ショーペンハウアーの哲学の概要
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、ショーペンハウアー第4回ということでやっていきたいと思います。
はい、前回結構難しいね、突然さ、プラトンの話を持ってきてみたりとかさ、ちょっと大変なところもあったかなと思うんですけれども、
前回までが多分山だったんで、海水的にはあと3回ぐらいだと思ってるんですけど、ここからちょっと下れると思うんで、
前回までがなんとなく馴染んでいれば、あとここからちょっと楽に聞けるかなと思うんで、気楽にね、またちょっと今回から聞いていただければと思っておりますよ、という感じですね。
いやいやごめん、前回結構細かく、結構細かいところを突っ込んじゃったな、聞いちゃったな、みたいな感じはあったけれども。
あれだもんね、全体像としては、ショーペンハウアーの世界観として、まずは意思と表象っていう、うちらが認識する表象と、表裏一体の裏として、意思っていうものがありますと。
それを繋ぐものとして、イデア的なものがありますよねっていう話を前回してくれたと思うんだけれども、その世界観からすると、構造的に、どうしても今回話すような悲観主義的な、
この世は地獄だよね、みたいな、世界にしかならないよね、っていうのが前回の大枠の話だったっていうことで大丈夫だよね。
そうですね、はい。そこがなんでとか、どういう世界なのっていうところを今回お伝えすることで、よりショーペンハウアーが至った、まさにね、悲観主義とかペシミズム。
なんでそんなね、世界っていうのが苦しみだとかさ、あえてなんか嫌なこと言うのよ、みたいな話があると思うんですけど、
第1回にお伝えした、ショーペンハウアーがあちこち旅行するときに、やっぱり苦しんでる人とかさ、困ってる人見た見た話もあるっていうのは思うんだけれども、
ただそういう自分の気分とか、経験だけから言ってるんじゃなくて、もちろんそれから積み上げてはいるものではあるんだけれども、
ちゃんとそこには、いわゆる哲学的な構造とか、こういう世界観なら必然的にこうなるよねっていうものが、もちろん入り込んでるわけなんですよね。
っていうのを今回お伝えをするんですけれども、結論としてはめちゃめちゃシンプルなんですよ。
なんでこの世界がそんな苦しみだってショーペンハウアーが言うかっていうと、前回さ、意思っていうものは本来一つのものなんだけど、
それをある種認識することでバラバラにしちゃって、バラバラになったライオンとかシマウマとかって話をしたと思うんですけど、
ライオンは肉食で肉を食べるという性質を持っている。ライオンのイデアがあるとしたら、多分肉を食べるっていうものは外れないでしょうと。
そういう時にシマウマが隣にいたら食っちゃうわけですよ。でもそれって意思の方からすると、もともとは一つのものだし、
別に対立とかしないはずなんだけど、なんか別れちゃうと対立し合うとか苦しみを与え合うとか、別に愛し合うとか優しくするでもいいんだけど、
それも僕らからするといいことだよねとかって言っても意思の方からすると、殺し合おうか愛し合おうが別にそこには違いがないというか、差はないですっていうふうな感じなんだよね。
まあそんなもんだ、みたいなね。
そうそう。どっちも俺だしみたいな。そうそうそう。どっちも自分だしみたいな感じだっていきますよと。
意志の働きと人間の知覚
実はこうした時に、これも当たり前の話なんだけれども、人間というものはね、ある種もう生物学的にというか、
生きていく上では、時間と空間っていうものを使って世の中というか、認識をしないと生きていけないものじゃないですか。
はいはい。だからあれだよね、さっき生物学的にって言ったけれども、今回のショーペンハワーの世界観からすると、もう人間のイデアはそういうもんだからねっていう話でしょ。
そうそうそう。人間というものは、そういう時間とか空間によって世界を認識するものだけだねと。カントもそう言ってるじゃないかという話なんだよね。
つまり人間というものは、生きている限り常に意志を切り刻み続けていく存在ですと。
しかも僕らってさ、物事を正しく理解するとかさ、より細かく理解することっていいことだって思ってない?
思ってるよ。アリストテレスだけか。カテゴリーする人の達人といえばっていうね。
カテゴリーするとか分けるとかさ、理解する分けると分けることだみたいな言葉も一つのもちろん真理ではあるんだけれども、
ショーペンハワーから言わせると、やめてよそんな細かく意志を切り刻まないでよみたいな感じなわけよね。
そんなことするからお互い主張しあったりとか対立しあったりして、ホップズみたいな原初の闘争状態。
彼はそれを政治、ある種人間存在の根本として言ったんだけれども、
ショーペンハワーはその闘争状態っていうものを、この世界そのもののあり方、人間が認識をした表彰世界のあり方。
そしてある種、翻訳するんだよね。
つまり人間が認識をして表彰としての世界っていうものが生み出された瞬間に、
それは全部バラバラに引き裂かれた意志の一部でしかないと。
そういうことを言っていくんだよね。
面白いのが、前回もお伝えしたんだけれども、人間の認識するという働きも、もともとは意志なんですよ。
すべては意志だから。
だったときに、この意志というものは無目的で方向性がないって言ったんだけれども、
僕もそこの接続側では調べてなかったんだけれども、
ショーペンハワーはこの意志というものを、いわゆる生きる意志とか、生存し続ける意志というものとほぼイコールで使ってたらしいんだよね。
どういうことだ?
つまり意志というものは、存在し続けるんです。
自分の存在をなくしましょうとか、狭めましょうとか、狭いっていうのも空間だからちょっと違うんだけど、
そういうふうには思ってなくって、
常に広がりも空間だからちょっと難しいんだけど、
あり続けようというふうな意志らしいんだよね。
それがいわゆる人間の意志にもあるし、それよりも人間が生まれたというか、表彰として認識されるに至る、裏表の裏としての全体の意志みたいなもの。
それにカオスだとは言いながらも、今言ってるのは生きるみたいな、そういう方向性はあるよねみたいなイメージ。
そうそう、そういうことそういうこと。
それが人間とかそういうイコールの存在、山でも別にリンゴでもいいんだけれども、
そうすると当然あり続けようという意志が繋がっていくから、
それが生物であるといわゆる生き続けようとする意志になっていくという感じなんだよね。
なるほどなるほど。
そうするとこれどういうことかっていうと、
それさ、本来意志って一つじゃん。認識によってバラバラに切り刻まれているから、
本来は一つにまた戻ればいいわけよ。
でもその切り刻まれた一個の、たとえばカンナ・ハヤトという人間も、
あり続けようという意志を働かせ始めるのね。
はいはいはいはい。
つまりこのカンナ・ハヤトのあり続けようという意志は、
意志全体からするとバラバラでい続けようっていう意志じゃないですか。
自分の存在を消したくないわけだから。
そうね。
そうするとどうなるかっていうと、
自分というものをあり続けさせたいっていう意志が常に働き続けたものだけがこの表彰の世界にはあって、
つまりそのバラバラの世界っていうものがどんどん強調拡張されていって、
さつ、相手よりも自分が生き続けたいとかあり続けたいという風になるから、
常に別のバラバラのものをある種攻撃し続けるというか、排除し続ける。
でもその排除しているものは本来自分自身なんだよね。
そうね。
つまり何か知らんけどあり続けたいって意志だけが働いていることによって、
そのバラバラにされたものが本来戻った方がいいはずなのに戻れないとか、
本来自分同士のはずなのに自分同士を傷つけ合うとか愛し合うとか、
そういうことに意味を見出してしまうとか。
存在の苦しみと対立
そういう何やってんだよっていう意志の側からすると思うようなことが行われているのが、
この世界、表彰の世界なんだという風な話なんですよね。
なるほどなるほど。プログラムミスったわーみたいな感じだね。
そうそうそうそう。
そういうつもりじゃねーかっていう。
そうそうそう。バグ起きちゃったけどもうどうしようもない。それぞれが意志を持ち始めちゃったかなーみたいな。
もう手遅れって話だよね。
手遅れになっちゃった。このスイッチ1個押す瞬間にもう手遅れになっちゃったみたいな。
巻き返せないっすって。
もう動かしちゃったからね。
そういうのがあって、なんかね、これが結構面白いんだけど、
これスターフォードの時点の中で書いてあったんですけど、
アリの話でそういうのを表現したらしいんだけど、そういう話ね。
牙ハリアリっていうアリがいるらしくて。
牙ハリアリ。
牙ハリアリ。
これは顎が強くて、あとなんかね、尻尾っていうか尾の方に毒針があるらしいんだけど、
めっちゃ強いらしいのよ。
そうそうそう。
すごい凶暴なアリらしいんだけれども、
なんかね、こいつが腹の半分に切られると、
頭の部分と尻尾の部分がお互いに戦い合うらしいんだよね。
えー、そうなの?
ちょっとこれ知られたけど、これ本当か分からなかったけど、
多分辞書に書いてあるから本当なんだけど。
死ぬ前に戦い続けます。
この牙ハリアリがお前らの世界だぜって言うんだよね。
はー、なるほど。
つまり一個の存在が分かれて、それが戦い合ってお互いにマウント取り合っているみたいな。
この牙ハリアリこそが表彰と意思の世界の姿なんだっていう風に考えてたらしいです。
おー、ショペハワガ。
ショペハワガ。
へー、はいはいはい。
結構激しくない?これ。
すごい話だね。
ね、そうそうそう。
だから、前回からお伝えしたこの世は地獄であるとかさ、
苦痛であるみたいな話って、なんでそこまで言うのって話なんだけれども、
要は引きちぎられたもともと同じ存在が、何か知らんけどお互いの生存をかけて戦い合っているみたいな。
それは地獄だよね。
いやー、それプログラム書いた時に気づいてほしかったね。
まだそれ動かしちゃダメだよっていう。
思うじゃん。意思には目的もないからさ。
まあ、生き残るみたいなとこは除きね。
それも目的ではない。ただそうあるだけだから。
別に生き残りたいとか、あり続けたいっていうわけじゃなくて、
あり続けるものとして意思はあるっていう感じなんだよね。
あー、だからそこは矛盾しないんだ。このショーペンハワーの話の中でね。
ごめん、さっきよくあり続けたいとかっていう、いわゆるウィルとか目的っぽく言っちゃったかもしんないけど、
しかもウィルっていうのも意思じゃないですか、日本語で言うとね。
その、何々したいっていう意思じゃなくて、
ただあり続けるとか、ただ、まあ、でもそうだねっていうものが、
個別の切り分けられた生き物に入ると、
あり続けたいとか、生き続けたいっていうものに変化してしまう。
あー、はいはいはい。
そういう風に言ってるんだよね。
なるほどなるほど。
今言ったみたいに、1個のものを引きちぎって使わせるみたいな、
どんな趣味だよみたいな話があるんだけど、
それが悪魔だよね、本当にね。
どんな非人道的なことをするんちゃいみたいな話だし。
ちょっとこれ1個面白かったから持ってきたんですけど、
よく山嵐のジレンマとかって聞いようとない?
聞きたいけどさ、山嵐が。
あの針が、めっちゃあるから相手も痛いみたいな?
そうそうそうそう。
なんか実際着ても痛くないらしいんだけど、
なんか上手いことしてるらしいんだけど、
この山嵐のジレンマって実はね、
なんかショーペンハーワーが出典らしいんですよね。
えー、そうなんだ。
ショーペンハーワーが言ったことを後の時代のフロイトとかそういう人たちが引いて、
ショーペンハーワーも言ってるけどみたいな感じで言ったらしいんだよね。
で、一般的なイメージって山嵐がくっつくときにお互い傷ついちゃうから、
一定の距離までは近づけないみたいな。
要はそういう近づけたいけど距離を取ってしまうみたいな、
まさにジレンマだよね。
人間のイデアと意志の限界
っていうものを表現するっていうふうに解釈されるんだけれども、
一般的な話から踏まえると、
彼が説明して話していくと、
山嵐が冷たい冬に凍えるのを防ぐためにぴったりくっつき合うんだよと。
そのうちお互いのトゲが痛くてまた別れるんだけど、
でもやっぱり温まりたいからまたくっつくっていう、
これを永遠に繰り返すんだみたいな話をしてるんだよね。
だからその距離感のジレンマじゃなくって、
くっついて離れて、くっついて離れて、
傷ついて離れるんだけど、また相手を求めるみたいな。
これって要はさっきの、
要は意思に戻りたい、一つになりたいんだけど、
一つになろうと近づくとお互い傷つけちゃうから離れていって、
また分けられた子になってしまうっていう、
本来的なそういうことを言っている話らしいんだよね。
おー、すごい面白いね。
ちゃんと理解できるわ、その例え。
そうそうそうね。
っていうのもあるので、さっきまで言ってた通り、
本来は意思と否定一つになった方が良さそうであるが、
もう人間の在り方、まさに人間のイデアというものが、
認識ある構造の下で標準の世界を捉えるという、
プログラムというか前提があるので、
これはもう無理、土台無理だっていう話に気付いちゃうんですよ、小ペン派は。
今の山嵐のジレンマ、大きな挙動が、
多分人同士であっても、
その人と大元の意思であってもみたいな感じで、
もしくは人と草でもみたいな、
多分あらゆるもの同士で起こってるみたいな認識なんだよね、イメージで。
そういうことそういうこと。全部意思だからね。
結構趣旨学っぽいの兄貴も言ってくれるけどさ、
ちょっとエピソード紹介したいと思うんですけど、応用名の時かな、
酒だったら木の本質を知るために木の前で7日間くらいいてさ、
病したみたいな話あったじゃないですか。
つまりそれは、酒の奥にある、
病名学とか趣旨学で言えばBかな、
文脈で言うと意思になると思うんだけど、
そういうものを知ろうとして何とか近づこうとするんだけれども、
どうしても僕らは近づこうとするとか、それを捉えようとするとか、
その働き自体が捉えることを拒んでいくわけだよね。
もっと言うと意思ってもの自体だから、
そもそも人間の認識能力においては絶対に捉えられないものなんだけど、
何かそれを捉えたいとも思ってしまうとか、
っていう風にないものを、
焦がれるみたいな、できないことを念に続けるみたいな、
面白い。
そういう宿命づけられた存在なんだぜ、そういう世界なんだぜっていう風に言うんだよね。
なるほどね、そっかそっか。生きるとか生存に続けるもそうだし、
さっきの、よく言うと知的好奇心みたいな、
好奇心でもね、もうそこから出てる山嵐のジレンマ的なものだって言われると、
何か納得しちゃうね。
世界を知りたいっていうのもさ、もっともっとよりよく知りたいんだけど、
絶対に意思のことは知ることができませんっていうものが宿命づけられている。
つまり求めたい、
人参としてはね、目の前に人参ぶら下がってるけど絶対聞かれないみたいなさ。
誰なら人参ってまだわかるけど、それが何かもよくわからんみたいな、
そういう世界で僕らは生き続けているのだよと。
はいはいはい、面白いね。
っていうのが、マレーシアのショウペンハワーが勘づいた、
人間がもう人間として生きることの通だったりとか、そういう限界だよね。
だからそれはもう悲観主義と言わざるを得ないというか、
この世界はもう無理だってなっていくわけですよね。
欲望と退屈の繰り返し
なるほど。
ちょっとイメージ湧いたかな、前回とか今回の話で。
だいぶ湧いたね。
この世界の話も追ってきたから、前回の話を踏まえて、確かに構造的にそうなってるね、
なるとも言えるね、みたいな。
そこでのイメージがすごいワクワク。
良かった良かった。
これがある種、ショウペンハワーが辿り着いた、いろんな根本の話が一緒じゃないですかね。
世界と表彰と意思であるという根源というところが始まって、
前回の産総構造のイデアがあって、僕らの世界があって、
この構造で考えるとすると、必然的に僕らの認識能力を基づいて、
表彰の世界というものが苦しみであるというのが結論づいちゃいました、みたいな。
そんなお話を前回、今回はしたわけなんですよね。
はいはい。やっぱり、そうね、プログラムのミス感がすごいなーって思うな。
なんで?ってね。
そうそうそうそう。
で、やっぱり面白いのは、さっき言った通り、僕らはある種、本質的には決して手に入らないものを望むわけですよね。
その意思というものと、例えばもう一回戻りたいとかも含めてあるんだけど。
それは、そうなると僕らは、やっぱり何もできなかったので、別のものを望むように。
要は欲望というものが出てくるわけですよ、そこで。
意思って何かをしたいとか、何かが欲しいというものと結構直結するじゃないですか。
お金が欲しい、地位が欲しい、ご飯が食べたい、なんでもいいんだけど、そういう欲望を持ってそれを追いかけるんだよね。
追いかけるんだけど、やっぱりどこかで僕らは飽きちゃうんですよ。退屈しちゃうんですよ。
えー、飽きるんだ。ほうほうほう。
そう、それを手に入れたときに、やっぱり価値が失われていくとかさ、飽きちゃうとかさ。
で、満たされちゃうと飽きて退屈になっちゃうし、満たされないと何か見れないとか、求めてるのにとか言って普通になるっていうふうな感じで。
つまり僕らはそれをずっと繰り返している。何かを求めて手に入れては退屈して、次また何かを求めるんだけど手に入らなくて満たされなくてっていう、
その退屈と普通みたいなものをずっとぐるぐるぐるぐる回している。
でも、どこまで行っても本当に手に入れたものは、そもそも認識すらできないみたいな。
そういう歯車っていうものが、もう僕らの人生なんですよっていうふうな。
そういうとこまで行っちゃうんだよね。
はいはい。あれ、今回仏教の話だっけ?
仏教っぽいでしょ、かなり。
ぽいぽい。
そう。こういう話も、やっぱりリーズの中盤ぐらいは、表彰としては世界というかを描いた後とかに、
まさに仏教的なこととか、ウパレンシャットとかに増えてたらしいんだけども、
やっぱりその根底からすごく近いんだよね、やっぱりショーペン派の考えた世界観っていうのが。
はいはい。その句であるというのは、まさに重なる気がするよね。
まさに一切皆苦じゃん、これって。
それと苦しみ。苦しみよりも重いようにならない。
それは別に何か能力がないとか、努力が足りないとか、人間の進化が足りないとかじゃなくて、
もう本本的にそうだっていうのが、やっぱり先生が言ってる兵牛とかとの違い。
そうだね。
例えば修行して磨いて仏性に気づけば悟りを開いて乗り越えられるとかっていう話があればいいけど、
そういうのもショーペン派にはないんですよね。
ないの?してほしいなぁ。
ここからどうなっていくのかね、今回このショーペン派話会のね。
そうだね。
次回以降は少し救いの話もしたりはするんだけれども、
みたいな感じで、ショーペン派話の世界観っていうものをお伝えしてきましたよ。
次回以降は、このままでは救いがなさすぎるし、ショーペン派話はもちろん、世界は絶望だって言って終わってるわけじゃないので、
次回以降でね、彼が見出したのが道徳とか倫理っていう話と、あと芸術なんですよね、やっぱり。
芸術っていうものがこういった地獄としての苦しみの世界っていうものを乗り越えられるような主題になるんだっていう話。
もちろん天才性だね。天才が作る芸術っていうものをやっていくんですけど、
ちょっとあれだね、今回まずはこのショーペン派話の主観主義を浸ってもらおうと思って、
まずはそこでちょっとね、集中してたから、なんとか意外な意見がすんなり入ってくれて。
でもあれ、今思ったけど、今の早いとこ、次回以降の話聞いて思ったんだけれども、今回構造の話をしてるわけじゃん。
このショーペン派話の世界観でいくと、やっぱり表彰だよね。人間も含めて。
そういう表彰が、しかも意志から離れたというか、意志の現れとしてしか見過ぎない表彰が、
なぜか個別の表彰も生きたいというか、あり続けたいと思っちゃうみたいな。
で、それによって起こる様々な悲劇というか地獄みたいなさ。
自分があり続けたい、相手もあり続けたい。
それが多分重なっちゃったりぶつかったりした時に争いが生まれたりとかするみたいなさ。
人間の宿命と無意味さ
もうそういうもんだ、みたいな話を地獄と表現してるとは思うんだけれども。
だからライオンがシバウマを食べると同じように、食べなきゃライオンが死んじゃうみたいな話と同じように、
人も、例えば誰か他の人と争いが生じてしまった時に、勝たなきゃしゃーないみたいな話だったり、
あとマグロを食べなきゃいけないみたいなとか、兎を燃やさなきゃいけない時もあるみたいなさ。
多分それを地獄だとは思うんだけど、なんだろうな。
で、それを今は乗り越えるというかさ。
その中でみたいな話があったけど、なんだろう。
それって乗り越えなきゃいけないのかな、みたいな、そもそも。
面白いね。
なんか、そういう構造だから、そうじゃん。
以上。でもいい気がするというか。
なるほどね。
それを地獄と意味付けしたのはショーペンハウアーでしょ、みたいな。
その構造はわかったんだけど、それはそうじゃん、みたいな。
確かにね、それ待てる具合だったら死んじゃうから地獄なんだけど、
なんだろう。事実は事実として、なんか受け入れられそうな世界観な気もしてきたな、なんか。
なるほどね。
これ、たぶん一個、兄貴がイメージできているのかできてないのかちょっとわからないので話してみるんだけど、
僕さ、結構話をするときに殺し合ったり愛し合ったりっていう話をしてたじゃないですか。
つまり、この世界においては殺し合うことも愛し合うことも同様に無意味というか闘争なんだよね。
闘争?
闘争、戦いなんだよね。
愛し合うこと、そうなんだ。
うん。つまり、自分のある種なんだろうな、生きるとかあり続けるっていうことを表現し続けたりするわけですよ、人間は。
あるある存在をね。
愛するみたいな話も、世の中的にさ、殺すよりは愛する方がいいじゃんみたいな話だと思うんだけど、
でも、誰かがさせたとおり、意思には善悪もないので、別に何をしても一緒なんですよね。
はいはいはいはい。
結局さ、人間がやるあらゆる行為っていうものは、既に構造化された世界の表情の世界の中でしかないから、
つまり何をしても無意味です。
うんうんうんうん。
だから別に殺そうが愛そうが、助けようが見捨てようが、ここには何の価値もある種がありませんというか。
うんうんうんうん。
っていう風な感じなんだよね。
はいはいはいはい。
で、僕らはさっき言ったとおり、でも何かを知らないから望まされて、望むようにできていて、
うん。
それは一生手に入りません。
何をしても無意味だし、何かでもその中で何かを求め続けさせられて、でもそれもエクストラクトに陥るっていう風な。
あー、ほうほうほうほう。
そうそう、そういう風な宿命を持った存在なんだっていう風に言うわけよ。
なので、しょうぺさんから言わせると、つまり人間というものが認識の構造を発展させてしまったがゆえに、
うん。
意識から最も遠くなってしまった存在なんだよね。
あー、なるほど。
うんうんうんうん。
仮に言わせると、植物とか動物の方が多分まだ意識に近いというか、
うんうんうんうん。
そういう認識の働きになっているはず。
うん。
で、人間というものは理性というものを発展させて、どんどん未来で輝かしくなるんじゃなくて、
うん。
ショーペンハウアーの絶望
発達させた理性によって、むしろ意志と遠ざかってしまうとか、
うん。
どう頑張っても意志とは戻れない、意志とはつながれないような、
うん。
そういう表彰の世界に生きることになってしまったっていう、
うん。
それが彼が言う地獄とか絶望なんだよね。
あー、なるほどなるほど。
うん。
そっかそっか、その争いがどうとか、
うん。
もう、例えば人に優しくするとか、
うん。
そういうのも含めて、
そう。
もうあらゆる、ここで言うと人間だね、人間の挙動は、
うん。
常にその、
うん。
この全体の意志みたいなものから、
うん。
もう遠ざかる方向にしか作用しないような、
あ、そうそうそうそう。
プログラムになっているっていう、
うん。
あの、不幸だよね。
だから、その中で個別の人間がどう、
うん。
その構造は分かったからその中で、
フラットにじゃあどう生きていくとかじゃなくて、
もう人間がそっからどんどん離れていくしかないその、
もう帰れないその、なんだろうね、
もうあの、
うん。
宇宙に飛んでって帰、もう地球への軌道へ戻れないロケットみたいなさ、
あの、
うんうんうんうん。
もうそういう寂しさを感じているのか、初手派は。
まあ寂しさっていうよりは、なんだろうな、
あのー、
まあやるせなさだよね。
うんうんうんうん。
うん。
だから仮に争いがあるようになったらそれをやめて世界平和で全員手を繋ぎましょうとかっていうのが、
進歩主観なんだよそっちは。
はいはい、そういうことじゃないか。
うん。
はいはい。
殺し合いをしようが、全世界の平和で手を繋ごうが、どっちも変わらんと。
はいはいはいはい。
うん。
それが、いわゆるこの悲観主義なんだよね。
うわー、なるほどね。
うん。
あー、わかってなかったわ。なるほど。
そうだよね、たぶんそうだよねそうだよね。
僕は結構殺し合いとか争いって言ったからそっちでね、
そのイメージ湧いたと思うんだけど、
そう、問題はそこじゃないんだよね。
あくまでも、分かれた体、さっき牙張りありの話したけど、
分かれた体が常に戻らない、戻れない。
うんうんうんうん。
いうことに、絶望を感じるんだよね。
わー、ショーペンハーガーの絶望、なんか、
うん。
まあ深いというか、次元が違うね、なんか。
なるほどね。
人間の認識と生死の実験
いや、そうなんだよね。
だから、そういう世の中です。
で、そういう世の中だと理解した上で、
うん。
様々な挙動をしていけば、
なんだろうな、
幸せと言うとおかしいけども、
うんうんうんうん。
なんか、やっていけるよね、みたいな。
だからちょっと、そっちに寄せていくとちょっと仏教っぽいじゃん。
悟れば。
うん、そうだね。
世の中、なんだろうな、こう、
上手く、いい感じです、みたいなさ、
とは違うんだね。もっと、もっと人類の話をしてるんだね、なんか。
そうそうそう。
人類全体、人間のイディアというものが、そもそもこの構造を作り出していると。
はいはいはい。
そこに対するやっぱり悲観なんだよね。
わー。
うん。で、面白いのが、じゃあさ、人間の認識がダメなんだと。
うん。
で、認識能力を持って、生きているからダメなんだっつって、
でもいっそ死んでしまおうか、みたいなことを目に思ったとしましょうよと。
はいはいはい。
生きててもしょうがないからさ、うん。
でも、まさに、今その自殺についてっていう、彼は本を書いてるんだけれども、
うんうんうん。
自殺っていうのも、まあ一個の選択肢だよねと。
うん。
それ書いてるんだけど、まあその一つの実験とみなすこともできると書いてはいるんだよね。
うんうんうん。
つまり、その人間のその生きるとかってことを認識、
で、僕らは生きている間の認識しか当然わかんないわけじゃん。
うんうんうん。
っていうものが、その死ぬことによってどんな変更をこう思うのか、
うん。
そういう問いに答える実験になるかもねと言ってんだよね。
ほうほうほうほうほう。
そう。
なんかそれはできるような実験ではなくて、
っていうのは、じゃあその回答を聞く、要は死んだ時どうなるみたいな話を、
うん。
受け取るためのもう存在がその瞬間いなくなるじゃないですか。
そうね、うん。
そう。
か、じゃあ今生きている僕が問いを立てたことと、
仮に死んだ後の自分が、仮にその問いを聞いたとして、仮にね。
うんうんうん。
聞いたとしても、じゃあその生きている時の自分と死んだ後の自分っていうものが、
同じ認識構図であるかどうかわかんないし、
うんうんうん。
うん。
同じ表象の世界に生きてるとはわからないから、
そうね。
つまり出た答えっていうのは別世界の答えなんだよね。
わーだし、
うん。
生きてる方からすると、死んだ人が同じ表象の世界に生きてるとは思えないしね。
うん。思えない、そう。
どう頑張っても思えないんじゃない?
うん。
ってなると、それは実験の選択肢としては悪くない、
まあ考えられるけど、やっぱり筋が悪いよね、みたいなことを言ってるんだよね。
うーん、そうだね。確かに確かに。
そう。
あのー、こう、デロリアン、バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいにさ、戻ってこれればいいけど、
そう、そうなんだよね。
あのー、片道だけのタイムマシーンに乗りたいですか?っていう。
いや、ほんとにそうそうそうそう、ね。
よっぽどさ、あのー、実際書いてあるのよ。
なんかよっぽど現代が嫌とか、後悔している、あの10年前のあの瞬間に戻りたいっていう人だったらあり得るよね、と。
まあ多分、生きることは、僕は自殺何回も言うけど、絶対反対派なので、
ちなみに欲しいんだけれども、やっぱりどう考えてもこの人生苦しすぎて、
やっぱりね、命を絶った方がマシだって思う瞬間って、まあまあ起こり得るじゃないですか。
そこに、何かの刺激があった時に、やっぱり死を選ぶってことはやっぱりある。
その下道切符を選ぶことはあるんだけれども、
少なくともこのショーペンハーバーの悲観主義を乗り越えるとか、
人間の認識とか生存の枠組みを超えるっていう目的で死を選ぶっていうのは違うよっていうふうな、
そういうことを言ってるんだよね。
構造的なバグと生き方
そういう意味では、やっぱり逃げられない。
それこそ仏教とか宗教だと、来世に行きたいとかさ、
善行を積んで次の世界ではより良いものに生まれ変わるっていうふうな発想も取れるんだけれども、
それすら取れないのよ、ショーペンハーバーの世界観は。
はいはいはいはい。
で、なんかもう袋小路じゃん、これ。
まあね、だし、もともとがあり続けるみたいなプログラムがあるとすると、
やっぱちょっとその挙動からずれてるからね。
ああ、そうなんだよね。そうそうそう。
だから今言ってる通り、じゃあなんで異種はあり続けるものなのかとか、
本当はそこを問いたくなるんだけど、
でも厄介なのは、それはもう認識の外の話だから問えませんっていうふうになっちゃうんだよね。
だからあくまでも、これはショーペンハーバーの世界観なので、
まあね、それこそプラタンの世界観とかISISの世界観みたいに、
そこにどこまで共感できるかとか、自分のつなりを持てるかっていうのは人それぞれだと思うんだけれども、
やっぱ少なくとも、こういう世界っていうものの意思と表彰があってとかっていうところから入ったときに、
やっぱりこう、「それでね、それでね。」って続いた瞬間に、
その最終的には、「はい、悲観主義の世界でした。」っていうふうになっていくっていう。
いやー、難しいね。でも、そっか。
うん。
だからこの悲観主義の次元が、やっぱり人間のイデアレベルだなと思ったから。
はいはいはい。ああ、そうだね。
だから、ここが混同しちゃうというか、ここの違いをわかるっていうのが今回の肝なのかなって思ったね。
うんうんうん。
自分も悲観主義と言ったら個人だよね。個人個人の存在として、
こうもうダメだみたいなさ、この世は地獄だみたいな、きついみたいなさ、つらいみたいなっていう感覚だと思ってたんだけれども。
確かに確かに。
あの、ショペハワーいうところは、
そういう個人個人が、「わー、悲観主義だよ。」とか、「楽観主義だよ。」みたいな話はそもそもどうでもよくて、
どうでもいい、なんでもない、意味はない、そこに、みたいな話で。
本当の悲観主義は、もうこれですよって今回説明してもらったなみたいなさ。
うんうんうんうんうん。
だからその人間のイデアレベルの悲観主義というか、悲観だよっていうところに、
イメージできるかできないかみたいなところが、結構面白ポイントだなーみたいな感じがしたね。
なるほどね。確かにね、今言われてそう思ったわ。
前回酸素構造言ったけど、おっしゃる通りで、今より表彰世界、第3段階の表彰世界における苦しいとか辛いとかっていうのは、
まさにどうでもいいんだよね。
そうじゃなくって、第2階層のイデアレベルで、
もう僕ら人間というものは、認識構造とか生きる構造として、もう黒工事になることが宿命づけられているっていう、そこに気づいちゃったし、
またそもそもそのイデアレベルで考えたときに、意思というものは切り刻まれて、他のものを傷つけたり愛し合ったり、
そういうことをするっていう世界に今なっちゃってるから、その酸素構造の世界全体を開発するときにも、
主義というか、この世界の構造はもうバグだと。兄貴、前回言ってくれたけど。
そういうことを気づいてしまったっていうか、言葉にしてしまったっていう感じなんだよね。
それは人気出ないでしょ。
うん。この人何言ってんの?ってなるなぁ。確かに。世界観を共感できればいいけど、できない瞬間にさ、もうなんだこのおっさんみたいな。
そうね。二人こそ、このショーペ・ハワさんはちょっと陰鬱で暗い人ですね、みたいなさ。そっちに行きそうになってるじゃん。
なっちゃうね、だし。じゃあそのイデア作った者誰だよ、教えてよ、みたいなさ。やっぱちょっと土台から質問したくなっちゃうもんね、共感できないと。
そうなんだよね。そこがちょっと難しさでもあり、やっぱりそれがショーペ・ハワの独立性でもあり、前回と今回でお伝えした、ある種このキワの部分だよね。
この世は地獄であるっていうものが、ちょっと苦しい構想のある世界じゃなくって、そもそも構造的にそうなっているんだということに気づいたこと。
この、特に反対側に、ヘーゲルの世界の構造として、精神っていうものがいろんな経験を経て、より良い段階に上がっていくっていう、世界はそういう構造だっていう、この構造と構造の対立というか、柱がちゃんと立ってるわけなんだよね。
いやー、そうだね。確かにな。それと、その時の時代感の空気感とかトレンドみたいなものの、どっちがね、確かにハマるかみたいな。
面白いなー。だからこれもショーペ・ハワ的には、この勝負の勝敗みたいなものも、本当は表彰の世界だからどうでもいいのかもしれないけれども、ちゃんと悔しかっただろうなっていうのは面白いね。
ちゃんと悔しがってんだ、みたいな。
いや、そうそうそう。なにせ表彰と世界っていう本を、やっぱり一生聴き直し続けて、アップデートし続けて、それを届け続けた人だから、やっぱりそういう世界だからこそ、それに気づいてしまったからこそ、やっぱり自分はどのように生きるのかとかさ、何ができるのかっていうことを向き合わざるを得なかったとは思うんだよね。
本当に悲観主義で何しても一緒だってなったら、こんな名前も残ってないだろうし。
ショーペンハウアーの悲観主義
ああ、まあそうだね。本人がね。
そうそうそう。本人がね。
いやでも、そっか、面白い。だからなんなかったんだよね。個人的な悲観主義は悲観主義じゃないから。
ああ、そう、その差がね。
気づいたのは人間のイデアの悲観主義であって、個人はむしろその悲観主義をみんなに知ってもらわないといけないんだから。
ああ、そうだね。
そこは悲観主義じゃないんだよね、個人は。
そうそう、本当にそうなんだよ。
ただ、個人の勝敗とか、そこはどうでも、有効はないんだね、だから。
有効はない。
だけどわざわざ戦い、挑んで同じ時間にこう、口座開かないからね、やっぱりね。
そうだね。
それはやっぱりショーペンハワーが自分の方がより正しい柱を作ったとか、見出したとか、そういうことをやっぱり思っていたからだろうね。
というふうな感じで、でもよかったね、今日の話も、前回もそうだけど、やっぱりこう、どうしてもずれてしまうとか、なんだろうな。
同じやっぱり悲観主義っていう言葉を使っても、どうしても僕らって普段の言葉のイメージとか、日常的に、やっぱり確かにね、ちょっと苦しいとか、世の中をちょっとしゃにこまえてるときあるよね、みたいなさ、そういう捉え方をやっぱりしちゃうじゃない?
そうね。
そうじゃなくて、兄貴がまさに気づいてくれたような構造としての悲観主義とか。
このショーペンハワーが見出したものは悲観的な世界だが、ショーペンハワー自体は別に、むしろめっちゃ戦ってんじゃん、みたいなさ。
そうね、ちゃんと存在し続けようとしてるよね、自分の存在と自分の考えたもので。
そうだね、そうだね。そこが、今日はちゃんと話して、すごいよかったなって思いましたね。
なるほどね。そうなってくると、これをどう乗り越えるか、みたいなものの意義が出てくるなって思った。
ああ、そうだよね。
個人レベルの悲観主義をどう乗り越えるかだと、ちょっと仏教的になってくるなって思ったんだけど、だからそこの違いみたいなものがクリアになって、次、次回へこう楽しみになってきたよね、また。
そうだね、そうだね。だから、ショーペンハワーさんがその悲観主義を乗り越えました、じゃなくて、人類が陥っているこのイデアレベルのこの悲観主義というか、
苦悩というものにどういうふうな取り組みが成り立つんですかというところを、次回ですね、いわゆる道徳とか倫理的な考え方みたいなこともそうだし、
彼は芸術、特に音楽っていうものをすごい尊重というか、やっぱり重視したみたいで、
そこに、当然、意思と一体化するってのは無理なんだけれども、その中でもできることとか、やる価値があることっていうのがこれなんじゃないかみたいな話をしているので、
ちょっとね、次回と次回、その次ぐらいでそれをお話しして、ショーペンハワーさんとしては以上にしたいなと思ってますって感じですね。
はいはい。わー、わかりました。次回ですね、その人類のイデアレベルでのバグをどう取り組みしていくかというところですね。どうなるんだろうというのを楽しみに聞いていきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。