1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2024-01-03 1:03:52

#176 【新年雑談】やっぱり新年の抱負は必要?/本屋にて/思いやりゾーン

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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サマリー

2024年スタートと言うことで、新年の抱負を話し合っていました。話題に上がったのは、言葉の力や真理の世界についての考えです。イデアってものを見れるようになりたいという抱負を話しています。言葉にうまく表現できないものを言葉にすることに挑戦したいと思っています。「やっぱり死ぬと何かとかもちろんその生きることの意味とかそれに対する捉え方」について話しながら言語や文化の違いを感じる経験をしました。学術的な視点から言語と思想の関係について考え、日本語と英語の表現力の差異に気づきました。アメリカや仏教の言葉と人間の言葉の違いにも深く考えました。外国人とのコミュニケーションにおいて言葉の違いがもたらす影響や、自分がどの言葉で生きているのかを意識することの重要性について話し合っています。本屋での買い物のエピソードや思いやりゾーンについての話が展開されています。思いやりゾーンができたことによって、位置や環境は変わらないが、人の動きが変わることが面白いと話し合っています。深くない哲学的なテーマの話し方について、次回以降の話題を紹介し、2024年の期待を述べています。

00:06
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いしま〜す。
よろしくお願いしま〜す。
はい、今回から2024年スタートということで、今年もよろしくお願いしま〜す。
よろしくお願いしま〜す。新年明けましておめでとうございますと。
はい、おめでとうございます〜。
はい。
ハヤトが年末年始、実家に帰ってきてくれて、たぶん遊んだだろうと、いっぱい楽しく遊んだだろうというところですね。
そうですね、そういうことですね。そうですね、年に一回ですね、僕は岩手に今帰ってて、そこではね、兄貴とも直接、初めて、直接会うという。
何言われるの?直接初めて会うの?
初めて会う。毎週ね、こうやって話してるからさ、毎週話してるから別にね、そんな久しぶりっていう感じもしないんだけど、
まあ普段はね、別に家ではこんな話はしないからさ。
まあそうだね、たまにあったとしてね。
たまにあったとして、別にね、子供と遊んでると、両親もね、別にこれをやってるってことは知らないわけだからさ。
うん、そうだね。
新年の抱負
はい、まあそんな感じですけれども。はい、あの今回からですね、2024年に入っていくということで、新年はね、やっぱり新年の抱負をですね、僕としてはやっていきたいわけですよ。
えー、決める必要あるんだっけか、そういうのって。
去年もね、まったく同じ話をしてた。ニーチェとか持ち出した兄貴はね、反論してたよ。
してた?ニーチェの話をしてた。
覚えたたのニーチェの話をね。
ニーチェの話をして、いや、そういう目標とかを決めるのはそもそも俺さんちもんじゃないかみたいな、そういうことを言ってました。
はい、あの聞き直しまして、あの2023年のね、抱負会を。
何も成長してないね、あなたはね。
はいはいはい。
まあ別に決める必要はない。が、なんですかね、やっぱり、これもまったく去年と同じことは言うんですけどね。
うん。
あのまあ節目は節目で、大事であろうと思ってるわけですよ。
はいはいはい。
僕は昔はね、別に新年とか、そんな人間が決めた暦の話じゃないかと。
別に同じ朝日は昇るし、別にね、12月29日から30日と、たぶん31日から1日の何が違うんだと思ってたんですよ、昔は。
うん。
でもやっぱり、なんかその気持ちとか、そのね、生きていく上の、
それでやっぱり切り替えとかさ
なんだかんだ節目をつけてやっぱ大事じゃないかと
はいはいはい
そういうことを思いましてここ数年ですね
確かに去年との違いはね
プラグマティズムを学んだことはね
おーなんか違う?
違うでしょ
プラグマティズムを学んだ今は
絶対的な主義はない中で
金と借りでもいいから目標を置いて
すごい向かってね頑張っていきましょうと
いうことを大人もね学びましたんで
今年は違うよ
ルサンチマンばかり
それはルサンチマンですよねとは言わないよ
おーそうやっぱ学んだことをね
こうやって人生に生かしていただけるありがたいですね
あと一月で忘れるけどねプラグマティズムは
なんかねそういう風に皆さんの中にもちょっとでもね
残ってるものとかね
なんかそういう風に意味が
なんか残ってるものがあれば嬉しいなと思うんで
そういう風に思うんですけど
そういった意味でちょっとね去年の話を
聞き直してたわけですよ
あんま普段はね自分の
言葉の力
自分とかソイレスラジオを聞き直すことはしないんですけど
うん聞こうよ
聞いて反省しようよ
やだよやだっていうのはアレですけど
で何を思ったかっていうと
あのですね
なんかまあこれちょっと雑な方の話ですけど
こいつなんか面白いこと言ってんじゃんって思ったんだよね
自分に対してね
うーん自己評価が高いですね
いやいや自己評価が高いんじゃなくて
自分が大好きな
自分が興味あること喋ってるから当然ね自分が喋ってることだから
他の人はさそんな風に喋ってくれないわけだから
なるほどなるほど
だから自分がちゃんと興味あること喋ってるって思って
なんかあの1000万円の自分に共感をしてたんですけど
何話したかっていうと
あの言葉を大事にしたいってことを話したんだよね
言葉を
あーなんか言ってたね
はいはい
今年のテーマは言葉だみたいな
そうですそうです
うん
でなんかそのまあ僕がやってるやつのいわゆるキャリアデザイナーっていう仕事とも絡めて
言葉を通じて人に対して影響を与えるというか
人を支援するお仕事だから
そういう意味では言葉を大事にしたいですとかっていうのを結構言ってたんですよ
はいはいはい
でまあそれはそれでね今も変わらないんだけど
なんかね言葉に対する捉え方が浅かったなっていうのを
1年経って思ったんですよね
んーはいはい
あー当時の自分の
当時の自分に対してうん
はいはいはい
そう
言葉ってなんだと
お前は言葉っていうものをどういうモードを捉えて使ってるんだっていうのを
成長してるねなんかね
成長なのか成長になるのかわかんないんだけど
うん
でまあその後引き続き多分言葉っていうものは大事にしていくんだけど
うん
あのー
今ねそういうまあ
真理の世界へのアプローチ
ちょっと抱負というか
あの今年やりたいなーと思ってることが一個あって
ほうほうほう
うん
まあそれは何て言うんだろうな
あのー
いわゆる
それこそ
ちょっと前回の雑談でもしたと思うんですけど
やっぱインドの本を失落したからと
そのいわゆる
本当の言葉と普段使ってる言葉っていうのを分けるみたいな思想があるんだよね
んーあそうなんだ
そうまあ本当のっていうのは
いわゆるまあ仏教で言ったら仏の世界の言葉とか
あまり言葉にならない言葉とか
言葉を超越した言葉みたいな模倣になっちゃって
もう何が何やらみたいな感じになっちゃうんだけど
うんうんうん
やっぱりそういうなんだろうな
やっぱりこう
言葉に尽くせないものってやっぱりあると
うん
まあそれは別に僕があると思ってるというよりは
そういう風な哲学的な伝統とか
あるいはウィトゲンシャインでもいいんだけど
やっぱり言葉に表現しきらいものっていうのはあると
なるほど
あのー
信仰でいうマントラみたいなやつ
あまあそうなのかな
信仰のマントラが
それで例えちゃうとおかしなことになる可能性がある
はいちょっとずれた可能性もある
へえー
それはなおさら興味深いというか
そうなんだね
そうそう
うん
え、ただやっぱり僕らはさ
どう考えてもこの現実の言葉で生まれているという
言葉で言い合わせる世界に生きてるわけじゃない?
いやそうねその言葉にならないものも
言葉で説明してほしいくらいうーん
その時にまさにそのニーズはあるなと思ったのよ
まさにね
今の話みたいに
言うて言葉で教えろよと
それがあるならやっぱり
示せるものは示してほしいみたいな話っていうのが
宗教で哲学でやっぱり
行われてきたことだなって思うんだよね
確かに絶対やってるよね
そういう人たちもね
前回バルトリハリさんっていう
ちょっと耳なじみのない人が話したと思うんですけど
彼もインドの伝統によって
バラモンとか
ベーダーといういわゆる神話的なものを研究して
現代といっても当時まだ5世紀くらいだったらしいから
今から1500年くらい前なんだけど
ベーダーって何千年もの歴史があるから
要はそういう1000年前とかに
役の人を受け継がれているものを解釈したみたいな
そういう人らしいんだよね
そのバルトリハリだけか
バルトリハリさんが
その方5世紀の人なの
5世紀の人
1500年前の人
そうなんだ
19世紀とか20世紀の人だと思ってた
勝手にね
5世紀の人なんです
っていう話なので
その人も当時からしたら
よくわからない神話が残ってて
今の僕らに何の役に立つのみたいなことを
ある種真剣に考えた人なんだよね
なるほど
1500年前に
彼がやっぱり思ったのは
そのベーダーっていう神話たちっていうのは
方弁であると
方弁っていうのはいわゆる
分かってない人たちとか
いわゆるまさに凡夫みたいな人たちに対して
言葉で示せないものを
言葉で示そうとした結果が生まれたのが
そういう神話なんだみたいな解釈をして
それは結構ね
破壊的な解釈だったらしいよね
それがね
わからない人たちのために作ったはしご
メトリエ・シャインの論考みたいな話なのね
そうそうそうそう
っていうちょっとまたね
あれだと思うんですけど
いわゆる真理とかがあるとして
そこにたわりつくための手段として
書いたこととか語られたこと
なんだみたいな話
元々はやっぱりそういう
ベーダーっていわゆる聖典とかよりも
その言葉自体がやっぱり神の言葉だし
神というかそういう先人たちの賢人の言葉だし
その言葉自体が真理だみたいな
結構そういう風な感じだったらしいんだよね
あーなるほど
そこからするとだいぶ
手段って言われちゃうとっていう
そうそうそうそううん
やっぱりそこの方がやっぱり
僕らからしても整合性はあると思うんだよね
やっぱりその
いわゆるその本に書いて言葉そのものが
神だって言われるよりも
それは神が
いわゆる何だ
計り知れない神様が
僕らのために届けてくれた言葉として
分かるようにしてくれたものなんだよっていう方が
やっぱまあ納得はしやすいじゃない
いやーまあそうだし使いやすいね
だいぶ解釈の余地が生まれて
そうそうそう
だからそれによってやっぱり
ダメになっちゃうことも多分あるんだけど
でもそういう何かその
何だいわゆる真理みたいな世界と
やっぱり現実の世界をどう繋ぐかみたいな話は
やっぱり人間の
歴史において
ずっとやっぱ
あのなんだろうな
こう行われてきましたと
うんうんうんうん
ここにちょっとね
豊富な話
長くなっちゃったね
なんかそうなんだけど
なんかいつもの
なんかバルトニー・ハリー・カイだってかな
みたいな感じになってきたけど
あの自分の話に戻すとね
やっぱ
我々はどっちかっていうと
いかにその真理の世界に行くかみたいな
それができるかどうかは分からないが
そういうことをしたいっていう風に思って
生きてたんだよね
はいはいはいはい
いわゆる解脱したいとか
真理をつかみたいとか
うんうんうんうん
あのいわゆる
あのあれどう忘れちゃった
あのプラトンのイデアか
うんうんうんうん
抱負の表現
イデアってものを
なんだろうね
見れるようになりたいみたいな
うんうんうん
それ人間には無理なんだけど
でもそういう風なことを
なんか成し遂げられるような
人生ってもあるんじゃないかって思ってたんだけど
うんうんうんうん
やっぱどっちかっていうと
この現実の世界で
何をするかみたいなのが
結構大事だなと思って
うん
だからこそそういうちょっと分かりにくいとか
まさにそういう言葉にならないものを
言葉にしてくれよみたいなニーズって
やっぱ自分自身にもあるから
はいはいはい
だからそういうことができる一年にしたいなって
思ってるんだよね
うーん
なるほど
なので抱負を一言で表すと
言葉にならないものを言葉にする
それに取り組んでいく
なんか最初の一歩の一年みたいな
言葉にならないもの
はいはいはいはい
はい
なんかそんな風に
ちょっとじゃあそれは実際何度だよとかっていうのは
まだ僕自身は見えないとこもあるんだけど
うんうんうん
なんかただただ言葉を大事にするんじゃなくって
なんか言葉にならないものを言葉にするっていう
表現するみたいなことにチャレンジしたい
なるほど
あーでも面白いねそれは
うんうんだってあのこのそれてつラジオもさ
うん
多分そういうそれの一面はあると思ったんだよね
あーそうだね
うんうん
やっぱあの神がさ
人間ごときにさ
はい
真理を多分伝えるのは無理で
まあ人間ごときにも分かるような
まあ言葉で教えてやろうっていうのは仮にそういうベーザーとか
経典みたいなものだったとすると
あの哲学者の方がさ
あの分かりやすく人間ごときにも分かるように書いていただいた
あの哲学書ってさ
分からないんだよ難しすぎて
いやほんとそうなのよほんと分かんないんだよ
それを
あの
ねあのボンプにもつなげていただいてるように
ね語ってもらってるそれてつラジオはある意味ね
言葉にならできないものをしてもらってるっていう
言っても過言ではないのではなかろうか
あーなるほどねいや
意見は持ってなかったっていうのもなるほど
そういう風に兄貴としては感じる部分もあったんだね
同じだよ同じ
あーそっか
うんだからまあいいんじゃないそこの
ハヤトがやってることとか
ハヤトの興味関心がより具体的な
それこそ言葉になったみたいな
まあそうだね確かに
うんうん非常になんかあの
具体的に見えてきたんじゃないのかな
そうだねなんか
そうだしやっぱ結構それ自身は自分自身
昔からやってた時に好きだったなと思っていて
いわゆるその翻訳というか間に入るみたいなのが結構好きなんだよね
例えばそういうの分かりやすく言うと
たぶん喧嘩している二人がいた時に
やっぱりお互いが何言ってるのかちゃんと聞いて
いやもうそれはもうお互い様だよなと
とかいやそれは明らかにこっちが悪いよみたいに
ちゃんと翻訳するみたいなこととかって
まあ結構ちっちゃい頃からやってたなと思うんだよね
へーそうなんだほうほう
そうとかあとは結構僕自身めちゃめちゃオタクだった時に
とはいえオタクの中では割とこのなんだろうな
あのリアルなこともわかるというか
うんうん
まあそういう風な話もあったので
いわゆるそういう同オタクと
なんだろうなそういう普通の人を繋ぐみたいな
はいはいはいはい
あとそういう風な一
時計でもあったんだよね
うんうんうんうんうんうん
そういうちょっと両方のなんだことをなんとなく知ってない
中途半端じゃ中途半端なんだけど
それちょっと第三者的な立ち位置というか
うんうんうんうん
まあそういうものには何か価値があるなっていうのは最近思ってるんだよね
あー面白いよねそっか
オタクそこそちゃんとあのオタク的な活動もしてたし
うん
だけれども
ある意味そこにこう
進行はしてない
縋ってはいないっていうその
そうだね
立ち位置だよね
その
ハマってる自分を俯瞰で見る自分がいるから
うん
もうそれに興味ない人との話も出てるし
まあそうだねそう
やっぱりそれを確かに言葉にならないじゃん
なぜこのキャラクターが好きなのかっていうかさ
あー
なぜ自分はそこに対して
家賃4万円なのにDVDボックス
DVDボックス4万円っていうのを
なんか普通に買っちゃうのかみたいな
やっぱり説明はしにくいわけよ
なるほど
確かに後捨てだね
言葉どうやってもっていうね
そうそうそう
でもなんかなんとなくそこに
自分の解釈かもしれないが
一般的にされるような言葉をやっぱ伝うとか
それを表現する
みたいなことはやってたから
はいはいはい
そうそう
言葉の捉え方
やっぱりね最初うちは
これはもう言葉ではないんだろう
それこそ当時だとね
いわゆる毛みたいな言葉ってあったと思うんだけど
うんうんうんうんうんうんうん
それもやっぱり表現できないものをなんと言葉にしたときに
それは広まったっていう意味ではすごく面白い事例だったなって今でも思うんだよね
はいはいはいなるほどなるほど
逆にそれが浸透しすぎたが故に
その萌えという二文字によってなんかみんな表現できると思ってしまってたんだけど
でもじゃあその萌えって何よって言われると
意外とわからんっていうのをなんか説明しようとしているみたいな
はぁー面白いね
うん確かに確かに
でもそれが推しってないよって言ったときに
いや推してるんだっていうのは行動を見ればわかるけど
なんでそんな風に頑張って海外まで行くのっていうときに
やっぱりそこには言葉にならないものがあったかしにくいものがある
うんうんなるほどね
確かになんかツイッターでXでさ流れてたけど
今ってなんとか推しじゃん推し勝つじゃん
今ね多いよね
その推しっていう概念は
昭和の人たちはなんて表現してたんだろうかみたいな
あー面白いね
のがあったんだけどわかる?なんか思い浮かぶ?
なんだろうね
うーむなんだろうな
あんないでもなんかサマルとかしかなんか思いつかないよね
ん?ハマル?
ドハマリするとかさ
あーはいはいはいはい
それで回答しててなんか
うん
すごいいいねーっていうのが集まってたのが
命だった
あー命ね
確かに確かにあったなんとか命あったよね 松田聖子命はいはいはいはい面白いね確かに
重いなーみたいな 今の感覚からするとまあ推しも重いんだろうけど
たぶん言葉違うだけで同じなんだろうね 熱行は 確かにね一緒だよね確かに
命って言ってそれこそ追いかけたりとかさ イベントにガンガン行ってたわけじゃない確かに一緒だね
あーなるほどなーって うん
バッチリハマったいないだろうけどかなりね 勝つなる部分が多そうだなと思う 確かに確かに
すごいね 確かにそのさやっぱり重いねっていう感覚もそうだよね 今ってさそこまで重すぎない方がやっぱりいいというかさ
ちょっと重たすぎると辛いみたいな感覚っていうのが やっぱり世の中的にもあると思うんだよね
まあねさっきのどこまでも
生きてちゃうストーカー的な感じが 命だと感じちゃうのかな
にじみ出ちゃう 重さが ちょっとね 重すぎるというか別に
いや別に命かけてるわけじゃないんだけどさとかさ 別にね
そこまでじゃないんだけどみたいな話した時に やっぱ推しっていうのはやっぱり自分ができる
最大限の行動だみたいな話があるよね だからそれこそオタク
あのミームみたいな話でいくと 俺の夢みたいなものが一時期
生えた時があって いわゆる二次元キャラに対して
自分の嫁であるというか もう本当にそのぐらいの存在であるっていう話があって
しかもそれをただの言葉上じゃなくって 本当に結婚してあげてる人までいたわけよ 当時って
あったんだよね うん 実は 抱き枕とかを抱えて
ご両親にこれが僕の嫁ですって言って 泣かれるみたいな
そういう
いっぺんのストーリーまで 結構世の中にまふれてたんだよね
はいはい ネタとしてじゃなくて ガチでね
そうそうそうそう
だからもう本人も分かんない だからそれがネタかガチかなんて
やっぱりホストからは分かんないんだよね
あーなるほどね うんうんうん
だから本人もネタでやったものが ガチになったのかもしれないし
本当にそう思ってたのかもしれないけれど もうそれは本当に分かんないんだけど
だからそういうなんだろうな 言葉
言葉の使うんだし うんうんうん
それがじゃあ本当表現できたかどうかは 分かんないけれども
やっぱりその今だからこそ表現できる言葉とか うんうんうん
現代においてやっぱしっくりくる言葉 っていうのはあるんだろうなと思うんだよね
なるほどなるほど うん
確かにさっきの命にしてもとか 萌えにしてもだけど
多分その言葉が生まれた瞬間から その言葉の消費とか
そうなんだね その言葉のその減価消却というかさ
あの対応のエースみたいなことが 決まってて
変なイメージが付いてちゃったりとか うんうん
で、本来持っていてあるであろうそのなんだろうな
イメージが多分からずれていったときに そのオシみたいなことが産まれたりとか
そうだね そのイデアみたいなものがあるときに
それを表現するもっと本来いのちが それを包含してたのにずれちゃって
うんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうんうん
表現しきれないですよ
大元の熱量みたいなものを
やっぱ
新しい言葉が
生まれるべくして
生まれてるみたいな待望されてるんだろうね
本当そうだと思うね
やっぱり
世代間で
やっぱりズレがあるってもそうだろうし
やっぱりあの言葉を使って
あいつダサいよなとか
分かってないよねみたいな話は
一定出てくるのもそこだと思うんだよね
そこでも
本当に
言葉を使ってるのがダサいじゃなくて
やっぱりその言葉については
イメージのまま
なんでしょって話だよね
そう捉えてるんだねあなたは
そのことをっていう証明になっちゃうんだね
その言葉を使って
やっぱりその物事の捉え方が
シャープじゃないとか
いわゆる新鮮味がないっていうのは
そういうことなんだろうね
僕はさ
ありがたいことに哲学だから
別に
古臭くていいというか
別に変わんないものを
使えてる学問だと思うんだよね
うんうんうんうん
生きるとか何かとかさ
思想と言語の関係
やっぱり死ぬと何かとか
もちろんその
生きることの意味とか
それに対する捉え方っていうのは
もちろん古今東西で全然違うけれども
やっぱり少なくとも
人間が生きるとか死ぬっていうことは
未来英語ほぼ変わらないだろうから
うんうんうんうん
そういったものに対して
過去の人はこんな風に言っていたよ
とか
こういう風なことを言ってる人たちがいて
今の感覚だとこうかもねみたいな
うんうんうん
話をすることはそれこそ意味があるというか
楽しいんじゃないかなってやっぱ思うんだよね
なるほどね
いやその言葉か
なんかやっぱその
これ前回の雑談でもあったかもしれないけどさ
そこら辺の流行ったものの
言葉に対する感覚だったり
イメージが
多分変わってると思うんだけど
それってやっぱなんかあるの
原因というか
この経験がとか
はいはいはい
まあそれって言うと
基本的にやっぱ僕は本で学んでから
本なんだけど
あでもちょっとあったのは
何回かお伝えしている
徳田良子の先生とかで
学びに行ってますみたいな話をすると思うんだけど
その時に
あのね
これはぜひ読んでおきなさいって
渡してくださった論文があって
それが
和辻哲郎って
いるじゃない
あのね
あのね
日本の思想家とか哲学家でさ
風土とかを言ってた人がいるんだけど
あんまりピンときてないね
分かるね
まさに哲学って結構有名な人がいるんですけど
この人が1962年に書いた
日本語と哲学の問題っていう論文なのね
やっぱり物事を考えては当然言葉で考えるんだけれども
日本語で物事を考えてどうするんだって話すとか
結構書いてて
例えばさ
いわゆる日本語の物と物質って思って
本当に一緒なんだっけとか
僕らは哲学とか西洋語とか
いわゆる中国からの言葉っていうのを輸入して
それを日本語として使ってるわけなんだけど
理性を使うっていうことと考えるってことは
本当に一緒なのかとか
そういうことっていうのは
いわゆるちゃんと考えたら
やっぱりそれ自体が
哲学的な問題になるんだよね
うんうんうんうん
っていう時に
日本語で物を考えて何っていうのを
結構50ページぐらいの結構分厚い論文なんだけど
それを読んだ時に
なんかこれがやっぱりすごく大事なことだって
直感的に思ったんだよね
うんうんうんうん
ここではいわゆる物とかことって何みたいな話を
結構深く考えてるんだけど
うんうんうんうん
だからそういうふうに
やっぱりその
日本語っていうものに
自分の思想はやっぱりとらわれている
逆に言うとやっぱり自分の思想っていうのは
日本語っていうものでやっぱりどう表現するか
っていうふうなことが大事だっていうのを思ったし
はいはいはいはい
日本語と英語の表現力の違い
言葉において
単語じゃなくて文の方が大事だみたいな話とかも
結構今年一応
去年一年か
勉強してきてて
そうなんだ
やっぱりそういう文章とか何かを表現する
っていうことも大事とあるし
あとこれもバラバラ言っちゃうんだけど
その去年ね
あのなんか忘年会とかで話すときに
初めて会う人だったんだけど
なんか息子さんがアメリカに行ったんだって
うんうんうん
これはすごく変な話だから
別にそのまま受け取っていただきたくはないんだけど
なんかアメリカに帰ってきた息子が言ってたのが
なんかあいつらは英語を使ってるから
頭が悪いんだって言ったんだって
へえ面白いねえ
どう思ったんだろう
なんで思ったんだろう
なんか詳しい話は聞けなかったんだけれども
やっぱりその何だろうな
いわゆるその物とか感情とか表現する言葉が
日本語とかアジアの方が豊かであると思ったらしいよね
その男の子は
でもなんかそのアメリカに行ったときに
あんまりそういう豊かさとか
いわゆる物を表現することの表現力がちょっと乏しいとは思うけどね
ちょっと乏しいと思ったらしくって
へえはいはい
それ自体を何かその思考力とか
その人の頭の良さとかに結びつけて
なんか語ってたらしいね
まあそういうふうにはもちろん言ってはいなかったんだけど
うんうんうんうん
ちょっと分解するとそうなると思う
なるほどなるほど
うん
そのときに
なんかその感覚って面白いなっていうか
今自分がなんだろうな
なんだろうちょっと行きたい方向性の感覚に近い言葉だなって思ったんだけど
その英語を使ってる彼らはあれだろうなって思ったんだけど
その英語を使ってる彼らはあれだろうなって思ったんだけど
その英語を使ってる彼らはあれだろうなって思ったんだけど
頭が悪いっていうのは非常に言葉としては良くない言葉だと思うんだけど
うんうんうんうん
でもそういうふうに感じたっていうのは面白いなと思ったの
いやーそうだねーなるほど
うんうんうんうん
まあそういうのって全然僕はねバイリンガルでもないし
あれなんだけど多分そういうね言葉を複数使う方からそういうのって
結構いくことだし
うんうんうんうん
うん
そうだなーあとごめんちょっと
バラバラ話した話が多くて申し訳ないんだけど
うん
年末に友人がね
お寺に一緒に行こうみたいなツアー企画をちょっと作ってくれて
そういう個人ツアーとかをやってる人なんだけど
友達をある種ちょっと新しいこと試したいから
ちょっと付き合ってくれないぐらいな感じで
それこそ英才が開いた県人寺ってお寺に行ったんですよ
でフラフラって行ったら
外国の方がね2人いらっしゃって
英語だって思ったらすごい日本語堪能な方で
あそうですかって思ったぐらいなんですけど
オーストラリアだったかな
日本にも長く住んでる方なんだけど
日本語で回って喋ってた時に
その配管のところに行ったら
受付の人が英語でバッと話してきたんだって
はいはいはい
そういう時に一瞬理解できなくて
ああ
はいはいはい
しかも写真を撮れますよ
でもこういう時は撮らないでねっていう風に
アナウンスしたんだけど
ここで英語でyou can't take pictureと
you can't take pictureっていうのがあった時に
うんうんうん
canとcanとは聞き分けられなかったって言ってたのね
うんうんうん
それは日本語のもちろん問題もあるし
あと英語だといわゆるcanってやっぱり分かりにくいから
別の言葉を使ったりとか
やっぱり日本語で喋ってたから
いきなり英語が入ってこないみたいな体験を
その時におっしゃってて
それもやっぱりめちゃめちゃ面白いなと思ったんだよね
なるほどなるほど
概念として写真を撮ってはいけないっていうのは
いろんな言葉に翻訳できるし
もちろんその言葉としても理解できるんだけど
うんうんうん
日本語モードの時とやっぱり英語モードの時で
聞き取れ方が違うし
話し合いに対しても
思うことも全然違う
うんうんうんうんうんうん
みたいなこととかもあって
それはもしかしたら僕らその言葉っていうものの
アンテナが立ってるから覚えてるっていう話もあるんだけど
そういうことを感じる機会が多かったんだよね年末
文化の違いによる異文化交流の気づき
あー面白いねそれは経験としてね
そうそうそうそう
なのでそういう風なのがやっぱり言葉の違いってなんだろうってのも思うし
さっきみたいな言語学者は言葉っていうのをどう捉えているのかとか
じゃあその
いわゆる仏の言葉と人間の言葉の違いとかっていうのが仏教になった時に
それと何の違いなのか
うんうんうんうんうん
だから空っていうのは言葉っていうのは物と関わりがない
要はあの
いわゆる仏教的な空っていうのは物事の本性っていうのがないから
言葉っていうのがそもそも間違い
あの前証であって
言葉に頼ってるってこと自体がむしろ
それをなんだろうな
妨げているのだみたいな話なんだけど
じゃあそれって本当?とか
はいはいなるほど
そういうことがね今わーって自分の中の問題として上がってきてめっちゃ面白いみたいな
うんうんうんうん
なるほど
そういう感じなんだよね
はいはい本当にわーっと喋ったね
まあ何分くらい喋った?結構喋ったよね
10分くらい喋っちゃったかな
わかんないわかんないまあ今のなんかね
これもこれもとかって言いながら5分以上喋ってるとは思うけど
あー
はい失礼しましたはい
うーん何個かそうだね面白い
てか全部共有結果があったんだけれども
はい
まずはその一番危なそうというかアメリカの方だね
あーそうね
その話はすごい面白いねでも
うんうんうん
で絶対英語喋ってるから頭が悪いってことは絶対まあないとは思うんだけど
絶対そんなことはない
うん
確かに聞いていただいている方で英語話者の方でそんな大変だと思っている方は
多分いらっしゃるかもしれないですけど本当にそんなことは思ってないですと
うんうんうんうんうんうん
で面白いよねだからまあそういう風に感じたって話はでもすごく面白いセンサーがある方だなと思ったし
うんうんうん
多分またあれだねこれはもう本当に言語の話というよりはまた文化の違いみたいな話でね
表情がどうとか身振り手振りがどうとか
そうだね
言葉じゃないところでの多分表現とかって話だと思うんだけど感情のね
すごいねその感覚を持つっていうのは面白いね
うんねそうそうそうやっぱりそのねあの学生さん男の子のやっぱりこう感受性っていうのもあるだろうし
やっぱりなんかその違和感というかそのやっぱり異文化交流の中での気づきっていうのがあったんだなっていうのもそういう感じなんだよね
うんうんうんだからねみんな仲良くできたとかいうよりもむしろ学びは多そうだよね
うん
それがやっぱなんだろうな
ちょっとその方も別にあれだよね本当に
子供そのお子様でも本当にそう感じたからそういったのかな
若いから若いんだよね
そうだと思う
若いまだ多分ね二十大学生とかなんだけど
だから別にそのそれで見下すってことじゃなくてやっぱり単純にその繋がりを感謝だと思うんだよね
その言葉とかなんだ表現とかっていうものとやっぱり物事を考えるとかそうするってことの繋がりっていうのを本当に感謝ってことだと思うんだけど
いや面白い
いや本当特に面白いのがさ
言葉の違いとコミュニケーション
結構アメリカに行くと
逆のさあのなんだろうなイメージを持つ人の方がむしろ多いと思うんだよね
だから面白いなと思って
うんうん確かにやっぱ日本語じゃ表現できないとかさ日本語ではビジネスで勝てないとかっていうのはやっぱりことも全然言われたりするじゃない
まああとはその表現の話で言うとさ表情
うん
そう日本とかアジアの人の方が
あの漢字を読み取れなくて怖いんですよ
みたいなさ
はいはいはいあるよね
あんまり漢字を元に出さないねみたいなのとかさ
うんうん
さっきのその学生のこの話って逆じゃん
うん逆だね
うん
あの日本の方がより表現豊かであるみたいなね
うんうんうん
まあどの部分その単純なコミュニケーションでの喜怒哀楽だけの話じゃないのかもしれないけれども
そうだね
うん
まあねそういうとこをなんかに違和感を感じられるっていうのはなんかいいなあ
いいなあ羨ましいなあって思ってもね
うん
楽しかったアメリカだってハンバーガーうまかったーで終わるようになったね普通は
まあ確かにね
うん
いやでもあとはあの meetings
日本語日本語で考えるとは何かみたいな話でさ
うん
いつかそのよく言うさあの一般価値観に捉われててその言葉を使わされてる
はいはいはい
でよくさ
はいはいはい
言うと思うんだけどね
っていう感覚を持つようにしてるんだけど
日本語を使わされてる
っていう感覚まではさすがになかったな
と思って
そこはね
気をつけなきゃいけないとこなんだな
と思ったね
さすがにやっぱり兄貴の表現
日本語を使わされてる
っていう感覚は
僕はそこまで感じてなかったんだけど
でも本当その通りだね
やっぱりこう
普段喋ってる考えてるっていうのも
やっぱり後付けなんだよね
そこに日本語っていうもの自体に
さっきの
アメリカに行った彼
彼彼女みたいな感覚が
宿ってくると思うんだけど
日本語を使わされてるから
違和感出てくると思うけど
そこから
日本語を本当に
使わされているんだ
っていうところに到達するのも
悟りだと言えそうだよね
善がさ自分を忘れろ
って
言ってるのと同じで
ある意味日本語を忘れろ
と言うとさ
だから日本語に宿ってる
言葉っていうものに
自覚的であれっていう
そういうと自覚的な人って
本当にね
相当少ない
相当少ないと思うし
そうだと思う
そこを突破すると
本当の国際人になれるんだろうね
ある意味ね
そうだろうね
やっぱりちゃんと
テレタがかかってることが分かるし
そうそうそうそう
本当に表現したいものっていうことに対して
やっぱり謙虚になれるよね
そうそうそう
なんだろうな
あのいわゆるその国の違い
人種の違いってないんだって
信じてるとか
ないんだっていうことが
理想だっていうのとは
また全然違った感覚
もっとフラットな感覚
本当のインブロっていうね
いや面白いな
日本語を使わされる違和感
そっか日本語を使わされてるのか
っていうのはね
ちょっとちゃんと持っておきたい感覚だね
なんかいいですね
新年からなんか刺さりましたね
兄貴にここ
でもあとはさっきの
全部答えておくけど
全部拾うけど
ありがとうございます
あれだね
日本在住の方が
突然英語を聞いて理解できない問題
っていうのは
あるよね多分ね
面白いと思う
うんうんうんうん
早くはあれ大学生になってからとか
社会人になってから
海外に行ったとかってあるんだっていうか
生活はないね旅行ぐらいだね
あーそっかなんか行ってたね
そういえば学生の時なんか一人で行ってなかったっけ
海外に
卒業旅行に一人でスイスに行ってました
これねあのなかなか話せない
僕の持ち方が一つなんだけど
もう持ち上げたな
卒業旅行に一人で行くんだっていう反応を
みんな大体してくれるから
確かに卒業旅行一人で行ってたね確かにね
そうそうそうそう
まあいいやちょっとその話はまたじゃあ後で聞くとして
ちょっと意味
確か意味不明ちゃう意味不明だから
そうすれば例えば海外にさ
あのまあでもスイスだと英語かでも英語伝わる
英語フランス語
あなんか伝わるところは伝わるって感じ
あーそっかまあ英語圏限定で言うと
うん
なんかずっと例えば一週間とか
まあ数日多いんだけど行った時に
もうあの
海外なんだろうな
日本語じゃないモードに切り替わらない
あーなるなる
なるよね
そのもう数日でもさ
もっと身近なとこで言うとさ
あの東北とかこっちの人が関西に行った時に
関西弁移ってくるのにちょっと
ちょっとずれるかもしれないけど
でも関西弁モードに多分どんどんなってくと思うんだけど
なるね
そういうのに近いのかな
あるあるしやっぱそっちの方が自然だって思っちゃうんだよね
僕もそのね実家帰ってると思うんですけど
実家帰ると奥さんからやっぱ言葉変わったねって言われるんですよ
うんうんだしねこっちからすると半端な関西弁になってるっていう
そうねやっぱりそれがなんだねあるねやっぱり
うんうんそうだねそっちの方が短いかもだから
東北で岩手で前田早人が関西に行って
うんうんそうだねそっちの方が短いかもだから東北で岩手で前田早人が関西に行って
うんうんそうだねそっちの方が短いかもだから東北で岩手で前田早人が関西に行って
関西弁に慣れ親しむことで考え方がちょっと関西弁チックになるみたいなね
なるなるなる
だから日本語じゃなくて関西弁を使わされてるっていうね
そうね
うん
うんうんうん
なるのかな
そうなると思う
うん
なんか実際そういうのもあったよ
なんか言葉で生きるみたいな
言葉の中に生きてるみたいなやっぱ話もなんかあった気がするから
うん
それは実際そうだんだなって思うよね
そう
うん
まあだからこそそうやっぱりなんだろうね言葉の働きじゃないけれども
うんうんうん
自分がどういう言葉で生きてるのかっていうのが確かに大事だなっていうところかもしれない今日の話でいくと
うんうんうんそうだね
うん
さっきはアメリカの話もそうだけれども今の関西の話も今言葉にフォーカスしてるからあれだけども
うん
難しいのはやっぱりそこでもう環境だよね文化環境住んでる場所とか
うんうんうんうん
色んな要素が絡んでくるから
そうですね
こうね言葉だけじゃないかもしれないちっていう部分がね
うん
どんだけのこう異変数があってそれぞれの変数の割合みたいなの分かんないから難しいんだけど
うん
まあやっぱその中で言葉ってのは結構軽視されてるというか
うん
結構盲点な感じがしたね
そうだね
うん
言葉も環境であるという捉え方はやっぱりなかなか見えてこない楽しさあるから
うん
なんかそういう歴史を知るね人ももちろんいるってことがありますからね
うんうん
だ welcoming elucidation
パターンもちろんいたとは思うんだけど
そこはすごく大事
それは
さっき言った通り
日本語とか英語も含めて
日常言語と
やはり仏の言葉とか
理想言語みたいなものっていうのを
卒業とか宗教では区別するんですよね
そういう風に
比較すると見えてくるものが
あったりとか
それこそ神は言葉であるみたいなことを
聞いた時に
それって何を言ってんのみたいな
でも
たびには言葉ではないっていう
仏教の空とかを引き続きに
どっちどっちみたいな
っていうのを比較しながら
考えていくみたいなのが
自分にとっての今の言葉の探求というか
理解深めごとにつながってきそうだな
って思っている
なるほど
素晴らしいですね
面白い
こういうのがないと
次のテーマ何にしようって
わたわた
明日やから僕の場合
はいはいはい
あと面白いって思ったら
結構やっぱ固い話というかさ
なんか
もうこれだけ30分ぐらい以上話してると思うんだけどさ
やっぱこういう話
それこそやっぱ普段さ
話す機会ないよね
多分
ないよ
秋葉原市おめでとうございます
さて私今言葉について
興味持ってるんですけどってないじゃん
ないでしょ
新年会でそんな話ないもんね
うん
言葉の働きと理解の深まり
ないよね
ありがたい
本当に何回でも言うけど
このサイズラジオありがたい場なんですよ
本当に
新年会とかさ
忘年会とかやっぱ結局さ
最近彼元気とかさ
おどうしてるとかって話になるときに
それも大事なんですけど
うんうんうんうんうん
大事のなんだろうな
レイヤーが違うよね
うんうんなるほどね
まあいいですね
異論はハヨトの場合はそうだね
そうやって去年の目標というかさ
豊富である言葉っていうものがちゃんと深まってきてるんですけどね
ちゃんと深まった一年だった
今年も
そうだね
深めるその何だろうな
余地があるというかね
こういう相談っていうのは
いい面白そうなそれは
いいことだね
そうねそうねうん
だからそういう意味ではね
やっぱなんかこう
何となくやっぱり言ったら覚えてるじゃないですか
まあしかもね言葉みたいなテーマにしてるから
まあやっぱり常にこう意識はするし
やっぱそういうのはね
宣言するの大事だなって思ってるんですよね
うんうんなるほどね
そっか
いやーちょっとでも新年からあれだね
去年までは結構硬い話になっちゃったね
なんか
そうねなんか柔らかい話
なんか柔らかい話って何
柔らかい話
じゃあこの前
本屋さんに本を買いに行った話しようか
聞きたい
逆に聞きたい
何買ったの?
何買いに行ったの?
いやいや違う違う
何買った
買った本はどうでも大したもんじゃないなってな
何だっけな
本屋での買い物エピソード
いや多分ブルーペリオドの漫画の新刊とかだと思うんですけど
あーなるほどねはいはい
まあほんとしょうもない話でバランスとっておかないといけないかなと思って
一応でもね
そうそうあの文化の話というかね
ちょっと面白いなと思った話
びっくりしたんだけど
はいはい
普通にあの近くのイオンモールに入ってる本屋さんに行って
あの本を持ってレジに行ったんだよね
はいはい
であの若い女性の店員さんが
うん
レジ打つって言うんだけど
こう渡すじゃん
これお願いしますって言って
いくらいくらですって言うでしょ
で最近ってさあのコンビニ行ってもどこ行っても
あの袋入りますかって言われるじゃん
あーそうねお金かかるし
そうそう
であのその時あの別のとこでGUかなんかで買い物してて
ちっちゃいあの買い袋持ってたから
それに入れようと思って袋入りますかって言われるじゃん
ある時そうだ 内 também 言いません
逆な感じで言われちゃうんだよね
という話としてはね
ietsこいますかって言われて
ある意味
うんうんうんうんうんうん
ивえますかって言われたら
ねそして
レジでね
つくりますか言いません
うん
その段階でレジに置いてあった
買った漫画を
その小さい袋だから
そうレジの上にそのGUの袋をポンって置いて
そこにブルーピリオドをすって入れたの
うん
そしたらその店員さんが
まだお会計しんでないんですけどって言って
あははは
俺の袋に入れて S chammer of you when the new style is here
ブーバーし なんかすごい大事に抱きかかえてるのね
なかなかのねっ ちょっと前に人こっち見てんの
さあ なんだってねで俺はあのまあ帽子かぶってマスクしてるからちょっとマジかやし
なぁちょっとらしいね確かにね c オッサンなんだよはい感じに負けなの 方がシチュエーションだったなぁ
で確かめっちゃなんかあのうんでも本たち締めてて何か 英語タイミング間違ったかなぁと思いながら
さあまだお金かけなかったスネーズってお金払ってそしたらあの うんおつ人を返してくれ返しててくれたというか
なってくるってくれたんだけどとしてくれたんだけど そういうことだよねそのなんだよねその交換行為の順番
はい
はい すごい厳密な人なのかあんなに怒られたの初めてだなぁ
びっくりしたんだけどあーほいその人の中の超えちゃいけないラインを超えたんだろう ね
ポイントだよその黒に入れるタイミング多分納刀時間違ったんだろうなぁと思ってさぁ なるほどねー面白いねーすごい怖かったんだけどどう
いいよねー 間違ってないよどうなの早いねー
やっぱ じゃあでももう一回どのタイミングで言えたんだっけ
えっとこれくださいって言って本を送るそうですよね 置いたおいたはいそこで自分の手を離れてますそうだよね
ねえっと店員さんがもうねあのバーコードはもうピッてしてる あーしてるんだはいはーいもうしてる
袋はいいますかなんか袋いりません うん
そしたら向こうがいくらですって言ってお金もあるからでしょもうその段階に もうその段階になるともう何かそういう言葉が付けられるんだよねこれでもそういったら もう手紙が付けられていないのね
そういう文字が improves 手紙が付けられなきゃいけないのに 手紙が付けられなきゃいけないのに 手紙が付けられなきゃいけないのに
もうその段階になるなって分かってたから
袋いませんって言った段階で
もういらないって言ったんだから
俺の袋ここにあるよと
台の上にGUの小さな袋を置いて
そこに入れてる間に
向こうがいくらですって言っておく
渡せばいいやって思って
なるほどね
袋の使用の状況
それは競技だな
ちょっと悩ましいな
まだお金払ってはいないから
そうね所有権はまだ兄貴ないはずよね
本来
手伝ってないからね
なるほどね
もし仮にそうはね
相談会で袋に入れて
お金払って逃げたら
窃盗なんだけど
間違いなく窃盗だね
だからなんかそういうオーラを
出してたのかなってちょっと反省してた
ちょっとだいたい服も
黒いやつでしょ真っ黒でしょ多分
んなことあるね
あるでしょ
そう
下はデニムだけどね
そうね
なんかまあ難しいがなんだろうな
それこそその向こうのことを考えるときに
最近ちょっとそういう年末だし
そういうのを気をつけようねって話があったとかだったら
まあまあわかるかもなって話は思うよね
まあそうね
そういう人が多いのかもしれないね
年末だとちょっと万引き増えるぞとかさ
ちょっと怪しい人が増えるぞ
そういう人が増えるぞとか言われたときに
ピリピリしたとしたら
まあそういう風な反応になっちゃうのもわかるよね
まあだとしてもねバカ正直にレジに来た人はさ
信じてほしいよね
まあね確かに
そこで渡してるわけだからね
そうそうそうそう
あまりに愉快半数にいるでしょそれは
確かにね嘲笑うかのように逃げていくみたいな
まあでも難しい話はねその当然ねそのバイバイを言うとね
まあでも難しい話はねその当然ねそのバイバイを言うとね
まあでも難しい話はねその当然ねそのバイバイを言うとね
舞台をする場において
しかもレジなんてさありふれてるから
その場にいればさお金は渡すわけじゃんもちろん
ふふ unconscious
後渡す気満々ではもちろん
そうそうそうそう
という中において厨がれるっていうのは
やっぱちょっとしたものがあるよね
そんな気はないのにみたいなさ
ありがとうございます
ーい
そういうとこっちは確かに
その順番をずらしたかもしれないし
うんそういうとこっちは確かにその順番をずらしたかもしれないし
向こうの正義に反することをしたのかもしれないんだけど
こっちは泥棒がめっちゃでっかい声で
何してるんですかみたいな話をされてるわけ
想定してないよねそれはね
もう1メートルもない距離でレジだから
レジの台を挟んだ距離で叫ばれてたからね
まだなんですけどみたいな叫ばれて
周りの人がびっくりとして見てる
そこに対するやっぱり話をし始めたら
冤罪ですよと名誉を証明する
面白いでもねそれは
競技ですよやっぱり全然違う世界に生きてるもんな
その2人が
仲裁者のハヤトとしては
前任としてはもちろんお金を払う気満々である兄貴と
レジの台を挟んだ距離で
レジ係としてそういう問題を起こしたらいけないレジの方と
やっぱり全然違う世界に生きてるからねやっぱり
それはなんか一挙手一投足をさ
見ちゃうよねそれはレジの人は
こいつお金払ってないのに袋に入れやがったぞって
そういう気持ちだよね
虫に捕らえたからね
奪われたでしょベサーって
しかも兄貴が買った自由の袋をだって手を打つこともあったからね
そうだよしかも兄貴が買った自由の袋をだって手を打つこともあったからね
そうだよしかも兄貴が買った自由の袋をだって手を打つこともあったからね
そうだよ突っ込んでガサガサーって抱きかかえてたからね
自由の袋は兄貴に所有権があるはずだから
やりすぎな感も否めないわけなんだけど
面白いよね
今の話思い出したから僕も話していかないと
レジで最近基本的にはペイペイとかを使うのが電子マネーだよね
レジで最近基本的にはペイペイとかを使うのが電子マネーだよね
読みタイムはタイムラグがあるじゃない
ピッてして多分4,5秒してからテロリーンってなって
決済完了しましたみたいな感じなんだけど
はいはいはい
身近なコンビニとかだと結構ピッてやった瞬間に僕出ちゃうのよ
まあそうだね
それでオッケーなんだけど
でも最初は結構テロリーンってなって
ちゃんと決済が通信とかも環境とかもあるだろうから
エラーだったらエラーだと思って結構待ってたんだよね
はいはいはい
でもなんか
近所とかだとなんとなく店員さんとも顔なじみだし
オッケーって思ったんだけど
この前東京行った時にセブンイレブンで同じオリーブしたのよ
はいはいはい
でピッてされたから行けると思って
一歩踏み出す瞬間にまだですってまさに言われて
へーはいはいはい
でティラロンで会った時にどうぞって言われて
へー
そう
なんかね同じっていうか近い話だと思ったんだよね
何を持ってこのものが相手に移ったと判断するのか
みたいな
うんうんうんうんうんうん
はあなんか場所によっても違うんだなって思った
うん
そうそうねレジでそういうふうな
あのってやっぱあるだなってなんか僕もまさに体験したし
あと思いっきりちょっとあの今日ダメだな
いっぱい話したいこと思いついたんですけど
思いついちゃう
東京にあの行ったからんだけどあの久々に東京のまあ電車を乗ったわけですよ
思いやりゾーン
山手線とかあの自動線とかね
うんうんうん
であの
大体さ東京とかのあの階段って広い方と狭い方があって
うんうん
なんか広い方が例えば上りで狭い方が下りみたいな感じで結構分かれてることが多いじゃないですか
で久々に東京行ったらその広い方の両端に上ると下りって書いてて
真ん中のところに思いやりゾーンって書いてたのね
へーあそんなのあるんだうんうん
そうまあ要はあのどっちでもいいよと要は登ってないだったら降りればいいし
降りてないんだったら登りゃいいじゃんって話なんだと思うんだけど
うんうんうん
これさ前どこだっけなんか人件社員だったかサルトだったか忘れたんだけど
あの出口入り口の話したこと覚えてる?
あーサルトルかなうんうんうん
サルトルかなそう入り口って書いてるところにやっぱ出ちゃうのはなんか嫌な気持ちはするみたいなさ
うんうんうん
でも本来なるべくどっちでもいいじゃんみたいな話と一緒で
うんうんうん
僕もずっと思ったのはあのあれ登りと下りっていう2
2つの区分だけだとめっちゃガラガラなのにすごい狭いところで人が一生懸命登ったり降りたりしてるっていうのをよく見るのね
あー真面目だから日本人の皆さん
思いやりゾーンの登場
そう日本人真面目だからそう
はいはいはい
僕はそれでみんな真面目だと思ってシューって広い方降りたりするんだけど
うんうんうんうん
うんでも思いやりゾーンっていうものができたことによって
うん
それは解消されているはずなんでその時は人がそんなにいなかったから
あー
うん別にそこまでこう活用されてなかったんだけどね
けどすごい発明だなって思ったのそれ なるほど
それも何か言葉とは別に階段はさ変わらないわけよ 何も変わってないし別に位置も変わってないんだけど
ただ思いやりゾーンっていうのができるだけで人の動きが変わるっていうのは めっちゃ面白いなと思って
あーいいねーそっかそっか エスカレーターもそんな感じにすればいいのにねもうね
ずっとどういうこと? ほらミニがずっと開いてるじゃん でもあれ登っちゃダメなんだよあれ
でしょ?だからいっそ もうあの相席上等でさ 詰めてお乗りくださいって言う方法が
意外と早いんじゃないか まあそこは多分ね専門家が答え出してるんだろうけどさ
まあねあるかもしれんけどでもまあありそうだよね ちゃんと足のマーク書いときゃいけるみたいな話もあるかもしれないですよ
だからまあさっきのレジの話と変わっちゃうんだけど でもそういう何だろうな
この
環境は変わらないとか事実は変わらないんだけどやっぱりこう 見る人によってとかさ言葉によってやっぱりその表現するものが変わるっていうのは
本当にね日常のあちこちにあるよね はいはいなるほど
だって自由ねそうそう自由の袋にさ マンゴーよりだってことは変わんないけど兄貴はそれは普通の声だと思って
レジの人はもう叫ぶぐらいの声だと思っているっていうさ 全然違うよね
まあね確かに難しいけどねそこに同じようにねなんか思いやり像みたいなね作法みたいなのが そこは難しいかもしれないけどでもなんかあるんだよね
それぞれのこう正義がぶつからない場所みたいなね 距離感とかねそっちで座ったら別になんかねレジっていうものをさ
あのないらの場所じゃなくってなんか箱にしてさ まずは箱に入れてくださいみたいな風にすればいいわけじゃん本当にそれが問題になるんですよ
箱に入れてくださいみたいな風にすればいいわけじゃん本当にそれが問題になるんですよ
そういう風な視点から考えるときに
できることとか
兄貴が悪いとか
やれじの人が心が狭いとかじゃなくて
落とし所として
見つかるものはあるかもしれないですね
そうはね
確かにね
ちょっと難しいけどね
結構それはそれ
窮屈な気もするしね
それがね
一つのある意味正解になっちゃうわけだからね
まあ確かにね
思いやりポストみたいなのを
作ればいいのかレジに
そうそう思いやりポスト
自分は怪しいと思っている人は
そっちのポストに入れて
自分は絶対大丈夫と思う人は普通に上に乗ってまいりゃ
どっちでもいい
そうね
両方できる
みんな救われる
ポストに入れなかった時点で
もう叫ばれたら負けなわけ
そうだよね
ポストに
入れたら
もうあの叫んじゃダメだし
そうだよね
相当自信がある人は
ポスト使わなくていいって思いやりポスト
制度にすれば
思いやりだからですよね
それを思いやりって表現
するかどうかは知らないけど
はいはい
そういう話だね
二元論にしない
アイデアをちゃんと混ぜてあげる
っていう
でもそれはさ本当あるじゃんやっぱりさ
でもよくあるさなんかネット技術とかでもさ公園になんかねいわゆるおじさんが一人でいると怪しまれるから
なんか犬を散歩させるんですとかさ
あの観光費を持ってるんですとかさあるじゃん
なるほど
確かに確かにそういうのにも応用できそうだね
おじさんゾーンみたいなの作ればいいんだよね
そうなんだよ
なんか自分がおじさんか青年か分かんない人もおじさんゾーンに行って
そっちに歩いたらいいわけですよ
確かにそこですよ
おじさんゾーンみたいに読書してれば別にあのあそこおじさんゾーンだからおじさん行ってもいいんだし
そうそうそうそう
あのおじさんの存在が正当化されるわけでつらいな信念から何の話してるんですかこれ
つらいよ
公園の中のねただの三人っ子の一角しか設けられないおじさんゾーンに
やだもうちょっと
でもちょっとちょっといいとこだったらいいんじゃない
あの午前10時から午前11時の間はあの日が当たる場所
SKOOLLABで撤収されて là
めちゃめちゃ気を使われてるね
なるほどね
そうですよね
日も当たる場所だからはじっこじゃなくて
確かにね
でもそういうことだと思うんだよね
あっはい
やっぱり
こういうことかな
あの難しいなまあおじさんゾーンだから思いやりゾーンだよね
思いやりゾーン
そう思いやりゾーン
思いやりゾーンにはおじさんがいていい
おじさんゾーンの提案
いていい
うともき
そう言えよそうだよね
一人でいたおじさんが警察に捕まったりとか通報されても文句は言えないけど
なんかそういう小説とかありそうだねすでにね
そういう具体
思いやりとにいる限りは通報されたら通報した人が負けっていう
やっつー
いやちょっとその世界は生きづらそうだなやっぱり
でもなんでそう思うんだろうね
別にさあなんかさっき兄が言ってたさ
要は一個の正解を決める方が窮屈だみたいな話あるじゃん
世の中で思いやりゾーンが増えれば良さそうなのに
なんかそれが蔓延した世界はちょっと攻めにくそうだよね
まあそれ作った時点でそうだね
だから思いやりゾーンにいない
いた方が
だからいないことの方が損があるっていう
そうね
いないと損っていう
だからもうあの
その時点で行動が決まっちゃうんだよ
どっちの方が損しないかっていう
間違いないね
思いやりゾーンね
あるのに
やっぱり矢印と逆に降りれないし登れないもんさすがに僕も
うんうんうんうんうんうん
そうだねやっぱそうなっちゃうね
規定されちゃうねそこは
思いやりゾーンも怖いわ
だからあれだよ
思いやりゾーンを増やせとか
思いやりゾーンずるいゾーン
あの女性専用車両じゃなくてさ
なんかあの
あるよね
また変ななんかの運動が起きそうやね
思いやりゾーンを撤廃せよみたいなね逆に
そうそうもしくは増やせみたいな
ヤー怖い
いやーちょっと今人生のちょっと闇に触れた気がするわ
あーいいんじゃないぜひそこそうだねそこの外
その解決策じゃね今日ね
そうだね
そうだね哲学から
アプローチしてもらって
いい問いをもらいましたねこれ待って
さっきさんのいわゆるさ
翻訳社とか第3の場所とか行ってたじゃん僕
うんうんうん
それは思いやりゾーン
多分に近いものだと思うんだけど
はいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいないんだよこれこれこれ広い車って言ってみようと思ってこれそこに居るから階が natuurが有味に作るから今 Ph忙なんで悩み物の良い野球かその事あるじゃないのよね
両方あっていいとかさ
どっちも大事みたいなさ
それを言い続けることの
やっぱりデメリットもあるよね
と思った今
固定することの難しさだね
難しさだね
逆に言ったらね
どっちでもいいよっていうことは
固定してる人は
ダメっていうメッセージも
なりかねないじゃん
一つのことを大事と信じてる人は
議論の場に立てないとか
それはそれで苦しいからさ
難しいね
職場のフリーアドレスみたいにさ
言葉の解像度と哲学について
思いやりゾーンが毎日
違う場所にあるとかってわけでもないもんね
そういうことじゃないもんね
フリーアドレスもね
固定化したって話もそうだし
そうだ面白いね
これはね
いい信念の
第一回になったんじゃないでしょうか
哲学でもあり
心理学でもあり
人間だよやっぱり生き方だから
やっぱりね
全ては生き方ですから
最後はどうでもいい話題でね
前半が固かったから
ありがとう
中和していただいてありがたいですね
新年一本目からまた固い話しかしなかったからね
そんな感じでね
2024年になりましたけれども
今年も楽しくやっていこうという感じですね
Sマンソーはね
去年に続き言葉っていうものをね
解像度を上げていく
っていう話に
なるのか
もしくはね
この前の前で言えば
言葉を忘れるというのかね
もう
多分そこがどっちが正しいのか
それも分からないみたいな
多分
そうですね
両方あるっていうことに
改めて目が向いてるから
うんうんうん
どっちが
それぞれ何を言ってるんだっていうこととか
実は同じようなことを
言ってるんじゃないかとかってことがね
ちょっと見え始めてるんでね
はいそこをね追求していきたいですね
うんうん
そうね
そうやって最初も通じてというかね
いろいろやりながらと
はい
ということで
改めてそうですね
ちょっとダラダラとまた
新年会
繋いできましたけれども
また次回から
なんだっけ
だからね
現代刑事枠入門っていう
これ2017年にね
柏畑達也さんというような
日本の教授の方が書いた本があるので
ちょっとそれをもとにね
西洋哲学にちょっと
もう一回戻るのっていう時の
ちょっと橋渡し的に
なんか今の哲学って
どういうことが問題になってるのとか
どういう風なことが
どう考えてるのみたいな
そんな話をね
一回してみたいな
という風に思っております
はいはいわかりました
で次回からまたちょっと西洋哲学の
しかもまずは導入ということで
哲学ってそもそもなんだっけ
みたいな話を見ていくと
いうところです
そこまでじゃない
そこまでじゃないかな
そこまでじゃない
深い哲学的なテーマの語り方と次回以降の話題
そんな深くない
そこまでじゃない
あの
まぁちょっとねあの
現代においての哲学的なテーマって
どんな風に語られるんだっけ
ぐらいにしときましょう
わかりました
危ない危ない
うん
だということを
次回からまた見ていきたいと思いますんで
2024年も
2024年の期待
期日で来てほしいのも
あればと思いますので
よろしくお願いします
はいそれでは本年も
どうぞよろしくお願いします
今回もありがとうございました
01:03:52

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