2023-11-18 26:55

#42 エクスタシーの哲学

エクスタシーと言ったら変態仮面しか思い浮かびません

Summary

エクスタシーの哲学について話しながら、シンプラトン主義の起源であるプロティノスの哲学にも触れています。プロティノスは一社と合一することでエクスタシーに達するという哲学を提唱し、プラトン主義をアレンジした思想体系を築いています。中期プラトン主義とアリストテレスの著作の影響を受け、プラトンの著作の解釈や矛盾の調和を試みる動きが起こり、その後に新プラトン主義が出てきました。500年前のテキストを読むことへの知的な探求心や、古代のテキストの保存と引き継ぎの努力に感嘆いたします。

プロティノスとシンプラトン主義
エクスタシーの哲学、テツセカ。
この番組は、哲学を知りたい3人が、知らないながらも、素人な学番組です。
はい、どうも、みそです。
おばでーす。
どもきでーす。
はい、エクスタシーね。快楽っていうのもまた。
そうっすね。
快楽、快楽ですか。
あー快楽か、なるほどね。
違うの?
うん、確かに。
絶頂?
絶頂に近い、絶頂に近いっす。
絶頂に近いっすね、なるほど。
それは、いきなりその単語を発してモンスターに怒られたりしないですか?大丈夫ですか?
いや、下ネタではないです。
ちゃんとした哲学用語です。
なるほどね。
大丈夫です。
あー、オッケーオッケー。
なんかちょっとこう、最近ね、全然哲学やってるんじゃねーか説が浮上してるというか、
僕もめちゃくちゃ感じてるんで、不安に思ってたんですけど、今日はようやく復活ということですかね。
いや、ほんとそうですよね。あれ、いつ以来でしたっけ、もうエピックロス以来かな?
そうですね、もうどれぐらい、モンスターどれぐらいやってないですかね。
夏ぐらいからやってないですけど。
2ヶ月ぐらい。
10週間ぐらい。
鉄手加藤の番組なんだよね。
ようやく鉄手加藤名乗れるような感じになるということで、楽しみに。
ちょっと待って、でもなにそのエクスタシーって、まさに下ネタから入っちゃったんじゃないの?
いや、だから大丈夫なんです、大丈夫なんです。
あの、まあ今回ね、今回取り上げるのは、シンプラトン主義っていうね、
まあまあ何回も今まで言い続けてきたんで、なんか逆にハードル上げすぎたんじゃないかみたいなとこありますけど、
そのプロティノスっていう人が使ってるんですよ、そのエクスタシー的な言葉をね。
だから全然下ネタじゃないんで安心して聞いてくださいということですね。
なるほどね、じゃあとりあえず教えていただきましょうか。
はいはいはい。
じゃあまずシンプラトン主義とは何かっていうところの、鉄学思想辞典っていうね、分厚い辞典があるんですけど、
それに書いてあったことを挙げるとですね、3世紀半ば頃から、だから3世紀半ばまで一気に飛びますからね、
6世紀にかけて、プロティノスっていう人を司祖として展開したプラトン主義の一種と言われてますと。
で、古代地中海世界におけるギリシャ鉄学の最終形態であったっていうふうに辞典に書いてあるんですよ。
なんかすごそうじゃないですか。
すごそうですね。
そうなんですよね。
なるほど。
シンプラトン主義の流行
で、そのシンプラトン主義っていう言葉というか名称自体は、もちろんプロティノス自身がね、
プロティノスとかシンプラトン主義的なことをやってた人たちが、自分たちがシンプラトン主義だっていうふうに名乗ってたわけじゃないので、
19世紀半ばぐらいの造語ですというふうに書いてありましたね。
辞書してたわけじゃないんだよと。
もう急にモウさんがなんかアバターに変わったけど。
全然似てなくてびっくりするけど。
今メガネかけたから、私メガネかけたらアバターもメガネかけるのかなと思って。
急に試さないでくださいよ。
すみません。
はいはい。すみません、ちょっと今日は時間が限られてるんで。
一応最終形態って言ってて、やっぱりシンピタゴラス派とかストア派とかペリパトス派とかね、
ヘレニズム時代の哲学学派とか、多様な用語とか学説がもうシンプラトン主義の中に取り入れられて、
いろんな場所、エクサンドリアとかね、ローマとかアテネとか、シリアとかパレスチナとか、
昭和時代とかを舞台に古代末期の支配的主張となったっていう風に書いてあって、
なんか凄そうみたいな。
なんか凄そうだね。
ただ、この中に原子論とか快楽主義とかは入ってないんですよ。
そこはあえてね、やっぱプラトンがその辺嫌いだったからっていうのもあるんでしょうし、
プラトンの中に原子論出てこないんで、あえて外したんだと思いますけど。
そんな感じのなんか凄そうみたいなやつですね。
なんか凄そう。
とはいえ、シンプラトン主義って一括りにされてはいるんですけど、
哲学者も何人かいて、その間で決して一枚はアカデメイアみたいな楽派を作ってたわけじゃないので、
思想体系があったわけじゃなくて、あくまでも構成にそういう風に呼ばれてるっていうようなニュアンスですね。
そのシンプラトン主義はプロティノスっていう人が初めてやったんだよと。
それなりに流行って、キリスト教が国境化されて、ローマで国境化されて、
アカデメイアとかが弾圧されたりとか閉鎖されるぐらいまでは続くっていうことなんで、
全529年とか30年とかそのぐらいまでは続くと。
全じゃないか、529年とかぐらいですね。
その中でも今回はいろんな人扱ってもわからないし、私もわかってないんで、
今回はプロティノスっていうシンプラトン主義を始めた人について取り上げますというところで、
プロティノスの哲学について簡単に最初に触れておくと、
もうプラトンをある意味肝骨脱退して、
新しいものにちょっと作り変えちゃったみたいなところがあるというか、
構成から見るとそういう風に見えるっていう。
本人からしたらプラトンやってるつもりだったと思うんですけど、
だから最終形態っていうだけあって、いろんな要素を取り込みながら、
プラトンを解釈していくみたいな感じが見受けられるんですよね。
プロティノスといえばこれでしょうっていうか、
シンプラトン主義といえばこれでしょうみたいな一言があって、
一社っていうね、一つのものって書いて一社ですね。
イギリス社語だとトヘンとか言ったりとか、
英語だとザワンですね。
そのまんまだね。
ザワンなんですよ。そのまんま。
でもだからその一社ってザワンって一つのものっていう究極の存在みたいなやつを設定して、
その一社から流れ出てくるもの、流出してくるものが、
イデアであったりとか、その一社からさらにイデアから流出してくるのが、
この現実の世界、現象界なんだよみたいな宇宙観みたいな説明の仕方をしていくんですよね。
なるほど。
なんかその神を設定するみたいな話って、
プラトンとかアリストテレウスも同じようなこと言ってませんでしたっけ。
おだしょー そうそうそう。だからその辺を独自に解釈したみたいなところがあるわけですよ。
なるほどね。
おだしょー もちろんプラトンの影響もアリストテレウスの影響も受けて、
自分なりにちょっと概念として作り出したみたいな。
まあそのプラトンはここまでは言ってない、一社までは言ってないんですけど、
明らかにアリストテレウスの不動の動者的な要素っぽいよね、これみたいな感じもありつつっていう感じなんですよね。
プロティノスが、我々人間が行うべき生き方っていうのは、
その一社を振り返って、一社をちゃんと見るようにして、
観想するとか言うんですけど、見るに思うって書いて観想って、
ちゃんと一社に思いを馳せて、一社と合一することでエクスタシスに達するというのが彼の哲学なんですよ。
何もわからないと思うんですけど。
何をするとエクスタシーに達するって言ったの今。
プロティノスの思想とエクスタシー
おだしょー その一社と一緒になる。一社をちゃんと一社に思いを馳せる。
観想って何だ?ギリシャ語でテオリアとか言うんですけど。
なんかこう、理性とか、理性なのかな?わかんないけど、真相究明しようとする知的態度みたいな書き方でしたけど。
ちゃんと頑張って考えようぜみたいな。要は哲学しようぜみたいな感じなんだと思うんですけどね。
そうそうそう。それでエクスタシーに達するんだよということらしいです。
なんかやらしいんだよね。やっぱりそういうの言ってるときがなんかおかしいんだよな。
一社になるとかさ。
おだしょー そういうことは考えてなかったですよ。合一することでエクスタシーね。
確かにね。そっか。そういう捉え方もできますね。
ごめんごめん。最近もうみんな本当に質問ネタばっかりくるから、私まで想像力が激しくなってきて。ごめんなさい。
ちょっと豊かすぎるんじゃないですか?想像力が。僕はそんなこと考えてなかったですよ。
おだしょー ごめんなさい。次言って、次言って。
はいはいはい。今のはちょっとざっとやっただけなんで、後から詳しくやるんですけど。
時代背景みたいなところをちょっと説明しておきたくて、そのプロティノスが出てくるぐらいまで。
もう一気に今回飛んでるわけじゃないですか。もう3世紀の半ば?250年とかの話をいきなりしだすわけなんで。
もうプラトンとかアリストテレスが生きてた時代から500年ぐらい隔たってるわけですよ。
だからその間にどんな思想的な変遷とか潮流とかがあったのかみたいなのをちょっと確認したいなって思ってですね。
ヘレニズム3派とかアカデメイヤ派とかストア派とかエピクロス派がバチバチの構想をやっていたあの時代。
あの時代アリストテレスのペリパトス派も影は薄いながらも一応細々とは続いていたみたいな感じだったんですね。
よく考えるとペリパトス派も含めてヘレニズム期の哲学者って基本的にアテネで活躍してたじゃないですか、みんな。
ストア派のゼノンとかもストアポイキレイっていうところでね、やってたからストア派って言われたりとか。
アルケシラオスとかはもちろんアカデメイヤ派なんで、アカデメイヤでやってたわけですよ。
エピクロスもアテネの郊外の庭園っていうところでやってたわけですよ。
アリストテレスはリュケイオンでやってたと。
みんなアテネだけで哲学やってたみたいな感じだったんです。
完全に一極集中してたんですが、それがギリシャ世界がローマに飲み込まれ始めるわけですよね、この頃の時代になってくると。
まさに今ミンセカとかでもやってるスルラの頃とかになると、スルラにアテネってボコボコにやられるというか、略奪されたりとかするんですけど。
これが前86年とかそのぐらいの時代なんですけど、この頃からアテネがボロボロになってしまったっていうのもあるので、
やっぱりアテネからいろんなところに分散していくみたいな、知的活動みたいなのの一極集中が溶けていくみたいなきっかけになっていくんですよ。
宮口だね。
宮口ね、確かにそうかもね。
応仁の乱で行くみたいな感じだよね。
応仁の乱で東の方も発展していくきっかけになっていくみたいな、そういう感じですか。
まあまあまあ、京都が荒廃してね、みたいなそんな感じのことをちょっと思いました。
なるほどね。
そうそう、だからこの頃からその哲学の中心がアテネからアレクサンドリアだったりとかローマだったりとかに移っていくきっかけになっていく。
アテネもあんまメインじゃなくなってくるみたいな感じになっていくわけです。
当然ローマは中心になるわけで、それこそキケロとかセネカとかピクテトスとかがこの頃から出始めてくる。
ローマの哲学者たち、有名な哲学者たちが出てくるのもこの頃からみたいな感じなわけですよ。
ごめんごめん、ローマの人たちもう一回言って。早くいっぱい言い過ぎだから。
有名なところで言うとキケロ、セネカ、ピクテトス、あとマルクス・アウレリウスっていう4人が有名かなとは思いますけど。
もっといるんですけどね、本当はね。
十分十分、4人で十分。
キケロ以外は基本的にストア派ですね。
ちょっと話が発散するんで、プラトン主義に戻すと。
各学派、ストア派とかも含めて思想が各地に広がることになって、地域的に広くなった分、密度が薄くなっちゃったのかなみたいな。
これちょっと私の解釈も入ってるんですけど。
例えばプラトン主義者が一つの地域に集まってね、それこそアカデメイアでみんなでけんけんがくがく論争してれば、対話して哲学を深めるみたいなこともできたんでしょうし。
基本的にプラトンは、ソクラテスもそうですけど、対話を重んじてたわけですよね。
哲学を深めるには対話をしなきゃいけないんだよっていうことを言ってたんでしたよね。
それが分散していくことによって、若干難しくなる。みんなバラバラになっちゃうから。
その広く薄まった分、プラトンが本当に考えてたことって何なのかみたいなのを知るには、ちゃんと著作を読むしかなくなってくるみたいな感じになってくる。
テキストをちゃんと読まないとね、みたいな感じになってきて、対話がメインだった哲学っていうのが、だんだん著作とかテキストベースで考えられてくるようになったのも、この頃なんだよみたいなことが、哲学の歴史っていう本に書いてあって、面白いと思いましたね。
おもしれー。なるほどね。
ありそうだなみたいな気はしますよね。
どこの世界でもあるね、ルターだって聖書読み込みまくったっていうのは、話全く一緒じゃんって思っちゃう。
中期プラトン主義の出現
そうかもそうかも。本当そうかもしれないです。だからその後のプラトン主義の人たちとかも、本当ルターとかと同じようなモチベーションもあったんだと思うんですよね。
だからちゃんとテキストを読んでいったら、アカデミー派が言ってたのってどうなの?みたいな。判断保留とか会議主義とか言ってなくね?みたいな風に、当然なるし。
プラトンルネサンス的な感じで、その頃から、これも構成の分け方ですけど、中期プラトン主義っていう言われ方をする人たちが出てくるみたいな感じなんですよね。
ちゃんとプラトンの著作を読んで、それをどう解釈すればいいのかとか、それに客注をつけていくみたいなことをやっていくっていうのがあったんだよということみたいですね。
あと、ちょうどヘレニズム期のちょっと後ぐらい、その前ぐらいからかな、古典ギリシャ語っていうのから、コイネっていう若干なんか言葉が変わっていったらしいんですよ。
もうちょっとなんかね、簡単なフラットな言葉に全体的になっていったらしくて、その共通語みたいなものに変わっていったんで、プラトンが書いてたのは古典ギリシャ語だったんで、それをちゃんとコイネで、今の現代語でちゃんと解釈し直さなきゃいけないみたいなモチベーションもあったらしいですね。
だからテキストに関心がより高まったんだよ、みたいな感じでしたね。
変遷とかも共有部分。
人たちのモチベーションって、簡単にして解釈し直すのは自分のためにするの?それとも結構僕たちイケてる、頭良くイケてるからみんなのためにやるとかそういう。
どっちもなんでしょうけど、本当に知的欲求みたいなのもあったんでしょうし。
あとなんだろうな、ローマの貴族とかもこの頃になると、そのちょっと前ぐらいから、ギリシャ語とかできないとちょっとダセーよな、みたいな感じの風潮とかも出てきたらしいんで。
まあなんかそういう文化的な創養みたいなのをつけとかないと、ちょっとどうなの、みたいな。
日本で言うとなんかタンクが読めないって、それダサくね、みたいな。そういう感じに近かったんじゃないかなと思いますけど。
一応読んどこうぜ、プラトンぐらいみたいな感じだったと思います。わかんないです。
簡単にした方がいいから、みたいな。
そうですね、まあその現代語でちゃんと読めるようにしとかないといけないよね、みたいなことでみんな適当に書き込んでいったりしてた、みたいな感じですね。
で、その中期プラトン主義っていうのを始めたと言われてるのは、キケロの師匠だったって言われてるアスカロンのアンティオコスっていう人が始めたらしいんですね。全然知らないんですけど。
だから、まあその本来のプラトン主義に回帰しようぜっていうムーブメントがありつつも、もちろん彼らはストア派とかも勉強してたんで、たぶんいろんなテキストを読んでたんだと思うんですよね。
ストア派とかも勉強してたんでその影響も受けてたし、会議主義になってしまったアカデメイア派よりはストア派の方がよっぽどなんていうのかな、たぶんアスカロンのアンティオコスからすればストア派の方がよっぽどプラトンやってんじゃねみたいな、プラトンっぽくないみたいな感じもあったんだと思うんですよね。
だからストア派的な用語をプラトン解釈に使ったりみたいなのがもうこの時点で始まってるみたいな感じなんですね。さらにこの頃になると、アリストテレスの著作も世の中に出回るようになってくるんですよ。
アリストテレスの影響とアリストテレスルネサンス
前に言ってたと思うんですけど、スルラという人がトロイアに隠されてた書物を持ち帰ったっていう伝説があったんですが、あれは伝説だとしても、もともとリュケイオンにアリストテレスが抗議用のメモ書きとして残してたものが、
世間のテキストヨモーゼブームの波に乗っかって世に出回り始めたっていう感じらしくて、これもなんかねアリストテレスルネサンスっていう風に書いてありましたね。だからなんかちょっとやっぱヘレニズム期には下火になってたアリストテレスの思想っていうのが、
またなんかこう、みんなで読めるようになって、こんなこと考えてたんだっていうのがわかるようになってきたみたいな感じらしいですね。だからそのアリストテレスも中期プラトン主義の人たちはもうこのすでにこの時点で読んでたし、そのアリストテレスの論理学、オルガノンってやつですね。
それを使ってプラトンを解釈し直そうみたいなことをやろうとしてたりとか、刑事上学をプラトンに応用しようみたいなことをやろうとしてたらしいんですけど、なんかプラトンとアリストテレスを矛盾なく調和させるんだ俺たちはみたいなことを頑張ってたらしいんですけど、結構まあ無茶だったらしくて、できませんでしたみたいな。
ちょっとなんか余計わかんなくなりましたみたいな風にも書いてありましたね。なんか弊害も起こってたみたいな、いう感じだったらしいですね。そんな中期プラトン主義っていうのがあって、その後の時代に新プラトン主義っていうのが出てくるんだよっていうお話ですね。ここまでが流れですね。
面白い、面白い。
いやでも500年前ってすごいなって思うんですよね。まあ今変遷だから500年間の話ですけど、まだ500年後まで言ってないけど、今から500年前って信長の時代やでって考えると、
本当だ。
悠久の時だよ。悠久の時やなって思いますね本当に。
本当っすね。
学者とか哲学者ってすげえなって思いました。
まあ500年前のテキストを読もうっていうのはやっぱすごいですよね、そのモチベーションはね。
すごいね。まあでも言うても今でも聖書の研究とかしてる人いるんだからまあでもそんなもんなのかね。
いやいやまあなんか現代ぐらいね、科学技術とかいろいろ発展してれば、まだなんかまあまあそれはやりたくなるよなっていう気もするんですけど、
なんかそんなこともない時代にね、
すげえなっていう。
すごいですよね。
いやなんか人間の知的探求心とかまあいろいろ他にもいろんな要素があるんですけれども、まさに地を愛すフィロソフィー。
まあ本当そうだね。本当そうだ。
でもさその頃にちゃんとなんか壊れちゃわないで、残っているっていうのがすごいなと思って。
みんなが一生懸命描き写したりとかしてどんどん壊れそうになって、壊れるっていうか破損しそうになったらこう引き継いで引き継いでやってたってことだよね。
そうですね、遮本してたんでしょうね。
すごいですよね。
畜管とかパピルスとかヨーヒシュでしょまだ。
そうねそうねすごい。
いやーすごいフィロソフィアだ本当に。
確かに壮大でしたね。
これ2人ともこう深く言ってるでしょ今。どっか行っちゃってるでしょ本当は。
そんなことないそんなことない。まだまだまだ全然そんなことないですよ。
そうだった?
まだまだまだです。
まあとりあえずあんまり深入りしないうちに、じゃあとりあえず締めましょうかどうぞ坊さん。
では終わりでいいんですかこれでね今日はね。
今日も最後までテツセカをお聞きいただきありがとうございました。
テツセカはスポーティファイ、アップルポートキャスト、グーグルポートキャストで配信しています。
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番組概要欄のグーグルフォームに入力いただくか、ハッシュネグってテツセカをつけてつぶやいていただきますと全力で探しに参ります。
どうぞよろしくお願いします。
お願いいたします。
えっとなんだっけエクスタシーの話してねーような気がするけどもまあいいですかね。
明日か、明日した、明日か。
一のものと合体すればいいんだよね。
だからなんか表現が変わってるんですよ。
合一するんです合一。
まあ合一合体としちゃうんかなという気もしますけれども。
わかんないけどね。
なんかスタンドと合体するみたいなそんなようなイメージかなと思ったんですけどね。
まあいいや。
まあいいやちょっと話がグダグダになるんでとりあえず締めます。
はいじゃあ以上ですありがとうございました。
ありがとうございました。
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