働くことの発端
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、働くことと哲学の第2回ということでやっていきたいと思います。
はい、前回ですね、ちょっと最後の最後に、実は器をまだ作っている段階でしたっていうところにいたと思うんですけれども、
そのハンナ・アーレントさんという20世紀の政治哲学者の方の発想を借りながらですね、
いわゆる仕事っていうものを掘り下げるときに、この労働という生きるためにやらなきゃいけないことみたいなところと、
仕事っていう何かを作り出すっていうことと、活動っていう自由な営みみたいな、そういう3つがあるよっていう話をしたと思うんですよね。
そうだったね、はいはい。もうなんか前回でさ、ハンナ・アーレントと古代ギリシャとか、中世とかさ、その辺の出番も全部終わったと思うんですよ。
違う違う違う、まだ本当器なので、器の上に今回はより詳しくですね、古代のギリシャの時代とか、
中世のキリストがやまでは今日言っちゃおうかなと思うんだけれども、僕らからすると少し古い時代、あるいは文明以前の時代みたいなさ、
本当に日本でいうところの縄文時代みたいな感じで、狩猟民族でしたみたいな。
そういう時代の労働とか働くってどういうことだったんだろうねみたいな、そういう話をしていければなというふうに思っております。
狩猟民族の生活
それをやることで、3回後ぐらいには、こういう過去の流れを踏まえて、僕らの働くっていうことに対する捉え方とか、考え方ってどういうふうにしていく方向性があるんだろうねみたいな、
そういうのが見えてくるといいなと思っているんですよね。
今日また本も紹介しようと思うんですけど、今日参考にしているのが、今村ひとし教授の、仕事って言いますね、そん物ズバリのタイトルの本があるんですよ。
これ面白くて、この本が出たのは1988年なのでちょっと前なんですけれども、それが文庫本で復刊されて、今出てるんで結構読みやすくなってるんですけど、
まさにこの仕事っていうものの時代的な流れとか、そもそもこの仕事とか労働をどう捉えるべきかとかってまさに書いているような本なんですよね。
ちょうどバブル弾いてる前ぐらいの人が何を書いてたんだろうな。
結構面白いんだよね、それが。
今回もお伝えしてくるんですけれども、まずそもそも前回古代ギリシャの話をしたんですけれども、その前に未開社会ってちょっと差別用語っぽくなっちゃうんだけれども、
要はそういう生産とかじゃなくて、まさか狩猟民族みたいな人たちが生きていたんですかって話と、その中で労働とか働くってどういうふうに捉えられてたんですかって話があるんだよね。
これも深めていくと、どこまででも深まっていくんだけれども、めちゃめちゃわかりやすく言うと、
例えば狩猟社会ってこれ、最近ちょっと一般化してきてるのかな。
思ってるほど苦しい社会じゃなかったですよみたいな話って聞いたことあるかな。
あんまりイメージがそもそもないかな。
大きなイメージだと、要は農業とかの方が安定的に食料とか生産できていきやすくって、
狩猟民族とかってむしろ獲物が獲れなくてお腹空かしちゃったりして大変みたいな、
昔の方が大変で、現代に近づく方が楽みたいな、そういう発想ってないですかね。
それはある。そう習ったよね。狩猟採取よりも農耕の方が安定するみたいな。食料生産も。
それにかかえられる人口も増えるじゃんみたいな。そういう言われ方知ってるよね。
歴史的にはそういう話があるんだけれども、
サピエンス禅師とかって何年前かな、多分10年くらい前だと思うんだけれども、
流行ったときに、いわゆる定住革命とか小麦の奴隷みたいな話で、
一地に住むことになったことで人類がすごく苦しくなっていたとか病気が流行っていたとか、
そういう発想が少しずつ広がってると思うんですよね。
そういう流れの中で、実は狩猟民族ってめちゃめちゃ豊かなったんですよ、みたいな。
そういうふうな話もあるんですよ。
どういうことかっていうと、やっぱり古代のことはわかんないんで、今でもいらっしゃる、
いわゆる現住民ってあれだけども、そういった生活を今でも依存している人たちの生活を調査してみると、
いつの間にか生存のためとか生きるためにやっている活動って、
1日4時間くらいだったんですっていう調査があるんですよ。
なるほど。
つまり、ペッキの実を獲るとか動物を獲るとかっていうときに、
そんなめちゃめちゃ時間かけてやらないわけですよ。
別にそこに行けばあるしとか、動物も豊かだから、
全然4時間くらい頑張れば、その日食べる分は、あくまでその日食べる分ね。
動物は手に入りますと。
その他の時間何してるかっていうと、おしゃべりしたりとか、儀式したりとか、お昼寝したりとか、
そういうことを普通にのんびりやってるらしいんだよね。
あー、なるほどね。
そうかそうか、死に物狂いで、今日食べるものもみたいな感じじゃないってことだね。
そうそうそうそう。
もちろん現代の人たちでいくと一定の濃厚というか、栽培とかもしてるんだけど、
それも、獲れたらもうおしまいだとかじゃなくて、
獲れたら獲れた分だけ食べます、お芋とかなんだけど。
っていう感じで、火こらえて水運んできてやってるとかじゃなくて、
それやっぱ乾燥とかにも強いようなものを、ちゃんと考えて育ちやすいものを植えてるっていう話らしいんだよね。
なるほど、さつまいもなんてね、ちゃんと植えとけばあとは掘るだけみたいな。
そうそう、ある程度ね。
っていうのがあるので、それは別にめちゃめちゃ手間じゃなかったりします。
はいはい。
そういう意味で言うと、もちろんその日暮らしみたいなこととか、何かをため込むってことはないんだけれども、
それもあくまでも豊かにあるからであって、別に何だろうな。
ものが足りないから、毎日毎日足りない足りないって思ってるわけじゃないんですよね。
もっと言うと、いろいろ移動していきますと、
例えば夏はここで木の実を摂るけど、秋はこっちで魚を食べるとかになった時に、
当然移動していくわけなんだけど、そうするとため込むっていうことがもう邪魔でしかないわけよね。
まあそうだね、確かに移動の邪魔だね。
そうそうそう。なので必要最小限のものを持って動いて生きていきますみたいな、
そういうふうな生活って実は1年中とか人生に占める労働の割合ってすごく少ないんだよっていう話があります。
古代ギリシャの労働観
というところも既に僕らの仕事とか働くってイメージとか、古代の人たちってことのイメージとちょっと違ったりするんだよね。
そうね、確かにそもそも働く以前に生きるとは何かのイメージが違うんだよね。
そうそうそうそう。というふうなことがまずあるっていう話をした上で、
前回もお伝えした古代ギリシャとかどうだったんですかって話なんだけれども、
ここもですね、前回もお伝えしたけどかなり面白くて、やっぱり労働って奴隷のものでしたみたいなのあったじゃないですか。
それがもっというと、プラトンとかアレステですね、いわゆる前回のアーレントで言うと感傷的生活っていう、
そのイディアとか真理を求めることが大事ですっていうふうな発想の人たちからすると、
むしろ労働っていうのはやんない方がいいものよりも、むしろやると人間としても質が下がるみたいな。
そういうふうなものなんだよね。
それはあれなのかな、その本来感傷に使えてた時間が取られちゃうから、
自分よりも感傷してる人よりも、こう比較すると置いてかれちゃうねみたいな。
そういうことよりもむしろ労働すると、つまりそれは例えば生きるために不自由な自分っていうのを認めるわけじゃないですか。
つまりお腹空いたから食べるとか、足りなくなったから取りに行くとかって、
要は全然自由じゃないっていうふうにプラトンとかアレステが考えるんだよね。
そうすると本来人間っていうものはその能力を最大限発揮してより良いものになっていくってことが大事なのに、
今目の前のジュベナキャンとかネラキャンみたいな、それに支配されてる人間って、
全然その人間らしさを発揮しないよねっていうふうに彼らは見るんですよ。
わーすごいね、もう人間らしさの軸というか定義が全然変わってるね。
なので当時のアテネ市民とか自由市民からすると、
労働するとか働くっていうことは、ある種恥ずべきこと、恥じて、
それは自分の人間としての得とか良いものっていうものを削っていくような行いだっていうふうに見てるんだよね。
はいはいはいはい。
なので、さっき兄が言ってくれた労働しちゃうと時間が取られるとかっていうふうな対等な関係じゃなくて、
そもそも労働すると人としての質が減るっていう、
どんな暴論だよみたいな感じなんだけど、そういうふうな考え方なんですよ。
なるほど。
なのでやっぱり当時の常識で言うと奴隷っていうものをちゃんと確保して、
働くとか労働するっていう人間の質を下げるものは彼らになってもらい、
自分は学校とか行って勉強するとかお互い議論して学び合うとか深め合うとか、
そういうこととか、あるいは政治にもちろん参加するとかね。
そういう活動にちゃんと身を捧げていく時間をちゃんと使っていくっていうことが、
ある種、法ということというか。
はいはいはい。
むしろ人間として自由市民としての、
なんだろうな、在り方なんですよっていうふうな話なんだよね。
わー、なるほどね。はいはい。なるほど。すごいね。
自分でそっちやっちゃってる人はちょっと肩に狭いぐらいの感じなんだね。
肩に狭いどころか、同じ人として扱われないぐらいだと思う。
わー、恐ろしい。はいはいはい。
結構激しいでしょ、これ。
そうだね。たぶん自分が想像してる以上に違うんだろうね。
そこの差が大きいんだろうね。
うんうんうん。そうなんだよ。だから、面白いのがアリゾテレスでさ、
すごい万学の祖で何でもかんでもやり尽くしましたみたいな、
今の活動も他のことをアリゾテレスに伝わるんですとかっていう話があるじゃない。
そのぐらいすごい考えたりとか物事の本質を見てる人ですら、奴隷っていうのは必要だみたいな。
そこは揺るがなかったらしいんだよね。
揺るがないとかっていうか、そういうふうに本に書いてるらしいんだよね。
わー、そうか。ちゃんと考えて、そこについても考えた上で結論出してるんだ。
そうそうそうそう。
っていうぐらい、ある種、働くとか労働とかに対する捉え方が全然違う時代がありました。
うんうんうん。
そういうとこなんだよね。
なるほどー。
なので、前回またちょっとお伝えした、やっぱり仕事っていうのは僕らからすると、
むしろその仕事を通じて人間性を発揮するとかさ、
なんなら自己表現、自己実現みたいなことにも繋がったりし得るかもしれないんだけれども、
この当時の古代芸術の人からすると、そもそもその労働とか働くってことをしてる時点で、
なんかダメなんだみたいな。
もうお前は必然性に囲まれていて、自分の人間性っていうものを発揮できてないんだみたいな、
そういうふうな発想なんだよね。
古代ギリシャにおける政治と労働
だからあれでもね、自分の政治に参加するとかを仕事だと捉えたとすると、
もうめちゃくちゃ起戦がすごいねみたいな話。
あーそうだね。
仕事として見てたのか、どう見てたんだろうね、そういう意味では、定義というかね。
そうだね、それこそアレンとの労働と仕事の活動みたいな話でいくと、
限りなく活動に近い労働みたいな政治っていうのはね。
あー、当時の人の感覚で言いしたのか。
おそらくだけどね。
でも20世紀の発想で見てるから、これはおそらくなんだけど、
やっぱり彼らが政治に参加するっていうのは、まさにアテネ市民としては自分というものを表現することだし、
やっぱりポリスの未来っていうものを自分が作ってるのは自負心とかもあっただろうから、
それは単純に、物事を良くしようとか、政治家としてお金をもらおうということじゃなくて、
そこに関わることが自分自身の尊厳とか、生きている価値だぐらいの発想があったはずなんだよ。
いやー、確かにだし、政治家無休だよね、その頃って。
だと思う、うんうんうん。
なるほどー、そうだね。
もちろん現代の政治家と繋がる部分も違う部分も同じ政治っていうのもあると思うんだけども、
そこで報酬を得て政治家として仕事で生きていくっていう、
よくさ政治家とかって揶揄されたりすると思うんだけど、
それはたぶん仕事になっちゃって、
政治家としてこういうことを実現することが自分のやっぱり在り方だとか、
それをそういう自分を通じ合いながら、通じ合いながら生きていくんだみたいな、
そういう発想があるかないかっていうところがその活動と仕事の違いになってくると思うんだよね。
どっちもそれは労働ではない。
特にこの古代芸者においては、生きるためにやるべきことはもう全部奴隷がやって、
そうじゃない、空いた時間で自分はそういう自己表現というか、
そういうことに垂らされますよっていうような言葉もパキッと分かれていたっていう話なんだよね。
もうなんか修行最終時代に帰りたい。
本当にそうだよね。みんなでこう4時間ぐらいで食べ物を食べてる時代の方が良かったじゃないかみたいな。
奴隷からすべて溜まったもんじゃなくて、もちろん前も話したかもだけど、
この当時の奴隷ってとはいえ結婚しても良いとかさ、
もうちょっとこう、いわゆる本当使い捨ての死んだら次みたいな奴隷とはまたちょっと違う。
ほいほいほい。
っていう意味では身の安全とかは一定保障されていたはずなんだけれども、
やっぱり人間としての自由は全くないわけだよね。
やっぱり自分で何かを考えたいとかさ、
自分が何かこういうことをしたいっていう時はそれは絶対できないっていうふうな、
そういうふうに縛られている人たちではあるので。
それをやったとしてもそれを外に出しちゃダメっていう状態があるんだろうね。
そうだね、出したとしても誰も受け取ってくれないよねみたいな。
もちろんそこを奴隷から手伝ってしまった人も、ストア派の人もいたりするから、
もちろんそこを超えている人もいるんだけれども、
やっぱ基本的には奴隷は労働、縛られたことしかできなくて、
仕事とか活動っていう、より自由を発揮するっていうことは、
市民だけの特権というか権利だったっていうような感じなんだよね。
中世のキリスト教的労働観
これ面白いのは、ちょっとこれも脱学っぽいんだけれども、
この労働っていう言葉がフランスとかだとトラワイユって言うらしいんだけど、
英語とかにこれがトラベルとかになって旅行するとかになっていくんだけれども、
このトラヴァイユっていうのが、働くとか労働って意味と他に、
苦役、いわゆる苦しみとか、氾濫心悲みたいな、そういう意味があるんですよね。
そう、JRの新幹線乗るとトラヴァイユないね。
そうそう、トラヴァイユ、あれもともとルッコの方使ってるんだけど、
実はこの語源っていうのがラテン語のトラヴァリウム、トラパリウムって呼ばれるんだけど、
これ拷問フィグなんだよね。
そうなの?
そう、もともとこの拷問フィグの言葉から派生して、
労働とかで出てきて、そこから旅行が出てきて、それでトラヴァイユになっていくみたいな。
だいぶ変わってるんだね、じゃあ。
そうそうそうそう、変遷があるらしいんだけれども。
ちょっと待って、ちょうどあるわ。
ごめん、これは今ちょっとネットで見つけてるだけなんだけれども、
まさにそういった古役とか労働っていうのがまさに流行するっていう意味になったのは何故かっていうと、
1400年ぐらいの時にそういうふうな使い方があるって。
当時の旅ってまさに今みたいな最適性がないわけですよ。
全部徒歩でとか、荷物も積んでとか、雨が降れば撃たれてとかいう時に、結構過酷なものだったじゃないですか。
まあ、だし、身も危ないよね。
そうそうそうそう。
襲われたりとかね。
とかも全然あったりするっていう時に、そういうところから旅行っていうものの意味するようになったんじゃないかみたいな。
これも多分一つの説なんだけれども、
そういうふうな話が今調べたら出てきたね。
はいはいはいはい。
という意味があるので、そのトラヴァイユだったりとか、
拷問器具で言うところのトラプリウムっていうものからして既に、
やっぱり働くことは苦役であるとか、つらいことであるっていうふうなものがあるよ、みたいな話があるんですよね。
なので、やっぱり僕らからすると働かないとお金が得られないとか、あるいはもっといい仕事をしたいとかっていうような発想って全然普通にあると思うんだけれども、
当時からするとそもそも働くこと自体が苦しみであるとか、
労働イコールツーみたいな、そういうものがガチッとあったっていうのは古代、この当時のギリシャだったんだよっていうような話なんだよね。
なるほどね。
それでそういったものを引き続き見ていきましょうっていう話なんだけれども、
次ちょっと中世のキリスト教的なところに飛ぶんだけれども、
これも前回少しお伝えしたんですが、いわゆる働くことって、
アダムとイブが楽園を追放されるじゃないですか。
その罰だよみたいな、そういうふうな話があるんですよね。
はいはいはい。
これはもう本当にどうしようもないというか、神様がそう言われたからしょうがないって話なんだけれども、
結局エデンの園で、神と同じように不老不死で豊かに暮らしていたアダムとイブが追放されて、
そうすると自分で、もう額に汗を流して、米をさせてパンを作って食べて、そのうち死に帰るんだと。
要は死ぬっていうことも神から与えられた罰だし、働いて手でものを得るっていうことも罰なんだよね。
あー、地面もそうなんだ。
地面もそう。昔よりもっと長生きだったはずなんだよね、そのキリスト教的な発想からすると。
不老不死とまではいかなくても、それこそアブラハムとか初期の人間って800歳までいきましたとか、
ちょっと800だったかわかんないけど、そういうのが書かれてるはずなんだよね。
なるほど。
っていうのがあるので、まさにそういった死ぬ苦しみ、仏教的には生老病死だよね。
これもある種の罰なんだよね。
っていうのがあったときに、ただね、突然さ、あれでもさ、
それこそ修道院とかあったときに、働くことがいいことであるとかさ、製品で何か日々のお勤めをしましょうみたいな、
そういうふうなイメージもあったりするかと思うんですよ。
なので、あるいはやっぱりいわゆる大打、これはちょっと時代が多分違うんだけれども、
いわゆる7つの大罪みたいな感じでさ、
暴飲とか暴食とか大打っていうのは良くない、それは悪魔の誘いだみたいな話があって、
それに打ち勝つために働きましょうとか、きちんと生きていきましょうみたいな話はあるんだけれども、
それはあくまでも、この罰を受けた自分、肉体というものがあって、
それを、その罰をちゃんと受けながらも生きていますよっていう証明としての労働であって、
それによって救われるとか、社会性、要は自分の暮らしが豊かになるとか、
社会が良い方向にいくとか、そういうことっていうのは全くなくって、
ただただ、ちゃんと罰を受けて、それ以上悪い方向に行かないように放置しますよっていうふうな、
そういう意味合いだしたら労働っていうふうな話なんだよね。
社会秩序と働くことの価値
はいはいはい、なるほど。歴史的に言うと、この古代リーシャの時代から、
ローマ時代に入っていくわけじゃん。
そうだね。
ローマの時代は、奴隷っていうのは居なかったのかな?
いやー、ごめんちょっとね、そこは事実わからないけど、多分居たと思うな、普通に。
居たはいたのか。勝手な想像だと、
そうやって帝国が大きくなって、全部奴隷で負かない、消えなくなった時に、
今まで働いてなかった、労働してなかった市民みたいな人がいたとして、
その人たちもどうしても働かなきゃいけないんだけど、
いわゆるその時代にとっての前時代的な、
労働は奴隷がやるもので自分たちはやるなんて恥ずかしくて、
だし、ちょっと想像もできないみたいな人たちに、
自分たちもちゃんと労働するのはするんですよ、みたいなことを納得させるストーリーとして、
あんまこういう取り方しちゃダメなのかもしれないけど、
あえて言うと、そうした時のストーリーとして、
現在に対する苦情ですよ、みたいな。しょうがないんですよ、みたいな。
持って納得性があったのかな、みたいな。
そういうのもあるかもしれないね。やっぱり現状、みんな働かなきゃいけないみたいな時に、
なんでなんだとか、なんでこんなにみんながみんなそういう労働しなきゃいけないのかっていう時に、
そういうまさにストーリーというか、ところで納得させようとしたとか、
そういう秩序を作ろうとしたっていうのはあるかもしれないなと思うよね。
実際その社会秩序っていうものも、古代ギリシャでいくと、
やっぱり政治、明快ってあったところから、やっぱりキリスト教の時代になると、
あくまでも聖職者だよね。教会っていうのは力を持って、
そのために祈りを捧げる人っていうのが一番偉くて。
そこに対して、いわゆる騎士というか、そういう秩序を守る、警察的な役割で戦う人っていうのがいて、
その人にも農民というか、農土みたいな人がいたみたいな、
そういうふうなヒエラルキーがあるわけだから。
やっぱり何かを生み出すっていうことは本来尊いことなはずなんだけども、
社会的地位としては低くなってしまいがち。
そこで身分は生まれちゃってる感じじゃないですか。
そうそうそう。
堂々と表現したけど。そうはなるんだね。
そうなんだよね。
これは中世キリスト教の時の発想で、
むしろ日本とかってお百姓さんみたいなお米を作るとか、
大使とつながってそういうものを作るっていう人たちって、
古代の労働観
すごく尊いみたいな発想もあると思うんだけども。
実際はわかんないけど、順番的にはね。
順番的にはね。
でもそういった流れの中で、
この古代、中世のキリスト教においてはこういうものが支配している。
要は労働、働く、食べ物を生み出すっていうものが罰であると。
というところが明確にあったんだよね。
なるほどね。罰ゲームなんだね。
そうそう。
なのでこの時代の生殖者、神に祈るみたいなところが、
どういう活動だったか結構難しくて。
基本的にはこれってやっぱり、
そもそもアーレンとが分けた感傷的生活は、
現実に向いてる活動じゃなくて、神を向いてる活動だから、
そもそも現実離れしてて当然なんだよね。
はいはいはい。
なので、やっぱり神に向き合うとか、神に祈りを捧げるっていうことは、
当時からするとすごく尊い活動なんだけれども、
そもそもやっぱ労働ってものとはもっともっと切り離されてましたって感じなんだよね。
普通に考えてたら、当時は違ったと思うけど、
今の僕らからすると、やっぱり神に祈るみたいな話って、
でもその瞬間にもうお腹空いてるじゃないですか、みたいなさ。
いわゆるこの生命を維持するために本当に必要なんでしたっけっていう発想なわけじゃない?
そうね。
哲学もそうと思う。哲学も別にそんなこと考えてないで、
目の前の打撃早せよみたいなものがあったときに、
でもやっぱりなぜかそっちの哲学的なこととか、
神に祈るっていうことの方がより上位というか、
より尊い活動だという風な時代っていうのは結構長く続くんだよね。
そう。なのでやっぱり当時でいくと、
そもそもそういう仕事とか活動っていうことよりも、
むしろ感想、神に向けられたことは価値が高いです。
なので、やっぱり一番何も生み出してないように見えるとか、
何も現実世界と関わってないように見えるっていう人の方が、
より社会的地位が高いとか、
より多くのことを成しているように感じられる。
そういう時代がこの中世経営者時代だったんですよっていうような話なんだよね。
はいはいはいはい。
なんかこの辺のイメージはどうだろう?ちょっと湧いてきたかな。
イメージ?
つまり、やっぱり働くとか労働っていうことに関しても、
収容最終時代の特性
全然やっぱり時代時代で違うよねっていう風な。
そうね。
そうね、全然違うし、その罰ゲーム的な扱いがだいぶ長いけど、
やっぱ収容最終時代は罰ゲームじゃなかったんだ。
ちょっとそこへの、そこをいいものみたいに見てあるけど、
まずはね、フラッグにというか。
もちろん見返ししたい、みたいな今日話をしたところも、
もちろん良いことばっかりではないんだよね。
そうだね。
当然、いわゆる良い意味の平等性はあるんだけれども、
逆に言うと、例えば木の実を取るときに、木に登れない人がいますというときに、
その人を、やっぱりその社会でどうするかみたいな問題が出てくるわけだよね。
やっぱりその人を受け入れる余地はないわけよ、基本的に。
そうだよね。いわゆる収容最終民族というか、部族なのか集落なのかわからないけど、
その集団で得られるカロリーが決まってるからねって話だよね。
そうそうそうそう。
でももちろんね、それは何だろうな、人まとめて絶対に凍られてるわけではないけれども、
やっぱり場合によっては、やっぱりくちびらしみなことも起きるだろうし、
ということも含めて、やっぱり余裕がない社会であることは間違いないんだよね。
そうだね。そこからあぶれた人のことを考えるとって話だもんね。
そうそうそう。
そういう意味では、大きな視点から見ると、
農耕民族の方が生産性を高まって抱えられる、
それこそ生産できるカロリーと、抱えられる人数が増えるからみたいな、
そういう面も無視はしちゃダメだよって話だよね。
そうそうそう。
余裕じゃなくて。
余裕じゃなくて、やっぱり生きている、生まれてきた人がちゃんと豊かでありたいと思うわけじゃん、みんな。
っていうときに、ちゃんとそれを支えられる社会とか仕組みとか、
効率性っていうのはもちろん大事なんだけど、
でもこの仕事とか労働という観点で見たときには、
見返り社会の1日4時間で住んでいたっていう話と、
全然違う。それこそ罰ゲームになってしまって、
おい奴隷やっとけよとか、神からの罰だから渋々やって、
もちろん精神性でやるんだけど、常に苦しいみたいな、苦行であるみたいな。
そこと全然違うっていう話があるんだよね。
はいはいはい。
なるほど、ちょっと見えてきたね。
っていう話があって、まとめると、やっぱり労働、生きるために活動しますとか、
生存をつなぐためにやりますっていうことは、
やっぱりどうしても不自由な時間とか、縛られた時間であって、
人間が本当に使われたくないけど、関わるものだみたいな、
そういう発想っていうのは結構支配的だったんですよね。
わー、なるほどね。古代の感覚からすると、すごい自然だったってことはね、その感覚が。
そうそう、むしろそれが当たり前だったと。
もちろんさ、現代でもさ、よくライスワークとかって言ったりするんだけれども、
生きるためとか食べるための仕事もあったときに、ちょっと価値が上がるように見えるというか。
その次になるのがライフワークなんだけど、
そのライフワークの方が良くって、ライスワークは、ある種渋々やるみたいな、
そういった発想があったとするときには、やっぱり同じ仕事でも関わりきたとか、
どのくらい自分の自由度に貢献するかによって価値が変わるっていう発想は、やっぱりちょっと受け継いでいるとは思うんだよね。
なんかね、土台になってる気がするよね、そこら辺の。
時代の変化と労働の価値
いや、そこさっきやっぱ食料に規制なしみたいな話、規制ありのさ。
そういう表現があるってことは、みたいな感じだよね。
そうなんだよね。
土台はっていう。
そう。でもやっぱり今のじゃあ例えば、僕らがライスワークとかって言うときに、別にそれがなんだろうな、
人間性を下げるとかさ、神からの罰であるとまでは思わないじゃない?
思わないし、本当に今の感覚わかんないけど、いろんな人はいるんだろうけど、
ライスワークこそ尊いみたいなのも今だったらありそうじゃん、全然。
はいはい、あるよね。
残業キャンセルじゃないけどさ、なんならそっちの方が人間らしいというかかっこいいっていうかさ。
はいはいはい。
だから本当その辺は今どうなるんだろうなっていうのはあるよね、今回の話を聞いた上でね、さらに。
そうそうそう。いろんな価値観がそこで出てきているから、やっぱりそういう土台に、
土台にというか過去の歴史を振り返るとこういう風な労働に対する下げ隅というか、
不当な価値を下げるような、今から思うと不当に価値を下げているような時代がありました。
そんな話なんだよね。
これ面白いんだけれども、次回ね、またこれも第1回でお伝えしたマックスウェーバーですね。
宗教改革によってこのハクザラクっていうもののたれ方がキリスト教の世界でも変わったよっていう話なんだけれども、
これをちょっとしますと。ちょっと先取りするとめちゃめちゃ面白いんだけど、
こんな神の罰座とかね、定義だってあったじゃない?
これが時代が進むと、むしろ働くことこそが神から与えられた恩徴であるとか、
いわゆる天命みたいな話で、今の僕らが言う天命じゃなくて、
まさに君が与えた仕事というものを私はやらせていただいているのであるみたいな、
そういうふうな時代もあったんですよ。
そうすることで今度は一気に仕事成功みたいな、むしろ仕事に精を出さないやつ、マジありえないみたいな、
そんぐらいぐるって変わっちゃう時代があったんだよね。
そうよね。確かにこの前提考えると、その手のひら返しじゃないけれども、価値観よう変わったなーって感じだよね。
人類って意外とコロッと、もちろん時間はかかるんだけども、
ほんとに180度変わるっていうことを起こせるんだなってめちゃめちゃ思うんだよね。
そっかー、なんとなく知識的にプロテスタントだと労働を尊ぶとか、
そういうのが社会主義をアメリカとかに押し進めたみたいなさ、
話としては聞いたことある気がするけど、今日の話を聞いた上で、
その辺考えると、どうやったらそこ変わったの?みたいなさ。
本当に本当に。
なぜ?そしてなぜ?っていうね。
そうそうそう。教科書的にはそういう知識はあるんだけれども、
他人さ、自分がその時代生きてきた人だと思った時にさ、
労働は厚だ空気だ、無理だ無理だって思ってどこかいきなりさ、
天命でしたって言われてもさ、どういうこと?みたいな。
そうだね。1世代2世代でちょっと変わらなそうだよね。
そうそうそう。
っていうような時代があるので、そこを次回もう少し丁寧に見ていくことで、
労働は正義である、不当である、みたいなところから変わったって、
何があったんだろう?ってところを見ていきたいと思ってます。
わー、だからちょっと罠だね、さっきのハエトの。
今でもさ、そういう仕事に対するさ、
嫌だみたいなさ、不良だみたいなのがあるみたいなさ、話をしたけどさ。
来ないと、今日の話聞きはそうだけど、次の話聞くと、
そこは多分混ざってるわけじゃん、さらに。
そうそうそう。
まさに本当それ罠で、要は、なんとなく現代に向けてちょっとずつ変わってきたとかさ、
ちょっとずつ良くなってきたって思いたい僕らがいるじゃない?
なんかあの進化論的な話でね。
そうそうそうそう。
働くというものに対する人間の変わり方が良くなってきました、馴染んできましたって思いたいんだけど、
そうじゃなくて、本当に仕事は最悪だっていうところから、むしろ仕事こそ最高だっていう、
その両極端を経た上で、今の僕らがあるよっていう風な話なんだよね。
はいはい。面白いでしょ。
歴史的には。
なるほどねー。
っていうところを見ると、やっぱりそのね、多分それこそ前回の第1回のときの仕事とか労働っての捉え方と、
今回の捉え方とまた次回のときはまた変わってくるんじゃないかなと期待してて。
はいはい。面白いなとするとだけど、歴史だとさ、そこそこ、
前回接近時代めっちゃ大変だったっていう状態みたいなのがあるけど、
さっきの進化論的に教わってなかった?うちら。割と。
接近時代があって、
資料採集館から濃厚になって、人も増えてよかったね。
さっきみたいなさ、あぶれる人も減ってよかったね、みたいな。
35革命が起こって、
より生産性が上がって、
よりあぶれる人も減って、仕事も増えて、みたいなさ。
そういう時も教わんなかった?なんか。
働くことの歴史的観点
それはね、一個のイデオロギーなんですよ。
ってことだよね。
進歩主観っていう人間っていうものは、時代を減るために良くなっていって、
今こそがその一番最前線の良い時代であるっていうのは、
一個の枠でしかないよね、本当に。
そうよね。だって35革命やって繊維でしょ?
経営工業やって、自由工業やって、サービス業やって、宇宙化、
どんどん仕事も増えてますね、みたいなさ。
そうそうそう。
なんか、怖い。
それにやっぱり矛盾なんだよね。
どうしても、資本主義的なフロンティア精神とか、
富がね、GDPが増えれば良くなっているはずだとかさ、
そういうことだけで、その軸で捉えればそうなんだけど、
それを基準とするとね。
でもそうじゃない基準っていっぱいあるよねってことは何回でも言いたいよね。
そんな感じでございます。
なるほどね。そこの違いというか、
無意識だよね、多分。思ってたんだろうな。
だからこそね、こういうふうな過去を知るのも大事だし、
だからやっぱり西洋によっているんだよね、古代ギリシャもそうだし、
キリスト教もそうなんだけど、やっぱりあくまでも西洋的な働くっていうことの流れなので、
次回以降伝えきると思って、やっぱり東洋はどうだったんだとかさ、
今みたいな歴史観で言うと、仏法とかは明確にさ、
ブッダがいたときが最高の時代で、そこから時代が減るごとにどんどん魔法とか育っていって、
時代は弱くなるっていうふうな世界観があるわけじゃない?歴史観か。
っていうふうに、やっぱりどっちもあるっていうことを知っておくのって結構大事だと思うんだよね。
なので、今回話すのは働くってことで、まだ2回目なので、
ちょっと器にやっとミニトマト乗ったかなぐらいな感じなんだけど、
次回以降はもうちょっといろんな野菜を盛り付けながら、
働くってなんだろうね、最後どんなサードできるんだろうね、みたいな話をちょっとみんなでやっていきたいので、
そういう気持ちでちょっと今回聞いていただけると嬉しいかなと思っております、というふうな感じですね。
はいはい、わかりました。
なんか徐々に働くとは何だったのかっていうのが見えてきたので、
次回マックスウェーバーのところですね、
みんなから仕事最高っていうところを見ていくというところで楽しんでいきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。