ヘーゲルと意識の概要
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回ヘーゲル第2回ということで、意識さんの話をやっていくというところでした。
そうですね、今回聞いた方、何の話だって誰かと思うんですけれども。
誰だよって。
前回で言うと、ヘーゲルというのは、いわゆるサント・フィヒテ・シェリングという流れの中で、
ドイツ観念論の最後の完成者というか、そういうふうにいわゆることが多いですよと。
もちろんそれにもいろいろありますという話ではあるんだけれども、
いわゆる大きなテーマとして、絶対者というものを切り取った時に、
やっぱりフィヒテとかシェリングという絶対者とは不変のもの、変わらないものというふうな人たちと、
ヘーゲルが絶対者はむしろ変わるんだと。
そうやって運動していく、変化していくものというふうに捉えたということで、
ある種大きな違いがありますという話を前回したと思うんですよね。
それって結局何?という話を説明するのがなかなか難しいので、
ある種これはヘーゲルによってですね、
彼の最初の主張である精神現象学というふうな本を通じて、
そこを少しずつ理解していこうと思っていますというふうな感じが、
今回のヘーゲル界の流れでございます。
意識の成長段階
おそらく3回か4回分くらい精神現象学の話をするんだけど、
やっぱりボリュームあるんだね。
ボリュームある。長いよ。
ヘーゲルの精神現象学って世の中で聞いても結構有名な本ではあるし、
それを知っておくと哲学1個知ったよねみたいな感じになりやすいものかなと思うので、
ぜひ哲学に関心のある方は一緒に聞いていただければというのもあるんですけれども、
さっそく言ってくるんだけど、精神現象学って5文字だよね。
あと、よくわかんないじゃないですか。
どこで聞くの?みたいな。
そういうこと?
それでもわかんないじゃん。
中身じゃなくて言葉自体ね。
言葉自体も中身も。
この本、精神現象学っていうタイトルを見たときにさ、
何が書いてるのって全然わかんないじゃない。
そう言われればそうか。
改めて考えもしなかったけど、そうだね、確かに。
精神現象学とも言えるし、精神現象って言葉があんのかとかさ、
精神の現象学、現象学ってあったよなみたいな。
ふさるの現象学はもっと後なんだけど、みたいな感じで、わかんないんですよ。
この本のもともとのタイトルがあって、
それがね、意識の経験の学っていう言葉らしいんだよね。
出てきた意識さんなんですけど、
意識さんが経験をしてくださる、いろいろ。
前回もちょっとさ、スライム倒したかって言ったんだけど、レベル0の意識さんが
スライムとかと戦っていて経験値貯めてくるんですよ。
そうするとジョブチェンジとかしてくるんだけど、
そういうことを書いた学問、学びの書ですよっていうのが、
この精神現象学意識の経験の学ってやつなんですよね。
はいはい。もうそういうタイトルにしてほしかったね。
そうそうそうそう。
そっちの方が僕わかりやすいなと思って。
まあそうだよね。
どんな存在になっていくのっていうと、
きっと5つ、もっと本当は細かいんでそれも言ってくるんですけど、
その意識っていうものがあるんだけど、
それが自己意識と理性と、あと精神、宗教、絶対値っていう、
全部で6つかな。
こういう段階を経て最後絶対値っていう、
まあなんだろうな、レベル0からレベル低いなりますよみたいな。
そんな感じの世界観の本なんだよね。
へー、そう意識さんの成長物語なんだね。
そうそうそう。ステップアップしてきますよっていう。
で、これもちょっと誤解もあるんだけれど、誤解もあるというか、誤解は招かれないんだけれども、
クルカエさんやったじゃないですか、以前。
クルカエさんで重々心論っていう、
いわゆる梵風の心が実行の段階を経て最高の密教の段階になりますよみたいな。
だから密教っていうものが一番偉くて、過去のもの全部含んでるんですよみたいな。
そういう本を書いてよって話したの覚えてます?
あー、はいはい。この名前は覚えてないけども、
結局クルカエの密教が一番すごいのだ、みたいなことを言ってたみたいな。
他はなんとか教はまだこの段階だよねーみたいな。
そこが押されてるみたいな。
それですそれです。目的とか意図とかの成り立ちも全然違うんだけれども、
ステップアップをしながら心っていうものがあるし、密教っていう最大のものに至るよねとか、
意識、意識さんっていうものが絶対値っていう、いわゆる賛成系に至るよねとかっていうふうな、
ステップアップしていく物語だよっていう意味ではちょっと近いかなとも言えるんだよね。
感覚的確信の理解
なるほどね。仏教で言ったらさ、あれじゃない?
前、ハヤトが何か言ってたさ、悟りにも段階があるよみたいな話してなかった?
はいはい、ありますあります。
それもレベルアップのイメージをこっちは勝手に持ってるんだけれども。
あー、はいはい。
悟りの段階はあるんだけれども、ちょっとそこはずれちゃうかもだから、
また今度増えるでいいかな。
そうなの?
この筋から一途な気がするから。
こっちの考えから聞くとさ、そっちの方がシンプルじゃん。
悟りレベルゼロから始まったさ、
サンキューくんでも言うけどさ、サンキューくんがどんどん悟りに近づいていく物語みたいなさ、
感じに近いと思ったからさ。
じゃあちょっとそれはまたぜひ別のところで聞いてみたいな。
確かにね。OKOK。
あと確かにレベルアップとかって言葉を使うとそういったイメージもありつつも、
とはいえまずそのぐらいのなんとなくつかみやすいところから入っていくでいいかなと思ってるんだけれども、
なのでね、イメージで言うとヘーゲルは意識っていうものを最初語って、
クーカーよりは心みたいなものを語ったよっていう時にさ、
僕らってなんとなく心と意識ってちょっと繋がってる感じがするじゃないですか。
繋がってるというかね、どう繋ぐかなんなのか。
やっぱり日本語で言うと近いっぽいんだけど、やっぱり全然違うともちろん言っているし、
あくまでも今回はヘーゲルの意識、意識さんっていうものを使って、
物事を進めていくよっていう話でやっていきましょう。
ゆっくりなのがちょっと導入の部分なんだけれども、
この第1回分で意識とは何かっていう話をもうちょっとしていくんだけれども、
さっきレベルゼロって言ったじゃないですか。
レベルゼロの意識さんがどういうふうに物事を捉えるかっていう話なんだけど、
どういうふうに捉えるかっていう話なんだけれども、
面白いのがもし仮に意識というものが裸の状態であったとしましょうと。
ちょっと想像してほしいんだけど、相当難しいと思うんだけれども、
何かを理解しようとするとか、まず意識しようとするという働きをゼロベースで考えたときに。
じゃああれの意見に赤ちゃんとかでいいかな、いつも通り。
赤ちゃん、ちょっと赤ちゃんとも違うんだよな。
違うんだ。無垢な赤ちゃんをイメージしたらいいかなと思ったけど。
これはね、ある種人間と比反されてるんだよな、この意識っていうものが。
あ、そっかそっか。擬人化したらちょっとダメなんだね。
そう、ダメなの。面白くて、人間の意識について話してるんじゃなくて、
意識そのもの、意識という働きみたいなものについて話してるんだよ。
あ、そうなの?
うん。
なんか前回も言ってたな。意識があってその後人間がみたいな話してたから。
そうそうそう。
意識さんそのものの話ね、じゃあ。
もうちょっと前回の話を触れると、
僕らってどうしても人間の理性というものを使って世の中を捉えるじゃないですか。
でも、もし絶対者がいるという世界観からすると、絶対者がおそらく先で、人間とかは後じゃないですか。
もしその世界をすると。
なので、人間の理性からまず始めるっていうと、すごい後から始めちゃうことになるんだよね。
あー、なるほど。
うん。
で、今ヘーゲルはさ、この絶対者っていうものも実は最初から変わらないものとしてあるんじゃなくて、
発展したり動いたりするって言ったじゃないですか。
その絶対者がもともとなんだかっていうと、それは意識だったっていうところから始めるんだよね。
うん。
絶対者はレベル100の姿としたときに、そのレベルゼロの意識っていうところから始めましょうと。
それはもう人間も生まれないし、世界もないし、絶対者っていうものもさらにない始まる前の意識ですと。
はいはいはいはい。
オッケーです。
あの、あれだね。ミセス・グリーン・アップルがなんでこんなにすごいのかっていうことを語るときに、
いきなりミセス・グリーン・アップルから始めてもわかんないから、
ちゃんと時代を遡って、ビートルズとは何かみたいな、もっとポップミュージックでもいいけど、
でもそれでも足りないと。
そもそも音楽ってなんだっけみたいな、どこまで遡ろうのっていうときに、
ミセス・グリーン・アップルの成り立ちから、メンバーが集合したところからとかじゃなくて、
音楽とはそもそも何ですかみたいな、そういうレベルまで遡っちゃった、もしくはそれより先まで遡っちゃったぐらいのイメージってことだね。
でもそんなイメージ。
ミセス・グリーン・アップル出てきてないよねぐらいのところから。
そうそうそう。でも本当それはそう。要はミセス・グリーン・アップルを語ろうとして、
ミセス・グリーン・アップルから始めると、もうそれは間違いで、
彼が存在する前から語らないと、
なぜミセス・グリーン・アップルが出てきたかってことは語れませんよねみたいな。
そんな感じで合ってると思う。
ポッキーです。
ポッキーと思う。
ということをこの意識レベルゼロからやろうとしてますって感じなんだよね。
難しいのは要は、後から意識ではなかったって話出てくるんですよ。
そうなんだ。
前回言った通り、意識って挫折をして、別のものにフォルムチェンジとかレベルアップしていくじゃないですか。
なるほど。
意識ではないんだよね、本当。意識ではないんだけど、
もし彼に意識というレベルゼロから始めるとしたらっていう話をしていくから。
難しいのは、ふむふむ意識ってそういうものかっていうふうに思うんじゃなくて、
確かにレベルゼロの世界って語ろうとしたらそうなるよねっていう、
物語チェックに見ていてほしいですと。
ちょっとこれは難しいからツドツド説明していくし、
アニキもわからなかったら聞いてほしいと思ってるんですけど、
まず意識レベルゼロからいきますと。
この時の意識の名前を感覚的確信と言います。
感覚はいわゆる感じるの感覚ね。確信は確かに信じるっていうもの。
これが意識っていうものの中の第一形態なんだよね。
本当のレベルゼロ。
はいはいはい。
これ何かっていうと、言葉っぽいんだけれども、
何かがある、目の前にリンゴがありますとか、ここにリンゴがありますみたいな話。
これって、そもそも経験論的な話でいうと、確実な現実じゃない。
要は、色も匂いも温度もとか、リンゴの重たさとかも含めて確実にあるよね。
この確実に感性という信頼感っていうものが、
これが世界なんだ、認識なんだっていう風に、まず感覚的確信っていう段階では捉えるんですよ。
これって何かもうさ、でもそうじゃんっていう感じじゃない?
まあそうね。生まれたての状態から、パッと周り見たときにリンゴがあったらって考えるとそうだよね。
なんだけど、ヘイレルここで言うんですよ。
実は、豊かにリンゴがあって、この水見り坂とかって言ってるのは、実は一番貧しい認識なんだみたいなことを言うんですよね。
へー、はいはいはい。
なぜならって話なんだけれども、実は今言ったリンゴの重さがとかっていうものも、ここを超えてるじゃないですか。
感覚的確信の理解
どういうことかっていうと、何かを言葉で表現しようとした瞬間に、他のものを想定してるじゃないですか。
要は、他のリンゴではなくこのリンゴとか、このなしではないリンゴみたいな感じで、
結局他のものを想定しないと、今目の前のこのリンゴっていうものの説明とか認識できないんだよね、僕らは。
なるほどだし、そうだね、確かに確かに。生まれた瞬間これリンゴっていうのはおかしな話だね。
そうそうそう、それで言うとこれしかないはずなんだよね。
でもそのこれっていうのは、実はリンゴもこれだし、なしもこれだし、もしかしたら僕に対する兄貴もこれなんだよね。
なるほどね。
本当に感覚的確信っていうものを徹底しようとする、そういう意識を考えようとすると、もうこれしかないのよ。
ちょっと実存主義とかっぽくない?
どうなんだ?実存とはちょっとまだ違うな。
この話聞いたことあるな。実存主義じゃない?
実存っていうのは、そもそも存在と本質が分けて初めて出てくる概念なんだよね。
その存在に対する、なぜ我々はあるのか、絶対者なき世界とか神なき世界において我々がいる意味とは何かみたいな、そういうところに至るんだけど、
この意識・感覚的確信の段階ではそもそもそういう存在とか本質とかっていうことをすべて知らないのよ。
むずいね、そうしたら。どこでこういう感覚を得たのかわからないけど、今のような、
ハイトが言ってくれたさ、リンゴってそもそも目の前のものを言ってる視点で、リンゴとリンゴじゃないものをすでに分け終わった後の話。
だから、この感覚的確信か、の視点からすると、だいぶいろんなステップを飛ばしちゃってるよねっていう感じじゃん。
リンゴってそもそも言ってるとか、甘いとか、そういう意味付けをしちゃってること自体がね。
だから、リンゴとリンゴじゃないものを分け、他のもの、リンゴはリンゴじゃないものとしてしかリンゴは分けられないみたいな話をどっかで聞いたかなーって。
たぶん構造主義とかのあたりだね。ウィトゲンシュタインとかの言葉の問題とかに特にサイであるとかさ、サイの網目でしかないみたいな話をしたと思うんだけれども、
それに近いとは思う。すみません、アイキー言ってるけど、そういう世界観が出るもっともっと前の段階なんだよね、これって。
とにかく違いとかなく、目の前のこれっていうのを、実際こういう言葉もあるんだけど、直接的に。
ちょっとね、これ僕、俳句っぽいなと思ったんだけれども、ちょっと悟りっぽいなと思ったけど、目の前の今ここの瞬間を直接感じなさいみたいな。
要は何か他の一切の思考とかを外して、目の前のこれに向き合いなさいみたいな。それで言うとちょっと実音主義というか、そういうとちょっとサルトルっぽくなって、
目の前の木っていうのを見たときにそのもの、そのものみたいな荒々しさになって、木っていうものがもうわかんなくなっちゃって気持ち悪くなっちゃったみたいな、
存在性そのものに向き合ったみたいな話になっちゃうんだけど、まさにこの存在性そのものに向き合おうとかってすると、
逆に言うと、目の前のものがリンゴであるとか梨であるとかっていう区別って絶対つかないはずなんだよね。
確かに、ここに至るまでだいぶいろいろ喋ったけれども、ここをゼロベースで理解するというか、この感覚を想像するっていうのはすごい難しそうだね。
懐かしい。なぜなら僕らは普段どうしても直接物事を捉えているんじゃなくて、いわゆるいろんな知識とか経験とかそういうものに応じて、
そういうものを媒介にして、これはリンゴであるとか、リンゴだと思ったら木で作られた、なぜなら森からだとか、
そういうことをいっぱいいっぱい経由してリンゴっていうものに向き合ってるんだよね。
意識レベルゼロの場合は、目の前のものそのものに向き合おうとするとしたときに、それはもうこれ、存在、存在、存在でしかないみたいな。
そういうふうなものがレベルゼロだよねっていうふうにヘイギロは言うんですよ。
わかりました。イメージできてきた。
これが兄貴がさっき言ってくれた、じゃあ赤ちゃんの意識、認識だと思っていいよねっていう意味で言うと、そのレベルまでいったらそうかもしれない。
知覚の発展
要は赤ちゃんがもし仮に目の前のものとは区別せずに、何かがあるあるあるとしか認識してないとすれば、
あれはこの感覚的確信に近いね。
はいはいはいはい、なるほど。
っていう感じなんですよと。
なので、すごくこれ面白いなと思うのが、何かを本当に理解しましょうっていうときに直接何かそれを理解しましょうとか、
他の何か媒介的なものを外して、目の前のものそのままに向き合いましょうっていうふうな言い方って、
本当にそうなんだけれども、これをヘイギロは最初から否定してるんだよね。
いやー、すごいね。デカレットあたりから、ロックあたりから、カントとかって、でもこの感覚は確かになかったかもしれないよね、その間に。
そうなんだよね。
実はこれがちょっと補足すると、シェリングの知的直感っていう、前回ちょっと言ったと思うんですけど、前回シェリング会のときに言ったかもなんですけど、
シェリングは絶対者っていうものを直感で捉えましょうと。要は理性では無理だから直感で直接的に繋がるってことを言うんだけど、
このヘイギルの知的意識はまさにそれの批判なんだよね。
直接理解するとか直感で捉えるとかって無理だからっていう。
なぜならそうすると、これでしかないから絶対者とかリンゴとかって個別のない世界になっちゃうじゃない?
これってすごく貧しい認識だよねっていうふうに、いわゆるまさに全てのものが一つになっている、包合された世界っていうものがやっぱり貧しい世界なんだ。
要は現実から全然違う世界なんだっていうことをここで言っちゃうんですよ。
なるほど、これがヘイギル側からシェリング側に対する批判の論拠というか。
そうそうそうそう、言い方なんだよね。
はいはいはい、なるほど。そうすると貧しいとかね、一つにまとめちゃうことの逃げ感だよね。
そうそうそうそう。
そうなんです。なので、これはやっぱり通列だよね。要は、ポンポンに至ろうとして1個の混じり気ない統合存在までいったんだけど、
それをヘイギルはゼロ地点に置いて、そこから始まると全部貧しいからそうじゃない世界に行くよっていうふうに言っちゃうんだよね。
みたいなところが通列な批判ですっていう話もあるんだけれども。
なので、ここで言いたいのは、目の前のものを直接感覚的に認識します、すごいと思うんだけど、それは実は間違いですよと。
やっぱりどこかに媒介的なもの、要は目の前のリンゴそのものじゃなくて、他にあるものとか、
それこそ甘さみたいな感覚とかも含めて、そういうものと関係しないと、ものとかってちゃんと認識、意識できませんよねっていうところがレベルゼロの話なんだよね。
それを理解するんですよ、意識さんがね。
そうすると、要は何か違ったって言って経験して、それを理解するとテッテレーって言ってレベルが上がるんですよ。
そうすると今度は感覚的確信だった意識が次は知覚っていう、また別の意識になるんですよ。知覚、知る感覚ね。
そうするとレベルが上がったんで、あ、なるほどと。
これはこれっていう存在そのものっていうだけじゃなくて、なんか白いとか、辛いとか、よく見たら四角い、これは塩の粒だみたいな。
そうすると意識できるようになるんですよね。
これとあれは違うってことを分け始めるみたいなイメージ。
そうそうそう。こっちは塩でこっちは砂糖と同じなら舐めたら、辛いのと甘いの、しょっぱいのと甘いので違うからだみたいなことが分かるようになります。
その前にあれだもんね、いろんなものを食べたときにしょっぱいと甘いって違うんだっていうことも分けてるし、色が違うから白と黒も違うなってことを分けた上で、
これは白くて甘い、白くてしょっぱいっていう、それがもうすでに何個か統合されてる状態ってことはね、今話したのは。
だいぶ進んだ感じするね、そうなると。
そうだね、だいぶ進んでる。
それでやっぱり目の前のものが塩だ砂糖だって分かるとか、リンゴだ梨だって区別ができるとかってなるんだけれども、
そうすると目の前のもの同士はいったんいいんだけれども、概念の方では白いとか甘いとか、こっちをどう意識するのっていうような問題が出ちゃうんですよ。
へー、そうなんだ。
つまり、同じ白いものがあったときに、この白っていうものは砂糖と塩で一緒だよねと。
この白の中でどうやって区別をつけるのっていうと、じゃあ味を確かめようとかってなっていくんだけれども、
でもそれってどこまでいっても、なんていうのかな、そういうふうに分けていくんだけれども、そうなると、
塩っていうものがありあったときに、塩って白いとかしょっぱいとかっていう方からするといろんな属性を持ってるじゃないですか。
塩というものを考えたときに、白くてしょっぱくてちょっと四角いものとかっていろんな属性を持つじゃないですか。
っていうふうに、概念の方からすると、塩っていろんなものが束ねられてるものなんだよね。
はいはいはい、OKです。
じゃあ概念からすると塩っていっぱいなんだけど、物として見ると塩って一つじゃないですか。
っていうときに、あれ、目の前のものって一つなもの、それともたくさんのものが集まってできたものなのっていう、そこのぶつかりが出ちゃうんですよね。
確かに面白いね。それこそどっちが先、問題みたいな近いね。
そうなんです。さっきのレベル0の感覚的確信の場合は、物しか見てなかったからそんな問題なかったんだけど、
それを乗り越えて、よしこれでやっと塩と砂糖が分けられたぞって思った瞬間に、
あれ、なんかその概念的なものと現実的なものってどっちが正しいんだっけみたいな。
あー、OKですOKです。なるほどなるほど。そっかそっか。
0レベル感覚的確信時代に見たそれと、今の近く状態で見た塩とか砂糖みたいなものが、全然見え方が違うというか一つのはずだったのに、
一つなの?それとも複数の概念が束ねられたものを塩というの?どっちなの?っていう、確かにちょっと混乱するかも。
そうなんだよね。あ、でも兄貴は本当に純粋助かる。
助かるなの?助ける?
いやそれを感じてくれるのって難しくって、やっぱりそのなんていうのかな、さっき言ってくれた世界の見え方が変わるのよ。その意識レベルが上がることによって。
いやー、だいぶ混乱するだろうね。
あれおかしいなみたいな。さっきまでは物しかなかったのに、来年みたいなものが出た瞬間に、どっちが大事なんだっけみたいなことがやっぱり出てきちゃうんだよね。
意識さんからすると。
いろいろ考えると、これはどっちかには分けれない。
要は、物っていうことは結局、これは塩でもあると同時に、白くてしょっぱくて粒のものであるみたいな、それが両方混ざったものなんだっていうふうに、ここでいう知覚さんは考えるんですよね。
物と概念の関係
ここに今の僕らの常識からいう属性とかそういうものがあってとか、それを分けて考えることもできるんだけれども、この知覚さんの今のレベルからすると、そういうふうに分けて考えたらまだできないんですよ。
どこが分かりたいんだ?
塩っていうものの中に属性っていうものと本体みたいなものがあってみたいなふうに、要は概念的な思考っていうのは実はちょっと先なんだよね。
なるほど。だから、白いとかしょっぱいとかの中に塩っていうのも入っちゃってる?一緒に。
そう、一緒に入ってる。
名付けっていう感覚はないってことね。
ないないない。
ああ、そこは分かってた。
白というものは色であって、色というものは視覚的な感覚であってとかっていうふうにいくまでのまだレベルはないんだよね。
なるほど。カテゴリーができてないんだ、まだ。
まだできない、そうそうそう。
だから純粋な感覚はあるんだ。ただ白い黒いとか。甘いしょっぱいって純粋な。
あと塩っていう、何故か名付けみたいになってるけど、それも本人は無自覚でやってて、全部ごちゃっと同じ引き出しに入ってるんだ、カテゴリーじゃなくて。
意識と知覚の進化
でも名付けはあくまでも仮の名前であるから、そういうふうにいろんなものを見たり聞いたりとかって視覚することができたときにはそういう区別はできるけど、
その白いっていうものと塩っていうもののどっちが大事なのとか、どっちが重要な概念のとかってことはやっぱりまだ区別ができなくて。
結局その両方あるよねっていうことしか言えないですと。
じゃあちょっと分かってなかったわ、さっき。たぶんもう一方さっきの混乱をしてたと思う。
なるほどね、なるほどね。
カテゴリーができた上での混乱だった、さっきのは。もっと原始的なとこなんだね。
うん。カテゴリーは次の誤性っていう段階なんですよ。
へー、なるほどね。OKですOKです。
その手前の、まだカテゴリーとか法則ができる前の段階です。
意識さんがレベルアップだったら、知覚さんがものを見たときに、そういうものとそういう部品的なものってものをどういうふうに位置づけるかっていうところに次の課題が出てきます。
っていうのがこのレベル1か、さっきのレベル0としたらレベル1の段階に来るんだよね。
さっきちょっと言ったんだけれども、そのレベルに、またさらにそれでレベルアップすると今度は誤性っていう、カントが言った誤性っていうのは近いけどちょっと遠いんだけど、ちょっとまた別の概念なんだけれども。
文字は一緒、漢字としては。
文字は一緒、うん。
はいはいはい。
っていうことが次またレベルアップしますと。
で、これはさっきアニキュー言ってましたね、カテゴリーとか法則みたいなものを作っていくような働きなんだよね。
おー、はいはいはい。
つまり、白と塩とか黒とゴマとかっていうふうに一体性だったのが、白と黒というものはここには色というふうな共通項がありますみたいな感じにどんどんそういうふうな構造を作っていくんだよね。
おー、はいはいはい。
で、そうすると、例えばさ、さっきの近くさんの場合だと、仮に黒く塗られた塩があったときに、さっきの白い塩と同じものはっていうふうに思えないのよ。
あー、なるほど、確かにいいんだし、ピンクの塩あるしね。
そう、あるあるある。そのときに、ピンクの塩は、さっきの近くさんは塩だとは思えないんだよね。
うんうんうん。
別のものになっちゃうと。
なるほど。
そこでレベルアップした後世さんは、それが塩というものの本質とか、この奥にある共通項っていうものがあって、それを満たしていると、それは塩であると認めて良いみたいな、
そういうところまで、結構僕らが普段使ってる理解力に近いと思うんだけれども、そういうところまでレベルアップしていくんですよ。
おー、なるほど。
ここにやっと、さっき言った白とかっていう普遍的なものからさらに法則みたいなものにいって、いわゆる塩っていうものの存在の奥にある、なんていうのかな、本質だよね、やっぱり。
で、ここでヘイゲルは力みたいなことも言っているんだけれども、例えば、力って言うとシェリーの時も電気とか化学的なエネルギーみたいなことを言うとと思うんだけれども、電気みたいなものも、ただ電気があるって言うとやっぱり難しくて、電気が生まれた上に発電する装置だったりとかさ、そういった仕組みが必要なわけじゃない?
っていうふうに、何か内側に力を発生する源があって、それが外に出てくると、我々は電気という力というか、何か働きとして理解できるみたいな、そういうふうなものはとして理解してると思うんですよね。
そうね、はいはいはい。
そんな感じで、要は塩の奥には、たらしめている塩の原理みたいなものがあって、それが現実世界に現れると塩というふうな存在になるみたいな、そういう内なるものとそれが現れてくるっていう、そういうふうな世界観っていうものを、この五星山というものを作り出すんですよね。
うーん、そうなんだ。はいはいはい。
うん。なんかここのイメージってわくかな?要はその、この現実の奥にさらに真実の法則があるんだみたいな話。
ああ、でもそれこそがあれでしょう。よりカテゴライズするというか、まとめるところの力だよね。
例えば、色。黒とか白とか赤とか色々やっていた、誰だっけ?
近くさん?
近くさん。
近くさんだね。
だからこの五星山に至るにあたって、多分やっぱり赤、黒、白って確かに近くさん段階だとわからないじゃん。一対一対応みたいな。
この中で、あれ?と。物事の色って言っちゃうともうね、あれだもんね。なんかこれらを、これらの感覚、この使ってる感覚をひとまとめにしたいと。
物事のものっていうか、なんか目の前にあるいろんなものの、この感じをひとつにまとめたい。色だみたいな。
そうね、そういう欲求が出てくるよね。
表面の見た目の感じを表現する何かをカテゴリーとしたいみたいな。
それこそが力だ。今生えてもいた力。色の力だったりとか。
はいはいはいはい。
で、塩も同じだよね。
なんか色が白だろうがピンクだろうが、形がちょっとこう、ガイみたいにでかかろうが、つぶつぶだろうが、
なんかこのしょっぱくて、なんかこういうものをまとめたいっていう力が塩に多分生まれるというか。
表現されるか。
そうだね、そうだね。
なんかそれを力っていうふうに呼ぶとすると、なんか理解はできるかなと思った。
それはすごくいい理解だと思う。
やっぱりそうなると、僕らの目に見えた結果としての塩とか、いわゆる黒とか白っていう色だよね。
その奥にある色の力だったりとか、塩を埋める力っていうものをある種分けて考えて、
これがつまり、世界を2つに分けていくっていうふうな発想につながっていくんだっていうふうにヘイギルは言うんだよね。
ほうほうほうほう。
でも感覚で捉えられる目の前にある世界と、感覚を超えた、超感覚って言ってもいいけど感覚を超えた世界。
っていうものに分かれるっていうことを、この五星さんっていうのはするんですよ。
なるほど、確かに確かに。
色っていうのは感覚を超えてるね、そういうとね。
そうそうそう。色を見せてって言われてもさ、難しいじゃん。
色を見せるって言われても、これは赤じゃん、これは黒じゃんって言われて、
いや、色を見せてくるよって言われてもさ、わからんみたいな、こんな感じ。
そうだね、そうね。だから今の順番、レベル0からの順番でその色ってものが生まれてるからって考えると、それも納得だよね。
それをそのまま説明できないっていう、その近くできないっていうのはね。
五星さんは意識できないものを、でもこれはあるんだとか、その力というもので、奥にある内側にあるんだっていうふうに捉えちゃうんだよね。
うんうんうん、オッケーオッケー。
これは非常に面白くて、いわゆる絶対者みたいなものはそうだし、要はこの世の奥に何か作られた法則があるとか、
あとは、いわゆる現代科学もそうだって言われてて、やっぱり何かこの宇宙を支配している統一的な理論があるみたいなものっていうのは、
こういう平行でいう五星的な働きによって生まれてるよねみたいな話もやっぱり言われたりするんだよね。
で、面白いのは、じゃあさっき言った通り内側の力の源と現れてきたその使用みたいなものって分かれてるんですかっていうと、
さっき言った通り平行はその力で捉えているから、そこが本当は繋がっているんですっていうふうに言うんだよね。
うんうんうん、オッケーオッケー。
うん。で、さっき言った通り、じゃあ使用の力、要は秘められた力だけあってもさ、僕ら意識さんっていうか、ここで五星さんからしたら分かんないじゃん。
うん、そうね。
だからその秘められた力が現れて初めて僕らにとって届く、五星さんにとって届くっていうことは、その内側から外へっていう風な流れもそうだし、
あとは外から内へっていう、また戻るっていうものもあるんだけど、そういう風な運動が起きていることを思って初めて、両方の世界があるっていう風に僕らは認識できるから、
うんうんうん。
理解力の条件
僕らで五星さん側認識、ここ混ざっちゃうね、いつも。
うん。
五星さんを認識できるから、この運動のあり方そのものを見て、世界ってものが現れの世界とその奥にある本質の世界に分かれてるんだっていう風に理解をします。
わー、すごいすごいすごい。面白いね。
見えてきた?
うんうんうん。
その違いは見えてきた。
っていう風になるんだけれども、ここでね、面白いのが、結構これさ、僕らが思っているこの世とあの世とかさ、技術の世界と法則の世界みたいな物理の世界とみたいな話に近いんだけれども、
ヘイギュラーはここで問い直すんだよね。ヘイギュラーというか、ヘイギュラーのこの五星さんを問い直す。何がここでぶつかる課題かっていうと、
自分は運動を見てこの世界を二つに分けたんだけれども、
二つに分けたのって自分じゃないですか。自分って五星じゃないですか。
はいはいはい。
つまり、五星さんは世界を二つある、要は現れる世界と奥の世界に二つあるっていう風に意識したんだけれども、
この二つに分けたっていう世界って、自分である五星が生み出した世界かなんだよねっていう風に気づくんだよね。
そうだね、現段階ではそうだね。
そう。レベルゼロの感覚的革新の時は物しかなかったところから、この二つの世界があるっていうところまで行き着いた時に、
ただと気づくんですよ。あれ、この世界って俺が生み出してませんかと。
つまり、この世界を捉えようとしていたのに、どこまで行っても自分が世界を生み出すっていう働きがここに乗っかってきちゃえってことに気づくんだよね。
そうなると、五星さんどうなるかっていうと、これまで意識全体っていうのは外の世界っていうのがあって、それを純粋に捉えようとしてたんだけれども、
違うと、そこには自分の五星なら五星の働きっていうものが乗っ張っているから、世界そのものを捉えようなんて無理なんだってことに気づくんだよね。
なるほど。
つまり、その二つの世界だって言ってるのも、この五星が生み出した働きの世界じゃないですか。
そうね。
っていうことは、この自分の働き、自分の世界をどう見るかっていう働きに目を向けないと、そもそも正しく世の中を意識するってことはできないように気づくんだよね。
なるほどね。
ここちょっと伝わるかな。
一瞬だったら、レベルゼロに戻るしかないじゃないかと思ったんだけれども、そういう話でもなくて、
その次の知覚あたりにいたときに、これは白い、これは黒いっていうふうに思っている、その段階が既に自分に依存していると。
その知覚自身、もしくはその意識だよね。
知覚レベルであるその意識に依存しちゃってるでしょと。
だから、それを自分がなぜ白だと思うのか、しょっぱいと思うのか、甘いのか、みたいなところまで一旦立ち戻らないと、
この世界、本来ゼロの感覚的確信ね。
レベルゼロ時点で捉えていた世界を、ゼロから1になった近く時点で、もう捉え損なっている可能性が出てくるよねっていう。
でも本当にそう。
アンケートがまず言ってた通りで、これは白いですと。
なんで白いんですかって言うと、白だと思ったからですからね、アンケート。
仮にそこに色っていうのがあって、僕らの知識的に、白っていうのは光を吸収して反射をしないっていうところから、
僕らの目が受け取るときに白だと判断するんですってなったときに、
なんでこの白っていう色は光を反射しないんですかとかって言うと、多分その奥に説明が色々できるはずなんだけれども、
行き着く先には、でも結局そういう性質だからだとか、
世の中がそうなっているからだっていう風な、そういうところにしか説明できない領域に行けるはずなんだよね。
なったときに、要は世界がこうあるみたいな話って、
僕らがその世界を認識、要はこれは白だと認識するっていう世界観の中に置いてしか説明できないことなんじゃないですか。
だから、その意識さんは頑張って外にある世界を認識しようとしてたんだけれども、
そこに自分、要はこの意識さんの意識そのものが入り込んでいるっていうところに気づいちゃうんだよね。
自己の作用への気づき
わあ、よう気づいたね。
ちゃんとレベルが上がると成長していくっていう感じなんですけど、
ここに意識から自己意識っていう、要は世界っていうのはこの自己意識、意識そのものとか、
個性の働きっていうものが現れている場所なんじゃないかっていう気づきが出てきて、
ここである種、もうレベルアップというよりはジョブチェンジするんですよ。
ここでジョブチェンジするんだ。
意識さんが感覚的革新になって、知性になって、個性になって、そこまでいったら次レベルアップして自己意識になりますっていう。
ジョブチェンジしましたよっていうふうな感じなんだよね。
ちょっと見えてきた、この精神現象学の世界観というかさ、なんかやろうとしていること。
まあそうね、これがどう繋がっていくのかわかんないけれども、一応現段階の世界観はわかっているつもりかな。
はいはいはい。でも本当にアニキュアということで、本当に意識っていう0レベル、レベル0のところからいったときに、
白とか黒の区別はつくけど、じゃあそれが何かはわからないっていう、レベル1の近くの段階があって。
レベル2の個性になると、白とか黒っていうのは色としてまとまるっていうのがわかるんだけど、色としてまとめるっていうのもすごく自分勝手だよねみたいな。
まあそうね。
それは人間というかその個性的なものが、色というものは目で見て、味というものは舌で見てて、別の感覚で捉えているから分けているだけであって、
もし色と味を同じ風に味わう存在型としたら、そうはならないはず。
うん。
っていうような意味でも、世界っていうものはかなりやっぱり自己というか、意識、理解しようとする意識っていうものが反映されているっていうところがここまでの話なんだよね。
はいはい。そこに気づいちゃったっていうところで、チュンってチョブチェンジして、さあどうする俺って。
そうそうそうそう。どうする俺ってこの自己意識ってなって、自己とはとか他者とはっていうところに進みますっていうのが次の話なんだよね。
次回の予告
はいはい。この世界を捉える自分とは何かっていうところに見ていくっていうね。
そうですそうです。
OKそうです。次回予告の感じも分かったな。
そうだね。はい。っていう感じで、まあ厄介だよね。こうやって見ても。
いやーそうだね。だってこの時点ですでに、うちらって言っちゃうと申し訳ないので、自分が世の中を捉えている形を超えてるもんね、すでに。
そうだよね。普段考えてる捉え方とね。
うん。だからレベルたぶん1とか2ぐらいじゃないの?っていうのを、しかも自分でっていうよりは世の中、親とか周りから教わってなんかやらされてるぐらいの感じだなと思う。
そうそうそうそう。これ6段階目の1段階だからね、今ね。
すごい。じゃあもう分かんないわけだよ、この先は。
分かんないです。次回ね、自己意識を捉えていこうと思っているので、果たしてこのレベル2まで来た意識さんが次、ジョブチェンジして自己意識があったらどうなっていくのか、
どんなことをヘーゲルが言おうとしているのかっていうところでまた次回楽しみにしていただけると嬉しいなというような感じですね。
はいはい。分かりました。精神検証学ですね。この意識さんの旅というところを次回も楽しんでいきたいと思います。
では次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。