1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #294 タテ縞とヨコ縞どっちが..
2025-02-23 44:41

#294 タテ縞とヨコ縞どっちが粋?九鬼周造による粋の哲学、実践編

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



▼「それ哲公園」サイトはこちら!

https://www.soretetsu.com/



▼おたよりフォーム

ラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!

https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7

サマリー

エピソードでは、九鬼周造の「粋」という概念が探求され、特にその構造や実際の表現方法について詳しく解説されています。自然的および芸術的表現を通じて、言葉遣いや姿勢などが「粋」をどのように示すかが議論されます。また、縦島と横島の二元性に焦点を当て、双方の特徴を通じて「粋」の理論が考察されます。さらに、縦縞と横縞の美学や視覚的認識に関しても議論され、九鬼周造の「粋」の哲学が紹介されています。色彩に関する感覚や、その変化が「粋」にどのように関連するかについても深掘りされています。九鬼周造の哲学は、タテ縞とヨコ縞を超えた意気の表現を探求しており、意気を理解するためにはスタンダードから外れた距離感を知ることが重要であることを示しています。

九鬼周造と粋の概念
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回も九鬼周造さんということで、粋っていうものをさらに見ていくみたいな感じでしたね。
そうですね、前回はですね、粋っていうものが3つの要素ですよね。
美体とか意気地とか諦めみたいな、そういう要素っていうか構造だよね。
ある種バランスがあって、美体っていうのは男女の緊張関係というか、
手に入れたい、でも遊びであるというか、本気にはならないみたいな、
夜のお店的な関係性の中に、意気っていうものが割とあるよね。
そもそも意気っていうものがそういうところから出てきてるよね、みたいな。
そういうふうな話をしたかなと思うんですよね。
はいはい、江戸だったりとか、そういう当時のね。
当時っておかしいか。福岐さんの当時は違うからね。江戸時代からあったみたいな。
そういう昔の感覚ってことだね。
そうだね、日本にあった感覚としてっていう感じで。
それがいわゆる感情的なものっていうだけじゃなくて、
個人、自分っていう人間がそういう他者だよね。
男女異性と向き合うときの二元性から自分と相手みたいに開かれていくみたいな、
そういうふうな哲学的な土台というか、
ものもあるよねっていう話を前回したかなと思います。
自然的表現の分析
今回は実際に世の中にあるものというか、今回結構仕草みたいな感じもあるんだけれども、
その中で生きなものとかことって何っていうものをお伝えしていこうと思ってるんですよね。
じゃあ具体事例を教えてくれるみたいな。
そうそうそうそう。
前にお伝えした言葉で言うと、客観的表現としての意気みたいな言葉があったと思うんですけど、
それがいわゆる具体事例だよね。世の中にあるこれは意気だとかこれは意気じゃないっていうときに、
口さんの考えとしてはそっちからいくんじゃなくって、
大元の構造とか意識の中にある意気をまずは解明しましたなと思うんだけど、
それを使って今度は世の中にある意気なものとかそうじゃないものっていうのを考えていきますよっていう構成に本自体はなってるんだよね。
だったりとか確認みたいな感じで実際に表現できるかなというか。
あんまそうだね。
判断できるかなみたいな感じだね。
そうですそうです。
ミトマス禁止になってるのかどうか。
そうですそうです。
そういうふうにやっていくんだけど、
雑談かな、収録でちょっと忘れちゃったんだけど、
兄貴が歌詞に引き付けて話してくれたのって。
たぶん終わった後かも。
終わった後か。
毎期終わった後かも。
はいはい。
長くなるからとかって言って。
確かにね。
話そうな点あったと思うんですけど、
結構そういう日常的な感覚として、
各種イケてるイケてないみたいな言葉でもいいかもしれないんだけれども、
そういうものを当時の、それは当時の久喜さんが考えるときに、
これはイキじゃよねっていうところがあるんで、
日常的な感覚とか、今はちょっと違うかもなとか、
そういうところも含めて聞いてみていただけると、
いいんじゃないかなと思っております。
これもちょっと有力というか、
肩の力を抜いてぜひ聞いていただきたいなと思っているんですけれども。
いいですね。ぜひこれを聞いて少しでもイキに近づきたいね、なんかね。
そうね、とかね。
そのガッツキぐらいがイキじゃないっていうね。
まずはね、一回ちゃんとそういうのを学んで、
そこから脱力していくとかってなるからね。
そうだね。
まあそういう感じでお伝えしてくるんですけど、
やっぱり哲学章なので、やっぱり久喜さんは、
いわゆる客観表現としてのイキとかといきなり並べるってことはしないんですよね。
やっぱり分類していくんだけど。
そっか、今回も久喜さんのイキの構造の本の中の話。
そうです、本の中の話です。
ああ、そうなんだ。
これをですね、久喜さんは2つに分けて考えていくんですよね。
1個が自然的表現って言って、2個目が芸術的表現って呼んでるんですけど、
ここで自然っていうのは、それこそいわゆる山とか川みたいなものにもイキって感じれるんだけれども、
そういうものじゃなくて、どっちかっていうと人間の身体表現。
例えば言葉遣いとか、姿勢とか身振り手振りとかね。
そういうものがイキを表現できるようにしているので、
この自然的っていうのは人間の身体表現としてのイキみたいなものをまず最初捉えていきますよと。
例えば言葉遣いとかが最初に振り上げられてるんだけど、
今まで言うと一番近いのは落語なのかな。
やっぱり芸語とみたいな話なんだけど、
そういう独特のリズムとか物取り方みたいな、
そういうところにイキが表れてるっていう話をするんですよね。
ああ、なるほど。
どういうふうに説明するかっていうと、
具体的には普通に言葉ってリズムがあると思うんですけど、
それを普通によく発音して、
その後に急に抑揚をつけて言い切るみたいな、
そういうふうに話すと言葉の中に2つのリズム、
要は長いと短いとか、ゆっくりと急だとかっていうリズムが生まれるじゃないですか。
こういうふうなところにリズムの二元対立、
まさにリズムが二元化するみたいなことを言ってるんだよね。
前回もおっしゃった通り、
いわゆるイキっていうのは二元的な中に生まれるもの、
要は自分と相手とかっていう中の二元性が肝だって話をすると思うんですけど、
このリズムとか言葉使いにも二元性って生まれてくるからイキなんだみたいな、
そういう話をしていくんだよね。
すごいね、なんか分析する感じだね。
まさにその分析を当てはめてるんだけど、
具体的にこういう言葉とかって書いてないんだけど、
なんとなく歌舞伎とか落語っていうのかな?
ちょっとこれもイメージなんだけど、
例えばさ、成敗致すみたいな言葉があったときに、
成敗致すみたいな、ちょっと伸ばす言い方とかってイメージない?
歌舞伎と落語だったら落語の方が短かったな。
イメージがあるから。
まあいいよ、ハヤトのイメージで。
ハヤトは歌舞伎の方がイメージがあるの?
いや、なんか右を切るとかもそうだと思うんだけれども、
やっぱりこう急な、短急がつくイメージがあって歌舞伎の中にね。
ゆっくりしちゃうからビシッと決めるみたいなさ、
やっぱりそういうこう、これは言葉使いじゃなくてどっちかっていうと体の動きだと思うんだけど、
そういう普段はやっぱり使わないリズムとか、
動かさない体の動かし方っていうのがあるなと思ってるんですよね。
はいはい、確かにその緩急みたいなものとか、
2連体リズムみたいなものの動きで言うと、
確かに歌舞伎のイメージはあるかもしれないよね。
ゆっくり動いたり止まるとこがビシッと止まる。
確かにね。
芸術的表現との関連性
楽曲は多分そうだよね。
のんびり話すところと急に引き締めるところとかあった時に、
それがまさに二次元性に繋がるんですよっていうふうに、
一応動き方はここまででいいんだけれども、
そういうことじゃないかなって思ってますよと。
なるほどなるほど。これはあれだろうかな。
自然的表現と芸術的表現で言うと、自然的なほうなんだ。
楽曲って今だとちょっと芸術というかそっち系っぽいけども、
ある意味自然だというか誇張してるんだろうけれども、
江戸とかの時代の生きな、小生きな人たちみたいなものを表現するときの、
それをうまく表現してるとも捉えられるってことだね。
若干の誇張を含めて。
確かに芸術的表現か何かっていうのを伝えるのが分かりやすいかなって思ったんだけど、
そっちはどっちかっていうと色とか模様とか、
まさにそういう人が作った視覚的なものとか、
そういうものを指して芸術的表現とかって言ってるんだよね。
特に身体的な表現の中に浮世絵とかが出てきてて、
自然のほうか。
自然のほうにも浮世絵のこういう姿勢っていうのがすごく生きだよねって出てきたりする。
だからそのほっそり描かれてる人のこの姿勢がいいよねみたいな。
分けてはいるんだけど迷惑に分けられないし、
自然的表現を芸術的に表現したとかっていうのもあったり、
逆に芸術的な表現から普段の生活に取り入れたとか、その逆もあるだろうから。
迷惑に分けられるかっていうとあるんだけど、
歌舞伎とか落語とかっていうのはどっちかっていうと自然的表現の方として取り上げてますって感じだね。
なるほど、はいはいはい。
さっきの製梅立つみたいな話もさ、
いわゆる普通に言っちゃうと真剣、
要は絶対に負けられないぞとか、悪いやつを殺しといてやるぞっていう製梅だっていうようなものは伝わるかもしれないんだけど、
やっぱりその真剣さだけだと生きじゃないみたいな感じなんだよね。
ほうほうほうほう。
やっぱりちょっと言い方としても、真剣味の中にちょっと遊びがあるとかふざけがあるみたいな、
そういうものが逆に欲望とかリズムにも表れてるっていうような感じなので、
前回お伝えした美体、生き地、諦めみたいなものが、
ある種、言葉遣いに出るとこういうリズムになるよねっていう話なんだよね。
なるほどね、そっかそっか。
絶対違うだろうけど、
ワンピースで言うとフランキーがちょっと思い出すよね。
フランキー自体はどんなところ?
フランキーの動きとかさ、
セリフとかってさ、ガチの戦いの間でもちょっと抜けてるでしょ?
そうだね、ちょっとちょけてる。
ちょけてるって伝わるのかな?
方言だね。
たぶんそう考えるとそう言うんだけど、
少し遊びの部分とかふざけてる。
ふざけてるわけじゃないんだけど、真剣なんだけどちょっと遊んでるみたいな感じだよね。
分かりやすいというかね。
アイドルに出てくるキャラみんなかっこいいんだけどね。
今のような話を思い浮かぶよね。
確かに確かに。
やっぱりある種、ピースってすごくバランスが上手いなって思うのは、
真剣なバトルとかね。
やっぱり戦いの中でも、
ちゃんとギャグというかエンタメの要素があるし、
逆に本当に真剣な時にはそれがない。
ある種そういうキャラが出てこない。
ところでやっぱりその舞台をちゃんと作ってるんだろうね。
そういう意味で言葉遣いの域っていうのがまずありますよと。
次に姿勢とかも取り入れてるんだけど、
これについてはある人が軽く崩すことが域の表現だっていう風に言ってるんだよね。
これはちょっとイメージしやすいと思うんですけど、
ピシッと直立してるっていうのはかっこいいけど、
これも硬すぎますよね。
逆に当然だらけすぎてるのも違っていて、
いわゆる直立とだらけっていうものの合間に、
軽く崩すみたいな、そういうところがあるよねと。
これも二元の中の一部なんだよね。
ピシッとしてるだけでも違うし、だらけてるだけでも違う。
この両方をつないでこそ域だっていう感じで、
粋の哲学の基盤
全面的に言うと女性的だけど、品を作るっていうか柔らかい姿勢。
品を作る。
体の柔らかさ的な。
そういう風にはもあったりするんですけど、
そういうふうなことなんだけど、
これを柿さんに言わせると、
ただ柔らかいだけじゃなくて、
まさにその姿勢の中に、
正義に向かう能動性と理性を迎える受動性、
その両方があるんだと言ってるんだよね。
へー、そうなんだ。
より具体的だね。
崩す時にはそういうのを意識しなさいよっていう。
マニュアルでもあるんだね。
確かに確かに。
それが意識できてると、
域だよねっていう話で。
さっきの話で言うと、
あんまり姿勢が好きがないと、
ちょっと近寄りがたいみたいな。
逆にだらけすぎてると、
ある種の異性へのアピールとかないよね。
かっこ悪い。
ちょっとかっこ悪いじゃない。
そういうふうに言うと、
どっちかというと、
いわゆる美体的な二元性がないんだよね。
はー、はいはいはい。
あくまでも域っていうのは誰か、
特に異性への反射をしてるんだけど、
向かってるものだから、
この軽く崩すっていうのは隙を見せつつ、
でもなんだ、ちゃんとアピールしてるよみたいな。
そういうふうな姿勢だよっていう風に、
この分析を温めてるんだよね。
すごいね。
そうか、その両極端に行くと、
その美体はゼロになるんだね。
そうそうそうそう。
で、その間のどこかに、
その美体がマックスになるというか、
バランスがあって、
それはやっぱりお互いの関係の中だから、
やっぱりそういうね、
初対面なのか何回目かなのかとか、
そういういろんな状況において、
今が一番息なし性だとか、
美体100、
美体100でも駄目だけど、
美体と意気地と諦めがちゃんとブレンドされた、
まさに息の場面があるよねっていう感じだね。
なるほどね。
今のはワンピースで言うと、
サンジの立ち方とか、
そういう姿勢で振る舞いって、
きちっとしてないじゃん、あんまり。
してる時もあるけど、
すごいだらけてる時もあるけど、
まさに両極端をちゃんと生きていくよね、サンジは。
なんか立ち姿かっこいいよね。
かっこいい。
なんだ、ニュートラルな時のね。
そうだね。
さっき言うと、
フランキーと今サンジは生きじゃないかって話が出てて、
次ね、これもしかしてあるかもと思ったんだけど、
瀬木さんね、最後手とか足にも触れてるんですよ。
そうなんだ。
手に関してもさっきと近いんだけれども、
ニュアンスとしては軽く反らせたり曲げたりする。
そういう風な時に、
息っていうのは見られるよねっていう風に言ってるんだよね。
はいはいはい。
だからこれもちょっとイメージなんだけどさ、
ゆっくり手招きするみたいなのとか、
これもごめんなさい、本当にイメージなんですけど、
なんかそういう時代劇とかで女性とかが、
なんか嫌だよ〜○○さんは〜みたいな感じで、
手をちょっとパタパタする動作とかってイメージあるじゃない?
それだってちょっと粋な感じとか、
ちょっとアイラストだよね。
はいはいはい。
があるよな〜とか思ったり、
逆に似てる手を前後にする動きでバンバン叩くのとかって、
もちろん息じゃないよねとかってあった時に、
同じ手首とかも含めて前後に動かす。
パタパタするみたいなものでも、
やっぱりその、なんだろうな、
動かし方とか、スピード感とか、
っていうのと全然違いっていうのは確かになって思ったんだよね。
ほうほうほうほう。
うん。
で、足で言うとね、
ここは素足が行きなんだとかって話があって、
へ〜そうなんだ。
そう。
これイメージとしては着物の時代だったとした時に、
全身は着物で作れてるんだけど、
足だけ出てるみたいなところに、
人間性が現れてるぜみたいな、
そういうことを言ってるんだよね。
へ〜なるほど。どっちかっていうと着こなしの部分か。
だからさっきの手の方は動き、
しぐさみたいな感じで、
今の足のところは着こなし的な話なんだね。
そうだね。服装とか着こなしの話だね。
だからそういう意味で言うと、
江戸の芸者さんとかだと、
やっぱ冬、めっちゃ寒い時でも素足で過ごすとかっていうのを
結構してたらしいんだよね。
へ〜そうなんだ。
普段から息を表現しているとか、
やっぱそれが大事だっていうふうに
隠しちゃダメだって思ってたんだろうね。
へ〜。あれもそうなのかな。
芸妓さんの背中結構出てるみたいな。
ああいうのもそうなんだ。
ああ、はいはい。あると思う。
そうそうそうそう。
だからね、それこそ他のとこでいくと、
ちょっとまさに着き崩れてるとか、
襟元が出てるとか、
やっぱりそういうところに、
さっきの隙をちょっと出すけど、
何だろうな、
腕入れ完全に揺れてるわけでもないみたいな。
だからたぶん裸が息じゃないんだよ。
うんうんうん。
裸でも息の表現はできるかもしれないけど。
はいはいはい。
さっきのビシッととだらけてるの、
両極端が裸と、
めっちゃビシッと決まってるみたいな。
うん。そうそうそうそう。
もしかしたら裸でも、
姿勢とか見せ方とかで
息を表現できるかもしれないけど、
それよりも服を着てるとか、
ちょっとそれが着崩れてるとかっていうほうが、
息を表現しやすいみたいな。
裸だとおかしいけど、確かに着崩しのグラフがあったときに、
確かにビシッと隙がなく決まってるのと、
確かに果てしなくだらしがなくしたら裸になっちゃうかもしれないけど、
果てしなく着崩すみたいな端っこがあったときの、
そうですそうです。
っていうような感じなので、
やっぱりそこでも二元性?
っていうところがまさに入り込んできてる感じなんだよね。
なるほど。
手で思い出したのが、
ニコロビンいるじゃない?ワンピースでいうと。
ニコロビンはまさに手が増える。
手の人だと思うんだけど、
やっぱりなんだろうな、
すごくミステリアスな感じもあって、
やっぱりすごく魅力的なキャラクターだと思うんだけど、
そういうところも、
これ勝手に個人的だけども、
手っていうものが象徴されるキャラクターであるところと、
そういった部分ともしかしたら繋がっているのかなと思っちゃったよ。
今回ワンピースを知らない人が少ないという前提で、
そうですね、ある程度。
奈美と対比すると、奈美はもうちょっと直線的というかね、
低下にするもんね、やっぱりね。
もちろんね、たくさんのお父さんが、
そういうことまで考えてなかったりはあるけれども、
むしろ前提、
無意識的にそういうスタンスとかニュアンスとか姿勢っていうのが、
やっぱり魅力的だよねとか、
キャラクターを表しているってことは絶対考えてるだろうから。
そうだね。
逆に言うと、
生きの構造を読むと、
そういう漫画の分析もできてしまうかもね、みたいな感じだよね。
そうだね。
そういう深みがある漫画が、
より楽しめるかもねっていうね。
そういう視点からね。
っていうような話があるんで、
やっぱりガチガチに固まってるとか、
隙がないとかっていうことよりも、
ちょっと引き崩してるとか隙があるっていう方が生き出し。
ところで、この二元性とか、
そういう両方の要素だと思っている。
前回の話でいくと、
垢抜けてるんだけど、
張りもちゃんとあるよねみたいな。
そういう両方を持っていることが、
生きなんだっていうことが、
今言ってるような姿勢とか言葉遣いとか、
そういうのを見ることで、
縦島と横島の比較
よりイメージが湧いてくるんじゃないかなって思うんですよね。
はいはい、なるほど。
今は自然的表現の方なんだけど、
次は芸術的表現の方で、
さっきのクキさんは、
芸術とかに関して、
二元性っていうところから話を進めてくるんですよね。
例えば、
二元性が最も表れている表現が何かっていう時に、
出すのが、
水平線の模様、
いわゆる島模様って言うんですよ。
島って、
日本の線、
交わらずに出てるじゃないですか。
つまり、交わらない線っていうのは、
究極の二元性なんだよね。
数学的に言っても、
一本の線だと、
まさに水平とかっていうことはないんだけど、
それが二本になった時に、
初めて水平っていう関係が出てくるって感じじゃないですか。
そういう話があった時に、
これも要は、
一人だと域じゃないけど、
男女の関係になると域になるっていうことに、
近いよねっていうことをプチさんは考えるんだよね。
ここでちょっと突然問題なんですけど、
島模様って縦島と横島があるじゃない。
縦と横の島々があると思うんですけど、
これみなさんもちょっと考えてみてほしいんですけど、
どっちがより域でしょうかと。
これクッキーさんが答え出してるんだけど、
答えがあるんだ。
縦と横どっちだと思いますか。
域レベルが高いんだ、どっちかが。
そんな答えがあるんだ、哲学なのに。
クッキーさんの中ではね、
クッキーさんがこういうふうに言ってるってのがあるんだよね。
今の話で言うと、
どっちなんだろうな。
縦?
縦。その理由は。
ハヤトがさっき水平線っていう言葉を使ってるから
多分思ったんだけど、
横島だと基本どこ行っても
どこともあんまり交わる感じがしないんだけど、
縦島だと地面とかさ、
そういうところと交わる余地があるかなって。
面白いですね。ありがとうございます。
ひて島は実は正解ですと。
縦島の方が行けだよって言って。
理由はいくつかあるんだけど、
兄貴が言ってくれたみたいに、
それと別のものとの関係を考えるのも
確かに一個面白い発想だなって思いました。
クッキーさんはそこの説明として
二つの要素を挙げていて、
どっちの方がより
二元性が強いですかっていう話をするんだけど、
それに対して理由として、
一つが認識のしやすさっていう話と、
あと重力との関係っていう
この二つを理由として挙げてるんだよね。
重力。
どういうのかっていうと、
縦縞と横縞の視覚認識
僕の目ってさ、
横、要は左右についてるじゃないですか。
目自体はまさに水平の関係なんだよね。
この時に、
線の方もよりちゃんと水平ならどっちっていうと、
実は縦縞なんだよね。
要は縦縞って、
線が横に並んでるじゃないですか。
横に。
そうだね。
上から下に、上から下にっていうのが、
線自体が並んでる。
そうそう。
横縞は横って言うんだけど、
線自体は上下に並んでるじゃない。
っていう風に、
縦と横はちょっと分かりにくいんだけど、
僕らの目と同じように横に並んでるっていうのは縦縞なんですと。
そうすると、
縦縞の方が同じ水平関係にあるから認識しやすいよねと。
逆に横縞の方は上下の関係だから、
縦縞に比べると認識しにくいよねっていう風に考えていて、
その違いが縦の方がより二元性が強いとか、
人間にとってはそれが理解しやすいんだっていう風に考えてるんだよね。
そうなんだ。
縦ボーダーと横ボーダーで、
どっちが痩せて見えるとかって話だったりするじゃないですか。
色んな条件あるっぽいんだけど、
一般的な時点の方が痩せて見えるとかってあると思うんですけど、
あれも人間の視覚とか、
いわゆる錯覚の影響があるって言われてるんだよね。
人の目って、
ぐるぐる動かしていただくと分かるんだけど、
横の方が結構動きやすく、
上下って動きにくいとかってのがあった時に、
縦縞の認識って結構難しいんだって。
なんかスポーツ漫画とかにそういうの見たことある気がするな。
動体視力的な。
新幹線とかすれ違った時に、
シャッて窓の見るのは結構できるんだけど、
上下にシャッて向けた時には目が追いつきづらいみたいな。
確かにね。
興味がある方は、
フィルムフォルツ作詞ってらっしゃるんで、
それをちょっと見てみていただきたいんですけど、
そういう背景も考えると、
単なる福木さんの感想っていうわけじゃなくて、
人間の目の開地っていうより、
身体的構造だよね。
これが息の感じ方が変わってるっていうか、
キリッと切り離せるんだよっていうようなことも言えるんですよね。
なので、
福木さんどちらかというと縦縞の方が、
息より二元性を表現してるよと。
というような話なんだけど、
身体的構造と粋の感覚
そこから線の組み合わせとかもいろいろ言っているんだけど、
その重力の関係とかって3つと思うんですけど、
重力の方もこれはイメージっぽいんだけど、
横縞?上下に並んでる方だと、
いわゆるイメージで、
土台というか地層みたいな、
そういうふうにどっしりしたイメージになっちゃう。
さっきも言った通り、
息って軽さとかそういうものも含まれているときに、
そういうのを考えるときに縦縞の方が、
いわゆる雨が降ってくるとか、
そういう木が柳がされてるみたいな感覚も含めて、
いわゆる軽さというか、
そういうものも表現しやすいんじゃなかろうかと。
なるほど。
だからここは少しイメージ的な部分もあるんだけれども、
そういう場合につながることもあって、
縦縞の方が息だよねと。
そんなことを話したりするんだよね。
というのが縞模様の話で、
同じ線とか模様とかでも、
色によっても息かどうかは変わるんだっていう話をしてるんだよね。
へー、そうなの?はいはい。
ここがちょっとクイズっぽくなっちゃうんだけど、
どんな色が息っぽいなとかってあるイメージ?
息っぽい色。
だからさっきので言うと、
二元的なものを想定すると、
めっちゃ明るい、めっちゃ暗いとかあるから、
その間のどこかみたいな。
パリッとしてきてないとか、
黒でもないみたいな。分かんないけどね。
そういうどっちつかずの出てくる答えがないんだみたいな。
本当それはそうで、
一番最初に挙げられてるのは灰色なんですよ。
うーん、なるほどね。何パーセントだろうな。
HB何パーセントの男?
そこまでね、生き色はないから。生き色なんですけど。
白のまさに間だよね、灰色って。
そういう意味で言うと、まさにちょっと良くも悪くもどっちつかずみたいなのがあるんだけど、
みたいなものがあったりとか、
実際そのいわゆるねじみ色って言えばなんだろうな、
ちょっと単なる灰色って言うよりも少し暗めな灰色とかってやっぱり上品なイメージあるよね、みたいな話とか。
ちょうどそこ指定してるのはねじみ色ですね。
ある程度ね。
ごめん、そこまでは指定しなくて、
例を挙げるとね、
例えば、まさにねじみ色なんだけど、
ねじみ色の中でも銀レズとかアイレズとかウルシレズとか、
いろんな色があるようなことが挙がってるね。
その辺は全部粋なのかな?
そうそうそう。そういったねじみ色の中でもそういったいろんなバリエーションもあるけど、
その時点で灰色的なものが粋だよねと。
はいはい。でもちゃんと指定してるんだ、さっきの例とね。
そう、ある程度ね。
で、あとはね、褐色とか、その暗めの茶色とか、青色とかも粋な色だよねと言われていて、
逆に何か言ってくると、やっぱりパキッとした赤とか黄色、
あるいはね、それを組み合わせたカラフルな色とか、
そういうのはやっぱりちょっと派手に寄っちゃってて、
粋じゃないよねっていう風に言ってるんだよね。
なるほどなるほど。赤でも褐色みたいなね。
あ、そうそうそうそう。
だからね、これをねじさんがどんな風に言ってるかっていうと、
その粋っていうのはその色味の中にもうやっぱり灰色を宿しているんだと。
で、これはその色に染まりつつも、色に執着しないのが粋なんだよってことを言ってるんだよね。
はいはいはいはい。
そう、だからやっぱり原色に近くなればなるほど、色の強みは出るんだけど、
そうするとまたやっぱり色一本同じになっちゃう。
そうじゃなくて、ちょっとやっぱり地味な、あるとか、あとちょっと暗さとか静けさがあるんだけど、
逆にその静けさの中にこそ粋があるんだみたいな。
色彩と粋の関係
うんうんうんうんうん。
言葉の中でこれまでの話からするとイメージが動くんじゃないかなと思う。
いやーそうね、さっきの表現で言うと色に染まるっていう表現がいいよね。
あーそうそうそうそう。
自己主張が強すぎない感じ。
俺は黄色だーとか黄色だーみたいな感じじゃなくて、
なんかちょっと染まっちゃうよみたいな。
そういう理由があるよね。
そうそうそうそう。
でももちろん晴れ着とかでさ、今でも成人式とかで赤い着物を着るとかさ、派手なものを着るとか全然いいんだけど、
それは行きの場というよりはやっぱりそういう華やかな場?
うん。
っていう風に全然違うよねっていう感じのイメージが来るよね。
そうね。
こんな感じでね、今回客観的表現の意気っていうのを見てきたんですけど、
面白いのはね、途中で漫画とかの話もあったけれども、
いろんなものを見渡したときに、
これってもしかしてただ濃いパーツじゃなくてちょっと意気なキャラクターかもねとか、
そういうちょっと二面性があるっていうことにやっぱり惹かれるとかっていうときに、
こういうちょっと意気を感じるとかっていうのは、
前回とか今回の話からもう少し親しみがわきやすかったんじゃないかなと思うんだよね。
そうね。
イメージがね、意気ってよくわからなかったけれども、
同じかっこいいとかオシャレとか、なんか気になるみたいなものも、
あ、これは意気だからだとかね、この人は垢抜けてるからかっこいいからって、
多分いろんな表現があるんだなっていうね、奥行かしさみたいなものを感じるのを。
だからね、本当にそういった意味で、いろんな要素が含まれてるからこそ、
逆に他の国の言葉に翻訳しにくいしとか、
普通の日本人の民族的なものにすごく近い言葉力とかっていう話があるんですけど、
これ最後に注意なんだけど、
こういう表現の方を知って、やっぱり意気についてなんかわかったぞ、
理解が深まったぞはいいんだけど、これだけでわかったぞってやっぱり思っちゃダメなんだよね。
明日から縦縞の服ばっか着ようって出さないとね。
そういうね、行かし方もそうだし、
前回も調査したんだけど、あくまで前回の分析とか構造があってこそ、
やっぱり今回はね、理解が深まるっていう感じなので、
やっぱりね、縦縞が意気だとか、手の軽く反らせるのが意気だとかっていう風にそっちから入っちゃうと、
つかみ損なうよというか。
意気の高音質とかがわからなくなっちゃうっていうところは、やっぱりキサマがすごく気にして書いてるので。
だからこの客観的表現だよね、今回。
だから、前回も今日、そっからはいかないよ、そっからは意気については踏み込まないよっていうのは、
まさにそこなんだよね。
そこ真似しても意気じゃないからね。
それを真似していくのは。
うん。
というところで、やっぱり本の順番もそういう順番で書いてますよっていう感じなんだよね。
はいはい、なるほど。
はい。
ちょっと今回取れなかったんですけど、本の中には他にも建築とか、あと模様の話。
実際に図が入ってて、こういう模様は意気だよねとか、それも入ったりするので。
はい。なんか興味がある方は是非ちょっとこれも読んでみていただきたいなと思ってますね。
おー、面白そうだね。
うん、面白いと思う。
よろしい?
あ、まあいいや。でも感想はもうちょっと先にはいいから。
あ、OK。
そろそろ終わるから、今日は。
あ、ちょっとこれでいきなり講座終わりだから、感想言ってもいいよ。
あ、いい。
うん。
でもさっきの通りね、あれだもんね。これを思って、この福木さんが、哲学者が言ってるこの縦縞だとか、灰色だとかさ、
その客観的な方を思って、現代人、今もそれが全部意気だよねって捉えると、やっぱり掴み損ねる気はするもんね。
そうだね。だから、やっぱりさっきのナイキも言ってたけど、哲学だから正解があるっていうよりは、
福木さんの分析からすると、横縞よりも縦縞の方がより二元性が強いという意味で意気だみたいな。
実際当時の江戸でも縦縞の着物とかが好まれたとかってのはあるみたいなんだけどね。
それが時代によって変わるとか、自分はそっちじゃないとかね。逆に世の中でもこれが意気だって言われるからそれを外すとか、そういうのが全然起こり得るから。
それがまさにトレンドだもんね。
ああ、そうそう。
そこに二元性の部分には、世の中のトレンドみたいなものと、そこから外れてるものみたいなものがあって、
世の中のトレンド100%がっちりは、やっぱり意気じゃないんだよね。
意気の理解
それ意気じゃないね。二元性がないからね。
そのトレンド、世間の感覚、世間の感触みたいなものは常々移り変わるから、
この久喜さんの時の話で言うと、例えばこの模様がいいよねみたいなものが、その時のスタンダードみたいなものがあって、そこから外すとカッコいいよとか、好意気だよとか。
さっきの目の位置はあまり人間変わらないから、難しいなとは思うんだけど。
どっちもだよね。バシッとした方とめっちゃだらけた方の両極端をちゃんと知った上で、そこからどう外すかっていうところがないと、
その距離感がわからないとね。そこを自分で設定してないと、意気を表現するのは難しいんだろうなっていうね。
そうだね。
すごい感じでね。お笑いとかもそうだけどね。ちゃんと常識してないとコントも漫才も作らないようなずらしができないから。
そうそうそうそう。やっぱりどのくらいメインストリームがずれてるかとか、普通の人はこうするけど自分はこうするっていう、シュハリの刃のところだよね。
そうそうそうそう。それはね、シュハリを抜いちゃうとただの変なゲームというかね。
そうそうそうそう。そこを知ってるからこそ、やっぱりそこに魅力があるとかね。まさに意気が表現されてますねっていう感じなんですけども。
ということで、今回はその意気については一旦終了にしたいなと思ってまして。
偶然性の問題
はいはいはい。
次回からね、くきさんが別のテーマの偶然とかで見ていきたいんですよ。
これ覚えてる方はいらっしゃるかあれなんですけど、実はね、ちょうど1年前にも偶然をテーマにして話してたんですよね。2月だった。
あ、そうだった。ちょうどだった。
偶然だねっていう感じなんですけど、これもですね、くきさんの主張と思える。
生き残さももちろん有名なんだけど、その偶然性の問題っていう本があって、これが結構くきさんの主張だとか、すごくまさに代表作だとかって言われるんですよね。
1年前の時にも少しだけくきさんの話を出てたんですけど、くきさんが何を考えてたのかとか、
偶然性の問題っていう本で何を書いてたのかってことは全然あんまり話してなかったので、
ちょっとね、1年をかけて満を下して本に登場みたいな感じもあるんですけど。
こっちはより哲学っていう感じがして面白いのと、生きの構造で使った手法とか、人間性を大事にするとか、
抽象化するんじゃなくて具体の方を遠い目に行くんだとか、そういうことをすごく大事にしている本なので。
テーマは変わるんですけど、くきさんの哲学の観点とかスタンスは変わってないんじゃないかみたいな、
そういうところを感じながら聞いていただけると、なんかより面白いんじゃないかなって思いますね。
なるほど。わー面白そうだね。だって意気とかだと、まあ意気も概念だから難しいけど、
偶然をどう具体的に捉えるのかっていうのはね。
そうそうそうそう。
検討がつかないね。今回意気についてそういうふうなアプローチでやってもらってるにもかかわらず、全く想像がつかないね。
そうそうそう。じゃあこれを元に偶然を哲学しくださいとかって言われてもさ、ないじゃん。
あーみたいな。
確かにね。テストとかで出そうだね。
応用問題みたいな。
スタンスで偶然性を述べよう。
チャットGPとかに言ったらできるかもしれないけど。
とはね、そんな感じなので、次回からですね、この偶然性の問題、偶然というものをまたテーマにですね、
クッキーさんの手伝うというものをより味わっていきたいなと思っております。
では次回ですね、偶然性の問題という風に移っていきたいと思います。では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
44:41

コメント

スクロール