1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #22 【ブッダ雑談】果てしない..
2022-07-10 34:10

#22 【ブッダ雑談】果てしない欲望との向き合い方

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


【内容】東洋哲学の入り口/ポジティブ心理学/独立起業の悩み/収入と支出の業/お便り紹介/今後のテーマなど


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00:00
【ソレッツラジオ】
はい、ソレッツラジオ今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、えっと初のですね、東洋哲学ということでまずはブッダの話だったんですけれども、お疲れ様でした。結構長かったですね。
そうですね、あちこち話もね言っちゃったんで、ブッダの話しちゃったの全体の3割ぐらいだったんじゃないかな。
結局そうだよね、ブッダが出てきて、ブッダの哲学の話をしたのは最終話だけだったしね。
そうですね。でもどうでした?もともとブッダの人隣だったりとか、さもその仏教はどうしてできたっていうところからやっぱり語った方がいいんじゃないかと思って今回はちょっと話させてもらったんだけど、
なんか日記としての理解度というか納得感みたいな。
そうやっぱりその東洋哲学でブッダをやるっていう話になった時に、最初にもねあの話したんだけれどもいきなり仏教の話、
普段まあなじみがあるというか、普段ねお寺とかねそういうのを知っているぐらいの仏教の話なのかなと思ったら、
それができる前の話。そもそもブッダとはどういう人で、そのブッダが喋ったこと自体みたいなね、
「あ、それって仏教じゃないんだ」みたいなね、そういうちょっと新鮮なというか、そこがなんか別れることも知らなかったし、
なんかそういうところから話してもらえて、単純に聞いてすごい面白かったなぁと思うし、
逆にハヤトの方は今回喋ってみての手応えというか、改めて面白かったとか、なんか発見があったとか、それがあったりした?
うん、そうね、いや実はめちゃくちゃあって、なんか僕は結構喋っている時の自分の気持ちとかを気にしながら喋るようにしてるんだけど、
そう、なんかね、その西洋哲学で例えばアリストテレスがこんなこと言ってましたって言った時に、
なんか兄貴が解釈した時には、そういう解釈もあるのかって自然に聞けたんだけど、
なんか東洋哲学とかブッダのことを話してると、いや違ぇよみたいな、そういうことじゃねえんだよみたいに思ってる自分がいて、
はぁ~、あれから自分が好きだというか、興味があるだけに、ちょっとその感情も乗るんだなみたいなところがあった?
そうだね、なんかそれなんだろうな、まさに感情みたいなところもそうだし、
あとそのやっぱ西洋哲学って結構ロジックでいけるから、解釈の余地は結構ある、まああっていいと思うよね、
だから結局その自分なりにアリストテレスを解釈した時に、
自分にとってはこういう意味があるとか価値があるとか、こういう学びにつながったって全然言っていいなって思うんだけど、
なんか仏教とかブッダの言葉って結構生き方レベルとか、
あとその役立つ役立たないみたいなことを超えるようなことを言っていると僕は思っていて、
そこはなんか表面だけなぞると似たような、どっちも解釈の余地があるみたいな感じに捉えられるかもしれないけど、そこはなんか違うのかな?
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そうだね、なんか解釈じゃない、ブッダの言葉をそのまま知るのだみたいなことを話すのかな、
生き方みたいな感じがどうしてもあるのよね。
確かにブッダのエピソードだったりとか、この前のブッダが話したスッパニパータの話を聞くと、
確かにブッダが持つ、自体がまたオーラだったりとか、あとその言葉に持つパワーの強さ、
だから当時2500年前にそれを目の前で受けた人は多分超感化されたんだろうなとか思うしね、
2500年経った今でもそんなパワーを持つ。確かにそこはちょっと古代西洋哲学でいうところの文道法とか、
あとはその学術的なアプローチとは確かにちょっと肌感として違う感覚は確かにあったかもしれない。
そうそう、やっぱりどこまで行っても現実の苦しみとか、自分がどうしたらもっと幸せというか、自由に生きられるのかみたいな、
っていうのがあるからやっぱりこの世の根源とは何かとか、社会をどうより良くしていくかっていうのと問題設定が違うっていうのが、
結構思ったより自分の中に根付いてるなと思って、それがすごい面白かった。
なるほど、前これどっかのアリストテロスの雑談会とかでハヤトが言ってたかもしれないけど、
元々の哲学を始めるに、哲学に興味を持つに至った自分の中の問いって確かその辺だもんね。結構直結してるもんね。
結構直結してるし、ブッダに出会って、すごいおごったことを言うけど、自分と同じことを考えた人がいるって思ったんだよ。
苦しい苦しいどうやったら逃げられるんだみたいなのを考えてたどり着いた人がいるんだなって思っちゃったのよ。
はいはい、まあそうだね。多分人類の今生きてる人たちもこれまでの人類もかなり普遍性の高いテーマだもんね。
どう苦しみから逃れるか幸せかっていうのはね。
そうだね。やっぱりね、これ雑談会だからちょっと広げちゃうんだけど、やっぱ最近ってポジティブ心理学みたいな。
なんか聞いたことある?マーティン・セリグマンさんみたいな。
ごめん知らない。ポジティブ心理学?
そうそう。僕もともと大学で心理学やってたっていうのもあって、そういうのを勉強したんだけれども、
結構その心理学の始まりというか元もどって、それこそフロイトとかユングみたいな、結構その精神病の方をどう治すというか、
社会にね、戻すかみたいなところが結構多かったんだよね。
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そういう意味でいうと結構マイナスをゼロにみたいな感じだったんだけど、
それが結構2000年代ぐらいから、いわゆるプラスにしていく、その心理学っていうものを何か悪いところを治すんじゃなくて、
普通に生きてる人はより前向きになれるとかポジティブになれるとか、そういう文脈で結構語れることが増えてきたのね。
なるほどね。社会が豊かになってる証拠なのかもね。なるほど。
それもあると思う。それ自体すごく面白くって、やっぱりどうしたら前向きに生きていけるのかっていうプラスの面もあるんだけど、
やっぱり人間って、みんなが同意するか分かんないけど、とはいえね、ぐちゃぐちゃしたものとか汚れた汚いものとかあっての人間だよねって思ったときに、
そういう苦しさとか辛さみたいなものと向き合うみたいなことも、僕は大事だなと思ってて。
はいはい、そこはあると思う。そこから逃げるのか、それを知るのかって、そこは結構重要なところだと思うよね。
なるほどね。ごめん、多分俺がずらしちゃったんだけど、そのポジティブ心理学ってどういう例えだったの?ごめん。
ああ、それでいうと、仏教はこの世は苦しみであるっていう前提から考えを展開していきますと。仏教とは仏陀はね。
心理学も人間にはそういう悪い部分というか、精神が悪くなっちゃったから戻しましょうっていうのは、
負をゼロにするとか、悪かったものをなしにするみたいなのが結構共通してるなって思いますと。
ポジティブ心理学はむしろ苦しいことに目を向けるよりは、より前向きになるとか、苦しいってことをそもそも苦しいと思わないような、
レジリエンス的な考え方も近いと思うんだけど、要は自分自身がその状況にやられない強さを身につけていくっていう方向性で、
いろんなことが語られているっていうのがあるので、その人がどっちにアンテナが向きやすいかとか、どっちの世界観に馴染みやすいかによって、
自分は仏教の方が合うとか、自分はポジティブ心理学とか、そういうより前向き、パワーが向かうような方が向いているとかっていうのもあるだろうなと思ってて。
なるほどね、確かに確かに。そこはそこ、人によって、もしくは悩み自体によって選択できる幅が広げるという意味で、
その心理学の面でもゼロからプラスの方に向かうようなアプローチっていうのが出てきていると。
そうそうそう。
それは面白いね。その元々の執事がフロイト、ちょっと具体的には知らないから、ぜひ今度教えてほしいんだけど、フロイトとか。
計らずしもマイナスからゼロというアプローチ、東洋的なアプローチ、そこで隠れちゃうと雑すぎるけど、みたいなのをとって、今になってというか、
最近、今度ゼロからプラスへという、ある意味古代西洋哲学的なアプローチに近いと思うんだけど、それは。
09:01
理想だったりとか、ある意味一般的な正解、不変性みたいなものを定義するみたいな方向に。
また、舵を切ってっていうのは、面白いし、それも一種の多様性ではあるっていう感じなのかな。出発点がどこかによるっていう違いだけで。
そうだね。まさに兄貴が言ってくれた通りで、やっぱり豊かになったからこそ、問題要は、やっぱり例えば精神を病んでしまったとか、日常生活に適応できないっていう、見えやすい問題があった時にどう対応するかっていうのって優先度高いと思うんだけど。
なるほど、確かに。
そうじゃなくて、普通に生きてる人でももっと豊かになるよねとか、その普通っていうことをもっともっと前進させることができるよねっていうような世の中だったりとか、そういう研究ができるようになってきたっていうこともあるのかもしれないね。
面白いね。今の心理学の話と似たような話だと思うんだけど、医療とかでも最近ポジティブヘルスとかっていう言葉が聞いたことがあって、これもやっぱり似てるよね。どっちかというと病気を治すとかよりもどっちかというと予防だったりとか。
そうだね。
ウェルビーングの追求みたいなね。そういう人間の幸せの定義みたいなものは、どんどん言語化だったりとか、なんだかのデータ統計に基づいて、どんどんアップデートされてるっていう感じなのかな。
ここでどっちもポジティブみたいなキーワードが共通してて、はからずしもって勝手にこっちが乗っかっただけだけどさ。
そういうのはあるかもね。さらにヨシアシだと思うけど、ヨシアシだと思うって言ったのは、これは僕自身結構悲しいことなんだけど、もっといい状態があるって思うと、結局現在を否定しちゃうじゃない。
そうだね。現在に目が向かなくて、先との差分にしか目が向かないみたいな。
そうそう。だから、すでに健康なのに、もっと健康にならなきゃとか、もっと病気にならない体にならなきゃとかと思ってしまうと、多分それが苦しみになっちゃうし、
それをポジティブというか、自分として自然に捉えられてる間はいいんだけど、やっぱりもっとこうやった方がいいですよって言われてくると辛くなるみたいなのが多分あって、
それに対しては、ブッダは、そういうのはもう執着しなくていいんだと。今のままでいいんだみたいな。そこって結構ぐるぐるぐるぐる回る気がしたな、今。
本当はね、やっぱりどっちも雰囲気というか、感覚として持っていくことが重要なのかもしれない。
執着、自分執着してるなっていうことに無自覚だと、そこにまた新たな苦しみがずっと発生し続けてしまうし。
そうだね、本当にその通りだと思う。
確かにね、今回ね、ちょっと話が変わるけど、今回東洋哲学の入り口みたいな話を聞いて、勝手に繋げて思ったんだけど、
12:04
最近たまたま、ちょっとお金の話になるんだけど、自分が、最近ほら、自分の好きなことで食べていくとかっていう人が増えてるんだけど、
独立金融をする時の悩みみたいなさ、生ましていいのかどうかみたいな時に、どうしてもお金の悩みとかって出てくると思うんだけど、
それについて考えた時に、ふとこの東洋哲学の話を思い出して、
え、何それ、面白い。
例えば、水風庵っていうのがあった時にさ、自分がどんぐらい稼いでいけば、生計を立てていけるのかみたいなところとかが、
不安になって、一歩踏み出せないとか、もしくは判断がつかないみたいなことって、わりかしあるのかなって感じていて、
その原因って何なんだろう。
じゃあその答えとして、よくほら、退職後2000万必要ですとかさ、この前、去年くらいかな、話題になったような気がするけど、
じゃあその、2000万貯金するくらい稼ぐのが正解なんですかと。
そういう、お金の創築のイデアみたいなものがあるのだろうかって。
そう、その根本原因って何なんだろうと思った時に、やっぱり完全に逆で、自分の、今って収入どんぐらい稼ぎたいみたいなもん、
やっぱりどうしても独立するとか、普通にね、サラリーマンというか、そういう仕事をしてても同じなんだけれども、
給料上がりたいとか、独立して稼いでいきたいという時、それで結構稼ぐ方に目が行ってるんだけど、
逆に自分の出資の方、そっちに目が向いてないことが意外とあるなと思っていて。
なるほどね。
自分の人生で、じゃあいくら必要なんですかと。
住むところはどこがいいなとか。
いや、大企業に勤めてるからちょっと全国天気もありうるなとか。
あと親の介護ももしかしてあるかもとか。
いろいろ考えた時に、生涯例えば1億円稼がきゃいけないとか、
いや、7000万ぐらいあればいいかもしれないとか、そこって多分人によって違うし、
そこって意外とコントロールできる部分ではあるんだよね、稼ぎよりは。
そうだね。
なんかそう思った時に、それをそれについて考えてない状態。
さっきの灰ともいう、苦しみから逃げてる状態って、
ひるがえると自分の稼ぎ、さっき1億とか7000とかコントロールできるというか、
想像できるみたいな話をしたんだけど、そうするとそれについて考えてない状態って、
自分の生涯の必要収入を無限っていう風に定義してることになるんだよね。
なるほどね。
それがさっき言った執着につながる。
稼いでも稼いでも足りない。500万全然足りないし、1000万超えても全然足りないし、
ちょっとなんなら不安みたいな。
はいはい。
それがじゃあ1億になったらその不安解消されるんですか?みたいな。
これがね、自分の苦しみに向き合わない怖さ。苦しみを知らないから自分の幸せっていうものも無限に定義してしまって、
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その得体の知らない無限に向かってひたすら追求していく怖さみたいなものがね、
ちょっとはからずしもつながったというか感じがして。
そうね、なんか勝手にこっちの話に引き付けて長く話してしまったんだけど。
思ったのが自分の哲学には全然馴染みはなかったんだけれども、
やっぱこうやって何回か話聞くだけでも自分がこうこれってどういうことだろうって考えた時にめっちゃ支配されてるんだよね、既に。
うんうん。
冒頭でさ、早田が武器を好きなんだとかさ、やっぱそのパワーがあるからどうしても感情が乗ってしまうみたいな話あったんだけど、
やっぱもう哲学自体にそういうパワー、やっぱもうね、侵されてる感じあるもんね。
もうあの自分の思考が支配され始めてる感じはあるよね。
そうだね、いやそのすごいね面白いなって思ったのが2個ぐらいあってね、
1個は兄から根本原因っていう言葉が出たのがすごい面白くて、
あ、そうなの?
あのね、さっき言ったじゃん、何で起業する時にお金が不安なんだろうっていう根本原因を考え出したっていう言葉を兄が使ってて、
もうその時点でたぶん起こされてるんだよね、哲学というかそういう思考に。
なるほどね。
そうで、あともう1個はまさにお金ってデジタルとか数字で表されちゃうものだから、
もっと言うとお金ってものだと思ってるんだけど手元にあるからお札とかコインって。
そうね。
でもあれって本当はデジタルなものじゃない?
概念ですね。
要は交換可能性っていうものを形にしたのがお金だから、だから言った通り無限に広がりうるし、
どこまで行っても交換可能性で権利を買ってるだけだからやっぱり満たされないっていうのはあるだろうなと思ってて。
はいはいはい。
そうだからお金とかには結構調べて、お金とか何かとかを、それこそ貨幣経済がどうやって起こったのかとかから結構調べた時があったんですけど。
そう、マルクスとか呼んで調べたみたいな。
マルクスも呼んだし、フォンローも呼んだし、元手前の交換要はその貝殻とかがお金だった時に、なぜそれがお金になり得たのかとか。
そういうのも調べたんだ。
調べた。あと今後暗号資産とか増えていく中で、デジタル通貨が出た時にとか、中央集権国家じゃない通貨が出た時にどうなっていくのかみたいなこととかも。
そういうのも結構出てるから。
はいはいはい。
どこかもやっぱり調べたりはするんだけど。
哲学の幅広いですね。
だって嫌じゃんお金に支配されるの。
まあそうだね。自分的にはそこが、早藤は哲学、幸せみたいな話だったけど、自分的にはそこがテーマ的なとこあったからね。
お金とは何なのかみたいなところが自分の根本原因、根本というかエンジンみたいなところがあったからね。
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なるほどね。
そうね、兄貴は今岩手で企業化支援というか事業支援とかをやってるけど、やっぱりそこってお金とは切っても切り離せないというか、でもそこって実は事業だけの話に見えて、まさにその事業する人の心だったりとか、生活だったりとか、いろんなものが関わってくるもんね。
まあそうだね。それこそ企業支援とか経営支援と言っちゃうと安っぽいし怪しい感じはするんだけど、やっぱりそういうのを考えないで、苦しみ分を考えないで、とか、なんとなくこう、周りの雰囲気に流されて自分の好きなことを送っていくんだというのは、じゃあ果たして正しいのかというところまで含めて、
人によってはその苦しみのところをちゃんと理解すると、自分って全然地元の企業で働いていくのが実は幸せなんだということもめちゃくちゃあり得るから、その辺から自分の場合はね、悔やみ当たりにそこを背中を押すとか、無責任に背中を押すというのはしたくなくてね。
自分がそこを知ることで自分の判断、別にその、企業をしたりとかね、仕事を独立したりとかすごくいいことだと思うんだけど、そこをじゃあ自分で試してみてとか考えてみて、じゃあ自分に合ってるのかどうかっていうところが結構そこが今むしろない気がしてね。
なんか、そこはほら、独立企業のイデアみたいなさ、そこがもう結構みんなそこに明るい光にさ、おびき寄せられてる感覚があってね。そこはなんか自分で小さくスタートして自分が向いてるみたいなのを判断してもらいたいなと思うし、
逆に才能あるんだったらね、どんどんその顔をしたりたいし、逆にね、自分でいやこれは違うと思ったら、それはそれで多分幸せに生きられたら欲しいっていうね。
めちゃくちゃ思う。
はいはいはい。面白いな。なんかその、わからずもね、僕も今キャリアデザイナーっていう仕事をさせていただいていて、結局そのいわゆる世の中的なやっぱり人材紹介って転職したい人に企業をマッチングするみたいなところが多いんだけど、
お互いに言ってくれた通りで、そもそも自分は転職した方がいいのかとか、今の会社で頑張るっていう選択肢はないのかとか、
もっと仕事じゃなくて自分の本当に、じゃあ大学院とかに行って趣味を極める時期なんじゃないかとか、やっぱり人っていろんな選択肢が本当はあるじゃない。
そうだね。しかもその自分の思いだったりとか本当の自分のエンジンに従ってあるはずなんだよね。
そうそうそうそう。でもやっぱりその本当のエンジンみたいなのって、やっぱり友すると錆び付いてたりとか、見上がったりとかするから、
やっぱりそれをね、どうもう一回火をつけていくかみたいなのって、まさにそれをたぶん兄貴がやっていることだと思うんだけど、
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でも結構ね、仏教もそういうところはあると思うのよね。だから変に取り繕って、なんか偉くなろうとか、自分だけを高めていこうとか、実はそういう考え方もなくはないんだけど、
やっぱりこのブッダの話とか、その後次回やろうとしているナーガール・ジュナーの話とかを見ていると、やっぱりそういうことじゃなくて、本当に自分っていうものをどう捉えるかとか、
等身大に捉えた時にどこに行きたいのかみたいな、っていうのが初めて見えてくる。で、仏教でいうと、それが苦しみから逃れた涅槃の世界っていう、
穏やかな世界に行くっていうのが目的ではあるんだけど、別に現代に生きる僕らがその涅槃を目指すべきかっていうと、別にそこも、まあ別にとらわれなくていいと思っているので。
そうかね、当時でいうブッダの想定する涅槃とはたぶん違うんだろうね、涅槃ってものがあったとしてね。
そうだね、そうそうそう。でもやっぱり執着がなくて、別にお金あったりとか地位とか、あるいは外部のものに影響されずに自分というものをどっしり据えて生きていくっていうのは、まあまあそれ自体は一つの価値観として残るじゃない。
そうだね、うん、だしなんか、仏教ってさ、なんとなくのイメージだけどともすると、その無欲みたいなさ、
わかんないよ、それが正しいのかもしれないし間違ってるのかもしれないんだけども、いわゆるさっきのでいう悟りの状態とか、執着をしないとか、煩悩を捨てるみたいなのってちょっとこう、なんだ無欲。
さっきのお金の話とかでいうと、お金いらないみたいなさ、自分は、実際ね、お坊さんの修行とかにそういうのはあるとは思うんだけども、
まあ普通に世俗に生きる我々としては、お金ゼロとかってありえないわけだよね、今の社会で。
うん、そうだね。
だから、なんかそういう状態を思考するみたいに、多分錯覚するというか、それはそれで多分間違いじゃないかなと思っていて、
だから悟りとかそのゼロ、マイナスからゼロにするゼロっていうのは、自分の持っているさっきの例とエンジンだよね。
もしエンジンが錆びついてたとすると、まあそれを自分のエンジンをもう一回見つけてきて、油挿して整備して、もう一回動くような状態。
だからその、多分人によってゼロっていうのは違くて、だからそのゼロのイデアは存在しなくて、自分にとってのゼロっていうものを見つけた状態っていうのは多分悟りだったりとか、
だから多分最初、悟りはゴールじゃなくてスタートだよねみたいな話もあったと思うんだけど。
はいはいはい。
だからなんかこれは個人的な勝手な解釈だけどね、都合のいい解釈かもしれないけど、なんかそういう状態が仏教でいうゼロだったり悟りだったりとか、
だからその幸せ、苦しみがない状態というか、別に幸せじゃないかもしれないけど、その幸せには少なくとも向かっていける土台が整っている状態みたいなイメージ。
だからなんかそういう気持ちよさがね、この東洋哲学の言い口からは感じた。
24:04
だからなんて西洋哲学は悪いって話じゃないけどね。
そうそうそう、もちろんね。いいね。今その入り口って言ってくれたのが多分すごく良くて、
次はまさに今兄貴が言ってくれたゼロとか、ここから幸せに向かっていくんだっていう地点ってどういう地点なのとか、
そこから見るとそもそも幸せとか苦しみっていうのを区別することすら、原因線に留まっているよね、みたいな話をするので。
はー、そうなんだ。
多分ね、次はまた次で面白いと思います。
それはなんかまだ聞いてないけど、興味深いね。
なんかあの、ブッダが話したことを後世の人が多分めちゃくちゃわかんねえとか悟れねえとかって言った時に、
多分神くだりと教えようとするとそういう話になってくるのかなーみたいなね、ちょっとまたワクワクしてる。
そうだね。
へー。
そうなんです。なんで、ちょっとね、そこはぜひ僕自身もすごい面白い、改めてまたちょっと本とか読んでたんだけど、面白いなと思ったし、
まあ逆にここまでね、話ができたからこそ、今話したらまたその面白さとか、
なるほど、そんな考え方もあるんだっていうふうな驚きみたいなものも感してもらえるんじゃないかなと思うので、
ちょっとそこはチャレンジ、僕自身もチャレンジだと思ってるんだけど、やってみたいなという感じですね。
はいはい。
なんか結構いろいろ喋ったね、なんだかんだもう20分くらい喋ってるかな?
うん、私やっぱなんかこういう雑談会っていうかさ、各哲学者の感想とか話してると、あれだよね、無限にって言うとね、言い過ぎだけど、今回の話してみて、無限かよって話だけど、
やっぱいくらでもね、なんかできたら怖さがあるね。
そうだね。
楽しさ、こういうさ、哲学的な話というかね、ちょっとそういう楽しさも、なんかこういうのなんて言うんだっけ、なんか純粋にただ楽しい、楽しむために楽しい哲学ってさ、なんかそういうのあるかもね、なんかとも思う。
うん、でもそうだったら、スコレー、スクールの語源になったスコレーって、もともとは暇っていう意味だったと思ってて確か。
そういう暇があるから、こうやって何かを学んだりとか、そもそも自分の考えってどうなってるのかみたいなメタ認知だったことができるっていうようなのは全然あると思ってて、
忙しかったらさ、もうね、農業して食う肉ね、食べるため、生きるために本当に生きるみたいになっちゃうけど、やっぱりその暇があるからこそ、とか隙間があるからこそできるって思うと思うし、
あとやっぱり兄貴が言ってくれた通り、やっぱりその自分の考え方とか思考の枠自体を揺さぶられるから、じゃあもしかして今の思考から、この領域、例えばさっきのね、仕事、企業っていうのを見たらちょっと違うんじゃないかとか、お金っていうのを考えたら違うんじゃないかって、やっぱり適用範囲が人それぞれだと思うんだよね。
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そうだね、確かにそこが掛け材になった時に出てくる答えだったりとかね、また新たな問いとかって人それぞれな感じがすごいした。
そうだね、今ね、めっちゃ流れがいいなと思って、後で紹介しようと思ってたんですけど、あのさ、初めてさ、お便りフォームからさ、お便りをいただいたじゃない。
そう、そうなんだよね、まさか来るとは思ってなかったのからめっちゃ嬉しかったよね。
めっちゃ嬉しかった、そう、とりあえず作ってみたじゃん、なんかラジオだし、なんかまあまあ来ないわけよ。
まあ、あのー、だってさ、最初なんか来るわけないでしょと、もちろんあのね、いろんな方と感想とかね、質問いただけたらめっちゃ嬉しいなとは思いながらも。
うん、思ったらあのね、いただいたので、ちょっとね、紹介させていただいて、かつあの、書いていただいた内容も結構今の哲学っていうのをなんか知ると、いろんな領域にこう、なんだろう、応用できるというか、考えが広がるみたいな内容も書いていただいてたから、ちょっとなんかね、紹介できたと思ったんですけど、兄貴から読んでもらってもいいですか?
はいはい、そうですね、じゃあ内容だけちょっとお伝えしますね。
「きょうすけさん、はやとさん、はじめまして」
はじめまして。
「いつも寝る前に、それ!哲ラジオを聞いています。哲学に関して知識がない私でも、はやとさんのわかりやすい解説、きょうすけさんの聞き心地よい合図や素敵な捉え方のおかげで、毎晩楽しく聞かせていただいてます。
以前は哲学って役に立つのと思っていましたが、哲学を知る(知った気になる)ことで気持ちに余裕が出てきました。
また、哲学について考えてから、プログラミングの勉強をすると、以前よりもわかりやすく思えるようになってきたので、とてもありがたいです。これからもお二人のラジオを楽しみにしています。」
とのことです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
モンさん、一言一言がこんなに嬉しい文章ってないよね。
寝る前に聞いてますとか、楽しく聞かせていただいてますとか、ありがとうございます。
そうです。一見のためにはこんなに嬉しいものかと。
僕が嬉しかったのは、知った気になるってかっこがけで書いてくださったんですけど、それめちゃくちゃありがたいなと思ってて。
ちゃんと知らないと役立たないとか楽しくないだったら、すごく大変じゃない?それって本当に勉強になっちゃうし。
なんとなく知れたかもとか、なんかわかった気がするって楽しんでもらえてる。それを哲学でやれてるって、僕すごい本当にそれがやりたかったことだなと思ってたから。
30:01
あとさっきのプログラミングの勉強をするとわかりやすく思うようになりましたって、なんで教えてほしい?みたいなのを思った。
むしろね、具体的にどこが繋がったんですか?みたいな。
でも多分それもさっきの兄貴と一緒で、哲学を知って企業とか仕事について考えるようになりましたみたいなのって、僕からしたら正直わからんって思うんだけど。
でも多分こうやって話すと、そういうことねってなったりとか、その人それぞれがいろんなことに拡張していってもらえたら、それってすごい豊かなことっていうか素敵なことだなと思ってて。
確かに具体的な知識よりは、自分の持ってる領域のものと組み合わさることでパワーを発揮していくみたいな。
そう、そう、そう、そう。やっぱり哲学っていろんな学問の根本にあるって言われてるものだから、そういう考え方とか、ものの見方、捉え方っていうところにすごくパワーがあるというか、効くものだなとは思ってるので。
それ自体は本で感じていただくことしかできないかもしれないんだけど、本当に聞いてくださる方がそうやって、自分もちょっとこの辺考えてみようとか、考えてる時に考えの幅が広かったぞとかってなったら、それってすごいことだなって思いますね。
だね、だし、やっぱそれをこうやってわざわざ書いて送っていただけるって本当嬉しい。
本当嬉しい。
本当ありがとうございます。
ありがとうございます。
なので、本当にもしよかったらまたぜひこういったお便りもいただけたらなと思っております。
雑談会、まあそうやね、ちょっとまた30分くらいかな。今回も東洋哲学編のブッダのところの雑談会話してきましたけど、さっきもちらっと話したけど次回ちょっとどんな話になるかっていうところも。
そうですね、はい。ちょっと今後の展望のところでいくと、改めてブッダからさらに時代は下ってしまうんだけれども、500年後、600年後くらいなのかな、に出てきたナアカール・ジュナっていう人が考えた、考えたというかきちんと体制化した空の概念っていうのを扱いたいなと思っています。
はいはい。
まあなんとなくこの色足絶句みたいな言葉、気道とある?
そうだね、うん、なんかすごいかっこいい感じがする、空って。
そうだよね、だしなんかちょっとねこう高尚のものとか捉えがたいもの、まあ実際ちょっと捉えがたくはあるんだけど、でもなんか意外と知らない言葉、仏教用語、なんかベスト5くらいには入ると思うのよ、空って。
うんうん、絶対、知ってるけど自分の言葉では絶対説明できないランキングみたいな。
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そうそうそうそう、っていうのがあるので、かつその空を知っていると仏教のことだけじゃなくて、今後やろうとしている近代の哲学とか、西洋哲学の方にもまた帰った時に、あ、それって空と比較するとこういうことかもっていうのが見えやすいかなって思ったので、ちょっとそういうナアカール・ジュナの話と空の話をやって、
じゃあ改めてこの今5人、ナアカール・ジュナ含めるとソクラテス、プラトン、アリストテレス、ブッダっていう人たちをやった中で、ちょっとこの古代というか紀元前後くらいの哲学とか思想を振り返った時にどうだったみたいなのをちょっと兄貴と一回ワーっとフリートークでまたやってみたいなっていうのをまずは思ってます。
はい、ぜひ今後もよろしくお願いします。
はい、じゃあそんな感じで次回もよろしくお願いします。
はい、お願いします。ありがとうございます。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。
34:10

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