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2022-06-15 24:53

#15 アリストテレスが語る「幸せ」のかたち

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


【内容】アリストテレスの善/理論知と実践知/犯罪の例え/幸福とは/理性の追求/近現代の感覚との違い/当時の感覚/アリストテレスまとめ/次回は感想・雑談


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00:00
(♪ BGM)
はい、ソレテツラジオ、今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回はアリストテレスの幸福論ということで、早速よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
まあ、幸福とか幸せって本当に普遍的なテーマかなと思っているんですけど、
アリストテレスはすごく明確に幸福とは何かみたいなことを結構書いて残してくれています。
今日取り上げたい本が「ニコマコス倫理学」という本なんですけど、
その冒頭で書いてあるのが、
「あらゆる技術とか研究、同様にあらゆる実践や意思選択は、
何らかの善、良いことを目指していると思われる」という風に書いてます。
へぇ~、プラトン批判しているのに善という言葉を使うんだ。
そう。
あ、プラトン批判しているわけじゃないか。
イデアを批判して、善のイデア、伝えは批判しているんだけれども、
何かというと、善とか良いことって、
アリストテレスの目の前のものを大事にするという観点をかけると、
ケースバイケースだよね、ということを言ったりするのね。
そうなんだ、そこはケースバイケース、いいね。
そうそうそう。どういうことかというと、
例えば善そのもの、良いことは何かとかって、
もちろん哲学的には考えたら面白いかもしれないんだけれども、
例えばお医者さんが良いこととは何かとかを知っても、
別に目の前の患者さんを救えないわけですよ。
とか、そもそも人を救うとは良いことなのかとか考えてたら、
そんな医者嫌じゃないですか。いや、助けてよ、みたいな。
そう、こっち血出てるんだけど、腹痛いんだけど。
そうそうそう。
じゃあ、医者っていうのは人を健康にするものだから、
その健康について知ればいいのかっていうと、そういうことでもなくて、
抽象的な健康でも理解するんじゃなくて、
目の前のとか、個々人の、目の前の人の健康っていうのが大事だよねと。
なるほど、はいはい。
前から前々回から、学び立てのお医者さんとおばあちゃんの知恵部校みたいな比較もしたと思うんだけど、
良い医者っていうのは、目の前の人を健康にできる人が良いお医者さんであって、
健康そのものとか、全そのものを知ってるお医者さんが、
別に良いお医者さんというわけじゃないよねっていうことを言ったりします。
なるほど、お医者さんはそれで、ちゃんと目の前の患者さんを助けることで、
健康とは何かを考えるのは哲学者の仕事でしょ、みたいな。
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まあそうそうそう。哲学者の仕事というか、
それが良いことだよって言うと、いやいやそんなこともなくない?
健康っていう、理想的な健康を知るっていうことと、
お医者として良いことをなすっていうことは違うよねっていうことを言うのね。
ああ、そっか、なるほど。
そうだね、確かに。それをじゃあ、理想的な健康にたどり着いたとして、
それを税に広めましょうってちょっと宗教チックになってくるしね。
不可能だしね。目の前人が気がしちゃってるし。
だから最近は、医者っていう人を考えると、そうじゃないあり方だよねと。
それをちょっと一般化して言うと、
要は理論としての知識と実践としての知識っていうのは明確に分けましたと。
結構ソクラテスとかは、徳がちなりみたいな感じで、
主軸とか=徳とか、良い人生につながるよみたいなことを言うんだけど、
結構それとは違う考え方なんですね。
これも例としてちょっとわかりやすいか聞いてみてほしいんだけど、
例えば何か罪を動かしました。
物を盗んだりとか、人に迷路をかけたりしたっていう時に、
なぜ自分は物を盗んだのかとか、人を殴ってしまったのかっていうのを、
理論的に分析しても、別にそのやったことじゃ取り消されないじゃないですか。
そうだね。
物を盗んでしまったことは取り返しはつかないんだけれども、
それを分析仮にしたとして、
それを実際にどうすれば次盗まないようにできるかとか、
あるいはどういう風な償いができるかっていうことは、
未来に生かすことができますよねと。
これで言うと、前者の過去を分析したりして得られるものってのは理論値。
後者の未来に生かしていくとか、どうすれば償えるかっていうことが実践値。
みたいな感じなので、常に何かを知るっていうのは、
未来を良くするとか、抽象的に何かを知るんじゃなくて、
それを実際に世の中に生かしてこそ意味のある実践の知識だよねっていうことを言います。
はいはいはい。
ここは何だか分かるかな?
うん、分かると思う。
ちょっとちゃんと理解できてるかは分かんないんだけど、
今の犯罪の話で言うと、多分理論値と実践値ってあったときに、
過去にその人が犯した過ちっていうものを理論的に分析する。
なんでそれをやっちゃったんだろうとか、背景はどうだったんだろうっていうのを、
さっきのその憲法とは何かで言うと、
そもそも人はなぜ犯罪を犯すのだろうか、みたいなことをひたすら考えていくものが、
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仮に理論値だとして、多分当時そこで止まっちゃう、
その憲法とは何かだったり、その犯罪とは何かみたいなことをひたすら考えていく。
止まっちゃうと、それは不十分というか、現実世界ではあまり使えないことがあるから、
それを踏まえたり踏まえなかったりするか分からないんだけれども、
犯罪が起きてしまったと。
それを罪にどう防ぐか、例えばその人個人だったりとか、
もしかすると社会としてというふうに考えていくと、
一旦その理論値を使うのかもしれないんだけれども、
そこをこの人とか人間が罪犯罪を犯さないためには、
具体的にどうするのということをちゃんと考えていきましょうね、
というところが実践地みたいな理解でいいのかな。
ちょっと言葉が理解に多分追いついてないからね、グチャッとしてるんだけど。
そうだよね。確かに理論値と実践地って結構突然言葉がバンバン出てきちゃったんで、
分かりづらかったかなと思うんだけど。
実践地のほうが分かりやすいかなと思うのが、考えていきましょうっていうよりは、
考えた結果、出てきた知識というか結論みたいなものが実践地、
実際に関わる知識だったり、技術っていうことを大事に言うんだけど。
ああ、はいはいはい。
例えば、物を盗みたくなった時に、
例えば過去盗んだ時に罰された何か証、警察署に撮った写真でもいいんだけど、
っていうのを見て自分を落ち着かせますみたいなことができるとしたら、
それも一つ自分の何か物を盗みたいっていうものを気持ちを抑える技術というか、
実践的な知見、知識になるじゃないですか。
はいはいはい。
っていう感じで、この例が適切だどうかをちょっと僕も今話しながら微妙だなって思ったんだけれども、
そういうなぜ犯罪を犯したとか、なぜ自分は犯罪を犯してしまったのかっていう知識と、
とりあえず何かもし盗みたくなったら、警察署の写真を見るみたいな知識って質が違う。
はいはいはい。
けど犯罪を犯さないっていうことに対してで言うと、その警察署の写真を見るっていう方が有効だったりするよねと。
うんうんうん。
っていう形で、要はその抽象的な何か理想的なものだけを考えるんじゃなくて、
その時々にあった適切な知識だったりとか技術っていうのを身に付けるのが大事だよっていうような考え方かな。
なるほどなるほど。確かにその健康についてめちゃくちゃ知ってる人とか考えた人が、
どうしても病気になっちゃったり、怪我しちゃったりするみたいなことがあるのと同じように、
犯罪について知ってる人も具体的には何かある一定の状況下に置かれたらそりゃ犯罪も犯すこともあるでしょうみたいなことがあった時に、
09:08
どうしても特殊な状況みたいなもんが起こって怪我したり犯罪を犯してしまうみたいなことがあった時に、
とはいえそれはやっぱり予防したいよねっていうニーズみたいなものが社会的にあったとして、
そこを具体的にどう考えていくっていうのがその技術だったりとか実践地みたいな、
そこを一生懸命にせずにさっきのあれだよね、動物のイデアに一生懸命にまとめんなよみたいな話で、
こういった天候っていうものをちゃんと概念と実践地に分けてそれぞれについて考えるっていう、
そこを分けた方がいいっていうとあれだよね、そこをまた分けましょうっていうようなイメージだから。
分けた方がいいわけではなく分かれてるよね、違うものだよねっていう提示かな。
ああ、そっかそっか。今まで分けてなかったよね、分けるよね、分かれるよねっていう。
そうですね。なので、そういうような形で分けていってそれぞれをしっかり考えていくっていうのは結構アリステテレスに特徴的な考え方というか進め方なので、
というような形でアリステテレスが善を目指している、良いものを目指している時の良いってなんだっけみたいなことから考えていく話なんだけれども。
うん、また幸福の話にたどり着いてないね。
そうそうそう。次が幸福の話で、じゃあみたいなやつときに、人、要は医者であればドロボであれでいいんだけど、人っていうものを考えたときに、
これもね、兄貴が確かにって言えるかどうかは分からないんだけれども、人が何か良いって思うときに、良さっていうものを突き詰めていくと、
その一番突き詰めた先には幸福っていうものがありますと。
うんうん。
ということがあって言うと、人が何かをするときっていうのは常に幸福っていうのを目的に行われる。
うん、うんうん。
まあ分かると思う。
ご飯食べたいんだったら美味しさを感じて幸せになりたいからだとか。
まあ、まずは腹満たしたいとかね。
そうそうそう。腹満たしたいんだけど、腹満たすっていうのも結局は腹を空いてるっていうところが不幸だとかひもじいからだっていう。
っていうふうにいろんなことを考えると、結局何をするにも幸福を向けにするから、幸福っていうのが人間が一番求める良いものですよと。
じゃあ幸福って何かっていうと、アリストテレスというのはそれはよく生きることなんですよと。
ちょっと入れっこになってるんだけどね、これも。
うんうん。
そういうことで生きるって何かっていうと、人間にとって特有の働きを生かして生けることなんですよ。
それっていうのは理性の働きなんですよっていうところまで言うよね。
12:00
うーん、そうなんだ。
そこまでいくとちょっと納得できない人もいると思うんだけど。
そうだね、さっき腹減るみたいな例えがここで通じなくなっちゃうね、理性って言われると。
そう。結構それはアリストテレス後の人たちに結構分かれてきてて面白いんだけど、
お腹すきました、欲望の輪にご飯を食べるのが幸せです。それでいいよねって考える人もいるし、
でも、むさばるようなものは動物と同じなんだから人間の理性を働かせて、適切な量を食べるのが大事だとか。
むしろ空腹に打つ勝つのが大事だみたいなことを考える人もいたりします。
あー、そっか、確かにそうだね。
それはその時の時代の状況によるよね、基金が起きてたりとか、意外と食べ物が豊作であったりとか、全然違うだろうね。
そうなんだよね。
人によってもどっちがより真実だみたいになっていくんだけれども、
流派とか、人によって何が真理かって違うから、その人によってっていうのがあるんだけど、
そこでアリソテルスは、人間というのは幸福を目指します。
幸福っていうのはよく生きることで、それは人間に得意な働きで、理性をよく生かすことです。
これは結構プラトンとも近いんだけれども、理性って神からもらったというか、
真実、イデアを見れる働きが理性だから、神様に近い働きだっていうのを言ってるんだよね。
これはアリソテルスもそこについてはどう?
プラトンの話ね。
プラトンがいてて、アリソテルスもそこについては結構近いことを言えます。
あー、そうなんだね。
理性の働きというのを突き詰めると、結構神の領域に近づくんだみたいなことを言っていて、
なので、よく生きるっていうのは、ただその理性を持っているとか、人として生きているというだけじゃなくて、
その人が持っている理性の働きだったりとか、技術とか、そういったものを磨いていって、きちんと発揮することが大事なんだよっていうね。
へー、そうなんだ、そんなこと言ってるんだ。
だから、理性というのは神からもらった力だから、
つまり人間だからといって、人間のレベルで満足するんじゃなくて、
自分の理性というものを磨いていって、ある種、神のレベルまでたどり着くというか、
自分自身の最高の良さに従って生きるように努力すべきだみたいなことを言ったりします。
ちょっとね、マッチョっぽいというか、強くあれみたいな感じを僕は感じたんだけど。
15:00
まあそうだね、だし、ちょっと意外だったのは、神が出てきたってこともなんだけど、
僕の時代から2500年近く前からの時に、
あのー、あれだね、食、全然詳しくないけどさ、
キリスト教とかで宗教改革の後に、プロテスタントとかの職業、
食料に励め、労働は大事だみたいなさ、それにちょっと近いさ、めちゃくちゃ頑張りましょうみたいな話を、
近いなーってちょっと思って、そういう自分を高めるべしみたいな話してたんだなと思って。
そうだね、なんかその経済的な理由ってよりは、要は自分が持ってる能力とか力というのを最大限発揮するっていうことが喜びであるみたいなことを言うのね。
ああ、そっか、そっか、そっか、そうだね、プロテスタント、その時代に言うと、個人が罪を成すみたいな話を正当性のためにそういう話をしてたかもしれないけど、
もっと人間の根源的な話で愛想テレスをしてるんだ、そっかそっか。
そうだね、だから結構最近の日本の職業感とかにも近いかも。要は世の中にある仕事をただやるんじゃなくて、自分の強みを活かしたいとか、
そのほうがハッピーだよねみたいなのがあるじゃないですか。
ああ、確かにそう言えるかもね、なるほど。
だから医者だとしたら、やっぱり医術とか医療の力と磨いていって、その優れた医者になるっていうことがいいことだし、
芸術家ならその芸術の力を磨いて、優れた芸術家になるっていうことが大事だしみたいな。
それっていうのは結局、それを通じて最終的には人として幸福になるとか、人として持っている力というのを最大限発揮するっていうことがよくいけること。
人間としていけるある種目的というか、目指すべきものなんですよっていうような形かな。
はいはい、なるほどね。
これは確かに、アイソテルスの最初のほうであったけれども、最後の最後、アレクサンドロス大王が死んでしまった後、
アテネから追放されたというか、有罪になってから脱出したみたいな話だったけど、
確かにソクラテスがやってたことと、ちょっと近いかもね、人間がこうあるべしみたいなとこを見えなくもないね。
18:03
さっきマッチョっぽいみたいな話もあったけど。
人からすると、俺はダラダラして生きていきたいんだみたいな人からすると、耳が痛いというか。
そうだね、だったりとか、これも変な話だけどね、あんまり民主?
当時って民主制だったと思うんだけど、
上に立つ人と下にいる人たちで言うと、下の人たちがそんな感じで頑張られて、みんな賢くなっちゃうと。
下からの付き合いや、大変みたいな。そういうのもありそうだね。
あると思う。やっぱりそういう民衆というか、人は何かを言うっていうことがすごく強い力を持ってた時代だから。
それこそ今みたいに、投票というよりもっと直接的に広場で意見を言って、それに賛同すれば、それが民意にあるしなっていくというか。
そうなんだ。アテネ市民の中では、そういうアテネ市民だったら、そういう成人さんかそういう人たちはそれとお互い人権を言い合うというのが伝えられる。
そうなんだ。多数の結束がじゃなくて、いいぞいいぞみたいな方になった方が、はいそっち対応みたいな感じ。
アリステルスのちょっと前からいわゆるソフィストみたいな、奇弁を使ってた人たちはそれで勝って、打ち負かした、すごいみたいなところで尊敬させたみたいな時代が、アリステルスのちょっと前からあったから。
それだけじゃない、ちゃんと理論的にというか、ゴール的に考えていた結果、人間とはこうだよね、こういう風に生きていくのが幸せだと考えている。というのを一つ提示してくれていて。
さっき言った通り、アリステルスとか、いろんな考え方について、自分はこう思うとか、自分にとっての最善はこっちだとか、というのがどんどん分かれてくると、
いろんな考え方だったりとか、そのバリエーションが出てくる。
はい、なるほど。時代拝見もちょっとあまりよく分かってはいないけど、それこそあれだもんね、多分、マケドニア王国に多分支配されたというか、昔のアテネの範囲から、ちょっと多分、落ち目だった時なのかな、時代的には。
落ち目だった時だね、ソグラテスぐらいから多分そうだけど、やっぱりアテネがすごく力を持つ時から、スパルタが出てきたりとか、それこそマケドニア王国が広がって、それこそ異文化も取り入れながら、でもそれがアレクサンダルズ・ダイバーが死んでしまったところで混乱してみたいな時代が前後という感じだから。
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はい、なるほどね。そういう時に、人はどうあるべきかみたいなのをちょっと考えてやっていったってことなんだ。
そうですね。今みたいな話をすると、ディオ・ゲネスとかの話をしたら、多分、めちゃくちゃ面白いんだけど。
そうなんだ。また新しい名前、新しいってね。一回出てきたかな?プラトンの時に出てきたっけか。
出てきたかな?そう。アレクサンダルズ・ダイバーと対話したっていう、まあ、ちょっと神話的な感じだけど、こういう会話をしたんだよってのが残っている、手伝い役者がいて。
ああ、同じ時代の人なんだ。そう、同じ時代の人。こういう問答をしたいみたいなのが残ってたりしてて。
そういうのも、俺に触れて、また紹介していこうと思います。
まあ、いろいろあるね。面白そうだな。そう。調べれば調べれば、つきないですね。
はい。そんな感じで、ちょっと幸福論というところで、アレクサンダルズの話でいくと、もともと知ることを求める人っていうのは生まれてから知ることを求めるんだっていう話から始まったところで、
結局はそれが人間の理性の働き、人間が持っている力っていうものを十分に発揮して、いろんなものを知っていくとか、いろんなものを、あるいは理論地と実践地っていうものがあって、
理論的に、普遍的に知るということと、目の前のことをより良くするために知るっていうようなことを通じて、よく生きていくとか、それによって幸せになっていくということが大事だよっていうような感じで、
すごい雑魚だけど、結構知るっていうことと、よく生きるとか幸せであるっていうことを、いろんな話をしながら説明してくれてる人がアレクサンダルズなんじゃないかなっていうふうに僕は感じますね。
この時間じゃおさまぎきれないくらいすごい人なんだろうなっていう変異をめちゃくちゃ感じた気がするよね。
物事を知るっていうことに対する姿勢一つとってもだし、イデアの批判だったり、その物事をどう捉えて、どうフォルダーを消してみたいなところを、
プラルトンは概念そのものを作って、アリストテルスはそのフォルダー分けをどうしようかっていうのをめちゃくちゃちゃんともう、
リード生前とやって、その上に立って、人々はどう生きるべきかっていう当時の時代の背景の中から、そこをきちんと定義というか、
それがいい悪いじゃなくて、そうでしょうくらいのレベルで考えた人、という意味で、それぞれのテーマに関して、多分それでも一部なんだろうけどね、
めちゃくちゃ深そうだなっていう、やっぱりそこらへん、今回やっぱりそこらへんですね、プラトン、アリストテルスっていうのが、人間の概念とか、そのものの根源なんだな、
根源なんだろうなっていうのを、また思った、思わされたって感じで、またに機会があれば、この人たちは戻ってくるんだろうけど、色々教えてもらいたいと思ったね。
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ぜひぜひ、そういったところも、ちょっと次雑談またしたいと思うんですけど、ぜひちょっとね、そこらへんテストからプラトン、アリストテルスまで見たところで、
また患者事とかこういう人たちは、そもそも改めてどういう人たちだったんだっけっていうところも、また話しながら雑談会できるかなと思いますので。
ぜひそうね、多分忘れてるから。
そうね。そういった形で、ISSの幸福論の話、ニコマコス倫理学をもとにお話させていただきました。ありがとうございます。
ありがとうございました。また次回もよろしくお願いします。
お願いします。
♪~
24:53

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