ポッドキャスト制作の利点
おはようございます。ライフハックからの精神分析、第1274回をお送りします。
11月4日火曜日、7時30分です。少し早まってます。
早まってるって、要するに早くなりました。いやー、ほんと眠い。
特に昨日まで三連休だったんで、夜更かししてたんで、眠いですね。
なかなか慣れないZoomで収録、それをレコーディングしておいて、
YouTubeとスタンダードFMに配信。悪くない方法だなと思うんですけどね、我ながら。
我ながらというか、やってる人絶対いると思うんだけど、悪くはない方法。
あとこれいいですよ、これ。これは本当にいいです。
ちょっとこれをただ聞いてる人はわかんないと思うんですけど、
AppleのAirPodsですね。これはいいです。
今みたいに使うのが画像のややいいところか。
これがあるんですよ。これがあります。
ちょっとね、これツルツルで、なんでこんなにツルツルにするのかわかんないですけど、
この大きさでツルツルじゃないですか。滑るんですよ。落とすんですよね、本当に。
でも素晴らしいです。開けたら、自分の持ってるどのApple製品にも即時接続ですからね。
これがBluetoothの一番面倒いところだったんで、開けて耳に装着したら、
どっからでもスピーカーとマイクがセットですからね。
もうここで今からiPadに切り替えるとかが、一切設定画面いじることなくできちゃうんですよ。
そんだけかよっていうぐらいなんだけど、そんだけですけど、
プラス1万円なら安いと思うんだけど、高いスピーカーとマイクで無線だと、
もうちょっと同じぐらいしちゃいますから、結局。他のサードパーティー製っていうのかな。
少なくともApple製じゃないやつで。
でもこれほどBluetoothの接続が完璧であるという製品は他にはまずないんで、
これはいいですね。これがあるともうオンラインのミーティングって本当に、
もし開始時刻と同時でも装着してすぐに入れるんで、
そういうギリギリにやらなきゃいいんだけど、そういうことになるときはあるじゃないですか。
あともう一つ、これはこのポッドキャストと関係ないんですけど、
こういうポッドキャストもそのうち、今週中にはやろうと思ってるんだけど、
ライフ系の少し。何がいいってこれの、電車で乗り過ごさないんですよ。
アナウンス音が入ると、次どこどこみたいな入ると、それはちゃんと聞こえるんですよ。
でも音楽も聞こえたまんまなんですよ。これもすごいです。
どういう技術なのかよく分からないけどすごいです。
その辺が他のでも歌ってますけどね、そういうのね。人間の会話、人の会話は聞こえますみたいな。
でも会話全部聞こえりゃいいってもんじゃないじゃないですか。
なんか隣の人の会話もバッチリ聞こえて音楽も聞こえなくなりましたみたいなことが
現に起こりがちなんですけど、そういうことは一切起きないんですよ。
ところでどうなってるのかよく分からないんだけど、不思議ですよね。とても不思議です。
でも電車のアナウンス音は聞き漏らさなくなりました。
フロイト理論の批評
だから僕よく乗り過ごす人間だったんだけど乗り過ごさなくなりました。
かつ音楽もずっと聞いていられるというですね、あのすげえなって感じがします。
完全に外の世界が加工されていますね。
この外の世界の加工感がちょっと精神分析的だなって思うんですよね。
僕が勝手に思ってることですけどね。
僕ら世界、外の世界加工してますからね。
この話でいきたいんだけど、その前にちょっとお知らせで
11月8日今週の土曜日です。
千里さんという方とタスクシュート完全活用図実践編をやりますので
もしよろしければぜひですね、ご参加いただけると。
基本的にオンライン視聴になりますが、後日にアーカイブ配信もいらしますので
結構集まっていらっしゃいまして、10名超になり
かつですね、タスクシュートにいてトレーナーの方はご参加いただけるんですよ。
なので多分合わせて20人くらいにはなると思われるので
結構にぎわいますので、よろしければぜひご参加いただければ
そこでまたいろんな話が出ていいんじゃないかなと思います。
これがお知らせで、3カ月チャレンジは今第12期に突入中なので
ちょっとこれは今、きんきんね募集はおかけいたしません。
ワンワンだけのコースってせっかく用意したから
随時募集かけたいんですけど、今ちょっと事業がございまして
事業っていうのはつまり本の原稿を2本書かれておりまして珍しく
正直手が回りません。
なので若い時はもっと頑張ってたよなとはさすがに思うんですけど
朝5時とかに起きて、もはや頑張らないみたいなことを言ってる面もありますが
そもそも頑張れないっていうところがあるんで
ちょっとね、今はちょっと控えております。
珍しくね、控えないんですけど普段は控えております。
普段は控えないのはただ人気がないだけなんだけど
なんか急に来る時ってあるんですよね。
いろんなものの依頼なりお仕事なりがありがたいことになんですが
とにかくいただいておりますんで
ちょっとやらないわけにいかないだろうということでね
やっております。
はい、でいうことですので
もうちょっとしたらまたワンワンとかも
でも今年度中はね、12月に入るとなんかよくわかんないけど
僕別に4月に忙しい理由ないはずなんだけど
めちゃくちゃ忙しくなってるんですよね、毎年毎年。
あれなんなんですかね一体ね
忙しい雰囲気に巻き込まれるのかな
よくわかんないんだけど12月って暇だった年はない気がするんですよね結構
学生時代めっちゃ暇でしたけどね12月なんて
やること何もねえなって感じだったんだけど
はい、えーというわけで何が本題かというとですね
記憶っていうことなんですね
で、あの私少林堂らって好きで
いろんなちくまさんからとかも出てるという
手軽に読めるってこともあるんだけど
あれがなんで好きかっていうと
フロイトっていう人のすさまじいっていうかすごいなと思うのは
ああいうのを平気で何番出してしまうところ
当時の彼のポジションが特別だったからってこともあるんでしょうけど
あんまりカウンセリングってカウンセリングの本って
特に一般書を読むと専門書ちょっと違うんですけど
一般書を読むとずるいくらいにうまくいってるじゃないですか
あの真似事をしている私
まあ真似事じゃなくて私は私なりのビジネスしてるんだけど
まあでも身代によっては真似事をしている私の立場からするとですね
そんなにうまくいくわけないじゃんって感じなんですよ
技術とか能力とかの問題じゃないのはね
やってりゃわかるんですよね
いやそんなにうまくいくはずは絶対ないっていうのがね
わかってくるんですよだんだん
よく言われてることですけどね
いくらなんでもうまくいきすぎでしょうっていう感じがするんですね
やるれやるれこんなにうまくいくんだな
私だってあんたのところに話に行きますよって言いたくなるぐらい
めちゃくちゃうまくいってるわけですよ
まあそういう天才的な人もいるんでしょうね
人との相談に乗るのが根本的にうまい人みたいなのもいると思うんだけど
そんな世の中カウンセラーに全天才が集まるのもどうかと思うんで
そんなことはないだろうって思うんですよね
で少年ドーラはあれは素人が見ても成功してないことが一目瞭然じゃないですか
フロリド・ノーレイにあまり成功例って多く見えなくて
ハンス・少年だってエリプスの理論に綺麗に乗っかっていたとしても
あれじゃダメでしょって感じがするし
あの人だってなんて言うんだろう
要するにお母さんとのエッチを捨ててない人ですよね
それはどうかと思うんですよねフロリドの理論から言えば
世の中的には別に価値観中立っていうのを見ればそれでいいのかもしれないけど
世の中的にはあの時代はダメだと思うんだけど
世の中的にはいいとしてもフロリド的にはダメだろうって感じがするんですよね
ウルフマンだってラットマンだって
上手くいってるというのはちょっと上手くいってるぞみたいなことを書いてる場面がフロリドあって
なかなかこういいなって思うんですよ
僕そういう人好きなんで嫌じゃないんだけど
でもなんかこう甘くないみたいな感じは
なんか俺結構やったよねみたいなそういう
所々フロリドってありますよねそういうところが
まあいいと思うんですけどねいいと思うんだけど
だからそれはそれで読んでる側としてやっぱり
これはフロリドといえども上手くいってないんじゃないかって
ドーラはあからさまになんで上手くいかなかったんだろうねみたいなことを
フロリド自身は明らかにそういう調子なんで
それを書けるってすごいなんて思うんですよね
僕だってノートとかにこの間サンチャレの章例で見事に失敗して
それをツラツラ書きますって絶対やめといた方がいいなって
内側からのシグナルは鳴りますよね
今の私の立場と彼の立場と時代が
でもなあの時代だってやばい時代でしたからね結局ね
第一次大戦の頃じゃないですかやばい時代だと思うんですよね
とにかく偉いなって思うんですよ
で何が偉いってもう一つが
あの後になんで失敗したんだろうっていう
上手くいく上手くいくはずだったのにみたいな
そういう割とだからある意味おめでたい感じがするところがあって
そこはとても僕はいいなと思うんですけど
好きなところなんですけどね
その上手くいくはずだったのに何でなんだろうって思って
何でなのかは僕らは種も仕掛けも知ってるから
何でなのかも読めばわかるわけだけど
いやだってそれどう考えても人生相談になっちゃってるし
説教おじさんだしでも最初はそうやって始めたんだってことが
わかるってのも記録があってこそじゃないですか
上手くいったことばっかり書かれてると
最初はどうだったのかがもうわかんなくなっちゃいますよね
最初は試行錯誤をしまくってこれで絶対上手くいくはずだ
みたいなある種思い込みに乗っかって突っ走って
失敗しましたみたいなのが残っていることによって
後世の僕ら助かるわけですよねやっぱそうなるよねみたいな
なのになんかこう市販されているカウンセリングの本を読むと
なんかこう全てがいい話になっていて
いやもうなんか感動の私も涙ふんでしまいました
クライアントさんはとてもハッピーになりましたみたいな
なんかこうおとぎ話じゃないんだからっていう感じがするわけですが
将来ドーラを読むとそうはいかない
全然全くそうはいってないということがよくわかるし
世の中の人って全くひどいなって
だってあのドーラの周りにいる男の人たちも本当ひどいじゃないですか
女の人はまあまだし男の人たちは本当
なんじゃお前らっていう感じのことを平気でやらかしてるけど
フロイトは一貫してですね
あそこもすごい何て言うんだろう
ある種の反面挙手ってのはちょっと言い過ぎんだし
ちょっと違う気がするんだけど
なんかドーラの欲動は使ってますよね
ドーラの心の問題
でも普通に考えるとドーラに同情しますよね
あの状況だったら
戸畑愛人さんもオンラインのレクチャーの中で
僕結構11回ぐらいの聞いたことがあるんですけど
かわいそうなドーラちゃんって言ってたんだけど
そう思うよね普通にやっぱりあれを読めば
だってなんかさお父さんを浮気してるのはしょうがないけど
ドーラそれが許せないってはっきり言ってるわけじゃないですか
許すべきなのあの時代ですからね
許すべきなのはわかってるんだけど
お母さんもあんまり良くないから
お兄さんたちはもっとお父さんそれでいいじゃん別に
お前そんなに口出しすることないじゃんみたいなこと言われて
私もそう思うんだけど許せないっていう
それはわかるじゃないですか何となく
どういう時代であれ
だからお父さんがやってることっていうのは
でもドーラにそれは納得する
俺ドーラのこと大好きだからってお父さん言ってるのか知らないですけど
お父さん大好きだからドーラのことは
でもお父さんを浮気する気も浮気はやめる気は
さらさら全く少しもないので
そういう時代だったからかもしれませんけど
ちょっとフロイトに見てもらって
ドーラの心の病を治そうみたいな
意味不明だろその発想がそもそもおかしいと思うんだけど
プラスだからちょっとドーラに家庭教師は
イケメンの家庭教師つけるから
ドーラの事例
そこといい関係になればいいじゃんみたいな
その発想も意味がよくわかんないっていうか
でもあからさまにそうだという感じすらする
しかもそのイケメンの家庭教師はいいや
いろいろとおかしな関係なわけですよ
完全に私が中学校の頃にやっていた
火曜なんとか劇場とか金曜なんとかなんとかとか
そういう僕は好んでそういうのバンバン見てましたけど
そういう世界ですよね完全に
だから一般的にそういう世界なのかもしれないですけどね
そこでドーラにお説教するに等しい
あれはレクチャーなんだけど
でもレクチャーしちゃってますからね
シンプリリッスンの世界とは程遠いですからね
お父さんの前でそうやって許せないからって言って
経病使ってると本当に病気治んなくなっちゃいますよ
みたいなそういう言い方をするわけです
それは全くその通りだと思うし
そうなんだけどだからドーラの
責任に近い形で
ドーラ頑張れみたいなノリになってますよね
その経病やめなさいみたいな
そうすれば心の病は治りますみたいな
そうなんていうのかな
その通りだとは思うんですよ
正論だなと思うんですけど
僕がすごいなぁとやっぱり思うというか
よくわかんないなとさえ思うのは
どうしてあそこから天意を発見できるんだろう
っていうのを割と何回も読み直しちゃうわけなんですね
そういう発想にならないじゃんって思っちゃうんですよ
あれは普通のやりとりで
それでもやっぱり
いわゆる人生相談だと考えると
レベルかなり高いなって思うんですね
失敗例とされてはいますけど
あそこまで言える人だって
実はその多くはないんじゃないかと思うんですね
普通に人生相談って考えると
まして100年前と考えると
だってお父さんが許せないから
病気の無意識にですよねもはやね
病気になったふりをして
それはヒステリーなんでしょうけど
引退症状に出して
それでお父さんを心配させて抗議している
ということを自覚して
それをやめるようにすれば
やめるようにしないと
その病気から出られなくなるみたいな
既にものすごく力動的な上に
この種のアドバイスが
いろんな症状に対して的確にできる人って
やっぱりいたらすごいじゃないですか
しかもそれが
そういう言い方をしてみたところで
はいそうですか
じゃあやめますっていうふうにならないのは
当然ならないわけだけど
だからそこを一生懸命
一生懸命あの手この手で
いろんな話を伝えていくんでしょうけど
つまりリッスンになってないよねとは思うんですけどね
転移の理解
何よりも道羅の気持ちというものに
俗に寄り添うって言いますけど
あれだけど私寄り添えてないっていうこととはまた
寄り添うっていうのが
なんかこうですね
本当お父さん許せないですよねとかって言ったところで
ダメじゃん
ダメではないかもしれないけど
効果あるかもしれない
効果っていうかそのほうがいいとは
いいかもしれない時あると思うんですけどね
でもなんかこう
本当お父さん許せないよねみたいなことを
言ったら寄り添ったことになるんだろうかって思うんですよね
私は
私だったらそんなことを言われても
そんなことなら別に
お母さんと話していればいいじゃないですか
話せればですけどね
そういうことではないような気がやっぱするんですよね
共感というのは
それは共感になってる感じが
寄り添ってる感じもしないというか
だって共感って同じように感じるってことですよね
同じように感じてないじゃん
その言い方をしている人はって思うんですけど
道羅大変だねって思ってるだけじゃないですか
それって自分と対象の人とが
あの
気持ちの共有ができてるかもしれないけど
共感までは至ってないような気がするんですよね
で
結局
あの
記憶ってものだと思うんですよ問題は
だってお父さんが許せないにとって記憶があるからですよね
そういう言い方をするといかにも変なんですけど
でもすぐに忘れる人だったら
お父さんが何したかをすぐに忘れる人だったらば
そんなことで苦しまずに済むんじゃないですか
で
記憶が再生されるというのは
普通に考えるとですよ
言葉になって
頭に思い浮かんでくるみたいなのは
人間はそれに慣れきってるもんだから
例えば私は自分の
自分が何歳かというと52歳だって
こういうふうにただ思い出すってことができるんだけど
普通に考えるとこれって
これができてるのは人間だけですよね
それぐらいこれは
まあ不自然なことだと思うんですよ
例えばお腹が空いたなと思ったら
もう食べてるっていうのが動物だと思うんですね
食べ物があれば
だから動物に我慢するとか
マナー守れとか
猫をしつけたりしますけど
思い出した時にすぐにそれができないっていう状態って
普通の動物ではありえないことだから
だから人間に付き合って猫とか
こうだなと思うんですけど
犬とかもそうですけど
だって
なんか疎走がしたくなったのに
なんでそれをせずに済ませて
トイレに行かなきゃならないのかってのは
絶対彼らには分かんないわけじゃないですか
そう訓練されればそういうことができるようになっても
なんでなのかはついに分かんないわけじゃないですか
だから待つ理由がないですよね
別に全然
思い出すということは
その行動を取るということですよね
普通の動物にとっては
その辺のことをヘルマンヘッセが
荒野の狼で盛んに書いてるわけですけど
狼から見ると人間ってのは
偉く滑稽だと
正直何やりたいのかさっぱり分かんねえっていうのが
狼の言い分なんですよね
要するに
いや勢力が高まったらすればいいじゃん
みたいな話なわけですよ
人間ってそれできないじゃないですか
なんかこう
お腹が減っておいしそうなごちそうを目の前にして
なんか静かに喋ってるとかね
意味が分からんっていうことになるわけですよ
思い出したらその行動を取るっていうのが
普通に記憶の使い方ですよね
だけど人間はいい
思い出してその行動を取りまくってると
多分社会人としてかなり問題のある人になってしまうんで
こいつのこと面白くないと思ってたなと思ったら
もう殴ってるみたいな
そういうのってまずいわけですよね非常に
もう罵ってるとかね絶対ダメなわけじゃないですか
行動化とかアクティングアウトみたいなことを
言われちゃうわけだけど
もともと普通だろそれっていうところがあるわけですよね
お腹が空いたんだから食べるし
眠くなったんだから
つまり思い出すってことは
欲望を思い出すってことは
欲望とセットじゃないものを思い出すことが
そもそも動物にとってあんまり意味がないですよね
概念と満足はセットであるみたいなことを
ビオンが言ってたような気がするんですけど
まあそういうようなことですよね
とにかく僕らは思い出したにもかかわらず
それはしないということに
もうすっかり慣れてるところがあるので
この思い出したものが行動に直っていくっていうのが
何かこう精神分析で扱うべきものみたいになってますけど
本来もともと逆だろって感じもしなくはないわけです
だから思い出してしまったら
それが表に現れてくる
つまり行動化なんですけど
そこに転移ってものが生じる最大の理由がありますよね
だからお母さんのことを思い出すと
ビクビクしちゃうみたいな
だって昔お母さんすごい私に怖かったしみたいな
そういう場合
お母さんのことを思い出すとビクビクする
目の前にいる人がお母さんそっくりだ
だからこの人と一緒にいるとものすごく落ち着かなくなる
っていうのが転移だと思うんですけど
転移ってそういうのがベースになってると思うんですけどね
思わずもうビクビクしちゃってますみたいなのが
明らかに転移ですよね
心理療法の効果
ビクビクしてるのを見ると
私そんな怖いことしたかしらと思って
だんだんイライラしてくると
こういうふうに逆転移って進行していくと思うんですけどね
これをなぜドーラのところから
これはそうなんだけど
要するにドーラはフロイトにお父さんを思い出したってことなんで
それはなるほどそうですよね
でもそれがカウンセリングの基礎になってって
ああいうレクチャーをとうとうと語るフロイトみたいなのが
だんだん影を潜めていくわけですよね
すごい発見だよなと思うんですよ
全然自分じゃ無理だわって気がします
フロイトがいてくれなければですね
この話を読みまくって
何回も読むんですよね
そこからどうして転移に
しかも失敗したというのが
最初は納得できないぐらい上手くいってたと信じている人が
この失敗から転移が出てくるっていう
そういう思考の流れになりうるんだろうと思って見ていくと
やっぱこの転移って一大発見だと思うし
全く天才的だなと思うんだけど
だからといって上手く使えるかというと
また別の問題だと思うんですけどね
だいたいこれ上手く使うって話になってくると
なんちゅんだろうな
演技力じゃないんですけど
でもある種演技力みたいなもののような気もしてくるし
だから演技力とか言うから
共感が足りないんですよね
つくつく難しいなって思うんですよね
この辺りの話って
とにかく転移というものが
ここで扱われるべきだったんだっていう風に
思考が進んでいくと
それって思い出すってことですよね結局
僕らは思い出すことが
そこで終わるってことができることによって
さっきも言いましたけど
狼から見ると滑稽でわけわからぬ人間というものになれるわけですよ
つまり性欲思い出したんだけど
目の前にはすっごい大好きなタイプの女の子がいるんだけど
性欲まっしぐらには行動しない
思い出すだけにとどめられるっていう状態ですよね
これができるように普通になる必要があるわけですよ
もちろんあからさまに欲動に赴くままの行動が取れないってことはいっぱいあるけれども
だから思い出すだけにとどまっていることはいっぱいあるんだけど
でもある種の状態になってくると
思い出すだけにはとどまらなくなっていくわけですよね
欲望はあるわけなんでなくなるわけじゃないんで
だからお父さん許せないみたいな気持ちがあまりにも強いと
それが行動となって
例えばフロイトとのカウンセリングを打ち切るみたいな行動になって
現れちゃうわけですよね
これを思い出すにとどめる
だから思い出すためには自覚するってことがどうしても必要で
私が思い出しているんだってこの私ってものも必要で
こういうことが特にその人にとってですね
バルネラビリティって言えばいいんですかね
脆弱なポイントにおいてもできるようになっていくというのが
多分だから転移神経症を治癒するみたいな言い方になるんだと思うんですけど
だけどそんなにさっき途中で言いましたけど
フロイトだろうと誰だろうとですね
綺麗にうまくいくとはとても思えないんですよ
なんでここでどうやって
なんて言うんですかねこの状態をある意味では
安全なまま推移させられるかっていう話に
フロイトはそのなんだっけな
これに関連していると思うんですけど
これに関連していない話はないと思うんだけど
あれですよね不思議な役になっている
早期反復徹底操作
特に徹底操作がな早期と反復はまだいいとしても
やっぱりでもあれを思い出すこと繰り返すこと
やり遂げることぐらいな感じだと思うんですけど
ILGになっているところがやっぱり
フロイトの理論の考察
簡易名詞化すればいいってものではないような気がするんですよ
そうでなくても精神力堂の世界って
ILG系には要注目って感じがするんですよね
何々しつつあるとか持ちこたえるとか
現在進行感が必要な感じがするんですよね
リメンバリングリピーディングワーキングスルーって言ったら
やっぱりこうILGになってるってところに
ILG3つもつけてるわけですから
フロイト英語書けるんですよね当たり前なのかもしれない
ドイツ人が英語書くのと我々が英語書くのは
感覚が違うような気がするんで
とにかくこの現在進行形というか
同名詞なんでしょうけど
想起反復徹底操作
同名詞というよりは漢語って感じですよね
しょうがないんだと思うんです時代があると思うんですよね
でも徹底操作はおかしいですよね
徹底操作だとフロイトが操作するみたいじゃないですか
ワーキングスルーは2人でやるものだと思うんですよ
しかもドーラがあれを操作するはずない
ような感じもするんですよね
操作はフロイトだって別に
あれほどやや押しつけがましくても
あれを操作って呼ぶのはどうかなって感じがしますから
本人は操作している気はないでしょうし
ワーキングスルーは操作ではないですよね
やっぱりね
僕がケチつけられる立場にはないですけどね
だけどやっぱり演技というものを
ここで
今ここでっていう表現は結構出てくるんですよ
リアルとコンテンポラリーみたいな
だからマインドフルネスを阻止している人々は
ずるくないかって思うんですよね
アメリカ人がフロイトの理論知らないはずないんで
僕らとは全然違うんで僕もびっくりしたんですけど
2000年より後ですからね僕がアメリカ行ったのは
フロイトって存在はデカいんですよね
アインシュタイン級ですよね完全に
ユングとかアドラーは知らなくていいってことはないけど
特にアドラーはアメリカで活躍した人ですし
でもやっぱり囲みの人なんですよね
コラムアドラーみたいなね
そういう人なんですよ扱い的には
コフートとかと同水準でデカい存在だけど
フロイトに比べるともう全然全く
知らない物理学者とアインシュタインぐらいの差は
歴然とあるしフロイトみんな知ってるよねっていうか
理論もみんな勉強絶対させられる必修ですよね
みたいな感じで
今ここってマインドフルネスとかそういう
マインドフルネスがいけない人が多いじゃないですよ
前だって今こことかみたいな発想はすごい持ってるけど
でも明らかに心理学で最初に今ここをすごい強調したのは
フロイトだと思うんですよねリアルとコンテンポラリーみたいな
そういう話って今ここの転移
だからやっぱりING系は要注意だと思うんですよ
やっぱりリメンバリングって言ったら
心理的プロセスと行動
その場で思い出すっていうそれをすごく
その場で思い出してることを
思い出すこともグルグル思考っていいじゃないですか
リピートするわけですよね思い出してることを
リピーティングしちゃうわけですよね再生して再生して
壊れたレコードのようにみたいな表現ありますけど
グルグルグルグルと繰り返して同じこと思い出すんだけど
思い出すにとどめることができず
繰り返して行動に行動化されていくっていう
でもそれは私は本来生き物とはそういうものだし
不安になれば不安という行動が行われるわけですよ
だから
それを思い出すにとどめられる
概念化で止まるっていうことができるようになるというのを
だからそれを治療と定義されたわけでしょうね
フロイトによって
思い出すにとどめられるっていうことをですね
母親との関係が母親のことを考えると
もう本当に許せなくてみたいに
なったとしても
復讐のプランというか
復讐のプランというか
復讐のプランというか
復讐のプランを立て始めずに済むみたいな
ああいうひどいことをされたなで
止められるっていうのかな
だけど僕がそうしたいって言ってる話じゃないですよ
僕はサンチュレイでこれをやりたいってわけではないですよ
フロイトの理屈ってそういうところが多分にあるなって感じがする
その身を
やっぱり待つ必要がある気がするんですけど
排出とか
無体的な実行みたいなものではなくて
概念で踏みとどまれるっていう
考えられるってことですよね最終的には
そういう言い方とちょっと違う感じがするんですけど
フロイトの論文の中では
でもやっぱり結局はそういうことなんだなって感じはするんですよ
なんか言語化とか
意識化とかっていうと
だんだんずれていくような気がしちゃうんですけどね
やっぱり漢語じゃないですかそれって
なんで漢語にしちゃうのかなって感じがするんだけど
考える
やっぱIMGですよね
理解しつつあるっていう状態
意識の中ってそうじゃないですか
言語化言葉に直せば復習心は止まるとか
そういう問題じゃないと思うんですよ
意識化されればそれでいいってことではないと思うんですよね
意識使うとか言葉を使うっていうのは
総動員の対象ですよね
ツールとしての総動員
それらを全部使いまくって
なんとかそこで考えるっていうところに
考えるっていう変化を成し遂げるみたいな
だからあそこにコンテインっていう
すでにフロイトは治療室っていう入れ物
っていう表現に近い概念なんだと思うんですよね
この治療室という入れ物で
定義という中身をだから治療室はコンテナーで
定義がコンテイントなんですよね
使うんだみたいな
今ここでそれを使っていくんだみたいな
言葉に直せばそこではい終了みたいな
完了しない感じがするんですよね
完了形を取れる感じがする
言語化とか意識化って完了するみたいな感じがするじゃないですか
そうは行かないような気がしますよね
リピーティングしたり
ノーイングに努めたり
シンキングしていくという
そういう動員していく必要が
いろんなNGをそこに
使い回していくみたいな
反復が嫌だから
ここで完了しゴールに至れるっていう
途中でお話ししたような
そんなに上手くいくはずがない気がするのと
そう思えるっていうのは後々
まずいくないかって感じがするんですよ
思い出したところで止まっちゃうことが
必ずしもいいことなわけじゃないじゃないですか
この場合はいいことかもしれないけど
例えば我々はライフハックから来てるんで
タスクって思い出しただけで実行されないっていうのは
とても良くないわけじゃないですかある意味
11月になりましたけど
確定申告の準備をしなきゃっていうのを
確定申告の準備っていうのをタスクリストにあると
思い出すわけじゃないですか
でもさっきのと逆でちょっとも行動に移れないわけですね
それはだから分裂してるからなんだけど
要するにやりたくないという気持ちを思い出して
ある意味行動化してるわけですよね
気持ちを実際の行動に移してしまってる
だから思い出すだけで止めるってのは
いろんな意味を含むしやはり考えられるようになる
必要な行動なら取るし
不要な行動なら取らないとか不適切な行動なら取らない
っていうのは全て自分が考えて判断して
決定しなければならなくて
しかも決定した通りに動けるとは限らない
っていうようなことまで考えていかなければならないわけじゃないですか
それが
完了しないってことだと思うんですよね
いつまでも続くいろんな形でいろんなことが
一個だけでことが足りるんだったら
それがすごくその人にとって重大で
しかも非常にまずい結果を生むようなことは
まずそいつに集中しなきゃならないですけど
基本的には一個のことで済まないから
やっぱり日常生活はめんどくさいわけですよね
いろんなことが並行して錯綜して動いていくんで
一つのことはうまく考えられるようになっても
併せて他のことはうまく考えられなくなりましたとか
うまく考えられないことをまた思い出しましたってことになっていくはずなんですよね
だからやっぱりコンテナーというものは
ある意味では解釈を続ける
だから母親はアルファ機能を使うわけじゃないですか
話飛ばしてますけど
フロイトがそこでシンプリリッスンでやっていたことは
コンテナーになっていくってことだと
ほぼあれは言われてると思うんですよ
中間領域って表現がドイツ語でも出てくるわけなんで
あそこで早期反復の論文の中に出てきますもんね
中間領域っていう言葉が
中間領域ってのは本当にフロイトの表現の中では
神経症と健康の中間領域に定位神経症があるわけだけど
まさにあの部屋が中間領域じゃないですか
社会のどこでもないある意味場所ですよね
カウンセリングルームというやつは
社会のなんていうんだろう
社会の制度の中に収めているわけですけど
今私たちもついにようやく
だけど結局は社会の中で
お父さんがそういうことをしていたんで
私会社に行くのが嫌になったって話って
公にはできる話じゃないし
完全にプライベートな話ですよね
でも完全にプライベートな話って
多くの人がそう従うように
自分一人で解決しようとするんですよね
でもこれって他人が開催してることなのに
自分一人で解決するってことになったら
強権発動になっちゃうじゃないですか
お父さんぶん殴ってやらさせるとか
それって結局自分一人で解決できないことですよね
だから自分の胸一つに収める
みたいなことになってしまうわけだけど
それを人は自立って呼びたがるんですけど
そうしてうまくいかなくなるわけですよ心が
その時にどっちつかずの場所がいりますよね
人に話すんだから公的で
少なくとも完全なプライバシーじゃないんだけど
でもここはもう守秘義務があります
完全にプライバシーです
ダイベートですみたいな
3ヶ月チャレンジもそこを
むやみに謳ってるわけですけどね
外には漏れませんっていう
なるべく気をつけてるんですよ
以前よりもだいぶ僕はこのポッドキャストで
参加者さんからいただいたお話は
基本的には頭をよぎらせない
よぎっちゃっても絶対口にはしない
みたいな感じにしていて
それが漏れることによって
その人に不利益をこむらせるってことはないんだけど
漏れないという
あるんだけど漏れない
だから王様の耳はロバの耳なんですよね
あれは本当にかわいはやまさんがよく引用してきますけど
あの状態を作るという穴ですよね
その穴がカウンセリングルームになっていて
それは完全に中間領域ですよね
自由的効果と意識
喋ってるんだけど漏れない
秘密は漏れないみたいな
でも秘密漏らしたくなければ
そもそも喋んなきゃいいわけなんだけど
喋りはするけど漏らさないっていう
そういう領域を用意しておく
なんならこの世の中にそれがあります
だから私このボットキャストに狙ってるのはそれなんですけど
そういう世界がここには
この世の中にあるんですよというだけでも
ある種の自由的効果は
言い過ぎかもしれないんですけど
私は一人で悶々としていて
なんならその
もうなんかこの世の中嫌になったわみたいな
でもカウンセリングに通うっていうのとは
心境的には程遠い人がですね
こういう世界がありますよっていうことを知っておくっていうのが
ある種のやっぱりこうなんていうのかな
こうあると知るということによって
なんか実際に行動が起きることって何もないわけじゃないですか
でもそれによって思い出すことってあると思うんですよ
いろいろたくさん
そういうところで喋るとしたら
どういうことが言いたいだろうとかって思い出すと
もう喋りたいことが山ほど出てくるみたいな
カウンセリングの重要性
だからそれをカウンセリングルームに行けば喋れるか
っていうとまたそういうもんではないんですけど
だけど喋るってことを想起するってことは起こると思うんですよね
困っていれば
だからやっぱりこういうのがあり得るという話をするってのは大事かなと
それはあれですよ
だからお薬をもらってそれを服用するっていうのは
それは外的なマネジメントとして
今の時代は必須なんだと思うんですけど
では必須なのと思うんですけど
それはそれとして扱える場所があるということですよね
だから私で言うと
彼女できないんですって
そんなことで悩むなよっていうのが公的な世界なんだけど
だから結局プライベートに悶々としてるしかないわけですよ
ドーラと同じように
そう私そういう気持ちになるからああいうの読むの好きなんでしょうね
だけど誰かに言いたくなるわけですよ
相談したからといってフロイトに相談したら
じゃあ俺が付き合ってやるよならないじゃないですか
なっても嫌だし
だけど相談できるってことが大事で
そんな悩みは今グライナーでは戦争があるのにとか言われても困るわけですよ
悩みってそういうことではないんですよね
なんかこう私のは純得だがあんたのは軽いっていうのは
基本的にはそうかもしれない
別に彼女できなくても困ることって本当はないだろう
っていうことになっちゃうんだけど困るんですよやっぱり
困ると思ってる時には
そういうことが親が虐待してるわけじゃないじゃんとか言われたり
別に今日クーに困ってるわけじゃないじゃんって
そっちの方が深刻なのはわかりますよもちろん
だけどそういうことではないっていうことが
やっぱりこの話の話の中には含むんですよね
実存的悩みってやつで
当人にとってはそれ以上深刻な悩みはないんですよ
そして他人の悩みは馬鹿げた悩みにみんな聞こえちゃうんですよ
実存的に悩んでる人ってそういうもんなんですよ
カラーマーズフの兄弟でイワンカラーマーズフが一生懸命言ってたことが
限りなく近いと思うんですけどね
とにかくその人にとってそれが大事な問題なんだっていうのは本当で
もうそれが全てなんですよね
あなたの親はまだまだいいじゃんとか言うのは
多分ですね
少なくともカウンセリングルームで出てくるべき話題ではないんですよね
そういう感じがします
個人の悩みの深刻さ
だから中間領域ってのはそういう領域で
客観的指標というものを度外視した世界だし
その中だから言える話がわんさかあるような世界だし
そこを作っておくということによって
フロイトに言わせると
店員の広場でいくらでも店員的に遊ぶことが許される
みたいな表現っておりますね
遊ぶとは書いてないんだけど
ウェニコットだったら遊ぶって絶対言う世界だなって思うし
やっぱりビヨンだったらコンテイナーっていう世界だなって思うし
そしてそれを壊れないように遊ぶみたいなことができるようになると
アルファ機能っていうのが多分機能しだして
考えるってことに至るようになるんでしょうね
だからやっぱりアルファ機能っていうのは
なんつうんだろう
共同作業なんですよ
ワーキングスルーの世界なんですよね
操作する世界ではないと思うし
母親が子どもの泣き声を一方的に適切に解釈すればいいってものでは
ないような感じがするんです
一方的な依存ってありえないと思うんで
一方的な解釈っていうのも必然的にありえないような気がするんですけど
でも解釈っていうのはやっぱりこの場合鍵になる気がするんですね
リメンバリングしたものを直ちに行動に移さないためには
その行動について考える必要はあるわけだから
つまりこれから取ろうとしている行動がどういう意味を持つのかって
やっぱり言葉で説明していく
それが解釈じゃないですか
言葉で説明する必要があって
その説明ってクリエイションのはずなんですよね
説明が言語化っていうと
コンピューターにその行動を説明すれば
それこそAIみたいなものがアウトプットしてくれるみたいな感じがするんですよね
言語化っていう言い方は
本当にそういうイメージ持たれてる人もいらっしゃると思うんですけど
僕はそれはそうじゃないような気がするんですよ
その都度その都度クリエイションだって
行動だってクリエイションですから
そこで毎回毎回新しいことを創発していくっていう
作り出すんだっていうニュアンスがないと
やっぱりそれは赤ちゃんが泣いて
おむつとかえてミルクあげるっていうのは
テンプレ化した行動パターンかもしれないけど
やっぱりそれは創発されたものじゃないですか
どこかに人類最初にそれをやり出した人がいたわけじゃないですか
毎回毎回そうだと思うんですよね
その人たちにとってはですね