2024-12-27 30:38

Ep.087 教育を軸とした大きなキャリアチェンジ《ゲスト飯田一弘さんと語る》Part2

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飯田さんのキャリア転換の物語に焦点を当てています。金融バックグラウンドと現在の教育活動との関連性にも触れました。

◆参考リンク

スタートアップ・ユースキャンプ

大村敬一 – Wikipedia

インパクト投資とは?現状と課題・具体事例について中小企業診断士が解説

ミテモ

◆ゲスト

飯田 一弘 (Kazuhiro Iida)

青山学院大学ワークショップデザイナー育成プログラム講師 LEGO® SERIOUS PLAY®メソッドと教材活用トレーニング修了認定ファシリテータ 一般財団法人生涯学習開発財団認定 認定ワークショップデザイナー ORSCシステムコーチング応用コース修了 情報経営イノベーション専門職大学客員教授 2010年、早稲田大学大学院ファイナンス研究科修了(首席) 2000年、東京大学法学部卒業 2000年、東京証券取引所(現・日本取引所グループ)に入社。2014年に、中高生向けの起業教育事業「JPX起業体験プログラム」を立ち上げ、日本各地で実施した。 2016年よりミテモ株式会社にて勤務、2019年より同社の取締役に就任。社会人・学生らに向けて、主に人材開発と組織開発の領域で、ワークショップの企画・開発・ファシリテーションを提供している。名古屋市「スタートアップ・ユースキャンプ」、愛知県「あいちスタートアップスクール」など、アントレプレナーシップ教育の実績多数。 2024年10月に株式会社Whoopsを創業。 ■飯田一弘 a.k.a.あいーだ|Whoops|note ■連絡先: kazuhiro.iidaあっとまーくwhoops.co.jp

◆パーソナリティ

しげ (Shigehisa Murakami) @cool_warm

株式会社ファインディールズ代表取締役/iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授/跡見学園女子大学兼任講師。学生時代は経済学を専攻。金融機関で不良債権投資、プロジェクトファイナンス、ファンド投資業務等に従事した後、スタートアップや地域の中小企業のファイナンスの支援等行う。2021年12月に初となる著書「決算書ナゾトキトレーニング 7つのストーリーで学ぶファイナンス入門」(PHPビジネス新書)を出版。近著に『決算分析の地図 財務3表だけではつかめないビジネスモデルを視る技術』(ソシム)。 ■ファインディールズ Fine Deals Inc.会計とファイナンスで読むニュース の記事一覧決算書ナゾトキトレーニング 7つのストーリーで学ぶファイナンス入門決算分析の地図 財務3表だけではつかめないビジネスモデルを視る技術

まさき (Masaki Endo)

ゲーム会社→EdTechスタートアップ転職→非上場大企業勤務ののち、ビジネス系フリーランス。2023年から6年ぶりに企業の勤め人になる。

*番組の更新情報はX (@endofocean) でも配信しています。よろしければフォローください。

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ということで引き続きゲスト飯田さんに話していただいてます。前回で飯田さんがどうして金融というか教育に関心を持ってその後キャリアを作ってきたかみたいな話をちょろっとしていただきましたけども。
飯田さんは今、それでアントレーナーシッププログラムというのをだいぶ満足というか納得いくところまでは来たということで、キャリアをまた変えましたというところになるわけですけど。
ここから飯田さんは何をしていこうと思っているんですか?
そうですね、ここから何していこうか。
今ね、考え中なんですけど、考え中っていうのは、アントレプレナーシップ教育みたいなところに一旦絞ってしゃべると、
前回最後にドドッとしゃべった通り、前の職場見てもって会社で僕取締役を最後数年やってたんですけど、
その数年やっている中でありがたいことに、僕の中ではその前の職場のJPXで作っていたプログラムをさらにたくさんやりたいみたいなことを呑気に言って転職したんだけど、
最初はなかなかそういう機会もなかなか作れず、そういうマーケットもないし、お前誰やみたいなところからリセットされちゃった感じからもあったんで、数年間できない期間があったんだけど、
スタートアップ系の、なんていうんですかね、結構また空気が変わったっていうんですかね、4年くらい前から2021年くらいから、またその仕事に戻ってこれたっていうのが僕のありがたいキャリアの良かったことで、
2021年から名古屋市で高校生向けにスタートアップユースキャンプっていう名前の、高校生が夏休み1ヶ月間30人くらいですね、市内在住在学の子たち、バラバラに来る感じ。
チラシを市内の学校にばらまいたりしながら、企業に何か関心があるなみたいな子たちが30人集まってきて、男の子も女の子も集まってきて、
1ヶ月間、ちょっとところどころ、集まる日はその中で6日間だけなんですけど、1ヶ月間にわたってビジネス活動をする。
その中の前半2週間は、さっきも第1回もチラッと話題になっていた、ハーバード大学の学生にやらせてるようなお金を増やしてこういうチャレンジがあって、
その後後半はビジネスアイデアをプレゼンするっていうチャレンジがあって、その2週間2週間の合計4週間のチャレンジと、
体験を振り返る、内省をしたり対話したりするパートをいっぱい組み合わせた、かなり作り込み度高めのプログラムを仲間と一緒にやってたっていうのがここ数年あって、
03:05
手応え抜群に良くて、でも一方で限界も感じてるわけですよ。どういう限界かっていうと、自治体の予算でやってるんですよね、これって。
例えば名古屋市だったら、名古屋市が市の予算をつけてくれてて、市の予算の経済局スタートアップ支援課ってところが支援課だったかな、ちょっとうろ覚えですけど、スタートアップ支援課の予算をつけてやってる。
つまりこの取り組みって、スタートアップを増やすための取り組みとしての予算がついてるわけですよ。だからその予算がつくような地域でしかできないんですよね、言葉を変えると。
なるほど。言い方あれですけど、スタートアップとか産業創出っていうのからちょっと遠い、田舎っていうとして表現あんまり良くないかもしれないけど、そういうところだと、そもそもこれにお金出そうとか、お金なんかないとか、そもそもそういうことに至らないとか、そういう問題があるわけか。
そう。っていうのが身もたもなくあるし、また時代が変わったらとか状況が変わったらまたその辺って変わっていったりするようになる。だから結構ここ2021年から4回やって、すごくプロトタイプ感覚ですけど、いいの作れたなとか、これは胸張って日本中の人に知ってもらいたいなっていうのは作れつつも、
このザグミの中でやってる限りにおいて、なかなかじゃあこれと同じクオリティーのものをこれくらいの手間とか、もろもろかけてやりましょうって言って回ったとってそんなに広がらないよなみたいな難しさは同時に感じているって感じ。
だからもう一段なんか頭使わないといけないな。せっかくなんていうかこう今の状態はいいものは作れてるんだけど、なんだろうな、それをこう届ける、デリバリーするとか届けるっていうところにおいて、まだまだ課題がいっぱいある状況だなっていうのが、
アントレプレナシップ教育で僕がやってる取り組みの偽らざる現在地なので、これをもうちょっとビジネスモデルとかね、いろいろ考えながら形を変えて、もっとたくさんの人に届けられるような、
なおかつそれが最低限サステナブルな状態、稼げるっていうことも含めてサステナブルな状態をどうやって作るかみたいなことを考えるってことを僕は1個テーマにしてる感じですね。
なるほど、すごい納得したんですけど、あの1個ちょっと質問があって、なんか届けたい対象はやっぱり中高生とかが飯田さんの中ではメインなんですか?それだけでもないんですか?
06:01
でも僕がやっているプログラム結構ヘビーなんで、小学生きついよなみたいな。
小学生までいくとちょっとヘビーすぎるなみたいな。ガチすぎるなみたいな意味で言うと、小学生にとか幅広げようとすると再発明が必要な部分は結構ある。
中学生、高校生はある程度ここまでの経験で出てきた質感のものをある程度届けたら価値が作れるなっていう手応えがあるっていう意味では中高生、大学生とかね、上に行っても全然いいんですけど。
対象はそんな感じかな。
むしろもう社会人のリスキリングとかそのレベルでもなんか全然機能する気がしますけどね。
社会人にも関わりしろがもう一個あって、高校生が参加者としてっていうかプレイヤーとして参加するのに、
例えば名古屋のプログラムだと地元の明星大学の学生がそれをサポートする立ち位置で入ってくれてたりしていて、
彼らがめちゃくちゃ勉強になるとか成長するみたいな副作用というか、副産物か、嬉しい副産物は現に発生してるんですよ。
もちろんそういった、いわばリーダーシップ経験だと思うんですけど、自分で直接ハンズオンしきれない、
ハンズオンだけど自分が代わりにやってあげるってことができないっていう制約条件でビジネスを作るとか、
このプロジェクトを前に進めるっていうところを支援するって難しいわけじゃないですか。
という意味でいうと関わってる大学生とか若手の社会人の方もたくさん名古屋では関わってくれてるんですけど、
彼らにとっては相当難しいチャレンジングなビジネスケーススタディーでは実はあるなと思ってて、
そういう関わりからも学べる。もちろんプレイヤーとしても学べると思いますって感じかな。
これちょっとすごい興味深くて、前回コネクティング・ザ・ドッツみたいなお話があって、
まさにそれの2014年ぐらいの東京証券取引所時代の教育から経て、今まで繋がってると思うんですけど、
ちょっと私の記憶だと、私も2018年銀行に会いまして、そのとき飯田さんとも何度かご一緒したりする仲があったときに、
当時飯田さんMITEMOでLEGOシリアスプレイっていうワークショップを、
多分おそらく日本でも本当に1位2位争うぐらいやられてるっていうような感じで、
その2021年の取り組みのとき、私も間接的にですけど、そういったちょっと動画作成のところ、
脚本書いたりでご一緒したときに印象的だったのが、MITEMOの人と喋ってたときに、
09:00
飯田さんがファイナンス研究家みたいなことを知らなかった人も結構いたんですよね。
飯田さんそっち系だったんですかみたいな。なんで結構若手とかすると、飯田さんワークショップをすごいやってるので、
金融バックグラウンド、何ならファイナンスABA持ってるみたいなことのイメージあんまり飯田さん出してなくて、
そんなに多分金融的なことを出してるワークショップっていう教育的なお仕事をされてたと思うんですけど、
そのMITEMOからアントレプレナーシップ教育出る間に多分間があった感じなんですね、おそらくそこって。
ファイナンスはどこに行ったんだって話ですよね、お前のファイナンスはどこに行ったんだ。
MITEMO入ったときって、アントレプレナーシップ教育とかファイナンスありきっていうよりは、それでももっとより広い教育をやらなきゃしょうがない。
そういう意味で言うと、フロントに出てくるキーワードでファイナンスっぽいのはあんまり確かに影を潜めてる感じはありますな。
でも、僕の中ではちゃんとつながってるというか、僕もう証券アナリストジャーナルとか撮ってないけど、
それこそさ、村上さんが起業されたときに、ノートか何かで書かれてた気がするんだけど、オプション理論的に言うと。
書きましたね、はいはいはいはい。
書いてたじゃない、ありちかしい感じ?
オプション理論でコールオプションを買うんだみたいな。
そうですね、キャリアの選択っていうので、コールオプションの買いっていうので、ちょっとコスト払って、年収とかが下がったとしてもダウンサイドリスクは限定的で、
うまく跳ねたらどんと上がりますねっていうのがオプション取引のコールオプションの買いっていうんですけど、それをキャリアが得たっていう話ですよね。
ですよね、村上さんほど精緻な理論でしゃべれないけど、
僕も大学院のゼミとかはオプション、それこそ大村圭一さんというですね。
大村ゼミだったんですね、なるほど。
僕が通ってた大学院で一番怖い先生みたいな。
ファイナンスのね、ゴリゴリのファイナンスの。
一番厳しい先生がいて、授業中に、授業も怖くて、結構質問とか見せて、うまく答えれないとか、トンチンカンな状態だと殺意が芽生えるみたいな、
撃ち殺すぞみたいなこと言ってる先生で、恐ろしかったんです。本当に怖かったんですよ、本当に怖くて。
で、厳しいので有名で、僕すごいそういうときM系があるんで、一番厳しい先生にこう言って、大村先生のところに飛び込んで、そのゼミとか入ってみたいな。
12:04
やってたときに、だから僕オプションの勉強とか結構当時知ってて、面白いなと思ったのはすごい僕の大事なあれであって、
オプションって要するに不確実性を価値に変えるって話じゃないですか。
不確実性が高いときに柔軟性には価値があるぞっていうのがオプションの理論の要点だと思うんですよ。
で、一方で僕は最初のキャリアは東商人だから、あんまり不確実性のことよくわかってなかったっていうか、何ならめちゃくちゃ社会って安定的みたいな錯覚の中で生きてた時代もあるんだけど、
いやいやよくよく考えるぞとか、いろいろ社会のことを僕も送ればせながら学んでいくと、いやすごい不確かさだし、
若い世代にとってはさらにだし、だからオプションを買うって大事だよねみたいな。
オプションを持つこととか、要するに柔軟性を持つことですね、オプションで捨てることもできるのがオプションだから、
そうそう柔軟性を持つことが大事だよねっていうファイナンス理論的な、なんかこう、知恵レベルに昇華されたものは僕めちゃくちゃ摂取してて、
でそれを教育の形で実践しようっていうのが、なんかこのプログラムの不確かさと向き合う教育みたいな側面で結構あるんじゃないかなと思ってて、
なるほどねー。
奥深くは繋がっているとか。
なるほどですねー。
なんですかね。
忘れてはないぞみたいな。
話は合ってるかわかんないけど、学校教育とかって当たり前ですけど、カリキュラムがしっかり作られてて、
法律とか、これをこの時にはこういうふうに教えてくださいとかっていうのが決まってて、何やるかとか決まってるみたいなのが教育のベースではあって、それはそれでめちゃくちゃ重要で、だからみんなこう、
読み書きソロ版じゃないけど、基本的なことはしっかり身につけていくっていう部分があるんだけど、一方でそのオプションというか、
その未知なるものに対して自分の時間なりエネルギーなりを投じて、そこから結果を出すだったり、うまくいかなくてもそこから学ぶみたいなことって、
システムの中だとやっぱり基本的にはあまり存続できないというか、
組み込まれにくいものだから、そこはやっぱこう意図的に、そこ分かってる人がそこの教育ってのはやってかないと多分何も出てこないし続かないんだろうなって今聞いてて思いましたね。
なるほど。これあの、1回目の時に私と飯田さんの出会いはお話したと思うんですけど、
まさきさんと飯田さんのつながりって私あまり見ても意外知らなくて、当時その飯田さんにそういうなんてイメージとして、
どういうイメージ、やっぱ教育に興味ある人なのか、ちょっとファイナンスの雰囲気かもし出してる人なのか、
後から聞いて、そういうバックグラウンドなんですかみたいな、どういう当時イメージだったんですかね、まさきさん。
15:02
なるほど、たぶん私飯田さんと会ったのは7、8年前とかだと思うんですけど、完全に教育というかワークショップやる人だと思ってました。
そういう人のイメージなんですね。
なるほど。
ファイナンスとかそういう要素はね、全く感じませんでした。
ワークショップはレゴとかそういう、それ系のワークショップってことですかね。
レゴとか他にもいろいろありますけど、どっちかっていうとその企業とか社会人向けとかに対して教育の機会を提供するだったり、それを仕事にするとか、そういう人なんだなっていう認知でしたね。
なるほど。
当初で働いてたみたいなイメージもあんまり後から聞かないとわからなかったみたいな感じですかね。
全然。
めっちゃ固い仕事してましたよ、僕当初いたとき。制度とか作ってましたからね。上場制度作ってましたからね。作るのに取り組んでましたからね。
当時ホリエモンに対してもめっちゃキレてましたし。
僕の水身時間奪われて。
ライブドアショックとか先生ですね。
そう、ライブドアショックとかね。なんかよくわからない株式分割とかしてたくてね。
本当だ、それこそだからなんだろうな。
飯田さんのキャリアみたいなのも年表とかにしてったときに、え、この人ここからここ行くんだみたいなのって。
めちゃくちゃある、めちゃくちゃある。
ジャンプじゃん。
不可解、不可解だと思います。
だって例えばわかんないけど、飯田さんと同じタイミングで東昌、今日本長県取引所だっけ?とか、そこに入った人たちって、今もまだそこにいる人の方が多いんじゃないですか。
すごいですね。僕同期が増えて10人いて。
そんな少ないんですか、10人しかいないですね。
超就職氷河期に僕は入社してるんでっていうのもあるんですけど、でも多い年でも20人台とかじゃないかな。
まあまあまあ。
取る人数って多分、おそらく。
で、僕の同期10人で、僕とつい最近もう1人辞めて転身した人がいるって風のたよりに聞いたんですけど、だから2人かな、多分辞めてるの。
それめっちゃ少ないんじゃないですか。
20数年間でね。
めっちゃ少ないと思うんですよ。
1回入ったら定年までいるみたいなカルチャーの、まさにさっき安定って言ってたけど、まさに東昌そのものがそれを象徴してる。
いや、まさにまさに。
僕、大学院のファイナンス研に行ったときに、そこで知り合った友達から、飯田さんって転職どうすんの?みたいな。
はいはいはい。
転職興味ないの?みたいな。聞かれて、転職って何ですか?って問い返したもんね。
それくらいそれくらい本当に。何言ってんだ?みたいな。
っていうところがスタート地点だから、2009年くらい、2008、2009年くらい。
思えば遠くへ来たもんだ。
いやそうっすよね。だってその東昌のガチガチ固い仕事してた人が、教育を提供する、どっちかっていうと小さめの、親会社は上場してるかもしれないけど、会社そのものとしてはそこまで大きくないとこに。
18:10
もちろんもちろん。
そこ8年くらいいたらもう独立しちゃうわけだから。
そう。
だいぶ、だいぶ遠くへ行きましたね。
いや来たことね。
金融業界って転職する人はそれなりにいたりはして、その中でやっぱり東昌さんもかなり少ないっていう前提があって、
私とかって同期20人くらいいましたけど、残ってるの2人くらいですからね。
ああそうか。
同期のみ去年やったら、現役誰もいなかったですもん。全員OBOJしかいないみたいな振り返りでしたから。
そういう感じなんですけど、かつ、でも金融の人はやっぱり金融の別の会社に、金融業界での転職はメインなんで。
例えば国産、国産じゃねえや。日本系の証券会社から外資系証券に行くとか、いわゆるそれ業界内の場所を変えるっていう人がほとんどですよ。
ほとんどだったんで、それ以外の事業会社行くとかも最近ちょっと増えてますけど、それさえも少なかったっていう中で。
でも事業会社行ったとしてもCFOとか企画とか。
結構そのやっぱり金融のバックグラウンド活かした転職が多い中、飯田さんはもうだいぶ斜めというか。
いやそれはね。
繋がってると思うんですけど飯田さん。
結構少ない。
いやなんか多分僕それはやむにやまれないところがあって、僕のキャリアが、僕は転職もちろん、もちろんというか転職活動もしたことはあるし、でなかなかうまくいかないわけですよ。
そうですか。
そうですよ。
したこともあるし。
同じ経験をうまく活かせるような転職って僕あんまりできなかったんですよね。
僕の当省での経験が。
てか僕のじゃなくて当省の仕事そのものが多分オリジナリティが高いとも言えますし、会が聞きにくいっていうか。
日本でいうより無理ですよね。
いわゆる企業内で通用する知見だったり人脈だったりを育ててくタイプってことですよね。
多分そうだと思う。
それで言うと、僕のちょっと後輩の人で、僕よりちょっと遅れて辞めた人がいて、女性の方なんですけど、名前喋っていいのかな、須藤さんって友達がいて、
彼女はインパクト投資の世界に転身してて、そっちの系で結構有名になってる方なんですけど。
本を書かれてますよね、須藤さんインパクト投資によるという日系の本ですよね。
そうそうそうそう、よくご存知。
すごい活躍されてる方が僕の後輩にあたる方なんですけど、当初いた頃仲良くて。
で、ちょっと前に久しぶりにお茶して喋ってた時に彼女が、インパクトファンドの世界には結構役に立ちますみたいな。
当初の中でインパクト会計で会計基準とか上場ルールという言い方はしないかもしれないけど、やっぱりステークホルダーとコミュニケーション取るとか、
21:06
適時開示的な枠組みを作ってとか、いろんなことが結構経験が、上場の部署にいて開示の業務やってた経験とかが結構役に立ってますみたいな話を聞いて、
僕結構びっくりして、俺なんも役に立ってることないわと思ってびっくりしたんですけど、
僕の感覚としてはかなりレアなというか、そういう上手く当初の経験が役に立つ転職先ってそんなにないイメージだったんですけど、
あっ、あったのねここにと思って、彼女の話を聞いて衝撃を受けたんですけど、
僕はだから、僕の感覚としては、つまり僕の経験としては、僕がしてきた業務上の経験が上手くそのまま活かせる転職って見つけられないから、キャリアチェンジせざるを得なかったっていうところはあるっちゃあるんだろうなと思って。
今とかだと、10年前とかスタートアップの上場とかすごい増えてるんで、当初で上場審査とかやってた人がスタートアップ企業の上場のところとか証券会社の上場担当とか、
そういうキャリアの広がりっていうのは今だと結構増えてると思うんですけど。
今だったらニーズ。
今だとね、上場に入るときにそういうメンバーでね、その経営企画メンバーで当初の人がいただいてたところだよね。
上場審査はそうね、役に立つと思う。
ただ10年前もね、そこまでやっぱりそんなに上場が今ほどスタートアップっていうこともなかったりして盛り上がってなかったりして、結構限定的な感じですもんね。
まあね、だからちょっとやっぱり身軽にならざるを得なかったっていうのはあるかな、僕の場合は。
なるほど。
教育のほうね、キャリアに行くときに。
リスキリングですよ、リスキリング。
もう全部先取りですね、やってることが。
全然シリアじゃないけど。
ちなみにその8年いたMITEMOという教育の会社は、そこは自分でホームページを掘り出したのか、誰かに声かけてもらったのか、何だったんですか。
それはあれですよ、共通の知人がMITEMOの社長の沢田さんという方がいるんですが、と僕の共通の知人がいて、それも読書会だと思うんですよ、何の読書会だったかすら忘れたんですよ。
そうなんですか。
読書会行ったら沢田さんがいて、その後飲み会に行ったのも覚えてて、その飲み会が全然楽しくなくて、僕すぐ帰った記憶があるんですけど。
いやいや、今の話の流れで楽しくなかったんかい。
普通盛り上がったっていう流れですけど、今の流れ。
盛り上がった。
息統合したっていう流れですけど。
息統合したっていう流れだとすごい思う。
してなかったですね。
そこでフェイスブックでつながって、そしたらしばらくして、この人はどうやら教育の会社をやっている社長さんらしいって僕は気づいて。
24:08
当時の社長だったんですね、なるほど。
社長になってましたね。
僕から連絡取って、ちょっとすいません、僕高校こういうことをやっている、東京でこういうことをやっている人間で、ちょっと話聞いてくれませんみたいな。
僕そういうアプリを取るの結構好きで。
好きでっていうか。
とりあえずこの人の投稿読むとなんかポエミな熱い投稿してるし、きっと悪い人じゃないんだろうと思って連絡取って、そしたら沢田さんがいや井田さんは結構面白いですねみたいな感じで。
お茶しただけですけどその時は。
お茶したとき初めて2回目だから、ファーストコンタクトじゃなくてセカンドコンタクトで仲良くなって、そっからもうよく喋るようになって。
で僕がJPXでうまくいかなくて、タイミング的にね、そろそろ巣立たなければならないって状態になったときにいち早くオファーくれて。
っていうのでポーンとそっちに向かっていったっていうのが好きです。
なるほど。面白いですね。
だからその機会を逃さずって言うとあれだけど、井田さんは腰、フットワーク軽く声をかけたことが定職につながったってことですよね。
そうそう。SNSがないとね、SNSのおかげとも言えますね。
それが2016年とかですよね。
2016年ですね。僕2015年12月24日に異動を告げられて、クリスマスプレゼントをもらったんですよ。2015年12月24日に。
でグーンってなって、あ、異動したくなかったからね。
それはそのアントレプレナーシックさっきのね、1回目だったPSPLとかの研修から別の部署へってことですかね。
お疲れちゃんみたいな、お前ここから終わりーみたいな、はい終わりーみたいな感じで、お疲れちゃん言われたのが12月24日で、年末年始ずっと僕は落ち込んでて、
で1月早々にもう次の話が始まってみたいな感じで、ありがたかったね、ありがたかった。
だからもうその時には井田さんの、その時の井田さんの心は教育というか、幅広い意味での教育というか、そういうところに向かってたっていうことですよね。
1月の頭にさっきもちらっと話題だったLEGOシリアスプレイの体験会みたいなのがあって、ICJの吉澤さんが企画してくれた会があったんですよ。
長妻さんって人がファシリテーターで、でLEGOで作品作って話をするって、LEGOでThis is my businessみたいなタイトルの作品を作れって言って、
作って語ってみたいなのやってたら、転職後の作品しか作れなかったんです、僕。
なるほどー。
そうか。
This is my businessが、もう転職する気満々じゃん俺の体は。
証券取引者の話は出てこなかったんですね、ご自身としては。
手が拒絶して。
すごいっすね、もうだから心の底では決まってたんだな。
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そう、だから本当そう、体は答えを持ってたんだみたいなのが僕の中でのすごい強烈な経験で、それがだから2016年頭かな、1月の正月になったはずなんで。
で、もうしょうがない、しょうがないっていうかもう、僕は頭では混乱してたんだけど、体は答えを知ってるってことに、その時に気づかされたんで、でも頑張ろう、転職しようって言って転職したし、
その経験があったんで、LEGOに恩返ししようと思って、LEGOシリアスプレイの資格も取ったんです。
この話初めて聞いたけどすごい納得しましたわ。
まさきさんも初めて聞いた。
だからLEGOを信じられたのねみたいな。
なるほど。
そう、出会い方がね、鋭角なのよ。
うん。
体験があったんだね。
そう。
いやー。
だから恩返し、恩返しにはすごくLEGOに感謝してて。
でもその状況を、社内の人、当省の方はやっぱ全然その文脈分からないじゃないですか。
もちろん。
いきなり飯田さんが辞めるってなったと、ちょっとえーみたいな感じで。
JPXの人たち?
JPXの人たちはもうざわざわする感じですよね。
どうだったかなー。
まあでも驚きを持って迎えられた側面はあったと思いますけどね。
でもだってさっき言った通り、辞める人がほとんどいない会社とかキャリアですもんね。
辞めるっていうだけで、え?みたいな。
まあしばらく前から様子おかしかったなこいつってのがあったかもしれないけどね。
移動のね、発表があったから。
手を挙げてCSRに行ったりとかさ。
あーなるほどね。
そういう意味で。
そこまで。
そこまで。
まああんまりわざわざ手を挙げてそういう部署に行く人ってあんまりいないから。
はいはいはい。
まあだから言われる会社の中の王道って言うとよくないかもしれないけど、
そのキャリアコースからなんか外れた動きしてんなっていうのはなんかシグナルが出てたってことっすね。
まあそういうことそういうこと。
なんかこいつ好きなこと勝手にやってるやつだなみたいな。
はいはいはい。
まあ分かる人に分かったんじゃないかな。
なるほど。
なるほどな。
いやでもね。
なんかそれを聞くと本当にその大企業から数十人の会社で畑違いのところに行ったっていうことがなんかすごく意味を持って繋がってきたなという感じがしましたね。
そうねー。
いやー。
しかも2016年っていう時期が結構すごいと思ってて、
当時リスキリングっていう言葉なかったですし、
なかった?
あの井田さんのね親会社は大きいんですけど、
まあその会社でもベンチャー企業的な取り組みだと思うんですけど、
大企業からベンチャー企業とかスタートアップに行く人も極めて少ない時代でしたよね。
いや少ないよね。
キャリアとしても。
でしょうか。
今は少し出てきましたよね。
今はそういうのむしろなんかね、かっこいいじゃないですけど、
そういうキャリアに対してすごく社会的にも受け入れられてるし、
別にそれはいいチャレンジだっていう感じだと思うんですけど、
2016年の時ってそこまでなんかそういう感じでも。
なかったかな。
大崎さんもねそういう意味ではスタートアップ行ったの早かったと思うんですけど、
まあまあまあまあ。
そうですね。
たぶん周りには結構驚かれた感じなのかなっていう気はしましたけどね。
30:01
まあだからなんでそんないいところを辞めるんですかみたいな空気が当時だとありますよね。
そうですね。
理解されないというか。
やっぱりそうだよね。
うんうん。
今と違ってそういうね実績がないじゃないですか、
スタートアップいってうまくいってるみたいな人があんまりいない時代でしたからね当時は。
うんうん。
確かに。
言われてみれば。
確かに。
そうかもしれない。
いやー面白いですね。
いやー飯田さんのなんか面白いキャリアがだいぶ見えてきたところで、
いい感じのお時間になってきたので、
第2回はこの辺で終わろうと思います。
はい。
ということで一旦ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
30:38

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