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2026-01-11 55:58

#387 【働くことと哲学 その3】宗教改革が180度変えた人間の仕事観

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2026年1月20日(火) 19時30分~20時30分を予定しています。

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サマリー

宗教改革を通じて、働くことの捉え方が大きく変化しています。プロテスタンティズムの影響により、仕事は神に与えられた役割とされ、精神的価値を持つようになります。これにより、かつては低く見られていた労働が重要視されるようになります。宗教改革におけるカルバンの影響が、資本主義と人間の仕事観に与える大きな変化を探ります。彼の予定説が、仕事や成功を神の意志と結び付けることで、人々の働く意義を再定義しています。宗教改革が人間の仕事観に与えた影響について語り、特にカルバン主義や石田バイガンの考えが日本の働く文化にどのように関わっているのかを掘り下げます。また、資本主義の発展との関係性についても考察されます。このエピソードでは、宗教改革が労働観に与えた影響について考察します。特に、カルバン派の思想がどのように人々の働くという行為を神聖視し、資本主義の発展に寄与したかが強調されています。宗教改革が人間の仕事観に与えた影響を探り、現代における働くことの哲学について考察しています。

働くことの哲学的背景
はい、それ哲ラジオ。今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ、今回で働くことと哲学を第3回ということでやっていきたいと思います。
はい、やっていくんですけれども、その前にちょっと1個だけお話ししてもいいかな。
うん。
元旦にお知らせを1本短いつ出しまして、公開雑談収録をやるよ、みたいなことをお伝えしたんですよね。
うん、そうだね。
元旦なんで、聞いてないよって方ももしかしていらっしゃるかなと思ったんですけど、
ここで何名か常にご応募いただいてるところがありまして、
うん、そうだね、ありがたいね。
本当にありがとうございますと思ってるんですけど、
なので、もちろんちゃんとやりますっていうのもありますし、
ただね、時間あるかな、当日まであるかなと思うので、
ちょっと平日、土曜日の夜っていう時間ではあるんですけれども、
参加できるよとかですね、
あと逆に参加できないけど本当は、
例えば土日なら行けるよとかっていうのもフォームで書けるようにしてますので、
もしよかったらね、お知らせ回聞いてなかった方は聞いてみていただいたりとか、
今回の概要欄とかにも書いたりできるかな、フォーム。
そうね、概要欄にも書いてるし、
あとは1月20日火曜日の夜7時半スタートみたいな感じなので、
もし可能な方はぜひ参加いただきたいですし、
あと無理な方はそのフォームから、
この日だったら参加できるみたいな書く場所があるので、
そこ書いていただければね、
そこ調整しながらまたやっていければなみたいな感じで考えてます。
お待ちしております。以上お知らせでした。
宗教と働くことの変容
ということでですね、今回の働くことと実学シリーズやっていこうと思うんですけれども、
前回あれですね、古代のローマだったりとか、
あとはキリスト教になった時にも、
ある種働くことって奴隷がやることだよとかさ、
アダムとユブが追放された罪だよみたいな、
結構そういう話をしたと思うんですよね。
昭和ねえなあみたいな感じだったね。
昭和やるかが人間がやるもんじゃねえよみたいな話だよね。
まあ確かに確かに。
今はね、現代でいうともちろん僕もね、
年末年始お休みいただいて、
むしろいただいてって感覚だよね。
お休みさせていただいてありがとうございますみたいな。
働かせていただきますみたいな感じもあるし、
そこはやっぱり労働感とか働くって全然違うねっていうようなところがあるんですけれども、
これってなんでこんなに違うんだよみたいな話なんですよね。
そうだね。
もちろんこれっていろんな話があるんだけれども、
よく言われるのはですね、マックスウェーバーさんですよね。
マックスウェーバーさんが分析した、
プロテスタンティズムの理にと資本主義の精神っていう本が、
結構有名なのがあると思うんですけど、
あれ読んだことあるみたいな話、この前したっけ?
この前はしなかったかな。
読んだことありますか?経済学とかこういうのってやるのかな?
授業ではやらなかったけど、内容はほとんど忘れてたけど、
一応読んだ気がするな、さらっと。
なるほどね。
あれももちろんいろんなことが書いてある本なんですけど、
今日はそれを細かくやるっていうよりは、
そもそもプロテスタントって、いわゆるキリスト教の中の1個の宗派っていうのかな。
そういう教えじゃないですか。
ストリックがあって、プロテスタントがあってみたいな。
それでいくと、要はさ、
日本で言ったら、例えば仏教の中の、
浄土神宗とか神言宗みたいな、そういう1個みたいなイメージなんだよね。
そうだね。
なんでそれがさ、そんな世界の、
今この現代に広がる資本主義ってものにつながるのかとかさ、
なんでその全然違う日本みたいな、
もともとキリスト教の国でもないところまで、
そういうふうな発想が伝わったのかとかってさ、
よくよく考えたら結構不思議じゃない?
まあまあまあ、確かにね。
丹波グローバリズムで済むのか?みたいな。
そうそうそう。
っていうのがあるので、
それって何だったんだい?みたいな話を、
今日はお伝えすることで、
いわゆる、僕らから見れば個材と思われる、
そういったローマとかの、
働くってのは取り換えるものだとかさ、
そういうふうなものと、
現代の仕事ってむしろ大事だよねとかさ、
そういうふうなところの、
転換で何があったのかっていう話をちょっとしたいと思っています。
というふうな感じなんですよね。
すごいなんか大事そうなとこだね。
超大事。超大事だし超面白いと思う。
急なバレなんですけど。
では早速やっていくんですけど、
もともとさっき言ったとおり、キリスト教がありますよねと。
王道というかね、それで言われてるのがカトリックだったじゃないですか。
中世の暗黒時代って、
そこじゃないよとかって話の時代があったときにも、
いろいろお伝えしたと思うんですけれども、
当時カトリックがあったときに、
どんどん、要は言い方だけでは腐敗していくというか、
教会が力を持って、
どんどん減税利益的というか、
要はお金っていうものをどんどん教会が集めます。
やっぱそういうふうな流れがあったわけですよね。
ただこれってすごい人間味がある仕組みっちゃ仕組みで、
新たな仕事観の創造
要は自分が神に救われるかどうかとかさ、
死んだ後天国に行けるかどうかとかって、
当然わかんないわけじゃないですか。
自分はわかんないね。
自分はわかんないっていう中でも、
例えば職友状とか免罪符っていうのがあって、
それを切ったら、要はお金を払ったら天国行けますよとかさ、
寄付をちゃんとすれば天国行けますとかっていうふうに、
すごいわかりやすくあなたは救われますとかさ、
教会によって保障しますとかっていうふうな仕組みが出来上がったわけだよね。
そこの救いの鍵を握ってるのはカトリックだったって話だもんね。
よしよしは別として、
自分が救われるかどうかわかりませんとかさ、
天国行けるかわかりませんとかってより、
この神持ってたら救われますよとかさ、
こんだけ寄付したら救われますよってすごくわかりやすいじゃん。
あとあれでもね、いつも言ってるコテンラジオでの知識しかないんだけども、
あれみたいな、自分だけじゃなくて親が死んだ時に、
果たして親は天国行けたんだろうかとかそういうニーズもあったみたいだね。
はいはい確かにね。
自分だけじゃなかったみたいだから結構もう、
切実なニーズがやっぱりあったみたいだね。
それに対してニーズがどこにそういったビジネスがあったか、
ビジネスって言っちゃうと言い過ぎかもしれないけれども、
って話ではあるんだけれども、
やっぱりそれってどうなんって言ったらルターなわけですよね。
はいはいはい。
宗教改革ってのはあると思うんですけれども、
やっぱり金とかさ、そういうので救いを変えるのかとか、
そもそも神様のことをそんな風にコントロールしていいんだっけみたいなのって、
まあまあある種当たり前の発想としてあるわけですよね。
まあまあまあそうはね。
細かく言うとあれみたいだけどね。
詳しくはコテネジオを聞いた方が面白いけどさ、
職優状ってただ紙を吸って出してたんじゃなくて、
ちゃんと儀式やってたみたいだけどね。
ああそうそうそう。
それは面白いなと思ったよ。
だからそれもニーズだよね。
ただの入ろうとじゃなくて、ちゃんと儀式して、
こんだけやったから大丈夫みたいな話があった時に、
それって本当?みたいな言えば、
その儀式ができる人とできない人の差って、
まあどこにあるんだっけみたいな話がね。
ニーズ多すぎて多分ね、
カトリックにいる人たちじゃ対応しきれないみたいな時にさ、
だからめちゃくちゃ人気のラーメン屋が、
カップ麺作りましたみたいな。
そうそうそうそう。
カップ麺でインターンみたいなとこに対して、
それと本当?っていう人たちが出てくるみたいなイメージに近いのかな。
そうそうそうそう。
カップ麺本気で開発してんだよね。
だけどなんか違うっていう。
そうなんだよ。
やっぱりこれ面白くて、
もちろん全員が全員そうじゃないと思うんだけども、
少しでも多くの人に救いの手を差し伸べたいとかさ、
そういうふうな多分執筆な思いも絶対カトリックにあったはずなんだよね。
思ってる人も多分多かったというかね。
ちゃんといたはずなんだよね。
そうそうそうそう。ちゃんといたはず。
もちろんお金、本気でさ、
とにかくお金を差し伸べようという人もいたかもしれないけれども、
同時に少しでも多くの人に、
我々の使命であってみたいな人もいるわけよね。
だからコンビニで売ろうとかさ、
それぐらい思うわけじゃん。
この味をなんとか届けたいって、
本気で開発してるんだけど、
結構ありがたいやりがたいって言ってる人も多いんだけど、みたいなね。
そうそうそうそう。
でも批判もあるみたいだよね。
批判があったときに、
ルーターは批判をした上で、
当然そうね、再確保してくるんですけれども、
その中でやっぱり教会、
要は神様、教会、人っていうふうな流れじゃなくって、
直接神とつながろうとかっていうのは有名だと思うんですけれども、
その中で、いわゆる働くとか仕事っていうものを、
ある種アップデートしちゃうんだよね。
つまり仕事とか職業っていうものは、
要は神から与えられた役割であるとか、
その務めを果たすっていうこと自体が、
ある種神のお星飯にかなうことなんだみたいな、
そういうつながりってのを作っていくわけですよ。
はいはいはいはい。
もっと言うと、前回もちょっとお伝えしたんだけれども、
いわゆる古代とか中世とかでいくと、
やっぱり働くことよりも、
神にお祈りをすることとか、
神に願いを届けることっていうふうな、
その感想的、みたいな話をしたと思うんだけれども、
そういうより精神的、宗教的な行いのほうが、
いわゆる核が高かったわけだよね。
はいはいはいはい。
要はそのね、
農作業をするとか、何か操縦をするとかっていうのは、
ある種いやしいことなんだけど、
それもある種生活とかやらなきゃいけないから、
やるよねみたいな。
人は低いよみたいな、そういうふうな発想があったときに、
そうじゃなくて、
操縦をするとか、
何か食べるものを作るとか、
そういうこと自体が、
神から与えられた役割なんだと。
ある種、
俗としての奴隷をやられることじゃなくて、
そこに聖なる働きというか、
そういうものがあるんだよってことを言ったわけだったよね。
はいはいはいはい。
これによって働くっていうことが、
一歩上がってくるんだけれども、
カルバンの出現とその影響
それだけでは、別にそこまで資本主義が発展するとかさ、
働くことこそが最高の行いだとか、
そこまではいかないわけよ。
自在で言うとまだ資本主義の前だもんね。
そう、全然前。
逆にそこを発展させたのは誰かっていうと、
名前聞いたことあるかなって思うんですけど、
これカルバンっていう人なんですよね。
カルバン。
カルバン。聞いたことあるかな?歴史とかで。
宗教改革でカルバン、ルターでセットで語られないかな。
そうそうそう。ルターの改革の後にカルバンっていうのが出てきて、
これは予定説っていうのを作ったんだよね。
ほうほうほう。
これもセットで多分歴史とかで習うんだけれども、
要は何かっていうと、
さっきさ、自分が救えるかどうかわからんって話をしたじゃない?
そうだね。自分では決められないというかね。
自分ではわかんないんだけど、
実はそれってもう全部神様によって決まってるんだっていうふうなことを言ったんですよ。
え、何?救われるかどうかも含めて決まってるんだって話?
もう既に決まってる。要はもう予定調和であって、
誰が天国に行って地獄に陥るかっていうのは、
世界の始まり、神様はこの世界を作ったときにもう全部決まってるんだと。
おー、はいはいはい。
つまり、生まれて善行尊大とか、
食友情を買ったら救えるとかっていうのはもうナンセンスで、
もう決まってるから全部っていうことを言ったんだよね。
おー、なかなか激しいですね。はいはい。
そう、かなり激しくって、
要はカトリックの感覚で言うと、
神と人の間に教会があって、
教会の教えっていうものが大事ですよっていうふうな話なんだけれども、
教会なんて力ねえからって言ってるんだよね。
はいはい、むしろ邪魔だからみたいなね。
そうそうそう。そんなことで変わんないから、
神様も決まってるものに基づいてやるしかないんだよっていうことを言うんだよね。
へー、ほうほうほう。
これはすごい切実な話で、要は、
逆に言うと、食友情でオッケーとかってなると、
神様って何なの?みたいな。
そんな人間のよくわかんない行為で救うとか救わないとか決まるみたいな。
神様ってそんなに中途半端なもんなんだっけ?みたいな。
そういうふうな気持ちはカルバンさんにはあるわけですよ。
そっちの気持ちはわかるね。
そうなると、人間が救われてるかどうかわかんないんだけれども、
でも神様って当然全部決めていらっしゃるから、
それをある種信じてやるしかないんだよっていう、
よく言えば神様を立てるんだけれども、
悪く言うと人間にはできることはほとんどないみたいな、
そういう世界観を打ち出しちゃうんですよ。
働くことの意義の再定義
でもね、わかってるって言うとそこそこ虚無主義じゃないけどさ、
頑張っても頑張らなくても同じ代になっちゃいそうだけど、
そこはたぶん乗り越えてるんでしょ?
乗り越えてるっていうかね、これは面白いんだけど、
要はもうわかんないのよ。わかんないって言ったら不安じゃん、みんな。
あー、なるほど。
決まってるけど答えは誰にも神様しかわかんないよっていう話。
基本的にはそうなんだけれども、
ここで働くってところにつながるのがめちゃめちゃ面白いんだけど、
つまりさっきルターが言った通り、
仕事とか働くっていうのは神様のある種、
与えてくださった役割であるって言ったじゃない?
彼らがこれを発見させて、
その役割、つまり仕事っていうものがうまくいっているならば、
それは神様があなたを救おうとしているということの証であるっていうロジックにしたんだよね。
あー、なるほど。わー、きつい。きついぞこれ。きついけど。
きついでしょ?
なんか今とつながり始めた気がする、今の感覚と。
ちょっとつながり始めた?
つまり、ルターまでは、
その仕事を一生懸命頑張りましょう、で良かったんだよ。
それが彼らになると、
その一生懸命頑張った結果、うまくいっているならば、
それは本当に君のお越し飯であるという証拠ですってつなげちゃったんだよね。
すごい面白い。
やばいでしょ?
うんうんうん。なるほど。
いや、そのね、いわゆる資本主義的なとか、
もっとビジネスビジネスしてるというか、
何だろうね。また多分これ日本人にはない、
輸入してるから、コンテンツにはない感覚だなーっていうのを今すごい感じた。
うんうんうん。ね。
これはちょっと最後また日本話とか、
このヨーロッパ祝って話もするんだけれども、
もうちょっとこのカルバンの話でいくと、
そうなっちゃうとやっぱみんな不安だから、
やっぱりこう頑張るとか、やっぱり成功っていうものを追い求めることが目的になって、
ある種、働くっていうのは手段になっていく。
要は自分は救われていくことを証明するために働くっていう風になっていくんだよね。
うんうんうん。
そうするとどうなりますかっていうと、要は再現がなくなるんですよ。
仕事で例えば、じゃあ去年よりも5倍稼げますとかってなったときに、
でもこれが成功かどうかってわかんないわけじゃん、まだ。
うわー、こわ。そっかそっか、そこもそっとか。
そうそうそう。つまりまだいける、もっといけるとかになったりするし、
あとは、いわゆるキリスト教的な製品とか、何だろうな、
いわゆる贅沢はダメっていうふうな発想も同時に受け継いでるんだよね。
わー、面白い。はいはいはい。
やっぱり、犠牲なお金、つまり例えば5倍稼げましたとしたら、
どんだけ使っていいよねとか、金づけ楽しいよとかっていうふうな発想じゃなくて、
この犠牲なものを水投資して10倍稼げましょうっていうことが、
どんどんどんどん強化されていくんだよね。
すごいね、そっかそっか。そこでゴールっていう感覚はないから、
だしゴールっていうのが誰にも分からない。神様しか分からないから、
走り続けるしかないし、この文脈化は分からないけどさ、
走り続ける上に、あと稼いだお金を、いわゆる寄付するとか、
偽善活動に使うみたいなのも、めちゃくちゃその、義にかなってるんだね。
というか信仰にかなってる感じがするよね。
かなってる、うん。
資本主義とプロテスタンティズムの関係
この部分なのかな、それも。
そうだね、だからやっぱりその使い方として、要は贅沢はダメですと。
元々のカトリックとかと、利子を取るとか、そういう利潤を蓄えるのもダメっていう話だったんだけれども、
ここがプロテスタンとかカルバン派だと、むしろその蓄えた財っていうのは、
神様があなたに与えた仕事がうまくいってる証だから、どんどん蓄えなさいと。
どんどん投資して、さらに蓄えを増やしなさいっていう風になってくるんだよね。
これがどっちが鶏卵か分かんないんだけれども、
これをすごく支持しているのは、当時スイスでカルバン派が活躍したんだけれども、
いわゆるスイスの商業階層なんだよね。仕事がうまくいって、
自分の事業でもっている人たちっていうところが支持していくんですよ。
それは当然だよね。自分がやっていることっていうのが神とつながっているとか、
救いと直結しているという風になるわけだから。
めちゃくちゃ嬉しかっただろうね。
わー、わかんない。怖かったんじゃないかな。だって仕事で失敗したらさ、
要はもう地獄に落ちるってことだから。
仕事と救いっていうのが、よくもあるからセットにガチッとつながっちゃったんだよね。
まあね、だから怖いね、確かに。
その失敗する恐怖というか、この成功を失う恐怖みたいなものが常につきまとっちゃうわけなんだね。
そうそうそうそう。
なるとどうなるかっていうと、やっぱりもっと慎重に、もっと上手く仕事をしようってなって、
どんどんどんどん仕事が上手くなっていくよね。
あー、なるほどね。上手くなるね、確かにね。
お金持ってて、チャンスもあってっていう人たちはどんどん上手くなっていくね、それは。
上手くなっていくし、贅沢ももちろんしないから、とにかく仕事は2人向き合うみたいな。
それがやっぱり、カルバン派独自の話で、
当然お金を稼げますとか、もっとお金持ちですっていう人は、
やっぱりヨーロッパだけじゃなくて、当時やっぱり中国とかイスラムとかの方にもっともっといたわけよね。
そっちの方が先進的な話だったわけなので、当時1600年とか700年くらいって。
当たり前なんだけれども、当然稼いだお金って、
例えばより豪華なものを買うとかさ、家族、あるいは一族っていうのを発展させるとかさ、
そういうことに使うわけなんだよね。
事業の再投資っていうよりは、贅沢をするとか、
芸術品を買うとか、自分の権力を増やすとか、そういうことに使います。
それがある種、人間的な当たり前だと思うんだけれども、
そうじゃなくてカルバン派は、とにかく再投資をして、
美人を増やしますっていうところに使ったっていうときに、
これが10年、20年とか100年経ったときに、どうなるかっていうと、
結果は火を見るより明らかじゃないですか。
そうだね。
っていう意味で、カルバン派というか、そういった発想のもとに、
再投資をし続けた人たちが、当然資本力っていう意味でも強くなっていくわけだよね。
わー恐ろしいね。そっか。
その辺のシステムとスキルが、どんどん個人も社会も強くなっていくんだね、どんどんね。
そうそうそう。
面白いのは、いわゆるプロテスタンティズムと資本主義って並んだときに、
いわゆるインコ関係があって、プロテスタンティズムっていうものが資本主義を生んだんだって思いがちなんだけれども、そうじゃなくて、
あくまでもマックセーバーが言ってるらしいんだけれども、
選択的親和性っていう言葉があるらしいんだけれども、
それが全然違う期限。神を信じるとか救われたいっていう思いも、
その切実さも、ビジネスとか商業でうまくいきたいっていうものも全然違うんだけれども、
それがなんか運命的に出会っちゃったというか、
同じような根っこから発したときに、両方がガチャって重なっちゃって、回り始めちゃった。
そういうところが起きたものが、今のこの資本主義っていうものの拡大再生産とか、
成ることがいいことだとか、そういうことに繋がったんだよっていうふうな話は、
すごいざっくりまとめちゃってるんだけれども、
そういうふうな流れがあったんじゃないかっていうふうに言ってるんだよね。
わー、すごいね。これは面白いね。
意外とこういう発想って、断片的には聞いたことがあるかもしれないけれども、
千音で聞くことって少ないんじゃない?
ないね。さっきマックスウェーバー読んだことあるみたいな話も読んだことあるけど、
こういう文脈の中で捉えてないから、こういう人言ったんだなみたいな。忘れちゃってるもんね。
なので、やっぱり前回お伝えしたような、小財のね、仕事は奴隷のものだとかさ、
キリスト教初期で、それはもう罪だとかっていうところから、
宗教改革と仕事観の変化
ぐるんぐるんいろいろ時代が来たときに、むしろ仕事で成功することこそは君のお越し飯にかなることだっていう、
ちょっとどこ行ったの?みたいな、奴隷だったじゃんみたいな話が、
千年ぐらい経つ中でも、やっぱりこんだけ変わっちゃうんだよね。
わー、すごいよね。
うん。そこを見出したら、やっぱマックスウェーバーもすごいねっていう話ではあるんだけれども、
ちょっとこれ余談的ではあるんだが、さっきお伝えしたカルバンっていうのはスイスで活躍してるんですけれども、
このプロセスさんとのカルバン派っていうところは、いろんなところで当然広がっていって、
当然イギリスにも広がっていくんですよね。
イギリスは国境界が強かったりとかいろいろある中で、
フュリテン革命とか、清教徒革命とかっていうのはあるじゃないですか。
おー、はいはいはい。
っていう流れから、清教徒という人たちがイギリスから迫害されてアメリカの方に行くんだけれども、
この人たちがいわゆるカルバン派の流れを組んでるんだよね。
わー、すごい繋がってるね。なるほどね。
そうそうそう。
だから、やっぱりアメリカの人たちっていうところは、分かんないよ。
これはもちろん今ではいろんな宗派があるけれども、
やっぱりビキュペディア調べたんだけれども、
40%ぐらいプロテスタントなんだって。
はいはいはい。
アメリカ人。
で、20%ぐらいがフトリッカーっていうとき、やっぱり2倍ぐらいプロテスタントが多いですと。
なので、なのでってわけでもいいかもだけれども、
アメリカ人の基礎としては税金は低い方が良いとか、
やっぱり自分で稼いだものは自分で使えるべきである、
要は公共財というよりも自分の財産であるみたいな。
そういう発想が強いんじゃないかみたいなこともあって。
なるほどー。
だからビジネスへ成功した人がちゃんと尊敬されるみたいなのが、
すごい本当に信仰にかなってるんだね。
そうそうそう。
だから、なんとなく日本ってさ、ちょっとそれが後ろめたいとかさ、
あんまりそういう成功をひけらかさないみたいな部分ってあるような気がするけど、
そことの差って何なんだろうなーみたいな。
文化なのかなと思うけど、信仰なんだね。
そうだね、信仰は大きいと思う。
というのはもっと言うと、
そこが要はそういった神のお越し飯とか、そういったものに起因するのか、
やっぱり日本はどっちかというと、
自分の内側とかここはみたいなものに起因するっていう話があるんだよね。
どういうことかっていうと、
これ江戸時代になるんですけど、石田バイザンさんっていう、
前ちょっと名前だけ出したかな。
江戸時代のそういう有名な学者さんがいるんですけれども、
この人の発想が、逆に日本的な働くことは良いことだとか、
働くっていうことはむしろ精神修行であるみたいな、
そういう発想の元になってるって言われてるんだよね。
どういうことかっていうと、
知識と権威や尊便とか正直みたいな、
そういう美徳ってなんかない?
なんかある気がするよね。
これを動いたのが実は石田バイザンさんなんですよ。
ほうほうほう。
彼は元々仏教とか全部学んでいるんだけれども、
自分の定められた仕事に努めて励むっていうことが、
それを知能交渉で、商人は低く見られていたわけじゃない?
でも商人には商人の道があって、
武士道は新しい言葉だけれども、
武士の道みたいな感じで商人の道っていうものがあって、
ちゃんと着せるっていうことが商人にとってのそういった修行なんだと。
ほうほうほうほう。
いわゆるどんどん稼ぐとか理順を蓄えていくってことじゃなくて、
ちゃんと正直に仕事をして、相手と信頼関係を築くとか、
あるいはちゃんと契約をして、
ケチだってことじゃなくて、
ちゃんと必要十分なところでやり切るみたいな。
そういうものがある種僕らの心を磨くことなんだよと。
それに通じていくことが、
ある種商人としてはビジネスをするものとして正しいことなんだよみたいな、
そういう発想を説いていくんですよね。
日本の働く文化
なるほど。これももちろん信仰と文化って表裏一体というかさ、
一瞬形作られていくものだと思うんだけれども、
ちょっと仏教とか禅的な?
その修行?
そういうふうな文脈もあるのかな。
人として倫理的っていうよりは、若干信仰というか。
そう、両方ある。
禅とかもさ、日々の暮らしこそが修行であるとかさ、
一日一日の法器をかけるとかさ、
雑巾掛けするとかっていうのも修行だとかってなるときに、
商人からすると日々の飽きないなわけだよね。
その飽きないをやるっていうことにも、
当然その修行があるとか、
仏教のつながる、そういった精神的な活動であるっていうことは、
やっぱりぶっつけることができるんだけれども、
それをちゃんとやったのは石田バイガンさん。
もちろん他にもいらっしゃるみたいなんだけれども、
有名なところとしては石田さんという人がいるんだよね。
えー、そうなんだ。
さっきのマックスウェーバーとの比較で言うと、
マックスウェーバーはすでに起きている現象を構造化して言語化したみたいな感じなのかな。
そうだね。過去を分析した結果、こういうものが捉えられるんじゃないかっていうような発想だね。
で、今こうなってるよっていう説明をしたみたいなイメージなんだよね。
今の石田バイガンさんはそれで言うと、
その人が発信したその内容をみんながいいぞいいぞって広まっていったのか、
マックスウェーバー的な、今の日本こうだよねみたいな感じなのか。
それとカルバンに近いね。
要は自分ですごいっていうことを打ち出していって、
周りも確かに確かにそうだそうだって言って盛り上がっていったみたいな。そんな感じ。
えー、そんな影響力ある人いたんだ。
そうなんです。
なので、いわゆるカルバンのやってきたことと石田バイガンさんのやってきたことは全然違うんだけれども、
その根底にある働くっていうことを通じて、
神のお星召しであれ、仏の心であれ、そういったものに繋がっていく。
仕事と自らの精神的なというか、宗教的な感覚が繋がるよねっていうことを言ってるわけなんだよね。
それが明治維新後入ってきた西洋、ヨーロッパの資本主義的な発想とか、
要は稼いでいくっていうこととの仕組みとがっちり組み合わさってるんですよ。
日本人ってとにかく稼ぐのが良いとか、自分のたかがえを増やしていくことこそが正義だっていうことではないんだけれども、
やっぱり真面目に仕事をして働いたお金を、ちゃんと世のため、人のため、あるいは自分のために作っていくっていうの自体は全然いいよね、みたいな。
そういう発想はあると思うんだよね。
なるほどね。今はわからないけどさ、にしても多分自己理性的な部分とかがちょっと強い。
指導感あるなって確かにちょっと思うよね。もし繋がるとすれば。
そうだね。
やっぱりそれが、仏教とかって救われるというよりは、自分で仏の道に近づくとか至るっていう発想だから、
そういった修行とか、磨くとか、そういった発想に近いというのはそういうことかもしれないね。
面白いし、ちょっと飛躍したいのかもしれないけど、それが江戸で流行ったとするとというか、そうだそうだってなったとすると、
やっぱりある程度人口がいて、ちょっと個人主義的なところとの相性がいいのかな。自分がこうすればこうなるみたいな単純な部分でいけるのかな。
神様もそうだよね。自分がこうなれば神様と一対一だからさ。カトリックの教会に毎週行かないとダメだとかさ、
あーしなきゃダメだとか、このコミュニティでこうならないとダメだみたいなのよりも、もっと個人的なものの感覚があるよね、どっちも。
それはあるかもだし、石田隈岩さんは江戸っていうよりは京都で、市塾というかそういったものを開いてるんだよね。
へー、京都の人なんだ。
なので、ごめん、僕もちゃんと見てないんだけれども、いわゆる江戸時代の首都、江戸でやってきましたっていうよりは、
京都っていうもうちょっと文化的な場とか、大阪にも近いから商人がいろいろいるところに、ある種そういった飽きないをする人の心だけというか、そういったものを伝えていくとか、
ある種、政治とか物資とかってそういう一流、当時上流階級の人たちじゃない人たちに対して、自分が信じるものを与えていくみたいな。
そういう発想はあったし、それ自体が結構カルバートも近いかもしれないね。
なるほどなるほど。だから本当の庶民っていうよりは、商人階級、ビジネス階級あたりにぶっ刺さるみたいなところが近いみたいな。
面白いね。
逆に言うと、やっぱりそういった商人層が力を持っていく、どんどん生産力が高まって、そういった資本化みたいなものはできつつある、ちょっと前の時代というところで、
その人たちが何を大事にするかとか、どのわけで生きていくかっていうところに、やっぱりこういったカルバーさんとかイチザーバイガーさんみたいな発想がぶっ刺さっていくみたいな。そういう感じなんだろうね。
資本主義の広がり
はいはい。なるほど。面白いね、構造というかね。
今はある種宗教的な話をしたんだけれども、当然それだけじゃないっていうのは、もちろんいろんな理由で資本主義が広まったとか、考えが広まったってあるわけですよね。
一個ちょっと補足的にお伝えしたいなとかあるんだけれども、言葉だけは時々出してるかもなんですけれども、ウォーラー・スティーンさんという文学者の人がいて、世界システム論っていう発想を出してるんですよね。
僕結構これ好きで、よくいろんな人にオススメとかしてるんですけれども、世論はこの世界システム論っていうのは、全然宗教とかと関係なく、なんで資本主義っていう、いわゆるシステムだよね、とか、そういう働きっていうものは世の中広まってなんだっけみたいな話を考えさせてくれるものなんだけれども。
ほうほうほう。
これすごい面白いのが、その時々の歴史の中に覇権国家っていう概念があって、その国家って中心に歴史、その時代のいろんな政治とか経済の仕組みが回っていくっていう話なんだよね。
例えば大航海時代とかってオランダとかがめちゃめちゃ強かったじゃないですか、当時って。で、いろんな船とかを持ってあちこち航海して、コーシリオンとか持って帰ってって話をしてるんだけれども。
その後にオランダとかが衰退して、今度イギリスとかが伸びていくじゃないですか。その時に、これなんでっていう話を考えてくるんだよね。
面白いね。
これ何が起こったかっていうと、すごいざっくり言うんだけれども、オランダとかで船作るじゃないですか。
例えば太陽年数とかが上がるから古くなってきて、新しいの作るじゃないですか、船をね。そうすると古い船いらなくなるじゃない。
これ現代でもそうなんだけれども、壊すとお金がかかるから、要は予算に売っちまえってなるんですよ。
中古車、売っちゃえみたいなね。
そうすると、例えばイギリスが買うとしたときに、自分たちで作るよりも安く買えて、古いけどそれなりには使えるわけだよね。
資本主義の歴史的流れ
当然オランダの方が新しいものを作っているから、そっちの技術力は上なんだけれども、古いものを安い資本で買ったときに、それを使って例えば貿易を押し出すとか、それを分析して自分たちでより良いものを作ろうとするみたいな働きが出てくるわけだよね。
そうすると、オランダとかは最初何もないところから船とか作らなきゃいけないから、めちゃめちゃコストかけてるわけですよ。なのでリターン取るのも大変なんだけど、一定の安い投資でイギリスとかは改修ができて、ここで再投資っていう、またどんどん良い仕組みっていうのを作っていくことができるわけだよね。
なるほど。ジェネリック医薬品みたいな話に近そうだね。莫大な研究費かかってますみたいな。
そうそうそう。っていうのがあるんで、要は資本効率で言ったときにも、実は最初に伸び出した国とかよりも、それを安い資本で買って、それを活用して使っていく次の時代の人たちの方が伸びやすい、伸びてきたっていうふうなのが、歴史として繰り返されてるんだっていうふうな話をするんだよね。
そこも入れ替わりというか、そこの栄光節育的な話だよね。
そうそうそう。オランダが廃れてイギリスになって、イギリスからアメリカになって、現代は派遣国がないとか言われたりするんだけども。
でもそういうふうな流れの中で、要はそっちの誰かが資本主義を広めようとかって言ったんじゃなくて、そういう安いものを買って貿易とかしてたら、気づいたらそういう流れがどんどん広くなって、世の中を覆い始めてましたみたいな。
これがまさにそのシステム、その世界システムという流れで広まっていったんだというふうな発想があるんだよね。
なるほど。
何を言いたいかっていうと、いわゆる働くっていうものが、例えばいいことだ、神様につながるとか、自分の仏の心を磨けるとかっていうのは、もちろんそういった発想自体は誰かが言ってたりはするんだけども、それだけでは広まらなくて。
当然、もっと大きな意味での、そういった資本のシステムとか、利潤を追求しようとか、もっと儲けたいでもいいんだけど、冒険したいでもいいんだけど、いろんな欲求とか欲望とか思惑が重なったときに、たまたま本当にこれが上手い方向、上手いというか、一つの方向に行って、世の中を資本主義化していこうとか。
そういうものがいいものだっていうようなところに、どんどんベクトルが向いていったみたいな。
ある種、そういう話でしかないんだみたいな発想なんだよね。
うーん、そうなんだ。
ごめん、今どんなふうに受け取ったかな。
今回の話とまだちゃんと接続されてないなって思ってる。
そういうことね、OK。
今日お伝えしたかったのは、もともとやっぱりなんで労働とか働くって、奴隷の問わずかって言われたものが、なんかいいものじゃんってなったかっていうところの転換点を伝えたかったんだけども、
それがいわゆる宗教的なカルバンみたいな人がいてさ、それで宗教的に、それはいいことだ、神のおぼし飯だって言っただけじゃなくて、ちゃんとそれが人間的なところが離れた、
それこそ、神に乗ってって言っちゃうと本当にアダム・スミスだけど、そのぐらいのいろんな思惑の中で、資本主義っていうものは何か良そうだとか、それに巻き込まれてないと自分はどんどんダメになってしまうみたいな。
そういうふうないろんな力があった中で、動いてきたようなものだよ、変わってきたものだよっていうことを伝えたかったっていうふうな感じなんだよね。
ああ、はいはいはいはい。たぶん当時の一番、さっき派遣国家っていう言葉が出てきたけれども、国家レベルで言うと、例えば造船だったりとか、いわゆる生産技術みたいな、工場技術みたいな、
そのあとは資本技術みたいな、いろいろあったと思うんだけど、国家レベルで言うと、そういうもののボトルネックを解消してくれる技術はもうあるんだけど、思想部分だよね。
思想のボトルネックを解除してくれるものが生まれた瞬間も技術あるからとか、その技術を作る土壌は整ってるから、そのボトルネック解除された瞬間爆発していくよね、みたいなイメージでこられたかな。
ああ、でもそうだね。やっぱりその技術と思想の両方があると、本当に爆発的に広まっていくみたいな。それがやっぱりセットになった瞬間に、なんか手がつけられなくなるみたいな。そういうところだね、確かに。
そうすると、マックスウェーバーと石田バイガンで言うと、商人がめちゃくちゃ儲かるみたいな、めちゃくちゃ仕事がんばるみたいなところに対して、例えば西洋で言うとカトリックみたいなものがもしかしたらボトルネックだったかもしれない。
そうすると製品みたいな、仏教とか禅とか分かるけどね、それも一面がボトルネックだった場合、そこを外したときのブースト感やな、みたいな。
そういう商人みたいなね、もう既に好きが悪くやってる人たち。それで成功した人が、いわゆる社会的に悪にならない思想のシステムになってるから、みんな周りの人はかっこいい、うらやましい、あそこを目指したいみたいになって、
現代の労働観の考察
もうそっちに流れが完全に行くんだろうな、みたいなね。そういう空気の空間だから。
本当そうだね。そうすると仏教で言うとね、やっぱりまさに製品とか、物を持つとか集着だから、やっぱり全部手回していきましょう、みたいな。
そういう話があったときに、でもなんかあの人めっちゃいいもの食ってるじゃんとかさ、いいもの食ってるけどあれは俗人で捕らわれてるからダメだっていうふうな思いと、でもいいもの食いたいって当然人だったら思うわけよね。
そういうときに、いやいや仕事をして稼いだお金を使って、その分で贅沢しすぎない程度にいいもの食べるとか、ちょっと自分にご褒美を与えるくらいならいいよって言われたらさ、でも俺もそっちに行こうって思う人って結構いると思うのよ。
かっこよく見えるように。
鉄の折りみたいに言われる言葉があるんですよ。鉄の折りって言葉もよくないよみたいな話もあるんで、それも伝えるんですけれども。
さっきのカルバー派の流れでいくとかプロテスタントでいくと、やっぱり神への情熱っていうものが先にあって、ただ働くとか理順を追求するっていう手段があったじゃないですか。
やっぱりそれが時代が減ることによって、あるいはマックセーバーの時代になってくると、そもそも神っていうものがある程度力を失ってしまっていて。
そのときに、じゃあ何を大事にしていきますかっていう問いが突然出てくるわけだよね。
神は死んだって言った後の世界観ね。
そうそう。後の世界観として。
マックセーバーも1900年ぐらいだから、やっぱりその時代なんだけれども、その中でも資本を扱うとか理順を追加えていくっていう技術は残ってるわけよ。
じゃあこれどうするかっていうときに、さっきアニキの話だよね。じゃあ技術はある、でも思想がなくなってしまった。
そういうときに次に何が出てくるかっていうと、それがいわゆる仕組み化された制度。
要は例えば官僚制度もそうだし、工場とかもそうなんだけれども、つまり上手いシステムを組めばどんどん理順が生まれていくっていうこと。
それを上手くやり続けることが、自分の、何だろうな。
もっと言うとお金が増えていくっていうことが、自分が上手くやっているっていうことの証であるっていう。
そういうふうな発想っていうのはどんどん膨張していくわけだよね。
まあまあそうだね。それがもう、信仰心に基づいている人もいれば、そこはなくなって、
社会がそうじゃん、生まれたときからそうじゃん、みたいな感じでそこに対してポジティブに、誰も文句を言わない。
その部分で邁進できる環境にもなっちゃってるってことだよね。
そうそう。変わってきちゃってるって話。
カルバンが1500年代後半くらいなので、マクセバーとの間は300年くらい空いてるわけですよ。
でも全然時代が違う中で、神への純粋な思いみたいなところから、
そういった大仏的な、要は神への信仰じゃなくて、
そもそも資本を回していくとか、稼ぐ対立ことだとか、より良い仕組みを作ったりする人がかっこいいとか、
そういうところに自分の価値観が向いちゃってるわけだよね。
もしかしたら鉄の檻って言っちゃうと、そこに閉じ込まれた窮屈層とかって見えるんだけれども、
論文いくつか見てたら、それは檻っていうよりはむしろ甲冑みたいな感じで、
要は神と人の繋がりで自分を保ってたものじゃなくて、
そういうガチガチの仕組みではね、資本主義とか官僚制とか、
そういうもので自分の身を包んで自分を安定化させるみたいな。
それを自ら望んで背負ってるんだみたいな、そういうふうな解釈をしてるものがあって、面白いなと思ったんだけれども。
僕らっていうのは、いろんな流れの中で働くっていうことに囚われているんじゃなくて、
むしろ自分から進んで、働かざるものは食うべからずみたいな、
そういうところにどんどん落ち込んでいっている。
だっていうふうな発想が、より近代とか現代に出てきますという話があるんだよね。
はいはいはい。面白いね。
なので、今日ね冒頭からお伝えしている仕事っていうものは、
ある種ちょっといやしいものは奴隷のものはっていうところから、
いや仕事って神と繋がる最高のことなんだみたいな流れを経て、
そこから300年くらい経ったときに、神様とかちょっといなくなってたかもしれないけど、
でもなんか仕事っていいよねみたいな、そういう状況に今なってるよねと。
っていうのが、今回お話ししたかった流れの、まずは一つのゴールなんだよね。
ゴールって言ったけど、次に何を話しますかっていうと、
より現代の話をしますと。21世紀ね。
20世紀も一部含むんだけれども、
現代っていうものを捉えるときに、仕事とか働くってのを捉えるとどうなるのか。
これ次回は結構暗い話をします。
ほいほいほい、いいね。
はい、いいねなの。
ある種仕事っていうのに人間が捉われすぎちゃって、
なんかもうすごい良くない状況ではねっていう風な見方もできるわけよね。
いやー、面白いね。結構今回だいぶ進んだなって思ったんだけど。
はいはい。時間的には1000年くらい飛んでるからね。
結構ボリュームがあるなと思うんだけどさ。
ルーター以降、カルバン以降を、
罪的な?罪だなとか、仕事なんかしないほうがいいぐらいの、
人間が得るもんじゃないっていうところから、一気にここまで触れたわけじゃん。
はいはい。
で、次はあれでしょ、逆にそれが生き過ぎてどうなの?みたいな方に行くってことでしょ。
そうだね。
だいぶ進んだなと思う。
はい。
もうちょっとこのワクワク感を楽しみたかったけど。
はははは。
そうね。
その辺りはまた丁寧に別の機会でやってもいいかなと思うし、
多分ね、この話の働くことを手伝うという以上に、
このテーマの後に、次はショーペンハーワーをやろうと思ってるんだけど、
去年いろいろやったときに、ヘイギルまで一回やり直したじゃないですか。
ヘイギル以降の歴史というか、1800年とか900年代の思想の変化とか、
世の中の変化とかとか、めちゃめちゃ大きかったんだなって思ってて。
まさにこの時代もそうじゃないですか、さっき言ったイギリスが破壊されてアメリカに行きましたっていうのも、
そのぐらいの1700年代後半とかだと思うんだけれども、
その時代をちゃんと知るって、やっぱりすげえ現代社員、やっぱり大事だなって思ってるのよ。
そうだね。今回のカルバンの感覚もそうだけど、だいぶつながってる感あるもんね。
宗教改革と仕事観の変化
そうそうそう。だから言われたら、「わかる?」とか、「確かにそこにあったのね。」って感じがするじゃない?
そういうことあったのかって感じがする。
そうそうそう。なので、結構今年2026年はそういった、この19世紀、20世紀みたいな、
ちょっと前なんだけど、僕ら21世紀のことを作ってるみたいな人たちを取り上げてやりたいなと思ってて。
なのでそのあたりでも、例えばこの辺の、前言ったけどカルバンの話がとか、マックセーバーのことがとかってのが出てくるかなと思うので、
それは今回のテーマというよりは今年の大きなテーマとして取り上げたいなと思ってるような感じはありますね。
ちょっと今日は駆け足ではあったんですけれども、キリスト教初期っていうところからずっと進んだルバン派とかルター派っていうところも1500年くらいの話をして、
時代的には2000年というか、現代に近づいてきて、次回、現代っていうもので、その仕事とか労働とかを捉えたときにどんな見方があるんでしたっけ?
っていう中の割と暗い方、悲観的な方というものを見ていこうと思ってますって感じですね。
分かりました。では次回ですね、T2Tその働くの哲学について、どういう現代に近づいていくというところで楽しみにしていきたいと思います。
ではT2Tよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
55:58

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