ショーペンハウアーの復習
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回でショーペンハウアー第3回ということでやっていきたいと思います。
はい、前回ですね、意志と表象って話をしたと思うんですよね。
うんうんうん。
なんとなくお兄さん覚えているかしら?
あ、なんとなくね、関東の宿題の物自体ってなんだ?みたいなところに対して、その物自体的なものに、
ショーペンハウアーがこの意志と表象じゃね?みたいなところで見た。
内容はあんま話すの長くないので、その中からヘッドに任せれば。
そういった形で、関東との繋がりですよね。
前回の復習ですけれども、関東はその物自体っていう、僕らが認識もできないし、知ることもできないものっていうのを想定しつつ、
僕らが見れるのは、時間とか空間とか、そういう構造を中に置いて捉えたものを、僕らはある種認識ができる。
そこに理性の限界があるよっていうことを語ったわけですよね。
そこに対して、去年やったフィフテとかシェリングって人たちも、物自体ってそのままにしていいのか?みたいな。
お気に入り上げっていうものを、なんとかしようとしたっていう話をしたと思うんですけれども、
この商品反話に関しては、この物自体っていうものを、いろんなことを考えたときに、自分自身の体に目を向けたんですよね。
自分の体っていうのは、外から見ると指が動くっていう現象とか表象として見えるけれども、
その内側というか、ある種意識的な方に目を向けてみると、指を動かそうとする、まさに意思だよね、みたいなものとか、
そういう何がしかの働きがあって動くっていう、その二面性を持っていると。
この二面性のうち、見たときの動きっていうのは、現象とか僕らの認識の方で、
内側で動かすぞっていうものが意思として働いているっていう、この両面性がこの世の物のすべてにある種存在しているんだと。
その意思の方を物自体だっていうふうに、ある種イコールで結びつけたんだよね。
そこ結びつけたんだ。
そう、結びつけてる。物自体っていうのは意思であると。
これ面白いのが、体とかだとイメージ分けやすいじゃない、動かすぞとか、走るぞとかってあると思うんだけど、
ここからが今日やりたい、意思って何じゃい?みたいな話とか、そういう発想をすると、世界ってどう見えるの?っていう話をしていくんだけれども、
ショーペンハーワーはこの体っていうものだけじゃなくて、それがあらゆるものに繋がっていく。
だから例えば山でもいいし、空でもいいんだけど、そういうものもすべて意思と現象の両方によって成り立っているっていうふうに考えるんだよね。
はいはいはい。前回一応そういう話したよね。
例えば石が、さっきのハイトの説明だと、何か考えたものが動くみたいな、動きみたいなものに目が行っちゃうけれども、石があるみたいなものもある意味石の。
ストーンの方ね。
ああ、そうだね。石だとそうだよね。ストーンの石の結果と石の表象として、うちらは、石がその辺転がってるっていうのを目撃してるというか、認識してるみたいなこともありえるよねって話したもんね。動いてなくてもいいんだもんね。
そうそうそう。動くとかっていうのは関係ない。そこにあるということがそもそも意思だみたいな話だし。
っていうふうな話があって。
じゃああれか。前回でこの話終わりじゃなかったんだ。
終わりじゃないです。前回はあくまでも意思と表象っていうものがあってうんぬんな話しかしてないので、
世界観と人間観の探求
ここからじゃあショーペンハーバーは世界っていうものをどう捉えてとか、そこに対してじゃあ我々人間はっていう世界観と人間観の話をこれからやっていくんですよ。
ここからがある種本番みたいな感じもあるんだけれども。
ここからが新しい話なんですけれども、当時ヘーゲルですよね。
第1回でもヘーゲルが当時すごい有名な哲学者としていて、ショーペンハーバーはコザクソって言って同じ時間に講義したんだけど全然集まらなかった。ボロ負けしましたみたいな話をしたと思うんですよね。
大学教授の先生として同じ時間に講義を開催したって話ね。
そうそうそうです。
ヘーゲルも講義したみたいになっちゃうけど。さっき言って難しいね。
今日言葉が難しいですね。
重なっちゃうね。
ヘーゲルの話でいくと、これも繰り返しになっちゃうんだけれども、
基本的には世界っていうのは進歩していて、理性的な目標とかゴールがあって、そこに向かって進んでいくんだっていう、まるで進歩主義みたいなものがあるわけですよね。
ショーペンハーバーはそんなのおかしいって言うんだけれども、なぜかっていうと、意思っていうのはそんなものじゃないっていうところを話していくんですよね。
意思っていうのが、もの自体ってこの世の根源的な存在なわけなので、意思というものの性質がこうこうだから、世界っていうのは別に進歩しているわけじゃないとか。
理想に向かって進んでいくってのはおかしいんだっていうことをちゃんと説明していくわけなんですよね。
なるほどね。そっかそっか。そのベクトル何なの?みたいなね、ヘーゲルとか。進歩しようっていうベクトルって意思にそもそも含まれてるんだっけ?みたいなところ?
そうそうそう。そうすると、例えばショーペンハーバーのある種論法で言うと、この世界は意思っていうものは確かに何だってそうだよねっていうことが合意できるならば、
世界っていうのはそういう特定のベクトルに向くものじゃなくて、違う世界観が正しいよねっていうことも理解できるよねっていうふうな話なので。
はいはいはいはい。
そういうことも彼の哲学っていうものは伝えていくんだよね。
なるほどなるほど。一応その前提は共有というか、共感した上でねっていう話ね。
そうそうそうそう。
なるほどなるほど。
なので一応僕ら前回、ショーペンハーバー界として、確かにこの世界は意思と表彰っていうのが裏表で織り重なっているっていうことに、
それなりにまずはそれを一回受け入れてみましょうっていう話まで来たと思うので。
そうね。イメージはできたっていう話ね。理解ができた。
そうそうそう。なのでそれをより深めていきますっていう話なんだけれども、
ショーペンハーバーに言わせると、意思ってじゃあどんなものですかっていうと、基本的にはカオスなんだよね。
つまりある種、まさにベクトルがない、方向性がないとか目的もないとか、
何だったら、まさに枠にとらわれてないみたいなことも含めて、意思っていうものは世界そのものなんだけれども、
世界そのものって何ですかって言うと、意思であるとしか言えないみたいな、
どこからどこまでっていうのも、それって要は空間で捉えるとしてるじゃないですか、世界をね。
どこからどこって空間的な発想とした時に、そのもの自体でも意思でも空間とか時間で捉えられないから、
いわゆる認識を外にあるってカントは言ってるわけなんですよね。
なので意思に対しても、それってどこからどこまでですかって聞くこと自体がおかしいんですよ。
なるほど。
空間を超えてるからね。
いつから始まったんですかって言うのも、時間の枠に留めようとしてるんで、それはおかしいですと。
そういう問いが成り立たないものが意思なんですって話なんだよね。
っていうふうに、ショペハワは定義だったりとか、話しているってことはね。
イデアと表象の構造
そうそうそう、説明していると。
その時に面白いのは、意思に対してはなぜとかどうしてとか問えないんですよね。
なると、結局この意思というものは、ある種、本質的にはただうごめいてますみたいな、そういうエネルギーでしかないですって感じなんだよね。
ただ、僕らが見ている世界って、とはいえ一定の秩序があってとか、時間とか空間とか、それぞれいろんな存在があるじゃないですか。
そうね。
っていう時に、なんでこの目的も方向性もない意思っていうものから、僕らの世界が生まれてるんですかねっていう、そういうことを考えていくわけなんだよね。
確かにそうだね。ぐちゃぐちゃのままでいいじゃん、とも言える。
そうそうそう、とも言えちゃうから。
ここに関して、分かりやすい3つの構造をちょっと今日説明するんですけれども、第1段階はいわゆる意思の段階だよね。
本当に時間も空間もないですっていう話なんだけれども、第2は1回飛ばして、第3段階が僕らの世界。
表彰?
表彰の世界。つまり、よく言うリンゴがあってマイクがあってパソコンがあってみたいな、そういう世界ね。
あ、じゃあいいんだいいんだ。表彰って表現していいんだね、それは。
大丈夫。
ほうほうほう。
ある種の間をつなぐものがあって、これがいわゆるプラトンのイデアなんですよ。
うーん、そうなんだ。
どういうことかっていうと、イデアってさ、例えばリンゴのイデアがあったときに、
例えばリンゴそのもので、例えば時間が経っても空間が変わってもリンゴがリンゴたらしめてるというか、そういうものは変わらないものって話じゃないですか。
まあね。
リンゴのイデアっていうものは個別のものではないんだけれども、なんかリンゴというものを示していて、
かつそれは時間と空間を超えているっていう、その個別のものと、ある種永遠的なものとか時空間を超えたものっていうところの間にあるよねっていうふうにショーペンハーは捉えるんだよね。
へー、間。ほうほうほう。
間、うん。つまり意思がそのまま個別のものになる。つまり意思というものがあってそのままリンゴにシュッとなるっていうよりも、
うーん。
そこにイデアっていうものがあるし、媒介していて。
例えばリンゴのイデアでもいいし、馬でもライオンでもいいんだけど、そういうイデアがあって、そういったものが現実化する。
あるいは僕らがそのイデアっていうものを捉えようとすると、この目の前のそのもののリンゴになっていくみたいな。
へー、はいはい。
そういうふうな構造を考えるんだよね。
うーん、なるほどね。まあOKOK、構造はわかった。なぜかは知らんけどね。
まあここはね、やっぱり過去の哲学者のものをちゃんと使おうって発想だと思うね。
もともとカントンもさ、プラトンから来てたりするから、
はいはいはいはい。
やっぱりそのプラトン的な人間のイデア界と現実っていうものが分かれてしまっている。
うーん。
っていう時に、やっぱり神の世界と一緒じゃないですか。
そのプラトンのイデアの世界ってこの世ではないところに本質があるって話だから。
うんうんうん。
それを別の世界じゃなくて、この世界、僕らが生きている世界にあるんだけど認識できないんだよねっていうふうに言ったのが、
すごいざっくり言ったカントンだよね。
うーん、なるほど。だからこのプラトンのイデアか。
うん。
このイデアは、こうこうこういうものでこうで、こんな感じで意思とさっきの表彰を繋ぐというか、
ものであるっていうふうに具体的にこのイデアについて説明してるっていうよりは、
あのご存知のイデアですっていう感じなの?
そうだねそうだね。
あー、そうなんだ。
もちろんね、ショーペイ派がイデアをどう捉えてるかって話もあるんだけれども、
基本的にはそういう、僕らが認識する個別のものっていうところの手前に、
ショーペンハウアーの概念と比喩
いわゆる時間とか空間っていうものを超えたものの性質を持つ存在というか、
そういったものがあるよねっていう話をするんだよね。
なるほどね。じゃあ、ひとまずここまでのイメージとして、
例えばクッキーを作りますっていうときに、生地を伸ばすでしょ、まず。
そうだね。
こねて伸ばすでしょ。
その生地の状態が意思だとして、
まだクッキーにもなんもなってない、まだなんもわかんないものあったときに、
伸ばして、型があるでしょ。
はいはいはい。熊とか星とかそういう北の方ね。
飛行機とかいろんなクッキーの形を作るための型があるんだけど、
あの型がイデアだね。
一旦聞きましょう。
型を押して、そのクッキーの生地が例えば熊の形に切り取られたもの、
型によって切り取られた熊の形のクッキーの型ができるでしょ。
それが表彰みたいな感じなの?そのイデア。
これはね、非常に面白い問題で、
その型と形みたいな関係でいくと、
なんだろうな、イデアは異型であるとかって言われたりもするから、
ここは合ってるなと思います。
あとはよく似姿ですとかって言われたりするんだけれども、
クッキーと意思の関係
でも型だと、やっぱりその出来上がった熊のクッキーと、
型としての熊の型ってやっぱり別物じゃない。
型は食べれないし。
そうね。
なので、その性質において、
一個一個の熊のクッキーってものは食べられるとか、
味がするとか、焼いたら膨らむとか、そういう性質を持っているはずだから、
その性質を熊のクッキー型は持っていないという意味では、
やっぱり別物なんだよね。
おー、なるほど。
もっと言うと、どこかにクッキーを作ります。
そこまでは同じだね。生地を伸ばしますと。
レシピを見たときに、超絶美しい熊のクッキーの、
これが作れますよっていう写真が載ってますと。
熊を作ろうと思って一生懸命焼くんだけど、
100個作っても1000個作ってもそんな美しいクッキーの、
熊のクッキーはできませんみたいな。
こっちの方がイメージは近いかな。
えー、あ、そうなんだ。
うん。で、今回あえて石って言ってるじゃないですか、ショーペンハーワードね。
やっぱりそのクッキー生地が石だとしたときに、
それが熊のクッキーになるのか、
ポーキーのクッキーになるのか、星のクッキーになるのかって決まってないじゃないですか。
石の段階ではね。
石の段階では、まだわかんない。そう、カオスだから。
そこに対して、例えばさっき言った通り僕が、
この熊のクッキーかわいい、これを作ろうってレシピを見ますと。
そうするとその石が、熊のクッキーになるっていう働きがヒュッて生まれるじゃないですか。
ちょっと待ってね、ちょっと待ってね。
何がヒュッて生まれるって。
その生地である石が、
熊のクッキーになるという可能性というか、
それがその瞬間にヒュッて立ち上がるじゃないですか。
可能性の話ね。
可能性の話。
その石が熊のクッキーになるんじゃなくて可能性の話ね、まだ。
まだ、まだ。
はいはいはい、オッケーオッケー。
そうなった時に、ただ僕はクッキー、熊のクッキーの作り方を知りませんと。
そうすると、このレシピ本に書いてある理想的な熊のクッキーを見て、
これを作りましょうと。これを作ればいいんだ。
ってなって、頑張って作るんだけど。
どんなに頑張っても、そんな完璧の寸分たがわぬレシピの写真通りの熊のクッキーはできません、みたいな。
そんなイメージかな。
その、はやとが作ったというか、
お手本とは違う形でできてしまった熊のクッキーが、
いわゆる我々が捉えてる世界ってこと?
そう、我々が捉えてる世界の表象とかね。
うーん、なるほどなるほど。
自分で言ったクッキーの、クッキーのイメージで多分、阻害されてる感じがするな。
なんか、どこが一番光ってんだろう。
あ、そうそう、イメージが湧いてきたんだけど、
そうだね、この世界観の守護がわかんないから、イメージが作れてないのかなって思った。
そうだよね。これね、非常に面白いんだけど、
今さ、クッキーのテストで言ったから、僕がクッキーを作るっていう役目を持たせたじゃない?
そうそうそう、出てきたよね。
これは、いわゆる人間が認識をするっていう働きなんだよね。
そこには当然、意思の側の働きがあって、
だから、登場人物は基本二人なんですよ。
意思っていうものと、認識する観の速度っていう存在が、このクッキーの例えの中では出てきます。
で、意思の側からすると、クッキー生地のままでいたいというか、それが本来の姿なんだよね。
だから、僕が何を思ったか、なんかこれからクッキーを作りたいって思ってしまったがゆえに、
それはもう意思の働きなんだけど、
思ってしまったがゆえに、何作ろうって言ってたら、たまたまそのクマのクッキーっていうものを見て、
イデアとしての理想のクマのクッキーっていうものを見て、
ここにも星も飛行機もいっぱいあるんだけど、
これが作りたいってなった瞬間に、僕が意思を勝手に切り取って、
そのイデアのレシピのクマのクッキーに似たものというか、
そういったものを目指して作った結果、
一個一個のクマのクッキーは、イデアではない、当然ね。
理想ではないけど、目の前にそのクッキーができました。
それは意思を切り取ったものです。認識したものです。っていう風な流れかな。
認識と表象の探究
はいはいはい。流れはわかってきたな。
ごめんね。ちょっとここ、時間取ってて申し訳ないけど。
でも大事だね。
それで言うと、
例えば、ちょっとはっきりさせたいというか、疑問が、
こっちが認識したから存在するみたいになっちゃってるのか、
それとも、これ直感的にだけど、
うちらの石とは関係なく、その辺に草が生えてたりとかするけども、
その草はじゃあ、
なんであるの?っていうところでいくと、
ごめんね、今話しながらちょっと思ったんだけど、
これは自分が認識したからその草が存在するっていうよりは、
この意思っていう、このショペ・ハワワ的な世界観で言うと、
認識主体っていうのも人間に限らず、いろんなものが認識主体に足り得るので、
何らかの認識主体の意思の結果としての草があったものをたまたま、
うちらがそこで認識したに過ぎないみたいな、そういうイメージなのかな。
でいくと、こうしたですと。
つまり、世の中は基本、まず意思しかありません。もともとはね。
今さっき言うとクッキー記事しかありませんと。
そうすると、そのクッキー記事ってただあるだけじゃない?
そこに対して認識対象としての、例えば人間の意思、動物でもいいんだけど、きましたと。
そうすると、例えばアリだったら端っこを張り切って持って帰るかもしれないし、
人間だったらそれをさっきみたいにコネコネして熊の形にするかもしれないし、
その時に初めて熊のクッキーとか、餌としての一かけらのクッキー記事が出てくるんだけど、
それは認識のとともに出来上がるとも言えるし、もともと意思としてそこにあったとも言える。
草に関しても、草というものはあくまで人間の認識で分けたものに過ぎない。
けれども別に人間が認識しなくてもそこにはある。
なるほど。
ある種の優位信論とか優位物論って、物はあるとか、我々が見てないと月はないとか、
存在しないっていう話だと思うんだけど、いわゆる優位信論、認識しないとないというわけではないね。
おー、はいはいはいはい。ちょっとずつ見えてきた気がする、この正解言葉が。
ここ面白いのが、意思はあるから、例えば人間が存在しなかった時にも世界はあったであろうと。
ただ表彰としての世界、世界がこのように僕らが捉えてるように見えているのは、やっぱり人間が生まれたからだよねっていう。
それはあれかな、この話を人間同士がしてるからみたいな感じ?
そう、人間同士がある程度同じ知覚とか認識能力を持った人同士がしてるからっていう話。
うん、でいいんだよね。
そうそうそう。よくあるコウモリが例えば超音波で捉える世界と、ミスバチが紫外線を持って捉えてる世界が例えば違うよねっていう話があった時に、
それをちゃんと分けましょうね。認識主体の認識の仕方によって世界を捉えているから、その捉え方によって表彰としての世界は変わるんだけれども、
その裏表で存在している意思の世界っていうものは本来変わらないはずっていう。
おー、すごいなんか、確かに確かにこの事態的なところの説明がすっきり言ってる気がするね。
そうそうそう、そうなんだよね。
なるほどなるほど。
で、面白いのはカントはもうそれ認識の外だから扱えませんっていう風にしておいたんだけど、
超音波は意思っていう別のものというか、エネルギー的なものにすることによって、
もうちょっとそれを語りやすくするとか、それを基づいた説明をしやすくするっていうところを一歩進んでるんだよね。
おー、はいはいはいはい。
うん。
なるほどね。なんとか認識下に置いたって感じだね。
そうそうそう。ただその認識が当然バラバラだったりとか、共通のものがないと好きかって認識しちゃうじゃない、人だとしても。
うん。
ある種共通の要素、要はなんでじゃあリンゴを見たときに、
みんな同じようにリンゴとかアップルとか言葉は違ってもいいんだけど、一体認識できますかっていうと、
そこに共通するのはリンゴ性とか、リンゴそのものっていうものがあるからだっていうところで、プラトンのイデアを持ってきて。
あー、ちょっと待ってね。
うん。
ごめんごめん。ちょっともう今回は思ったことを聞いておこうかな。
いいと思う。
そのリンゴ性みたいなものが、まあイデアだよね。
これはどっち側にあるの?人間の認識側にあるのか、やっぱり意思の側というか、そもそも人間と離れたところにあるのかみたいな。
これはどっちなんだろう。
結構人間と離れてます。イデアなので、イデアはイデアの世界にあります。
じゃあ、人間同士で今話してるからリンゴ性って言ってるけれども、もしかしたらクマとかはこのリンゴに別の名前を付けて呼んでるかもしれない場合とすると、そういう認識だよね。
だからこのリンゴ性っていうのは人間の側にあるんじゃなくて、意識というか世界側にあるんだよっていう認識ってことだよね。
人間の存在とこっちの認識と関わりなくそのリンゴ、いわゆるリンゴと名付けているそのものはあるからみたいなイメージだよね。
そうだね、そのイメージあってます。
ただ面白いのは、遠いショーペンハワワとかの時代もまだまだ人間の認識の方が進んでいる、優れているとは言わないんだけれども、進んでいるから、
それがプラトンとかの時代でいくと、イディアっていうものは理性を磨いて磨いて初めて捉えられるようになるもの。
ショーペンハウアーの哲学
だから動物はその理性がないからイディアのことを見れないんだけれども、人間はそれを磨くことで哲学をすることで見れるようになるっていうふうな発想なんだよね。
ああ、なるほど。
だから今エミケーって言ったような、人間の世界もあるし、熊とか動物の世界もあるよねっていうフラットさよりも、
認識能力が高まった人間というものが初めてそういう世界に思い至るようになって、
世界の正しい在り方っていうものを認識できるようになってきましたよね、想像できるようになってきましたよねっていうふうな前提ではあるんだよね。
このショーペンハーワーの世界観も、その人間の理性っていうところでの世界観って話ね。
そうそう。
ああ、オッケーオッケー。そっか、じゃあ熊があるとかっていうのは、そもそも想定してないんだね。そもそもね。
おそらくね。ただ当然、植物とか動物っていうものにも一定の認識能力とか、世界を切り取る方法はあって。
へー。
ショーペンハーワーが面白いのは、これ次回以降ちゃんと言うんだけども、何か言ったら悲観主義とかペシミズムとかって言ったじゃないですか。
それは人間にとってある種良くないことだというか、むしろ人間の苦痛とか苦しみを生み出してるんだっていうふうに捉えるんだよね。
この辺はちょっとまた次回以降話していくんですけれども、なので今日の話でいくと、その酸素構造の意思っていう根源的なものがあって、
表象と認識の構造
僕らの表彰の世界があって、その間をつなぐプラゾン的、イデアの世界があってっていう、一応こういうふうな3つの構造を捉えてますと。
はいはいはいはい。
うん、いうとこなんだよね。
へー、なるほど。
で、今日一番お伝えしたかったのは、今さ、兄貴がいろいろイデアのことを聞いてくれたじゃない?
まだイメージは効いてないかもしれないんだけれども、少し進めてみると。
逆にそれをちょっと聞いてみたいんだけれども。
そのペフハワに言わせると、この意思である種目目的、方向がないものが蠢いているところから、僕らの世界が生まれてくるわけなんだけれども、
この僕らの世界っていうのは、ある種なんだろうな、それこそ言葉的に言うと、ある種地獄とか悪魔的道な、結構そういうネガティブな言葉で表現されるんだよね。
そうなんだ、この表彰の世界ね。
表彰の世界、僕らが生きてる世界。
生きてる世界。
で、それがなぜかっていう話なんだけれども、これはね、よく考えてほしいんだけど、さっきみたいにクッキー記事であれ、意思っていうのは一つのものじゃないですか。
それを切り分けて、僕ら認識という端だけで切り分けて、この表彰の世界っていうものを捉えてるわけなんだけれども。
で、その酸素構造で、まずこの世界に意思という根源的なものがありますと。
根源的って言っちゃうからずれちゃうのかもしれないんだけれども、常に前回お察しの通りで、意思と表彰としての世界なので、意思と表彰はセットなんだよね。
なので、根源としての意思とかって言っちゃうと、意思っていうものは先にあって、そこから世界が生まれるみたいな、そういう発想になっちゃうと思うんだけど、実は違うんですよと。
そうだ、その表裏一体みたいな感覚を忘れてたかも。
これは難しくって、さっきのクッキー記事の話でいくと、クッキー記事ってものがどんと素材としてあって、そこからこねこねしてクッキー作るっていう因果になっちゃうんだけど、
時間軸とか因果っていうものがそもそも認識の枠組みで切り取った世界の話だから、意思というものはそれを超えてるんですよ、本来はね。
あー、そうだったね。
ここがたぶんめちゃめちゃ難しいというか、だから言葉で説明できないし、簡単なもの自体を語るのをある種徳山家というか、そういうふうにしか言えなかったって話もあるんだけれども、
もうちょっと適切な例でいくと、
僕がある種認識主体としてキッチンに立ってますと。
なんかよくわかんないけど、クッキー作りたいなって思うようになりましたと。
そうすると、目の前にあった物体を僕は、これはクッキー記事であるというふうに表彰として捉えるようになるんですよ。
そこで、兄貴がさっき言ってくれた、その瞬間にクッキー記事が存在し始めたんですか?っていう問いに対しては、
イエスでもありノーでもあるって話で、表彰として僕がそれをクッキー記事と捉えたっていうのは、僕がそう思った瞬間なんだけど、
そのクッキー記事と呼ばれる前のもの、つまり認識される前のものとしてのクッキー記事はもともとあったって話なんだよね。
ここ、イメージわかるかな。やっぱり現実世界と全然違う話してるからイメージ分けにくいとは思うんだけど。
そうだね、確かに。イメージは今のだとわかないね。
わかないよね。
いやでも、前回から言ってた表裏一体だよね。
表裏一体、うん。
こっちが捉えてるのが表彰が、同時に意思がこうなったからその結果として、時間とか空間的に、
その結果として今この表彰があるっていうふうに今回、クッキーの話みたいな話で理解しちゃってるから、たぶんそのズレみたいなのが今起こってて。
そうだね。
本来は同時だとすると、例えばその今のクッキーがあるっていうことは、そういう意思があったからしか本当は言えないっていう。
そうそうそう。だったりとか、意思というものを熊野クッキーとして切り取ったからだっていうふうにしか言えない。
うんうんうん。
うん。
オッケーオッケー、でもこの感覚でちょっと先進んでみようか。
そうだね。冒頭言ったように、意思というものに対してそれはいつからあったんですかとか、どこまであるんですかっていうふうに問えないっていうのはまさに今の話なんだよね。
うんうんうん。
クッキー記事というものはいつからあったんですかって言われると、その認識した瞬間からそれを表彰としてはあるけれども、意思としてはいつからとかどこからとかは言えませんっていうふうにしかやっぱり説明できない。
うんうんうん。
うん。っていうふうになります。
はいはいはい。
はい。でね、ちょっとここからさらに打っていってみたいんだけど、さっきイリアっていう間にあるよとかって話をしたじゃないですか。
うん。
で、なんでその間っていう話を強調するかっていうのは、そのショーペンハンは、これをね、何回も言ったって申し訳ないんだけども、意思というものは無目的、無方向で割とカオスなものですと。
うん。
で、それを僕らは認識の枠組みで切り取ったこの表彰世界というものは、基本的にはある種地獄であり、悪魔的なものでありますっていうふうに言うんだよね。
うんうんうん。
なぜかっていうと、僕らの世界ってさ、例えば、なんだろうな、例えば仮によ、ライオンとシマウマがいるとしましょうと。
うん。
そうするとさ、基本的には肉食動物のライオンがシマウマを狙えるじゃない。
うん。
っていうときに、これ何が起きているのかっていうと、僕らの認識の視点からすると、ライオンという動物がシマウマという動物を食べてます、なんだけど。
うん。
意思の視点からすると、ほんまに同じもの、一つのものだったはずなのに、なんか争い合ってるってなるんですよね。
あー。
そう、というふうに、もともとは一つのものが分かれてない、特別されてないものなのに、なぜか認識された瞬間に個々の存在が生まれて、独自性も変わってしまって、結果的に争い合ったりとか、殺し合ったりしているっていう、そういう世界観を考えてるんですよ。
うーん、はいはいはい。
うん。で、例えば僕らはさ、それを見たときに、なんかシマウマかわいそうとか、ライオンかっこいいとか、そういうふうにいろんな気持ちを思うじゃないですか。
うんうんうん。
でもこれも、意思の観点からすると、ぶっちゃけどうでもいいというか。
まあまあまあまあ。
そう、ライオンがライオンであることにも理由はないし、シマウマが食べられることにも理由はないし、ただそうあるっていうだけで、別に善悪も意味もないんだよね。
うんうんうん。
これが無目的とか無方向って意味ですと。
なるほど。
つまり、ヘゲルだったら、例えばいや、草食動物を稼ぎにして肉食動物がより強く生きて、それによって、例えばより、なんだ、欲しい存在であることが、例えば理想に近づくんだ、別にヘゲル言ってないけれども。
うーん。
まあ何か方向性があればそういうふうに言えたりするじゃない。
そうね。
だとシマウマの犠牲というのは尊いものなのだとか言えるんだけど、そういう意味付けをこのショウペンハウアーの異種の世界っていうものは一切させてくれないんだよね。
うんうんうん。
ここがイメージ湧く?
そうね、それは大丈夫。
そう。で、途中でそのイデアの話をしたと思うんだけれども、そうするとライオンのイデアはライオンのイデアとしてあって、
シマウマはシマウマのイデアがあるじゃないですか。
うーん。
つまり何か分からんけど、意思っていうのは本来そういう法律的なというか、分かれてないものなのに、
なんかイデアっていうそのそのもの性っていうものを介した結果、その世界っていうものはそのそのもの性にとらわれた、しかも全然理想的でもない、
何か似姿としてのある種馬鹿なものに溢れていて、何か知らんけどきっちりその本性というものをお互いに主張し合いながら争いあったりとか、何か無意味に愛し合ったりとかしてるみたいな。
そういう世界としてショウペンハウアーを描くんだよね。
人間の苦悩と無意味さ
おー、なるほどね。それはなんか地獄だね。
そうそうそう。
何でみたいな、そんなことする必要ないのに、何かそのそのもの性にやられて、何でリンゴは甘くならなきゃいけないのとか、何で赤くならなきゃいけないのみたいな、
そういうことにわからないまま生きてっちゃってるよねみたいな、存在しちゃってるよねみたいな。
そういうふうな世界観っていうものを捉えるんですよ。
なるほどなるほど。
どう?この感覚。
まあ、なんだろうね。
それを地獄と表現するかどうかは人によるかなとは思うけど、確かにその世界なんだろうなとは思うね。
なるほどね。
そうね。石井さんに言わせてみるとね。
でもそこまではイメージ湧いたのであれば、次の話はですね、これはもっと僕らのより日常的な話を控えていこうと思いますと。
今はまだイシュとかイディアとか、表彰の世界っていうすごい抽象的な話をしてるから、なんとなくライオンとして生まれてもそんなもんだよねとかってなると思うんだけど、
もうちょっとこれが、もっと僕ら自身、要は人間の感覚だよね。
つまり、今の話でいくと人間の性とか意志、いわゆる手を動かそうとかって意志も、その大きな意志の表れなわけじゃないですか。
はいはいはい。
つまり人間がやること無すことすべてが無意味だって話がなっていくんだよね。
まあまあそうなるよね。
そういう世界をショーペンハワーがどう描いたのかとか、その世界において結局何が彼が地獄とまで言ったような苦しみになってくるのか。
ショーペンハウアーの哲学の概要
ということをちょっと次回にお伝えをして、さらにこのショーペンハワーの悲観主義というか、そういった世界観っていうものをちょっと理解していきたいなというふうに思ってますっていう感じですね。
はいはいはい。
なるほどね。
ここからその悲観主義というか、そういう感じになっていっちゃうのか。
そうだね。
これは、なるほどね。ちょっと次も聞いてみたいね。
確かにね、大いなる意志みたいなものがあって、
我々にせよ、全部のものはそこから生まれてるから、個別意志など存在しないのだ、みたいな。
生まれるって言っちゃうと、やっぱり元々表裏一体感が無くなってしまうから。
どっちかっていうと、あらゆるものは大いなるもののまさに表彰でしかない、表の姿でしかないはずなのに、
表の姿同士が、なんか知らんけど、殺し合っているとか。
はいはいはいはい。
愛し合っているとか。
なるほどなるほど。
そうすると、生まれるとかじゃないのか、の現れの一部なのにって話なのね。
そうそうそういうこと。
はぁはぁはぁはぁ。
わー、なんかすごい話になってきたな。
世界観自体は面白いなと思ったけど、
はいはい。
なんか、この大いなる意志というか、意志の現れなのだ、になっちゃった瞬間、
本当、個別のものの個性みたいなものが、確かに否定される感覚になるのか。
そうそうそう。だから僕と兄貴が今こうやって京都と岩手で話してるけれども、
僕も兄貴も同じね、共通の意志の現れでしかないから、
うん。
全部一人事だよこれ。
っていう風な話になるってことね。
そうそうそうそう。
しかもあれでしょ、その話してるのも、
全然その、ハヤトと自分っていう、それぞれ個人の意志のもとにやってるつもりだろうけれども、
その個人の意志も、今回言うところの全体の意志の現れでしかないから、
うんうんうん。
本当の意味でそこに意味はないよ、みたいな話を。
そうだね、そうそう。
話になっちゃうってことはね、この世界観というか、スタートラインというか、この感覚からするとね。
そうだね。
もちろんやっぱり小平派も自由とはとか自由意志みたいな話も一定してたりはするんだけれども、
でもやっぱりその本源的にはあくまで意志の現れでしかないから、
で、僕も兄貴も聞いている方もみんな同じ共通の意志の現れであるとすると、
一人言どころか脳内会話みたいな。
脳内会議みたいな。
そうそうそうそう。自分で喋って自分で聞いてみたいな。
でしかないよねっていう風なところまで行くんだよね。
わーなんか、この話聞く前にやめてほしかったな。
小平派は面白そうだねーみたいな、ちょっと仏教っぽいよねーみたいな。
はいはいはい。
ろうそくしそうだって、どっかのさ。
で、うぱいシャットはインドの、はいはいはい、美希は修士学とかだね。
うぱいシャットもそんな感じ?アートマン、ブラックマン?
そうそうそう、うぱいシャットもちょっと似てるって言ったら似てるかな。
みたいだねーって思いに行きたかったね。
いやいやまだ行くよ。
でまぁ最終的にはね、救いというかね、それをどうやって乗り越えるのかっていう話は小平派の話はするんだけれども、
これちょっと第一回でも言ったかな、やっぱりこの世は地獄ではないとか、
やはり平家たちがやってるような、どこまでも発展していくっていう世界観ってもしかして違うんじゃないか、みたいなものが、
実際としてはやっぱ20世紀の第一次第二次世界大戦とかと結びついた時に、すごい力を持ってくるんだよね。
へー、そうなんだ。
うん。だってさ、日々さ、戦争してお互いに殺し合ってさ、核兵器ができて、人間が地球を終わらせられるってなった時に、
なんかこの世界ってこのままでいいんだっけ?なんか本当に発展してるって当然思うわけだよね。
あーなるほどね。発展とは。
そう。発展とは。っていう時に、いやいやそもそも世界でも発展してるわけじゃなくって、
無自主のエネルギーっていうものがうごめいてるだけの世界だとした時に、
その中で我々は、言った通りお互いに傷つけ合ったりとか愛し合ったりっていう無意味なことをやり続けている。
この世界をどう生きますかっていうところが、ある種実存主義とか、そういうものにやっぱり繋がっていくんだよね。
あー、そっか。ごめんね。もう哲学しろとされてさ、今回のその実存主義っぽい目線で見ればいいのかみたいなさ、
はいはいはい。
それともやっぱり世界の先なのかみたいなことを考えさせられたんだけど、思わされたんだけど。
そっか、実存主義とかそういう、例えば幻想学も多分以前やったと思うけど、フッサールとかさ、この後の話なの?
後です、後です。
あー、そうなんだ。
うん。なんかそれのある種、源流というか結構根っこの思想を提供してるものっていう感じなんだよね。
へー、あ、そうなんだ。じゃあまあ、ちょっとドクターいつかね、その辺の指定率でまとめて欲しいわ。
こっちになってるからさ、驚くことがわからないっていうかさ。
確かにね。
なるほどね。
うん。あ、ちょっとごめん。それでいくと、ちょっと長くなっちゃったらなんだけども、
雑談会とかから言った通り、今年は、2026年は、結構その19世紀20世紀っていう、
僕らの時代の価値観の土台を作っているであろう哲学とか哲学者っていうものを取り上げていきたいと思っていますですよと。
で、そのショーペン・ハーワーっていうのは、1788年の18世紀の人なんだよね。生まれとしては。
その意味では、その19世紀20世紀のある種土台というか、その手前を作った人っていう感じなんだ。
作ったというか、そこに影響を与えた人っていう感じなんだよ。
はいはいはいはい。
さっき言った実論主義とかもそうだし、時々名前出してる兄ちゃんとかもそうだし、兄ちゃんもね、次たぶんやるんだけど。
おー。はいはいはい。
そう。そういう意味でいくと、まさに悲観主義次回もやる。
という意味では、この世は地獄だとか、闘争に明け暮れてるとかっていう話って、ちょっと実感わけにくいとは思うんだけれども。
意志と表象の関係
でもやっぱり、逆に言うと、その反対側にあった当時の主流っていうのは、世界っていうものは常に良くなっていて、
誰もが素晴らしい世界で生きられるはずだっていうふうな世界観だから。
その二項対立っていうものの感覚を持ってほしいっていうのもあるかな。
へー、なるほどなるほど。はいはいはい。
そっかそっか。だから面白いね。
今回の疑問、思った疑問も、自分の素朴な疑問なのか、今まで聞いてきた実情主義とかニーチャーとか、
以前テーマでやったけど、そっからの疑問なのか。
そうすると、未来からの疑問だし、それがプラトン的なところからの疑問なのか。
そこがごっちゃになってると、確かに難しくなるというか。
確かにその時の時代の感じみたいなものをさらに踏まえて、すごい難しいことを多分。
それやるとするとすごい難しいんだろうけど。
基本的には、やっぱり今自分の持っている感覚とか違和感が全然、話を聞いていただくのが一番いいと思ってて。
おそらく多くの人は、未来が最高のバラエロであるとも思われないし、
とはいえ、この世が全くの地獄です。
いいようがないっていうこともないんじゃないかな、みたいな。
このどこかにはいらっしゃると思うんだよね、価値観として。
そうした時の、この世は地獄であって救いようがないっていう方法を今話してますっていう感じなんだよね。
今日それを話しました。
その前提としての、サントのもの自体という発想。
ある種、世界というのは僕らが時間とか空間とか、そういう認識の枠組みを持って聞い取ったものでしかない。
っていう風な発想とか。
その表裏一体としての意思というものがあって、その意思というものは無目的で方向性がないという風な世界観とか。
そういったものが土台になって、そういう救いようがない世界というものに至ってしまったんだよっていう、
その流れが確かに枠組みとしてあるとちょっと理解しやすいかもなと。
実存主義との関連
なるほどね。ごめん、いろいろごちゃごちゃというか、いろいろ聞いたレベルだけど。
商店派は構造的に、商店派は考えた世界観に関すると構造的に非干渉的な方に行きますよね。
っていう話をしました。
次回はそれってどういうことなのっていう風に繋がっていくという話ね。
おっしゃる通りです。
難しいですね。ごめんねっていうのはなんだけれども、
なんていうのかな。
やっぱり自分としてその前提を持って喋っているつもりだから、
この話が次の任意地だとか、その後の19世紀、20世紀は自殺者に繋がっていくんですよっていうのをつい思って今話しているつもりなのね。
それって分からないし伝わらないんじゃないですか、聞いてる人からすると。
こっちからするとそうだね。今回この意思とプラゴン的なイデアと表彰の環境をちゃんと理解せねばみたいな。
そうだよね。
繋がりとかないから。
間違いない。
ごめんなさい、そういう意味では今回点の話というか、
その中でも3層構造があってうんねんって話をして、それは大事だったかなとは思うんだけども。
スウェーデンスラジオをこうやっていろいろやらせていただく中で、もちろん一人一人のことをお伝えしたいって話も、
多分初期の頃は寄り添いが強かったんだけれども、
多分去年ぐらいから繋がりを理解するとか、
大きな枠組み、それこそカントからヘーギルっていうものも、
大きな枠組みの中でフィヒテとかシェリンがいたよっていう話とかっていうのが多分自分の中でちょっとずつ繋がってきたから、
それも伝えたいって思いがあって。
なので、ショーペンハーワーとかに関しても、この人だけよりはヘーギルっていうの時代から、
その後ニーゼとか神が死んだみたいなことも含めて、
なんでそんなこと言ったんじゃいみたいなこととかも、もうちょっと繋がりの中でお伝えできていくはずなので、
ショーペンハーワー界ではありながら、
このデカルト的な世界観の哲学から、
もうちょっと近現代哲学に至る、ちょっとその間の人というか、
そういう橋渡しをしてくれてる人の話ですよっていう風に聞いてもらえると、
イメージしやすいかもしれない。
分かりました。
第3回の最後の最後でその全体構造の話をすると。
ごめんねー。
なんでたどり着いてくれるんだっていう。
本当に不親切だよね。ごめんなさい。これは本当に僕の実力不足ですね。
まあまあでもね、昔からね、
最初から全体図を放つの難しすぎるから、
次はいつにでいきましょうっていう話はしてた気がするからね。
ちょっとね、申し訳ないよね、でもそれはね。
でも今回で話したことで、
今回難しかったっていう方もいらっしゃると思うんですけれども、
ショーペンハウアーの思想の探求
なんかその一個一個細く理解するみたいなことよりは、
やっぱりそういうキワキワの話やね。
世界は地獄であるとか、救いようがないっていう話って、
なんでなんみたいな、そういうところをなんとなく味わうんだなっていう風に思っていただければ、
もうちょっと気楽にというか、イメージしやすいかなと思うので。
皆さんの中にある、この世は苦しみだとかっていう感覚、
ゼロっていう人はほぼいないと思うので、
その感覚とこのショーペンハーワーの世界観とか、
実はちょっとでも重なったり共鳴するところがあればいいなみたいな。
そんな感じでね、聞いていただけると嬉しいなと思ってますという感じですね。
はいはい、わかりました。
ちょっと長くなってしまったけれども、
次回ですね、ショーペンハーワーの悲観主義地獄、
ギア4の世界観を同時に見ていくというところでやっていきたいと思います。
ではT2Tよろしくお願いします。
お願いします。
今回もありがとうございました。