1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #103 価値がない人生にも意味..
2023-04-19 52:21

#103 価値がない人生にも意味はある!山内得立『意味の形而上学』に学ぶ人生論

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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意味と価値の違い
(BGM)
はい、ソルテッドラジオ
今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
はい、今回も
意味というところで
前回はドゥルーズですね
ポスト構造主義ぐらいの時代の方で
難しかったんだけど
意味や言葉を超えると
言葉より先に意味があるんだぞ
ぐらいの話をしていたというところでした
はい、そうですね
今回はまたちょっと違う哲学者の方を
お話しをともってまして
山内得隆さんという方でございますと
ソルテッドラジオは初じゃないかな
日本人の方をちゃんと取り上げるのって
思っているんですけど
そうだね、名前は出てきていたけどね
確かに確かに
山内さん、兄貴の知っている
日本の哲学者といえばみたいな人って
いる?思いつく人
いないんだけど
これ全部読めなかったんだけど
反哲学流門の木田さん?
木田はじめさんかな?
かな?
木田玄さんだ、木田玄さんでした
木田玄さん、はいはい
あとは読んだことある本というか
うちに慣れるので言うとね
森博史
哲学者じゃないけどね
そうね
小説ね、スカイクロラとか有名なとこだとね
映画にもあるやつとか書いてる人なんだけど
その人が書いてる
人間は物事についてどういう風に
考えていけばいいのかとか
結構そういう本書いてて
自分の中では哲学者というか
そういうのは森博史かなって
なるほどね、確かに
ちゃんと物事を考える人という意味ではそうだよね
哲学者ではないけど
違うよね、そのくらいの感じ
はいはいはい、なるほどね
確かに木田玄さんとかはそうだね
今ちょっと調べたけど
フルサラとかハイデガーとか
多分僕も翻訳本何個か読んだことあるんですが
やっぱり山内徳優さんとかが
ポンと出てくる方ではもちろんないし
あとですね、皆さんの中で日本の哲学者といえば
みたいなところで言うと
西田喜太郎さんは名前が出てくる方も
いらっしゃるんじゃないかなと思ったりしますと
知ってる?西田喜太郎
ハエットから聞いた
それ哲ラジオで聞いたことがある
むしろ聞いたことのない人史さんかな
なるほどね、確かに確かに
もし聞いたことがあるよという方がいらっしゃればなんですけど
山内さんという方は西田喜太郎の弟子なんですよね
山内さんは1890年に奈良県に生まれたんですけれども
その後京都大学に入って
そこで西田に学んで
その後ドイツでフッサールとハイデガーに学んでおります
本人たちに?
本人たちに
同時代の人なんですよね
まだやってないけど
フッサールとハイデガーもまさに臨済
次ちょっと臨済をやろうと思ってるんですけど
その次ぐらいにちゃんとやろうかなと思ってまして
まさにその人たちに直接学んで
その考えを受け継ぎながら
自分なりの哲学を突き詰めたような方でございます
自分がこの人の本を読んだきっかけっていうのは
まさにちょっと前も伝えたレンマっていうものがあって
西洋のロゴスに対して東洋のレンマがあるんだみたいな
それはなんかその
ロゴスってロジックっていうのは正しいか間違ってるかとか
真とか偽みたいな感じなんですけど
そのレンマで言うと正しいと同時に
正しくないと同時に間違ってもいないとか
正しいと同時に間違っているみたいな
そういう矛盾みたいなものを含むものだよみたいな話があって
2言論と1言論的な感じかな?
最近それもちょっと違うんじゃないかって思ってる節があるんだけど
それもまた2言論だみたいなね
2言論と1言論というのもね
単純化しちゃうとね
っていう風になっちゃうんだけど
そういうのが面白いなったその考え方はと思って読む中で
他にどんな本を書いてるんだなと思ったら
たまたま今回取り上げる「意味の啓示条約」
っていう本のタイトルを見て
なんだこの人意味について書いてると思って
すぐAmazonで買いましたみたいな
たまたま山内さんだったぐらいの感じなんだ
意味について調べた
本当にこうね
なんだろうな
本当にたまたまであって
本当に出会いの中で読んだみたいな本なんですけど
この本自体もね
意味についてもちろん書かれてるんだけど
中世哲学者たちの考え
結構いわゆる中世
それこそ中世キリスト教の時にやったと思うんですけど
トマス・アクイネスみたいな
ああいう時代の人たちの哲学者の話とかも
バンバン出てくるんですよ
なのでそれをちゃんと理解するのは難しいんですけど
その中でも興味深いところとか
取り上げて面白いですよって言える部分があると思うので
今日はそこを中心に皆さんにもお伝えしながら
意味って面白いねとか
こんな広がりがあるよねみたいなところを
お伝えしていきたいなと思っております
前回の延長編というよりは
また違った雰囲気で楽しむぐらいの感じかな
そうだね
意味って大きなテーマに関して
ルフィルズさんはこんなことを話していて
山内さんはこんなことを話してますよみたいな
そんな感じで楽しんでもらえたらと思っておりますが
大きなテーマとしては3つぐらい持ってきていて
それ全部言えるのかとかあるんですけど
一つは前回もお伝えした意味と価値の違い
これが第1回でもお伝えした通り
辞書的な話で言うと同じなんですよ
でも違うよっていう話をしてたりとか
まずは自分と他人っていうのを
結構これまでもサルトルとかでも言ってきたと思うんですけど
そういう意味の観点から捉えるとどうなるかみたいな話と
宗教と意味
あと最後宗教の話
宗教もあるんだ
神が死んだってニーチェが言ってから
宗教とか神とかについて語るのは難しいと思うんですけど
思うんですかっていうか難しくなってるんですけど
それを改めて意味の世界から話してるよみたいなのがあるので
面白そう
この辺を今日は3テーマぐらいを
ポンポンとお話ししていこうかなと思っております
はいはい了解。確かに1回で終わるか怪しいけどね
本当は多分2回ぐらいに分ける話かなと思うんだけど
ちょっと楽しんでいただけながらって感じなんですけど
早速じゃあ1つ目の意味と価値の話なんですけど
これデジタル大事理みたいな
グーの辞書とかあるじゃないですか
あれで調べてみたんですけど
その意味の言葉の意味としては
その意味っていうのは言葉とか行動の内容だよみたいなものと一緒に
価値とか重要性っていう風に書かれてるのね
辞書って例文とか使われ方があるじゃないですか
それの例文としては
全員が参加しなければ意味がないみたいな
そういうよね
うんうんうん
それって言うのは全員いないと価値がない
会議なのかサッカーなのか分からないけど
やる価値ないよねみたいな
そういう話ですと
はいはいまあ確かにそうか
それはただの行動とか言葉の内容以上になんか表してるものが多いもんね
確かに価値重要性みたいな
そうそうそうそう
まあそれは価値とか重要性大事さだよって話なんですけど
じゃあ本当に意味と価値が同じなのか?
はいはいはい
っていう話があって
まあ流れ的にね分かると違うんだよっていうのを言いたいんだろうなって分かると思うんですけど
まあじゃあ何が違うのかっていうか
もっと言うと山内さんはですね
その価値があるじゃないですか
その価値の根拠が意味なんだって話をするんだよね
つまり価値っていうのは意味っていうものが土台にあって初めて生じるんだっていうくらいの
つながりを言いますと
ああなるほどイコールじゃなくてちゃんとそこには条理や関係みたいなものがあるよねっていう話をしてるってことね
そうそうそうそう
ただ違うよっていうだけじゃなくて
意味が土台で価値がそこから出てくるんだよっていう
そういう基礎とそこから出てくるものみたいな関係性を話してるんだよね
なるほどやっぱりそういうの面白いね
前回のドゥルーズもさやっぱり言葉とさ意味がなんとなく同じレイヤーにありそうだったけれども
どっちかというと意味の方が先にあるみたいな雰囲気だったじゃん最終的に
そうそうそうそう
広い次元にあるよみたいな
感覚的にねことわりできないものでもやっぱり人間が例えば認識する意味みたいなものはあって
それを言語化したらこうなるよねぐらいの順番みたいなものが多分前回の話で
ああなるほどって確かに思ったんだけど
今回も結構そこが同じようで違うっていうのは
そうやって条理関係というかねやってくれるんだ
そうだねでもそう似てる感じかな価値よりも意味っていうのはやっぱり広い領域を含んでるんだみたいな話なんだけど
分かりやすい話としてですねやっぱ価値って性質上価値を考えるっていうことは要はやっぱり対立関係を考えてるんだよね
これデイターの時にもちょっと言ったと思うんだけど要は善っていうと対立として悪があって
それが分けられることでどっちか一方に価値を帯びるみたいな話をしたと思うんですよ
そんな感じで例えば分かりやすい価値と例として新鮮なリンゴと腐ったリンゴがありますと
価値判断と文脈
ちょっと想像してほしいんだけど
当然それスーパーとかに並んでたら腐ったリンゴはスーパーに並ばないと思うけど
新鮮の方が価値が高くて腐ったリンゴは価値が低いというか叩き売りされてますよねみたいな
でもそれっていうのは要はスーパーでとかもっと言うとリンゴは食べ物であるみたいな前提があって判断される価値であって
もしなんかそういうちょっと傷んだリンゴとか腐ったリンゴを描きたい絵に描きたいみたいな画家さんがいたとしたら
その人にとっては腐ったリンゴの方が価値が高いはずですと
そうだね
でもあった時にちょっと単純化してるんだけど
一つのリンゴという存在が新鮮であるとか腐っているっていうのはそれぞれのリンゴが持つ意味なんだけど
そこに価値判断が含まれるとどっちかは良くてどっちかが悪いみたいな
どっちかを求めてどっちかを捨て去るみたいなそういう働きにつながりますよと
価値っていうのは対立してたりとかどっちかを取ってどっちかを捨てるみたいな
そういうことにつながるんだよね
確かに確かに
でも意味は違うんだと
要はどっちかを取ることだけはできなくて
要は新鮮さっていうものの中にはいずれ腐るとか痛むっていうものも含んでいるし
痛んでいるってことはそれまでは新鮮であったっていうことを含み得るということなので
やっぱりこの意味の方があるし矛盾を抱え込みやすいというか
どっちも表現できるよっていう話をこれまでもしてきたと思うんですけど
そうだねこれは前々回の言語学的な話に近いかな
文脈がないところで新鮮だとか腐っているって言ったとしても
さっきみたいな誰がそれを求めているかっていうところで変わってくるよねっていう意味で
その意味の方がフラットな感じするよね
そこに価値みたいなものがあると初めてその
価値っていうか求める人の文脈が出てくると価値って生じ得るよねみたいなのを意味で
そうそうそうそう
なのでそこには何度もやっぱり良し悪しとか判断みたいなのが含まれてきますと
だからねこんなこと言ったら辞書のさっき言った編集者とかに怒られそうなんですけど
例えば全員が参加しなければ意味がないとかって言ったときに
それは価値ではないってことなんだよって言ってるんですけど辞書では
でも実はある人が参加しないっていうことそのものに意味があるんだみたいな
要はそれが何かの抗議なのかもしれないし
何かただ忘れてきてるその人はなんだそのメンバーとして
相応しくないっていうことを表してるかもしれないみたいな
なるほどねそっちの来なかったその人の立ちのして抜けてるじゃんっていう話ね
そうそうそうそう
あくまでもその何か主催者なのか待たされているその人から見たら
意味がない価値がないって言ってるだけじゃねえかみたいな
一部のその人の主観の中で使われる意味とか価値っていうものがごちゃっとしちゃってるよね
なるほどなるほど
そういう風にも一般的に使われてるよねっていう意味では辞書に入れてもいいけど
意味は価値より深い
ちゃんと注釈入れてよねっていう話ね
ただし意味とは価値よりも深いものであるみたいな
国語自体でねそこまで書いたらもう大変だったんだろうけど
哲学的にというか山内さんの話からすると
意味というのは価値よりも広いし深いし
違う次元というかそういうところにあるんだよみたいな話でございますと
なるほどねその文脈が必要だよっていう話
そうそうそうそう
結構これ面白いと思うんだよねやっぱり冒頭も冒頭というか
第一回でもされたけど要は自分の人生に意味がないとか価値がないみたいなことって
別に僕だけじゃなくてやっぱりこう生きてる中で感じることってあると思うんですよね
山内さんが言ってるのは仮に人生に価値がないと感じる瞬間があったとしても
やっぱりそれ自体そう感じることには意味があるし
生きていることに意味がないというそれ自体が実はもう理由なく意味なんだみたいな
そういうことを言っていて
なるほどねちょっと深い感じするそっかそっか
それもまた一つの視点でしかないというか文脈でしかないよって話だよね
自分がそう思ってるっていうのもね自分がその瞬間かしかも
他人に対してもそうだよね他人お前の人生に価値がないみたいな決めつけをした時に
それはあなたの意味世界での話だよねっていう風にやっぱり捉えることができる
なるほど
やっぱり生きているっていうことは否定できないし
そういうものが僕はすごいやっぱり大事なメッセージとか自分にとってもすごい
そう考えていいんだって思えたって意味で
山下さんとかこの意味の計上って本はすごい好きなんですよね
なるほどね確かにその自由さみたいな話だもんね確かに
人に言われたりとか社会から決めつけられたりとか
常識とかが来ると結構そこでね
自分で考えた意味みたいなものが重要性が低くなっちゃったりとかするかもしれないよね
そうそうそうやっぱちょっとこれは雑談的なんですけど
僕は普段キャリアデザイナーとして転職のご支援とかさせていただいてるんですけど
やっぱり多くの方が自分の市場価値が知りたくてとか
例えば給与が下がる転職して給与が下がるってことは自分は価値がなかったってことなんでしょうかみたいな
なるほどなるほどやっぱりことを考える方もおられますと
確かにありそう
その時にやっぱりお伝えしているのは別にそれは価値ではないんですと
あなたが例えば年収が500万だった人が400万に下がった時に
あなたの価値が100万円分下がりましたかっていうとそんなことはないんだと
その時々の会社のフェーズとか会社の評価制度とか
儲かり具合とかそういうのと相対的に決まるものだから別にそれは直接的にあなたの価値を示してるんじゃなくて
それでもあなたが来てくれるかみたいなこととか
それで頑張って入った後に給与を上げていくっていうそこを頑張れるかっていうまさにその意味みたいな話
そこにどれだけあなたがそれでもチャレンジしたいと思えるかってことが大事だよみたいな話をさせていただくことがあるんだけど
結構それは僕の中では価値と意味の話から伝えてたりするんだよね
なるほどそっかそっか確かにその一つの文脈だけで言うとそうだけど
それってしかも自分の文脈じゃないじゃんって話だよね
ホームページとか見てると確かにあなたの市場価値診断みたいなのがあるもんね
あなたは639万円ですみたいなその1万円足りない640万円にいかなかった理由何みたいなさ
なるほどねそんな岩手で600万もらったらもう完全あれだセレブだよセレブ
そうそうそうみたいなね東京だったらあれかもしれないけどねみたいな
例えば639万円っていうものにさ意味がやっぱりつくと例えば岩手ではセレブだけど東京だとあれでニューヨークだったら生きていけないとかっていうさものがあった時に
それって例えばじゃあカンノハエサナリカンノキョウスケって人間の価値なんですかみたいな話になっちゃうとさ
確かにね
それは違いますってやっぱ僕は言いたいのよね
うんうんだし本気で悩むのもわかるしねそれはそれでってね
そうそうそう
そういうルールで生きてる部分もあるしね特に求まれて働くってそのルールで働くね中に飛び込むわけだからね
そうそうそうでこれもそういうちょっとなんかさ僕の思いっていうかなんだけど
例えばそれをやっぱりそうだとしちゃうと自分だけじゃなくて相手にもそう思っちゃう
例えば年収300万人600万人とかいた時にじゃあ倍の価値があるんですかって言ったらやっぱりそんなことはないのですと
うんうんうんうん
だからやっぱりそこはなんだろうな結構生きていく中では大事なんじゃないかなって思って
うんなるほどなるほど
でもそういうところがちゃんとその精神論根性論とか雰囲気じゃなくて
ちゃんとまあ論理的に人に伝える可能性が出てくるよとか自分をそういう風に俯瞰的に見ることができる可能性が出てくるよっていう意味で
確かにね今回のこの意味っていう話今のものだけど意味と価値の違いみたいなものはすごくいいねなんかね
そうそうそう結構ね僕もちろんそこまで話をしたら伝えないですけどやっぱり自分の中にそういう確信というか
ロジックがあるっていうのがなんか自信を持って伝えられるなっていう感じなので
その文脈から言うとこの意味の話はいいって話ね
そうそうそうそうちゃんと文脈とかを定義付けてあげるっていう
確かに確かに文脈抜きでそこをね結果だけで一気に一流しちゃうことってあるからね
どっからその文脈来てんのっていうのがね自分なのか人なのか社会なのかみたいなね
そうなんですちょっとまあ脱線しちゃっただけそんなこともやっぱり大事だなと思っていたりっていうのが意味と価値の違いの話でしたと
改めて言われると面白い
サルトルによる存在論
そうで2つ目がその自分と他人みたいな話なんですけど
これねサルトルの時にさ自分即時存在っていうのが物で対時存在っていうのが人間理性を持った人間で
対他存在っていうのはそれがいわゆる他の対時存在要は人間と愛対する時のあり方だみたいな話をちょっとしたと思うんですよね
もしよかったらサルトルでそういうことを話しているので聞いていただければと思うんですけれども
結構そのまさにサルトルは存在って言ってるぐらいだからやっぱりその人間ってものをある種物とかと同じ存在なんだけど認識とか意識とか
小技とかがあるからちょっと違うみたいな文脈で語ってたんですよね
石と何が違うのかって話だよね
そういう見方とか考え方を山内さんは他者を他者だから他人っていうのを単なる存在として見る見方だって言って批判するんですよ
そうなのね
どういうことかっていうとサルトルからすると他者っていうのは自分があって自分が世界を作りたいんだけど
その中でそれをある種邪魔するというか
穴としての存在だみたいな風に言うんだけど
でもそんなことはないと要は他人とか他者っていうのは自分にとってどうだとかっていうよりも
まずその他者自身だから兄貴だったら僕にとっては僕にとっての兄貴とかってよりはまず兄貴自身としてある存在じゃないですか
はいはいはいまあそうだよねサルトルのやつをそれぞれさそれぞれの文脈それぞれ人間から視点から考えたらそうなるもんね絶対ね
そうそうだから僕にとっての他者他人っていうのは間違いなく他人にとっては自分であるっていうところをちゃんとまずは考えましょうと
はいはいはい
この時どういうふうに向かい合ってるかって山内さんが考えるかというと
他者っていうのはその存在そのものとして向き合ってるんじゃなくてやっぱりその体とか物質的なそのなんだ
要は表現に現れたもの表面に現れたものを通して他者と向き合っているんだと
今ちょっと先取りし言っちゃったんだけど要は他者の存在に向き合ってるんじゃなくて他者の何らかの表現に向き合ってるんだみたいな話をするのね
ほうほうほうはいはいなるほど
例えばその知らない人がさ自分に笑顔で向かってくるとしたら親しみというか敵意の差を感じるし
怒って向かってくるとしたらやっぱりその敵意とかそういう危険をある種表現してますよと
なった時にだからそれはその人の存在自体に向き合ってるってよりはやっぱりその怒りとか親しみとか友好度合いとかっていうやっぱりそういう表現とか意味に向き合っているんだみたいな話をするんだよね
あー面白いねこれ前回のドゥルーズの話を聞いてるから多分だと思うけどなるほど他者を存在そのものっていうのはすごく雑な表現ってことだね
存在と意味の関係
まあそうだね論理的に言えば哲学とか本質的に本質を追求したいって言ったら確かにそういういろいろ剥ぎ落とすのはわかるんだけど
意味の世界から見るとそれは剥ぎ落としすぎじゃないみたいな
そこを含めて人間じゃんみたいなまあそういう話だしまあもっと人間だけじゃないよね
前回話したように要は木の緑とかっていうのも緑そのものに向き合うよりは木が緑化するみたいな
そういう出来事とかやっぱ瞬間にある種向き合っているわけだから
なるほどね人によっては木を見た時にあの幹ゴツゴツしてるとかでもいいのにあえてその葉っぱが綺麗だ緑だっていう風に言ってるのと
カニを見た時にあの人怒ってるとかあの人嬉しそうだなっていうのは結構似てるというか同じ営みだよねって話だよね
そうそうそうやっぱりその表現とか出来事みたいなものが意味の世界では重要だよみたいな話したのかなっていう風に僕は思ってるんですけど
だからもっと言うと山内さんの考え方では何かが実存する実際に現実的に存在するっていうのはやっぱり存在+意味なんだと
ただあるっていうものは別に例えばさ街中であのすごいお祭りとかで人がいっぱいいる時にさ
別にそこで人と出会うみたいなことはないわけじゃん出会うというかすれ違ってるだけだし
他人っていうのはもうその辺の意思口と同じくらい自分の興味を引かないものなんだけど
そこでたまたま友達に出会うとかあるいはなんかめちゃめちゃタイプの異性に出会った時にそこで初めて意味とか出会いっていうのが出てくる
やっぱり人間をただ存在するだけじゃなくてそこの意味っていうのがくっついて始めてまさにこう自分にとって立ち現れてくるよねみたいな
そういうことが言えますよねと
なのでやっぱりこの存在というかその現実的に生きていくことを考えた時には
意味と価値
やっぱり意味っていうものは存在と切っても切り離せないし他人っていうのもそういうふうに捉えてはどうかみたいな
いやーすごいねそれはすごいシンプルな感じがするねすごく認識に近いというか
サルトルだとさなんかあの絶えた存在があってそっちを通じて自分が他人を通じて
そうだね他人の眼差しで自分っていうものがもの化するんだけどでも意識がそれを乗り越えてみたいな
すごいうねうねしてるよね
そうそうそうお便りでも滝行したらとか言っていただいたけど本当にそういう感じじゃないですか
そう確かに本当だわ
それがねある意味そう木とか石とか人間とか動物も同じメカニズムで人は人は認識してるんだよと
存在そのもと向き合ってるってことではなくてまあ確かにそれは存在するかもしれないけれども
人間の意識レベルとか生活レベルでいったりとかすると全然意味レベルでそれを認識してるんだよっていうのは
そこがパッとねそれもなんか人間の時分けちゃってるのかもしれないけどね
存在と意味がちゃんとこう別物として別の引き出しに入ったみたいなね分かれた分かったみたいなね
なんかなんか面白いなと思った
そうだねそうそうそうだからあの前回のドゥルーズでも言った通り意味っていうのは存在を超えているというか
やっぱり意味自体は別にその認識とかね見たり聞いたり触ったりできないから存在ではないんだけど
存在と共にあってそういうある種現実のまさに物とか人とかそういうのを作ってるみたいなのはすごくわかりやすいというか
言われてみたらそうだよねっていう感じなんじゃないかなっていうのは思ったりしますと
そうだねだからこそまあそれこそ存在とは何かとか真理とは何かっていうのを見ていく難しさが
というか多分不可能なのかもしれないですね
あーそうね
っていうその難しさも感じてきたなんか
そうそうそうそう
絶対文脈がついて回るからね真実とかっていうものに
あーでも本当そうだよねだから真理を得るのは素晴らしいことだっていう瞬間にやっぱ価値判断とか
そうよね確かに確かに
ついてきたよねみたいな意味で言うとやっぱ純粋に何かを探求するってできるんだっけとかそんな話にもねやっぱりつながってくるし
でそういう文脈で今ねその意味でっていうとして今意味を使わないようにしたらなんかこういう言葉が出なくなっちゃったんだけど
文脈って意味ねその文脈でみたいな
そうそう
その文脈で最後に宗教の話をちょっとするんですけど
さっきさ意味と価値と区別して意味が価値の土台にあるよみたいな感じの話をしたじゃないですか
宗教の世界と一般的な世界
でまあとは他人と自分みたいな話をすると要は人間というのは存在の次元じゃなくて要は意味の次元につながっているからこそ
まず出会いとか交流とかがあるよっていう話をしてたんですけど
このですね啓示王学意味の啓示王学って本の最後で山内さんが突然その宗教とか神について触れる部分があるのね
はいはいはい
途中でも何個かあるんだけど最後神について語られることで終わっていて
でその中で宗教においては価値は意味に転入するっていうことを言っていて
つまり価値と意味というのは一つになるもっと言うと土台の方にある意味に価値が入り込んでいくんだって話をしてるんですよ
おーわからん
ここでもちょっと一般的な世界の話と宗教の世界っていうのを分けて考えてほしいんだけど
一般的な僕らが生きている世界ではやっぱり善悪とかその真偽とか分けて価値っていうのを大事にして生きておりますと
さっき言った通り要は新鮮なリンゴは高いし傷んだリンゴは安いしとか
それが行き過ぎるとまさにさっき言った練習高い人は価値があって低い人は価値がないみたいなそこまで行き過ぎちゃってますよね
別にそこは山内さんは言ってないんだけど
そんな世界がある一方で宗教の世界って実はそうではないんだと
例えばキリスト教の神っていうのは原罪がある要は人間が罪深いからといって人間なんて滅ぼしてしまうとはならないし
例えば神蘭浄土神宗を開いた神蘭という人たちもいると思うんですけど
彼は悪人小規節っていうのを唱えていて
悪人こそ仏になるというか善人も仏になるんだったら悪人がそれを改心して本当に仏になろうと思ったら彼もなれるんだみたいなことを言って人々を救おうとしましたよね
なのであとは以前救助の時もやったけれども要は貧しいものは幸いである
普通だったらお金持ちと貧乏人がいたらお金持ちになりたいとかいろんなものを欲しい買いたいって思うんだけどそうじゃなくて
貧しい人こそがある種幸いだ幸せだみたいな世界観っていうのが意味を持つし実際価値も持つ
これが宗教の世界ですよと
でも宗教には金がかかるし宗教的なものとかも高値で売買されたりするわけじゃない宗教的な絵画とか
いう風に言う方もいると思うんですけどもそれはもはや宗教の世界じゃなくて経済とか一般的な世界の話になっちゃったんだよね
だからそれは宗教的なものが価値で判断されているだけであって意味の世界から抜け出しちゃってますというような話を
ヤマトさん自体がそこまで詳しく言ってるわけじゃないんだけどまさにそういう違いっていうのが一般的な世界と宗教の世界にはあるよっていう話なんだよね
宗教の意味の世界
なるほどね、そっか、その宗教っていう中に既にさっき言った今せっかくというかね
存在と意味だったりとかあと価値かそこをバラバラにしたんだけれども
宗教の世界観の中では文脈とセットになっているってことだよね
意味、価値、だからリンゴ、さっきさ、絵を描く人にとっては腐ったリンゴを探している場合もあるよねみたいなことがあったんだけれども
そういったその判断、価値判断も含めてリンゴとは新鮮なものであるべきである
それこそが新鮮なものであるまで含めて世界観を作っちゃってるみたいな話だよね
それは実は価値の話なんだよね、新鮮であるべきっていうのは新鮮の方が良いっていう話じゃん
ではなくて新鮮なものでもいいし腐っててもいいっていうのが宗教の世界
そうなの?
そう、ちょっと最後の確かにイエスキリストの言った貧しき者は幸いであるはちょっと価値っぽいんだよね
でも、イオンは善人なおもて王女を説く、祝いや悪人をやっていう話が神論が言ったことなんだけど
それは善人でも悪人でもいいんだと、悪人こそって言ってるから悪人の方が価値があるってことでは全然なくて
善であろうが悪であろうが仏の世界では一緒だよってことを言ってるんだよね
そうなんだ、今の話でいくと結構宗教っていうものがかなりそのモラルとか価値っていうものと意味存在を全部もうガチっと作った世界観だからみたいな話に聞こえたんだけど違うんだよね
それはどっちかっていうと組織化されたとかもう少し広まった後の話だと思うんだよね
でもそうなった時に、じゃあ結局神に近い教会とかお坊さんみたいな人たちの方が偉いとか
そういう上下が出てくるってのは価値の世界に行っちゃってて、意味の世界では別にみんな一緒だよとか
要は仏の世界でいうと全員仏、仏陀、自身ですらみんなと同じだみたいな話をしたりとか
キリスト教の神は人間の上位というかこういった存在なんだけど、その中においては別に王様も奴隷も一緒だよとか
そういう毅然、癒やしとか尊いとかっていうような価値っていうのも破壊するような世界観っていうのが元々思っている宗教の世界観なんだよね
なるほどね、ごめんごめん、そっか、分かった、この宗教っていうものの定義がちょっとここでどういうものかよく分からない
キリスト教とか、特にキリスト教か、そうなっちゃうとね、さっき言った教会がとか天位がとか話にちょっとつながっちゃうから
元々の原石というか宗教的なものって多いかな、個別の宗教とかっていうよりは
はいはいはい、であれば、うんなるほど、そうなるとそうだよね、今の経済とかさっき言ったそのお金や意図する世界からするとかなりフラットな世界になるよねっていうのは理解できると思う
なので、それやっぱ価値だとまさにそういう良いものは欲しいけど悪いものは要らないみたいな話なんだけど、それを宗教でやっちゃうとまさに先民思想だよね、こういう人は救われるけどこういう人は救われませんみたいな
やっぱりそれは本当の宗教の意味の世界の話ではない
はいはいはい、なるほどね、そうか、そうすると宗教っていうものをちゃんと天理したいよね
そうなる
まあそれもね難しいけど、理想の宗教とかね、宗教のイデアとは、また難しい話にね、面倒な話になりそうだけど
先民思想と宗教
今ちょっと先民思想は宗教ではないって言っちゃったんだけど、それはそんなことはないというか、逆に先民思想だからこそめちゃめちゃ強い意味を持ってすごい強固な繋がりを作る宗教とかもありますと
それこそ宗教の意味って話だね、それこそね
そうそうそうそう、だから自分が救われる意味とかになるんだけど、やっぱりそれは山内さんの感覚にすると価値によりすぎてはいないかという感じなんだよね
なるほどなるほど
まあその意味だと、今日の冒頭最初は「やっぱりニエチは神は死んだ」みたいに言って、神っていうものがそもそも機能してないよみたいな話をしたんですけど
神っていうのは存在しないんじゃなくて、その表現とか出来事とか意味として存在するというかあり得る
だから神の存在ってのは否定できるかもしれないけど、神の意味とか宗教の意味までは否定できないんじゃないかみたいなことを山内さんの本を読んで僕とかは思ったりしたんですよね
なるほどね、確かに確かにさっきも言ったけど、そもそも人間がやっぱり存在の次元で繋がってるではなくて、意味の次元で繋がってるでしょうっていう
人間のすごく、多分生えているところも素朴な感覚とか、あと現実だよね、実際そうやって世の中が動いてるみたいなことを考えると
神の存在は知らんけど、意味はあるよね、神の意味はあるよねっていうところはもう誰も否定できない
ニーチェですら死んだとは言ってもいいけども、そもそも存在するか知らんから死んだかどうかも知らんわみたいな話で
全然反論はできるよねっていう、どっちが正しいとかではなくてね
あとか、機能しなくなってきたとか、みんなが神っていうものをある種信じなくなってそこに意味を見出さなくなったっていうことが言えるとして
それが神は死んだっていうふうに言えるかもしれないけど、神の意味がなくなったことの意味もまた問うことができるよねっていう
意味の世界ってそういうものだよねっていう感じかな
また別の意味が生まれてくるでしょうとか、求められてるでしょうって話だもんね
これも雑談なんだけど、最近世の中でお坊さんっていうか、お寺とか神社、仏閣、教会とかもそうなんだけど
運営が大変らしいのよ、後継がいないとか、団家さんがいなくなってとか
やっぱり続けられないっていう話があるんですよね
やっぱりそこの意味だよね、団家になる意味とかさ
お寺さんに何かお伏せをする意味みたいなものが分かりづらくなってきているとか、実感できなくなってきている
普通に生きてる中で
その中で観光業だとか、グッズを作って売ろうとかっていうのはそういう価値によった話であって
やっぱそっちでは宗教は生きていけないんじゃないかなとかって思ったりしたんだよね
まあそうだね、本質的な解決策ではなさそうだよね
やっぱりその意味をどう取り戻すかみたいな話を考えようと思うとめちゃめちゃ大変
それこそお寺に何かあったら相談に住職さんと話をしに行くっていう感じじゃないからね
そういう地域のコミュニティの閣員になるような場所でもない場合もあるだろうし
場合もあるね、もちろんそういう場所もあるとは思うんだけど
普段生活の中でまずお寺さんに行くみたいなのがあるかっていうとさ
僕ら結構おじいおばあちゃんとかが信心深いというか
よく行ってた方だと思うけどそれでもないじゃない
そうだよね、じゃあ自分が行くかって自分から行くかみたいな話ね
そうそうそう
やっぱりそこはまさに行くか行かないかっていう価値の話をするんだけど
深い次元で考えないと難しいというかなかなかできない話なんだろうなっていうのも思ったりした
というので宗教の話
なるほどね、確かに確かにある意味そのお金とか経済というのも一つの意味でしかないというか
一つの文脈でしかないからっていう話だよね
そこを分けて考えるとさっきみたいにどうしてもグッズ作るかとか観光するかみたいになっちゃうけれども
それはやっぱりうまく物事を分けられてない証拠というか
意味というものの文脈を考えきれてないかもしれないよねっていう話でもあるってことだよね
厳しい言い方をすると
見方からするとね
だから面白いんだよね、神社とかでお守り買うっていうかもらったりするときに
やっぱり「お納めいただき」って言うじゃない
やっぱりお買い上げではないよねみたいな話でいくと
やっぱりそれはお金とお守りっていうものとかを交換してるんじゃなくて
やっぱり神様が守ってくれるみたいな意味とか
そういうものを買ってるんだよねとかって思うと
なんかすごい納得できるというか
そうだね、本来お金じゃなくてもいいんだけどみたいな話
でも神社も経営があるから当然お金を得なきゃいけないんだけど
やっぱりそこには抗ってる部分があるのかなって思ったり
その世界観だよね
難しい話だと思うんだけどね
もちろん僕らは、僕らっていうか僕はね今外から勝って好きだって言ってるけど
その中にいる方からしたら切実だろうし
さっきね、やっぱり「仁一は死んだを否定できるよね」みたいな話はしたんだけれども
結局やっぱりその死んだ世界とかその死んだ価値観で生きちゃってるからね
そこでやっぱりお寺に行くべきだとか
別に寄祖教でもないから毎週ミサに行くべきだとか
そこをどう納得というかね生活にお煮込んでいくかっていうのが腕のミスどころかもしれないけど
そうね
そんな感じで今回3つの話ですね
意味と価値って3つっていうか全部繋がってあると思うんですけど
意味と価値は違うよっていう話から
そういう他人と自分という存在の次元じゃなくて意味の次元に繋がってるねっていう話と
そこから一般的な僕らのいわゆる資本主義経済的な世界と
やっぱりこういう意味の世界とか宗教の世界で
結構レイヤー違うねみたいな話っていうのをさせていただいたんですけど
結構スッと入ってくるというか
宗教と経済的な世界
まあ確かに言われたらそうだよねって思いやすい部分もあったんじゃないかなと思うんですよね
うん確かに確かにね今の感覚と近い話してるから
今の感覚が実はこうだったんだって結構直結してる感じはする
そうそうそうそう
だから本自体はね本当に難しいというかいろんなこと書いてるんですけど
やっぱりおっしゃってることとか書いてることは非常に自分にとってもしっくりくる
結構この本は今僕2回くらい読んだんだけど
多分まだ今後人生通して何回も読むんだろうななんて思いながら
またねちょっとこの本読んで発見があったら随時お届けしていきたいなっていう感じもあります
うんそうだねぜひ雑談会とかでそういえばみたいな感じで
そうそうそう
はいそんな感じで話してきたんですけど
今回最後宗教の話をちょっとしたと思うんですけど
まさに逆に言うと宗教の世界
東洋と西洋の意味論
特に次はちょっと禅問答いわゆる座禅とかの禅の話があって
臨済次の臨済も禅の人ですけどそこらへんの橋渡し的なことも含めて
意味の世界を直接なんとか指し示そうとした言葉では指し示せないんだけど
なんか言おうとしたみたいな雰囲気を感じるものがあるので
ある種宗教代表というとあれだけど
そんな世界観としてのちょっと禅の話をですね次ちょっと取り上げて
この意味の話の最後にしたいなというふうに思っておりますと
面白いねそっか禅問答も前回の時すごい面白かったんだけど
またこの意味とか存在っていう視点から聞いとると
すげー頑張ってんだなっていうところも見えてくる
あとこういうことをやろうとしてたんだなっていう
内容自体というよりは禅問答の仕組み的なシステム的なところが見えてくるみたいな話に近いな
そっちは次の臨済の方でまさにちゃんとやろうと思っているので
次回は禅問答1個取り上げてそれについて解説というかこんな風に言われてるよねとか
意味の世界からすると分かりやすいよねみたいな話をちょっとしてみたいなと思っております
次回は禅問答の解説
そうなんだじゃあ次回が禅じゃなくて次回全員やって今回の意味のが終わったら
次はまた久々に東洋に戻って禅やりますって話か
そうそうおっしゃる通り流れでいこうと思ってます
了解そうねしばらくちょっとまた西洋通いてから臨済に行くんだ
臨済に行くんだって全然知らんけど
でも禅か禅の人はもんだ
そうだね禅の人だから
一応この前の東洋がまさに禅の母大だるまという人がいてみたいな話をしてたと思うので
そこはちょっと時代をもうちょっと現代に近づけると言ってもまだ1000年前とかそのぐらいの話ですけど
っていうような流れでちょっとですねこの意味っていうものをちょっと西洋から東洋への橋渡しじゃないけど
そっちに行くみたいな話でちょっと次回やっていきたいなという風に思っております
はい了解しましたじゃあ次はまた意味の続きでちょっと東洋というか禅に視点を移していきたいというところで引き続き次回もよろしくお願いします
お願いします今回もありがとうございました
ご視聴ありがとうございました
52:21

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