1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2023-05-21 37:14

#112 自分の頭で考えるってどういうこと?フッサールの現象学

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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フッサールの現象学とは
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学院馴染みのない兄の兄弟2人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の菅野聡介です。 弟のハヤトです。よろしくお願いします。
さあ、今回から久々の西洋哲学ということで、たびたび話題に上がっていたフッサールの現象学というところでした。
そうですね、やっと取り扱えるなぁというところで、これまでもね、本当にそれこそ、なんか俺にフランチの名前だけやって、いつか会いたいって言ってきたと思うんですけど、
自分の中ではですね、結構ニーチェと同じぐらい、その哲学が好きになるというか、なんかもっと哲学のことをやりたいっていうふうになったきっかけの人でもあるんですよね。
なぜかというと、自分の頭で考えようとかさ、
もっと頭を使おうみたいなことってよく言われたりするじゃないですか。
でも結構あれって難しいなぁと思う時に、実はこのフッサールとか現象学、フッサールが始めたと言われる現象学の考え方を知ってるかどうかで、
自分の頭で考えるっていうことのやりやすさっていうか、そういうことね、みたいなのが全然違ってくるなって思うんですよ。
なるほど、じゃあ結構よく言うもんね、上司から自分の頭で考えろよとか、それぐらい自分で考えてこいよとか言われた時に、上司はこれを渡すべきなんだ、現象学を。
本を渡すべきなんだ、これを読んで勉強してこいみたいな。
このソイデッドラジオを渡してくれたらわかるかもしれない。いきなりフッサールの本渡されたら多分嫌いになると思う、その上司のことを。
そう、そう。
言われた時にさ、言われた方はわかんないわけよね。僕も20代の頃とかにさ、お前もっとちゃんと考えろよとか言ってさ、でも考えたし、みたいな。
そうだよね。そもそもね、そこが難しいと思う、確かに。
まあ、みたいなことがあるので、もっと言うと、自分ってそもそも今どうやって考えてるの?みたいな話って、やっぱりそれって可視化しにくいというか、いわゆる何かと比べられないじゃないですか。
うん。
うん。もっと言うとやっぱりさ、物語からついてる時から、何らか成長する中での変化はあるとしても、やっぱり考えるやり方ってそれしか知らない、基本的に。
まあ、そうだよね。
そう。私、例えばさ、それこそ仕事でロジカルシンキングとか、考えるためのツールとかスキルを身につけようみたいな話があったとしても、そもそも自分がどんな風に考えてるかを考えましょうとか、それをより良いようにしましょうみたいな話って、やっぱりどう取り扱っていいかわかりにくいかなと思うんですよね。
うんうん。難しいね、それは。
難しい。
うん。
自分の頭で考えるということ
もちろんいろんなセミナーとか、そういうコーチングとかあると思うんですけど、結構そこに哲学的に深くやっぱり真っ直ぐ切り込んでっていうのが、フッサルの原子学だなっていうふうに自分は思っていて。
へー、すごい面白そうだね。
そう。
はいはい。
結構その哲学が苦手とかっていう人でも、なんかこのフッサル的な考え方とかに関しては、なんか面白いっていうふうに感じてもらえるんじゃないか?
へー、あ、そうなんだね。
そんなふうに僕としては考えて、ちょっと今回もそういう観点でお伝えしていきたいなというふうに思ってます。
そこでね、やっぱり哲学なので難しいというか、いろんな言葉とか概念が出てきたりはするんですけど、それも含めてね、しっかりお伝えしていきたいなという感じですね。
はいはい。へー、なんでこんなさ、それこそ結構大事じゃん、自分の頭で考えるとか。
大事。
やっぱりハヤトもほら、兄ちゃんも好きでとかって結構ガッツリやってくれたけど、こういうのをもっと早くやってほしかったなーみたいなのがあるんだけど。
でも難しいって言ってたよね。
難しい。
ここで取り合えた理由みたいなのがあるんだなって。
そうね。やっとこう、もっと言うと、ふっさりの難しさって、ちょっと次回とかまた話そうとは思うんですけど、そもそも自分がどう考えてるかっていうところを一歩離れて考えるっていうことがやっぱ必要だなと思うのね。
要はその、何かを相対化しようとか、これまで考えてきたみたいに何かを対象として思考するとか、何かについて考えてなった時に、自分について考えてないと自分を対象化するからそれが難しいみたいな話を結構これまでもしてきたじゃないですか。
はいはいはいはい。
考えることについて考える
まさにこのふっさりの幻術学は考えることについて考えるというところがあるから、考えるっていうことを対象化するってどういうことなの?みたいなところから入ってくるんだよね。
なるほど。そっか。結構レベル高いのか。心理とは何?ある意味、自分の外にある心理とは何か?とか言ってる方がある意味人間としては想像しやすいというか、語りやすいみたいなところがあるってことなのかな?
自分自身やっぱりテーマとして、自己分析とか自分を考えるみたいなところってまだ入りやすいと思うんですけど、今言ったみたいなふっさりの考えることについて考えましょうとかみたいな話って、たぶん半年前とかに言っても、ちょっとよくわかんないような、たぶん兄貴もなってたと思うんだよね。
はいはい、なるほど。そういう意味では哲学だったりとか、物事について考えるとか、言葉を操るとか、そういうちょっと素養があまりに無さすぎると、本当にわからずに終わる可能性がある話かなと思ったりしたところもあり、
あとはやっぱりどっちかというと、原子力学からもちろんいろんな、前も言った通りサルトルとか、そういう構造主義が出てきたわけではないんだけど、その後の時代がもちろん出てくるものではあるんだけど、その後の話をしたときに、
なるほど、サルトルのそういう考えの根本にふっさりの原子力学があったのねとか、あの時言っていた、自分から到達していって世界が見えてくるみたいな話ってそういうことだったのねみたいな、そういう理解の仕方の方が割と皆さんもイメージしていただけやすいんじゃないかなっていうところもあって。
うんうん、なるほどなるほど。
あと実は前回まで禅とか臨済をやってたじゃないですか、臨済とかもちょっと違うんだけど、やっぱり自分が仏だとか、自分がやっぱりある種、すごく世の中に対して重要な意味を持っているとか、自分と仏の同一性みたいなところが大事だみたいな話をしたときに、
ちょっとそういう雰囲気も原子力学ってあるはあるんだよね、全然違う話ではあるんだけど、そういうところも比較しながら話ができるかなっていうのもあって、このタイミングで持ってきたみたいなところがあったりします。
なるほどなるほど、いやーでも楽しみだね。やっぱりみんな体験してるはずだよね、自分の頭でさ、自分で考えるよみたいなのはさっきやったけどさ、そういうことでね、劇あるはずだから、すごく楽しみだな、そういう実生活につながるんじゃないかっていうテクニック的な意味でもね。
まあそうよね、ただ知識を増やそう、楽しめる人もいるとは思うけど、やっぱり何か実際に役立つようとか、これはメリットがあるよっていう方が結構良かったりするじゃないですか。
まあだし、早藤も元々それでしょう、幸せとは何かとかさ、幸せに生きるとは何かみたいな、ある意味そういうところへアプローチだから、そこはやっぱり重要というか、そこなしの知識を詰め込むだけっていうのもなかなか難しいんじゃない?
まあ確かにそれはそうだ。やっぱり役立つって話もあるんですけど、純粋にその考え方とか発想とか、なんでそういうことをしようとしたのかっていうところも含めてすごく面白いのがやっぱりフッサールド原子力のすごさだなと思いますし。
これが今回フッサールドやるんですけど、次はハイディガーをやろうと思ってて、ハイディガー、兄貴あんまり知らないって言ってたんですけど、めっちゃ実学界では有名人。
有名なんだけど、意外と難しいみたいなところで、逆に難しすぎるって言われすぎて、逆にあまり知ってる人がいないとか、読んだことがない人がいないみたいなこともあったりするので、そのハイディガー。
言うても僕も存在と時間差はちょこっと、ちょこちょこつまみを見せつつ解説も読んでるぐらいなんですけど、いつも通り。
ハイディガーと、あとはもしこの原子力面白いねみたいな反響があれば、メルロポンティっていう原子力で有名な人で、近くの原子力っていう本を書いている、有名な本を書いている方なんですけど、そこまで一気に見ていきたいなって思われます。
もし反響がなかったら、ふっされたハイディガーだけで一旦いいかなって思ったりしてます。
反響次第なんだね。
反響次第です。
我々が西洋哲学にちょっと疲れてきたとかっていうのもありかな。
やりたいことがやっぱりありすぎて、原子力やったら次に分析哲学に行きたいなとか、
なんだそれ。
そうとか、また労使とかもやりたいよねとかってやりたいことがありすぎて、反響次第で1テーマその人を作かどうかを決めていきたいなっていう感じですね。
パッと聞いた感じ面白そうだけどね。
なんかこの頭で考えるシリーズみたいな感じで。
面白いとは思う。
その意味ではちょっとふっさわるとか原子力の面白さをぜひ伝えていきたいですよというところで、今回はふっさわるからやっていくんですけれども。
オーソドックスな感じで、ふっさわるさんという人はどんな人生を歩まれていて、なんでそんなことにある種問いを持って考えて、
原子力ってどんなものなのみたいなところを今日から3,4回お話しさせていただく中でお伝えしていきたいなというふうに思っています。
ふっさわるさんの人生
楽しみだね。そっかそっか。どんな人からだかね。確か今図ね。
ふっさわるさんが原子力の創始者だみたいな話はほぼ定説というかあるんですけれども、
彼は1859年に現在のチェコで生まれますと。サルトルが生まれたのが1905年なので、時代的には一世代上ぐらいの人。
ちょっと時代的には遡ってますよっていう感じですと。
ご両親がユダヤ人のドイツ系の生まれなので、後々第二次世界大戦の時にいわゆるナチスドイツの時代にあったら結構大変な苦労だったり困難な時期もあったというところはあるんですけど、
ちょっと今回はそんなに触れずにおこうかなとそこに関しては思ってますと。
子供時代はどんな子供だったの?そんな哲学の一部を作り出すような人ってどんな人だったの?みたいな感じなんですけど、
全然勉強面では優秀というところではなくむしろ出来の悪い生徒さんだったらしいんですよね。
意外だね。ちょっと珍しいかも。
これまでは結構天才だとか何でもできたみたいな人が多かったと思うんですけど、ただ数学だけはめちゃめちゃできて、かつ集中力がものすごいみたいな、そういう話が残ってるんですよね。
よく言われるとか書いてあるエピソードとして、子供の時にナイフをもらったんだって。これ使っていいよどうぞみたいな。
そしたらナイフを使おうと思ったのか、ナイフって自分で研ぐじゃないですか、研いしとかそういうので。
そうした時にあまりにも集中して研ぎすぎて、結果すり減っちゃってめっちゃ薄くなってましたみたいな。
でもそれを気づかずにずっと研ぎ続けてましたみたいなエピソードがあって、それって集中力なのかとか、いろんな疑問がないわけじゃないですけど。
単純な一言では片付けられなさそうな素養というか、性質な感じがするね。
自分の子供がナイフ渡して延々研ぎ続けてたらちょっと怖いっていうか、大丈夫かなって思うじゃん。
確認するよね、何があったのかね。
何があったの?それは集中力がすごい子だとはならないなって思うと、ちょっと狂気じみだというか、そういう部分があったのかなって思うんですけど。
そういう人がどういうその後の人生を送るかによってこの評価は変わるだろうね。
エピソードの意味合いがね。いい方向にいってよかったなっていう感じだったと思うんですけど。
やっぱり別にクラスのリーダーでとか、めちゃめちゃすごい学問的な才能を発揮してとかっていうエピソードが特にあったわけでもなく、
普通に大学に1876年なので、20歳というか18歳ぐらいで普通に進学されますと。
ただ最初の専攻は実は天文学だったらしいんですよ。
哲学じゃなくて天文学で入って、そこで出会った友人。
ただこれもただの友人じゃなくて、後々チェコの大統領になるマサリクさんという方がいらっしゃったらしくて、
フッサールの生い立ちと哲学への興味
その人と友人になって、彼から哲学はいいぞみたいな、面白いんだぜっていうのを吹き込まれて、デカルトとかイギリス系言論とかを学んでいったらしいんですよね。
僕としてはマサリクさんにむしろ共感するというか、聞いてくれる人がいて嬉しかったんだろうなとかって思うんですけど。
こいつを哲学者にしてやろうとか思ったわけじゃなくて、話し合うやつ、話聞いてくれる人がいたみたいな。
大学に行ったら、哲学の話めっちゃできるぞみたいな、聞いてくれるぞみたいな。
その中に引っかかったのがフッサルさんだったんだよと。
そこで哲学面白いって言って、哲学の道に進むかと思いきや、やっぱり数学が好きだったらしいんですよね。
なので、天文学から数学に学ぶ領域を切り替えますと。
そのまま論文とかも数学で書いてたらしいんですよ。
その数学の教授、かとしては哲学家なんだけど、その哲学家の中で数学を学んだらしくて。
そこで先生の助手とかをやって、数学的な論文とかをガッツリ書いてたんですけど。
そこからなんやかんやいろいろある中で、ブレンターノさんっていう、この人は哲学者であったりとか心理学系の人って言われることが多いみたいなんですけど。
この人の講義を聞いたときに、「俺はやっぱり哲学だ!」みたいなところに目覚めたらしくて。
哲学なんだけど、最初にやってるのは数学。
数字とか数とかって、そのものとして中小的な概念じゃないですか、基本的に考えると。
それの心理学的な基礎付けとか、あれは人間的な、数学って人間的に考えたら何なの?みたいなことを探求したらしいんですよね。
哲学と数学の結びつき
わからん、その問い。
直感点が面白いよね。普通考えないじゃないですか、数学って何?みたいな。
そうだよね。
これはまた次回ちゃんと言うんですけど、要はたぶん集中力だったりとか、その突き詰めたところがあったんだよねっていう話をさっきしたと思うんですけど、
要は数学の正しさって何に基礎付けられるの?とか、
はいはいはい。
数学ってそもそもなんでそんな営みができるの?みたいな、結構そういうところにアンテナが立ってたらしいんですよね。
なるほどね、そもそも的なところに行っちゃうような感じなんだね。
それはやっぱり哲学だろうみたいなところもあったと思って、哲学に行くと。
これが1887年なので、年齢としては28歳ぐらいかな。
なので別に遅いわけでもなく、ただずっと哲学をやってましたみたいな人でもないみたいな、結構そういうのがフサールさんの特徴というか。
なるほど、数学的な素養がそこそこ大学レベルまで全然あった人ってことだね。
そうそうそうそう。
その人が哲学に行きましたよと。
大原はですね、ぐんぐんと哲学的な著作っていうのを発表していって、40代後半で、いわゆる教授の仕事をポストにもついて、結構着実にキャリーは詰められていくみたいな感じなんですよね。
今回お伝えしていきたい現象学っていうのは、大体このぐらいの時期、例えば30代とか40代ぐらいから形になってきていて、そこから1938年にフサルさんは多分80歳ぐらいで亡くなるんですけれども、
結構その晩年に至るまで、若干テーマとか取り使う分野とかが変わるものの現象学っていうのが形を変えながら洗練されていくと。
なので、よく科学者とかである、ある時期にすごい発見をして、それで有名になりましたみたいな人っていうよりは、結構一生を通じて現象学とか自分の考えっていうものを深くつき詰め続けた人。
みたいな感じがフサルさんかなというところでございます。
はいはい、そうなんだね。30、40でそれがベストセラーになったとかじゃなくて、ずっとブラッシュアップし続けていったみたいな。実際どうなの?生きてる時にもうあの、現象学最高みたいな感じになってたのかな?
最高みたいになってなかったと思うんだけど、いわゆるそういう学派みたいなのができて、現象学を学ぶ人たちとか、それこそハイデガーってさっき名前出したんですけど、
ハイデガーも本当にフサルとすごく密接の関係というか、本当に一緒に共同研究ガンガンして、フサルからしてあなたと私が現象学だぐらいに言わせたぐらいの深い関係だったらしいんですよね。
そこは同じ時代でめちゃくちゃ深い信仰があった間からなんだね。
弟子と師匠みたいな感じでやっていて、またはそのハイデガーが後々別のというか自分の道を歩み出してしまって、そこが別れてしまうみたいな、そういう話もあるんですけど。
別に個々の哲学者とかっていうのではなく、普通にそういう人たちといろんな関係を持ちながらやってました。
それこそ波乱万丈って感じじゃなくて、もちろんナチスドイツが戦争の時は苦労したみたいな話はあったと思うんだけど、その時にはそういうアカデミックな領域で自分のやるべきことを淡々と貫き通した人みたいな感じじゃないですかね。
そうだね。そういう理解で結構いいのかなっていう感じです。
なのでそれこそサルトルアトラやレビュースロースの時やったみたいに、すごい世の中に知識人として出てきてとか、すごい戦争あるようなことを巻き起こしてとかではないんですけど、
やっぱりこの現象学っていう考え方とか、そういった発想っていうのは、じわじわその哲学の中に広まっていって、そういう考え方で物事を見ようとか哲学をしようという人がやっぱりしっかりと増えていった。
そういう意味ではすごく影響力がある人だよねっていう感じですね。
なんかいいね。渋いね。
確かに渋いかも。
そうね。その渋さがやっぱりなんでかって、そもそも現象学って何かっていうところにやっぱり紐づいていると思うんですけど、
次回以降はちゃんと詳しく話していくんですけど、そのある生涯をかけてアカデミックな世界の中で考え続けた。
ふさわれて何を見出したんですかって皆さん気になると思うんですよ。
あと何を乗り越えたのかも気になる。
そうだよね。
一言で言うと、学問とか科学の基盤が何かっていうと、それは生活世界だっていうことをふさわら見出したって言われてるんだよね。
これだと全然わからないと思うのでもちろん今後は言っていくんですけど、
学問と日常世界の関係
今の日常的な感覚だと、数学とか物理学とか社会学でも経済学でもいいんだけど、
学問っていわゆる日常的な生活じゃなくって、そこから切り離されたアカデミックな世界とか、専門家が得るものだよねみたいな。
自分たちも何となくそれの恩恵を受けているとは思うんだけど、
直接的というよりは間接的にいろんなサービスとか商品とか通知だよねみたいな感覚ってあると思うんですよね。
はいはいはい。
実はただそれって、今の時代はそうかもしれないけど、もともとそうじゃなかったよねとか、本当は別にそういう実生活とかと切り離されて学問があるわけじゃないよねっていうようなことをふっさわれは考えていくんだよね。
僕らはふっさわれが言うような検証学的なというか、そういう世界には生きていないんですよ。
そうなんだ。
生きていない。
じゃあさっきの言葉を地面通り受け取っちゃダメなのか。
そうダメ。生活世界っていうのを日常的な世界っていうふうに取られちゃうとちょっとダメで。
違うんだ。はいはいはい。
むしろそれを徹底した世界というか、それちょっとまた次の次ぐらいでお話しするんですけど、だから冒頭ちょっとお伝えしたように、自分はどうやって考えるかみたいなところを見直すきっかけになるんだよね。このふっさわれの検証学っていうのは。
普段あなたたちはこんなふうに考えてないと思うけど、よくよく考えるとこんなふうに考えることもできるよねとか、むしろそっちのほうが素朴だよねみたいな話があって。
はいはいはい。
そこから科学とか、いわゆる学問っていうのが出てるんだよみたいなことを、ふっさわれはすごくいろんな概念とか、話し方を変えながら言ってますと。
できる限りそれはやっぱりわかりやすくお伝えしていきたいなと思ってますし、そこの感覚がわかるとその次の話の入れが、やっぱり世の中的には難解って言われてるし、実際は難しいっていうのはあるんだけれども、結構そういうことねみたいにスッと入ってくるんじゃないかなっていうふうにちょっと期待してる部分もあるんですよ。
ほうほう、そうなんだ。それはいいね。
そうしたらやっぱり面白いってなると思うんで、そういう意味でもぜひ一緒に楽しみながら、こんなこと考えてる人がいるんだっていうところも含めて、ぜひ理解を深めていただけるようにお話ししていきたいなというふうに思っておりますと。
ほうほう、楽しみだね。
パッとさっきの学問は生活であるみたいな、生活と通ずるべきであるって、そうそうそうってなっちゃいそうだけど、実は全然違うんだね。
全然違う、そうそうそう。
次回はですね、なのでフッサールがやろうとした学問を成り立たせるというのは何か、要はさっき言ったような数学って、これが正しいとか真理だとか、こういう意識を考えていったらこんなことが証明できるとかってやってるんだけど、
そもそもその糸の波って何でそれが正しいと言えるの?みたいなことが結構フッサールの大事な疑問というか問いなのよね。
かなりそもそもっていうところに、その時代のその時の感覚でいうところに切り込んでいったというか、そういう感じなんだね。
だからもっと言うと、これもちょっと次またちゃんと話すんですけども、もともとは全部哲学だったわけだよね。
学問の成り立ちについて
自然科学って分からない生きてきたのっていうのは本当に大学がちゃんとできていって、それが専門化、細分化していった本当に19世紀から20世紀の時代からだから、
今こんだけ学問が細分化されているとか、学際的な研究が必要でそれをつなげなきゃいけないとかって言われているのも、結構現代とか近代の問題なんですよね。
ちょっと原点回帰みたいなところはあるんだね、もともと。
逆に言うとやっぱりふっさるからすると、もともとは一つあった学問が細分化されていくとか、それこそ物理学とか社会学とか経済学とか心理学とかいろんなものが分かれてきてるんだけど、
そもそもそれを全体として取る時の科学とか学問って何で成り立つんだっけとか、成り立ってるって言えるんだっけみたいな、やっぱりまさにそのそもそも論?
なるほどね。学問ってすごい崇高なことをやってるように見えるけど、結構大元の目的とか本来みたいなところを失って、かなり細かいところ、理由的なところ、表面的なところになっちゃってるのではないかみたいな、そういう部分なのかな。さっき学際的ってあったけどね。
ごめん、ちょっとそっちはね、現代の課題に寄りすぎちゃってる感じがあって。
なんか銃箱の炭を作るぞみたいなことというよりは、もともとは哲学で一個だったから、その哲学がなぜやるのかということを考えたかったんだけど、数学とか物理学とかっていろいろなった時に、
そもそも、例えば兄貴がやってた経済学でもいいんだけど、経済学的な議論が正しいとか役立つとか、あるものの考え方を真実としようみたいなことって、なんで成り立ってるのっていうことなんだよね。
その正しさって誰が保証してるの?何が保証してるの?みたいな。
なるほどなるほど。そっかそっか、その正しいっていうのはね、確かに今までの哲学の話を聞いてると、その正しいっていうのも相対的であるべきで、それがなんで学問的な立場で絶対的な真理みたいな形で示されちゃうんだろうねっていうところに疑問を持つって話か。
そういう姿勢を持った学問というものに対する提言みたいな話だね。
学問的な立場とは何か
そういうことです、そういうこと。
いやーすごいね、それは。
なかなかこれも持ちにくいアンテナというか違和感だと思うんだよね。
だってね、論文が褒められたりとか、注目を呼びたりしたらもう満足しちゃいそうだもんね。そういう話じゃないぞっていうことか、だけじゃないぞとね。
そうだけじゃないぞとか、じゃあその正しさって結局何によって保証されているのとか、それを保証することできるのみたいな。
みたいなところを次回ですね、もう少し詳しくその時代背景とかフッサールの関心というところも踏まえてお伝えしていきたいなというふうに思っておりますと。
なるほど、いやー楽しいよね。最後一個ハイトに質問したいのが、このフッサールってそもそもニーチェぐらい好きみたいなさ、いつどんな感じで出会ったとかってあるの?フッサールにそもそも。
えっとね、いつぐらいだったかな?なんかその、それこそやっぱりなんか、僕自身も思ったことがあったよ。なんか考える、もっと正しく考えられるようになりたいとか、なんか自分の考えていることをもっと洗練させたいと思っていると、
なんかやっぱりこう、自分一人が考えるよりもせよ、過去こんだけの人、偉人とかさすがに哲学者とかすごい人たちがいたわけで、彼らみたいに考えられたら、なんか自分の考えていることをもっといいものになるんじゃない?って思った時があったんだよね。
おー、なるほど。考えるレベルについて考えたことがあるんだね。
そうそうそうそう。メタ考えるみたいな。
あの、所詮自分が考えたことなんてしょうもないって思ってるから。最近はね、ちょっと変わってきてるけど、そんな時代で、たぶん20代のそれこそ前半ぐらいかな?に、なんかそういうのってないのかな?っていうのを探してた時に、その原子力っていうのに出会って。
はぁー。
うん。で、その時は全然わかんなかった。何言ってるんだろう?とか。
あー、そうなんだ。えぇー。
なんかその、それこそ、どっちかっていうと、今みたいな話よりは、なんかエポケみたいな、そういう専門的な言葉がいろいろあるんだけど、エポケとか、ノーエマーとかノーエシスとか、そういう原子学とはみたいなものから入っちゃって。
はいはいはい。
それが結局、なんで出てきた発想なのかとかっていうのがわかんなかったんだよね。
あー、なるほどね。はいはいはい。
なんかその、たぶん、それこそ4、5年後ぐらいか、それこそ20代後半ぐらいの時に、もう一回実はやろうと思って、いろいろ本を読んでた時に、そもそもフッサルというのはそういうことを考えた。
要は、今世の中で学問っていうのが、そもそもなぜ正しいのかとか、そういう風に考える。学問的に考えるっていうことも一つの相対化する考えるなんだみたいな。
いっぱいある考えるっていう中の一つだよみたいなことを言っていて、なんかそれって今俺が考えたいことと似てるかもとか、近いことに似てるかもみたいな。
ところから入った時に、近いどころか全然もっと深いこと考えてるし、とてもお呼びもつきませんでしたみたいな。
はいはいはい。
そう思って、フッサルすげーみたいな、原子学すげーみたいな。
なるほどね。じゃあファーストコンタクトは本当分かんなかったんだ。本当に上司からこれ読めって言われたら、分かんないぐらいでやっぱ。
そうそうそう。
感じあったんだ。
一回スルーしちゃったんだよね。
それは面白いね。
なのでニーチャーはどっちかっていうと、姿勢とかさ、強く生きるぞみたいな、自分の生き方みたいなところを含めてかっこいいすごいみたいなことを思った部分があったんだけど、
フッサルはどっちかっていうと、やっぱり物事をちゃんと突き詰めて考えるぞっていう時に、
なんかこれは外したらダメだというか、ちゃんと知らなきゃダメかもみたいな風に思って学んでみたら、やっぱりそうだったみたいな。
なるほどね。5年越しのね。4,5年越しの。
自己疑問と哲学
4,5年越しの傷つきとかタイミングでハマったというか。
はいはいはい。なるほどね。
いやー、じゃあそんだけ難しいってことはね、そういう自分で疑問を持って考えるとはなんだろうかみたいな。
昔の哲学者みたいに考えられれば自分の考えとかことを専念されるんじゃないかみたいなことがあって、その疑問があってぶつかったのに最初は全くわからんみたいな。
そうそうそうそう。何を言ってるんだこの人はみたいな。全然わからんみたいな。
言いたいですね。じゃあちょっとそれをわかりやすく教えてくれると。
わかりやすいかどうかは知らんけどね。
あくまでも僕柄から理解した流れで言うので、わかりやすいかもしれないけど、逆にそれが皆さんがわかりやすいかとか、皆さんの興味関心に沿うかとかはあるかなっていう。
そんな感じで自分の思いも乗せつつ、今回も話していきたいなというところで、次回はもう少し原初学に入る前の土台というか、前提のところをもう少し詳しくお伝えしていきたいなと思っております。
了解です。楽しみだね。次回も言葉の定義とか見ながらね、理解していきたいなと。自分の頭で考えられるようになりたいなと思うので、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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