思想と呼ばれる創始の人は
創始で言うようにします
僕も言い慣れてないから何回か間違えちゃうかもしれないけど
次回からは創始編ということでやっていこうと思ってますので
了解しました今日は本当に雑談って感じだったね
たまにはこういうのもいいでしょうか
また次回引き続き東洋思想的な
創始と創事ということでやっていきたいと思いますので
引き続き楽しみにしていきたいと思います
では次回もよろしくお願いします
よろしくお願いします今回もありがとうございました
49:10

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