鎌倉仏教と浄土信教
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いしまーす。
よろしくお願いします。
はい、これまで4回にわたって、日本の仏教の禅を見てきたというところだったんですけれども、今回その雑談会ということで、のんびりやっていきたいと思います。
はい、そうですね、前編もお伝えさわしいということで、鎌倉仏教、浄土経からしたら、結構ね、法念、親鸞、一遍で永済、道元っていう、結構ね、立て続けにやってきたかなと思うんですけど。
おぉ〜、星が結構見てきたね。5人か、そこまで含めると。
そうそうそうそう。そうでしたか、何回目かはね、もちろん教科書的にはね、そういう人たちの名前とかさ、何しろ開いたとかは知ってるって話だったけど、
何か今回話を聞いてもらって、どうでしたか?
あぁ〜、そうだね。前の浄土経のあたりでも話したけど、やっぱり一番さ、今の、うちらが接してる仏教のルーツとして一番近いというか、すごい身近なのかなぁと、やっぱり感じたよね。
で、まぁその上で、なんでお話がね、浄土経とか仏教、浄土経に、浄土信教が広まってるのかっていうのが分かったんですけど。
はい。なんでやっぱり、ちょっとお話がね、浄土経とか仏教、浄土経に、浄土信教が広まってるのかっていうのが分かったんですけど。
しはいあとまあ一方で今回はね 前年前っていうものもさあだって
あのコンビニぐらいあるんじゃない か説があった
まあそうね厳密に言うとねなんか ローソンぐらいだった後から調べ
たらローソンぐらい あやっぱりローソンぐらいだでも
ローソンぐらいあるって思ったら すごいあるよね
うんうんうんねそんなにやっぱり 好きはしないけどあるんだな
っていうところもねまあだから ねまああとはやっぱりこれだけ
そのなんだろうな自分が僕はね 人によるんだろうけどなんだろう
なその自分の宗教というかさ一応 ねそういうのにこう無自覚だったり
とかあとまあ興味がなかったんだ なっていうのをすごいねあの感じ
てたのね なんかね僕もそういうなんだろう
なやっぱり意外と知らなかった っていう話と知らないなりにやっぱ
宗教の根本的な違い
なんか影響されてるのっていう 話を両方感じたんだよね
そういえばさやっぱりこう自分 で
やっぱり努力したらさ結果にた りつくみたいなってもちろんそれは
宗教だけじゃないけどやっぱり 道元の禅もさちゃんと自分でいわゆる
ひたすら座禅をして努力をして まあある種その努力をするっていう
こと自体が悟りだよみたいな 話をしたと思うんですけど
やっぱりその辺ってこうなんだろう な生きる価値観というかやっぱり
まあ頑張ることがいいことだが 即禅につながるかってわからない
けれども うんうんうん
やっぱりそういう部分もあるだろう し
はいはいはい
またね逆にそのまあ浄土経でい ったらやっぱりこうある種神様
とか仏様に救っていただくとか さ
ある種その自分の頑張りっていう よりもそういう大きなものになんだ
ろうなこう頼みにするみたいな 感覚も別に違和感はないじゃない
じゃないなんか僕らが普通に 生きてる中でさ
あー確かにそれは面白いねあの 結構違うこと言ってると思うし
違う価値観だと思うんだけど そうそう
意外とそれがこう道とすることに 違和感がないというか
うんそう考え方とかね宗教から しゃやっぱ全然違くてその絶対
たりきか自分自身かっていうのは 本当に根本的な違いだと思うん
だけどやっぱりこのね800年後 未来を生きる僕らの感覚からする
とまあ両方あるよねというか
そうだねなんかまあ何度も長い ものに巻かれるとか権威最高とか
とはちょっと違うんだけれども こういうちょっとこう大なんだよ
なあの 阿弥陀如来様に違ってとかそういう
なんか大いなるものにそのなんだ かな
逆らえない自然ちょっと自然崇拝 的な話で言うとそういう強大な
さ自分たちにはどうしようもできない ような大きな流れみたいなもの
には無理して逆らなくていいよね みたいなちょっとあの阿弥陀様
とはちょっと違う感覚だけど なんかそういうその大いなるもの
的な感覚もあるし一方でその禅 的なさちょっとプロプラグマ的な
気づくようなものだったのかな と思うんだけど世俗の本人に
自分が頑張ってその目標に到達 していくのがしかもそれはまあ
あの何だろうな仏教の場合は悟り という絶対的なゴールはあるんだ
けどもただそこに向かっていく ただ悟りというものをふわふわ
してるからよく分かんないしと いうか苦修行をしようねまず頑張
ろうねみたいな意味ではその方向 にいくっていう意味ではなんか
近いものもあるのかなあみたい なのねそれがやっぱりこう全然違う
感じなのに同居してるみたいな そうそうそうそういうのもね
やっぱすごい面白いなっていう かこういうところに根っこがある
のかもあるいはもっと根っこが あったからこそね両方が広まってる
ってことなのかもしれないけど まあねあとすごい抽象的かつ根本
的なことを言ってるから何にでも 惹きつけられちゃうのかもしん
ないしね まあそれはあるでしょうね
みたいなところはねやっぱすごく 考え方として面白かったしやっぱ
それをね実際にこう自分自身
信じきってというかそこに救い を見いだして広げていった人だ
っていうのがね今回いろいろな 人を学べたからなんかそういう
意味ではすごい面白かったなあ っていうふうになんか僕自身も
思ったんだよね なるほどはいはいはいなんかそうだ
ねそれで言うとそのさっきの同 居そのねどっちもあるみたいな
話だけど社会人何年目ぐらいだろう なあなんか個人的にもちょっと
面白いなと思い思い出したんだ けど面白いというか
あの仕事というか色々きつくて あやばいこのままじゃ
やんでしまうみたいなこうつらい ときってあるじゃん
なんかあーきついなあみたいな ね身体的にも精神的にもどっちも
やっぱ同時に来るじゃんその時 に
これはダメだちょっとお寺とか そういうとこに行ってちょっと
癒されようというふうに思った ことがあったんだよね自分でも
ハヤトじゃないけどというね その時に自分なりにその
ちょっと調べたんだよ
じゃあ果たしてこの
癒されたい自分は
どこのお寺とかどこの神社に行くのが
正解なのだろうかと
なるほどね
より正しい神社とかお寺があるはずだと
頭でかっちゃうんだけど
でもいろんな宗派があるから
でも
おじいちゃんのお墓があるとこに
行くのもなんか
行っても別になんかするわけでもないしな
みたいなとか
っていう時に
いわゆる浄土神宗とか
禅とか
神道か神社って何なんだろうとか
パーッと調べて
自分はどこに行こうかな
みたいなのを調べた時に
一番しっくりきったのが禅だったんだよね
今にして思うと
言ってたねやっぱ禅はちょっと興味あるというかさ
すごく
触るかもって言ってたもんね
そうそうまあそういうすごくライトなね
観光どこに
行こうかなレベルの話なんですけど
はいはい
その時に自分の中で良かったのが
臨済宗
うんうんうん
というかまあ禅で
禅で臨済宗と宗陶宗か
よく分かんなかったんですけど
たまたま仙台の隋岩寺
あそこが臨済宗で
じゃあここいいなって
パワーストーン工作と癒しの効果
ここでねそこでなんか
パワーストーンを作りましょうみたいなのがあって
そんな応用してるものがあるんですね
そういうのがあるのね
そうそうあのなんかね行ってお金払えば
畳の奥のね胴にとされて
あーなるほどね
座りながらあのいろんな石があって
自分であのちまちまと紐に通して作れるみたいな
あの多分何千円かであったんだけど
はいはいはい
そこに
やってきたのそれ
やってきたやってきた
おーいいじゃんうん
行ったうんなんかこれはパワーありそうだぞみたいな
あのその時はいろんなねあのパワーストーンだったらね
そうですもうあの Hm
パワーストーンだからさピンクとかさ
はいはいはい
おしゃれでもいろいろあったんだけど
自分はもうあの
他の人は結構こうあのカップルで着てたりとかさ
おばあさんがすごいこう良い感じで着てて
なんか俺一人であの凄い暗くなりながら
あはははは
黙々とね
何しようかなぁって
そうあのマヨ系のブラックオーニキス、黒い真っ黒のやつと
はいはいはい
あとあのなんかゴツゴツした五大樹の木っていうのがあって
ؙるいやつ
それを組み合わせた
黒と茶色を組み合わせた
地味な
ブレスレットを作って帰ってきた
だいぶ地味だけど
でもいいね
それをちゃんと地味に作ってね
それをしばらく
持ち歩いて
持ち歩いて
なんかあった
気持ち的な効果というか
ああいうのは気の持ちようだからね
観光じゃなくて
旅行でリフレッシュが
されたよね
うんうんうん
あとは疲れてる怨念を
ブレスレットに込めたから
一旦それでいいかな
はいはい
そういうのはあるよね
やっぱりこの
起きどころみたいな話で
やっぱりこう
なんかモヤモヤするという時に
結局これが原因だったんだとか
なんとなくここに置いてきたね
みたいなさ
やっぱりそこで楽になる感覚っていうのは
あるじゃない
うん
まあねあるし
その根本の原因分かってても
基本取り除けないことが多いじゃない
まあねそうね
本当の意味ではね
その仕事がとか上司がとかさ
そういうのはなかなかね
やりきれないところがあるから
そうそういきなりね
そうそうこの土日でじゃあ仕事辞めますとかね
じゃあその
例えば気に入らない同僚とかさ
人がいたらそいつを殺してしまうかみたいな
そうね
みたいな
やばい本言っちゃうじゃん
根本原因を取り除こうってなっちゃったね
うん
ああでもね
なんかそのやっぱり
気の持ちよっていうのは
なんかちょっとネガティブな感じもあるけど
意外とネガティブな言葉だなとは思っていて
うんうん
まあ
やっぱりその宗教に関してはさ
僕はやっぱり宗教の根本は信じることだって話はしてたと思うんですけど
はいはいはい
うん
で実際今回もさ
その
新蘭とか道元の時にやっぱり
いわゆる教えとは
教行信証だね
という意味で
新蘭はその
教えとか
修行と信じるとの逆転させて
アミダ仏の教えっていうものを信じるんだっていうふうに逆転させますよ
っていうふうに思って
やっぱり信じるってのはすごく大事だとしたときに
はいはい
結局そうやって
今風に言うと
気の持ちよってことになっちゃうと思うんだよね
だいぶライトになったけど
なるほど
結局その教えはやっぱり信じれるかって
なんかもはやロジックを超えてるし
別にね
パワーストーン
作ったからって
別に自分の辛さが
どっか行ってしまうわけではないんだけど
でもやっぱなんとなく楽になるみたいなのは
あるっていうのが
面白いというかさ
人間の不思議さだなってのはすごい思うんだよね
まあね
そうだよね
多分
その
当時だよね
鎌倉仏教できたあたりとか
瑞巌寺でパワーストーン工作
平安の牧っていうのは
今の例えばさ
土日過ぎて月曜日また
朝早く起きなきゃみたいなのとは
またね
全然違った苦しさもあっただろうから
よりね
あの
根源的な苦しさがあっただろうからね
生きる死ぬとだろうとね
そうだよね
だって身の回りに死体が落ちてさ
なんか俺もいつ上がるのかみたいな
そんな世界なわけだからね
腹減ってるみたいなね
こっちはね
飯は食えるっていうね
全然違うからね
より切実だったんだろうなと思うと
その信じるっていうのも
切実さもね
やっぱりあの
捉えようとか考え方次第とか
そんなぬるいもんじゃなかったんだろうね
まあね
そう
いや
だから実はちょっと
面白い話があって
面白い話っていうのは別に
僕が面白いだけで
ちょっと皆さんが面白いかも分かんないんですけど
あの
まあ一応さ
今年
子供からの質問
この
タイが最後になる2023年
空鉄ラジオを聴いてる方には
あの何度かね
お伝えしてるかもしれないんですけれども
結構やっぱ僕はその
哲学をもともとやろうと思った時に
なんかその信じるものが欲しいとか
やっぱ正解が欲しいみたいな感じで
入ってるんですよね
要は
人生苦しい
その苦しみを解き放ちたい
そのためにはなんか
正解があるはずだみたいな
はいはいはいはい
そう
ってのを言ってたと思うんですけど
なんかね
今年1年かけて
なんかその
囚われがね
なくなったんだよね
おー
あーよかったねそれは
まあいいのか悪いのか知らんけど
なんか良さそうだよね
いい方だと思う
囚われは
うん
ないとー
だから
なんかどっちかって言ったら
その
信じるものがあればやっぱ楽だよねとか
なんかそれ信じさせてくれみたいな
やっぱ気持ちがどうかにあって
まあそれって結局
自分をよそに預けることにもなっちゃうな
っていうのも
うすうす感じてはいたんだよね
本当に純粋に
やっぱこれが素敵だとか
これが大事だと思って
すっと信じるのはいいと思うんだけど
なんか信じるものが欲しいみたいなのって
やっぱちょっとこう
多責というかさ
なんか自分の責任を他に押し付けてる感じがするじゃない
うんうん
まあそうなのね
そのある意味
自分で考えることを放棄してるとも
そうそうそう
言えるというか
うん
そうねそうなんで
うん
なんかその今年一年
まあ去年からか
考え方の自由
そのちょっとした勉強会に参加させてもらって
やっぱその先生がね
まあやっぱ全てはこう認識ですと
認識が変われば世界は変わりますっていう
まあちょっとそれだけ聞くと
ちょっと怪しげなんだけど
それじゃない
その怪しい
うん怪しい勉強会に参加してるの
怪しくない怪しくない怪しくない
ちゃんとビジネスとかそういう
あの枠組みになっちゃうんですけど
うんビジネスも怪しいけどな十分な
まあまあね
まあまあでも
現代の信仰だよビジネスは
それは間違いないやっぱりね
ビジネスに信じるものだからさ
まあでもなんか言ってたのは
結局そのなんだろうな
このことを捉え方次第とか
気の持ちを次第って言っちゃうと
まさにライトになっちゃうけど
まあでも結局そのなんだ
やっぱ自分が信じたいっていう風に
思っていること自体がやっぱり
世界を歪めてる部分があるよねと思って
だからこそ別に
なんだろうなそこまで大事じゃないっていうか
別に自分らしく生きりゃいいじゃないかぐらいの
ちょっと最近気持ちになってきてるよね
あーなるほどね
そのヘイトの幸せ探求人生からすると
そうそう幸せ探求人生からすると
この苦しみの人生を早く終わらせねばならぬみたいな
それこそなんか自殺か下脱かみたいな
もう究極の二択みたいな
そんな感じだったんだけど
なんとか下脱の道を探ってたみたいな話だね
そうそうそうそうなんとかみたいな
さすがに死ぬのはちょっと無理みたいな
っていうような話だったんだけれども
別にそんなこともなかろうみたいなね
その苦しみも人生だし別にね
人生よく見たら別に苦しみだけじゃなかろうと
今生きてる自分のことをね普通に振り返るとね
こんなねラジオもやってるのに
聞いていただけるなんて幸せじゃないかと
も含めてなんかある種現状コーデというか
まあ自分自身っていうのをね
あのまあそれでいいじゃないかとね
思ったときになんかね
すごい解放された感じがあったんだよね
うーんなるほど
怪しい話になってきたね
怪しくないよ
怪しいのかなやっぱこういうのって
うーんどうだろうな
いややっぱそこはあの
そういう人の視点は次第みたいなとこはあるのかな
結局こういう話をしたときに
あのごめんね話ちょっと途中だろうけど
うんあのうーん
うんあとね多分怪しいと思われちゃうのは
そういうやっぱりその自分はこうだった
これで例えばあのこれを飲み続けて痩せたみたいな話
はいはいはい
とかねこれで苦しみに解放されたというのは
何かに菅につきたい人たちは光になっちゃうんだよね
うーんなるほどね
一方でね
うんそれが悪用されるケースが多分あるんだよね
悪い方に
はいはいはいはいはいはい
それをじゃあ本当のことをそのまま伝えたとしても
なかなか伝わりきらない
このもどかしさみたいな
多分あると思うんだけど
それだけか
それみたいな受け取り手次第というかね
よくそうなっちゃうんだけど
面白いねそれもさ
結構僕はこういう話が好きだから
するんだけど
確かに人によってはいきなり何語っちゃってんの
とかさ
最近で言うとさ
それってあなたの感想でしょ的な言葉
にやっぱなりがちじゃない
まあそうだね
でもなんか
この前それこそ奥さんとも話してて
なんか最近その子供
うちの子じゃないんだけど世の中的に
子供がなんか言った時に
それってあんたの感想でしょって
ヒロキーさんなのかな
言ったと言われている言葉を返してくる
返してくるへーなるほど
youtubeとか見てね
youtubeとか見てね
でなんかそういう風に言われた時に
私だったらどう
ていうかちょっと困るわみたいなことを奥さんが言ってたのね
なるほどなるほど
うんうん
僕はなんかそういう風な話が出た時に結構考えてて
そういう風に言われたらどうしようとか
返しられたらどうしようって考えてたから
あんまり今は困ってないんだけど
なるほどもうあのシミュレーション済みなんで
そういう意味だからそうそうそう
なんでかって言うと
感想以外に何を求めてるんだって話なんだよね
要はファクトを求めてるんだったら
別に僕じゃなくていいわけで
だからそのね機械とかと話してなさいと
あなたの目の前にいるのは人々は人間なんだから
その人の意見とか感想とか考えっていうものを大事にしたい
コミュニケーションっていうのは間違ってるっていう風に思うんだよね
まあそうねあなたである必要ないよねっていう話なんですね
そうそうそうそう
ファクトさっき機械と話してればあったけど
ファクトはそれこそね
もうあの一時ソース取りに本当に行きたいんだったら
それやれやっていう話になるとかね
現場に行きなさいって話ですか
そうそうそうそう
それね現場に行ってその人の話聞いてくればいいでしょと
そうそうそうそう
感想が本当に嫌だったら
じゃないんだったらそれこそお前何人にその言葉を話させられてるんだお前は
何に操られてるんだお前バカ野郎っていう話になってくるってことだよね
それこそ自分の言葉ですかみたいなお前は
そこまで言う
どうしたどうした何かあったの
いややっぱりさほらさっきほら言ったじゃんやっぱ誰かにその
すがるとかさ
あーそうだね
誰かにその言葉を使わされちゃってるとかさ
その価値観を自分の本当に価値観なんですかっていう
だから面白いよねだからそのね
あなたの感想でしょっていうのも
それも言わされてるっていう
そうそうそうそう
ただすごい強いツールだからその言葉は
使いやすいからね
武器として優秀だから使えちゃうっていう
怖さもあるけど
まあそういうねハヤトみたいな想定済みのやつがいたときに
やっぱりそれに対するね
表面的に使ってる武器だと
その武器をポロッと言われると
落としたときにもうなぜすべてなくなっちゃうから
そうそうそうそう
やっぱりねちゃんとね
やっぱ武器はねちゃんと使わなきゃいけないって話はね
本当今回はね
それこそ鎌倉仏教の話もいくつか出てきたと思うんですよ
それこそやっぱ阿弥陀仏ってこと
南無阿弥陀仏って念仏もさ
やっぱりそういうどういう気持ちで称えるっていうのが大事なのか
とかは別に称えればいいんだっていう話もあるし
またねその座禅とかに関しても
ただ座っているってこととはまた違う
それが悟りであるっていうことを知らないと
結局修行しててもしょうがないみたいな
首相一等って言葉もあったと思うんですけど
これやっぱりその
全部そうじゃないすごい抽象化してるからだけどさ
なんかここないとやっぱり心っていうのはやっぱり一つに
慣れたらその方が素敵だし
やっぱり行動が心を変えるし
心は行動を変えるし
っていうようなその行き来っていうのは
やっぱめっちゃあるなってなんか今話しても思ってね
あーなるほどね
あーそれはやっぱりあれのちょっとさっき言ってた
そのハヤトの囚われから解放されたことによる
ちょっとこう視界の開けみたいな
あーいやほんとそうほんと
感じなのかな
いや俺はもうだって
思考が全てだと思ってるから
そうあの正しい意見を言っている方がより正しいっていう
そういうなんていうのかな
もうガチガチの価値観にいたんだなっていうのが
ちょっと
一貫して生きてきてるんだよね
へーあーなるほどね
それはじゃああれなの
2023年の1月時点では
まだその感覚
その頭ではそういうこともあるだろう
っていうのはあったかもしれないけど
身体的な理解側として
はあまりなかったの
そうだねなかったね
うんまだ
まだやっぱりなんかどこかに
答えがあるとか
なんか自分が何者かになれれば
やっぱり
救われるみたいな
あー
感覚は全然まだあったんだよね
あったね
だからだからやっぱあの
大学院で哲学を学ぶことの意義
なんだえっと学医じゃなくて修士か
そうそうそう
大学院に行きたいとか
それもやっぱそこから出てきてた
と思う今考えると
いや今から考えるとそれもあったなと思う
現実的にはやっぱり
例えばさ仕事としてそういう研究をしたい
それは大学院
大学とかじゃなくって
いわゆる企業とかもね
こういう何だろう
あの哲学とかも研究して
お金を稼ぐみたいなポストって
なんか数個あるんだよね
やっぱ日本において
まだ出てきてるんだ
そういうのがある
何個かある
実はある
例えばソニーさんとかに
そういう研究室とかがあって
へえ
うん
ソニーってその人の感情とかを
やっぱりこう揺さぶるっていうか
豊かにするみたいな発想がある中で
感情とか人間とかをこうやって
人間にといて研究するみたいな、そういう部署があったんだよね。
ああ、そうなんだ。
で、そこにやっぱり、例えば、借りに行きたいと思ったときに必要件として、
そういう修士以上の学位とか、研究の実務経験とかっていうのを書いてたときに、
やっぱりそういうのが必要だとしたら、取っておいて、損を何とか取りたいって思ってたのも一つはあったんだよね。
ただ、今兄貴が言ってる通りで、やっぱり、学位とか博士号を取れば何か変わるんじゃないかとか、
そういうことがないと、結局自分が本当にそこについて考えたいと思ってるとか、
取り組んでるということが証明できないんじゃないかとか、
そういうふうに、ちょっと外から薄付けをしようと思ったんだよね、やっぱり。
なるほど、まあね、難しいよね。
今回の、
ほら、法然とか、親鸞、あと一遍は、起因がなかったじゃない。
そうだね、一遍はどっちかっていうと町、町というかね、地方の方でやってた人から。
うん、だったり、営災に、禅でいうと営災にしても、きちんと起因にアクセスしているから、
絶対に避けては通れないというかね、攻撃しないといけない重要な要素ではあるから難しいよね。
うん。
そうだね、うん。
だからやっぱり僕の人生を変わるひとつに、大学の大学院で哲学をやってたっていうのは、
間違いなく、何だろう、プラスになると思ってたんだよね。
今でもやっぱり思ってはいる。
うんうんうん、なるだろうしね、そりゃ、そりゃなるだろうしっていう。
うん。
でもなんか別に、それだけじゃないなとか、今じゃなくてもいいなとかっていうふうに思えたのは、
今兄貴が言ってくれた通りで、ちょっとそれを相対化できたというか。
うんうんうん。
それこそいっぺんみたいに、やっぱりある種ね、定め的に。
まあもちろんね、彼もいろんな勉強はしてるんだけれども、やっぱり実践していく人もいるし、
あとやっぱりなんだかんだ、こうやってね、そうやってたじゃん、今ほぼ丸9年、来年の4月で2周年だけども、
カットガンやらせていただいてとか、あと哲学の勉強も月に1回だけと、先生のところに行って、
なんか1日3時間とか結構ガッツリやってるのよ。
あははは、そうなんだから、あの、
うん。
え、大会なさった先生だったんですか?
うん。え、大会なさった先生だったんですか?
うん。え、大会なさった先生だったんですか?
大会なさったと、そう。
はいはいはいはい。
先生のところに行かせていただいて、まあ結構議論もできたんだよね、その議論が、なんかそういう意味で言うと。
だから最初はもう、先生にコテンパンにされて、もう君は何言ってるか分からんぐらいの感じに、呼ばれんじゃないかとってビクビクしてたんだけど。
あーなるほどなるほど。
うんうん。まあ所詮ね、だってちゃんと勉強もしない人間だから。
あーまあそうか、心理学だもんね。哲学は本当に野良なのか。
野良、野良です。
はいはい。
そう。
だけど、意外とその、やっぱり先生からしても、なんかちゃんとやっぱり分かってるねとか、まあこのぐらいのことは理解できたら結構いいんじゃないっていうふうな、こうやっぱりフィードアワークをいただいて、なんか自分も捨てたもんじゃないなって。
あーはいはい。
捨てたもん、なるほど。
少しその、野良でやってたところが、道場を破りに行って、あ、少し、少しここは通じるんだとか。
うん。
なんかこう、少しそういう権威と触れる、あれだね、大学に行かなくてもそういう場所が。
うん。
できたっていうのは大きいのかなね。
そうそうそう、そういうこと。なんかちょっと経緯から離れたところでむしろ自由にディスカッションとかができてるから、あ、それでもいいんだみたいな、なんだ、そういうあり方もあるんだなみたいな。
面白いね、確かに。それはなんか、それが野良の先生だったらちょっと怖いというかさ、あの。
そうそうそうそう、お互いに。
わかんないけど。
自分の意見と正しい情報を伝える重要性
ね、その変な世界にお互いに突入しちゃうかもしれないけれども。
そうそうそう。
まあ、一定というか、かなりやっぱあの、ちゃんと教授として、まっとうした方の。
うん。
とこで教えてもらえる、そこで話できるというのは、あの、こっちの野良にとってはね、すごくあの、貴重かもね。
いやー、ほんとにありがたいと思うね。
うん。
やっぱそういうのを受け入れてくれる方がいるっていうのも、ありがたいし。
うんうんうん。
そう、まあそういうふうにね、1年間やってきたからこそ、なんか、なんだろうな、やっぱ、まあ自分にもできることがあるって言うと変だけど、まあやっぱ自由にこう、ね、ソイレスラジオも何回も言ってるけど、
うん。
別に、専門家じゃないからこそ言えることがあって。
うん。
たくさんあるなって、やっぱ思ってるわけよ。
はいはいはい。その責任がないところでしょ。
そう、責任ないし、別に誰かに気を遣う必要もない。
うん、あー、はいはい。あの、教授の、あの、理論をちょっとあの、ずれた話しちゃうなーみたいなことがないみたいなね。
そうそうそうそうそう。だからこれ、会で発表する内容と被ってるなとかってさ、誰も思ったりするかもしれないじゃん、こう、ほんとに研究者だったらさ。
だからこれちょっと温めておかないとみたいなね。
そうそうそうそう、今じゃないみたいな。
うんうん。
だから別に僕はさ、やっぱ今好きなことを好きなときに話せるっていうのはすごくやっぱ自由だし、ある種解釈が間違ったとしても、それこそ自分の意見とか感想なんでっていう風に言っても別に誰からも怒られない?
まあ、それはちょっとずるいけどな。
ね。
まあね。
まあでもあれだよね、そこがあの、ヘイトの本気である限りはってことはね。
そうそうそう。だから本当に思ったこととか、本当に自分考えたこととか別に言っても、なんだろうな。
誠実ではないっていう。
うんうんうんうん。
本で読んだことだけとか、YouTubeでキレイショーしてきたことじゃなくてね、ちゃんと自分の考え方を考えましたっていうね。
うんうん。
正しい過去を書けるっていう。
ね、書けるっていう。逆に言うとさ、僕は自分の意見とか感想を言うこともネガティブだと思ってたんだよね、このスワイディックラジオにおいて。
結構そこ、あー、そこはもうなんかちょっと自覚というかなんかあるんだ、やっぱそこもなんか。
うんうん。
そうそうそう。で、アイケも結構言ってくれたじゃん。
そうね、やっぱりハヤトのね、むしろどう思ったかとか、何が面白かったかが聞きたいよっていう風に言ってくれたと思うんだけど。
そうね、一リスナーとしてそこ聞きたいんだよって、あの抗議じゃなくて、あの解釈を聞きたいんだよって話してもちょっと噛み合わない部分はあったよね、ちょっとね。
うん。それはやっぱりだって、自分なんかの意見を聞いて、なんかむしろすいません聞かせてしまってみるぐらいの気持ちから始まってるのよね、自分としては。
あの、人生がね、そもそもね。
人生の中、あ、あの、お耳汚しになっておりませんでしょうかみたいな。
そう、そんな感じなのよ。
あなたの感想でしょっていう言われる前に、それをまず発信することのあの、なんだろうな、戸惑いみたいなものがね。
そうそうそう、ブレーキをかけてたわけよね。
だから、なんかなるべくその本を読んで得たこととか、まあその、ある種、まあ、例えばカントならカントが言ったと考えられるであろうことをなんか、
あれであろうことをなんとか言おうみたいな。
ああ、なるほど。
で、そこに自分っていうのを挟まないようにしないと、むしろ失礼じゃないかってやっぱ思ってたのよ。
なるほど、まあ、一般的な正解というかね、ちゃんと流通してる正解も伝えないと、むしろあの、あなたの感想は申し訳ないと。
そうそうそう、申し訳ない。
先生が聞いていただいてる方に、それこそね、何らかそのやっぱ哲学のことについて、まあ知りたいという方、お見舞いという方が聞いてくださってるだろうから。
うんうん。
そこに対して、ちゃんと流行ったの、哲学なんてそもそもないし、そんなものを聞かされても困るであろうと。
なるほど、そう思ってたんだね。
そうそうそう、思ってたんだけれども、そこがやっぱちょっと違うなっていうのを最近なんかやっぱり感じてきてて、
まあもちろんその知識とかその情報としての動言が何をしたとか、どういうことをまあ解いたっていう話はもちろん伝えたいし、それはそれ自体が面白いと思ってるんだけど、
やっぱりそのそれ自体が面白いと思っているファンのハイトっていう人間のこともやっぱり伝えていいんだみたいな。
うんうんうんうん。
っていうのは、なんか本当にね、ここ半ヶ月ぐらい。
結構最近だね。
結構最近。
いやー面白いね、それは結構ブーメランでさ、ブーメランっていうのは、さっきのあなたの感想でしょってね、例えばあの子供から言われたときにさ、
はいはい。
いやだったらAIと話してるよみたいな話で。
うん。
まさにそうだよね。
うん。
ソフトウェア鉄ラジオが一般的なさ、本とかに流通してるような、正解だよね。
うん。
だけをただ発信するラジオだったら、もうAIに書いてもらった方が台本、いいじゃんって。
いいね。
間違いない。
自動音声にあとは喋らせて、ゆっくり動画にして流せばいいし、それをただただ。
そうね、確かにYouTubeでね。
うん。
そうそうそう。
そっちの方だったらね、意外と再生数多いかもしれないですね。
はいはい。
聞きやすくて。
確かに。
ただね、その、もちろんそういう意味もあるしね、その動画にも意味はあるだろうし。
うん。
ソフトウェア鉄ラジオにも意味はあるだろうしって話だよね。
そうだね。
うん。
あ、じゃあそう考えると、結構な気づきがあれだね、あった年というか。
そうだね、今年はね、そういう意味では結構ね、本当にいい1年になったなっていう手放しで言える。
うん。
大変だったこともいろいろあるんですけど。
うん。
まさにさっき兄貴言ってくれた、こう意味の問題っていうのは、あの、今年のたぶん1月のオープンでも言ったと思うんですけど。
うん。
意味とは何かみたいなことに結構向き合ってたときに、なんかそれがね、結構自分の中でしっくり来て、割と最近。
はいはいはい。
こう意味の世界っていうのがもうあるみたいな、ちょっとこれはまた怪しい話になってる人なんだけど。
うん。
でもやっぱりその、まあ、ウィトギン・シュタインしかり、山内卓龍さんっていう、ずっとやってた人が多いんですけど。
うん。
やっぱりこの意味というものがあって、初めて人間の世界とか、そのなんだろうな、その僕たちがその問題にするべき世界っていうのが立ち現れてくるのだっていうことが、割とこう腹落ちして。
それはね、また今この場で言うというよりは、またどこかでちゃんと伝えたいなと思ってるんですけど。
ノートを書く
てか年末年始に、まだ出てないかな、ちょうどこの動画が出るぐらいでもしかしたらノートも出てるかもしれないけど。
うん。
だから1回ね、あの、書こうかなとも思って。
うん、たまにあれでしょ、たまに書く、あの、読んだ人を困らせるノートでしょ。
いやそう、自覚はあるんですよ、あれ。
わかりづらくて。
いやそう、あの、ちゃんと普段はやっぱり伝わるかなとか読み手を意識して書いてるんだけど、やっぱ1年に1回、その年末とかあとお盆時期のそのなんだろうな、時間があるときだけは、自分が書きたいことを書くっていうのを決めてて。
あ、なるほど。
うん。
だからあえてその、読者に寄り添らない、もうあの、主観的な言葉を使ったノートなんだ。
そうそう、あえて。
で、しかも長いみたいな。
そう、あえてね。
1万字ぐらいあるみたいなね。
あ、なるほどね、そこはもうあえてなんだね。
あ、あえて。
自分の出てきたものをそのままガッと出してるんだ、あれは。
そうそうそうそう。だから別になんかその、なんだろうな、ということは10人読んで2人ぐらいなんか、なんか面白いと思ってくれればいいな、みたいな。
うんうん。
そんな感じの気持ちで書くようなものなんですけど。
はいはいはい。
やっぱりそこになんか腹落ちができたからこそ、さっき言ったようにその自分をちょっとなんだろうな、こう、解放できたとか、囚われなくていいよねって思ったみたいな。
うんうんうん。
そこもね、やっぱ間違いなくある。だからまあ、めんどくさいんですよ、たぶんやっぱり僕自身はね。やっぱりその、ちゃんと頭で理解しないと、そういう行動が変わらないっていう意味では、若干めんどくさい人間だと思うんですけど。
あ、まあ、そうはね、その、どうしても身体的理解よりも頭の方が。
うん。
で、理解したがるというかね。
あ、そうそうそう。
そこは先行しちゃうみたいな。いやー、そこはでも気持ちはよくわかるよ。
あ、本当?
わかるわかる。
うん。
そう言ってもらうとね、嬉しいというか、もちろんね、人によってはね、その、なんだろうな、あの、身体から入って、まあ、あとでやっぱり真理になるっていう人もいるし。
それはね、あの、実際そうらしいんです。やっぱりこう、トゥーフィズムかさ、イスラムとかだと、やっぱりいわゆる踊るとかさ、身体を動かす。まあ、インドもそうだよね、あの、シバ神ってさ、あの、踊る。
シバ神みたいな像があると思うんですけど、その、シバ神のダンスっていうものが、その、この世のすべてだみたいな話をしたときに、そういう話があって。
うんうん。
まあ、やっぱりその、踊るとか、やっぱり身体を動かすってことを通じて、その、いわゆる真理とかギナッツに至るとみたいな人たちもやっぱりいるんだよね。
なるほど、なるほど。
うんうん。
まあ、別にどっちでもOKみたいな。やっぱりそれは、その、当てはまる人というか、その人がどっちが得意かっていうので違うんだよみたいな。
まあ、そんな話もあるんだけど。
うんうん、なるほど。まあ、でもいいよね、結構やっぱりその、これ前も雑談でも話したかな。やっぱり人が何か変えたいと思ったときとかって、その、頭から入るんじゃなくて、まずはとにかく環境を変えろっていうからね。
はい、はい、はい。そうだね。
まあ、それは正解ではないけど、よく言うし、それはすごいもっともだと思うよね。
うん。
え、それこそな、出口さんだっけ、その、人とさ、やっぱり旅?あとなんだっけ、日本か。
うんうん。
で、やっぱり人は変わるみたいな話を聞いたことがあるんだけど。
うんうんうん。
でも、本当にそういうことはね、環境を変えてるときにもちろん旅をして、まあ、場所を変えることもあれば、付き合う人を変えるっていうのもあれば、まあ、読む本を変えて、まあ、自分の思考を変えるみたいな。
それはすごいなんか、ほんとその通りだなって思うんだよね。
そんな感じで、今年はこう、思考が変わったがゆえに、自分自身も少し、あの、な、開かれてきたというか。
うん。
こういう、こういう言葉使いが良くないんだろうな。
そう、昔からさ、幸せと、とかさ、開かれるとかさ、開放されるとか、結構伝えがちなんだけどさ。
ちょっとこう、次の瞬間に、なんの、売り込まれちゃうかとか、ちょっと身構えちゃうよね、聞いてる人からすると。
そうね、スピリチュアルだったり、ちょっとオカルティックな感じがするね。
うん。
まあね、あの、難しいし、面白いなと思う。僕自身は結構、スピリチュアルな人とかとも話すから、分かりと受け入れちゃうんだよね。
うんうん。それに特に、その、違和感がないみたいな話だよね。
そうそうそう。でね、そちらに、それこそなんだろうな、それを強要するとかさ、何か、こうね、利害を発生させるってなったら、やっぱちょっと、それは考えるけど、そうじゃない限りにおいては、全然OKと思うから。
うんうんうん。
うん。
そうだね。むしろ、その人の感想を聞きたいよって話だよね。
そうそうそう。むしろね、なんでそこまで信じてるんですかとかさ、どうしてそこでやっぱり人生が変わったって思えるんですかとかって、結構聞いちゃうんだよね、無邪気に。まあ、もちろん聞ける人にはだけどね。
ははは。
そうね。
ケンカ売ってるっていうか、そうそう。
ケンカっていうか、そうはね、あの、それが仮に何かにすがってるタイプの人だったら、結構その質問で、あの、その人をどん底に突き落としてしまう可能性が、知りたくなかった自分に気づいてしまう可能性があるからね。
そうそうそう。やっぱそこにはね、あんまりこうね、責任を当然持ちきれないし、そうそう、人をね、やっぱ不幸にしちゃうわけじゃないので。
ええ、まあね、そうそう。
うん。
はい。
はい。
これ、何か変化が良い変化が多かったというか、まあ、そういうふうなことができた、まあ一年間だったなとは思うんだけど。
うんうんうん。
インド哲学とブラフマン
これ話だとは長くなるんでアレなんですけど、まあ、あの、今回まあ仏教やったじゃないですか。で、仏教はやっぱりその根底に大乗仏教の空がありますって話を何度かしてると思うんだけどね。
はいはいはい。
その空っていうのはその、いわゆる、まあ物事に根性、まあいわゆるそのものらしさってものがないと。
うんうんうん。
それぞれをお互いに影響しながら
関係していながら成り立っているのが
この世界だというような話なんだけど
実はインド哲学とかインドの思想の方には
ブラフマンとかアートマンという言葉があって
いわゆるブラフマンというのが
この世の絶対的なポンポン存在みたいな話で
それがいろいろな形に分かれていって
僕ら人間とかいろんなものになりますよ
という話になっていて
ブラフマンというのはいわゆる絶対有みたいな
あるものみたいな感じなんだよね
最近これ面白くてめちゃめちゃ本を読んでるんだけど
要は同じインド哲学とかインドから生まれた思想が
一方は絶対有ってある
存在しているものをポンポンに置いてて
もう一方の仏教は空っていう
そんなものはないっていうところを
ポンポンに置いてるっていう違いが
今めちゃめちゃ面白いなと思ったよね
へー
はいはいはい
なるほど
だからインドの兄貴みたいに
お前は何なんだって言われて
いやそんなものはございませんっていうのも
僕のスタンスとしてありだなって思うし
俺はこれですっていうのは
ブラフマン的にもありみたいな
最近もうブラフマンが食うかっていう話を
ずっと考えてるんだけど
そうなんだ
じゃあぜひあれだね
前やったもんね
インド古代哲学あたりでさ
ブラフマンアートマンの話
出てきたと思うけど
こと絡めてねちょっとなんか
雑談会でもいいからぜひね
ちょっと発表してほしいね
その辺の
一回ねちゃんとやろうと思って
今めちゃめちゃ本書いてて
バルトリハリっていう言語哲学者があるんだけど
インドの本
知らないじゃん
人の名前それ
人の名前
バルトリハリさんっていう人がいて
なんかの格闘技の名前とかじゃなくてね
インドから古来伝わる格闘技の
確かに
じゃなくてね
いやなんかそうそう
そういう人の本を今読んでて
めちゃめちゃ面白いって思ってる
でもさ
やっぱり本とかさ
学問というかさ
そういうのってすごいなって思うんだけどさ
そのバルトリハリさんの本が和訳されて
日本で出版されてるんでしょ
そうなのよそう
それを念願だって言って
やりきって書いてる人がいるのよ
初めてこの本を読む時から
この思想を日本に広めることをしたくて
まさか和訳まで出せるなんて未知見があるからね
まさか和訳まで出せるなんて未知見があるからね
後訳に書いてらっしゃるんだよね
なるほどね
そういう人数を捧げてる学者さんというかね
そうそう
ちゃんといるわけだよね
すごいよね本当に
そこにびっくりだよむしろね
そのおかげでね
僕もそうやって
今読みたい知りたいと思ったら
すぐ読める
ありがたい話
いやーどうしてもだね
それも楽しみだし
でもあれだよね
次回からまた久々に
次回からまた久々に
西洋に戻るんだっけか
そうそうそうなんです
新年への展望
次回は新年第一回なので
またちょっと新年だったみたいな
そこからまた西洋に戻る
っていう話で
今回の話とも近いなって
自分は気づいたんだけど
なんか変に
人をテーマにして
この人のことを正しく伝えればならぬ
というよりは
そもそも例えば哲学に
いろんなテーマがあるわけだよね
例えば存在とは何か
とかさ
時間とは何かとか
あるいは生きているとは何かでもいいんだけど
そういうテーマごとに
いろんな哲学者が
やっぱり語ってることがあるから
そういうのをいろいろ
ちょっとつまみ食い的になっちゃうんだけど
いろいろ言っていく中で
哲学的には今こんな風に考えられているとか
それって例えば僕からしたらこうだよね
みたいなことも踏まえて話すような
来年はそんなことでも
チャレンジしたいなと思ってるんでね
あー面白いね
それはちょっと勝手に
この前の雑談で話したさ
哲学カフェというかさ
そういうのちょっと通じるかもね
勝手に哲学カフェみたいな
そうそうそう
二人で哲学カフェみたいな感じで
毎回はなのでちょっと
明確なテーマというよりも
現在刑事条約入門っていう本が
今手元にあるんですけど
この柏畑達也さん
っていうような
刑事条約入門
西郷大学の教授の方が書いた本があって
2018年のテーマ紹介とエピソードの内容
まさにこの現代の刑事条約
その哲学において何が問題かとか
どういう風なアプローチが書かれてるのかってことがね
すごくしっかり書かれてる本なので
これをもとにね
今の刑事条約ってこんなものなんだよとか
もちろんそれが全てではないとは思っているし
そういう風に書いてはらっしゃるんですけど
ちょっととっかりにしながら
今年一年こんなことを書いてるんですけど
こう考えていきたいとか
やっていきたいっていうのを
もう一個のテーマによって
結構ね東洋やったから
西洋の橋渡し的な立ち位置で
一回やるっていうのを
第一回にしたいななんて思って
なんかそうやってすごくね
今年一年来年から
2024年やっていくっていう意味でも
なんかいいかなと思って
そんなものを取り上げつつ
2024年はもうちょっとラフにというか
なんだろうな
自分の興味を思うままに
やっていきたいなと思って
おーいいですね
おーよかったはい
そんな感じで
またねなのでちょっとテイストというかね
雰囲気も変わるかなと思うので
そのところもぜひまた来年
楽しみにしていただけると嬉しいななって思います
はいはいわかりました
まあテイスト変わるっていうかあれだよね
もう毎回もう人に焦点当てる
やめるっていうのじゃなくて
そういうテーマに沿ったものも
増えてきますよって話だったので
2023年最後のエピソード
より多様になってきますよと
例えばその時間っていうテーマの中で
もう一回ハイレイを取り上げるとか
全然これまでやってなかった
物理学の人はじゃあどう考えてるんだっていうのを
取り上げるとか
うんうんうんうん
そういうのがやりやすくなるなと思う
そういうのもねあるんで
なんかそんな風な取り組みをね
ちょっとぜひやってみたいななんて思ってるところです
はいはいわかりました
じゃあそうですね
今日のちょっと雑談会はこんな感じで
今年ですね2023年
多分最後の
はい最後だね
多分じゃなくて最後だね
もう一本出ないよ早速に
出ない?
出ないよ無理だよ
いうところで
今年もですね
あの皆さん聞いていただいて
本当にありがとうございました
本当にありがとうございました
じゃあ今年はこれで以上となりますが
来年も引き続き楽しんでいきたいと思いますので
よろしくお願いします
よろしくお願いします
2023年も本当にありがとうございました
2024年もどうぞよろしくお願いします