1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #83 「実存は本質に先立つ」と..
2023-02-08 48:43

#83 「実存は本質に先立つ」とは?サルトルが小説を通じて表現したかったこと

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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00:00
(♪ BGM)
はい、スルテツラジオ
今日も始めていきたいと思います
よろしくお願いします
よろしくお願いします
はい、今日は前回のサルトリに続いて
サルトの生涯っていうところを見てきたので
これから実際に思想の中身とか
哲学の中身、そういったものを見ていくのかなというところでした
はい、そうですね、今回はですね
前回のお話でもちょっと触れた
小説オートっていう小説
「ハクオロオロハクヨ」っていうやつのオートなんですけど
これは前回もおっしゃった通り小説なんですよね
サルトルはその哲学者としてっていうよりも
まずはこの小説家としてという名になっていくんですけど
なんかそのキルケゴールでやったじゃないですか
キルケゴールもいろんな本を書いて
戦略的に自分の名を挙げていって
自分の思想的な本を出して
それを読んでもらったみたいな
順番としてあれだもんね
自分の思想とか哲学があって
それを広げるための手段として小説を用いてたみたいな
ぐらいの感じだったよね、確かに
違うんだ、サルトルは
サルトルはもちろん思想とか哲学があって
それを広めようとしてっていうのはあったんですけど
なんかそのいわゆる娯楽小説を書いて
そこから名を挙げようとかじゃなく
結構土直球にサルトル自身の哲学を
なんかそれで込めているというか
大衆家とか別に狙ってないみたいな
その小説の中身として
そうだねそうだね
そう、むしろ今はオートっていうタイトルじゃないですか
もともとは偶然性の策っていうタイトルだったみたいで
偶然性についての策か
全然そそられないじゃないですか
作詞、戦術とか戦略の作詞みたいなものの策
じゃなくって
普通に作品の策、作品か
ごめん、偶然性についての作品
作、はいはい
っていうタイトルで
それに対して周りの人から
もうちょっとサスペンシー的な
そういう要素とか得た方がいいんじゃないとか
アドバイスされて
それを受け入れて
その結果小説になったよみたいな
そんな感じらしいのよね
そうなんだ、はいはいはい
なので物語の筋がどうこうっていうよりは
今日はもちろん小説的に
そういうふうに読むこともできるんだけど
ある種サルトルの思想とかが
取り込まれている物語として
どんなことが書かれているのか
ということを見ていきたいな
というふうにちょっと思っています
ちょっとサルトルのことを考えるときに
03:00
何回かこのスライテッドラジオでも
名前が出ているフッサールのことを
ちょっと避けて通れないという部分は
正直あったんですよ
ああ、そうなんだ
なのでフッサールはまた今後
取り上げていきたいとは思うんですけど
元々サルトルは新月の学校で
フッサールの現象学っていうものを学んでいて
それをベースに自分自身の思考とか
あと経時浪漫的な心理みたいなものがあったので
それを文学的に表現するみたいな
だからねじれてるんだよね
哲学的な思想を文学的に表現するみたいな
はいはい、そっか
一応本人的には土著級でいくつもりが
周りからちょっともうちょっとこう
それこそ一般受けにやった方がいいよって
言われたせいか
なんかすごいのできちゃったみたいな感じなの
そうそうそう
っていう感じなんですけど
物語としてもそんなに
すごい浮き沈みというか
メリハリがあって
ものすごい事件が起きるとか
っていうものではないんだよね
どっちかっていうと
主人公がロカンタンっていう名前の男性なんだけど
その人が30代前半かな
でこの人の日記とか日常的な出来事を通じて
この人の身に起きる
なんだろうな思想的なというか
そういう変化に基づいて
サルトの哲学を発信してるみたいな感じなんですよ
でテーマとしてはまさに実存なんだけど
いわゆる事物というか物事の
どう出会うかみたいなことが
テーマとして描かれているんだけど
ちょっと分からずらいですよねまだ
そうだねあと実存主義の定義みたいなのも
多分まだちゃんと
この回始まったから聞いてないから
はいはい
そうですねまあ確かにちょっと最初に触れておくと
実存主義の定義って結構難しいというか
それを理解するには
あと3回分ぐらい
話をしなきゃいけないっていう感じなんですけど
すごくざっくり言うと
これまでってさその
やっぱ神とか理性とかっていう
いわゆる自分の外に
真理か聖なるものとか
絶対的に正しいものがあって
それとどう関わるかみたいな話だったじゃないですか
そうだねうんうんうん
デカルトとかもそうだし
宗教キリスト教もそうだし
まあそうだねソードクラテスとかフラトンとかの
いわゆるイディアみたいな考え方もそうなんだけど
実存主義はあの自分の外に真理があるんじゃなくて
自分そのものが真理の源泉なんだみたいな
すごいあのなんだろうな
誤解を恐れずに言うとね
ていうかそもそも存在するっていうこと自体に
06:00
真理が含まれているから
存在と真理っていうのはある程度切り離せないって
ちょっとあれなんだけど
むしろその現実存在そのものが
真理だぐらいの考え方って
今思ってもらってもいいと思うんですけど
ただそれもちょっと難しいよね
まあそうだね
まあでもなんとなくその以前と日一の英語で
日一の時にほら英語を書いてて
やっぱりその無限ループで続く人生の中で
この一瞬というか自分のその捉え方が変わると
その後の人生もその捉え方次第で変わっていくよ
みたいな結構その自分が自分視点だったりとか
自分の感覚がその自分の主人公だみたいな
神が決めた方に行くとかそれに従って
本人にはなす術もないとかじゃなくて
割とこの自分のなんか捉え方とか
スタンスみたいなものに目が向いた瞬間だったと思うんだけど
そこがもっとこうなんか具体的になっていくような感じなのかな
そこが進むという流れ的に
そうだね
前回も言った通りその戦後
やっぱりこう人々が方向さみを失っている中で
人間というのはただ生まれてきたんじゃなくって
やっぱり生きることを選ぶんだとか
自分が生きるって決めたから
そうやって人生が続いていくんだみたいなことを言ったと思うんだけど
まさにそういう態度自体が実存主義的な態度
それはニーチェが言うところの英語を書きで
自分がよしもう一度って言ってこの人生を選ぶみたいな
それにちょっと近いところがあるんだけど
そういうふうに割と自分っていう存在の中に
そういう存在の理由とか
生きる理由とかっていうものを
根拠付けましょうみたいな
そういう感覚が実存主義なんだけど
ただそれは人だけの話じゃないっていうのがあるので
一言では言えなくて
そっかなるほどね
人間認識だけとかじゃなくて
それが実存主義的な感覚が
人間だけじゃなくてさっき言った事物
そのいろんな物事物質とか含めて
それが真偽なぐらいの話に持って行っちゃったのが
サルトルみたいな感じなのか
そう
デイクラウドとかだと我を思う家に我ありとかも
なんかそれっぽいまだキースト教的ではあるけれども
もうなんか自分の意識みたいなものがある
ニーチェまで行くとさっきの英語を書いててね
よしもう一度みたいなところだけど
まだそれは人間主観というか
人間がありっての話で
サルトルは人間以外にも拡張したんだそれ
あそうそうそう
ちょっとなんかわかるというか
ちょっと見えてきたかな
その理解だければ
09:00
なのででもありがとう
やっぱ今の話ができたので
確かにだから
その人ロカンタンっていう主人公が
物事とかこと柄と出会うっていうことがテーマになるんだよね
なるほどそっか
だからあれか自分の内勢力みたいな
日記とかだけじゃなくてっていう話になってくるのか
ちょっと意味があるかね
そうそうそう
ただ考えたこととか
そういうことを書き込めたじゃなくて
こういう出会いを通じて
私はこんな状態になったみたいなことを書いているんだけど
それは本当に何気ない日常なんだよね
例えば1個シーンとして描かれているのが
ある日そのロカンタン
彼が海辺でね
あの水切りあの石をさ投げてさ
ポチャンポチャンポチャンって飛ぶやつあるやん
あれをしている子供たちを見つけるんだよね
はいはい
そうで何気なくふと自分も
石を拾って水切りしようって思うんだけど
その瞬間何か嫌なわからないけど
なんかすごい気持ち悪いというか
嫌な気分がして小石を落としちゃうんだよね
で立ち去っていくみたいなシーンがあって
その嫌な気分をまるで気が変になったような様子
気が変になったような様子っていう風に捉えますと
自分でね
自分でね
これが実は彼のというか
その小説のタイトルになっている
吐き気というか嘔吐を催す経験だよっていう風に言ってるんだけど
なるほどなるほど
そういう日常何気ない瞬間に
違和感とか気持ち悪さとか
そういうのを感じましたよっていう話ね
うーん
でそこから彼は日常暮らしていて
そういう嫌な気分というのをいろんなところで味わうのね
例えば青いシャツを見た時とか
電車の長い椅子に座る時とか
またなんか肉屋で豚肉が売ってるのを見た時とか
頭にいろんなシチュエーションがあるんだけど
でそんなある日
これも結構有名なシーンなんだけど
公園のねマロニエ?
栗というかフランスの方の栗の木らしいんだけど
そこの木の根っこを見て
自分が感じていた嘔吐
吐き気っていうのが何だったかを理解するっていうシーンがあるのね
今回って善の話だっけか
まさにそうでしょそうでしょ
まあうんうん
そうなのよ
あのねまさに東洋的感覚からするとちょっと理解できると思うんだけど
もうちょっとでも西洋的なところからいくね
うんうんうん
ちょっと長いけど紹介するんですけど
そのマロニエの木の根っこを見て
黒い幹の間
空へ向かって伸びる
不死クレだった黒い手の間
一本の木が黒い爪で
12:01
私の足の下の大地をひっかく
存在が至るところから
根から鼻から口から
私を中に浸透してくる
そして突然一挙にベールが引き裂かれ
私は理解した
私は見たって書いてます
これは果たして何を言っているんでしょうかみたいな
そうだねわからん全然わからないね
えー
わからんけどささっきさ兄貴言ってくれたようなさ
これ善だっけみたいな
うんうんうん
そう感覚があったと思うんだけど
まさにその東洋哲学的な感覚を持っている人は
そういうこと言ってるのかもって
なんとなくわかるかもしれないなってやっぱ思うんですよね
はいはいその経験で何かを理解したんだろうなって
ここまでは全然わからんけど
何を理解したかは全然わかんない
そうねそうね結局何を理解したの?みたいな
何言おうとしてんの?みたいな
本当わかんないやん
そうそうそう
でせっかくでこういうさ文学的なちょっと拡張高い表現をしているから
それをねあんま説明するっていうのも味気ない気はするんだけれども
うん
まあ一応ねこれ理解しようと思う時には
結局そのいわゆる普通の人間
要は普通に生きてるロカンタンがどんな風に物事を見ているかっていう
要はその理解する前の捉え方から
まあお話しするのがわかりやすいかなって思ってますと
うんうんうん
でまあこれは僕らもそうなんだけど
とりあえず普通生活していると周囲のもの
それは別にシャツでも木の根っこでもベンチでもいいんだけど
うんうんうん
それを対象として捉えますよね
要はあれはベンチだあれはシャツだみたいに言うんですよと
うんうんうん
あとはそのさっきね浜辺で水切りをしたみたいな話をしたと思うんですけど
うん
例えば浜辺にいる人からしたら目の前に広がる広大なキラキラした青いものとかは海ですと
でその空にふかふか浮かんでいるもの白いものはもしかしたら雲かもしれないし
カモメかもしれないみたいなっていうようなまあ情景になるよね
そうねうんうんうん
で他そのまずちょっと禅っぽいとこなんだけど
それは物事を指し示してはいるのよ確かに
あれはカモメあれは雲
でもえーとね事物そのものを表現はしてないんだよね
ちょっと物事と事物って言葉はすごく微妙な違いなんだけど
うんうんうん
あのあくまでも海とかカモメっていうものと
その海そのものとかカモメそのものっていうのは違うっていうことをここから言おうと思っていますと
はいはいはい
でえーとねどういうことかっていうと
15:00
前もちょっとそのなんだろうな物事そのものと属性みたいな話をしたと思うんだけど
いわゆる空を飛んでいる海の上を飛んでいる白い鳥はカモメであるっていう知識が僕らの中にあったとして
それを瞬間的に当てはめてあれはカモメだって言ってるんだよね
うんはいはいはい
もしかしたら黒い街中で見る黒い鳥はカラスだみたいなまあまあそういうふうになるんだけど
うんうんうんうん
そうでも別にカモメっていう概念とか事物と白っていう概念とか事物っていうのは本来別のもの
なぜなら白っていうのはそれこそ人間がそれこそ勝手に概念として持っているものだったりとかするし
本当に真っ白かっていうとその白にもグラデーションがあって
カモメ一話一話見たら違う白になっているはずじゃないですか
ああもうそこまで行っちゃうのかなるほど白とはみたいなどこまで
例えばねちょっとこれは説明として言ってるけど
ああそうかカモメも白そっかそっか
ものとして一応認識できるカモメっていうものが一話一話違うってのもあるし
それを表現する白みたいなあと青みたいな海の青みたいな概念っていうのも同じだって話か
概念もものも同じようなグラデーションだったりとか
本質的なものと自分が捉えているその回位はあるよねっていう話ね
そこは同じなんだねものだろうが概念だろうが
ものだろうがそう概念だろうが同じですよと
だからそこに当てはめちゃっているっていうのは僕らは自然にやって暮らしてますと
じゃあさっき言ったようなその空へ向かって伸びる不思議だった黒い手はどうかって話なんだけど
それはもちろんねマロニエの木の根なんだけど
そこにマロニエの根があったって言っちゃうと
それは事物そのものを捉え損ねるんだよね
はいはいはい
そうじゃなくてもちろん黒いっていうものの表現できないし
不思議だったって言葉でも完全には掴みきれないんだけれども
だから言葉にするとそうとしか言えないんだけど
もし本当に事物それをそのままとして見る経験をするんだったとしたら
こういうふうに表現するしかできない
はぁー
要は自分がその目の前のゴツゴツした黒い
なんだろうな
木の根って言ったら一言で終わりなんだけど
そうじゃないこの存在そのものに向き合った時には
いわゆる生の存在そのものみたいな恐ろしい塊と出会うしかないんだよね
はぁー面白いね
なるほど
だからシャツを見ても青いシャツだじゃなくて
ひらひらした人の大きさと同じぐらいのそういう物質があるみたいな
18:08
うんうんなるほどなるほど
そうそうそう
椅子を見てもこのふかふかした人を座らせようとする
すごく魅力的なものがあるみたいな
例えばとかっていうふうにいちいち出会ってたら生活できないじゃないですか
うんまあそっかそうだねこれは前あれだもんね
言葉とか外言の時と同じだね
うんうんうん
毎回この米食えるのかっていう話だよね
あ、そうそうだそういうことか
この食べ物食べれるの?みたいなね
そっか米の一粒一粒のリアリティにやっぱ気を取られていたら
やっぱ食事はできないよね
はいはいはい
うんそうそうそう
まあみたいな感じでこれがある種自物そのものを見るっていうことだよって言った時に
それこそがさっきそのロカンタンというかサルトルが言っている
日常とかそういう概念的な世界のベールが引き裂かれて本質が見えるみたいな瞬間の経験なんだよね
そっかそっかこの一瞬前までは例えばそういう木とか見たとしても
木だなとか猫だななんかゴツゴツしてるなと思ってただけなのに
ゴツゴツしてるなとも思ってないよね多分ね
そうだねそうそう
っていうのはいきなりそういう爪とか黒いなんかゴツゴツ不思議だったとかっていう
もう目の前にあるそのものをそのそういった一般論的なベールを剥がした
もう自分が見たものとしてそのもの存在そのものを捉えた瞬間初めて捉えた瞬間というか
それに気づいた瞬間だからこんなに感動しているってことかこのロカンタンは
吐き気味面白いね感動したいんだよね
木もやっちまったっていう
なんかネガティブだなその面白いねそこも感動じゃないのかそっかそっか
本当にそうなのよこれはさ別に僕がどうかわからないけど
前ちょっと言ったようなコンクリートがグニャグニャする感覚とか
今日のことやっててやっちまったって思った感覚に結構近いなって思う部分があって
お互いでもねいただいてたよねやっぱりそういう取ったかもと思った瞬間にやっぱりちょっと周りが
確かに確かにそういう感覚はあるのか
そういうふうにそのベールが削かれて本質に触れましたっていうことによって
ロカンタン彼は王と思い思ったけど
なぜかっていうとやっぱり事物そのものに出会うっていうことはあらゆるものの属性が無意味になるっていうことですっていうことは言えるのね
でどういうことかっていうとさっきお伝えした通りマロニエの木っていう表現も一つの属性じゃないですか
いろんな木がある中で例えばリンゴの木とかブドウの木とかある中でマロニエの木っていう一つの属性があり
21:05
その木っていうのも土とか岩とかっていうの中の木っていう属性があるなった時に
それってあくまでも人間の分類した中での理解だし属性づけとか名づけなんだよね
そうねそうね
だからそういう人間がこれはマロニエの木だって思うことも木そのものからすると無意味だし無価値だよね
その公園でねいわゆるマロニエの木を見るとかそれが生えているっていうのは
例えばその都市計画上なんかやっぱり緑化が必要だとかCO2の削減が必要だとかっていう意図があるかもしれないですけど人間から見たら
それの全部取り去っていってマロニエの木っていうものの存在そのものに向き合った時に
そこに見出せるのはただそこにあるという事実ただそれがそこにあるという事実だけで
つまりそれは偶然性たまたまそこにあるってことなんだよね
これがまさにこのサルトルが最初これを偶然性についての作品っていう風に書こうとしてたっていう話の繋がりなんだけど
ただそこにあるっていう偶然性だけが物事の本質なんだっていうことをなので彼は言いますと
ロカンタンが言うよりサルトルは考えていて
裏返すとあらゆる存在に必然性はないっていうたまたまあるだけだから
それをロカンタンは余計なものっていうことで表現しますと
どっちの部分?必然性以外の部分のところかな
偶然性たまたまそこにそのものがあるっていうたまたま偶然あるだけっていうことは
つまり別にあってもいいしなくてもいいってことじゃないですか
はいはいなるほどね偶然だからね
そう偶然だからで一つはなくてもいいんだから余計なものなんだよね
そうっていうことはマロニエの木っていうのは余計なものだし
青い札も海ももしかしたらというか当然自分自身の存在っていうのも
たまたまあるものだから余計なものだっていうところに行き着く
なるほどそこは面白いねそこを余計なものにしちゃうっていうね
これはやっぱりちょっと西洋的な感覚かなと思っていて
逆に東洋的な感覚からすると別にたまたまあってもいいじゃんみたいな
そうだねなんかあのそう必然性はないで終わりでいいじゃんっていう
事実があるで終わりでいいじゃんって
それもう余計なものって何でもう一回メール被せちゃってる気がするんだよね
24:00
そういう違和感はある
そうだよねちょっと行き過ぎじゃないみたいなね
そうそうそう
これは何でかっていうとやっぱりその西洋的な2000年近く続いている感覚で言うと
存在の根底には神があるのよまだまだ基本的にはね
はいはいはい
そうっていうことはニーチェが神が死んだとはいえ
やっぱり理性とか何らかの存在の根拠っていうものは
これじゃないかあれじゃないかっていうことはすでに求められてるんだよね
まあだしニーチェの時やったけどニーチェの考え方が200年後みたいに
違うニーチェだったかそれ
ニーチェは自分の考えを受けるのは200年後だみたいな話をしてたっていう
手に入ってたのか自分で言ってたのね
だからそこと入れ替わりぐらいのサルトルの時代だとまだまだその感覚って全然神ベースだよみたいな
そこはあるんだねまだまだ
そうそうそうそう
だからやっぱりその自分の存在の根底が何かっていうものは
むしろそれがあるっていうこととかそれを追求するっていうことは
水曜哲学的な伝統のなんだろうなすごい大事な部分なんだよね
なるほどすごく自然な感覚なんだねそれがね
でもサルトルはその時代にこうした人間存在
自分もだしそういう他の人間もだし
あとありとあらゆる存在の根拠がないっていうことを示そうとしてますと
なるほどそこに立脚してるわけじゃなくてその反対を行こうとしてるって話なんだね
そうこれまで前提とされていた何らかの存在にはその存在の根拠となる本質とか真理があるっていう
その前提をひっくり返そうとしちゃってるんだよね
だからあれかあるっていう事実だけじゃ足りなくて余計なものまで言わなきゃダメだったんだむしろ
そうそうこれはまさにハキケなんだよ
自分の足元がふらつくとか自分の存在っていうのは何らかの絶対的なものとか
自分の存在を超えた神とかに担保されていると思っていたところ
そんなものはないんだっていうことに気づくっていうことがこの王党なんだよね
はいはいはい
もっと言うと自分っていう存在を考えると偶然存在してるってことしか確実じゃないと
たまたま自分はここにいるんだってことしか確実じゃないから
要は必然的な存在理由もないし必然的な存在理由ない世界
自分も存在理由がないし世界も存在理由がないっていう
ダブル存在理由がない世界にそれでも生きていかなきゃいけないみたいな
そこに彼は不条理性を見出すんだよね
なるほどねこの余計なものなくせにっていう
27:04
たまたまあるだけでみたいな
たまたまあるだけで
この感覚はある種現代の僕らからするとある種当たり前じゃんみたいな
別に世界は必然じゃないし自分もたまたまあるだけで生きる理由なんてないみたいな
そういう感覚とかそういうことを言う人もいると思うんだよね
別に生きてることに理由なんてないじゃんみたいな
意味なんてないじゃんみたいな
ただそれも一つのベールとして存在してるだけって感じはするけどね現代にもって
なるほどね
サルトルとかロカンタンレベルで自分の感覚
それこそ身体的理解としてマロニエの木に出会ってる人はそんな多くなんじゃないかなとは思うよね
はいはいはい確かにね
ベールの一つとして人生は自由だとか人生は無意味だとかっていうのはあると思うんだけど
そのベールを剥がそうぜっていう話は大事だと思うね本当に理解したいなと
そうね確かにね
人生意味がないとかそういうことも一つのある種常識というかテーマになっちゃう可能性があるからね
一種のステレオタイプじゃないか一種の思想としても既にね
確かに確かに
まさに言ってくれた通りでサルトルっていうのはそういう人間が日常的に身につけているベールっていうのを剥がした時に出てくる生の体験とか生の物事との出会いっていうものをこういった小説っていうようなものに書き記した
はいはいはい
やっぱりそれっていうのは人間の人生っていうものに確実の基盤を作ろうとかやっぱり人間の世界には何らかの真理とかそういうのがあってその上に世界が成り立っているっていうようなやっぱり発想の人たち
そういう西洋哲学とかそういう神っていうものをやっぱり考えていた人たちからするとすごい衝撃的な理解
まあ確かにそうだよねこの前もあったけどやっぱ戦争が続いてねこんなことになるのって人たちからした時にね
あそうなんだみたいなねその
そうそうそう
別に余計確かにとかってちょっと染み込んでいきそうな感じはするかもと思った
そうねないんだみたいなそんなものなかったんだみたいな衝撃
だからこんなひどいことになったんだっていうね
うんうんうん
この現状の理由付けみたいなね
そうだねそういうのもあると思う
この時代は1938年かななので多分第二次世界大戦ちょっと前ぐらいなんだけど
時代的にはやっぱりこの先第一次世界大戦の後とかでこの先どうなるのとか世界の大恐慌とかも多分起きてるから
やっぱり人間の世界っていうのはどうなっていくんだみたいなそういう空気とかはあったかなと思う
30:04
はいはいフランス的に言うと多分一時大戦の時の方がきつかったのかもしれないですね
あーそうだねそうだねやっぱりヨーロッパはねすごい戦場になってたのもあったから
そうそうでただですよとはいえやっぱりこの発見要はそのマロニエの木と直接出会いましたっていうこと自体は
すごいサルトルの特有な特なというか旧な出会いだしやっぱそれをちゃんと書き切ったってのはすごいんだけど
それだけはちょっとパワーが弱いよねっていう風に僕自身もちょっと感じますと
はいはいはい
でそこでねその兄貴がさ好きなさあの花が存在するのではない存在が話せるのだっていう言葉があったじゃない
あれ言ったね最初の方でね
そう最初の方であれがね伊津々俊彦さんっていう日本の本当にもう大天才の哲学者というか思想家の方なんですけど
彼が実際サルトルについて語ってる部分もあってちょっとそれをねご紹介したいなと思うんですけど
でその伊津々さんによるとそのサルトルのねこの王土大権覇気をもよす大権っていうのは本質だよね
もっと言うとそのいわゆる普遍的な概念さっきのマロニエのマロニエとか木とか海とか青とかね
そういう概念がいかに人間の意識にとって大切さを示している例なんだっていう風に言ってるのね
そうな本質っていうのはそういう意味で使ってるんだねさっきのカモメとかシロとか
本質ってのは普遍的な概念っていう
はいはいはい
具体と抽象とか本質と実在かなっていうと例えば僕とか兄貴が実在する一人一人の人間だけど
僕と兄貴の共通点っていうのをやるとお二人とも人間であるみたいな
そういう共通要素としてくれるものは本質ってここでは言ってるんだけど
例えば木とかやっぱり海っていう言葉とかやっぱ概念でくくれるからこそ
やっぱ人はその自分そのものに向き合うことなく安全に生きていけるよねと
さっき言ったみたいにご飯一粒一粒の実在性とかに悩む必要はなくご飯美味しいって食べれますよねと
逆に言うと言葉が持つ存在を分ける力区別していく力と
人間の日常的な意識っていうのがどれだけ深く関わってるんでしょうねっていうことが分かるよねっていうことを伊津さんは言うのね
もっと言うといわゆる本質とか共通の概念みたいなものっていうのはもともとあるものじゃなくて
やっぱりある対象、例えば木なら木っていうものが他の海とか山とかっていうものから切り離されて名付けられた時に初めて生まれるものですよと
33:06
それが区別なんだよねやっぱり
普通の人間の生活っていうのはこの名付け、要はこれとこれは違ってこのものだっていう
その操作を省略して無意識的にというかその事前に持っている概念っていうものだって当てはめて営まれているものだよねみたいな
木とか海とかっていうものに対する態度っていうのはもう日常的な無意識なものだから
そういった意味でその無意識さ、何かのきっかけでその無意識な名付けの機能っていうものがうまくいかなくなって
いわゆるこの目印だからこれは木だとか海だっていうある種不調というか
そういった差し示すものがない世界で生きたっていう時に人はやっぱり混乱してやっぱり吐き気を催すというか
それが偶然としてこれはなんだみたいな、自分が今までこの木だと思っていたものは一体何だったんだみたいな
そういう境地に行くよねみたいなことを伊豆さんも言ってます
普通は起きないんだよね別に木は木として触れ合ってればいいからいいんだけど
人間が起こりやすいかな人間とか動物、例えばさ
誰かを好きになった時にそれまではAさんっていう別に一般的なというか周りの人と変わらない人間だった人が
自分にとって意味を持ち出した時にこのAさんという人の実在性というか一体この人はどんな人なんだとか
他の人とはこんなことが違うみたいなところがどんどん目に見えるようになってきたみたいなことがあった時に
それは一つの存在の根性というか実在、事物そのものに近づいているみたいな
ちょっと俗っぽいけど見えたりします
科学的にはそういう感じに近いってことだね
それはプラスの方だけどいわゆる生々しさとか自分に向かってくる感じとかっていうのがあるとちょっと恐怖というかね
そういう感じになるよねと
普通は多分0か1かあるんだよね基本的には
画像前のものをこのペンっていうするかペンそのものみたいにするかなんだけど
やっぱりペンそのものに向き合うとすると
ペンとは何かみたいになってくるのかな
ペンそのものの実在に向き合うみたいな経験が出てきます
なるほど、そっかそれはあれだね
36:00
普通の感覚で生活しててもあり得ることはあるんだ、自分は興味があるとか
避けられないものとかと出会った時にはそのもの自体とのやり取りじゃないけどね
見なきゃいけないそのものそのものを、経験っていうのは誰しもそれなりにしてるはずって感じだねそこは
そういう意味でいうとやっぱり芸術家とか
画家はそこに向き合ってるよねっていう話もあってちょっとこれ脱線しちゃうんだけど
やっぱり画家は別に目の前のリンゴ1個描くんじゃなくて
そのリンゴ、目の前のそのものをやっぱり表現しようとする
別にリンゴ描くんだったら別に何も見なくていいんだけど
ちゃんと目の前に生物を、生物画としてのマッシュとかリンゴとか置いてそれを描こうっていう時には
言葉を越えてるから難しいんだけど説明が
その目の前にある赤くてツヤツヤとしたそのそのものを何とか表現しようとするっていうのは
例えば芸術的な営みだみたいな話をされることがあって
向き合ってる瞬間はもう自分だけのものというか
それはもう完全に今回の話でいうマロニエの木と対峙した六反端的な感覚で表現している
そうそうそう
なのでやっぱりその日常的な感覚でスケッチするんじゃなくて
まさにそういう自分そのものに出会うというか
そういったハキケ的な体験の中で
例えば物と向き合うみたいなことがアーティストがやっていたとした時に
まさにその伊津さんもこれ言ってるんだけど
そういう名付けが機能しているとか物の名前とか機能しているのっていうのは日常的な感覚なので
それって東洋的な概念からするとすごい表層的な意識の話なんだよね
ちょっと違うんだけどその有意識でいうところの前後識みたいな
要は見る聞く感じるとかっていうそういうところで起きている世界の話で
いわゆる真相意識
例えばいわゆるアレア式的な深いところの意識でいうと
そういう言語で表されないとか無分別や一元論的な
そういうものを分ける前の世界
これだけはいわゆるその細けの世界なんだけど
そういう意識からすると別にそれは当たり前の認識というか
それは区別ないんだからそれそのもので見たら生々しいものが出てくるよねっていう
そういう感じになっちゃうんだよね
そうだねそれはそうでしょって言われちゃいかねないんだね
それはそうでしょだし別にさっきまさに兄貴が言ってくれた通り
偶然世界はあるんだけど世界はそもそもそういうもの別に区別もされてないし
39:05
存在するものがただあるがままに存在するっていう世界でしかないよね
そうしたらサルトルの言う王都っていうのはある種その表層意識
日常の意識からその真相意識深いところのカオスというか
分別のない世界と見た時のそういった体験を言葉で表現したものだという風に言えるんだけど
別にそれは画期的な大発見じゃないよ
なぜなら東洋の鉄人とかそういう千人未来たちはそういう世界に生きてるからねみたいな
はいはいはい
そういうことを言ったりします
なるほど
これは確かにさっきの神の存在っていうのが前提にあった時には
なかなかたどり着けない感覚なんだろうねでも
そうだね
でも思うよね
神と自分とかそもそもいるっていう時点で二元論だから
存在するものが混ざるとか
一元論的にあらゆるものの分別がない区別がないとかっていう感覚は
やっぱり無いっていうか無理なんだと思うんだよね
無理みたいな感覚とか一元論的な感覚とか
そうそうそう
どっちでもいいってよりはあれでもないしこれでもないなんだけど
そうか
どっちでもよくはないんだよね
よくないのか
言葉が適当だな
そうか
そうそうそう
なのでもちろん西洋のとかサルトルがそういうところを表現した言葉で表現できるようなものを表現したっていうところはすごいねって言うんだけど
別に仏教ともそうだし
中国の老子とか宗師とかっているじゃないですか
やっぱりああいう人たちもいわゆる無分別とか
全ては一つみたいなことを言ってはいるから
そういう意味ではやっぱりその存在そのものについて語るにはやっぱり東洋に分があるというか
そういう文化があるよねみたいなことが言えるのかななんていうのはちょっと思っていました
なるほど
そうかそうだよねすごい話だけれども
今のようなスタンスで言うと全問道集の一つに過ぎないみたいな
サルトル編みたいな話に過ぎないみたいなこと言われちゃうのかなみたいな話ってことか
まあそうだねその時代とか場所とかを超えちゃうとそういうことも言えるよねっていう感じではあるんだけど
ただやっぱりサルトルが出会った王都大権
そういう履き家とか存在そのものに出会ったっていうこと自体がまさに実存主義とは何かっていうところにかなり近い話で
42:04
ああそうなんだね
なぜかって言うと別に理性とか真なるものがあるなら別に個別の存在とかにフォーカスを当てる必要はないんだよね
だって心理の方が大事だから別に個別の存在はさただ心理から派生した自存物みたいな作られたものっていう感じじゃないですか
そうだねその影だったりとかだからちょっと本質からちょっとずれてる一個一個のちょっと誤差があるとか人間でもちょいちょいちょっと違うのはしゃーないよねみたいな話で説明されてきたってことだもんね
そういうこと
でもそういうふうに事物そのものとか存在そのものに出会った時にそっちに何だ意味があるというか要は偶然なんだから本質とかって言っても要は意味がない意味がないまさに
だってたまたまあるだけなんだからそのたまたまあるものをいくら並べてそこに木とか人間とかっていう本質をつけたとしても別にそれもたまたまなんだから余計なものなんだってことが言えちゃう
なるほど確かにこれ面白いねそうかもうすでに東洋的な感覚でこれをやっていきたい人からするとそれはそう出てきた結論とか出てきた体験というのはそれはそうじゃんではあるんだけれども
もともと西洋的なその価値観の人がそっちに至る過程をこうやってきちんと残っているとかそこのに至るかその感覚に至るっていうところとしてはめちゃくちゃ多分貴重なんだよね多分ね
そうだねそうだね
そんな感じはしたやっぱ本してっていうものが大事だって言ってる時にそのね何ならもうそのやっぱ写し絵でしかない
もうコピーもう劣化版コピーでしかない個別存在そのものに焦点を当てるってどう本当はどうでもいいんだよねもうそれ1個立たなくなろうが死のうが
滅びようがどうでもよくて本質ってものがあるからどうでもいいんだけれどもその1個1個もうどうでもいいと思っていた1個1個を大切にしようある意味でちゃんと目を向けて1個1個を
本質レベル今まで本質だと思っていたものレベルで実はこっちこそ本質だったんだレベルで見ていった時の
何この世界っていうその確かに愕然とした感じてのは確かに気持ち悪さとかね怖さの方が確かに先行するのかなっていうのはすごい思った
最初は感動って言っちゃったけど確かに怖いねこれはね
そうなんだよねだからまさにこう前回もちょっと言ったけど今回のテーマである実存は本心先立つって話と
人間は自由の権利にさせられているっていうことがここから出てくるんだよねそれと次にまたちゃんと言っていくんですけど
45:06
今は先立つかそっか今その話をしたのか実存が先立ったんだよみたいな話をしたのか
面白い話をさせられたさせられたね
ちょっとねそういう台本を作ったからさ
本質とか真理があって個別を認めるじゃなくてそもそも個別の存在ってものが先なんだよって話もするし
まさにさっき兄さんが言ってくれた通り余計なものだからこそそれは自由とか自分で何とかしなきゃいけないんだけど
それは刑罰なんだよねやっぱりもうそうするしかないっていう
なるほどそうか確かに存在するっていうただの状態に対してさ余計なものっていうベールなんで被せるんだよって思ったんだけど
だからこそその次の話だけどねそういう
それでもしゃあないっていうなんかちょっとあれやっぱ東洋っぽいねなんかあの
なんかあの来しかないみたいなねそこからどう抜け出すかみたいな感じがあるね
そうそうそうだからねやっぱりそれはある種その人間の一人の人間存在として生きようときにやっぱりぶち当たる壁なんだろうなぁとは思うんだけれども
それやっぱ西洋的な人がぶつかった時にどういうことを考えたのかみたいな話がまさに今回のそのなんだろうなサルトの言ってることかなぁとは思っていて
ちょっと今回は結論ちょっと先取りしちゃった部分もあるんですけど今回はね王都ってやっぱ小説の話だったので
次はサルトルの主張ともいえる存在と無っていうそっちはまさに哲学書なので
それに沿いながら改めてサルトルの哲学的な手法とかどういうふうにそういった本質とか現実の存在とかってものにたどり着こうとしたのかとか
無ってなんだとかっていうことをお伝えしながらある種そこから導かれる人間存在とはとかあるいは他者自分にとっての他人とは何かとか
そういうことをお話ししていきたいなというふうに思ってますと
おーなるほど 実存主義なんだっていうのがあったけどちょっとずつなんかベールが剥がされてる感じ
そういう実存主義をね 逆にこっちはなんかねベールをつけられちゃってる感じがするからね
ちゃんとやっぱ自分で学ぶこととこうやって教わることの難しさってなんだろうって今回の話を聞きながらね
逆にこの聞いていいのかみたいな変な方向にきそうだけど自分で理解しなきゃならねえみたいな
面白いななんかちょっとぐじゃぐじゃしてくるなこういう話聞くと 東洋が勝ってるからかな面白いねなんかこの感覚も
やっぱりねその言葉ですっきり理解できるものではないんだけど
48:04
多分ねあと2,3回こう話を聞いていただけるとあ、なんとなくそういうことだったわねみたいなのが見えてくるかなと思うので
ちょっとぜひね引き続きちょっとサルトル編ということでお付き合いいただければなと思っておりますと
はい、了解しました。じゃあちょっと引き続き実音主義とは何なのかちょっとずつ見ていきたいと思いますので
じゃあ引き続きよろしくお願いします
はい、お願いいたします。本日もありがとうございました
ありがとうございました
[音楽]
48:43

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