1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #66 真理も無い!徹底的に当時..
2022-12-11 47:44

#66 真理も無い!徹底的に当時の価値観をぶっ壊したニーチェの世界観

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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(BGM)
はい、それ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回も引き続きニーチャーということで、ニーチャーが乗り越えたものが3つ。キリスト教道徳、あと誠の理と書いて真理というところで、この前までキリスト教道徳という話をしてきました。
今回次はその最後ということで、この真理について見ていきたいと思います。
はい、よろしくお願いします。真理、誠の理、理由の理ですね。誠は理で真理って、言葉としてはよく使うっていうか、真理を探求するみたいな、それこそね、いわゆる学問とか哲学とかであると思うんですけど。
そうだね、プラトンのイメージ、イデアのイメージ。
イデア的なね。でもさ、なんかちょっと、あの一回ふわっとした話から入っちゃうんだけど、なんか兄貴、その真理みたいなものをさ、日常生活でなんか大事にすることってある?
まあ、ないんじゃないんだけど、ビジネスとか経営に関しては真理みたいなものを追い求めてる感じはあるかな。経営とは何かとか経営の本質とは何かみたいなのは自分の人生のテーマ的な話だから。そこはなんか真理があるんじゃないかと思って苦しんでた。苦しんでいるでもいいけど。
でも、そうだね、多分それがまさに哲学的なことだし、経営の真理とか、多分ね、それこそいろんなものの真理、それもしかしたら家庭の真理とか、もしかしたら人間関係の真理とかってそれぞれあるかもしれないけど。
ここでいう真理は、いわゆる世界の真理とか人間の真理みたいなもので、まさに愛紀さんが言ってくれた通り、それこそソクラテス・プラトン以来の哲学を追い求めてきた、やっぱりいわゆる究極の根本みたいな話だよね。
さっき言った、例えば、経営の真理とは、要するに集めたものじゃなくて、そういうのも含めて全てを説明できる一つの原理みたいなイメージ。
だからまさに哲学の創始者っていうのは、タレスっていう人は、万物は水で、本源は水であるみたいなことを言って、水っていうのが真理というか、根源だって話をしたんだけど、そういう感じであらゆるものはこれだ、みたいなことが言えるみたいなものが真理。
哲学っていう意味で言うと、哲学的な正しい認識、要は人間の理性であったりとか、いろんな論理とかを駆使すれば、そこで到達できる最高のものみたいなものが真理だよと。
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そうなんだ、となると今言ってくれたのは、例えば人間とは何かとか、恋愛とは何か、経営とは何か、個別のものの真理みたいなものっていうのは、ここで言う真理ではないってことはね、それぞれの正解みたいな理想みたいなものかもしれないけれども、
真理は違うと、真理はもうそれらをすべて構造的に分解した時に、共通の構造みたいなところまでいったものを真理っていう、恋愛も説明できるし、その辺の意思コラも説明できるし、みたいな話だね。
だからまず前のイデアっていうのは、プラトンが見出した真理だけど、あるいは前のイデアっていうものが他のあらゆるイデアの元になって、そのイデアから現実世界のものが作られるっていう意味で、
あらゆるものを説明できる原理であり真理だよみたいな、そんな感じなんだけど。
僕自身はなんだかんだ世の中の真理を探求していた顔の人間だから。
そうか、そういう意味ではそうだね、してないわ。
してないや。
そういう意味ではね、またちょっと次回とかも見るんだけど、やっぱりこの真理っていうのを大事っていうか、人生において重要だと思っているかどうかで、ニーチェをすごいと思うかどうかって結構変わってくるなって思うんだよね。
ニーチェはまさにそれをテーマにしているから、もっと言うとニーチェっていうのはこれまでも伝えてきた通り、キリスト教とか道徳とかまさに真理みたいな、
こういうこれまでのヨーロッパで大事だと思われてきたものを乗り越えるぞっていう風に言ってるんだけど、乗り越えるだけじゃなくて、真理っていうものを掲げるからこそ、ある種人間の自然さとか、いわゆる純粋な本能的な部分とかっていうものがある種内側にされて、
自己否定に繋がっちゃうんだよっていう風に言ってるんだよね。
真理もルサンチマンとかニーヒーズも派生させるものの一つだって話なんだよね、本当に。
そういうこと、そういうこと。だからニーチェに言わせると、真理とか真実って、要はここにはないどこかみたいな理想を今日みたいに言ったりすると思うんだけど、
そういうものにたどり着きたいっていう風な気持ちにさせるんだけど、ニーチェからするとそれは嘘だっていう感じなんだよね。
この世のどこかに真実の矛盾のない世界があるっていうのは全然正しくなくて、それっていうのはむしろさっき兄貴が言ってくれた通り、ルサンチマンというか、この世はある種矛盾だらけだみたいな。
現実っていうのは混沌としているっていうことから目を背けるものであって、もっと言うとその現実っていうのが辛いから逃避、逃げるために理想を世界に向かってるんだみたいな。
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そういう願望の裏返しなんだよ。もっと言うとそれって弱者、それこそ道徳とか信じる人っていうのは弱い人間だみたいな話があったと思うんだけど、そういう弱者が追い求めているものだみたいなことを言うんだよね。
ニーチェがね。 ニーチェが。それって結構価値観をひっくり返す話だなと思ってて、要は真理の探求者って、人間の優れたって言うとあれだけど、ある知能を持った人間が果敢にすごい取り組むみたいなイメージってあると思うし、なんとなく哲学者ってそういう人たちかなって思うんだけど。
すごい知識人だったりとか、知的好奇心にあふれる感じがするよね。 そうそうそう。じゃなくてニーチェから言うと、それはただ現実の辛さか目を背けて理想を世界に浸ってるだけの弱者なんだよみたいな。
だからそんな真理とかみたいなのに、ある種目を向け続けてるのも良くないよみたいな話をしますと。ただニーチェがその真理そのものとか、真理自体に価値がないって言うかっていうと、そうじゃなくて、ある種これまでのここじゃないどこかにある真理っていうのに変わって、新しい真理の捉え方っていうのを提示するんだよね。
なんとかって言うと、やっぱり真理とか共通の信じるものが全くないってなっちゃうと、それはそれでニヒリズムになっちゃうじゃない。 今日は何でもありとか、結局は人それぞれだみたいになっちゃうから。
じゃあニーチェはどういう風な真理観を打ち出すかっていうと、要はこれまで、例えば1800年とか900年のヨーロッパで伝統的に真理って呼ばれてきたものは、結局は最も強い仮説とか解釈を持つ仮説なんだってことを言うのね。
そうなんだ。これニーチェが言ってるんだね。なんか聞いたことある気がする。こういうのって。
これニーチェが言ってる。逆に言うと、これを引きずって、それこそ例えば学問の世界とかでも、今のいわゆる非六常識とか、事実って言われてるものはまだ仮説だ、解釈だみたいなのが多分広がってきてるんだけど、結構その根源ってニーチェになるんだよね。
へー、知らなかった。はいはいはい。
で、最も強い解釈って何かっていうと、結局は人それぞれのこれこれのものはこうだと私は信じるっていう価値評価だっていう風に言うのね。
価値評価。
価値評価って要は、そこには価値とか自分にとって意味があるとか、自分にとってそれは何らかの価値意味なんだろうな、こう大事であるとか、そういう結局は自分に引きつけた考え方なんだよっていうことでね。
09:19
なるほど、真理とは言いながらってことはね、絶対的にフラットなものは結局はやっぱその完全にフラットなものっていうのはやっぱ人間が頭でやってる以上無理で、そこはどうしてもこの価値みたいなものが引きずられてるんだよっていう話をしてるってことかこれ。
まさにそういうこと。だからそれこそ道徳みたいにやっぱ道徳っていいものだよねっていう、そのいいものっていう価値判断がその手前にあるよね。
その道徳のよしよしじゃなくてそれを良いと思うとか悪いと思うその価値判断の方に焦点を当ててるっていうのがニーチェのすごいユニークなところだよね。
それが真理でも道徳だとまだね、その正義悪とかいい悪いみたいな、その同時の相対的なものが基準になっちゃうから、その話ってちょっと納得しやすいとは思うんだけど、
真理になってしまうと結構その絶対誰から見ても正しいものとか証明できるものみたいな話になっちゃうと、この価値判断とか価値基準みたいなものってむしろ通ってなさそうじゃん。
それが実は通ってるんですよっていう話だっていうのは結構ね乗り越えてる感じするよね。ひっくり返してる感じが。
そうだから結構深くえぐってんなって思うんだけど、だからもっと言うとその真理って言ってまさに言ってくれた通りある種の真理=正しいものみたいなさ、むしろそれが前提みたいな感じあると思うんだけど、
結局はそれってこれが真理だと思い込むみたいな話が絶対に含まれるから、結局それって信じるとか信仰、宗教的な信仰みたいな話とそんなに変わんない。
なるほどね。すごい機能法的に、物事これもこれも共通してるし、こうやって積み上げていくと、真理だよっていう風に積み上げ方で証明したつもりになっていても、
それはもうどう考えても若干は演劇的な、ゴールっていう大前提の理想というか、こうありたいみたいなものがあって、結論明らかにみたいなものが、0.00001%くらいはそれ残っていくからねみたいな、100%機能法っていうのは存在しないみたいな話になるかな、面白いね。
12:01
だからやっぱり客観的にあらゆるものを白い三つ縁に探したとはいえ、どうしてもその中に主観というか自分はやっぱり残るじゃない。
自分という限界があるってことだよね。ミシーって言ったとしても、そのミシーは今生きてる人間だったりとか、誰も漏れを発見できてないというだけにすぎないよっていう話だよね。100%漏れがないじゃなくて、誰も漏れの存在を指摘できてないだけですっていう。
それはイコールじゃないよね。 そういうことだったりとか、そこに自分というかその人の価値判断とか、そもそも抜け漏れなく、網羅的に数え上げるっていうことは重要であるみたいなことも、それって一つの価値だから。
なるほど、そこまでいくとね。 みたいなところが、このニーチョが言っているその真理の捉え方ですと。
ここでニーチョの話というか、僕自身の気づきを話させてもらいたいんですけど、僕は結構この考え方を知って、世界観と価値観が結構変わったのね。
そうなんだ、これはあれか、前回ちょっと話したニーチェ、サンチマンでいろいろ馬鹿にしてた自分がもう一個乗り越えた瞬間みたいな話になるかな。 いや、本当本当そんな感じで。
だからまさに僕はニーチェが指摘するなって言ったら自分はアゲすぎだけど、やっぱりその真理っていうのがどこかにあって、正しい人生とか世の中の真理を知ると人生が楽になるって思ったのね。
前もちょっと話したかもなんだけど、勉強ができたから勉強って答えが分かったら評価されるって世界じゃん。人生もそれだったら楽だなってずっと思ってたの。
しかも同じようなことがあってほしいみたいな話か、どっちかというとね。 そう、あってほしい。 あるだろうし。 真理はどこかにあって、自分はそれを知らないだけで、それを知ったらきっと人生っていうのがEasyモードになってほしいと思ってたの。
お勉強と同じように頑張れば人生もクリアできるような場所があってほしいという話ね。 そうそうそう、それってまさに価値判断だよね。 そうだね。
そっち、現実の矛盾とか煩わしさから目を背けてたのよ。 はいはいはい。
そこが僕の一番最初のモチベーションで、哲学者のことを色々知ってたら、そういう誰かが真理を知ってるんじゃないかとか、誰かが語ってるんじゃないかっていうことを結構思ってたのよ。
なるほどね。周りの人はそれを知らなかったりとか教えてくれないだけで、自分の…きっとみんなそれを勉強してたりとかして幸せに生きてる人は結構いるはずだみたいなね。
自分は自分が自分を信じているんだとか、自分は自分を気づいていないだけだみたいな。って思ってたんだけど、ニーチェを読んでたり、そのニーチェを解説する人とかの話を読んでたら、もう真理はなくて、それは一つの信仰とか態度だみたいな話を聞いて、
15:17
だから万人、誰もが共通に信じられる真理ってのはそもそも存在しないし、自分にとって何が価値あるものかが分からないと。もっと言うと、自分の中の価値判断の基準とかっていうものをちゃんと持って、それを自覚してないと、
結局世の中に大事なものとか、いわゆる真理のようなものを見出すことなんてできないっていうことを、ある種ちゃんと頭で分からせてもらったんだよね。
なるほど、ただの自己啓発文とか、言うて幸せはないから自分の幸せを求めなさいみたいなふわっとした話とも違くってことか。理論的に頭で理解させてくれた。
だから功労がけじゃなくて、そういう世界観、要は世界、一つの真理があって、それを信じられれば幸せであるっていうのが一つの世界観であって、他の真理っていうものはなくて、自分の価値基準とか価値判断によってそれを見出していくっていう世界観もあるっていう、そこが相対化されたのよ。
そうなんだ、その瞬間があったんだね。それはすごい、結構なタイミングだね、感じがするね。
マジで自分のコッペロニクス的展開みたいな感じの、哲学に一段深くはまった瞬間だったんだけど、だからこれまで外に真理とか正解を探して、どこだどこだってやってたんだけど、それじゃ一生見つかんねえから、もっとちゃんと自分に向き合いよっていう話で。
その向き合いっていうのも、ただただ自己分析するんじゃなくて、もっと根源的に。自分のどんな価値基準で生きてるんだろうとか、どんな価値判断で日常を過ごしていったら、自分っていうのはもっと豊かな生活を送れるんだろうみたいな、そういう問いに切り替わったんだよね。
ヨウ:はあ、なるほど。まあそれも大変というか難しいよね。確かにな。それってどっちか片方が抜けてても難しいもんね。
そうそう。
ヨウ:自分の幸せをただ探すっていう方だけでも、さっきのニッチェ的な理解、見越えた先の世界観を理解しないまま、自分探しの旅を始めちゃうと、それはそれで終わりのない旅になっちゃうもんね。
ヨウ:結局、まさに自分探しでは自分は見つからないから。なぜかというと、要は自分を探すっていうのは、自分の価値基準に基づいて生きるっていうことだから。
18:06
ヨウ:そうだよね。それを自分の頭で考えていない段階で、それを思わされちゃってる状態だよね。例えば、キリスト教の雷闘争みたいな感じで、キリスト教は今週もイサイクベーみたいなさ。
ヨウ:いや、牧師さん、今日もどうもどうもみたいな。船と飲みに行こうよみたいなさ。まあ別に飲みに行くのは全然いいんだけど。
ヨウ:そういう中で自分探ししてもみたいな話だよね。ちゃんと絶望した上で自分探さないと。
それで一生楽しく過ごせる人もいると思っていて、その人はそれでいいんだけど、どこかでつまづいて、それこそ真理とはとか、自分の生きる意味とはっていう問いに囚われちゃった時に、やっぱり立ち直れなくなっちゃうんだよね。多分そうなると。
ヨウ:なるほどね。でも、ハヤトの話聞くと、もうつまずくとかじゃなくて、最初からもう一回も立ち上がれた時から立ち上がることなくずっとつっぷしてたみたいな。やっとよいしょって立ち上がったみたいな感じするよね、その兄ちゃんの話を聞いてね。やっとこれが立つってことなんだみたいな。転んでもいないみたいな。ずっと寝てた。
ヨウ:でも結構ね、やっぱり当時は大変だったよ、本当に。自分はもうこのままじゃダメだみたいな。やっぱり自分の生きる根底がなくなったみたいな感じもあったから。
それは兄ちゃんを気づく前の話?
ヨウ:気づく前の話。それこそ、それまではある種、勉強できたから勉強できるっていう世界でそれなりに生きてたところが、社会人になって、全然ダメだみたいな。勉強できるだけじゃ生きていけないみたいな。どうやってご飯食べていこうみたいな。
ヨウ:そういう価値観に順応しなきゃいけなかったから。
そこら辺って何か理解してるのかな?理解というかあるのかなと思ったけど、結構勉強にハマってたんだね。
ヨウ:そう、やっぱり楽だったんだよね、そのシステムでさ。正解に早くとか正しくたどり着いたら評価されるみたいなのって、やっぱり自分が一番うまく機能してたシステムだったから。
ヨウ:なるほどね、成果も出せてたしねみたいな話が。
仕事ってそうじゃない部分もあるじゃん。僕はちょっと雑談っぽくなっちゃうんだけど、入って1年目の時に上司から「仕事には正解なんてないんだから、お前がちゃんとそれを作んなきゃいけないんだ」って言われた時に思考停止したのよ。
ヨウ:本当に分かんなかった?
本当に分かんなかった。「何言ってんの?正解がないなら仕事って何のためにやるの?」みたいな。
ヨウ:まあ、そのスタンスを一時あるっちゃあるか。
だからそれを乗り越えれたのはすごい良かったなと思っているんだけど、多分上司も分かんなかったと思うの。「こいつ何言ってんだ」って思ったと思う。
21:05
ヨウ:まあ、そうだね。社会人からしたらそういう部分もある。「面白い」とかぶつかっちゃったんだ。
ある種、正解って言葉の捉え方とか、自分で正解を作っていくとか、その状況に応じてこれを正解にしていくみたいな考え方って、
その真理がどこかにあってそれにたどり着くことが正解だっていう考え方が出てこないのよ、逆に言うと。
だってさ、キリスト教で神に近づくことが正解だって言われたら、あなたの神を探せって言われても無理じゃん。いないから、キリストしか。
ヨウ:やっぱりズレてるんだよね、そこがもう。社会人1年目とか本当にヤバかったね。
なるほどね。そこで、その段階だとまだ新たな答えを探してる段階ってことか。
ヨウ:そうそう。ニーチェとか哲学にハマる前って感じ。
その哲学っていうものを勉強してたとして、それは答え探しだったんだ。自分の外への答え探しみたいな。
ヨウ:そう、外への答え探しだね。その前にビジネス本とか読み漁ってたりとか、いわゆるビジネスセミナーとか、当時まだコロナとかじゃなくて、東京で開催されているセミナーとかに行きまくる、
ヨウ:すごい路頭に迷った新人がそこにいたんだよ。
おっと。
ヨウ:分からない、分からないって。
ヨウ:どこかで答えをくれみたいな。
答えを教えてくれみたいな。
ヨウ:はいはい。
やばいよね、ちょっと。ちょっと脱線しちゃったんだけど、そんな感じ。
結構僕のビジネス本読んでもダメで、セミナー行ってもダメで、哲学しかないみたいな感じで、
ヨウ:ビジネスの正解じゃなくて人生の正解を探したら、いわゆる集合とかも含まれている関係的に人生の正解を探したら仕事の正解も分かるはずだから、人生の正解を探しに行こうみたいな。
本当に審議を探しに行ったんだ。
ヨウ:そうそう。ちょっとやばかったね、当時。
まあでもきついよね、確かにその状態ってね。自分のベクトルが分からない状態だもんな、それは。
ヨウ:どうしたら自分がうまく機能するか分からないという状態だったから、だからそういった意味で哲学とやってたんだけれども、
ヨウ:そういう意味で僕自身も、そういう世界観とか価値観が広がるみたいな実体験を持ってはいるから、
ヨウ:だからこそ僕自身も特定のスタンス、だからやっぱりニーチェが最高だとも言わないし、
ヨウ:キリスト教とかも素晴らしいと思っているから、そういう特定のスタンスで話すんじゃなくて、
24:03
ヨウ:まあそういうことで兄貴とか、まだ聞いてくださる方々にとっても、自分にとって一番価値評価とか、自分の価値判断に役立つ哲学者って誰なんだとか、
ヨウ:思想ってどういうものなんだっていうのを見つけていただけるのが一番いいんじゃないかなって思ってるんだよね。
まあそうだね、自分の答えをね、バシッとある人がいればそれは幸せだろうし、ないならないでね、ちゃんと問いだったりとか、それを壊してくれる。
今回のハヤトで言うとね、ニーチェがぶっ壊した世界っていうのが、あ、ないんだってことに気づくっていうね。
真理なんてないというか、仮初めなんだみたいなね。それも一つの発見だもんね。
ヨウ:いやもうすごい発見。
答えそのものなのか、その世界観を破壊だったりとか作り直してくれる。
ヨウ:だからやっぱり答えはないとか、真理はないっていうのは僕はもう今はそう思っていて、やっぱりそれを作るためにどういう風な考え方とか、思考とか行動が役立つのかみたいなことを結構今は大事にしてるんだけど。
ヨウ:多分ね、聞いてくださる方も、やっぱりその、ある種、一個の自分なりの考え方やっぱり価値基準ってあると思ってて。
ヨウ:それをちゃんと自覚した上で、いろんなことを考えると、ある種こう、世界が開かれるというか、その人自身の真理っていうのが見えてくるんじゃないかなって思うんだよね。
ヨウ:ある種そうやって、自分の価値基準に気づいた人が、なんか触れ合うとか結びつくと、なんかね、これまでとは違う、なんとなくコミュニティ作るとか、なんとなく人と出会うっていうのじゃない、
ヨウ:私はこういう価値観で生きてますとか、自分はこういう価値基準っての大事だと思ってますっていうことまで共有できるような人の結びつきって、なんかすげえ、現代に大事なんじゃないかなぐらいに思ってて。
はいはい、まあそうだね、それはすごく思う。
ヨウ:だからこそ、そういう人たちが増えたら嬉しいな、みたいなことも思ったりもするんだよね。
ヨウ:そういった会話が普通になされる世界ってことだよね。価値観でただ集まる集合体じゃなくて、価値観が同じかどうかってのは意外と関係なくて、それをきちんと自分で認識して、それを発信して、お互いに認め合うというか、それもあるね、みたいな、喧嘩するんじゃなくてね、そういう対話ができる世界って話だよね。
ヨウ:そうだね、まさに。同じ価値観を持って、例えばみんなが幸せになりますようにっていう価値観が大事なんじゃなくて、そういう価値観で自分は生きていきたくて、それをもっともっと、それに純粋に行けないようになりたいという思いを持った人が集まる、みたいな場があったとしたら、
27:07
ヨウ:お互いにそれってこうやったらいいよね、とか、それぞれの価値観っていうのをもっともっと豊かにして、生きていけばいいじゃん、みたいな。まさに認め合いとか多様性ってそういうことなんじゃないかなと思って。
ヨウ:だから、ニーチェ自身がそこまで言っているわけではないし、ニーチェはどっちかっていうと、超人みたいな、いわゆるどういう強い子を作り出すみたいな、そのためには他の人がある種、別にないがしろにされてもってわけじゃないけど、
ヨウ:人類全体をあげるっていうよりは、たった一人の超人を生み出す方が大事みたいな考え方もあったりするから、
ヨウ:ニーチェ自身がそういう多様性とか言ってるわけではないんだけど、
ヨウ:そのあたりが結構ニーチェの思想がそのまま生きてこないというか、現代21世紀に適用しづらい部分はあるんだけど、
ヨウ:僕自身でいうとそういう真理はない、ニヒリズムもある、でも自分なりのある種価値基準っていうのを大事にしながらお互いに認め合えるみたいな、
ヨウ:そういうちょっと理想的な社会はあるんじゃないかなと思ったりはします。
はい、なるほどね。ハネットお前は特にこの真理でつまずいてたというか部分があったと思うけど、そうだよね。じゃあその真理がそれを探す、探せればいいけど、見つかる時に自分で作れって言われた時にも、それはそれでやっぱりとても無茶な話だもんね。
イースト教の世界で生きてる時に違う神探してきてって言われた時に、いないし、そんな考えたこともないしっていう時の、違う神みたいな、これすごく例えは失礼な例えだけど、神を探す特化かけりみたいな話をニーチョーが与えてくれてるって話だもんね。
ヨウ:そうだね、探すっていうよりはある意味見出すかな、要は外じゃなくて中にあるものだよっていう風に言うから。
探すになっちゃうと道徳とか真理になっちゃうとそれも違うからねみたいな話で。
ヨウ:そう、あくまでも自分の中から立ち上がるものっていうのを大事にするよねっていう考え方が実存主義的というか、そういう感じがあるんだけど、ちょっとまだだいぶ脱線してしまったんですけど、ニーチョーの真理観とかそういう捉え方っていうのはそのままある種考えると、人間の数だけ真理が存在していいよねっていうことになるよね。
ヨウ:確かに。 うん。ただ結局ルサンチマンっていう共通のある種システムみたいなものがあって、ルサンチマンに捉えた人間っていうのは結局敵が悪くて自分はいいとか、真理があって現世は矛盾だみたいな風な価値判断を持っちゃうから、逆にそこに共通の真理が生じるんだよね。
30:07
ヨウ:はいはいはい。 だから、ある種永遠の世界とか絶対者みたいなことも結局は一つの価値基準だよと。だからニーチェっていうのはそのまさに価値基準とか価値判断っていうものを力っていうすごいシンプルな言葉で表してるんだけど、これは結局自然な欲望とか欲求とか生き方みたいな。
ヨウ:うんうん。 ある種、世の中に合わせる生き方じゃなくて、自分がある種本当に望ましい生き方みたいなものを力みたいな感じで総称してるんだけど、それって別に人それぞれ違っていいし、それが違う、生きるスタンスが違ったらやっぱり見えてる世界とか信じる真理も違う。
ヨウ:それでいいじゃんっていうのがある種ニーチェの人間感とか世界観なんだよね。 うーん、なるほど。そこまでいくとルサンチマンじゃなくて、ある意味ハエトのよく言う素朴な人間の感情とか、ベクトリンシマンって生きてるってことにはなるよね。
ヨウ:結果というか、どう出てきてるか別としてね、みたいな話ってことか。 そうねそうね。
ヨウ:ここまでくると、ニーチェの世界観とか人間理解っていうのが、それまでのヨーロッパの哲学的な伝統と全然違うよねっていうのも伝わっているかなと思うんですけれども、やっぱりこれまでやった時期はプラトンとかカントって、まずは世の中に完全なもの。
それが見えるか見えないか、認識できるかできないかっていう違いはあるんだけど、そういう完璧なものがあって、それを人間とか他の生き物っていうのが、感覚とか理性を通じて把握しますと。
ヨウ:人間は理性を使えばそれは正しく捉えられるけど、動物は理性は無理だみたいな話とかしてるんだけど、結局まとめると、要は自分の外とか、いわゆる客観っていうところに使命っていうものがあって、自分の内側とか主観っていうのは、それを解き明かすツールですよみたいな考え方があるんだよね。
プラトン的な話だね。 ヨウ:そうそう。いわゆる客観、主観みたいな対立してる世界なんだけど、ニーチェは実はこの対立っていうのをないものにしちゃうのよ。
ヨウ:どういうことかっていうと、まずは人間の力っていう自然な欲求とか生きるスタンスがあって、それに応じて世界が立ち現れて解釈される。あらためて世界っていうのも主観の方から立ち上がってきて、そこからあらためて世界っていうものを人間が認識するっていう、
33:02
ヨウ:作ったものを自分で捉えているっていう、そういう構造に変わるんだよね。ここって伝わるかな?結構ここが難しいというか、微妙なところなんだけど、めっちゃ大事なんだよね。
ヨウ:それこそ、ニワトリ卵みたいな話に聞こえるかもしれないんだけれども、それがたぶんニーチェが暴くまで、反射するまでわからないというか、ニワトリ卵でいうと、さっきでいうまず真偽みたいなものが世の中になって、
ヨウ:もうそれは捉えるんだよっていう順番だったっていう話だけれども、ニーチェはそこが違うよと、そのもう一個先があったんだよって話をしていて、さっきの例えがすごく言いやすかったんだけど、
ヨウ:例えば昔、生活が苦しいだったりとか、この世に意味はないみたいな人たちがいた、そういう村があったとして、人々が、
ヨウ:この世は本当に、かき染めで早く天国行きたいわみたいな話をみんなしているとすると、素朴な感情としては生きるのがつらいと、腹も減るし、食い物もないし、みんな死んじゃうし、
ヨウ:この世きついじゃん、みたいな人がいっぱいいたときに、それぞれ個人が素直に、ルサンチマン的にじゃなくて素直に、きついなー早く天国行きたいって言ったとすると、
ヨウ:そういう共通認識みたいなものがふわふわふわーって、共同体だから生まれると、
ヨウ:共通認識みたいなものは、この世は意味がないから早く天国に、幸せな天国に行きましょう、この世はつらい、天国はとてもいいとこだ、っていう、
ヨウ:心理みたいなものがふわふわーっと人間によって生み出されているわけ。
ヨウ:それを昔はふわふわーってできた、この世はつらい、天国はいいとこだ、っていうものだけを人々は捉えて、世界はそういうものだから、知らないよね、みたいな話をしていて、自分たちも、
ヨウ:そういう世界だからしょうがないんだ、と思ってたんだけど、実はそのふわふわーっとしたものは、そうなんだと思っている、自分たちが無意識的にでも作り出したものである、
ヨウ:という話をニイチェはしていて、だから、結局それってみんな、後から誰かが言語化したりとか、共通認識みたいな概念を作って、
ヨウ:それをあたかも人々が捉えていて、世の中はそういうもので、そうなった人間は生きている、しょうがないよね、っていうふうに説明して、わかった気になっているんだけど、
ヨウ:いや、違うって、そもそもそれ、お前たち自分たちで作ったやつだからね、という話をしていて、
ヨウ:人々もニイチェからそう言われたら、あ、確かに自分たちが作ったやつだったかもって、200年後くらいに思い始めている、みたいな。
ヨウ:だから、それが実能主義なんだ、あくまでその真偽じゃなくて、自分たちで無意識的にでもいいから、自分たちが作ったものを、あんたたちはそれに縛られているというか、捉えているだけだよ、みたいな話だよね。
36:14
そうだね、そうだね。 ヨウ:同じことを繰り返しになっちゃったかもしれないけど。
でも、本当そうだと思う。やっぱりそういう世の中にあるものを基点に考えるんじゃなくて、自分の存在っていうものを主にして、物事を考えるというのが実能主義的な考え方。
ヨウ:今の例えだとね、民衆の例えだけ、一視点からだけだから、まだわかりやすいと思うんだけど、
ヨウ:これはね、例えば王様だったりとか、貴族だったりとか、教会だったりとか、いろんな価値観だったりとか、パワーっていうものが、総合作用の中で、さっきの、
ヨウ:現世つらい天国がいい、みたいなものが、たまたま合致してそれが生まれたりすると、もう手に負えないというか。
そうそう。まさに、三千万村みたいなものがあった時に、誰かが「俺は神の国の生き方を知っている」って言っちゃうと、そこに、要は力関係とか、それを組織化する動きとか、
その人をある種、権力を持つっていうような動きとかが、全部同時に働いちゃうんだよね。
ヨウ:うんうんうん。それをもう、真偽だって説明すると、意外と納得できちゃうような、三千万村の中では、もう、代々受け継がれた神話みたいなものが、この三千万村の罠みたいな話をするおじいちゃんとか出てくると、
ヨウ:もう子供もその価値観の中で育っちゃったりとかして、それが2000年も続いたら、ほらね、みたいな話だよね。
ヨウ:そこに来た旅人にいちえが、「ちょっと三千万村おかしくない?」みたいな話をするってことだよね。
ヨウ:そうだね。ほんとそんな感じ。
ヨウ:で、すごいのはにいちえは別に、にいちえは村から出てきた。要はお父さんもプロテスタントのキリスト教の人だから、村に生まれたのに、
ヨウ:この村おかしいよって気づいて、何がおかしいのかっていうのを、本当に考え尽くして、それを発表したっていう。
ヨウ:それは、博外もね、博外はされてないけど、やっぱり仲が悪くなったりとか、受けられないとかもあるよね。
ヨウ:妹に改ざんされたりとか、それはするわね。長老にね、「実は兄はこんな正しいことを話してたんです」みたいなね。「神は最高って言ってたんです」とかって、それは言われるわっていうね。
ヨウ:やっぱりそれがどれだけ大変なことだったのか、やっぱり真剣な営みだったのかっていうのは、僕はすごく感じるんだけど、やっぱりこのままじゃダメだとか、これは違うっていうね、やっぱりにいちえの確信があったからこそだと思うし。
39:02
ヨウ:あとは今後もどこか取り上げるんですけど、こういうのは、いわゆる自分の側にある種スタートがあって、世界が立ち上がってくるみたいな考え方っていうのは、いわゆるフッサールの幻想学みたいなものにも受け継がれていくんですよね。
ヨウ:これもまた洗礼されてくるんだけど、これって結構いわゆる現代でも言われるような、その認識が変わると世界が変わるとか、いわゆる世の中っていうのは自分の捉え方次第だみたいな考え方っていうのはちょっとずつあるじゃないですか。
ヨウ:ポジティブシンキングみたいな話もそうだと思うんだけど、結構それに近いので、理解しやすいっちゃ理解しやすいのかなとは思いますと、だから多分僕みたいにどこかに真理があって、それを探したら勝ちだみたいな人ばっかりじゃないと思ってて。
ヨウ:だからある種、完全な世界ってのはあんたが理解しようとする存在っていうよりは、自分の現実も不完全なんだけど、それを前提としてその自分で世界を作り上げていく存在だみたいな。
ヨウ:やっぱりニーチェがある種打ち出したら人間感とか世界観だなっていうふうに思うし、すごい共感できるなって僕自身思ったりしてます。
なるほど。ただね、カロリー使いそうな生き方だよね。
ヨウ:カロリーを使うんだよね。やっぱりめちゃめちゃ、じゃあそれってなんだろうとか、やっぱりよくあるじゃん、常識にとらわれずに自分なりに生きていきましょうとかってなった時に、やっぱりそんな簡単じゃないのよ。
ヨウ:なんか僕が最近参加した勉強会の講師の人も、なんか人間カップラーメンじゃないかみたいなことを言ってたんだけど、お湯を注いだらなんかおいしくなれた感じじゃないんだよね、やっぱり人間って。
ヨウ:だからやっぱり、さっきセミナーとか行きまくったって言ってたけど、この1時間のセミナーに参加したら全て変わりますとかはやっぱり全部嘘なんだよ、基本的に。新しい信仰を植え付けられてるだけだから。
ヨウ:私1時間じゃそれが限界だろうね。 そうそうそう。やっぱりそうすると何かを信じるっていうことで、要は対象を変えてるだけだから、外に真理があるっていう価値観さえ変わってない?
ヨウ:そうね。確かにさっきので言うと、認識が変われば世界は変わるっていう意味で、認識と行動が変わることで今の自分の悩みからはちょっとずれて、今の生き方がちょっと楽になるとか、良い方向に転ぶみたいなことはできるかもしれないけど、根本的な理解だったりとか、根本的な価値観、世界観は変わってないよねっていう話だよね。
ヨウ:だからポジティブ信念とか別にいいんだけど、何がポジティブかとか、自分にとってポジティブなものは何かっていうことをやっぱりつかまないと、やっぱり意味がないという。だから結局無茶しちゃうことにもなっちゃうんだよね。
42:13
まあそうはね、そこは面白いな。個人的にもそこはある。ポジティブとネガティブを逆に捉えていてすごく苦労した経験はあるから。
ヨウ:なるほどね。面白いな。
それもね、正解はないんだろうけど、自分の中でね、それが逆になった瞬間があったから。面白いよね。
ヨウ:ちょっとそれまた雑談とかで聞きたいけど。
ヨウ:やっぱりそこまで話すと、そういえば俺もこんなことがとかさ、そう言われたら確かにこういうのあるかみたいな。
ヨウ:なんか話でも多分なるじゃない?
そうはね、それぞれの世界観で生きてると、やっぱり苦しい段階とか、さっきのハヤトの社会人知りめでさ、調子と話がかみ合わないみたいなことって絶対あるはずだからね。
それが小学校時に終わった人もいれば、30代で起こった人もいるかもしれないっていうだけの違いで。
ヨウ:僕はそういう話が大好物だから、やっぱりそういう話をしたいのよ。世界観トークをしたいのよ、基本的には。
ヨウ:という感じで、ちょっと色々自分の話も織り交ぜながら色々お伝えしてきたんですけど、こんな感じでですね、真理っていうお話があって、キリスト教道徳、真理っていうニーチェのある種の能力を用としたヨーロッパの価値の一切みたいな話っていうのは一旦終了ですと。
ヨウ:これしかやっぱり途中でも言ったんだけど、ソルテッドラジオでこれまでやってきた、まさにソクラテス・プラトンとか、西洋のキリスト教神学とか、下手したら仏教とかもそうだよね。
ヨウ:仏教とかはまた文脈が違うし、ニーチェはキリスト教よりは仏教の方が役立つとかいいよねみたいな話もしてるらしいんですけど。
ヨウ:またニーチェが終わったら次、禅とか東洋に飛ぶので、そちらそちら楽しみにしていただきたいんですけど、そういうのを乗り越えているとか、一旦それをフラットにしたのがニーチェだよみたいなのを感じていただけると嬉しいなと思ったりします。
はいはいはい、そうだね。ただ、ぶっ壊されてどうしようってなってるけどね。
ヨウ:そうだよね。まさにニーチェがそこでしめしめって語っていくのが乗り越えだよね。その真理っていうのは人それぞれだとか、絶対のものがない価値を乗り越えようってなった中で、それを超えるための考え方とか概念としての超人っていうのがあるんだけど、次回それの話をしようかなと思います。
いいねいいね。 ヨウ:そうだね、超人っていうワードを聞くとニーチェの翻訳の問題かもしれないんだけど、いわゆる怪人とか筋肉マンみたいな出てきそうなイメージするじゃん。
45:11
ヨウ:超人みたいな。 そうだね。
ヨウ:そう。そうじゃないんだよみたいな話とか、っていうのもここまでの話を聞いていただいている方はある種理解しやすいと思いますし、ある種、あともう一個重要な概念として永劫回帰とか永遠回帰っていう概念があって、
ヨウ:結構これを、本当は別の概念らしいんだけど、超人と永遠回帰っていうのは。セットで理解すると僕は理解しやすかったなと思うので。
そうなんだ。 ヨウ:そんな話をお伝えしながら、超人、要は一言で言うと価値を超えるとか、これまでの既存のニヒリズムとかアルサンチマンっていうのじゃない価値で生きる人間っていうのが超人ではあるんだけど、
ヨウ:それってどんな人なの?僕はどういう考え方からそれが出てくるの?みたいな話を次回しっかりさせていただきたいなというふうに思っております。
はいはい、了解です。そうだね、2000年の歴史を持つルサンチマン村、ニイチェ誕生によって、もうみんなの価値観が揺らいでますと。
ヨウ:そうそうそう。 どうしようどうしようみたいな。
ヨウ:揺らいではないんだけど、みんなちょっと揺らぎ始めてて、これまでいいのかな?って、ルサンチマン村大丈夫かな?ってなって、村長とかエゴも最近わかんないよみたいな。
ヨウ:科学理論も発展してきたしみたいな中で、ニイチェがお前らがルサンチマンに囚われていて、ニヒリズムを克服するためには超人にならなきゃいけないって言った時の、ポカーンっていう感じ?
そこまで含めてね。 ヨウ:そこまで含めて。
ヨウ:どういうこと?みたいな。でもその超人ってじゃあ何よ?みたいな。
ヨウ:とか、その超人ってどういう世界観だったら機能するのよ?みたいな。
ヨウ:その話っていうのを次回させていただいて、果たして皆さんはそのルサンチマン村のわかんないよなのか、それはすごいってなる人なのかっていうのを、感じていただきたいなと。
ヨウ:じゃあ僕はポカーンです。
なるほどね。200年後の我々でもってことだね。どう思うか。楽しみだね。
ヨウ:じゃあ次回はそんなニーチェの超人、あとは英語回帰かっていう話を聞いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。
ヨウ:本日もありがとうございました。次回も楽しみに。
♪~
47:44

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